No.2309 人生・仕事 『孤独こそ最高の老後』 松原惇子著(SB新書)

2024.03.27

『孤独こそ最高の老後』松原惇子著(SB新書)を読みました。著者は1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。シングル女性の今と老後を応援する団体であるNPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。シンガーソングライターや映画製作の活動も行い、自らが孤独な老後を充実していることを体現しています。『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っています。他の著書には、『「ひとりの老後」はこわくない』(海竜社)、『老後ひとりぼっち』(SBクリエイティブ)、『クロワッサン症候群』(文藝春秋)などがあります。

本書の帯

本書の帯には「1000人以上の孤独老人の実態からわかった『孤独ってこんなに自由で楽しい!』」として、「適度な緊張感が出て、病気にかかりにくくなった」「お金が自由に使える。家族にあげなくていい」「趣味に没頭できる! 無理に妻と一緒にいないほうがいい」「終活って、ひとりだとこんなにスムーズにできるんだ」とあります。

本書の帯の裏

また、帯の裏には「孤独を避けようとするほど不幸になる」として、「老人ホームでは『退屈』と『老人だらけ』というストレスに悩まされる」「養女も後妻も、遺産がほしくて早く死んでほしいと願っている」と書かれています。さらに、「孤独なほうが健康・お金・人間関係・終活の全部がうまくいく」として、「回復に専念でき、無駄な病院通いが減る」「人に頼れない分、適度な緊張感が出て病気にかかりにくくなる」「ひとり分だと、老後資金の予測が簡単になる」「孤独の解消を子どもや孫に求めると、お金だけタカられて終わる」「妻に近づくより、自分ひとりの時間を満喫したほうがお互いに幸せ」「薄い関係の友達が少しいれば十分」「終活なんて実は簡単。『エンディングノート』ならぬ『エンディングファイル』を作ればいいだけ」「信頼できる遺言執行人さえ見つかれば、終活の9割は終了」と書かれています。

カバー裏表紙には、「孤独は『敵』ではなく『強力な味方』」として、「老後は孤独だと不安になりますか? 健康や病気、お金、人付き合い、人間関係、生きがい、終活などで。確かに、配偶者や子どもが近くにいれば、安心できるかもしれない。でも、周囲に人がいるからこその不自由さや拘束もある。実は孤独こそが、至福の老後を約束する。著者は70歳を超えた今までずっと独身であると同時に、これまで1000人以上の孤独老人を見てきた上で、そう確信するに至った。そこで本書では、孤独をうまく味方に付け、老後を幸福にする方法を、誰でも実践できるかたちで提言する」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 孤独を避けようとするほど不幸になる
1 孤独を避けようと、老人ホームに行くと・・・
2 規則がない自由な有料老人ホーム。
一見魅力的なようで実は・・・
3 高級有料老人ホームで見た異様な光景
4 孤独を避けようと、定年後に夫が妻に近づくと・・・
5 孤独を避けようと、養女を迎え入れると・・・
6 孤独に耐えきれず、後妻を迎え入れたら
7 孤独老人になるのを嫌うのは日本人だけ
第2章 孤独なほうが、むしろ老後は幸せになれる
1 わたしも孤独を味方に付けて幸せになった
2 孤独老人と言われようが、
自分が幸せならそれでいいことだ
3 親も子どももいない。兄弟仲も悪いが、ひとりで幸せ
4 孤独を充実した人生に飼えた男
5 孤独でなければ芸術は生まれない
6 孤独を愛せる人は、どこに住んでも幸せになれる
第3章 孤独なほうが健康対策もうまくいく
1 “老後不安に備える”が、そもそもの間違い
2 孤独だと、病院へのかかわり方も自分で選べる
3 病気のときこそ、ひとりに限る
4 認知症になっても大丈夫。オランダには
ひとり暮らしの認知症の方がいっぱいいる
5 死にかかわる病気は発見されてからでも遅くない。
ひとりのよさは、がんと戦わなくていいこと
6 孤独の価値がわからない人が、
朝からクリニックに並ぶ
第4章 老後資金は、
    自分ひとりが楽しめる小遣いさえあれば十分
1 ひとりだと老後資金の予測ができる
2 賃貸でひとりでも、安心した老後が送れる
3 月に4万円稼げれば、楽しい老後が送れる
4 ひとりだからこそできる、
スーパーボランティアから学ぶことあり
5 孤独から逃れるためのお金は、自分のためにならない
第5章 人間関係も生きがいも、
    孤独ベースのほうがうまくいく
1 夫婦いつも一緒より、
各人が孤独を満喫するほうがいい
2 これからの心地よい人間関係は
「男ひとりに、女二人」
3 孤独だと、人付き合いのストレスも激減する
4 気を遣わない身内で孤独を紛らわせようとすると、
トンデモナイ目に遭うことが・・・
5 ひとりが気になるのなら、
人間よりも猫を求めるほうが正解
第6章 死に支度こそ、孤独なほうが進めやすい
1 終活は、妻にも子どもにも内緒でこっそりと
2 終活なんて実は簡単。「エンディングノート」ならぬ
「エンディングファイル」をつくるのがコツ
3 死後のことより、終末期の準備をしよう
4 信頼できる「遺言執行人」さえ見つかれば、
終活の9割は終了
5 そもそも家族は、あなたの言う通りにはしてくれない
「おわりに」

