No.2362 メディア・IT | 社会・コミュニティ 『デジタル生存競争』 ダグラス・ラシュコフ著、堺屋七左衛門訳(VOYGER)

2024.10.24

『デジタル生存競争』ダグラス・ラシュコフ著、堺屋七左衛門訳(VOYGER)を読みました。「誰が生き残るのか」というサブタイトルがついています。著者は、1961年生まれ。米国ニューヨーク州在住。第1回「公共的な知的活動における貢献に対するニール・ポストマン賞」を受賞。『サイベリア』『ブレイク・ウイルスが来た!!』『グーグルバスに石を投げろ』『ネット社会を生きる10ヵ条』『チームヒューマン』など多数執筆。『「デジ散主義」の時代へ』という論考が翻訳されています。

本書の帯

本書のカバー表紙には、眼鏡をかけたアジア系のような青年のイラストが描かれ、帯には「何のための、誰のための、デジタルなのか?」と書かれています。また、帯の裏には「私たちはSNSで働かされている」として、「フェイスブックによるデータ収集およびユーザー操作という皇道が表面化したとき、私は、これらのプラットフォームでは『私たちはユーザーではなく、商品である』という講演をするようになりました。わかりやすい表現ですが、本当は少し違います。私たちは、これらのプラットフォームの商品というよりも、労働力なのです。私たちは、従順に記事を読み、クリックし、投稿し、リツイートしています。激怒したり、あきれたり、憤慨したりしています。そして、苦情を言ったり、攻撃したり、あるいは発言を否定したりしています。これは、労働です。〈本文より〉ダグラス・ラシュコフ」と書かれています。

本書の帯の裏

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「環境破壊、社会不安、まん延するウィルス、すべてを停止させるコンピューター侵入。世界の億万長者は、自分で起こした現実からひたすら逃れることを考えます。技術開発は、集団的な繁栄を目指すものでしたが、富の蓄積は個人的な生き残りを図るものになりました。批判的であるはずのメディアは、市場感覚に圧倒されて屈服しています。自分だけが生き残る十分な資金を稼ぐ……うまく稼げたら勝利か? それは自分の排ガスから逃れるために高速で走る自動車をつくっているようなものです。このような勝手な考え・思いこみを『マインドセット』といいます。闘わなければなりません。どうすればいいのか? 何もわからないほどに、私たちはデジタルにまみれ、自分自身を失っています。ダグラス・ラシュコフは語ります——利己的な世界を超えて、コミュニティ、人間の相互扶助を取り戻せ、と。この本を読み、今の自分と照らし合わせてみてください。すべて消耗品とされた私たち自身の防御がそこから始まります」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに「マインドセットとの出会い」
1.隔離の方程式 億万長者の防空壕戦略
2.合併と買収 彼らは出口戦略を必要としている
3.母の子宮に戻りたい テクノバブルに包まれた安全
4.ダムウェイター効果 見えないものは忘れられる
5.利己的な遺伝子 道徳よりも科学主義
6.全速力で前進 非人間化と支配と収奪
7.指数関数的成長 行き詰まれば別次元のメタへ
8.説得的技術 ボタン1つで彼らを消せるなら
9.バーニングマン からの展望 私たちは神のように
10.グレートリセット 世界を救うために資本主義を救う
11.鏡に映ったマインドセット 抵抗してもムダだ
12.コンピューター的因果応報 自業自得
13.パターン認識 全ては元に戻る

「謝辞」
「著者について」

わたしが本書の存在を知ったのは、評論家の岡田斗司夫氏の動画によってでした。毀誉褒貶の激しい岡田氏ですが、本の紹介者として一目を置いているわたしは、岡田氏が「ヤバい本が出た!」という本書の内容に非常に興味を抱きました。動画を観て大体の内容を把握したわたしは迷わず、アマゾンに大量注文。弟や、経産省を辞めてAI会社に勤めている甥、さらにはわが社の役員などにプレゼントしました。もちろん、わたしも読みましたが、刺激に富んでいて大変面白かったです。

はじめに「マインドセットとの出会い」の「豪華なリゾートでの講演」では、著者は「私は、デジタル技術が人間の生活に与える影響について本を書いている人文科学者ですが、よく未来学者と間違われます。未来について、しかも富裕層に向かって話をするのは、私の好みではありません。質疑応答は、必ず言葉遊びゲームのようになってしまいます。AI、VR、CRISPR(Clustered regularly interspaced short palindromic repeatsの略で、ゲノム編集技術の1つ)など、証券市場の銘柄記号みたいな最新技術のバズワードについて、私の見解を求められます」と述べています。

聴衆が関心を持っているのは、その技術のしくみや社会に対する影響ではなく、その技術に投資すべきかどうかの二者択一ですから、自分には不適任であるとしながらも、著者は「しかし、お金がものを言います。私はこの仕事を引き受けました」と述べます。著者は、ビジネスクラスの飛行機に乗り、リムジンでの出迎えを受けた後、5人の裕福な人々へ講演を行いました。すべて男性で、IT投資とかヘッジファンドの世界で上層部にいる人々で、そのうちの2人は10億ドル以上の資産を持つ大金持ちでした。

「事件から逃げる」では、彼らが本当に関心のある話題に踏み込んできたことが明かされます。移住するべきなのはニュージーランドか、アラスカか? どちらの地域が、来たるべき気候危機で受ける影響が少ないのか? 質問はより露骨になっていきました。気候変動と細菌戦争では、どちらがより大きい脅威なのか? 外部からの支援なしに生存できるようにするのは、どの程度の期間を想定しておくべきか? シェルターには、独自の空気供給源が必要か? 地下水が汚染される可能性はどの程度か? 最後に、証券会社の社長が、自分専用の地下防空壕設備が間もなく完成する、と説明してから「事件発生後、私の警備隊に対する支配権を維持するにはどうすればよいのでしょうか」と質問しました。この「事件」というのは彼らの婉曲表現でした。それは環境破壊、社会不安、核爆発、太陽嵐、まん延するウイルス、全てを停止させる悪意あるコンピューター侵入、などを意味しています。

この億万長者たちは、自分だけが開く方法を知っている特別なダイヤル錠を食糧倉庫に設置することを考えました。あるいは、生存を保証する見返りとして警備員に「しつけ首輪」のようなものを付けさせるとか。あるいは、もし技術開発が間に合えば、警備員や作業員として働くロボットを作るとか。著者は、彼らの説得を試みました。協力と連帯によって社会を良くすることが、集団的、長期的な人間の課題に対処する最も良い方法だという議論を展開しました。著者は、「将来、警備員が忠誠を示すように仕向ける方法は、『しつけ首輪』ではなく、今すぐ、彼らを友達のように扱うことです。弾薬や電気柵だけに投資するのではなく、人間そのものと人間関係に投資してください、と。彼らは、ヒッピー思想のようにも思える話を聞いて、あきれた表情をしていました」と述べます。そこで、著者は「警備隊長が、明日、あなたの喉に切りつけないようにする方法は、今日、彼の娘の成人式にお祝い金をあげることです」と提案したそうです。

