No.2382 人生・仕事 | 芸術・芸能・映画 『もう明日が待っている』 鈴木おさむ著(文藝春秋)

2025.02.26

『もう明日が待っている』鈴木おさむ著(文藝春秋)を読みました。中居正広氏の引退発表で再結成が絶望的となった「SMAP」についてのベストセラーですね。著者は、1972年、千葉県千倉町(現南房総市)生まれ。高校時代に放送作家を志し、19歳でデビュー。バラエティーを中心に数多くのヒット番組の企画・構成・演出を手掛けてきました。映画監督、エッセイ・小説の執筆等、さまざまなジャンルで活躍。2002年には、森三中の大島美幸さんと結婚。2024年3月31日に放送作家を引退。

本書の帯

本書のカバー表紙には1本の紐で結ばれた五色の風船のイラストが描かれ、帯には「挑戦、冒険、そして解散――。20年以上、彼らに伴走してきた放送作家にしか書けなかった奇跡の物語。これは『小説SMAP』である。」と書かれています。

本書の帯の裏

カバー裏にはバラバラになって空に飛んでゆく五色の風船のイラストが描かれ、帯には「僕らは分かっていた。破壊のミサイルのボタンを押してしまったことを。時間が止まってくれないかな。止まらない。時計の針は進んでいく。そして、時間が来た。メンバーの額やの扉が開いた。(本文より)」と書かれています。カバー前そでには、「メンバーの脱退、結婚、海外の超大物スターとの邂逅、5人旅、東日本大震災発生10日後の生放送、そして、あの生放送……解散……。国民的グループにずっと伴走してきた放送作家が最後に贈る、涙と希望の物語」と書かれています。

アマゾンの内容紹介には、以下のように書かれています。
「大ヒット番組『SMAP×SMAP』の放送作家として20 年以上彼らと走ってきた著者にしか書けなかった、奇跡の物語がここに完成した。 月刊『文藝春秋』に掲載され、『小説SMAP』と呼ばれて大きな話題を呼んだ3篇に新たな書き下ろしの章を大幅に加えた本作は、2024年3月31日をもって放送作家を引退する著者が贈る、覚悟の一冊。『明日』を望むすべての日本人に向けた作品となっている。なお、本書の著者印税はすべて能登半島地震の義援金として寄付されます」

アマゾンより

また、「鈴木おさむ氏からのメッセージ」として、「僕は2024年3月31日をもって、32年間やってきた放送作家を辞めます。辞めると決めた後に、この「小説」を出そうと、書き切ろうと思いました。誰かが記して残さないと、物語は消えていきます。だから僕が僕の目で見た真実を記して、放送作家を辞める時に刊行すると決めました。このタイミングでしか、この小説を世に出すことは出来なかったと思います日本一有名な彼ら5人と、一緒に作り戦ってきた仲間たちとの物語を、自分の魂を削り、泣きながら書き上げました。ずっとずっと読み継がれてほしい、新たなテレビ文学が出来たと思っています」とあります。

本書の「目次」は、以下の通りです。
第1章 素敵な夢をかなえておくれ
第2章 あれからぼくたちは
第3章 世界で二番目にスキだと話そう
第4章 1・2・3・4 FIVE RESPECT
第5章 WELCOME ようこそ日本へ
第6章 とってもとっても僕のBEST FRIEND
第7章 くじけずにがんばりましょう
第8章 20160118
第9章 もう明日が待っている

第1章「素敵な夢をかなえておくれ」では、伝説のバラエティ番組である「SMAP×SMAP」が開始されたエピソードが披露されます。同番組は、フジテレビ系列で1996年(平成8年)4月15日から2016年(平成28年12月26日まで、毎週月曜22:00 - 22:54に放送されていたSMAPの冠番組で、通称「スマスマ」と呼ばれました。関西テレビとフジテレビの共同制作でした。著者は、以下のように書いています。

