No.2355 オカルト・陰謀 『妖怪の誕生』 廣田龍平著(青弓社)

2024.09.14

『妖怪の誕生』廣田龍平著(青弓社)を紹介します。「超自然と怪奇的自然の存在論的歴史人類学」というサブタイトルがついています。著者は、1983年生まれ。法政大学ほか非常勤講師。専攻は文化人類学、民俗学。訳書にマイケル・ディラン・フォスター『日本妖怪考――百鬼夜行から水木しげるまで』(森話社)など。

本書のカバー前そでには、「カッパ、カマイタチ、くねくね……私たちはなぜ、それらを妖怪と呼ぶことができるのか。18世紀末から現代までの自然/超自然、宗教、近代/非近代をめぐる議論、日本の知識人の言説や思想、学知を渉猟して、現代の妖怪概念が生成してきた過程を丁寧に分析する。妖怪と妖怪研究の関係性を、存在論的転回の人類学の視点から批判的に検証する」と書かれています。

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「私たちにとっては実在しない・超自然的である・俗信だから、だろうか。だが、ある時代や別の社会にとってみれば、妖怪はそのようなものではなかった。この食い違いは、どうすれば和らげられるだろうか。妖怪の概念をどのように書き換えていけばいいのだろうか。妖怪を超自然的で実在しないものだとしてきた妖怪研究の存在論的前提を問い直すために、主に18世紀末から現代までの自然/超自然、宗教、近代/非近代をめぐる議論、日本の知識人の言説や思想、学知を渉猟して、それらと絡み合うなかで現代の妖怪概念が生成してきた過程を丁寧に分析する。さらに、主要な妖怪を題材に、自然と文化、科学と俗信などの区分の構築とその限界を検証し、現代の私たちが想像してきた『非近代的存在論』に収まらない妖怪の記述の仕方を模索する。妖怪と妖怪研究の関係性を存在論的転回の人類学の視点から批判的に検証する。そして、妖怪を超自然や非実在なものに還元せず、状況に応じて適切な概念でそのつど捉えていくことの重要性を指摘する。妖怪研究の再構築を試みる野心的な研究成果」

本書の「目次」は、以下のようになっています。
序 章 妖怪学の存在論的前提
1 本書の目的
2 本書の対象
3 概念の超自然的性格
4 学史における存在論的区分
第1部 妖怪と超自然の近代
第1章 超自然概念をめぐる論争
1 自然概念の多様性
2 超自然概念の有効性
3 超自然概念の批判
4 非日常的なものとしての超自然
5 精霊的用法
6 超自然概念の多様性と統一性
第2章 妖怪の超自然
1  従来の妖怪学と超自然概念
2  現代日本における自然と超自然
3 西洋的自然と日本的自然
4 前近代における超越/内在
5 尋常ならざるもの
6 妖怪概念の精霊的用法
第3章 妖怪の近代
1 欧米における「超自然の近代」
2 十九世紀末、超自然概念の導入
3 初期妖怪論における超自然
4 近世幽冥存在論
5 近代幽冥存在論
第2部 妖怪の非近代的概念化
第4章 妖怪の文化
1 自然と文化
2 オキナはクラーケンである
3 「寓言」と「あるもの」
4 水虎は古代ローマの海神である
5 対象の転写は連鎖する
第5章 妖怪の科学
1 俗信に対する一般対称性
2 妖怪の科学的研究
3 俗信と民俗学
4 真空説――その誕生から衰退まで
5 俗信と科学知識の場
第6章 怪奇的自然
1 怪奇概念の展開
2 くねくね
3 関係論的宇宙からの逸脱
終 章 妖怪学の原理
1 怪奇的自然と妖怪の概念
2 妖怪学の新たな原理

「参考文献一覧」
「あとがき」
「索引」

序章「妖怪学の存在論的前提」の「はじめて」を、著者は以下のように書きだしています。
「ある1つの疑問。ここに『妖怪』と呼ばれる個物あるいはその表象があるとしよう。――なぜ私たちはそれを『妖怪』と呼ぶことができるのだろうか。以前から知っている『妖怪』の概念が定める特徴に適合するからだろうか。ならば、なぜその概念はいま私たちが漠然と(あるいは明確に)考えているように存在しているのだろうか」

さらなる疑問として、著者は「もっとも基本的なところでは、私たちは妖怪が実在しないことを前提として、妖怪を理解しようとしている。それに対して、文化人類学や民俗学で取り扱う妖怪の大半は、私たちではない人々にとって、実在するものだった。それならば、私たちの妖怪の概念は、そうした他者にも共有されているといえるのだろうか、それともいえないのか。実在を前提としてきた人々と私たちとでは、どこか重大なところで共有できていないもの、食い違っているものがあるのではないだろうか」と述べます。