テスラ創業者のイーロン・マスクの火星植民地化、パランティアのピーター・ティール(ペイパルの創業者。パランティアはデータ分析ソフトの企業)による老化逆転プロセス、あるいは人工知能開発者のサム・アルトマン(OpenAIの共同経営責任者)とレイ・カーツワイル(未来学者でAI研究の権威)による頭脳をスーパーコンピューターにアップロードする計画などにヒントを得て、この富豪たちは、世界をより良い場所にするためではなく、人間のあらゆる条件を超越するためのデジタルの未来に向かって準備していました。著者は、「彼らの並外れた財産や権力がもたらしたのは、気候の変動、海面の上昇、大量の人口移動、世界的パンデミック、移民排斥、資源枯渇など、現実に今存在する危険から自分たちを隔離するという考えに取りつかれるという結果でした。彼らにとって、『テクノロジーの未来』とは、たった1つの意味しかありません。他の人間から逃れる、ということです」と述べます。

この種の人たちは、以前、技術が人間社会にもたらす大きな恩恵について、著しく楽観的な事業計画を世界中にまき散らしていました。今の彼らは、技術的進歩を、いわば脱出用の非常口を見つけた人が勝つというテレビゲームに矮小化してしまっていると指摘し、著者は「そのゲームの勝者は、宇宙へ移住するベゾスでしょうか、ニュージーランドの広大な私有地へ避難するティールでしょうか、それとも、仮想空間のメタバースへ逃げ込むザッカーバーグでしょうか。しかし、大惨事が起こると考えているこの億万長者たちは、デジタル経済における暫定的勝者でしかありません。この考え方を活発化させた原因である適者生存というビジネス環境での仮のチャンピオンです」と述べます。

「ビジネスになったインターネット」では、ドットコムブーム(1990年代に起こったインターネット関連企業の実需投資や株式投資が、実態を伴わない異常な高値を起こしたこと)により、みんながIT業界に大挙して戻ってきたことが紹介されます。著者は、「インターネットジャーナリズムは、新聞紙上で文化とメディアのページから経済のページに移りました。既存の大企業は、ネットに新しい可能性を見出しましたが、それは相変わらずいつものようにお金を搾り取るためでした」と述べています。

その一方で、前途有望な若い技術者たちは、ユニコーンIPO(設立から10年以内で企業評価額が10億ドル以上のテクノロジー関連企業による株式公開)や数百万ドルの資金に誘惑されました。著者は、「デジタルの未来は、株式や綿花の先物取引のように、予測してお金を賭けるものだと理解されるようになりました。同様に、技術のユーザーは、技術の力を得られるクリエーターとしてではなく、操作されるべき消費者として扱われるようになりました。ユーザーの行動が予測可能であればあるほど、賭けは確実になります」と述べます。

新たに発展しつつあるデジタル社会では、ほとんど全ての発言、記事、研究、ドキュメンタリー、商品や技術のリポートが、株式市場の商品と関連付けられました。未来は、現時点での選択や希望を通じて人類のために創造するものではなく、ベンチャーキャピタルと一緒に賭けをする対象として、受動的に出現する運命の決まったシナリオになったのです。これによって、人々の行動から道徳的な意味が薄れていきました。著者は、「技術開発は、集団的な繁栄を目指す物語でしたが、富の蓄積を通じて個人的な生き残りを図るものになりました」と述べています。

「人間を封じ込める」では、技術的解決を目指す人たちの信念によれば、究極的には、人間の意識をコンピューターにアップロードすることにより、あるいは、うまくいけば技術そのものが人間の進化した後継者になることにより、人間の未来は、最高潮に達することが指摘されます。著者は、「グノーシス派(神秘的、直観的な神の啓示の体験による救済を得る宗教思想)の信者のように、私たちは、人間の発展における次の超越的段階に入ることを待ち望んでいます。罪や苦しみ、とりわけ経済的な困難とともに自分の身体を後に残して、そこから抜け出そうとしています」と述べています。

映画やテレビは、このようなファンタジーを見せてくれています。ゾンビ映画などでは、人間が完全には死んでいない、この世の破滅以後を描写しています。著者は、「このような番組を見ると、未来は残された人間たちの間で行われるゼロサムゲームである、と視聴者が想像するようになります。あるグループが生存できるのは、他のグループが絶滅した場合である、という具合です。最も前向きな考え方をしているSF作品であっても、現在は、ロボットが人間よりも知能や倫理観が優れているように描写しています。そこでは人間は常に数行のプログラムに簡略化され、人工知能は、より複雑で意志的な選択を学習しています」と述べます。

「排ガスから逃れる自動車」では、著者が会った億万長者たちは、実際には敗者なのであるとして、著者は「私を砂漠へ呼び出して、防空壕戦略についての意見を求めた億万長者たちは、経済ゲームの勝者というよりも、むしろ制約のある経済ゲームのルールによる犠牲者です。何よりも彼らは、「勝利」とは、自分たちが金儲けをすることによる害悪から自らを隔離するのに十分な資金を稼ぐことである、という考え方に支配されています。それは、まるで自分の排ガスから逃れるために高速で走る自動車みたいなものです」と述べています。

このようなシリコンバレーの逃避的な態度を「マインドセット(無意識の思考パターン)」と呼びます。この考え方は、勝者が何らかの方法で他の人類を置き去りにして逃げられる、とその支持者に信じさせています。著者は、「もしかすると、最初からずっと、それが彼らの目的だったのでしょう。おそらく、人間性に配慮しないこの運命論的な行動は、暴走したデジタル資本主義の結果ではなく、その原因なのです。他人や世界をこのように扱う態度は、経験的科学、個人主義、性的支配、さらには『進歩』そのものが持つ、反社会的傾向にさかのぼることができます」と述べます。

エジプトのファラオやアレキサンダー大王の時代から、専制君主は、偉大な文明の頂点に存在して上から文明を支配しようとしてきました。しかし、現代社会で最も権力を持つ人々は、自らの征服行動の影響によって、世界そのものが人々の住めない状態になると考えています。著者は、「これは、今までに例のないことです。さらに、彼らの感覚の基礎となっている技術を、人間社会の構造そのものに取り込んでしまいました。世間にはアルゴリズムと人工知能が満ちあふれて、独善的で孤立主義的な物の見方を促進しています。このような反社会的な考え方を支持する人々は、その見返りとして、現金と、他の人々に対する支配権とを獲得しています。これは自己増強するフィードバックのループであり、今までになかったものです」と述べます。

第1章「隔離の方程式」の「億万長者の防空壕戦略」の「逃げることが重要」では、ラトビアにある米国商工会議所の元会頭であるJ・C・コール氏の発言が紹介されます。セーフ・ヘイブン・プロジェクトの一環として2箇所の農場を開発しているコール氏は、著者に対して「「正直に言えば、私は、銃を持ったギャングよりも、入口に赤ん坊を抱いた女性が食べ物を求めて立っている状況を憂慮しています。そのような道徳的な態度を決めなければならない状態には直面したくありません」と述べたそうです。このコール氏の言葉は、本書の中でも最もインパクトがあり、有名なものです。