6人の新番組は、河田町にある人気テレビ局で作られるタレント主体の冠番組で、しかも放送時間が月曜22時。
時間帯を聞いてドキドキした。
1996年春までの時点で、テレビのGP帯、ゴールデン・プライムタイムと言われる19時~23時の一番輝かしい時間帯で、アイドルがメインとなる番組が制作されたことはなかったからだ。
GP帯で作られる番組のメイン出演者は、人気芸人、人気司会者が務めるもので、アイドルがいくら人気があるからといって、メインとして出演することはなかった。
だからこそ彼ら6人で月曜22時という時間でバラエティー番組を作ることは、局にとっても大きな賭け。そしてなにより、彼らにとっても成功したら時代を変えることになる。
イイジマサンは言った。
「絶対ヒットさせたいの。頼むね」
(『もう明日が待っている』P.22~23)

第3章「世界で二番目にスキだと話そう」では、アイドルとして絶頂期にありながら、2000年12月5日に工藤静香と結婚した木村拓哉について、著者は「彼は僕と同じ1972年生まれ。彼が28歳の誕生日を迎える直前だった。20代で結婚を決めたタクヤ。主演したドラマでは記録を塗り替えるヒットを記録し、日本で一番抱かれたい男などと書きたてられた彼が結婚を決めた。そして子供が出来たことも聞いた。彼の報告に驚きはした。男性アイドルが人気絶頂の中、結婚するという選択肢を取ったのを見たことがなかった。だけど、タクヤらしい決断だと思った」と書いています。タクヤはブレイクし始めてからも自分のことを隠さず、付き合っていた一般人の彼女とのことも隠すことをしませんでした。著者が構成していたラジオでは、初めてのマスターベーションとか、初体験とか、そんな話題も笑いに包んで話したことを紹介し、著者は「スターだって人間であることが大事だと思った。同世代の男性にも人気が出始めていたからこそ、同性の共感をより得るべきだとも思った。隠すことをしなかった彼の性格を『格好いい』と思う男性も増えていった」と述べます。

著者は、全盛期のタクヤが神がかっていたというエピソードを披露します。以前、あるロケの合間に、著者はタクヤと渋谷のパルコ前の交差点に立ったとか。時間が空いたので買い物に行こうということになりました。交差点には沢山の人がいたのですが、帽子もマスクもサングラスもしてないタクヤが立っていても誰も気づきません。気づかないわけではなく、まさか本物のタクヤがこんなところにいるわけがないと思っているのです。ましてや街中には彼の服装を真似た偽タクヤが沢山いました。本物の彼を偽タクヤだとしか認識していないのだろうとして、著者は「僕が彼に『全然気づかないんだね』というと、彼はやんちゃそうに笑って言った。『一瞬で気づかれる方法教えてやろうか?』」と言いました。どういう方法なのか? 「俺、タクヤです」とでも言うのか? それとも目の前に立っている女性をバックハグして「俺じゃ駄目か?」とドラマの名台詞でも言うのか? そんな糞ダサい方法ではありませんでした。タクヤは交差点の反対側に立つ女性の目をじっと見つめました。すると、その女性は「え!?」となりました。本物が立っていることに気づいたのです。そしてその女性が「えー!?」と黄色い声を上げると、その気づきが交差点にいる女性に一気に伝わっていき、数秒のうちに全員が僕の横に立つ「本物」を見て「キャーーーー!?」と言ったそうです。著者は、「あの光景は『モーゼの海割り』的なものとして僕の記憶に強烈に残っていた」と述懐しています。

