No.2365 プロレス・格闘技・武道 『1993年の女子プロレス』 柳澤健(双葉文庫)

2024.11.08

『1993年の女子プロレス』柳澤健(双葉文庫)を読みました。一条真也の読書館『1985年のクラッシュ・ギャルズ』で紹介した本の続編となるノンフィクションかと思いきや、女子プロレスラーのインタビュー集でした。2009年3月から11年3つきまでのおよそ2年間にわたって雑誌「kamipro」と「kamipro Special」と携帯サイト「kamipro Move」に掲載されたものをまとめた内容となっています。

本書のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「1993年4月2日、全日本女子プロレス、JWP、LLPW、FMWの4団体が横浜アリーナに集結し、史上初めてオールスター戦が開催された。北斗晶と神取忍による伝説の死闘が行われたこの日を境に、空前の女子プロブームが幕を開けた――。灼熱の季節を駆け抜けた、死をも怖れぬ表現者14人の証言集」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 ブル中野
第2章 アジャ・コング
第3章 井上京子
第4章 豊田真奈美
第5章 伊藤薫
第6章 尾崎魔弓
第7章 ロッシー小川
第8章 ジャガー横田
第9章 デビル雅美
第10章 ライオネス飛鳥
第11章 長与千種
第12章 里村明衣子
第13章 広田さくら
第14章 神取忍
最終章 北斗晶と対抗戦の時代

里村明衣子✕雨宮まみ✕柳澤健 熱闘!座談会
リングの一番星を探せ! みんなで語ろう
「2016年の女子プロレス」

「おわりに ひとつの時代の終焉」
「文庫版 おわりに」
解説「全女の血を引く者」橋本治

インタビューにも興味深いものはありましたが、なにしろ800ページにも及ぶ長さなので、女子レスラーたちの発言を紹介していたらキリがありません。ここでは、各選手のインタビューの冒頭に置かれた著者・柳澤氏の文章を紹介したいと思います。第1章「ブル中野」では、「ビューティ・ペアとクラッシュ・ギャルズによって、“闘う宝塚”として完成した女子プロレスは、90年代初頭に行なわれたブル中野とアジャ・コングの一連の抗争によって危険で、陰惨で、殺伐としたものへと変質していきます。理由は簡単で、長与千種のような観客の心を揺り動かす恐るべき能力を、後輩たちは誰ひとり持っていなかったからです。ブル中野とアジャ・コングは、身体を張って観客を震撼させる試合を行う決意をしました。団体を守り、自分自身を守るために」と書かれています。90年11月14日、横浜文化体育館でWWWA世界王者のブル中野がアジャ・コングに放ったダイビング・ギロチンドロップは伝説になっています。4メートル以上ある金網の最上段から飛び降りたからです。著者は、「プロレスは格闘技ではありません。あらかじめ結末の決められたショーです。ただし、命懸けのショーなのです」と述べています。

4メートル頭上から降って来る当時100キロ近くあったブル中野のダイビング・ギロチンドロップを受けたアジャ・コングは死を覚悟したといいます。第2章「アジャ・コング」では、「クラッシュ・ギャルズの凄まじい人気は『私もクラッシュのようになりたい』と夢見る数多くの少女を生み出しました。その中の1人に、宍戸江利花がいます。米軍立川基地に勤務する黒人兵士と日本人女性のあいだに生まれた彼女は、幼いときに父が本国に召還されたたまに母子家庭に育ちました。自分が周囲の人間と違うことに悩み苦しむ中で、女子プロレスに出会います。ブラウン管の向こうに見たクラッシュ・ギャルズ、とくに長与千種は輝いて見えました。長与千種に会いたい。長与千種のように、痛めつけられ、苦しんでも、そこから何度でも立ち上がる勇気を持ちたい。少女はやがて、プロレスラーを目指すようになります。中学卒業後、全日本女子プロレスに入団すると、まもなくダンプ松本の極悪同盟入りを命じられ、アジャ・コングと改名しました」と書いています。

第3章「井上京子」では、女子プロレスの対抗戦ブームについて、「全女は最高のプロレスを提供している。なのになぜレベルの低い他団体と絡まなければならないのか。プロレスとは肉体芸術であり、鍛え抜かれた人間だけに可能な高度なエンターテインメントであると考える井上京子には、どうしても納得がいきません。対抗戦の時代が終わり、ようやくWWWA世界王者となった井上京子は、アジャ・コングや豊田真奈美らとさらに高度な試合を見せていこうと張り切っていました。しかし、赤いベルトを巻いてからわずか8ヵ月、井上京子は全女を去ることになります。対抗戦のブームが去ると観客は激減し、大借金を抱えた全女は選手に給料を支払わなかったからです。時代の流れは天才レスラーにも抗しがたく、『女子プロレスの時代』は終焉を迎えました」と書いています。