「環境は密閉できない」では、多くの億万長者、より正確に言えば、上昇志向の強い億万長者が、実際に投資している物件には、もっと変わったものがあるとして、著者は「ビーボス(Vivos)という会社は、冷戦時代の弾薬庫、ミサイル格納庫、その他、世界各地の強固に造られた施設を流用した豪華な地下のマンションを販売しています。クラブメッドのリゾートの小型版みたいに、プール、ゲームセンター、映画館、レストランなどの大規模な共用部分が付いた、個人または家族向けのプライベートスイートです」と紹介しています。

また、チェコ共和国にあるオッピドゥム(OPPIDUM)という超エリート向けシェルターは、億万長者クラスを対象としており、居住者の長期的な精神的健康にも十分配慮していると言っています。そこでは模擬的な自然光を提供しており、模擬太陽光に照らされた庭園エリア付きのプールの他にも、ワイン貯蔵庫など、富裕層がくつろいで過ごすための設備を備えています。しかし、著者は「よく検討してみると、このような強化されたシェルターが、実際に居住者を現実世界から保護する可能性は低いのです。その理由の1つとして、地下施設の生態系は、極めて脆弱です」と述べます。

「海へ逃げるというおとぎ話」では、環境保護の緊急性や夢のある技術革新という皮をかぶった、このような自己統治ファンタジーは、テクノリバタリアンのエリートの欲望、すなわち、議会による調査や独占禁止法の規制、時代に逆行する技術恐怖症などの制約から逃れたい、不利なゲームを放棄してどこか別の場所でプレイしたい、という考え方が表に出てきたものであるといいます。著者は、「陸上、海上、あるいは宇宙でも、この自己統治の探求は、世界の終わりに対する備えの事例というよりも、その陰に隠れていた、ITエリートによるアイン・ランド(リバタリアンに影響を与えた米国の小説家)的なファンタジーであることを暴露しています。人類の中で最も合理的で生産性の高い人々が、自己の利益を追求するために脱出して、自分たちのための独立した経済を構築する権限を持ち、その行動による道徳的な結果を考慮する必要はない、というファンタジーです」と述べるのでした。

第2章「合併と買収」の「彼らは出口戦略を必要としている」の「コンピューターと幻覚剤」では、1960年代の幻覚剤ユーザーのヒーロー、たとえばLSDのグル(導師)ティモシー・リアリー、元メリー・プランクスターズ(ヒッピーのコミューン)のスチュアート・ブランド、グレイトフル・デッドの作詞家ジョン・バーロウ(もと市民活動家で「サイバースペース独立宣言」を書いた)たちは、コンピューター革命とは、戦後の軍事官僚機構やハイテク企業によるものではなく、ヘイトアシュペリー(サンフランシスコ市内にあるヒッピー文化発祥の地)の「新しい共同体」、『ホールアースカタログ』(スチュアート・ブランドが創刊したヒッピー向けの雑誌)、エサレン協会(カリフォルニア州にある宿泊研修施設。人間性回復運動に関するワークショップが行われた)の温泉浴場によって作られるものだという確信をカリフォルニアのカウンターカルチャーを信奉する若者にもたらしたことが紹介されます。

1990年代の初めまでに、幻覚剤文化とコンピューター文化は、区別がつかない状況に発展しました。昼間にアップルでプログラムを書いているソフトウェア開発者は、家に帰ると、サボテンからペヨーテのつぼみをはぎ取って、一晩中トリップしていました。「マインドセットの始まり」では、ショシャナ・ズボフ(「監視資本主義」という概念を提唱した経済学者)がその著書『The Age of Surveillance Capitalism』(邦訳:『監視資本主義:人類の未来を賭けた闘い』)で年代順に解説しているように、検索結果を一般のユーザーに提示することを続ける一方で、グーグルは、より利益が得られる事業を始めました。ユーザーのデータを本当の顧客、すなわちマーケットリサーチャーに提供することです。マーケットリサーチャーが、対象となるユーザーを探して、そのユーザーの行動を操作するのに役立てるのです。

このプラットフォームに、わたしたちがより長く、より感情を込めて関われば関わるほど、フェイスブックは私たちについてより多く知ることができるとして、著者は「私たちのあらゆる投稿、『いいね』、リンク先のクリックは、記録され、分析されて、さらに多くの関わりを持つように仕向けられます。そこでは、多くの場合、私たちが扇情主義に弱いことを利用して、衝動的な傾向を強めるようになっています。社会に対する悪影響は、まだ完全には解明されていませんが、多くの技術評論家は、ソーシャルメディアがデータ抽出を重視することによって、実際には私たちが互いに疎遠になり、また現実の世界からも遠ざかる結果を招いているという本を書いています。要するに、ザッカーバーグの会社は、人々の力を強化するのではなく、人々を犠牲にして投資家を豊かにしているのです」と述べています。

「権力は共感を失わせる」では、ある研究によれば、人間は、権力を持てば持つほど、「運動共鳴」すなわち他人の動作をまねることが少なくなるということが紹介されます。もちろん、権力を求める人々は、元々そのような傾向があるのかもしれません。しかし、他の研究では、人間が権力を持った後には、脳の前頭葉眼窩部に損傷のある患者と似た行動をする傾向があることを示しています。著者は、「すなわち、財産と権力を得るという経験は、脳の『共感および社会的に適切な行動に重要』な部分を失うことに似ているのです」と述べています。

また、著者は「貧しい人々は、裕福な人よりも他人の感情を判断することが得意です。顔の筋肉の動きに基づいて『共感による推論』を行う彼らの能力は、はるかに優れています」と述べます。資本主義そのもの、少なくとも現在シリコンバレーで行われている資本主義は、敗者を無視する風潮が広がるのに加担しています。ニューヨーク大学の経営学の教授であるスコット・ギャロウェイは、「資本主義とは、〔人間ではなく〕企業に対して愛情と共感を持つこと、適者生存のダーウィニズムを信奉すること、そして他人に対して厳しいことであると考えられる」と説明しています。

「マインドセット」が推進する「勝利」の形態は、人間や企業の勝利者が、必然的に取り残されてしまった人々を無視するべきだ、というものになっています。結局のところ、勝利とは、その性質上、自分が他の人々から離れた位置に立つことであると指摘し、著者は「この分離こそがゲームの目的そのものなので、ピラミッドの頂点に到達した人々が、他の人間を見下すとしても驚くことではありません。怪しげな方法でそこに到達した人々は、それまでの道程で自分が残してきた破壊の跡を振り返りたいとは思わないでしょう。彼らは出口戦略を必要としています。そこで、彼らが踏み台として利用してきた人々から、遠く離れた所へ逃げていく未来を空想したがるでしょう。そうすれば、罪や恥を、あるいは報復の恐れを感じる必要がなくなるからです」と述べるのでした。

