No.2381 エッセイ・コラム 『透明を満たす』 渡邊渚著(講談社)

2025.02.25

『渡邊渚フォトエッセイ 透明を満たす』渡邊渚著(講談社)を読みました。著者は1997年4月新潟県阿賀野市生まれで、現在27歳。元フジテレビのアナウンサーですが、一連のフジテレビ問題の文脈でネットなどでよく取り上げられていますね。大物芸能人からの性被害の当事者とも言われていますが、そういった話題性もあって注目されている本です。当然ながら、ベストセラーです。

本書の帯

カバー表紙には淡いブルーのノースリーブ・ワンピースを着て笑顔の著者の写真が使われ、帯には「病や逆境があったって、私は人生を諦めない」「元フジテレビアナウンサーの著者による50000字超のオール書下ろし」「80ページに及ぶ充実の撮り下ろしも収録」とあります。

本書の帯の裏

帯の裏には、「自分が手にしていたものややりたかったことなど、いろんなことを諦めた。誰も信用できないし、何の目標もなく、生きることを投げ出したくなる日もあった。だけど私は今のところはほんの少しだけ生きることを諦めない意思のほうが大きい気がする。(本文より)」と書かれています。

アマゾンの【本の説明】には、「フリーランスとして新たな活動をスタートさせた、渡邊渚のフォトエッセイが刊行決定。本書のために書き下ろされた長編エッセイと、新境地を感じさせる充実のフォトパートで構成される一冊です」と書かれ、【渡邊渚コメント】として、「このフォトエッセイは、渡邊渚を知っている人はもちろん、生きづらさを感じている人や病と闘っている人、それを支える周囲の人、同世代の将来に悩む女性など、様々な人たちに届いて欲しいと思って制作しています。この本のために書き下ろしたエッセイと、新しい自分を表現した写真たち。27歳の今を全て出し切るつもりで、ただいま絶賛執筆中です。みなさんの心に私の言葉たちが届くように思いと願いを込めているので、手に取っていただけたら嬉しいです。(2024年11月28日 記)

一読して驚いたのは、著者の文章のうまさです。処女作ということで出版社の編集者がサポートしたのかとも思いましたが、全体を通してまったくブレがない。おそらくは本人がすべて書いているだと思います。著者は慶應義塾大学の出身ですが、第1章「これまで」の「私を育んだ家族と故郷――金色の稲穂と銀色の雪景色の中で」によれば、お母さんが教育熱心だったようで、母の勧めで著者は幼稚園児のころから、『枕草子』や『平家物語』、『徒然草』などの古典文学をはじめ、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』や福沢諭吉の『学問のすゝめ』を暗唱していたそうです。著者は、「はじめは意味もわからず音と文字として記憶し、暗唱を続けていくうちに昔の言葉や意味が自然と頭で理解できるようになった。妹と、どちらが早く覚えられるか競争する日々だった」と書いていますが、これはただごとではありません。非常に高いレベルの教養を身に着けていたことがわかります。

著者の文章のうまさは、「“完璧なアナウンサー”になるために――がむしゃらにのぼった階段のその先には」の冒頭に書かれた「2020年4月、ヌルっと社会人になった。ヌルっというのは、新型コロナウイルス感染症が流行り始め、大学の卒業式もなく、入社式もなかったからだ」という一文からもわかります。本来なら人生の節目になるであろうイベントがなくなって、学生の延長のような会社員生活の始まりでした。研修はすべてオンラインで、パソコンに流れる映像をボーッと見ているだけで入ってきた初任給はちっとも嬉しくなかったそうですが、「ようやく出勤できるようになったのは夏ごろで、社屋に社員として初めて入った時にやっと自分が社会人になったことを自覚できた」と書いています。