「はじめに」で、著者は以下のように書いています。
「わたし自身も、70歳を過ぎていてずっと独身だから、孤独老人のひとりだ。これほどの孤独老人を見て、自分でも孤独老人として生きてきた中で、孤独が果たしてそれほど悪いことなのか、困ることなのか、が疑問だったのだ。孤独でもいつも明るく楽しく生きている老人はたくさんいる。しかも、『健康』『お金』『終活』『人間関係』の不安もそれほど抱えていないし、実際に困っていない。一方で家族がいたり、家族や友人といつも一緒にいれば、不安は全部解決するのだろうか?絶対にそんなことはないはずだ。後は孤独が悪いことではなく、むしろ孤独こそ最高の老後にするのに必須であるとまでわたしは確信している」

第1章「孤独を避けようとするほど不幸になる」の1「孤独を避けようと、老人ホームに行くと・・・」では、「老人ホームでは毎晩のように『死にたい!』の大合唱が聞こえる」として、孤独を避けるためにホームに移ってきた老人も多いのでしょうが、確かに物理的な面では孤独は解消されていると指摘。職員はいるし、老人もたくさん住んでいる。でも、精神的には満たされたとは決して言い難いといいます。それなのに、なぜ「死にたい!」という声が絶えないのでしょうか。それは、老人ホームに入れられた老人は、どんなに立派なところを用意されても、家族に捨てられたという思いがあるからでしょう。

「家族に捨てられたという被害妄想を抱く」として、著者は、老人は自分が家族の邪魔になっていることを敏感に察知すると指摘します。家族から「お母さん、いつまで生きるつもりなの?」と面と向かって言われなくても、早く死んでほしいと思われていることくらいはわかるとして、著者は「娘に遠慮がちにつぶやく『死にたい』の言葉の裏には『知らない人の中で、死ぬまで暮らす精神的苦痛から抜け出したい。早くラクになりたい』という思いがあるからではないだろうか」と述べるのでした。

1-4「孤独を避けようと、定年後に夫が妻に近づくと・・・」では、「30年以上もほったらかしにした妻に、いまさら寄り添うほうが勝手過ぎる」として、「男性は一生、会社に勤めていたほうがいい」と皮肉のひとつでも言いたくなるほど、定年夫はどうしようもないと指摘します。著者は、「おそらく、人生のほとんどを会社という組織の中で過ごしてきたため、思考がロボット化してしまい、人間としての生き方を見失ってきたのではと思われる。その点、出世コースから外れたサラリーマンはラッキーだ。現役のときから会社以外の道を考えているので、人間関係も幅広く、退職後もスンナリと違う世界に入ることができる」と述べています。