オートレーサーを目指す仲間が抜けた後のSMAP5人の仕事の時、タクヤはいつも決めるべき場所で決めてきました。生放送の放送終了直前に、ボウリングでストライクを決めて最高のエンディングを作ったり、バスケでロングシュートを決めたり、アーチェリーで最高得点を射止めたり。最後の最後にタクヤがビシッと決めて奇跡を起こしてきたのです。著者は、「彼らはそういう時、余計な言葉を口にしない。『やってくれる』と信じるのだ。それが彼らなりのやり方と絆と信頼。そして友情。だからタクヤが会見に出て行く時も何も言わなかった。タクヤは『頑張るのは当たり前でしょ』とよく言っていた。手を抜かない。彼の性格をよく分かっているからこそ、何も言わずに、最高の緊張状態のまま送り出した。タクヤはたった1人でファンに結婚の報告をしたのです。最高の会見をやってのけた彼を、リーダーは、ゴロウチャンは、ツヨシは、シンゴは、笑顔で迎えました。著者はその言葉を聞き、後ろを向きました。涙が出たからでした。著者は、「アイドル冬の時代にデビューし、先輩たちのように華々しく売れることなく、他のアイドルたちが進まなかった道を、自分たちで切り開いて進んできた彼ら。メンバーが1人抜けて、最大のピンチを迎え、そこで5人でまた手と手を強く握ってやり遂げてきた。そして国民的アイドルとまで言われるようになった彼らのメンバーの1人が結婚するという、想定外の出来事」と書くのでした。

第5章「WELCOME ようこそ日本へ」では、スマスマに高倉健をはじめとする大物俳優たちが出演し続け、話題をさらったことが紹介されます。人気の俳優たちは、番組を気に入って、2回、3回と出演してくれることもありましたが、やはり最初に出演した時の「緊張感」が、視聴者が見たいところでもあったといいます。そうなると、日本の俳優で、初めて出てくれる「大物」は少なくなっていました。そこで制作側は、ある戦略を立ち上げました。ハリウッド俳優と、アメリカのミュージシャンに出演してもられるように頑張るという戦略です。番組に出て、宣伝になるとなったら、出てくれる流れが出来ると思ったわけです。著者は、「映画会社、レコード会社、片っ端から声をかけていく。番組の会議で、今後どういう人に出てもらいたいかキャスティング案を出し合うのも大事だった。これまでも、この先始まるドラマや日本の映画の情報を収集してキャスティング案を出し合っていたのだが、映画雑誌や映画の情報サイトなどで今後公開されるハリウッド映画の情報などを見て、アイデアを出していくようにした」と書いています。

スマスマの制作側がどんどん声をかけていくと、来日情報を教えてくれるようになり、そして、番組に出演してくれるようになりました。キャメロン・ディアスやマドンナといった大物も出演してくれました。そして、ついには世界最高のスーパースターであるマイケル・ジャクソンが2006年5月31日にマ同番組のスタジオをサプライズで訪問し、SMAPの5人と対面したのです。世界的スーパースターの前で国民的スター5人が。ただ嬉しそうに、はしゃいでいました。同番組のプロデューサーは、5人のその姿を見て、とにかくホッとした顔をしていたそうです。マイケル・ジャクソンが来たことは最高に嬉しいのですが、一番嬉しかったのは、今まで10年以上やってきた彼らがマイケルの前で見せた、少年の時に戻った顔を撮影出来たことだったのです。プロデューサーの粘りと根性、テレビ局の勇気ある決断により、マイケル・ジャクソンの日本でのバラエティー出演という奇跡が叶いました。このマイケル・ジャクソン出演は、ビッグニュースとなって日本中を駆け巡りました。番組は高視聴率を記録しました。番組開始から10年が過ぎて、若いチームで一丸となって、あらためて、彼ら5人の番組が日本一であることを見せつけたのです。

第5章「とってもとっても僕のBEST FRIEND」では、旧ジャニーズ事務所でSMAPの後輩にあたる「嵐」の人気が急上昇してきたことが紹介されます。著者は、「時代は変わる。永遠はないことを歴史が証明している。彼ら5人は依然、国民的アイドルであり国民的スターであることには違いなかったが、彼らの後輩の5人組のグループも着実に人気をつけて、日本に嵐を巻き起こしていた。日本は東日本大震災から2年が過ぎ、時代は「和」を求めていた。求められていたのは『安心』だった。嵐を呼ぶ5人は、まさに時代に合っていた。その5人には常に『わちゃ』があった」と書いています。そして、SMAPの5人。リーダー、タクヤ、ゴロウチャン、ツヨシ、シンゴはさらにソロの仕事も増えていました。国民的スターであることに間違いはありませんでした。