著者が新入社員のころに衝撃を受けた言葉があったそうです。理想のアナウンサー像について説諭された時、「入社して3年は恋愛するな。しても絶対にバレるな。アナウンサーは人気勝負。現場のスタッフから好かれることが大事だから、もし恋愛が週刊誌とかにバレたら、あなたを好んで起用してたおじさんたちが拗ねちゃうよ」と言われたことです。今考えればおかしな話だと気づきますが、当時は「テレビはそういう世界なのだ」「社会人はそれが当たり前」と鵜呑みにして、著者は生真面目にこの言いつけを守ったそうです。嫌われたらいけないと、人と接することに過剰に構えるようになった。「ノーと言ったら嫌われる、自分を使ってもらえなくなるのではないか」と思い、多少のハラスメントのようなことにも目をつぶったといいます。「そういうのにうまく対応できるのが一流のアナウンサーだから」と飲み会で言われた時は腹が立ちましたが、しょうがないと受け入れたのでした。

「心が殺された日――それから、私の生活は一変した」の冒頭には、「2023年6月のある雨の日、私の心は殺された」の一文があります。著者は、「仕事の延長線上で起きた出来事だった。それが原因で、私は“PTSD・心的外傷後ストレス障害”になった。PTSDとは生命を脅かられるような出来事(トラウマ体験)がきっかけで起きる精神疾患だ。PTSDになった要因のトラウマ体験は、私にとって一生消えない傷となった」と書いています。また、「あの日以来、私の生活は一変した」として、生きているような、死んでいるような。身体に力が入らないし、目に映る現実の世界と自分自身がとても遠く感じられるようになったといいます。

しばらくは「私は強いから大丈夫、自分一人で乗り越えられる」と本気で思っていたそうですが、明らかに見えている景色がおかしいことに気づき始めたとして、著者は「一番大きな変化が仕事中の視界だった。ニュースを読む自分を高さ3メートルくらいから見下ろしているようだった。浮遊しているように視界が揺れていて、何もかもが遠く感じた」と述べています。「“透明人間”――すべて消えてなくなって」の最後には、「誰かの悪意や悪巧みのせいで病気になって、すべてがなくなっていく。自分が大事にしていたことがどんどん失われていって、もし元気になっても、もう私が戻る場所はない。そのうち視聴者も私を忘れていく。そして、私も元の私を見失っていく。私は透明人間になった」と書いています。

「“PTSD”と診断されて――精神科病棟で過ごした夏」では、著者が医師から病名を告げられて、初めて自分がPTSDという病気であることを認知した時、正直なところ、少しホッとしたことが明かされています。これまでの自分がとってきた行動や感じてきたことは、自分がおかしいのではなく、病気のせいなのだとわかったからです。著者は、「普段の自分なら絶対にしない自分を傷つける行為を衝動的にしてしまったことも、自分が自分じゃないみたいな恐怖も、すべてPTSDによるものだと知って、腑に落ちた。PTSDという病名がついて、少し心が軽くなった」と述べます。

「退院へ――励ましの声に背中を押されながら」では、精神科病棟で過ごした後、ようやく退院を迎えた時のことが書かれています。退院の日、著者は主治医の先生に、外の世界が怖くて、せっかく退院しても悪化するのではないかと素直に話したそうです。すると、先生が「また戻って来れるから。無理だと思ったら帰って来れるから」と言ってくれて心強かったそうです。看護師さんたちは、「本当はね、一度退院した患者さんがまたこの病棟に戻ってくるのは良くないことだけど、辛くなったらいつでも戻っておいて。ここはずっと安全だから」と言って見送ってくれたとか。ここにはケアの真髄があります。わたしは、大きな学びを得ました。そして著者は「大海原に出る生まれたばかりのウミガメのように、私は病院を出た」のでした。これも悲しいぐらいに名文ですね。

