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No.2285 プロレス・格闘技・武道 『アントニオ猪木とは何だったのか』 入不二基義・香山リカ・水道橋博士・ターザン山本・松原隆一郎・夢枕獏・吉田豪共著(集英社新書)
2023.11.25
『アントニオ猪木とは何だったのか』入不二基義・香山リカ・水道橋博士・ターザン山本・松原隆一郎・夢枕獏・吉田豪共著(集英社新書)を読みました。本書の帯には、リング上で対戦相手にインディアン・デスロックを掛ける猪木の写真とともに、「猪木について考えることは喜びである。」「哲学者から芸人まで7人の論客が不世出のプロレスラーの謎に迫る。」と書かれています。
本書の帯
カバー前そでには、「2022年10月1日、享年79。不世出のプロレスラー、アントニオ猪木は死んだ。わたしたちは「猪木ロス」を乗り越えて、問わなけれならない。わたしにとって、あなたにとって、プロレス界にとって、時代にとって、社会にとって、アントニオ猪木という存在は何だったのか。アントニオ猪木とは果たして何者だったのか。哲学者から芸人まで独自の視点を持つ7人の論客が、あらゆる枠を越境したプロレスラー、アントニオ猪木という存在の謎に迫る。全て書き下ろし」とあります。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
壁抜けしつつ留まる猪木(入不二基義)
馬場派からの猪木論(香山リカ)
A LONG TIME AGO(水道橋博士)
存在無意識に生きたプロレスラー(ターザン山本)
1000万人に届く言葉を求めた人(松原隆一郎)
アントニオ猪木 あれやこれやの語(夢枕獏)
猪木について考えることは喜びである(吉田豪)
「壁抜けしつつ留まる猪木」では、哲学者の入不二基義氏が、猪木は「壁抜け」の多雨人であったと指摘しています。プロレスと格闘技のあいだの「壁」も、格闘と命のやり取りのあいだの「壁」も、エンターテインメントと政治のあいだの「壁」も、夢と事業のあいだの「壁」も、アントニオ猪木はあらかじめすり抜けていたとして、入不二氏は「猪木にとっては、それらの『壁』は、『乗り越える』ものではなく、元々『ない』ものであり、そのように『ない』ということすら、猪木には意識されていない。そういう仕方で、猪木はあらかじめジャンルの『壁』をすり抜けていた。あらかじめ『壁抜け』ができてしまっているということは、壁がないことに等しく、実はどこへも越境しない(=すべての場所に越境している)ということである。『壁抜けしつつ留まる』というのは、そういうことである」と述べています。
「馬場派からの猪木論」では、精神科医の香山リカ氏が「プロレスは、帝国主義と資本主義の産物である」と定義し、「新潟出身の典型的な日本人と思われた馬場が、ライフスタイルやプロレス団体の運営などに関しては日本や日本人へのこだわりから解き放たれているようであり、むしろアントニオ猪木というリングネームを持ち国際的なイメージを帯びている猪木の方が、『日本人最強、日本プロレス最強』という命題にこだわり続けたナショナリストとしての側面を持っていた。ここに来て、『馬場と全日本プロレス=保守的、猪木と新日本プロレス=革新的』というイメージも揺らいでくるのを感じる。さて、もともと帝国主義的、植民地主義的な色彩の強いプロレスの世界でそれに抗おうとしていたのは、ふたりのうちのどちらであったのか。また、より『日本人』であったの、あるいはあろうとしたのはどちらであったのか。何かにつけて対照的な存在として語られるこのふたりを見ていると、そんなことを考えずにはいられない」と書いています。
「A LONG TIME AGO」では、芸人で前参院議員の水道橋博士が、猪木に魅入られていくのは田舎の中学生のときであったと告白し、「倉敷から岡山の国立大学附属の進学校を受験して越境入学したものの、勉強ができないという挫折を味わい落ちこぼれていくなか、日夜、自分の人生の指標となるような引力を持つ恒星の出現を待ち望んでいた。『いつか誰か、ここから連れ出し、運命を変えてくれないか?』と心のなかで呟きながら。当時、ボクの人生を決定づける導師・ビートたけしの存在は、まだ影も形もなかった。そのなかで、ボクの思春期の情操教育に影響を与えたのは、まず劇画作家の梶原一騎、続いて角川映画の総帥・角川春樹、そしてアントニオ猪木の順番であった(後に、ボクはこの3人を『3大キ印』と呼んでいる)と書いています。
