No.2356 オカルト・陰謀 | ホラー・ファンタジー 『何かが後をついてくる』 伊藤龍平著(青弓社)

2024.09.15

『何かが後をついてくる』伊藤龍平著(青弓社)を紹介します。「妖怪と身体感覚」というサブタイトルがついています。著者は、1972年、北海道生まれ。台湾・南台科技大学教員。専攻は伝承文学。著書に『江戸の俳諧説話』(翰林書房)『ツチノコの民俗学』『江戸幻獣博物誌』『ネットロア』(ずれも青弓社)『怪談おくのほそ道』(書刊行会)共著に『現代台湾鬼譚』(青弓社)、編著に『福島県田村郡都路村説話集』(私家版)、共訳に尉天驄『棗と石榴』(国書刊行会)など。

本書のカバー表紙には、「後ろに誰かいる気がする、何か音が聞こえる、誰もいないはずなのに気配を感じる……。日本や台湾の説話や伝承、口承文芸、『恐い話』をひもとき、耳や鼻、感触、気配などによって立ち現れる不定形な妖怪に迫って、闇への原初的な恐怖を浮き彫りにする。」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
序 妖怪の詩的想像力
第1章 花子さんの声、
ザシキワラシの足音
第2章 文字亡き郷の妖怪たち
第3章 「化物問答」の文字妖怪
第4章 口承妖怪ダンジュウロウ
第5章 狐は人を化かしたか
第6章 台湾の妖怪「モシナ」の話
第7章 東アジアの小鬼たち
第8章 「妖怪図鑑」談義
第9章 妖怪が生まれる島

「初出・関連論文、随筆一覧」
「あとがき――天狗に遭った先祖」

序「妖怪の詩的想像力」の1「ビシャガツクに遭った夜」で、著者は「私は、『妖怪』とは、身体感覚の違和感のメタファーだと思っている。その違和感が個人を超えて人々のなかで共有されたとき、『妖怪』として認知される。少なくとも、民間伝承の妖怪たちの多くは、そうして生まれたのだろう」と述べています。

2「妖怪感覚と命名技術」では、著者は「夜道を歩いているときに背後に違和感を覚えたことがある人は多いだろうが、しかし、それは怪しいという感覚だけで――仮に『妖怪感覚』と呼んでおく――『妖怪』とはいえない。その感覚が広く共有されて、そこに『ビシャガツク』といった名前がつけられたとき、『妖怪感覚』は『妖怪』になる。重要なのは『共感』と『名づけ』である。あまり知られていないが、『命名技術』は、口承文芸の一領域である。柳田國男は、命名技術を『群の感じを覚るに敏な者が、代表して総員の言おうとするところを言った』ことと記している。柳田が例にあげているのは虫類の名と地名だが、妖怪でも同じだろう」と述べています。

3「『聴覚優位の時代』の妖怪」の最後に、著者は「電子メディア状況下の音声文化は、グーテンベルグ以降の文字文化の影響を受けたまま復権したのだ。だから、文字化された精神をもちながら、なおかつ五官を動員して対象と向き合う新たな身体で妖怪を捉えようとするのが、現代の妖怪体験者だといえるだろう。いまさら、しかも妖怪論にマクルーハンかと思われるかもしれないが、メディアと身体の関係を論じ、インターネット時代を予見していたといわれる彼の論考は、非常に示唆に富むものである」と述べるのでした。

第5章「狐は人を化かしたか」の1「『迷わし神型』の妖狐譚」では、人を化かす動物の代表格として、狐、狸、貉(むじな)、鼬(いたち)、川獺(かわうそ)、猫あたりであるとして、著者は「おおむね、小型の肉食哺乳類が人を化かす。大型獣や草食獣が人を化かした例もあることはあるが、少ない。魚類や爬虫類(主に蛇)も、年を経て巨大化すると(いわゆるヌシ化すると)化かすが、通常は化かさない。鳥類も化かさないが、山鳥は火の玉に化けることがある」と述べています。

世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)

中でも、狐、狸、貉は『狐狸貉』と総称されるようによく人を化かす。問題は、狐狸貉が化かす際、一つ目小僧やろくろ首などの妖怪に化けたケースの扱いにある。この場合、妖怪の正体である狐狸貉自体を妖怪に含めるべきか否か。狐狸貉が化けたモノを妖怪と呼ぶべきか否か、という問題が生じる。私は、動物と妖怪の両面をもったこれらの動物たちを『幻獣』と呼んでいる。わたしの監修書である『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)でも、「狐」「狸」「猫」「蛇」を幻獣として一章を設けて紹介しました。

著者は、「当時の人々の間でも、ただの『動物としての狐狸貉』が『幻獣としての狐狸貉』とは別にあり、さらにいえば『妖怪としての狐狸貉』もあったはずだ。『動物』三者の境界線は非常に淡く、重なり合う部分も多い。区別していない場もあると思われる。『動物』『幻獣』『妖怪』はグラデーションの様相を呈している。そこが妖狐譚を扱ううえでの難しさであり、面白さである」と述べるのでした。まあ、狐や狸は、日本人にとっては動物と妖怪の中間のような存在なのかもしれません。

第8章「『妖怪図鑑』談義」の1「ある妖怪絵師の死」では、現代日本における妖怪画の大御所として水木しげるを取り上げます。水木妖怪には2つの傾倒があるとして、著者は「1つは、鳥山石燕(1712~88)や、竹原春泉斎(生没年不詳)といった江戸の絵師ちの妖怪画を水木が描き直したもので、これを仮に『石蕪―水木ライン』と呼ぶことにする。もう1つは、柳田國男『妖怪名』の記事を水木がビジュアル化したもので、こちらは『柳田―水木ライン』と呼ぶことにする。『妖怪名語彙』は1938年が初出だが、収録された妖怪たちの原典となった民俗雑誌類は、それよりもいくぶん古い」と述べるのでした。本書は、怪異や妖怪に興味を抱く者にとって新たな発見を与えてくれる一冊です。

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