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No.2261 歴史・文明・文化 『ウイスキーの愉しみ方』 野口嘉則著(ビジネス社)
2023.08.08
『ビジネスエリートが身につける教養 ウイスキーの愉しみ方』橋口孝司著(あさ出版)を読みました。著者は、ホテルバーテンダーから料飲支配人、新規ホテル開業、運営などを手がけ、26年間ホテルに勤務。2008年より、株式会社ホスピタリティバンク代表取締役。バー開業コンサルティングなどを手がけ酒類関係団体の顧問、理事を歴任し、国内外で講演、セミナーを行っています。2015年からは「橋口孝司燻製料理とお酒の教室」を主催。
本書の帯
本書の帯には、「ウイスキーの歴史、体系と種類、「おいしさ」の秘密、ラベルの読み方。一流の人なら知っておきたい、プラスαの知識のすべて」「好みが合う人とは気持ちがつながってゆく。ましてそれが酒であれば。 作家・居酒屋探訪家 太田和彦氏推薦!」と書かれています。カバー前そでには、「ウイスキーの味わい方を知らずして、一流にはなれない。」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の帯の裏には、「今こそしっておきたい 教養人から愛される『ウイスキー』の魅力」「ウイスキーの代表的生産地・ウイスキー分類図収録!」と書かれ、章立てが紹介されています。
アマゾンより
さらにアマゾン「内容紹介」には、「教養人に愛され、ビジネスの社交場でもよく登場するお酒ウイスキー。いまではジャパニーズウイスキーは世界のコンペティションでも数々の賞を受賞し、地位を確立していることから ビジネスパーソンとしてはスマートに嗜みたいお酒の1つ。そこで、ウイスキーどのようにウイスキーを愉しめばよいかという視点から、シーン別ウイスキーの選び方、ラベルの読み方まで、ビジネスパーソンとして知っておきたいウイスキーの嗜み方をプロが徹底解説! お酒の席で武器になるウイスキーの知識を学べる1冊」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
CHAPTER1
生産国・原料からウイスキーを理解する
CHAPTER2
おいしいウイスキーを見つけるための「基礎知識」
CHAPTER3
知っていると教養が深まる「ウイスキーの歴史」
CHAPTER4
ビジネスエリートとして知っておきたい「お酒の基本」
CHAPTER5
ビジネスエリートのための「ウイスキーの嗜み方」
CHAPTER6
「ウイスキービジネス」を読み解く
付録
知って得するウイスキー豆知識
蒸留所の訪ね方
おすすめのリカーショップ
世界のウイスキーランキング
「おわりに」
「参考文献」
「はじめに」の「今、ウイスキーが世界で注目されている」では、国内でのウイスキーブームのきっかけは、2008年頃から始まったハイボールブームや、2014年放映のNHK朝ドラ『マッサン』などがあると指摘し、著者は「『マッサン』によって、日本のウイスキーの歴史、そして造り手の思いを知り、ウイスキーを飲み始めたという人も多いでしょう。これまではウイスキーは愛好家のみが愉しむものでしたが、いまや一般の人々も気軽に愉しむお酒となったといえます」と述べています。
ウイスキーといえば、オークションなどで驚くような高値がついたというニュースを目にすることがありますが、著者は「世界では、オークションで1本約2億円の高値がつくウイスキーが登場し、ニュースを賑わせています。2018年11月には『マッカラン 1926 60年』が、イギリスのクリスティーズ社のオークションで1億7360万円(120万ポンド)で落札され、ウイスキーの史上最高額を記録しました。このニュースは日本でもかなり話題になりました」と述べます。
ウイスキーをつくる蒸溜の技術は、約2300~2400年前にメソポタミアで生まれたといわれることを紹介し、著者は「長い年月を経て、私たちは今、この香り高く味わい深い琥珀色のお酒を愉しむことができています。日本語には『お酒を嗜む』というすばらしい言葉があります。その言葉には、『好み、心得、趣味』『心がけ、用意』『つつしみ、節度』といった意味があり、まさに教養のある人のお酒の愉しみ方を表す言葉だと思います。ウイスキーを知ることで、人生を豊かにする一助となることができれば幸いです」と述べるのでした。
