No.2271 オカルト・陰謀 | 心霊・スピリチュアル 『鏡花と妖怪』 清水潤著、怪異怪談研究会編(青弓社)

2023.09.24

『鏡花と妖怪』清水潤著、怪異怪談研究会編(青弓社)を紹介します。2018年3月刊行の本です。著者は、1970年、岐阜県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。首都大学東京都市教養学部助教などを務めました。専攻は日本近現代文学。特に泉鏡花研究に力を注ぎましたが、2017年3月13日に逝去。共著に『進化する妖怪文化研究』(せりか書房)、『怪異を歩く』(青弓社)、論文に「鏡花文学を起点とした妖怪論の試み」(「現代民俗学研究」第7号)、「マンガ化される「高野聖」」(「論樹」第27号)など。

編者の怪異怪談研究会は、2012年に発足。近代に生じた文化規範の劇的な変化を意識しながら、江戸時代から近現代における怪異へのまなざし、怪談に集約された物語の内実を明らかにすることを目的としています。2016年には、この時点における研究会の集大成として『怪異の時空』全3巻(青弓社)を発表。詳しくは、一条真也の読書館『怪異を歩く』『怪異を魅せる』『怪異とは誰か』をお読み下さい。2017年からは「ホラー・アカデミア」と題したトークイベントを開催しています。なお、本書の編集委員は、一柳廣孝、小林敦、近藤瑞木、鈴木彩、副田賢二、谷口基、富永真樹、東雅夫の各氏です。

本書の表紙には花の絵とともに「大正期から昭和期における泉鏡花のテクストを丁寧に読み解き、希代の妖怪作家・鏡花と現代の怪異怪談文化を接続して、近現代日本の怪奇幻想の系譜を紡ぎ出す文学研究の臨界点」と書かれています。また、カバー前そでには、「始まりの書となれ」として、「この論集は、〝始まり〟に過ぎない。論者はこの〝先〟こそを見据えていたのだろうと思う。彼の見据えていたその〝先〟を知る術は既にない。その〝先〟を書き継ぐのは本書を繙く者である。いや、後続たる者は本書を読んでおかねばならないだろう。夭折を惜しむ。そして志を継ぐ者の登場を強く望む」という京極夏彦氏の一文が掲載されています。

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」東雅夫
第1部 鏡花と妖怪
解題(鈴木彩)
第1章 鏡花が描く妖怪像
第2章 恋愛劇と「大魔神」
――「飛剣幻なり」の妖怪像
第3章 顔を奪うむじな――「古狢」の妖怪像
コラム1
「語られ/騙られ」る怪異と向き合うために(飯倉義之)
第4章 怨まない幽霊たち――後期鏡花小説の幽霊像
コラム2
器怪が躍る昭和モダニズム
――関東大震災後の妖怪文芸(乾英治郎)
第2部 水木しげると妖怪文化
解題(小林敦)
第5章 マンガ化される「高野聖」
――『水木しげるの泉鏡花伝』を読む
第6章 「妖怪ブーム」前夜の水木しげる
第7章 一九七〇年代の「妖怪革命」
――水木しげる『妖怪なんでも入門』
コラム3
怪奇・妖怪・ホラー
――「怪」なるものの消費と大衆文化(伊藤龍平)
第8章 地方を旅する鬼太郎
――怪異が生じる場所を求めて
第3部 幻想・怪異・文学
解題(谷口基)
第9章 自動車に乗る鼠
――泉鏡花「半島一奇抄」が描き出す怪異
コラム4
走りゆく怪、流れつく怪
――車窓がつなぐ陸と海 今井秀和
第10章 岡本綺堂の怪談
第11章 国枝史郎「神州纐纈城」試論
コラム5
「伝奇小説」の系譜と「異端文学」ブーム(谷口基)
第4部 鏡花を読む
解題(富永真樹)
第12章 「由縁の女」の小説手法
第13章 結末を持たない小説の読み方
――「龍胆と撫子」論
コラム6
「読み」をめぐる転換と煽動
――一九二〇年代の小説とプロット(副田賢二)
第14章 大正末期の鏡花文学
――「眉かくしの霊」を中心に
第15章 複製される「像」
――「夫人利生記」論
コラム7
鏡花テクストの視覚性――リアルの侵食(三品理絵)
第16章 小説家の眼差しの彼方に
――視線のドラマとしての「山海評判記」
コラム8
鏡花文学の女性表象――真なるものを視る
=書くことの(不)可能性(金子亜由美)
「清水潤著述一覧」
「おわりに」一柳廣孝