第3章「母の子宮に戻りたい」の「テクノバブルに包まれた安全」の「VRが見えなくするもの」では、ゲームプラットフォームValve(バルブ)の創設者で億万長者であるゲイブ・ニューウェルは、雑誌ワイアードの記者に対して、「私たちは、人々が思っているよりもずっと映画『マトリックス』の世界に近づいています」と説明したことが紹介されます。ニューウェルにとっては、人間の身体は、単に「肉の周辺機器」であり、アップグレードや修理ができず、「消費者の好みを全く反映していない」ものです。仮想現実によって、世界の認識や経験に対するユーザーの「選択肢」〔この言葉をよく聞きます〕が増えます。

ニューウェルの目標は、現実世界がどれだけ忠実に再現しているかを基準にする必要がなくなるほど、圧倒的な質感や精密さを備えた仮想現実を生み出すことです。現実世界の状況がますます悪化していけば、「人間の脳の中で作り出す経験に比べれば、現実世界は、薄っぺらで色がなく不鮮明に思えるようになります」ということが特に重要になります。VR開発者たちは、人類全体をシミュレーションに投げ込むことは、経済的にも正しいのだと主張します。

新型コロナウイルスのパンデミックは、技術で強化されたバブルによってみんなが幸福になるという夢には限界があると示すことになりました。多くの場合、バブルに閉じこもって守られているのは金持ちであり、彼らに奉仕するために現実世界に立ち向かうのは貧乏人だったと指摘し、著者は「私たちが、相互支援ネットワーク、学校の委員会活動、人種差別反対運動、あるいは募金活動などにどれだけ多く参加したとしても、それに参加できるほど恵まれている人は、やはり、ひそかに心の中で計算を行っています。この危機に際して、――この恵まれた状況と私たちの技術を使って、自分自身とその家族をどれだけ守ることができるのだろうか――、と考えています。そして、背後にいる悪魔のささやきのように、テクノロジーは「その結果を独り占めしなさい」と言います。結局のところ、それは“iPad”であり、“usPad”(私たちのパッド)ではないのですから」と述べています。

著者によれば、わたしたちは、微妙な社会的手がかりを通じて、他の人々と心が通い合うような関係を築いているといいます。これは、仲間とのつながりや集団での共有を進めることによって、何世紀にもわたって発展してきたものであるとして、著者は「現実世界で他人と関わりを持つとき、その人の瞳が大きく開いて私たちを受け入れようとしているか、その人の呼吸の速度が私たちの呼吸と一致して共感を示しているか、その人の顔が情熱によって赤みを帯びているか、を目で見ることができます。さらにそれが脳にあるミラーニューロン(自分が行為を実行するときにも、他者が同様の行為をするのを観察するときにも、同じように活動する神経細胞)を活発化させて、プラスのフィードバックループを刺激し、信頼関係を強めるホルモンと言われているオキシトシンを血流の中に放出します」と述べます。

しかし、Zoomの対話では、この潜在意識の中で検出される手がかりを感じることはできません。メールやツイッターのコメントでは、なおさら感じられません。誰かが「あなたに賛成」と言っても、その主張を身体で確かめることができないのです。著者は、「ミラーニューロンは活発化せず、オキシトシンが流れず、認知的に不協和の状態のままです。私に賛成すると言っているけれど、そのような感覚が得られません。私たちの身体は、これがメディア環境のせいだとは知りません。代わりに、その人のせいにします。彼らは信頼できない、と思ってしまうのです。この不信感や疎外感は、私たちの事業計画の立案や技術を構築する方法に影響します。それらは人ではない。彼らは、画面の向こう側にいる単なるユーザーまたは臨時労働者だ。こう考えることによって、彼らを監視したり、利用したり、支配したり、無視したり、置き去りにしたりしやすくなります。『マインドセット』の論理は、自己増強します」と述べるのでした。

第4章「ダムウェイタ―効果」の「見えないものは忘れられる」の「マインドセットを見えなくしているもの」では、デジタル技術による「文明2・0」を作り出すと自負している人々は、市町村長、コミュニティー代表者、貧困対策活動家などの提案にはアレルギーがあることが紹介されます。自分たちの技術力と民間企業としての成功とを合わせれば、利益を生み出す全く新しい世界を一から構築する資格が自分たちにあると考えているようです。デジタルの子宮という技術万能主義者の子供っぽい望みは、勝者が総取りする競争的な市場に対する億万長者の揺るぎない確信と関係があるとして、著者は「注意が必要です。彼らの未来に対する考え方は、そこから生まれてきます。自分たちの構想は実現可能であり、実現すべきものであるのに、私たち人間を含めたこの現実世界そのものがその障害になっているという考え方です。これは、技術開発の副作用から距離を置こうとする富裕層の『隔離の方程式』よりも、さらに邪悪な結論です。ここでは、テクノロジーを利用することによって、人々の被害は見えない所に隠されてしまいます」と述べます。

「マインドセット」に基づいて未来を作り出そうとする人々は、その特権を維持するためには、何らかの害が発生することを知っています。彼らのビジネスモデルは、ほとんど全てが、彼らに奉仕する労働者と消費者を収奪的に利用することに依存していると指摘し、著者は「これらの企業は、10代前半の子供たちをソーシャルメディアにのめり込ませたり、農作物を除草剤まみれにしたりしています。それと同時に、鉱山でレアアース金属を採掘するために、あるいは、毒性のある廃棄物処分場で「リサイクル」するために、奴隷労働をさせています。このようにして利用されている人々は、そのうちに必ず怒りを爆発させるか、あるいは危険な存在になります」と述べるのでした。

第5章「利己的な遺伝子」では、リチャード・ドーキンスは、私たちが生きている世界は、単純な科学的原理で完全に説明できると主張したことが紹介されます。すべて実験によって立証できるものであり、私たち人間は、有機物の集合体に過ぎず、それ以外の枠組みは、迷信、宗教、または「妄想」だと言うのです。著者は、ドーキンスの意見に反論を試み、「この世界には、ある種の“傾向”があります。進化とは、単なるランダムな選択ではなくて、生命が何かに向かって模索しているのです。複雑さ。意識。同情。私たちは、遺伝子によって動かされているのではありません。原始時代の人類は、個人的な利益がなくてもお互いに食料を分け合っていました。人類の進化における最大の特徴は、競争ではありません。協力の物語です」と延べました。

第6章「全速力で前進」の「非人間化と支配と収奪」の「疑いようのない収奪と成長」では、現在のIT企業の創業者の多くは、大学を出るとすぐに事業を始めているので、経済の歴史、アダム・スミスやジョン・スチュアート・ミルの道徳哲学、あるいはマルクス主義の基礎を学ぶ機会がないことが紹介されます。そのせいで彼らは、非人間的かつ収奪的で成長に重点を置く事業環境の影響を受けやすくなっているとして、著者は「彼らは、独占を目指します。それが新しい市場を支配するためのデフォルトの構造だからです。それを達成するために革新的技術を使うかもしれませんが、その根本にあるオペレーティングシステム、すなわち収奪と成長の必要性に異議を申し立てることはありません」と述べています。