CHAPTER1「生産国・原料からウイスキーを理解する」の「ウイスキーとは何か」では、ウイスキーとは「穀物を原料として」「醸造(糖化・発酵)、蒸溜という工程を経て」「『木の樽』で熟成したお酒」という定義が紹介されます。「ウイスキーを読み解く方法①『生産国』による分類」では、「世界5大ウイスキー」とは、スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダ、日本の5つの国で造られているウイスキーのことを指すことが紹介。「ウイスキーを読み解く方法②『原料』による分類」では、「原料別」の呼び名の基本は、「モルトウイスキー」「グレーンウイスキー」「ブレンデッドウイスキー」の3種類であることが説明されます。この3つの分類を基本にして、各国の規定や商品名を見ていけば、そのウイスキーがどんな分類に属しているかを読み解くことができます。
「シングルモルトウイスキーとは」では、シングルモルトウイスキーは単一の蒸溜所で造られたモルトウイスキーのことであると説明。「単一の蒸溜所で造られる」というのは、「1つの樽」という意味ではありません。他の蒸溜所のモルトウイスキーが入っていないという意味です。1ヵ所の蒸溜所でさまざまな樽のモルト原酒を造り、それらをブレンドして味を均一化して製品にします。ちなみに、1つの樽からできるシングルモルトウイスキーは「シングルカスク」「シングルバレル」などと表記されます。
「ウイスキーの伝統を作った『スコッチウイスキー』」では、わたしたちが「イギリス」と呼ぶ国の正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といって、4つの国「イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド」の連合国であることが紹介されます。スコッチウイスキーが造られているスコットランドはそのうちの1つだとして、著者は「ラグビーやサッカー、ゴルフなどのスポーツ大会では、イギリスがそれぞれの国別で出場する場合も見られます」と述べます。
「スコッチウイスキーの歴史」の「ブレンデッドウイスキーの誕生」では、現在、多くのブレンデッドスコッチウイスキーが世界中で造られていますが、はじめはスコットランドのウイスキーは、大麦麦芽のみを蒸溜したウイスキー(モルトウイスキー)だったと指摘し、著者は「産業革命時代には連続式蒸溜器が誕生し、大麦以外の穀物を使用したクリーンな味わいで高アルコールのグレーンウイスキーを造ることができるようになり、モルトウイスキー(大麦麦芽)とグレーンウイスキー(穀物)を混ぜ合わせたブレンデッドウイスキーが誕生しました」と説明します。
それまでのウイスキーは高価で味わいもクセ(ピート香)の強い地ウイスキーでしたが、ブレンデッドスコッチウイスキーの誕生によって安価で飲みやすくなりました。そして、大量生産も可能になったことから、世界へと広まっていきました。ブレンデッドスコッチウイスキーとして最初に世に放たれたのは、1860年「ジョニーウォーカー」といわれています。著者は、「日本でも昔から”ジョニ赤””ジョニ黒”などの愛称で親しまれ、贈答用の高級商品として有名でした。今でも世界ナンバー1(年間1800万ケース生産)のブレンデッドスコッチウイスキーが、この『ジョニーウォーカー』なのです」と述べています。
「シングルモルトウイスキーブーム」では、世界で販売されているウイスキーの9割以上は、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜ合わせたブレンデッドウイスキーですが、ウイスキー好きの間ではシングルモルトウイスキーの人気も高いとの説明があります。現在、世界で一番売れているシングルモルトウイスキーは「グレンフィディック」です。1963年にスコットランド国外で発売されて以来、常に世界1位・2位を争う不動の人気を誇っています。著者は、「それまではブレンデッドウイスキーを造るためのキー(特徴づけるため)のウイスキーとして使われることが多かったモルトウイスキーを、シングルモルトとしてブランディングした『グレンフィディック』は、シングルモルトウイスキーの歴史を作ったともいわれています」と述べます。