メンバー自身がたまに自分たち5人をウルトラマンに例えることがあった。日頃は1人で戦っているけど時折集結するウルトラ兄弟のようだと。
彼ら5人が揃った時にあるのは「緊張感」だった。それはメンバーのほとんどが40代に入ることもあった。
彼ら5人が揃っている姿を毎週見ることが出来るのは、月曜22時の番組だけだった。
かたや嵐を呼ぶ5人は、彼ら5人とは逆だった。常に友達のように仲良く、そこに緊張感はない。レギュラー番組も5人で一緒にやるものを増やした。その5人の「わちゃ」感は国民に愛されていった。
彼ら5人も国民的スターであることに間違いなかったが、若い世代を中心に人気が出ていった嵐を呼ぶ5人も、世代を広げて国民的人気アイドルと呼ばれていた。
それぞれがソロでも圧倒的な存在感を示す緊張感のある国民的人気グループと、その「わちゃ」が愛される新たな国民的人気グループ。
彼ら5人がその後輩をどう思っていたかは分からないが、当然、かなり意識していただろう。
(『もう明日が待っている』P.156~157)

フジテレビ以外の他局は、スマスマの裏番組に力を入れました。その代表が、日本テレビ系列で2008年7月12日に放送開始した「しゃべくり007」で、ネプチューン、くりいむしちゅー、チュートリアルといった人気のお笑い芸人たちがレギュラー出演しました。著者は、「月曜22時の同時間帯。汐留の局のその番組は7人の腕利きの芸人たちがしゃべりまくるもの。2008年にスタートしてから、徐々に話題を呼び、人気になり始めて、かなりのヒット番組に成長していた。その7人の番組の視聴率はどんどん上がっていき、僕たちが作る5人の番組と熾烈な争いを繰り広げていた。7人の番組の方が勢いがあるように見えた。若者世代はそっちを見ている空気感があった。以前こっちの番組にゲストで出演していた俳優がその番組に出ると、悔しい思いがした。キラキラして見えたからだ」と書いています。

嵐の「わちゃ」に対抗すべく、SMAPも「わちゃ」を演出する企画が考えられました。スマスマ内での5人旅です。SMAP結成25周年を記念して2013年4月8日に行われた初めての5人旅で、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)から、レンタカーで有馬温泉に向かいました。二次会に訪れた温泉旅館内のカラオケスナックで中居正広が大粒の涙を流した様子も放映されました。当時大きな話題を呼んだ5人旅でしたが、その裏話が興味深かったです。著者は、「スタッフが一丸となり、『5人を信じる』企画が始まった。旅の出発地は大阪に決めた。大阪をスタートにして、彼らが自由に行き先を決めて旅をする『ように見せる』企画だった。彼ら5人がUSJのアトラクションの音楽を担当した頃だったので、大阪出発にすれば彼らはまずUSJに行くことを考えるはずだ。5人がそこで遊ぶ姿も見たかった。USJで遊ぶ姿が撮影出来ることは番組にとっても大きな保険となる」と書かれています。

しかし、最初に訪れたコンビニから、昼食に訪れたお好み焼き店も、すべてスタッフの企み通りだったそうです。コンビニは5人一緒にセブンイレブンのCMに出演していたので問題ないとしても、問題は昼食の場所でした。著者は、「5人は店に入る時に、必ず自分たちがCMをやっている企業のことを意識するはずだ。リーダーはカップ麺のCMに出ているから麺類は気にするはず。タクヤはカレーのCM。シンゴはピザ。他にもある。それらの店には入ろうとしないはずだ。だから、そういう店を外して、大阪に来たら食べたくなる大阪っぽいものを探した。その中でロケがしやすそうなお店をいくつか見つけた。そのうちの1軒が、あるお好み焼き屋さんだった」と書いています。これを読んで、わたしは唸りました。