彼らは、それによって生じる社会や経済の荒廃を、ヨーゼフ・シュンペーター(19世紀末生まれの経済学者)が言うところの「創造的破壊」であるとして正当化します。シュンペーターは、産業の変化によって古い富と新しい富が入り交じり、再分配することができるというマルクス主義の考え方に基づいていましたが、今のスタートアップ経済は、少しもこの方向進んでいないとして、著者は「ごく少数の起業家や開発者は、自分のアイデアによって大金持ちになるかもしれませんが、より大きい視点で見れば、いつも同じ機関投資家がグーグルやフェイスブック(現メタ)を利用して利益を上げています。以前は、インテルやIBMから、さらにその前はGEやAT&Tから利益を得ていました。有力な技術系企業の業績に関するメディアの報道に気をとられて、その背後にいる見えない富豪たちがさらに裕福になっていることが隠されています」と述べます。

「マインドセット」は、人間とは不必要なもの、あるいはわずらわしいものだと考えているそうです。したがって、多くのスタートアップ企業のビジネスプランは、その事業からいつの日か完全に自動化されることを示さなければ、却下されます。最初のうちは、わずかな従業員がいてもかまいませんが、最終的には、企業が無限に「スケール」する(拡大する)ために、そのようなスキルは全て自動化する必要があります。著者は、「だからこそ、フェイスブックは、給料の必要な人間の従業員の代わりに、有害な投稿を監視して選別する作業を、AIに、あるいは最悪の場合ユーザーにさせようとしているのです」と述べるのでした。

「前に進こと」では、一条真也の読書館『21世紀の啓蒙』で紹介した著書『Enlightenment Now』で、スティーブン・ピンカーは、欧州の啓蒙時代(ジョン・ロックを生み、また、奴隷制度を正当化した時代)を高く評価していることが紹介されます。全体として暴力が減少し、健康、寿命、教育レベル、普遍的な人権が向上したという理由です。これは、極めて問題のある説明であるとして、著者は「第一に、デビッド・グレーバーとデビッド・ウェングローによる常識破りの著作、『The Dawn of Everything(万物の夜明け)』(邦訳未出版)で示したように、農業から都市へ、技術や啓蒙主義を経て現代社会に至るという、文明の進歩を過度に単純化した一方向の物語は、単に間違っています。今までの歴史を通じて、さまざまな都市国家が存在し、私たちが技術と呼ぶものを持つ場合も、持たない場合もありました。狩猟採集社会でさえも、一部には、巨大な都市規模の集落があり、大量の建築構造物や民主的市民議会を備えていました。よく引用されるピンカーの進歩に関する統計には、もう1つ問題があります。純粋な啓蒙哲学と同じように、現実世界で起こっていることを見落としています」と述べます。

資産と権力を求める衝動は、1人のプレイヤーが全てのお金を独占するまで全員で続けるポーカーゲームのようなものです。それは、究極の目標として不平等を目指すという衝動です。経済学で言うジニ係数(社会における所得の不平等さ測る指標)が1の状態、すなわち、たった1人が全てをため込んでいる状態であると指摘し、著者は「彼らが参加している、金銭、技術、文化に関する全てのフィードバックループは、この唯一の目標を支える基盤となっています。ゲーム理論の専門家ジョン・ナッシュ〔映画『ビューティフル・マインド』のモデル〕は、その初期の研究で、取引においては裕福な側が常に有利であり、この効果に対抗するルールや制限がない限り、それが成立することを証明しました。賭け金に上限のないポーカーゲームでは、裕福なプレイヤーが有利です。なぜならば、対戦相手が全ての所持金を賭けなければならない状況に何度も追い込むことができるからです。したがって、規制のない市場に不平等が存在する場合、最も裕福な者が有利です。だからこそ、彼らは、その資産を使って規制緩和を推進しており、その結果としてさらに資産を増やしているのです」と述べます。

「知からへの意思と楽観主義」では、ニーチェの思想のゆがめられた解釈と、アイン・ランド(20世紀の小説家)の思想の非常に正確な解釈を組み合わせると、「神は死んだ」けれども、将来の「超人(Ubermensch)」は、客観主義という純粋理性を使って、既存の宗教的価値観を超越した「利己的」な世界を作り直すことができるといいます。これは、実際にニーチェの妹が考えたことです。ムッソリーニのファシズムの熱烈な支持者であり、ニーチェの死後、捨てられていた走り書きを集めて、悪名高い『力への意志』という本を作った人です。しかし、ニーチェの言葉がその文脈の外で使われると、技術的「超人」気取りの連中に、自分には人間を超えた権威があると錯覚させてしまいます。

ニーチェの「超(Uber)」から着想を得た社名のウーバーは、その資金と影響力を使って、都市計画や雇用法令を自社に都合の良いように変えさせています。ピーター・ティール(PayPal創業者)は、ニーチェの言葉の中に、未来を自分が掌握するという使命を見いだしています。ティールは、「自由と資本主義は、両立できないと考えている」は言います。著者は、「このように、『超人』は神のような創造者であり、はっきりした見通しを持ち、その状態に向かって確信を持ってものごとを進める、というゆがめられたイメージは、『マインドセット』の重要な要素として生き残っています。このように全てを支配するという感覚がなければ、株価を急上昇させることはできません」と述べています。

いくら独自性を主張しても、IT業界の大物たちの多くは、学校を退学する前に聞いたことのある歴史上の人物を模範にしているとして、著者は「マーク・ザッカーバーグがローマ皇帝アウグストゥスを崇拝しているというのは有名な話です。アウグストゥスは、道路網と伝令システムを整備することによって、数世紀にわたるローマ帝国の拡大をもたらした人として知られています。雑誌ニューヨーカーの記事でザッカーバーグは、「アウグストゥスは、基本的には厳格な統治方法により、200年に及ぶ世界の平和を確立しました」と述べています〔この発言が正しいと言えるのは、「平和」を「自国の主権を脅かす戦争がない状態」と定義し、自国が他の国や民族を力で征服する行為を除外する場合に限りますが〕。しかし、ザッカーバーグのアウグストゥスに対する崇拝は、妄想に近いものです。ザッカーバーグは、アウグストゥスの髪型をまねしました。彼の妻は、ローマへの新婚旅行にはマークとアウグストゥスと私の3人で行った、と冗談を言いました。ザッカーバーグは、次女をアウグストゥスにちなんでオーガストと名付けました。また、彼は、フェイスブックでの会議を終わるとき、「Domination!(支配を!)」と宣言していました」と述べるのでした。

第7章「指数関数的成長」の「行き詰まれば別次元のメタへ」の「金融のメタ化」では、1980年代までに、ゼネラルエレクトリック(GE)のCEO、ジャック・ウェルチは、このパターンとその意味に気が付けたことが紹介されます。金融の抽象化をできるだけ進めればよいということです。しかし、GEのより基本的な問題、すなわち、ウェルチが適切に対応できなかった問題というのは、現実世界の住宅、航空機、産業活動は、資本や投資家の要請に応えられるほど拡大できないことでした。製造業は、どこかの時点で、人間による労働の限界や物理的な物質の限界に到達してしまいます。