問題は、退職するその最後の日まで会社中心の生活を続けていて、若い女性社員から花束をもらって去る管理職の人だとして、著者は「気がつくと、子どもは自分の家庭を持ち、父親には見向きもしない。妻は妻で自分の友達と集まって何やら楽しそうにやっている。『あれ?』『俺の居場所は・・・?』『誰がこの家族を養ってきたと思ってるんだ??』すでに、会社という組織の中で威張っていられる自分の居場所はなく、自分の尊厳を満足させてくれる名刺も肩書きもない。昨日までのイキイキした人生、あれは何だったのか。こんな言い方をしたら失礼だが『夢だったのよ』と言ってさしあげたい。しかし、その幻想に気づくサラリーマンは、役職が高くなるほど少なくなる」と述べます。キツイですね!

「定年後の夫婦円満のコツは、妻との距離感を変えないこと」として、著者は、これまでに、そんなに会話がなかった夫婦が、老後になって急に会話のある夫婦になれるはずもないので、会社に代わる自分がイキイキできる場所を探したいと述べ、さらに「定年男性よ、自分の世界を持とう。妻に関心を持つのはやめよう。妻を自由にさせよう。自分の孤独は自分で癒すのが定年男性の務めだ。サラリーマンのときと同じように、朝早く家を出て、夕方家に帰ろう。そして、妻を決して干渉しないことだ。妻にラインなどでメッセージを送りすぎるのも禁物。あなたはもう管理職ではないのだから、人を管理することはできない。ニコニコしていれば、『あの人、最近楽しそうに出かけるけど、何をしているのかしら?』と、ミステリアスなあなたに妻は、関心を持つに違いない」と述べるのでした。

1-5「孤独を避けようと、養女を迎え入れると・・・」では、「早く死んでほしいと願う養女を受け入れるよりも、大切なこととは?」として、ひとり身の高齢者は、お金を持っているふりと、寂しい顔を表に出してはいけないと訴えます。また、こんなときに子どもがいたらと弱気になってもいけません。ひとりで生きてきた人は、孤独なのは当たり前なのですから、人生終盤で血縁を求めたら、これまでの自分の生き方を否定することとなるとして、著者は「養女になる人を悪く言う気はないが、養女は、あなたが死ぬのを指折り数えて待っている。あなたが長く生きたら、どんな目に遭うか知れない。そしてあなたがめでたく死んだ暁には、あなたの高級マンションでセレブ生活を謳歌するに違いない。そこへ、お金の臭いをかぎつけたイケメンが入り込み・・・。さあ、『火曜サスペンス劇場』の始まりだ」と述べるのでした。

1-6「孤独に耐えきれず、後妻を迎え入れたら」では、「孤独に耐えきれない交霊男性は、お金目的の女性にとって絶好のカモ」として、著者の持論が以下のように展開されます。それは、「若いときは、生命力があり人生は上り坂だが、55歳をピークに下り坂に転じる。幸運にも老人になる手前でこの世を去れればいいが、後は衰弱するだけの高齢期から先を生きていくのは、そう簡単なことではないだろう。65歳の身体状況のまま、95歳までいられるならいいが、年々体が弱り、年々判断力が鈍りながら30年も生きるのは、蛇の生殺しに近い。更に、よぼよぼになればなるほど、社会からも家族からも気にされず、見向きもされなくなる。おそらく口にこそ出さないが、孤独で死にたいと思っている老人は多いはずだ」という持論です。

2014年頃にマスコミを騒がせた後妻業の女・筧千佐子被告が起こした青酸化合物による連続殺人事件がありました。あのときに、著者は「後妻業」という仕事に目を付けた女性のしたたかさに驚いたといいます。逮捕された女性はどこにでもいるおばさん風の人でしたから、なおさら驚かされたそうですが、単身高齢男性にやさしい言葉で近づき、「女」をちらつかせながら相手の気を惹き、籍を入れさせる。孤独な男性の心理を突いた頭のいいおばさんの詐欺事件と言わざるを得ないとして、著者は「彼女は相手が死ぬのを待ちきれずに、相手を殺してしまったので大きな事件となったが、一般社会でもこれに近いことが行われている気がする」と述べます。