第3章「妖怪の近代」の4「近世幽冥存在論」では、江戸の妖怪研究者として国学者の平田篤胤が取り上げられ、「篤胤は化物を招き入れる」として、「19世紀初頭、何にも分類されず(できず)、単に化物と呼ばれていたものたちを、幽冥という特別な存在論的領域に位置づけたのは、篤胤が初めてである。仮に、篤胤が『いぶきおろし』や『玉だすき』でヒョウスベたちを出すときに念頭に置いていたのが世間話ではなく妖怪絵巻ならば、彼は「化ける」妖力や霊的な性質だけではなく、単に実証しがたく非実在的と見なされる傾向にあった化物までも、幽冥の守備範囲に取り入れたことになる」と書かれています。

以上のような動向は、現世での実在が比較的受け入れられていたキツネ、カッパ、天狗や竜といった存在者に、異界における実在も付与したことにとどまりませんでした。それならば単なる実在的領域の拡張であるとして、著者は「むしろ篤胤がしたことは、現世での実在が受け入れられづらくなっていた化物たちに、現世での実在を手離させるかわりに、本拠地としての超越的領域を与えた点で、現代の妖怪概念、特に異界と妖怪存在の関係性にいたる超自然化の先駆けとなるものだった」と述べます。

豊後の国学者である物集高世は、化物に特化した著作『妖魅論』を遺しました。同書はきわめて多くの妖怪たちを幽冥の存在者として取り入れています。たとえば、ヤマワロ、カッパ、山男、山女、コダマ、樹木の精霊、竜、琉球のキムマムモム、西洋のセイレネム、海入道、船幽霊、魍魎、水虎、魑魅、スダマ、天狗、高津神、高津鳥、エンゲル、各種の動物憑きもの、犬神、クダ、ドビョウ、カマイタチ、鬼、羅刹鬼、夜叉神、テイホム、ユキトキ、セルベリュマなどです。そのうえ高世は、まるで妖怪オタクであるかのように、「此の余怪物妖精なほいと多し」とさえ述べました。人間や鳥獣以外の存在者をこれほど異界へと割り当てたものは、近世では類を見ません。

同書の終わりのほうで、高世は「神も妖怪も。おなじ幽冥物なるに。此の幽冥物ハ有りて。彼の幽冥物は無しといふべきやうなければ也」と主張します。「神を実在すると認めるならば、妖怪も認めよ、なぜなら同じ幽冥的存在だからだ」というわけです。この主張の結果は、あらゆる妖怪事象を取り込む存在論的インフレーションでした。著者は、「だが、その意味で高世の『妖魅論』は、国学的な化物論の潜在性を最大限に引き出した著作だと見なすことができる」と述べます。

総じて篤胤以降の幽冥論は、彼らが共有していたいくつかの前提――現世と幽冥の地理的同一性、経験的事実としての怪談・奇談、それと表裏一体になる公的な非実証性など――が可能にしたものでした。そしてこれらの前提に基づく実践は、神霊を含む非実証的な存在者たちの単一の実在秩序への集約と、存在論的に特殊な空間の割り当てという、「妖怪の近代」における妖怪論にほとんど等しいものだったのです。

5「近代幽冥存在論」では、近代日本の啓蒙主義者たちは、宇宙に異生物がいることは認めても、天狗界の妖魅たちを認めることはなかったことが明かされます。啓蒙的な否定論は明治前半期に盛んになり、井上円了に頂点を見ます。「柳田國男の幽冥論」として、著者は「その円了に真っ向から対立したのが明治末期の柳田國男であった。文芸雑誌『新古文林』の談話『幽冥談』(1905年)にこのことがよく表れている。ここで柳田は『僕は井上円了さんなどに対しては徹頭徹尾反対の意を表せざるを得ないのである』と明言する」と述べています。

民俗学者の宮田登はこの点をもって、柳田が、妖怪事象を迷信としてではなく「人間の精神構造」を問題にする人文学的態度を選んだことを評価しています。しかし、「幽冥談」を読むかぎり、柳田は天狗や怪談の実在性を部分的に受け入れていました。さらに、それらの深層にあるのが「幽冥」であり、その概要は平田篤胤によって初めてまとめられたという点で、篤胤を高く評価してもいたのでした。「江馬務の『妖怪変化』研究」では、風俗史家の江馬勉が取り上げられ、「妖怪研究の祖とされる柳田と江馬は、それぞれに幽冥概念を自身の妖怪論に導入したと述べられます。一方でこの言葉は、非可感約作用者の実在を明らかにしようとした20世紀初頭の心霊研究でも用いられるようになりました。

「近代オカルティズムにおける妖怪事象」では、ひとたび取り上げられたならば、妖怪事象は超自然的な異界の存在者として定位されることが紹介されます。初期の事例として、著者は平井金三を取り上げます。平井は英学者で仏教の近代化を進めた人物でしたが、1908年から心霊に関わる研究会を設立したことでも知られています。彼は欧米の心霊研究に準拠して、超自然的作用者の実在を肯定的に探ろうと試みました。横浜国立大学教授(専攻は日本近代文学・文化史)の一柳廣孝は、明治中期までの啓蒙的な「井上円了コード」に対して、明治後期・大正期に前景化してきた「怪異を望む心性」を「平井金三コード」と名付けています。