第7章「くじけずにがんばりましょう」では、2011年3月11日に発生した東日本大震災について書かれています。SMAPといえば「東日本大震災」のイメージが強いですが、地震発生直後の著者の文章には非常時の緊張感が見事に表現されています。このような文章は多いですが、これは特記すべきと思いましたので、以下に紹介します。

福島第一原発のニュースが入る。
地震だけではなかった。原子力発電所の事故。
映画以外でこんなニュースを聞くとは思わなかった。絶対ないって思っていた。
テレビに映し出されたそれは、爆発し煙を上げていた。
日本人が経験したことのない史上最悪の事故。
この事故が起きても、どういう事故なのか? このあと、どうなるのか? 被害状況などは明らかにされず、SNSでは様々な噂が日本中を飛び回った。
それを見て、思った。
「逃げなきゃいけないんじゃないか」
土曜日、
日曜日、
月曜日、
テレビにバラエティーが戻ることはなく、繰り返し流れる津波の映像で嫌になる。
破壊された日本の様と尋常じゃなく増えていく被害者の数。
福島第一原発では事故が収まる様子がない。そして何が起きているのかが明かされない。
放射能が日本に放出されていくんじゃないかというかつて感じたことのない不安と恐怖。
もうバラエティーなんか二度と放送されなくなるんじゃないか?
それどころか、東京に、いや、日本に住めなくなるんじゃないか?
(『もう明日が待っている』P.192~193)

東日本大震災発生から10日後の2011年3月20日22時にお台場のフジテレビから「SMAP×SMAP」の緊急生放送が開始されました。リーダーは「節電も大事だけど、節TELも大事だ」と気づいたことを伝え、「自分たちが20年以上やってきて、なんて微力なんだろう」と言いました。この言葉に全員が強くうなずきました。ツヨシは子供からのファックスを読んで、「大人の僕たちがしっかりしなきゃいけない」と言い、「偽物だと思われても、何が出来ることを発信しなきゃいけない」とも言いました。ツヨシの優しい口調から出るこの言葉はとても強く感じられました。ゴロウチャンは時間が経って、本音で思った「こういうエンターテインメントみたいな、明るいものを通じて一瞬でもいやすことが出来るならその一瞬のために僕らは頑張らなきゃいけないんだ」という言葉を口にしました。リーダーもタクヤもゴロウチャンもツヨシもシンゴも、自分の言葉を、思ったことを、伝えたのです。

リーダーは、視聴者からFAXで届いた「私は看護師をしています。新人の頃、師長さんに『人を支えるのは共に泣くことだけではない。患者さんが思い切り泣けるような環境をつくることだ』と言われました。支える人は倒れてはいけないのです。いつでも被災者の方々が寄りかかれるように一人一人が強くなろう。今はしっかり働いてお金ためて、いつか看護師として被災地へ行きたいと思います。それが私の出来ること」というメッセージを伝えました。最後に、シンゴがアメリカに住んでいる人の「私はアメリカ在住です。こちらでも毎日のように大震災のニュースが流れています。海外にいる自分にも出来ることを考え、義援金を送らせていただきました。今、私のお腹には小さな命が宿っています。この子は将来の日本を担う1人です。これから生まれてくる命は希望となります。私の使命は、お腹の子を無事に産むこと……小さな灯りが日本を灯しますように」とのビデオ・メッセージを紹介しました。このVTRを受けて彼らは「こういう時に、元気、勇気、希望、言い続けてきた言葉が大切だ」と言いました。さらに、ゴロウチャンは「冷たい心を温めるのは人の心にあるものだから」と言いました。