「アイリッシュウイスキーの歴史」の「アイリッシュウイスキーの誕生」では、アイルランドは最も古くから穀物からの蒸留酒が造られていたともいわれるほど、ウイスキー造りの歴史は長いことが紹介されます。蒸留技術はスペインあたりから伝わったといわれ、スコットランドよりも早かったという説もあるとして、著者は「時代の先頭を走っていたアイリッシュウイスキーの人気は高く、生産量世界一へのぼりつめていきました。全盛となる18世紀には、小さな蒸留酒も含めると、数百件もの蒸留所があったともいわれています。特にアメリカにおいての人気は絶大で、1920年の禁酒法が施行されるまで生産量ナンバー1の地位を確立していました」と説明しています。
「アメリカンウイスキーの歴史」の「アメリカンウイスキーの誕生」では、今ではアメリカンウイスキーの代表となっているバーボンウイスキーは、第3代大統領トーマス・ジェファーソン(1801~1809年)がケンタッキー州の郡の1つをバーボン郡と名付け、そこで造られたウイスキーを指す名称であったことが紹介されます。その後アメリカ政府によって、原料の51%以上にトウモロコシを使ったウイスキーが、バーボンウイスキーと再定義されました。ケンタッキー州の南に位置するテネシー州では、1866年からジャック・ダニエル氏がアメリカ最初の政府公認蒸溜所を建てテネシーウイスキーを造り始めました。
「歴史を大きく動かした禁酒法」では、アメリカンウイスキーの大きな転換点となったのは、1920年に施行され1933年に廃止された禁酒法であると指摘しています。この法律は、お酒の製造や販売、輸送、輸出入を禁止するものでした。(エタノールやメタノールなどの工業用アルコール、医療用アルコールは禁酒法の対象外でした)。これにより20世紀はじめには、3000あったといわれる蒸溜所はどんどんと廃業に追い込まれていきますが、お酒を飲む習慣そのものはなくなりませんでした。ギャングによる密造や密輸が横行し、カナダからの密輸ウイスキーが台頭することとなったのです。
「カナディアンウイスキーの歴史」の「カナディアンウイスキーの誕生」では、カナダでのウイスキー造りが本格化したのは、アメリカ独立戦争のあと、独立を嫌った一部のイギリス系農民がカナダに移住してからだとの説明があります。その後、アメリカが禁酒法時代に突入したときに、カナディアンウイスキーはアメリカに輸出(密輸)され、急激に市場を拡大しました。著者は、「アメリカで施行された禁酒法は、カナダでも施行されました。国境にあるケベック州では、お酒の販売は禁止されていましたが、製造は許されていました」と説明しています。
そのため、カナダ産ウイスキーがアメリカにどんどん密輸されることとなりました。著者は「そんな禁酒法の時代をきっかけに、カナディアンウイスキーの会社が、その後世界最大のスピリッツ会社となるシーグラム社になります。カナディアンウイスキーの代表「クラウンローヤル」をはじめ、世界中で人気の高い「シーバスリーガル」「シーグラムVO」を販売していた会社としても有名です。
「スコットランドから学んだ『ジャパニーズウイスキー』」では、日本にウイスキーがはじめてもたらされたのは1853年で、黒船に乗ってやってきたペリーによるといわれていることが紹介されます。著者は、「13代将軍・徳川家定にウイスキーが献上された記録もあります。輸入が始まった当時は高価だったので、あまり日本社会に広まりませんでした。日本でのウイスキー造りは世界5大ウイスキーの中で最も歴史が浅く、国産ウイスキーが造られるようになったのは、サントリーの前身である寿屋が1923年山崎(大阪府)の地に蒸溜所を建てたことから始まります。その後、1929年に国産ウイスキー第1号が発売されました」と説明しています。
「ジャパニーズウイスキーの歴史」の「鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏の役割」では、国産ウイスキー造りにあたって忘れてはならないのは、NHK朝の連続テレビ小説で『マッサン』として取りあげられた竹鶴政孝氏の存在であると指摘しています。1918年スコットランドへ渡った竹鶴氏は、ロングモーン蒸溜所などで研修を受けたあと、ヘーゼルバーン蒸溜所で修行を積みました。そのときに彼がウイスキー造りについて細かくメモした「竹鶴ノート」に書かれている内容は、のちの日本のウイスキー造りの礎となりました。著者は、「竹鶴氏は1920年に帰国しましたが、当時の日本は第1次世界大戦が終わった後の不況の時期でした。ウイスキー造りに投資できなかった中、手を差し伸べたのが後のサントリーを作る鳥井信治郎氏でした」と説明しています。