「はじめに」で、怪談研究家の東雅夫氏は、「本書に収められた諸論考にも明らかなとおり、清水氏は怪奇幻想文学の視点に立脚した鏡花研究の急先鋒として、意欲的な取り組みを続けていた。とりわけ、これまで考究の立ちおくれていた大正~昭和期の鏡花作品について、丁寧な読解・考証にもとづく論考の数々を、着実に積み重ねていたのである。地に足の着いた論述の背後には、古今の文学のみならず、映画・演劇・美術から漫画やアニメにまでおよぶ博識ぶりが窺われた。その趣味嗜好を一言で申せば、無類の『おばけずき』ということになろうか。鏡花の談話『おばけずきの謂れ少々と処女作』でもっぱら世に広まったこの言葉を用いることを、泉下の清水氏はきっと赦してくださるだろう。本書に収められた水木しげる関連の論考には、そうした『おばけずき』学究の本領が遺憾なく発揮されているように思う」と述べています。

第1部「鏡花と妖怪」の第1章「鏡花が描く妖怪像」の1「超自然的領域と鏡花」では、「随分な迷信家」であることを自認する鏡花は、「観音力」と「鬼神力」という「二つの大なる超自然力」の存在を信じ、その強固な信仰ゆえに、「世に所謂妖怪変化の類」が登場する作品を発表し続けました。鏡花の逝去直後に小林秀雄が「鏡花の死其他』」1939年)で、「鏡花はお化けの存在を確信してゐるから、お化けが在りさうなものか、在りさうもないものか、といふ様な問題は、作者にはてんで起らない。泉氏はほん物の神秘家の魂を持ってゐる」と評したことについて、著者は「超自然的領域を無批判に信じる(ように振る舞う)鏡花の作家を踏まえてのことだろう」と述べます。

鏡花は、1895年の「妖怪年代記」では「妖怪」を合理的に否定していましたが、1907年の「おばけずきのいはれ少々と処女作」では「超自然力」の実在を主張し、さらに、1923年の「間引菜」では(超自然的な要素も含む)「流言蜚語」を合理的に否定するという、妖怪や怪異に対する姿勢のかなり大きな変移が捉えられます。著者は、「鏡花は一般的に流布する作家像としては、同時代を超越して自己の世界を守り続けたと錯覚されがちである。だが、実際には鏡花も同時代と並走するなかで、妖怪のような超自然的領域に対する姿勢も変移し続けたと考えられる」と述べています。

続けて、著者は「少なくとも、単なる時代錯誤にも映る『おばけずきのいはれ少々と処女作』の発表が、怪異に対する関心が高まっていた時期であったことは考慮するべきだろう」と述べています。当時(1907年=明治40年)の時代性について、一柳廣孝氏は、「明治20年代の怪談会は世の動きに逆行するものと見なされていた。(中略)。しかし明治40年前後から、文壇を中心に催された多くの怪談会は、少々ニュアンスが異なる。これらの会では事実としての怪異譚が珍重され、そこでは霊異の実在が、前提とされてさえいた」と述べています。そして、鏡花もまた当時の怪談会の中心人物の一人であったことから明白なように、妖怪や怪異が新たな観点から見直される同時代と並走していたのでした。

2「『高野聖』の『婦人』は妖怪か?」では、明治後期に至って怪談会が復活して怪異に対する関心が高まると、「おばけずきのいわれ少々と処女作」の翌年の「草迷宮」には、「人間の瞬く間を世界とする」と称する妖怪存在が堂々と登場します。著者は、「そうした妖怪存在を臆することなく描き出す傾向は、大正期の『夜叉ヶ池』や『天守物語』にも受け継がれていく。ことに『夜叉ヶ池』の白雪姫や『天守物語』の富姫は、人間の女性が死後に生まれ変わった存在であることが示唆されているので、生身の人間との区別が曖昧であった『高野聖』の『婦人』とは異なり、小松氏の言う『霊的存在』としての造型に意識的であることが、明確に見て取れるだろう」と述べます。ここに登場する「小松氏」とは民俗学者で妖怪研究の第一人者である小松和彦氏のことです。