「危惧していたこと――元には戻らない日常をあがいていく」では、2ヵ月ぶりに自宅に戻ったものの、すべてがうまくいかず、日常生活を送るのにも困難な日々が綴られています。主治医とも話し合い、あまりにおかしくなりそうな時や自殺を考えてしまう時は絶対に自分を傷つけることはしないで即入院する、というのは今なお続いている約束だそうです。そして日々先生から言われ続けたのは「こちらから手を離すことは絶対ない」という言葉でした。著者は、「絶対に放置しないし、見なかったことにはしないし、私がいなかったことにはならない、と常々伝えてくれた。社会と隔絶される日々が長く続くなかで、その言葉は私のお守りになった」と書いています。

「前進――“持続エクスポージャー療法”への挑戦」では、2024年4月、春風と共に少しだけ前に進んでみたいと思うようになった著者が、以前から主治医に勧められていたPTSDの専門治療、“持続エクスポージャー療法(PE)”を始めることにしたことが明かされます。著者は、「持続エクスポージャー療法とはPTSDに対する治療法のなかでもっとも効果があると言われているものだ。とはいえ、すべての患者が良くなるというわけではないが、私の場合は週に1回90分のカウンセリングへ通い、安全な環境であえてトラウマの記憶に触れて整理し、不安や恐怖に慣れることで、トラウマを乗り越えていくことを目指した」と書いています。

第2章「今と、これから」の「『死ぬ瞬間の5つの後悔』――“高校生の自分”が教えてくれたこと」では、著者が高校1年生のときに『死ぬ瞬間の5つの後悔』ブロニー・ウェア著、仁木めぐみ訳(新潮社)という本を読んだことが紹介されます。同書は、死を覚悟したときに多くの人に共通する「後悔」について書かれた本で、数多くの患者を看取った女性介護人が老若男女の「最期」の言葉を振り返った内容です。そこには、「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せを諦めなければよかった」という5つの後悔を死ぬ前にするということが書かれていました。

その本を読んだ感想が書かれている高校生のときの日記を読んでから、この5つの後悔が著者の頭から離れなくなったそうです。中でも、著者自身は働きすぎて友人や家族と過ごすプライベートを大事にしなかったことを最も後悔したといいます。著者は、「トラウマになった日が1度目の精神的な死で、自分を傷つけて身体的な死を求めた日が2度目の死だとしたら、私はその2度の死を乗り越えている。そして死ぬ間際にする5つの後悔を身をもって理解したうえで、今を生きている。だから今の私は、自分のやりたいことをやって、行きたい場所に行って好きな人に会って、自分の心を優先させてもいいんじゃないか、それが自分らしく生きるということなのではないかと思うようになった」と述べています。

今でも著者は、生きることが絶対的な正解だとは思わないそうです。死んだ方が楽になれると本気で思っていましたし、死ぬことは人生に失敗したからではないので、死ぬのが悪いとはこれっぽっちも考えていないといいます。ただ、もし自分がまた死のうとしていたら、自分の心に「何の後悔もない? すべてやり切った? 自分の人生に満足できた?」と聞くだろうとして、著者は「もしやり残したことがあって人生に満足していないとほんの少しでも思うなら、これまでの自分を捨てて別人のようになって生きたっていい。5つの後悔を知った今の私なら、何度立ち止まっても、私は私を諦めないだろう。そして私は、幸せになるために生まれてきたと、今、胸を張って言える」と述べるのでした。

「光をくれた言葉たち――命を救うのは医療だけではない」では、「幸せな未来は絶対来る」として、著者は「トラウマになった出来事が起きてすぐのころ、私はもうまともな人生を歩めないのではないかと不安を口にした時に、心から信頼している知人の女性から言われた言葉。『絶対とか何を根拠に!』と思うかもしれないが、ずっと暗闇は続かない。これは本当にそう。永遠に辛いことしかないなんてことは本当にない。だから、希望を捨てないで。暗闇にずっといた私が言うのだから信じて欲しい。幸せな未来は絶対来る」と述べています。これは著者の祈りでもありますが、著者がそう本気で信じたら、幸せな未来は絶対に来ると、わたしも思います。