デジタルの世界は、物理法則を超越して、この産業化時代の問題を解決できるように思われました。MITメディアラボの創設者ニコラス・ネグロポンテは、1995年の著書『Being Digital』(邦題:『ビーイング・デジタル:ビットの時代』)で、「世界に向けて、そして特にビジネス関係者に向けて、「ビット」は原子の制約から我々を救うためにやってきたのだ」と宣言しました。著者は、「商業主義に限界があるのは、従来の世界の取引は、原子の交換によって構成されているからです。しかし、デジタルの時代に突入した今では、物理的な世界の限界は適用されません。ビットには、色、大きさ、重さがありません。そして、光の速度で動くことができる、というのです」と述べます。

「ゲームを超越する」では、最高のウェブサイトあるいは個人のホームページを作ろうと競争する代わりに、ザッカーバーグは、人々や企業が簡単にそれを実現できるプラットフォームを作るという一段階高いレベルへ進んだことが紹介されます。模倣するゲームに参加するのではなく、ゲームを超越したのです。普通の人間のレベルよりも1桁上の、成功、自律、自己決定権、救済のある世界へ進むという指数関数的な飛躍を実現しました。著者は、「驚くべきことに、フェイスブックのビジネスモデルが厳しく調査されるようになると、ザッカーバーグは再び動き出し、社名を『メタ』に変更して、ネット上でさらに次のメタへ進もうとしています。彼は、先手を打って、まだ発明されていないバーチャルリアリティーやオーグメンテッドリアリティー(AR=拡張現実)の技術を1つに集約して、自分が支配する一段階上の世界『メタバース』を構築しようとしています」と述べています。

「ウォール街を占拠せよ」運動(2011年にニューヨークのウォール街で発生した経済界、政界に対する一連の抗議運動)と同じ時期に考案されたビットコインは、取引を証明するのに、銀行も手数料も不要で、料金の高い仲介業者も使わずに済む手段を人々に提供したことが紹介されます。しかし、中央通貨の背後に存在した貴族階級と同じように、投機家たちは、取引の円滑化よりも、ビットコインを利用して利益を得ること、ビットコインのトークン(トークンでは発行者や管理者が存在する)の価格を上げることに感心がありました。著者は、「今では、世界中のコンピューターが、ビットコインの価値を証明するためだけに動作していて、目的のない計算のために電力を消費しています。その電力消費量は、スウェーデン全体のエネルギー消費量を少し上回るほどです。デジタルの記号を証明するために、すなわち、拡大可能なデジタルコピーに現実性を与えるために、現実世界で燃料を燃やして発電しています」と述べるのでした。

第9章「バーニングマンからの展望」の「私たちは神のように」の「エリートと幻覚」では、インターネットの誕生と同じように、「技術的な救世主」は、「ヒーロー」が赤い薬を飲むというような幻覚的な儀式によって生まれることが多いことが指摘されます。その儀式は、「バーニングマン(ヒッピー文化と関連の深い、アメリカの巨大アートイベント)」でよく行われています。「バーニングマン」の起源は、極めて質素なものであり、数十人が集まってその場で準備なしに実施した夏至の儀式でした。今では、毎年7万人以上が砂漠に集まるイベントに発展しています。特に裕福な参加者は、小さいテントや寝袋ではなく、エアコン付きのキャンピングカーでシェフや給仕人を伴って現れます。

バーニングマンの本来の精神が保たれているかどうかについては意見が分かれるところですが、このイベントは、幻覚剤と関係が深くて、LSD、マジックマッシュルーム(幻覚作用のあるキノコ)、あるいは、より強力な薬物が、霊感の強いITエグゼクティブ志望者たちの通過儀礼のようなものになっています。著者は、「21世紀のシリコンバレーのIT企業の経営者にとって、この幻覚的儀式は、20世紀中ごろのニューヨークのメディアや広告業界におけるアルコールと同じ役割を果たしています。酔っぱらって女性に嫌がらせをすることは、男尊女卑的な職場文化の一側面というだけでなく、経営者が消費者をだまして食い物にしても罪の意識を感じないことを証明する方法でもありました。幻覚剤は、現代のIT経営者たちが、自分の認識のハードディスクをフォーマットし直して、その洞察を世界全体に適用しようとしていることを示すための手段です。彼らは、人類をプログラムし直そうとしています」と述べます。

一方、より冒険心のある経営者たちは、メキシコ湾流をたどってメキシコへ、さらにはペルーへ行って、先住民の祈祷師やニューエイジ(20世紀後半に始まった宗教的または疑似宗教的な潮流)心理学者と一緒にアヤワスカ(アマゾン北西部で伝統的に使われている幻覚剤)の儀式に参加しています。著者は、「ちょうど私がこの章を書いているときに、電子メールの受信箱にその招待状が1通届きました。招待状の対象は『リーダー』および『インフルエンサー』で『厳選された』集団が「最短の期間で意識レベルを最大限に高める」ことを約束する、というものです」と述べるのでした。

第10章「グレートリセット」の「世界を救うために資本主義を救う」の「太陽光パネルの矛盾」では、著者は「成長は良いことです。その一方で「持続可能性」には、成長と発展が停滞する時期があり、受け入れ難いものです。自然を支配して規模を拡大するのではなく、自然と仲良くして規模を縮小することになりますが、それは容認できません。ものごとが悪くなる場合には、行動を自制するべきではありません。困難な状況を切り開いて、前へ進まなければなりません。次に見える丘のすぐ向こう側に答えがあります。科学者、技術、市場の力を信じてください。私たちは、新しい境地に達することができます」と述べています。

「グレートリセットとは」では、これが、世界経済フォーラムの創設者クラウス・シュワブがウェブサイトや書籍で始めた計画「グレートリセット」の基盤となる考え方であると指摘します。シュワブは、「より良い形態の資本主義」に賛同していますが、これは気候変動、世界の貧困、さらに関連する全てのものを解決できる事業や技術への大規模な投資を促進するものです。著者は、「新型コロナウイルスのパンデミックの最盛期という、ちょうど『都合の良い』時期にこの発表がありましたが、グレートリセットは、『機会としての危機』という考え方を提案しています。あらゆる困難な問題は、本当は、私たちが腕まくりをして仕事に取り組んで、『より良い状態を取り戻す』ためのきっかけに過ぎない、というものです。その際、大規模な資本投資があり、その投資の見返りとして多額の利益が得られます」と述べるのでした。

第11章「鏡に映ったマインドセット」の「抵抗してもムダだ」の「不信を生み出すマインドセット」では、科学を重視する風潮の中で、白人の特権、セクシャルハラスメント、男女不平等について自分が罪を犯していることを未だに認識できていない人々は、排除される恐怖を常に感じるようになるので、恨み、権利剝奪、被害妄想が混じり合った最悪の状況が発生しすことが指摘されます。著者は、「デジタルメディア環境では、社会正義への違反を告発するのは容易です。10年か20年ほど前から、あらゆる人のその場の思い付きによる発言が、消えずに記録されて、後日、確認のために取り出せるようになりました。しかし、このようにプラットフォームに完全に記憶されているせいで、人々が進歩に賛成しにくい状況にもなっています。特に、ルールが新しくなって、以前は『容認された』行動が新しい観点では認められなくなっている場合がそうです。人種、ジェンダー、性別について、今日の正しい行動または適切な発言が、明日には認められなくなっているかもしれません。それが進歩というものの性質ではありますが、あらゆるものが記録され、あらゆる記録が告発される可能性がある状況とは、両立しにくいものです」と述べています。