第4章「豊田真奈美」では、1992年11月26ヒ、川崎市体育館で始まった団体対抗戦での一戦が紹介されます。全日本女子プロレスの山田敏代&豊田真奈美がJWPのダイナマイト関西&尾崎魔弓と激突した注目の試合で、開始早々、豊田が尾崎に放ったドロップキックは強烈そのもの。頭を打った尾崎は長時間にわたってコーナーで座り込んだまま、立つことができませんでした。著者は、「女子プロレスのれきしに永遠に残る団体対抗戦は、豊田真奈美の戦慄のドロップキックから始まったのです。豊田真奈美のドロップキックは男子を含めても間違いなく世界一でしょう」とまで書いています。また、豊田真奈美と井上京子が95年5月7日に後楽園ホールで闘った60分フルタイムドローの試合は、アメリカのプロレス専門誌「レスリング・オブザーバー」のマッチ・オブ・ザ・イヤー(年間ベストバウト)に選ばれました。著者は、「女子部門の授賞ではありません。この年に全世界で行なわれたすべてのプロレスの試合の中で、最高の評価を得た試合なのです」と強調しています。

第6章「尾崎魔弓」では、女子プロレス史上最高の興行との呼び声も高い1992年11月26日川崎市体育館のメインイベントは、山田敏代&豊田真奈美vsダイナマイト関西&尾崎魔弓だったことが紹介されます。著者は、「身長156センチ、体重50キロ少々という尾崎は、4人の中でもひと際小さく、狙われることはあきらかでした。実際、試合開始早々に豊田真奈美の恐るべきドロップキックを受けた尾崎魔弓は、文字どおり吹っ飛ばされて頭を打ち、試合続行を危ぶまれるほど大きなダメージを受けました。しかし、尾崎は驚くべきタフネスで見事に復活します。このときの『オ・ザ・キ!』コールは、映像で観てさえもとんでもない迫力があります。かつてないほどの大きな声援を受けて、尾崎魔弓は素晴らしい闘志で白熱した試合を見せてくれました。結局、この試合は年間ベストバウトに選ばれる名勝負となり、JWPの評価は急上昇したのです」と書いています。

第8章「ジャガー横田」では、いきなり冒頭で著者は「世界中を探しても、ジャガー横田のような偉大なチャンピオンは1人もいません。なにしろ真剣勝負の実力だけで、団体のトップにまでのぼりつめた王者なのですから。真剣勝負のレスリングは見ていてつまらない。だからプロフェッショナル・レスリングは勝敗をあらかじめ決めておき、2人のレスラーは一致団結して熱戦を繰り広げる。このことは世界的な常識であり、グローバル・スタンダードです。ところが世界でただ1つ、全日本女子プロレスだけにはその常識が通用しません。全女には独自の押さえ込みルールがあり、ジャガー横田は真剣勝負でジャッキー佐藤を破り、全女最高峰のWWWAの赤いベルトを巻いたのです」と書きだしています。いかに、著者がジャガー横田をリスペクトしているかがよくわかりますね。それにしても、著者は「世界」という言葉が好きですね!

第9章「デビル雅美」では、JWPのヤマモこと山本雅俊代表がデビル雅美のことを“人間国宝”と呼んでいたエピソードを紹介します。全国津々浦々、どこに会場に行っても、必ずお客さんを沸かせる試合ができるからだといいます。著者は、「デビル雅美にとってプロレスとは職業です。お金を払ってプロレスを観にきてくれたお客さんをチケット代の何倍も楽しませること。それこそがプロフェッショナルの仕事だと考えているのです。デビルと同じような考えをもっているのが長与千種でした。プロレスラーである私たちはお客さんと勝負している。相手の身体を使ってお客さんと会話をしている。押さえ込みルールの試合は観ていておもしろいものではまったくない。プロレスの本質とは異なる特殊ルールの真剣勝負で勝敗をつけて何になるのか。デビルや長与千種はそのように考えていました」と書いています。ちなみに現在のデビル雅美は、故郷の北九州に戻って「漬物処 糠蔵」という漬物店の店長をやっているそうです! 今度、行ってみたいと思います。