「“救いの手”のありか――あなたの手だって誰かの助けになる」では、著者のインスタグラムによく「病気の友人になんて声をかけていいのかわからない」という質問が届くことが紹介されます。著者なりの答えとしては、「声をかけるだけがサポートじゃないと思っている。言葉にするということは本当に難しく、それで本当に励ますことができるなら素晴らしいが、私の場合は周りからの励ましを素直に受け入れられない時期もあった。『絶対良くなるよ!』みたいなエールを言われても、『何を根拠にそんなことを? 私が歩けないしご飯も食べられない現状も知らないくせに』とひねくれた感情を抱いたこともあった。特に入院したばかりの頃は何も受け入れられず、そばにいてちゃんと向き合ってくれる医療従事者の方々の言葉しか聞こえなかった。そんななか、特に記憶に残っているのは、先述したソーシャルワーカーさんが一緒に泣いてくれたことだ。痛みを分かち合ってくれる人がいて、心が軽くなった。そこに言葉はいらなかった」でした。この言葉は、ケアの本質を衝いていると思います。

「“心の声”を言葉にしよう――メンタルヘルスへの理解が進んだ世の中へ」では、日本の学校教育においては、2020年台に入ってようやくメンタルヘルスにまつわる教育が始まったことが紹介されます。しかし、もうすでに世の中に出ている、今まさに働きざかりの世代にはその学びはありませんでした。著者は、「我慢が美徳とされがちな日本社会において、“精神疾患=弱い”といった偏見を正すための知識や理解は子どもはもちろん、大人にとっても必要不可欠だと思う」と述べます。また、「もう、諦めない――パリに向かった最大の理由」では、「私はたまたま良い医師に出会えて、自分に合った治療を受けられて、ここまで回復できた。しかし、これがたまたまであってはいけないと思う。まだまだ精神的な病に理解が浅い日本は、痛みを感じる人が必ず適切な治療を受けられて、優しさに包まれた健康的な日々を送れるように、社会をアップデートしていかなければならない」と述べています。

「SNSと私の距離感――どんなに批判的な言葉が寄せられようとも」では、著者が病気になる前は仕事の一環として番組の告知を投稿するためだけに公式インスタをやっていましたが、今は積極的に自分のプライベートや悩みを明かしていることを紹介します。そんな発信をしていたら、「死ぬ死ぬ詐欺」「とっとと死ね」「病人らしく静かにしとけ」といったコメントが届くようになりましたが、正直言ってあまり傷つかなかったそうです。著者は、「そんな言葉よりPTSDになったきっかけの方がよっぽど辛かったから、ネット上の顔も見えない相手からの暴言は、『そうか~そう思う人もいるんだ』くらいにしか思っていない。むしろ会ったこともない人に攻撃的なワードを言える人間性に心配すらする。『私にそれを言うことでストレス発散になって他の人を傷つけないならいいか。まあ私はそんな人間にはならないけど』という落とし所を見出している」と述べています。この著者の言葉を読んで、嬉しくなりました。

「病気になって良かったとは思わない――その先に見えた透明な世界」では、PTSDになってから、著者は「自分がされて嫌なことは人にしないという幼稚園で習うような当たり前をみんなが忘れず生きていたら、誰も傷つくことなく過ごせるのに」と強く思うようになったそうです。これは『論語』の「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」という孔子の言葉や、ユダヤ教の『タルムード』にある「あなたの望まぬことを、あなたの隣人に対してしてはならない。これが法のすべてである」という言葉にも通じる人類の普遍思想です。著者は、「人の尊厳を踏みにじったり、人の権利を侵さない、そういう不法行為をする人間が逃げ隠れできない透明性の高い世の中になってほしいと願う」と述べます。