社会正義の追行は、リチャード・ドーキンスによる人間の評価の科学的な質にも関係しているといいます。「利己的な遺伝子」がすべてであって、人間には意味のある作用は何もない、というものです。人間の意図は重要ではありません。「人間の意図」などというものは、遺伝子のふるまいのもとで発生するものに過ぎないとして、著者は「人間のつながりには、曖昧な言葉やはっきりしないメッセージが発生する余地はありません。あらゆる人が疑わしく、誰にも正当な理由はありません。このような環境において、特にソーシャルメディア、監視、ギグエコノミー(ネットを通じて単発または短期の仕事を引き受ける働き方)のせいで私たちがすでに疑いと恨みを持っている状態で、また、『マインドセット』のその他のさまざまな兆候が私たちの生活や家族の生活に影響を及ぼしている状態で、神のように無限の知識を持つ技術エリートの主張は、恐怖と被害妄想を生むだけです。そこで懸念される怒った群衆は現実に存在しており、彼らの行動は、ネット上のオルタナ右翼の陰謀論グループ、プロミス・キーパーズ(保守的な価値観を持つ国際的なキリスト教運動団体)の路上集会、地元の教育委員会に対するワクチン反対派の暴力、世界的な気候変動対策への反対運動などで見ることができます」と述べるのでした。

第12章「コンピューター的因果応報」の「自業自得」の「コヨーテは自分が仕掛けたわなにはまる」では、多くの場合、技術は、人間の長所を活用するため、あるいは征服を加速するための働きをすることが指摘されます。戦闘用の馬車は、古代の装甲車のようなものですが、まだ冶金術さえも発明していない人々を征服するのに役立ちました。製造を分業する組み立てラインは、初期の勅許独占企業(国王から製造・販売を許された業者)が労働者も時間単位の安い賃金で雇用するために利用されて、独立した職人の権利を奪い、同業組合を弱体化させました。火薬と大砲、蒸気機関、ガソリン動力の戦車、これらは全て、植民地主義者、征服者、資本家が自分の思い通りに世界を作り変えようと奮闘する際に、人々や土地の征服を加速しました。

このような技術がなければ、医学、建築、運輸、工業、農業などは、これほど素晴らしく発展しなかったでしょう。著者は、「私たちの文明は、それを誇りに思ってもよいと同時に、多くの予期しなかった結果について後悔すべきでもあります。今では、前進のために努力するだけで、世界の最も熱心な征服者や資本家は、自分の活動による悪影響を回避することができました。彼らは『物を壊す』ときに『速く動く』ので、落ちてくる破片に当たらないのです。同様に、宇宙、資産、そのほかITの巨人たちが最高の権威と捉えるものは何であれ、それを求める現実の競争は、技術の楽園というような何かの構想へ向かって走るというよりは、彼らが置き去りにしようとする損害や敵意からの逃走です。ただし、現代の億万長者は、期せずして自滅します」と述べます。

「フィードバックに弱くなった社会」では、技術で何でもできるようにしようとする追求は、収穫逓減点(投入量を増加させると、産出量が減少する状態)に到達したことが指摘されます。それだけではなく、そのための努力自体が、成果を台無しにするようになっています。インターネットは、おそらくITエリートによる究極の成果ですが、やはり、常に巨大なフィードバック機構として働いています。著者は、「インターネットを設計した人たちは、頭が良いので、その弊害を防ぐ工夫をしています。テッド・ネルソン(インターネットの先駆者となった社会学者)が提唱した当初のネットの考え方は、双方向につながったネットワークで、『誰でもが、どのページに対してもつながりを持つコメントを公開できる』というものでした」と述べています。

それは、1つの巨大な動的システムになるはずでした。何かにつながるリンクは、全て逆方向のリンクを持っています。これは出版のためのシステムというよりも、生物の神経系に似ていました。著者は、「そのようなシステムは、あまりにも複雑であり、ほぼ間違いなく民主的過ぎるので、開発するのが難しく、また、テレビや出版など一方向の情報伝達が大部分を占める当時のメディア環境で成功するのも難しいものでした。したがって、その構想は棚上げされて、今私たちがウェブと呼んでいるものが採用されました」と述べます。

「AIがすべてを支配するとき」では、ほとんど全てのIT巨大企業が恐れているものがあるといいます。それは人工知能(AI)です。2015年1月に、イーロン・マスク、スティーブン・ホーキング(英国の物理学者=1942~2018)、そしてグーグルの研究部長ピーター・ノービグが、ディープマインドやビカリアスなどのAI企業の創設者と共同で、人類を滅亡させる人工知能の恐るべき可能性について公開書簡に署名したとき、著者はどのように反応すればよいのかわからなかったと告白しています。

著者は、「ホーキング以外の人は、ほとんどが業界の開発者やセールスマンです。彼らは、今までその技術を大げさに宣伝してきました。AIと人類存亡の危機を結びつけて話すことは、つまりAIが実際に機能するという前提があることになります。その文書が述べているように、AIは、自動車を運転し、感染症を終わらせ、戦争を遂行し、貧困を撲滅できる、あるいは、将来できるようになる、ということです。そうすると、残された問題は、AIが全てを支配するようになったとき、どれだけの自治を人間に認めるかです」と述べています。

「マインドセット」の支持者たちは、AIに取って代わられて職を奪われるはずの人々と比べると、AI技術そのものをあまり恐れていないようだといいます。彼らは、ウーバーの自律走行車両、アマゾンのロボットTシャツ製作システム、さらには、将来のAI弁護士、AI住宅ローン審査者、AIテレビ脚本作家などが、多くの人の仕事を奪うことを知っていると指摘し、著者は「億万長者のIT起業家マーク・キューバンは、AIが『私をすごく怖がらせる』と言っていますが、その理由は、多くの労働者が職を失うから、だそうです」と述べています。

「ものごとが高速になり、処理が速くなり、機械が考えるようになる」とキューバンはCNVCテレビで言っています。さらに、わかりにくい話ですが、「人間が人間の代わりに機械に考えさせるか、機械が人間に取って代わって人間の代わりに考えるようになるか、のどちらか」だと述べています。著者は、「おそらく、キューバンは、いずれにしても機械が考える、ということを言いたいのでしょう。重要なのは、誰が誰のために働くのかです」と述べます。

イーロン・マスクは、集中的に「AIが第3次世界大戦の原因になるだろう」「政府が必要だと思えば、民間企業に銃を突き付けてAIを接収するはずだ」といった内容のツイートを投稿しました。イーロン・マスクは、「不適切な人間によるAIの悪用」を重点的な話題として取り上げるようになりました。2018年のサウス・バイ・サウスウエスト(米国で毎年開催される映画祭や音楽祭などの複合的な大規模イベント)の基調講演では、「AIの危険性は、核弾頭よりもはるかに大きいと思います。核弾頭を作りたければ誰でも作れるようにするなんて、誰も認めないはずです。ばかげたことです。私の発言を覚えておいてください。AIは核兵器よりもはるかに危険です。はるかに」と述べています。