第10章「ライオネス飛鳥」の冒頭を、著者は「ライオネス飛鳥の全盛期はいつか? 答えははっきりしています。ヒール軍団平成裁恐猛毒GUREN隊を結成してjd’、LLPW,FMWを股にかけて活躍した97年から、ガイア・ジャパンに乗り込んで長与千種と闘った99年までの3年間です」と書きだしています。女子プロレスの観客は、ベビーフェイスと一体になって試合を観ています。ヒールはベビーフェイスの心理をコントロールすることで、観客の心理をコントロールしているのです。著者は、「飛鳥はヒールになって初めて、長与千種が何をしていたのかをはっきりと理解できました。そして、長与千種と同じ地平に立ってプロレスを俯瞰したうえで、長与千種には決してできないプロレスをやろうとしたのです」「30代半ばをすぎてキャリアの頂点を築き上げたライオネス飛鳥の物語は、プロレスの世界でもめったにない、素晴らしいビルドゥングスロマン(教養小説・成長物語)なのです」と述べています。

第11章「長与千種」の冒頭を、著者は「女子プロレス史上最大の天才。それが長与千種です。デビル雅美は『長与千種ほどの天才は、男子も含めて今後100年は出てこない』と断言しています。ロッシー小川もJWPのヤマモこと山本雅俊も、長与千種以上のレスラーはいないと言います。長与千種ほどファンに愛されたレスラーはいません。85年夏の大阪城ホール。ダンプ松本に敗れた長与千種がリング上で髪を切られたとき、女子中高生の観客全員が号泣し、ダンプ松本を殺したいほど憎みました。1万人もの観客を泣かせるほどのパッションをつくり出せるレスラーが、世界中に何人いるでしょうか」と書きだしています。もう最大限の賛辞を長与千種に送っていますね。

第14章「神取忍」の冒頭を、著者は「『心を折る』という言葉を御存じのかたは多いでしょう。現在ではごく一般的に使われていますが、もともとは神取が発した言葉です。『あの試合のとき、考えていたことは勝つことじゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも肉でもない。心を折ることを考えてた』(井田真木子『プロレス少女伝説』)」と書きだし、さらに「神取が心を折ってやろうと思った相手は、元ビューティ―・ペアのジャッキー佐藤でした。1987年7月18日、神奈川・大和車体工業体育館で行われた神取しのぶ(当時)vsジャッキー佐藤の試合は、日本プロレス史上唯一のセメントマッチであると言われています」と述べています。

最終章「北斗晶と対抗戦の時代」では、1993年4月2日に横浜アリーナで行われた女子プロレス4団体が揃った「夢のオールスター戦」で激突した北斗晶と神取忍の一戦が取り上げられます。最後はお互いのパンチが同時に入り、2人が崩れ落ちた次の寸簡に北斗が神取をフォール。30分37秒、ようやく死闘に決着がつきました。「神取、聴こえるか。おまえはプロレスの心がない。プロレスは、プロレスを愛する者しかできない。柔道かぶれのおまえに負けてたまるか」と、悲鳴にも似た北斗の声が鎮まりかえったアリーナに響きました。北斗晶がこの試合でプロレスファンを魅了した理由について、当時「週刊プロレス」編集長だったターザン山本は、「かつてジャッキー佐藤をボコボコにした神取には、もともと格闘家のイメージがある。北斗はそのことを利用して、この試合を一種の異種格闘技戦として位置づけた。プロレス代表である北斗晶が、柔道代表である神取忍と殴る蹴るの闘いを繰り広げ、場外乱闘で大流血という極めてプロレス的な世界を展開した末、血だらけのまま『私はプロレスを愛している。おまえはプロレスを愛していない』と叫んだ。北斗はいわばプロレスの殉教者。ファンに受けたのは当然でしょう」と分析しています。

著者は、異様な熱度の高さで「当時の全日本女子プロレスは、男子を含めても間違いなく世界一の団体であった」と述べます。本書にはこの「男子を含めても間違いなく世界一」というフレーズが何度か出てくるのですが、その理由を著者は以下のように述べています。
「何千人もの応募者から選ばれ、年間250試合を超えるハードな旅の中で鍛え上げられた人間が、己のすべての意地とプライドを懸けて生き残り、上に行こうとする。上にいる人間は、その地位を守るために危険な技を繰り出し、そのために重傷を負い、生命の危機にまで直面しても、くじけることなく『リングの上で死んでもいい』と復帰する。これはもう『仕事』ではない。男にはそんな恐ろしいことはできない。全女を見るということは『仕事を超えた何か』を見るということである。一度見てしまえば、その危険な魔力から離れることはできない」