最後に、著者は「人生は、ある日突然誰かや何かによって壊され、終わってしまうかわからない。だから後悔しない選択をしてほしい。そして、辛かったら泣いていい。弱さは誰にでもあるものだから。もし痛みが治らず悪化しそうになったら、我慢せず、必ず誰かに話したり病院へ行くこと。もう根性論でどうにかする時代じゃないから、怖がらず恥ずかしがらず助けを求めに行ってほしい。あなたの人生はあなたのもの。誰にも奪えない。真っ暗な日々は永遠には続かないし、絶対に夜は明ける。だから生きたい人生を諦めないで。幸せを欲張って生きていて欲しい。これが透明人間になった私が人生を振り返った時、透き通って浮かんできた言葉だ」と述べるのでした。

この最後の「これが透明人間になった私が人生を振り返った時、透き通って浮かんできた言葉だ」には唸りました。著者の言葉の豊かさ、表現力には非凡なものがあります。それは幼少期の頃からの読書体験に基づいているのでしょうが、本書を読めば著者が豊かな教養の持ち主であることがよくわかります。それだけに巷で噂されているように、また本書の行間から垣間見えるように、著者が心無い性被害に遭ったことは残念でなりません。だて、性加害者というのは、この世で最も教養のない人間ということですから。礼も法律もコンプライアンスも知らない、ただ獣のように己の欲望に忠実な者が性加害を犯すのであり、そういう輩は無教養の極みと言えるでしょう。

本書を読んで、正直、「フォトエッセイではなく、エッセイにした方が良かったのでは?」と思いました。その方が著者の言葉の豊かさや輝きがさらに際立つからです。でも、入院中に肌がボロボロになって絶望したということが書いてあったので、きっと「肌を綺麗にしてグラビアを撮影する」ということを励みにしていたのかもしれません。実際、著者の写真はどれも美しいですし、肌も綺麗で笑顔はチャーミングです。それにしても、これほどまでに絶望の淵にあった人が絞り出す言葉にはものすごい力が込められていると思いました。言葉の力は「呪い」にもなれば「祈り」にもなります。SNSでは心無い「呪い」が飛び交っていますが、本書に綴られた著者の言葉は「祈り」そのものだと思いました。

本書に類書があるとしたら、『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・フランクル著(みすず書房)ではないかと思います。著者のフランクルは、アウシュビッツから生還したウイーンの精神科医です。彼は、第二次大戦中に強制収容所に送られた体験をもとに、『夜と霧』を著しました。彼が強制収容所に送られたのは、ユダヤ人であるというそれだけの理由でした。彼の両親、妻、2人の子どもも収容所に送られ、ガス室で殺されたり、餓死したりしました。精神科医のフランクル自身は、生き延びる人々は約5パーセントであると見積もっていました。同時に、それだから落胆したり、希望を捨てる必要はないとも考えていました。なぜなら、いかなる人間も未来を知らないし、次の瞬間に何が起こるかを予想できないからです。フランクルは生きて地獄のような強制収容所を出ることができました。生きる望みも少なく、生きる目的も奪われた状況において、彼はなぜ生き延びることができたのでしょうか。彼は発想の転換が必要だと訴えます。

わたしたちが絶望しても、なおも、わたしたちが人生に何を期待できるのかではなく、反対に、人生がわたしたちに何を期待しているのかが問われるのだというのです。ナチスによるユダヤ人強制収容所から生還したフランクルの言葉と著者の言葉がわたしの中でシンクロしました。世の中には性被害によって心を病み、体調を崩し、働けなくなり、人生が狂ってしまった女性(あえて女性といいます)がたくさんいます。彼女たちのためにも、そして著者自身のためにも、著者がこれから良き人生を歩んでくれることを心から願っています。わたしの次女は著者の大学の2年後輩なのですが、著者のお父さんは本書を手にしたとき、涙を浮かべて「よくここまで頑張ったな」と著者に声をかけたそうです。その話を知ったとき、わたしも泣きました。