「存在無意識に生きたプロレスラー」では、元「週刊プロレス」編集長のターザン山本氏が、猪木を「最大の裏切り者」と呼びます。裏切りとは自己を完全に孤立化させていく衝動のことであり、自意識を聖域化していく作業、方向性のこと。その根っこにあるのは虚無、無=永遠だといいます。山本氏は、「新日本プロレスが団体として怪物化していくことに猪木はひとり距離を置いていた。それもまた猪木の無意識。1983(昭和58)年6月2日、IWGP優勝決定戦。ハルク・ホーガンとの試合は蔵前国技館だった。猪木はエプロンに上がってきたとき、ホーガンのアックスボンバーをモロに食って失神。あの有名な舌出し事件だ。あれは猪木の中でたまっていた無意識のイライラが大爆発した大スキャンダル。IWGPは新日本プロレスがライフワークとして理想としてきたことの集大成だった。それ自体をこともあろうに新日本プロレスの創業者が根こそぎぶち壊してしまったのだ」と書いています。
「1000万人の届く言葉を求めた人」では、社会経済学者で放送大学教授の松原隆一郎氏が、猪木が引退に際して披露した「道」という詩を取り上げます。清沢哲夫の『無常断章』(法蔵館、1969年)にほぼ同じ詩が出ていることを指摘し、松原氏は「これを一休禅師の詩と猪木が紹介したのは謝りだったらしい。重要な局面で間違う大ざっぱさも猪木ではあるが、この詩を多くの観客の心に残したのも猪木である。死の淵にあって、ガリガリにやせてもカメラのレンズが向くと『元気ですか!』とやっていた。どう見ても元気ではなさそうなのに、この不条理。猪木は1000万人に通じる言葉を求めた人だったのだ。村上春樹の『ノルウェイの森』がなんとか到達した読者数である。100万部でもベストセラー。まして10万人にしか通じない格闘技には、どれほど素晴らしい闘いを見せても猪木は関心を持たなかった。言葉を人々の心に残して逝ったプロレスラー、まさに不世出である」と述べるのでした。
「アントニオ猪木 あれやこれやの語」では、作家の夢枕獏氏が「日本には世界に誇る三大偉人がいる」という言葉を紹介します。これは、長い間、夢枕氏がネタ半分、本音半分でずっと言い続けてきたことだそうです。それをあげれば、まずは空海、宮沢賢治、そして、アントニオ猪木です。夢枕氏は、「共通点をあげれば、この3人は、四国の讃岐に生まれようが、東北の花巻に生まれようが、横浜の鶴見区に生まれようが、地球上のどこに生まれようが、必ずや、それぞれの道を通ったあげくに、それぞれ空海となり、宮沢賢治となり、アントニオ猪木となったであろうということだ。まったく、我らは、同時代に、アントニオ猪木という凄い存在を持った」と書いています。
「猪木について考えることは喜びである」では、プロインタビュアー・プロ書評家の吉田豪氏が「猪木がすごいのは人として明らかにアウトなことばかりやっているはずなのに、それどもこうやって愛され続けたことなのだ。おそらく最も猪木に振り回されまくり、アフリカのジャングルに1日とだけ放置されたり、猪木の仕掛けで長州に噛み付かれたり、藤原組長に襲われたりしていた藤波辰爾が、最後までただのファンとしてニコニコしながら猪木のことを語っていたのが忘れられないし、付き人だった時代の高田延彦が猪木を好きすぎて思わず黒いショートタイツの匂いを嗅いだ話もボクの大好物だ。ヴィジュアル的に猪木よりも格好いい選手はいただろうけど、そういうものを超越した色気や魅力が猪木には確実に存在した。これは倍賞美津子もメロメロになって、2人で仲良くトイレに入って便座を破壊するのもしょうがない」と述べるのでした。
ちなみに、吉田氏が「藤原組長に襲われたりしていた」選手は藤波ではなく、長州ですね。それにしても本書は「猪木を哲学する」一冊であり、これまでになかった視点から猪木について考えることが刺激的でした。願わくば、執筆陣に作家の村松友視氏、アナウンサーの古館伊知郎氏、芸人の有田哲平氏とプチ鹿島氏、それから小生を加えてほしかったですけど。それにしても、一条真也の映画館「アントニオ猪木をさがして」で紹介した映画も上映中ですし、1周忌を迎えて、“燃える闘魂”への関心度が高まっている印象です。最後に、吉田氏と同じく、わたしにとっても、猪木について考えることは喜びです!