彼ら5人は、この2011年から、ずっと被災地の人を応援し続けてきました。彼ら5人とマネジャーのイイジマサンとスタッフの思いで、翌年からも3月になると、被災地を訪れて復興していく様子を見せ、その中でもまだ悲しみを背負っている人たちを励ましました。著者は、「ずっと。番組の最後には、募金の告知を流した。毎週、1回も欠かすことなく。2012年、2013年、2014年、2015年。そして、2016年12月26日に終わりを迎えるその日まで。あの東日本大震災で、彼ら5人のおかげでがんばれた人は沢山いる。笑顔を戻した人もきっと沢山いる。だけど。そんな彼らにも。終わりが来る」と書くのでした。

第8章「20160118」では、いま「性加害疑惑」で渦中の人になっている中居正広について、著者が「いつも彼はグループを俯瞰的に見てきた。アイドル冬の時代と言われ始めた90年代。歌番組も減っていった。その中で、露出するとしたらバラエティー番組しかなかった。勢いのある芸人さんが続々と出てきて人気になり笑いを取っていく中で、アイドルがそこに出て行き勝負していくことはとても厳しかったはずだ。アイドルを飛び越えて『こちら側』に来ようとするな、という空気があり、みな、そこに重い扉を作った。だが、リーダーは、それを力ずくで開けていった。彼が開けたその扉を、メンバーは様々な形で通り抜けて、新たなアイドル像を作り上げていった。自分のことは二の次で、いつもグループとしての見え方を第一に考えていた彼だった。常に俯瞰しながらも、ど真ん中に立って戦い、グループを守ってきた」と書いています。

そして、2016年1月18日に緊急生放送された「SMAP×SMAP」での伝説の謝罪会見について語られます。あのとき、5人が話すシナリオを書いた人物こそ著者でした。しかし、著者が書き上げた原稿はジャニーズ事務所の上層部からダメ出しされました。そして、おそらくはメリー喜多川が書いた原稿を渡されました。著者は、「れから1時間後には始まってしまう生放送の中で、絶対に言うべき言葉が書いてあった。その言葉は、今まで25年以上一緒にやってきたメンバーの1人が社長に謝る機会を作ってくれたおかげで、「今、僕らはここに立ててます」というものだった。これを言わせることで、今回の騒動で「誰が悪いのか」をはっきりさせるものだった。でも、その「悪い」はその人にとっての「悪い」である。放送1時間前に、強烈な指示、いや、指令が下りてきたのだ。この一文を入れることでどうなるのかは、簡単に想像出来た。5人で説明するはずの生放送が、1対4の生放送になってしまう。そうではない放送にすることが一番大切だと思っていたのだが、そこをぼやかすことは許されなかった。その指令は絶対だった」と書いています。

放送は終わった。
時間が経つごとに、人々がその日の放送を見てどんな思いをしたのか? が伝わってきた。
黒いカーテンだったことから「葬式」と呼ぶ者もいた。
翌日からワイドショーでその「映像」が使われた。
日本のテレビ史上で唯一無二。史上初の放送となった。
視聴者の誰にも望まれていない放送に。
その放送にスタッフとして、放送作家として参加した僕も戦犯である。
だから。
僕はテレビ番組を作る人間として。あの時。終わったのだと思う。死んだのだ。

みんなが20年間作り続けてきたものが。
たった一夜の放送で。
破壊された。
奪われた。
地震や津波は一瞬にして沢山の人の命と希望と未来を奪う。
そのたった一夜の放送は。
一人の「カミ」がもたらした、エンターテインメントに起きた震災。
僕の目にはそう見えた。

そして・・・・・・。
彼らの解散が発表になった。
(『もう明日が待っている』P.261~262)

第9章「もう明日が待っている」では、2016年12月26日の「SMAP×SMAP」最終回の最後に「世界で1つだけの花」を歌ったときのことが書かれています。事務所の上層部の思惑で強引に解散に追い込まれたSMAPの5人でしたが、著者は「でも、リーダーはその中で、出来ることをやった。ずっとグループを守ってきたリーダーが。歌の途中、リーダーが右手を上げて、カメラに向かって、親指を曲げ、人差し指、中指、薬指、小指。5本の指を曲げてグーを作り、そして握った拳を開き、手を振った。5人からのありがとう。5人からのさよなら。国民的グループとして、沢山の人に幸せを与えてきた5人のリーダーとして、その場で出来ることがそれだった。右手だけで伝えた。