また、「孤独で寂しい男性と、お金がほしい女性の間で結婚が成立する」として、今の日本では、離婚してしまうと女性は収入が激減しがちで、国からの保証を何も受けられなくなってしまうことが指摘されます。そんな女性を救う受け皿がないのが今の日本です。ひとたび事故や病気になると、生活困窮者になりかねないのです。著者は、「大手企業に勤めている人にはわからないと思うが、レールから外れた人間を無視する社会が存在するのが今の日本だ。そういう女性たちがすべて後妻業詐欺をすると言っているわけではないが、貧困が生み出した現象といえなくはないだろう。どこかの首相が『女性活躍時代』と声高に叫んでいるが、政府がやるべきことは、女性が『活躍』ではなく『自立』できる対策ではないのか。人間がひとりで生きていけない社会は、憲法の『基本的人権』に反するとわたしは思う」と述べます。わたしも、まったく同感です。

著者は、一般の結婚も、見方を変えれば男女間の取引きであるといいます。永久就職とはよく言ったもので、「籍」を入れさせてもらうことで、食いっぱぐれを防ぐという意味で同じだというのです。著者は、「愛は素敵だし、愛を信じたいが、女性にとっての結婚の価値は『愛』ではなく『籍』というのがわたしの見方だ。『籍』ほど、女性にとり魅力的なものはない。そして、『籍』ほど恐ろしいものもない。それが今の日本の戸籍制度だ。一方、狙われる高齢男性のほうだが、こちらはこちらで悲壮感の嵐に襲われている人が多い。もう、歩いている姿を見ているだけで、寂しそう。こういう言い方をしたら失礼だが、日本の男性は、女性に触れることに至福の喜びを感じているように見える。信じられないぐらい、男性はお触りが好きだ。一方、日本の女性はひとりだからといって、再婚どころか男性との触れ合いを求める人は少ない。女性が望むのは男性の経済力だけと言ったら、怒られるだろうか」と述べ、2018年にマスコミを騒がせた「紀州のドンファン変死事件」を取り上げるのでした。

1-7「孤独老人になるのを嫌うのは日本人だけ」では、「『人は孤独なのが当たり前』をわかっているドイツ人は老後も明るい」として、著者には、日本人ほど孤独を恐れる民族はいないように思えてならないことが明かされます。日本人のいいところは書き尽くせないほどあるし、外国に行くと日本の素晴らしい文化を誇りに思うとしながらも、日本人ほど「自分」を持たない人たちはいないと、ヨーロッパに行く度に痛感させられるといいます。それと同時に、日本人ほど孤独を避けようとしている民族はいないのではないかと思うそうです。著者いわく、ドイツ・オランダでは、人間としての「自立」が早いといいます。両国では18歳で、ひとりで生活することで大人にさせられるのです。

このように早い時期から、自分の行先を考え、決断し、自立して社会で生きなければならないので、孤独についても子どもの頃から学び、身に付いているのです。ドイツでは「人は孤独なのが当たり前」という考え方を誰もが持ちます。なぜなら、「自立」と「孤独」はセットだと知っているからです。著者は、「人に委ねて自己決定することなく生きてきた人には、はっきり言わせてもらおう。個人を持たない自立していない日本人は、群れから離れて『ひとり』になることを恐れるが、自分で自己決定して生きてきたドイツ人は、『人間は本来ひとり』という認識なので、孤独をすんなりと受け入れて楽しんで生きているのだ」と述べるのでした。