また、著者は「こと妖怪像に関する限りでは、『高野聖』は同時代に配慮した過渡期の作品であったとも位置付けられる。もっとも、『草迷宮』や『夜叉ヶ池』、『天守物』」の本格的な再評価が1970年代以降まで下るのに比べ、『高野聖』が鏡花生前から高い評価を得ていたのは、妖怪存在を描くことへの慎重な配慮の賜物であったかもしれない。いずれにしても、鏡花文学の妖怪像は柳田國男も巻き込んだ怪談ブームとも呼応しつつ、明治後期から大正期にかけて確立されたと言えそうだが、そうした従前の妖怪像とも異質な妖怪存在を登場させた作品が、関東大震災の翌年(「間引菜」発表の翌年でもある)に発表された後期の代表作『眉かくしの霊』である」と述べます。

第2章「恋愛劇と『大魔神』――『飛剣幻なり』の妖怪像」の「はじめに」の冒頭で、著者は「明治中期から昭和初期にかけて多くの小説・戯曲を発表した泉鏡花は、自作に幾度も『妖怪』を登場させた作家として認知されている。戦後派作家の代表・野間宏は鏡花の『高野聖』(『新小説』明治33・2)について、「『高野聖」のなかのこの美女、妖怪は、日本資本主義の勃興期に、すでにその社会の裏面にあっておしつぶされて行った多くの敗残者の目の見た妖怪であるが、鏡花はその妖怪を見る目を備えていたのである」と述べます。また、1990年代以降のホラー小説の活況を牽引する評論家・東雅夫氏は、「こと妖怪小説の観点から眺めたとき、鏡花は断然、「日本近代文学史上の群鶏の一鶴」であるのだ」、「鏡花の描き出す妖怪たちの存在感はひときわ鮮烈で、早い話が「キャラ立ちまくり」なのである」と称賛したことを紹介します。

コラム1「『語られ/騙られ』る怪異と向き合うために」では、國學院大學文学部准教授(現代民俗論、都市民俗論)の飯倉義之氏が、「清水潤氏は映画を愛していた。怪異・怪談に関する映画を鑑賞した際は、必ずその感想を研究会のメーリングリストに投稿してくれた。それは決して趣味の延長ではなかったはずだ。映画は本当ではない真実の愛を交わし、誰も死んでいない殺人事件を解決し、作りものでしかない怪異が真実には恐怖していない者の恐怖と破滅を映し出す。それは虚と実が交錯した彼岸に真実がある世界である。そうした世界は泉鏡花の作品世界と根底で響き合うはずだ」と述べています。

また、飯倉氏は「清水氏は鏡花作品の怪異が常に読者が認識する現実と虚構との境を揺さぶり、無化していることを的確に指摘している。深山の怪女、沼の主や霊、貉や山の神の眷属など、鏡花が描く怪異は民俗文化を背景とすることは疑いえない。しかしそれは不思議なモノゴトに明確な原因を与えて説明し、生活の現実を守ろうとする民間伝承の怪異譚とはまったく異なり、現実と虚構との境を曖昧にし、確かだった生活世界を解体する役割を果たす。現実と虚構が交じり合い二重に存在する構図は、真実の肉体と風景を使って虚構の役柄と物語を演じ、スクリーンという何もない場所に華やかな映像が投影される映画という芸術と共振し合うはずである」と述べます。

続けて、飯倉氏は「さらに重なり合う現実/虚構は『善悪二元論を突き抜けたアナーキーな』状態なはずだ。そのなかで『〈美〉に対する強い執着』が唯一の価値として機能することも、映画と重なってくる。鏡花の現実/虚構のない交ぜを作る怪異の語り/騙りに向き合うためには、背景となる現実の語り(民間伝承)が、どのように虚構の騙りに創られたかを解きほぐさなければならない。清水氏にとって映画は、そのための一つの方法だったのではないだろうか」と述べるのでした。映画についての非常に興味深い論考だと思います。