「ジャパニーズウイスキーの今」では、現在の日本のウイスキーの価格が上がり始め、特にシングルモルトウイスキーは品薄で、以前の価格の数倍から数十倍の価格で取引されるようになっていることが指摘されます。その理由について、「人気があって、たくさん売れてしまったから」と思っている人がとても多いようですが、理由はそれだけではありません。著者は、「主な理由にはウイスキー造りの産業構造が大きく関わっています。たとえば、『山崎12年』という商品を造るためには、最低でも12年以上の熟成期間が必要です。工場で増産をかければすぐにできる工業製品とは違い、ウイスキー造りは時間がかかる事業です」と説明しています。
今から12年前というと、2008年、まさにウイスキーの売上がどん底だった時期です。当時はウイスキーの在庫を抱えすぎないように、「オーナーズカスク」という個人に対して1樽単位での販売も行っていた状況でした。著者は、「そんなときですから、ウイスキー生産量が少なかったことは至極当然です。当時の生産量にともない原酒がとても少なくなっていたため、現在では『10年熟成』などの年数を記載したウイスキーは休売となり、12年熟成は出荷制限されて潤沢に出回っていません。商品が少なくなれば価格も上がるという需要と供給の市場原理によって、日本のウイスキーの価格高騰現象が起きているのです」と述べています。
「ウイスキーを読み解く方法【番外編】「熟成」による分類」の「『熟成年数』による分類」では、「12年熟成(years old)」のような熟成年数表記がある場合は、「中に入っているウイスキーすべてが12年間熟成したもの」と思われがちですが間違いであるとして、著者は「スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキーで熟成年数を表記する場合は、そのウイスキーを構成する原酒の中で『最も若い原酒の熟成年数を表示する』というルールがあります。つまり、そのウイスキーを構成するすべての原酒が、ラベル通りの熟成期間であるとは限らないのです。『12年熟成』という商品の場合には、12年熟成した原酒は入っていますが、21年熟成した原酒が入っている場合もあるということです」と述べます。
CHAPTER2「おいしいウイスキーを見つけるための『基礎知識』」の「ウイスキーの『原料』となる穀物」では、ウイスキーの場合、原料は「穀物」です。著者は、「穀物とは農作物のうち、でんぷん質を主体とし、種子を食用とするため栽培されるもののことです。穀物は人間の主食となってきました。穀物の中でも小麦、稲、トウモロコシは三大作物ともいわれています。その中で、現在ウイスキーの原料として主に使われているのは大麦、小麦、トウモロコシです。国によってウイスキー造りに使われる主な原料が異なります。また、使われる原料によってウイスキーの分類(名称)が異なるので、どんな穀物を使っているかは、ウイスキーを理解するときにとても大切な情報です」と述べています。
「アルコール濃度の高い液体をつくる工程『蒸溜』」では、「蒸溜」とは、液体を熱してできた蒸気を冷やして再び液体にし、精製または分離を行うことだと説明されます。古くから金、香水、石油などを造り出してきた手法です。蒸溜酒は、水とアルコールの沸点の違いを利用して生み出されるとして、著者は「水の沸点が100℃に対して、アルコールの沸点は約78.3℃です。アルコールを熱すると、水より蒸発しやすいアルコールが先に蒸発します。その蒸気を集めて冷却することで再び液体となり、アルコール濃度の高い蒸溜液を得ることができるのです。蒸溜の特徴として、アルコールなど蒸発する成分のみを凝縮して集めるため、糖分やアミノ酸などの成分、色素などは取り除かれます。そのため、ほとんどのアルコールは蒸溜すると無色透明になります」と説明します。