第2章「孤独なほうが、むしろ老後は幸せになれる」では、1「わたしも孤独を味方に付けて幸せになった」では、「孤独は避けるものではなく、友達にすると頼もしい存在になる」として、著者が自宅とは別に一時的に賃貸マンションを借りようとしたところ、不動産会社から断られたエピソードが披露されます。理由は、60歳過ぎのひとり暮らしだからでした。著者は、頭を後ろから殴られるほどのショックを受けたそうで、「自分は自立しているつもりだったが、社会は認めてくれない。子どもがいないというのは、老いてからこういう目に遭うのか。このまま年を取ったら、どういう扱いを受けるのか。家族のいないわたしは、ひとりぼっちにされるのだ。いや、ひとりぼっちなのだ。60代は、自分の孤独とどう向き合って生きていけばいいのかを探っていた。宗教の必要性も感じ、お寺にも通った」と述べています。

そして、ついに本格的にシニアに突入した70歳を迎えたときに、著者の「孤独への恐怖」は「孤独を愛そう」という気持ちに変わったそうです。ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独」でも歌われていますが、孤独を友達にしていくことに気づいたのです。そこに気づいてからの著者は、自分でもびっくりするほど人を求めなくなったとして、「人を求めなくなったら、他人に少しだけだがやさしくなった。誰とも会わずに、ひとりで音楽もかけずに、静かに家にいると心が落ち着く。専門家によると、70代はもっとも体が安定するときらしいが、精神も同じように安定するのだと、体験から思う」と述べるのでした。

2-2「孤独老人と言われようが、自分が幸せならそれでいいことだ」では、「今の高齢者の不安は、孤独に年をとること」として、著者は、長生き大国日本において、今のシニアの不安は、墓や葬式の問題から「孤独に年を取ること」に移っていると述べます。「終活ブーム」に乗り、墓も葬式も決めた。延命治療もしないと決めた。そして次に浮上したのが、孤独な老人になる不安でした。著者は、「持ち家で、年金生活。蓄えもある。老後の経済的不安のない恵まれたシニアでありながら、幸せにほど遠い心で暮らしているのがわかる。でも、孤独な老人は本当に寂しい老人なのだろうか。孤独で幸せな老人もいるはずだ」と述べています。

2-3「親も子どももいない。兄弟仲も悪いが、ひとりで幸せ」では、「『ひとりが寂しい』は、単なる先入観。人を欲さなければ、ひとりは自由で気楽!」として、「ひとりを寂しい」と思うか、「ひとりは自由で素晴らしい」と思うか。わたしたち日本人は、「ひとりは寂しい」とどこかでインプットされ続けてきたため、ひとりの素晴らしさに気づかずに、人生を終えてしまう人が多いと述べます。「ひとりが寂しい」と思う背景には「人を欲する」気持ちがあるからです。人を欲さなければ、ひとりでいても寂しいという気持ちは起こらないとして、著者は「若いときに、やたらと寂しくなったのは、人を欲して人で心を埋めようとしていたからではないか。誰もいないこと、ひとりぼっちなことは、年を重ねるうちに、寂しさではなく解放感に変わる。その感覚は、その年になってみないとわからないことのひとつだろう」と述べるのでした。

2-4「孤独を充実した人生に変えた男」では、「『なるべく家にいないように過ごす』ではなく「好きなことばかりして過ごす」に発想を切り替える」として、著者は、家に帰ると妻がいるのは、夫にとりかなりのストレスだといいます。著者が母親と同居してわかったことのひとつに、「ただいま」と仕事から帰ってきたときに、母という家の主がいつもドカンといるストレスでした。これは、好きとか嫌いとかの感情的な問題ではないとして、著者は「夫婦は、対でいることを求められるので大変だと、はたから見ていて思う。そう感じない人もいるだろうが。特に男性にとり二人で小さな家の中にいるのは忍耐だろう。本当はほっとできるはずの家で、ひとりになれないのは苦痛だ。その原因は、夫婦といえども本来はひとりひとり別々の人間で、一体ではないことによるものだとわたしは理解している」と述べるのでした。