コラム2「器怪が躍る昭和モダニズム──関東大震災後の妖怪文芸」では、立教大学講師(日本近代文学)の乾英治郎氏が、「清水潤氏は本書に収録された第4章「怨まない幽霊たち」のなかで、関東大震災後に到来した昭和モダニズム文化と泉鏡花の幽霊小説との関係を論じている。震災は10万5千余人の命を奪い、江戸との緩やかな連続性のなかにあった東京の風景を灰燼に帰した。失われた者/モノたちを追悼するかのように、大正末期から昭和期にかけての巷では怪談会や交霊会が流行する。出版界でも、怪談の特集記事が各誌で組まれ、震災を契機に怪談を数多く書き始めた岡本綺堂や、古典や漢籍の翻案怪談を得意とした田中貢太郎、西欧の心霊科学の影響下に『慰霊歌』『抒情歌』(1932年)などを書いた川端康成らが、怪談文芸の新たな牽引役となっていく。未曾有の大量死の後に、霊的な領域に対する社会的な関心が高まっていく状況は、東日本大震災を体験した現代の我々にとっても見覚えがある光景だろう」と述べています。

第2部「水木しげると妖怪文化」の第6章「『妖怪ブーム』前夜の水木しげる」の「はじめに」での冒頭を、著者は「京極夏彦氏が『妖怪は昔から在るものではないのである。昔から在るものを組み合わせ、水木しげるが独創的かつ先鋭的なテクニックを駆使して「創り出した」ものなのだ』と指摘するように、水木しげるは現代社会に流布する妖怪像を決定付けた人物である」と書きだしています。

4「巻き起こる『妖怪ブーム』では、水木が「創り出した」妖怪たちは不気味ななかにも親しみやすく形象化され、ときとして心地良いノスタルジーをもたらす存在でもあると指摘しながらも、「かつて『妖怪ブーム』前夜の水木が同時代の社会状況と対峙するなかで、マンガというジャンルの可能性を追求して試行錯誤を重ね、おそらくはそうした同時代を捉える真摯な姿勢ゆえにこそ、メジャー媒体への進出が社会的な注目も得たことは見落とせない」と述べています。

また、水木の「妖怪マンガ」は時代を乗り越えて享受される魅力を宿す一方で、同時代との相関を踏まえて読解されるべき側面も大きいとして、著者は「『妖怪ブーム』前夜の水木をめぐる状況をたどり直すと、『妖怪マンガ』の第一人者がブーム以前に目指し、また、ブームのなかで見え難くなってしまった別の可能性が浮かび上がる。その可能性を受け止めることは、水本の『妖怪マンガ』の本質を考察して文化史的な意義を見極めるためにも、重要な手続きの1つとなるだろう」と述べるのでした。

「おわりに」では、横浜国立大学教育学部教授(日本近現代文学)の一柳廣孝氏が「本書の著者である清水潤氏は、2017年3月13日、急逝した。泉鏡花の研究者として知られる清水氏だが、近年になって『怪』(KADOKAWA)、『別冊太陽』(平凡社)、『ユリイカ』(青土社)などの一般誌でも論考を発表するなど、活躍の場をさらに広げていた。その矢先の、不意打ちのような出来事だった。泉鏡花の研究は1960年代の幻想文学ブームによって活性化され、現在では日本近現代文学研究のなかでも、非常に手厚い分野の一つになった。その推進役となった泉鏡花研究会で、清水氏は中心的なメンバーとして活動していた」と述べています。

続けて、一柳氏は「明治時代の研究に蓄積がある鏡花研究のなかで、彼は大正から昭和期にかけての鏡花作品の研究を志し、着実な成果を挙げていた。また彼は、大学院時代から幻想文学に関心を抱き、岡本綺堂や国枝史郎に関する論文もまとめている。彼の鏡花研究は、この視点からも展開されつつあった。その一方で、清水氏は早い段階から、国際目本文化研究センターで小松和彦氏が主導した妖怪文化研究のプロジェクトや、オカルト研究会、怪異怪談研究会に参加し、鏡花と妖怪に関する研究、水木しげるに関する研究を進めていた。もし清水氏が存命だったなら、泉鏡花と現代のサブカルチャーを架橋する、貴重な仕事をさらに積み重ねていただろう。返す返すも、彼の死が惜しまれる」と述べるのでした。本書は、惜しまれつつ逝去した才能ある文学研究者の優れた業績を紹介する書籍であるとともに、彼の死を悼む仲間たちによる供養の書であると思いました。本日は彼岸ですが、このような供養をされる死者というのはまことに幸せではないでしょうか。最後に、故清水潤氏のご冥福をお祈りいたします。合掌。

Archives