「味わいを形成する工程『熟成』」では、「熟成」とは、最もウイスキーのキャラクターを決定づける大切な工程であると説明されます。一説にはウイスキーの味を決める要素の約7割は熟成であるともいわれます。熟成は短くても数年、長いと数十年以上も継続されます。熟成させる前の段階(原酒)を造る工程は、通常約数週間で行われることからも、熟成の時間の長さは桁違いです。著者は、「私はウイスキーの製造工程について説明するとき、よく人間に喩えて話をします。人は親の遺伝子を受け継いで誕生します。それはウイスキーでいうと、熟成前の原酒を造る『①原料→②醸造→③蒸溜』の工程といえます。そして、人は生まれてからの生活環境・出来事によって成長・変化していきますが、この成長過程が、ウイスキーでいうところの『④熟成』にあたるのです」と述べます。
「ブレンディングののち『瓶詰め』し商品化へ」の「瓶詰め(ボトリング)」では、歴史的に見ると、ガラス製のボトルが一般的に普及したことで運搬や流通が容易になり、ウイスキーが世界に広まる要因の1つとなったことが説明されます。現在流通しているボトルで特徴的なボトルの形といえば、世界ナンバー1のブレンデッドスコッチウイスキー「ジョニーウォーカー」のボトルであるとして、著者は「その四角いボトルの形と、斜め20度に傾いたラベルとともに、2代目アレクサンダー・ウォーカーの時代に発案され、1860年頃から現在に至るまでブランドの特徴ともなっています。四角いボトルを採用した理由は、荷箱に隙間なく詰めるようにすることで、大量輸送を助ける目的だったといわれています」と述べます。
CHAPTER3「知っていると教養が深まる『ウイスキーの歴史』」の「古代メソポタミアで起きた『保存』と『偶然』」では、人々が食料として、ブドウや木の実を採って食べたり、麦を栽培して食べたりするようになると食べ物が余ってしまうことがあったことが指摘されます。しかし、そのままにしておくと腐って食べることができなくなってしまいます。そこで必要になったのが「保存」です。そして、食べ物を「保存」して暮らす過程で「偶然」できたのが、お酒の中で最も歴史が古い「醸造酒」なのです。著者は、「このように、お酒は『保存』という行為と『偶然』が重なってできました。当時の人々ははじめから『お酒を造ろう』と思って造ったわけではなかったのです」と述べています。
「日本におけるお酒の歴史」では、日本におけるお酒の歴史を考えるときに、その前提として知っておくべきことがあるとして、「日本人は世界各国の人と比べてお酒が苦手・弱い人が多い」ということが指摘されます。その原因は、アセトアルデヒドを分解する酵素であるALDH2の欠損です。そのため、日本において人々の生活の中でのお酒の位置づけは、世界のほかの国と異なります。著者は、「お酒は生きるために飲むものというよりは、神に捧げるもの、戦いの前や儀礼、儀式など特別なときに飲むものだったと考えられます」と述べます。
「ウイスキーの発展に影響を与えた史実⑤『フィロキセラの流行』」では、ウイスキーがその地位を確立した有名な事件が紹介されます。それは、「フィロキセラ」という害虫のまん延です。19世紀の中頃のフランスでは、ブドウのウドンコ病対策のためにアメリカから輸入した苗木を介して、「フィロキセラ(ブドウネアブラムシ:正式学名「ダクティラスファエラ・ヴィティフォリエ」)」が侵入してしまいました。著者は、「ブドウの木の被害によってワインが飲めなくなってしまい、困ったとき目を付けたのが、スコットランドの田舎で造っていたウイスキーだったのです。今までワインばかりを飲んでいた人も、ウイスキーのおいしさの虜になる人が続出したともいわれています」と述べています。
CHAPTER5「ビジネスエリートのための『ウイスキーの嗜み方』」では、ウイスキーをおいしいと感じるかどうかを決めるのは、個人の「嗜好性」であると指摘し、著者は「簡単にいうとどんな味が好きか、嫌いかということです。同じ料理を食べたとしても、おいしいと感じる人とおいしくないと感じる人がいます。おいしさは人によって感じ方が違うのです」と述べます。五感はもちろん、外部環境や食習慣・食文化、その日の体調も重要な要素です。料理や飲み物の味が自分の好みかどうかだけではなく、お店の雰囲気やスタッフの様子、店内の温度など色々な要素が組み合わさって「おいしさ」ができあがります。