2-5「孤独でなければ芸術は生まれない」では、「孤独こそ、好きなことに没頭できる贅沢な時間」として、誰もが知る偉大な芸術家、ミケランジェロやダ・ヴィンチもひとり者だったことが指摘されます。孤独でなければ芸術は生まれませんし、たとえ、どんな小さな芸術、写生をする、詩を書く、書道をする、モノをつくる、楽器を弾くでも、孤独でなくてはできません。もし「孤独だ」を寂しく思うなら、孤独でしかできない芸術に没頭したらどうだろうかと提案します。毎日が日曜日の定年退職男性は、芸術家になれる要素を持っていることになります。まずは時間です。年金生活者には、24時間も自由時間があります。次に資金。少ないかもしれませんが、働かずして入る年金という収入があります。それから健康。視力は落ちていても、自力で動ける体力はまだあります。著者は、「この3点が揃っているのは、今しかない」と訴えるのでした。

第3章「孤独なほうが健康対策もうまくいく」の1「“老後不安に備える”が、そもそもの間違い」では、「老後の不安は、考えるほど増幅していくもの」として、ひとりの人は、老いたからといってビビッてはいけないと訴えます。厳しい言い方かもしれないと断った上で、「ひとりを選んで生きてきた人が誰かに助けてもらおうという根性がそもそも間違っている」と喝破します。一旦不安になると、何をしても不安は消えないものです。例えば、家で倒れたときの対策として、セコムなどの警備保障会社による人の動きを感知するセンサーを設置したとします。普通はこれで安心なはずですが、不安症の人は、そのセンサーが感知しないところで倒れたときのことが心配になるのです。著者は、「その負の想像力のすごさには脱帽する。更に重症になると、病院名、連絡してほしい人の名前、保険証の場所などを書いて部屋に貼っている人もいる」と述べます。

3-2「孤独だと、病院へのかかわり方も自分で選べる」では、「ひとりの人は思った以上に大きな病気にかからない」として、わたしたちは、人口の多い都市部に住んでいるので、ひとりぼっちの状態を孤独に感じるのであり、人のいないところに暮らしている人は、もともと人を求めていないので「ひとりぼっちだから寂しい」という感覚はないのではないかと推測します。著者は、「これはとても不思議なのだが、20年間おひとりさまの団体を運営していて感じることだが、ひとりの人が心配しているほど、ひとりの人は大きな病気にはならない。気を張って生きることで、細胞もがんばってくれているのか。頼る人がいないので、普段から病気について勉強している人が多いせいか。原因は定かではないが。そして最後は、割とあっさり亡くなっている」と述べます。

3-3「病気のときこそ、ひとりに限る」では、「弱っている自分を見せずに済み、回復にも集中できる」として、病気のときこそ、ひとりに限ると主張します。誰もいないに限るというのです。なぜなら、弱っている自分を他人に見せなくて済むからです。著者は、「正直、具合が悪いときは、食事を食べないほうが回復するので、甲斐甲斐しくおかゆを運んでもらうほうが疲れる。たとえ家族といえども、気を遣わないといけないからだ。放っておいてもらえる幸せ。それはひとり暮らしの人にしか味わえない至福の時間である」と述べます。また、「ひとりのよさは、自宅でも病院でも静かに闘病できること。日本人の多くは、ベッドの周りに人がいないと寂しいと思う人が多過ぎるように感じる。この国には、ひとりで孤独を愛してはいけない空気が漂っている。病気のときこそ、ひとりは最高。元気になってから人と会えばいい」とも述べています。