女子プロレスの対抗戦ブームの最大のスターは北斗晶でしたが、彼女は1994年3月の横浜アリーナ、8月の日本武道館、11月の東京ドームの3大会に限定出場しました。横浜アリーナでは神取忍とタッグを組んでブル&アジャと対戦。日本武道館ではアジャと組んでダイナマイト関西&堀田祐美子と戦いました。11月20日、北斗晶を中心とする女子プロレスはついに東京ドームにたどり着きました。主役たる北斗はイーグル沢井、ダイナマイト関西、アジャ・コングに3連勝して、現役生活に別れを告げました。著者は、「ボロボロになった身体にムチを入れ、三田と下田を引っ張りつつフロントを動かし、マスコミを動かし、観客を動かし、全女の選手たちを動かし、他団体の選手たちを動かし、自らの力で空けたスペースを、誰よりも速く駆け抜けていった北斗晶。そんな選手がこの先再び出現するとは、到底思えない」と述べるのでした。

「文庫版 おわりに」で、著者は「男にとってプロレスは仕事だ。だが女にとって、プロレスは人生そのものなのだ」と言います。全日本女子プロレスこそ、世界最狂団体と呼ぶにふさわしく、本書で読むことができるのは、とても現実とは思えないエピソードばかりだとも言います。しかし、それはすべて、現実に起こったことなのです。著者は、「水着の上からでもわかるジャガー横田の腹筋。デビル雅美の会場の空気を読む能力。ライオネス飛鳥の15年にも及ぶ苦悩。長与千種の観客の心を動かす天才。ブル中野の団体を背負う覚悟。アジャ・コングのすべてを恐れない勇気。井上京子の突き抜けた明るさ。豊田真奈美の驚くべきバネとタスネス。伊藤薫の危険すぎるプロレス。尾崎魔弓の危機察知能力。これほどの身体能力と精神力を兼ね備えた女性たちが、女子プロレスの世界にひしめきあうことは、この先二度とないだろう」と述べるのでした。

解説「全女の血を引く者」では、著者の師匠である作家の橋本治が本書の内容を高く評価しつつも、「この本で惜しいのは、全女を経営した松永兄弟の話があちこち散発的に登場するだけで終わっていることだ。まとまった形で『松永兄弟の全女』という章があってもよかったはずだが、それがない。全女を語る人間が口を揃えて、『酷い』『ろくでもない』と言うだけで、もう一つ、その愛すべき悪辣さがはっきりしない。私が思うに、松永兄弟というのは、古いタイプの芸能事務所の社長のような人達なのだろう。昭和30年代の歌謡曲の全盛時代に一山当てて、その甘い夢を見続けて、昔のままのスタイルで『絶対にまた当たる』と信じているオッサン達だ。隊現実のピントがずれているから『愛すべき悪辣』になるが、このオッサン達は、当然ながら女をバカにしている。女で商売をしていて、『俺達の方が分かっているんだから言うことを聞け』と言っている男が、女をバカにしていないわけがない。ブル中野の『心のふるさと』は、そういうオッサン達が酒盛りをしているだけの、ろくでもない『ふるさと』なのだ」と述べています。いやあ、スカッとしますね!

「さすがは橋本治!」と叫びたくなる名文ですが、確かに、松永兄弟のことはもっと詳しく知りたいですね。彼らは自分の団体のレスラーたちに真剣勝負をやらせて賭けの対象にするという世界のプロレス史上類のない団体経営を行いました。また、本業の団体経営をおろそかにして株と不動産の投資に走って倒産に至ったり、とにかく経営者としても人間としてもダメダメな兄弟です。でも、不思議なことにブル中野だけでなく、松永兄弟のことを憎み切れない者が多いのも事実。おそらく彼女たちは「洗脳」されていたのだと思いますが、松永兄弟にも何らかの魅力があったのかもしれません。こうなったら、本書の著者に『〇〇年の松永兄弟』という単行本を書いていただくか、ネットフリックスで「極悪女王」のスピンオフとして「極悪兄弟」というドラマを制作してほしいと思います。

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