歌い終わりカーテンが閉じて。
終わった。
あまりにもあっけない終わりだった。

リーダーは涙をこらえきれず後ろを向いた。
みな、こらえていた。
泣くべきじゃないと思って我慢していたのだろう。だけど。
リーダーはこらえられない涙を流した。
こんな涙は流したくない。
モリクンが卒業した時の涙とも、5人旅で流した涙とも違う。
だけど、これが彼の精一杯だったのだ。
(『もう明日が待っている』P.267~268)

「世界で1つだけの花」を歌い終わって、メンバーがスタッフの1人1人と記念撮影をしてからスタジオを出ていきました。すると、帰ったはずのシンゴが1人戻ってきたそうです。誰に声をかけるでもなく、さっとスタジオに入っていくと、美術さんがセットをバラしている中で、自分たちが歌った最後のステージに近づき、そっとキスをして、帰っていったのだそうです。著者は、「彼なりの『さよなら』と『ありがとう』だったのかもしれない。その姿を見て、やっと涙が出た。12月26日の夜に放送された番組の最終回。その放送の最後にも。募金の告知は流れた。ずっとずっと続けてきた。そして、終わった。。。。。」と書いています。

ブログ「中居正広の引退発表に思う」に書いたように、国民的アイドルグループだったSMAPの元リーダーである中居は、SMAP解散後も芸能界のトップに君臨し続けました。しかし、今回のスキャンダルで、テレビもラジオもすべての番組を失い、芸能界引退を発表。一方、木村拓哉はこれまで目立った女性スキャンダルを報じられていないこともあって、ネットではキムタクをあらためて見直す声も多くなっています。SMAPの過去映像は、テレビ各局でお蔵入りにされることが決定的になりました。いずれにせよ、ブログ「消えたSMAP再結成」にも書いたように、犬猿の仲であるという中居氏と木村氏の2人が和解することはないでしょう。著者は、「タクヤは、どんな声が聞こえても振り返ることなく、自分の船を力強く全力で漕いで進んでいる。手を抜くことなくいつも本気で。メンバーの中でも唯一人、事務所に残り続けている。その事務所にも大きな変化が訪れた。去って行く者も増えたが、彼は自分を信じて、戦い続けている。タクヤはずっとタクヤだ」と書いています。

最後に、著者は「昨年、ふと、あの日の最終回。録画してあった放送を久々に見ようと思い、見た。彼ら5人がテレビ界で大きな革命を起こし、アイドルという存在と立ち位置を強烈に変えてきた。その歴史が映し出される。最後の歌まで見終わったあとに、もう一度、歌のシーンを見ようと思い、巻き戻した。その時、あることに気づいた。巻き戻しながらあのシーンを見ると。リーダーが右手を上げて親指を曲げ、人差し指、中指、薬指、小指。5本の指を曲げてグーを作り、そして握った手を開く。そこには花が咲いていた。リーダーは、最後の最後に胸を張り右手を挙げて、一生懸命咲かせた。世界に1つだけの花を。いつか、もしかしたら、こうやってやるつもりなのかもと勝手に想像してみたりした。もしかしたら、リーダーはそのことまで考えてやっていたのかもしれない……」と書いています。

本書を読み終えて、長年SMAPと伴走してきた著者だけあって強い「SMAP愛」を感じましたが、中でも特にリーダーに対する「中居愛」を感じました。本書が書かれ、出版された時期は中居正広の性加害問題が明るみになる以前ですが、当人の中居正広が芸能界を引退し、スマスマを放送したフジテレビが存亡の危機にある今、著者は何を考えているのでしょうか? わたしは、そのことが最も気になります。果たして、彼ら5人にまだ明日が待っているのでしょうか?