人間には「五感」があります。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の5つの感覚ですが、この中でも、味覚は一番不安定で不確実な感覚であるといいます。五感には優先順位があり、①「触覚」②「聴覚」③「視覚」④「嗅覚」⑤「味覚」の順となります。著者は、「人が一度に活用できる感覚は最大でも2~3つといわれており、優先順位の高い感覚を使っているときは、下位感覚を活用できない、または活用しにくいのです。味覚は五感の中で優先順位が最も低い感覚なのです」と述べています。
「ウイスキービジネスの歴史」では、ウイスキーが産業として大きく飛躍したのは、産業革命によって産業と社会構造が変わり、技術の進歩がそれまでの「経験的技術の進歩」から「科学的技術の進歩」に大きく変わってからだと指摘し、著者は「はじめは地酒造りだったウイスキー造りが産業として世界へと飛躍していくわけです。産業革命によってスコットランド、そしてアイルランドで連続式蒸溜器が開発されると、高アルコールでクセの少ないトウモロコシや小麦など穀物から造るグレーンウイスキーが造られるようになります。それまで個性が強いモルトウイスキー(シングルモルトおよびブレンデッドモルト)しかなかったウイスキーの世界に、新しいウイスキーが登場したわけです」と述べています。
1905年、スコットランドではウイスキー論争が勃発した後、1909年にはグレーンウイスキーや、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜ合わせたブレンデッドウイスキーもスコッチウイスキーとして認められるようになりました。著者は、「クセの強いモルトウイスキーから、一般の人でも飲みやすいブレンデッドウイスキーが誕生したことは、ウイスキー市場を広げる大きな助けとなりました。ブレンデッドウイスキーなくして、今のスコッチウイスキーの隆盛はなかったことでしょう」と述べます。
運搬用としてのボトルの進化や運搬方法の発展により、ウイスキーが世界中に流通するようになります。当時は熟成に関する規定が制定されていませんでしたが、スコッチウイスキー(モルト、グレーン、ブレンデッド)が認められた1909年、「シーバスリーガル 25年」がアメリカに上陸し、当時好景気に沸いていたニューヨークの上流階級の間で売れました。同年に「オールドハイランドウイスキー」を改称して「ジョニーウォーカー(Johnnie Walker)」のブランドが立ち上げられ、1932年には上流階級向け最高級ウイスキー「スウィング」が発売。スウィングは、大西洋を横断する豪華客船で世界を旅する紳士淑女のために造られ、その瓶は波で揺られても倒れにくいスウィングする設計になっています。現在もプレミアムクラスのブレンデッドスコッチウイスキーとして販売されています。
1963年にはグレンフィディック社がストレートモルト(現在のシングルモルト)を海外にはじめて出荷。それまでは、モルトウイスキーはクセが強いことから、ブレンデッドウイスキーの材料として使われることが多かったのですが、グレンフィディックは予想外に大人気となりました。著者は、「蒸溜所ごとの個性があり、はっきりした香りや味が愉しめるウイスキーとしてシングルモルトウイスキーは広まっていき、1980年代になると、続々とシングルモルトが市場に出回るようになり、現在まで続く世界的なウイスキー人気の火付け役となりました。また、アメリカ市場の拡大にともなって、スコッチウイスキーもアメリカ人の嗜好に合わせたライトな味わいのものが増えてきます」と説明しています。
「ファッションブランドとの融合 LVMHグループ」では、世界のさまざまな他業種の高級ブランドを傘下におくコングロマリット(複合企業)「LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)」グループは、シャンパンやブランデーなどで有名な「モエ・ヘネシー」と「ルイ・ヴィトン」の合併によりその歴史が始まったことが紹介されます。通称LVMHは、パリに拠点を置き、75近くのハイブランドを持っているほか、免税店のDFSグループをも抱えています。ワイン&スピリッツ事業の拡充として、「ドン・ペリニヨン」、「モエ・エ・シャンドン」、「ヴーヴ・クリコ」などのシャンパンと、ヘネシーのコニャック、この二本柱を中心として、ポーランド生まれの高級ウオッカ「ベルヴェデール」、そしてスコットランド産シングルモルトの蒸溜所であるアードベッグ蒸溜所を所有するグレンモーレンジィ蒸溜所を2004年に買収しました。