20世紀初頭、日本では平井金三コードが井上円了コードを凌駕していました。しかしその後、千里眼事件(1911年)を大きな契機として、科学的潜在性をもっていた心霊研究は宗教的な傾きを強めていきます。また大正・昭和初期は、出口王仁三郎のもと勢力を拡大していた大本(大本教)を介して、国学的幽冥論と心霊研究との接触があり、異界概念を介して妖怪事象と西洋的超自然が重なり合った時期でもあったのです。

大正期の新宗教において、「宇宙を目に見えるこの世界即ち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界(もしくは顕界と幽界)の二層構造から成ると考える思想」は広く見られるものでした。霊界には動物霊や邪神などがいて、現世の人々に災いをなすともされました。この時代の存在論的概念化でも、やはり神霊が主題になることが大半であったものの、国学の幽冥論を受け継いだ秘教的な理論家や実践者にとって、そこは妖怪事象の住まう空間でもあったのです。

第2部「妖怪の日近代的概念化」の第4章「妖怪の変化」の「はじめに――『妖怪文化』という前提」では、現代妖怪学において、近代的な学知の系譜は、井上円了の科学的研究と、民俗学の柳田國男および風俗史学の江馬務による人文学的研究に分岐したことになっているとして、著者は「客観的『客観的(略)実在』ではなく、『吾人の祖先が妖怪変化に就て之を如何に見、如何に伝へ、如何に対応し、如何に思考して来たか』を問い、また棚田腕『化け物』を『我々の文化閲歴のうちで、是が近年最も閑却せられたる部面』であると述べる」と述べます。

また、著者は妖怪事象を自然科学的な実在と措定したうえで、その実在を否定してしまうだけではなく、否定したところで残りつづける、人間のもつ文化として妖怪事象を研究するというのが、大正・昭和初期に民俗学や隣接分野において確立された、人文学的な妖怪学だったというわけである。現代妖怪学では、こうして人文学化された対象を『妖怪文化』と呼ぶ」と述べています。

文化人類学で「文化」といえば、 一条真也の読書館『原始文化』で紹介した人類学者エドワード・バーネット・タイラーの古典的名著(1871年)における「知識、信念、技術、道徳、法、慣習など、社会の成員としての人間が身につけるあらゆる能力と習慣からなる複合的な全体」という定義がいまでも引かれます。著者は、「タイラー以外のいかなる定義の試みにおいても、文化は膨大な領域を包摂している。これに対して、文化としての妖怪事象は、文化一般を代表するものではない。さしあたってここでは、文化のうち、『人間ではない存在・現象』(非人間)について構築されたものの一部を『妖怪文化』だと理解しても問題ないだろう」と述べるのでした。

4「水虎は古代ローマの海神である」では、カッパが取り上げられます。カッパは妖怪事象のうちもっとも有名なものの1つですが、同時にきわめて例外的でもあります。それは、近代初頭にいたるまで、多くの知識人によって実在が疑われていなかったということです。著者は、「神霊、狐狸の妖力、化物をすべて否定した懐徳堂の知識人さえ、カッパの実在自体は疑わなかった。ヴァシリー・ゴロヴニンやシーボルトなどの西洋人は実在を疑っていたが、管見では、日本人による明確な否定説が出るのは、豊後の賀来飛霞が明治初頭に著した『水虎説』(1880年)以降である。彼はカッパをスッポンの見間違いだとした」と述べています。

同じ九州北部でも、ほんの一世代ほど前には、実在を前提とした論考が著されていました。それが福岡の蘭学者・安倍(安部)龍平の『安倍氏水虎説』(1846年)です。テクストは「國學院雑誌」に翻刻があり、現在では国立国会図書館デジタルコレクションで写本を閲覧することができます。著者は、「同書は、冒頭で『水虎』に関する体験談をいくつか載せ、次いで複数の文献から体験談を抜粋し、徐々に名称や生態についての考察に移っていく構成になっている。末尾に弘化3年(1846年)とあり、これを成立年と見なしてよいだろう」と述べています。

終章「妖怪学の原理」の「おわりに」では、著者は「私たちが妖怪と呼び習わしてきたものは、神仏や死者と存在論的に並立する1つのカテゴリーではない。むしろそれぞれが一部を構成する世界のなかで、あるいは世界との接点において、どのような位置づけが試みられているのかを検討していくべき、あるいは位置づけが失敗しているのを確認すべき対象群のメレオロジカルな集合なのである。本書は一貫して妖怪(妖怪事象)に対象を絞ってきたが、ひとたび妖怪という枠組みを外して数多くの妖怪事象を見てみるならば、さまざまな領域へと分析の視点は広がっていく。それらを再び妖怪として概念的にまとめ直すことはできないだろうが、非近代的な諸世界の底知れない多様性はより前景化してくるだろう」と述べるのでした。本書は、文化人類学や民俗学の視点から学術的に書かれた本ですが、テーマが「妖怪」だけあって、やはり妖しい魅力を放つ読み物となっていました。非常に興味深く読めました。

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