「AI自身が未来を選択する」では、技術者にとっては、人間がAI使って何をするかを選択することよりも、AIが自分で何をするかの選択のほうが恐ろしいということが紹介されます。スティーブン・ホーキングは、2015年の公開書簡に賛同した理由について、「AIの短期的な影響は、誰がそれを制御するかによりますが、長期的な影響は、そもそもAIを制御できるのかどうかによって決まります」と述べました。ホーキングは、「マインドセット」の究極の思い上がり、つまり、彼らが自分たちを超越する何かを作り出したという考えを表現しています。彼は、「もしも、人間より優れた文明を持った異星人が『我々は、あと20年、30年のうちにそちらに到着する』というメッセージを送ってきたら、私たち人間は『了解。到着したら知らせてください。照明は点灯したままにして、この場所を明け渡します』と答えるのでしょうか。おそらく、違うでしょう。しかし、AIに対しては、これに類することが起こっています」と語っています。

第13章「パターン認識」の「全ては元に戻る」の「億万長者の宇宙旅行」では、アマゾンのジェフ・ベゾスは、自分の出資による宇宙開発企業ブルーオリジンの宇宙船で最初の宇宙旅行をした(2021年7月、ジェフ・ベゾスらが10分10秒宇宙旅行を行った)ことが紹介されます。その1週間前には、億万長者仲間のヴァージングループのリチャード・ブランソンが、無重力領域に到達しましたが、そちらは強烈な男性的魅力があまり感じられない方法でした。ブランソンの宇宙船は、上空まで飛行機で運ばれて、そこからより高い高度へ向けて上昇したのです。著者は、「宇宙飛行は非常に印象的ですし、しかも今回は、世界最高の広告会社が集結して盛大な宣伝をしていました。しかし、この短い飛行を人類の画期的出来事として扱うのは、特に、50年以上前にNASAが人間をはるばる月まで往復させたことと比べれば、すっきりしない感じが残ります」と述べています。

アポロ計画は、冷戦の不安と米国のナショナリズムに染まっていたかもしれませんが、それでも集団的かつ公共的な事業であったという著者は、「人類は、新しい方向に向かって文明を拡張しようと努力して、資源を出し合いました。1968年に初めて撮影された宇宙から見た地球の姿は、環境保護運動の始まりに貢献しました。『ブルーマーブル(青い大理石)』の画像は、人間が相互につながっていること、そして、人間が自然という壊れやすいシステムに依存していることを認識させて、私たちの文明に対する見方が変わりました。それでもなお、アポロ計画を正当化するのは難しかったのです」と述べます。

「循環内での再投資」では、メディア学者のマーシャル・マクルーハンは、わたしたちがデジタルの時代に正しい方向へ進むためには、パターン認識が必要であると予言しました。それは、特定の状況における個別の細部から少し焦点をずらして、より大きい全体のパターンを見るという能力です。著者は、「デジタルのフィードバックループは、メディア、技術、文化、経済、自然界、これらの全てが直線的性質を持つだけでなく、それと同じ程度に循環的性質も備えていることを私たちに気付かせてくれます。直線的な進歩を排除するというのではなく、私たちの存在を定義するより大きい循環の中に、直線的な進歩もあわせて取り入れるのです。直線か循環かの二者択一ではなく、らせん状です。歴史は決して全く同じことを繰り返しませんが、時間とともに前に進みながら、いつも韻を踏んでいます」と述べます。

わたしたちの過去に潜むパターンをよく理解することは、将来に対する責任感につながるとして、著者は「過去にこの場所に来たことがあると認識している人は、私たちがどこへ向かっているのかに注意を喚起する必要があるのです。それを今の状況に当てはめれば、『マインドセット』に対抗して行動すること、一方向に進む矢だけしか見えていない人に循環という考え方を紹介すること、早く脱出することばかり考えている人に思いやりのある長期的思考を勧めることに相当します」と述べています。

「彼らを社会から葬る必要はない」では、世界を救うための計画を提示するわけではないと断って、彼らの陰謀の影響を軽減して、いくつかの代替案を生み出すために必要なことをいくつか指摘しています。著者は、「最も簡単にできるのは、彼らの企業および彼らが推奨する生活様式を支持するのをやめることです。行動を控えて、消費を少なくして、移動を少なくすることができます。そうすることで私たちは、より幸福になり、ストレスを感じなくなります。地元の物を買って、相互扶助に参加し、協同組合を支援しましょう。独占禁止法を使って、反競争的な巨大企業を解体しましょう」と述べます。

また、著者は「環境規制を使って、廃棄物を減らしましょう。労働組合を使って、非正規労働者の権利を拡大しましょう。税制を改革して、財産によるキャピタルゲイン(資本利得)を得ている人々に、収入を得るために体を動かして働いている人々よりも税金を多く払うようにさせましょう。このような対策は、大企業の成長率を低下させ、場合によってはマイナス成長になるでしょう。今の金融主導の経済に異議を申し立てることになります。GDPを増加させ続けるという衝動に反するものであり、私たちにしみついた経済の健全性という概念にも反するでしょう。しかし、私たち人間は、いつから経済に奉仕する存在になったのでしょうか。そのような考え方は、『マインドセット』が作り出して、金融が促進し、技術が強化したものです」とも述べます。

「成長を超えて」では、ゴーグルをつけて仮想空間を見ているわたしたちは、安全ではないとして、著者は「私たちが親しみを持って遊んでいるキャラクターは、感染症、神経症、貧困、さらに言えば顔の毛穴とも関係がないでしょう。しかし、世界には、私たちが危険を承知の上で無視している人々が存在します。彼らがシェルターの入口に押し寄せてくるからではなく、彼らから逃れようとする努力そのものが、私たちが直面している脅威の原因です。確かに、人間も自然も恐ろしいものであり、将来の動きを予測できないものです。しかし、彼らを操作して利益を得ようとする試みは、うまくいきません」と述べています。

彼らの幸福のための倫理感、思いやり、責任感に基づく取り組みが必要であるとして、著者は「本当の現実における問題は、他の人々が存在するということです。私たちの幸福は、彼らの幸福に左右されます。おそらくこれこそが、『マインドセット』をずっと駆り立ててきた恐ろしい真実なのでしょう。だからこそ『マインドセット』の支持者たちは、他の人々に勝利して、できるだけ早く、できるだけ完全に、他の人々から逃げていきたいと思っているのです。だからこそ彼らは、私たちが精神的な空虚さの中に生きていると主張しているのです」と述べるのでした。本書には、わたしの知らなかったことが書かれており、とても勉強になりました。320ページほどの本ですが、楽しみながらデジタルの歴史を駆け足で振り返ることができました。岡田斗司夫氏が言うように、「はじめに」が一番面白かったです。

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