「ウイスキーの価格が高騰してきた理由」では、最近のウイスキーに関する話題として多い「オークションでマッカランが、1億円で落札された!」というようなニュースが紹介されます。著者は、「オークションで高値がつく絵画などのアート作品はあっても、ウイスキーがその場に並んで、ニュースになるほど高値で取引されることは、今まではあまりなかった光景です。特に日本では、ジャパニーズウイスキーが高値で取引された話題も多く取りあげられています。日本のウイスキーはすっかり投資、投機のための商品となってしまっています」と述べています。
なぜ、このような状況になっているのでしょうか。主な理由は、日本のウイスキーが高い評価を受けている、ハイボールブームで人気が高い、原酒不足といったものだといいます。また、内閣府ではクールジャパン戦略を示しており、各省庁が世界へ日本を発信していると指摘し、著者は「外務省によると、日本には、着物や華道、茶道、歌舞伎、武道など、世界に誇る伝統文化が数多くあり、これらの文化は、日本という国の魅力を示す代名詞にもなっていて、精力的に広報活動を行っています」と述べます。
「日本のウイスキー市場」では、日本のウイスキー造りの歴史を語るうえで最も重要な人物として、鳥井信治郎、竹鶴政孝の2人が挙げられます。この2人がいなければ、日本のウイスキー造りは数十年遅れていただろうとして、著者は「1918年にウイスキー造りを学ぶためにスコットランドに留学したのが竹鶴政孝氏です。そんな竹鶴氏に目をつけた寿屋(現サントリー)の創業者、鳥井信治郎氏は、竹鶴氏を工場長に迎え1925年に大阪府三島郡島本町山崎に山崎蒸溜所を設立、日本でのウイスキー造りが始まります。そして、ついに1929年に国産第1号のウイスキー『サントリーウイスキー白札(通称、白札)』が発売されました」と述べます。
「ハイボール復活プロジェクト」では、落ち込んだウイスキー市場は2007年に底を打ち、少しずつ増加に転じることとなったことが紹介されます。その大きな理由は、サントリーが仕掛けた「ハイボール復活プロジェクト」です。著者は、「ウイスキー低迷の原因は、若者のウイスキー離れが大きいのではないかと考えたサントリーは、若者にとっては古いイメージだったウイスキーのイメージを変えるため、ビール感覚で飲めるようにジョッキでのハイボールの提供を飲食店で推進していきました」と述べます。
また、飲食店で提供するハイボールの質を落とさないためのハイボールセミナー開催なども行っていきました。サントリーらしく、宣伝も大々的に行いました。CMを積極的に展開し、有名女優の小雪さんを起用して、BGMには過去に石川さゆりさんが歌って大ヒットした『ウイスキーが、お好きでしょ』を再使用、その後ゴスペラーズのカバーによってリメイクしました。ちなみに、わたしはこの『ウイスキーが、お好きでしょ』という歌が大好きで、東京の赤坂見附や小倉の鍛治町のカラオケラウンジやスナックで響17年のハイボールを飲みながら、カラオケでよく歌いました。今では、なつかしい思い出です。
「おわりに」の冒頭を、著者は「私はウイスキーというお酒には歴史のロマンがあると思っています。畑を耕して穀物を作る人がいて、それをウイスキーにする人がいて、そこから長い期間を木の樽の中で過ごすのです。熟成のメカニズムは神秘ですが、そこにはその土地の水や空気がたくさん含まれています。樽の中の液体には、まさに歴史が溶け込んでいるのです。古い時代に流通していたオールドタイプのウイスキーは、さらに瓶詰めされてからもその液体と空気は少しずつわずかに変化しながら、時には色々な場所や人の手を渡りながら何十年もの歴史を刻んでいるのです」と書きだしています。
ハイボールを飲みながら、この記事を書きました
そして、著者は「その頃自分はどんなことをしていたかな、その頃の日本はこんな時代だったな、などと思いを巡らせ歴史の流れを考えながら愉しむと、さらに深い味わいを感じることができます。自然の物から生まれ、育ってきたウイスキーは人間と同じで1つとして同じものはありません。まさに一期一会なのです」と述べるのでした。わたしも、ウイスキーが大好きなので、本書はとても楽しい読み物でした。なお、このブログは書斎でシーバスリーガル18年のハイボールを飲みながら書きました。