第4章「老後資金は、自分ひとりが楽しめる小遣いさえあれば十分」の2「賃貸でもひとりでも、安心した老後が送れる」では、「持ち家があることで、かえってややこしくなる」として、70代になった今の著者は「ひとりの人に持ち家はいらない」という考え方だそうです。なぜなら、ひとりの人は家という財産を持つ必要があるのか、疑問だからだ。家を財産として考える人は多いし、著者もそのように考えてきたひとりですが、ここまで生きてきて思うのは、ひとりの人は、家は自分だけが生きている間に必要なもので、死んだ後に誰かにあげる必要がないということ。つまり、ひとりの人にとって、家は財産ではないのだといいます。著者は、「むしろ借家住まいのほうが、本当はひとりの人には向いている。賃貸なら、死んだら自分が去るだけで、誰かに面倒な手続きを頼む必要もない。とてもシンプルな住み方なので、ひとり者には向いている」と述べるのでした。

人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)

第5章「人間関係も生きがいも、孤独ベースのほうがうまくいく」の3「孤独だと、人付き合いのストレスも激減する」では、「薄い関係の友達が少しいれば、気疲れせず楽しい人生が送れる」として、わたしたち人間の最大のストレスは人間関係であることが指摘されます。これに異論のある人はいないでしょう。また、人間関係が濃いほどストレスも濃くなり、挙句の果て、相手を刺すまでになることもあります。殺傷事件が家族間で多いのは、人間関係が濃過ぎるのが原因だと推測し、著者は「ひとりのよさとは、非常に些細なことかもしれないが、ベッドの上に寝っ転がっていつまでもボーッとする。スマホを置いて夜中の暗闇に飛び出して散歩やドライブをする。誰にも邪魔されず、人に気を遣わずに済む自分だけの静かな時間。これを至福の時間と言わずになんと言おうか。薄い関係の友達ならいつでもできる。軽い付き合いの人が何人かいればそれでよし、と思うことが、孤独を謳歌するコツだ」と述べます。

死ぬまでにやっておきたい50のこと

第6章「死に支度こそ、孤独なほうが進めやすい」の1「終活は、妻にも子どもにも内緒でこっそりと」では、「終活をビジネスにしてお金をむしり取ろうとする輩も多い」として、2008年頃から始まった「終活ブーム」は、衰えを知らずに今日まで続いていることが指摘されます。その牽引元になっているのが『週刊現代』(講談社)を筆頭とする週刊誌。見るつもりはなくても目に入ってくる電車の中刷り広告には「遺産相続」「墓」「葬儀」「死ぬ前に準備しておくこと 」などのドキッとする見出しが並びます。また、「終活ブーム」の恩恵を受けているのは、弁護士、司法書士、行政書士などの書類を扱う専門家たちです。金持ちで華麗な弁護士はドラマの中だけの話で、現実社会では弁護士が多過ぎて、かなり苦戦を強いられているようですが、「終活ブーム」により息を吹き返すことができたようです。さらに、年々勢力を増しているのが、終活を丸ごと引き受けるNPOなどの団体です。著者は、「言い方は悪いが、お金で解決しようとする、丸投げが好きな日本人の受け皿になっている。現在この分野には、信託銀行や保険会社まで参入し、身元保証をする団体は全国で100社(NPOを含む)はくだらない」と一刀両断にします。

人生の修め方』(日本経済新聞出版社)

5-5「そもそも家族は、あなたの言う通りにはしてくれない」では、「死後については諦めも必要」として、「葬式はするな、先祖代々の墓に入れるな。海に撒いてくれ」と遺言を残したとしても、実行するのは家族であなたではないので、死んでからのことは「期待はせず、家族にお任せ」ぐらいの軽い気持ちでいたほうがいいとして、著者は「死んだら自分の足で歩いて、自分が決めた墓に行けない。ましてや、船に乗って大海原に行くことなどできようがない。そもそも家族というのは、自分たちの都合のよいようにやるので、自分の死後のことで頭を悩ますのはやめるに限る」と述べるのでした。本書で展開されている著者の主張には違和感をおぼえたり、納得できないこともあったのですが、この最後の「そもそも家族は、あなたの言う通りにはしてくれない」が最も共感できました。ひとり暮らしの高齢者が増えていく中で、本書のような孤独を肯定した老後論、人生論は大いに需要があろうかと思います。

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