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No.2387 プロレス・格闘技・武道 | メディア・IT 『格闘技が紅白に勝った日』 細田昌志著(講談社)
2025.04.03
『格闘技が紅白に勝った日』細田昌志著(講談社)を読みました。「2003年大晦日興行戦争の記録」というサブタイトルがついています。著者は、1971年岡山市生まれ、鳥取市育ち。鳥取城北高校卒業後、中華料理店勤務、代行業、代筆業、結婚式の司会、リングアナウンサーなど職を転々としたのち、CS放送「サムライTV」の格闘技情報番組のキャスターに就任。その後、放送作家をへて作家に。 一条真也の読書館『沢村忠に真空を飛ばせた男』で紹介した3作目のノンフィクションで第43回講談社 本田靖春ノンフィクション賞を受賞一条真也の読書館『力道山未亡人』で紹介した近著で第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
本書の帯
カバー表紙には、曙をKOした直後のボブ・サップの背中の写真が使われ、帯には「日本格闘技界の一番長い日を追ったドキュメント」「一生のお願いです。タイソンと一緒にリングに上がって下さい」「親方、大晦日、ボブ・サップと戦ってほしいんです」「アントニオ猪木なら、何をやっても許されると思っているのか」とあります。
本書の帯の裏
カバー前そでには、「2003年の大晦日23時00~03分の4分間は、テレビ史上初めて、紅白歌合戦が視聴率で裏番組に抜かれた、歴史に残る4分間となった。最高視聴率43%を記録したのは、まさに曙がサップに倒された瞬間である」と書かれています。
アマゾンより
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アマゾンの内容紹介には、「2003年の大晦日、TBS、日本テレビ、フジテレビがいずれもゴールデンタイムに格闘技興行を放映した。なかでも、TBSが放送した「K-1Dynamite!」のメインイベントとして行われた「曙太郎vs.ボブ・サップ」の試合は、元横綱の総合格闘技デビュー戦でもあり注目を集めた。そして、曙が豪快にマットに沈んだシーンでは、裏番組のNHK紅白歌合戦を視聴率で上回る快挙となった。だが、派手な興行戦争の裏側では、選手の引き抜き、ギャラ交渉、放映権問題などを巡り、テレビ局、格闘技団体、選手、さらには興行に関わる裏社会の人間たちによる虚々実々の駆け引きが行われていた。決して表に出なかった内幕を徹底した取材で浮き彫りにする」とあります。
アマゾンより
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本書の「目次」は、以下の通りです。
序章 フジテレビショック
第1章 史上最大の格闘技ワールドカップ
第2章 石井和義逮捕
第3章 ミルコ・クロコップという奇跡
第4章 あの夏のタイソン
第5章 今年は日本テレビが中継
第6章 曙太郎対ボブ・サップ
第7章 猪木、雲隠れ
第8章 ヒョードル来日
第9章 大晦日狂騒曲
第10章 格闘技が紅白に勝った日
終章 勝者なき戦争
「あとがき」
「参考文献」
序章「フジテレビショック」は、中居正広の性加害疑惑から始まったフジテレビ問題が発生した2025年に読むとドキッとするタイトルですが、著者は「2003年の大晦日は『NHK紅白歌合戦』の裏番組として、TBSが『K-1 Dynamite!!』、フジテレビが『PRIDE男祭り2003』、日本テレビが『イノキボンバイエ~馬鹿になれ夢をもて~』(猪木祭)を放送するなど、空前の格闘技ブーム真っ只中にあった。しかし、その裏で団体間で選手の奪い合いが生じ、暴力団も入り乱れての恐喝と妨害が横行していたというのだ」と書いています。
第1章「史上最大の格闘技ワールドカップ」では、日本の大晦日といえば「紅白歌合戦」に「日本レコード大賞」の時代が長く続いたことが紹介されます。しかし、2000年代に入ると両番組の人気に陰りが見えてきました。そこで、レコ大のTBSが用意したのが格闘技でした。 1993年に「LIVE UFO」なるフジサンケイグループ主催のイベントの1つとして始まった立ち技格闘技「K-1グランプリ」は、96年に初めてフジテレビのゴールデンタイムに進出。97年には三大都市のドームツアーを成功させ、98年には日本テレビでも放送を開始するなど、格闘技のビッグイベントとして熱狂的な人気を集めていました。そこにTBSが目を付けたのです。著者は、「かつては沢村忠のキックボクシング中継でブームを巻き起こし、藤猛、具志堅用高、鬼塚勝也、畑山隆則ら時代に即したプロボクシングのスターを排出しながら、90年代以降の格闘技ブームには完全に出遅れていた。そのTBSが、折からのK-1人気に着目したのは自然の流れと言ってよく、K-1にとってもフジ、日テレに続きTBSの放映まで実現すれば前代未聞のことで、断る理由はまったくない。かくして、両者の思惑が一致する」と述べています。
「新しいことはやれない」では、日本テレビの格闘技戦略について言及しています。そもそも、日本テレビの最初の繁栄が、力道山のプロレスによってもたらされたことは、歴史的に紛れもない事実です。力道山の死後もジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲で人気を維持し、その後、内紛が起こると、馬場に独立を促して、全日本プロレスを設立させたのも、日本テレビが画策したこと。つまり、格闘技中継に無理解だったわけではなく、むしろ、先鞭を付ける側に回っていたと見ていいとして、著者は「その日本テレビが2000年代の格闘技ブームに取り残されたのは、1つに柔軟性に乏しい社風と無関係ではないだろう。日本テレビを主戦場にしていた知己の放送作家が『日テレでは新しい企画は通らない』とこぼしていたのを筆者は憶えている」と述べます。
「エグゼクティブプロデューサー」では、長年、日本のプロレス界に君臨したアントニオ猪木でしたが、1989年の参議院選挙に当選し、政治家となると、本職のプロレスは大会場のスポット参戦に限定されるようになったことが紹介されます。1998年4月4日に正式にプロレスを引退すると「世界格闘技連盟UFO」を旗揚げ。翌年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会において、UFO所属の小川直也に橋本真也へのシュート(叩き潰す行為)を指示した嫌疑をかけられたかと思えば、2000年3月11日に横浜アリーナで催された「第2回メモリアル力道山」では、ジャニーズ事務所に所属していたアイドルの滝沢秀明とエキシビションマッチを行うなど、現役時代以上にメディアへの露出は増加しました。著者は、「程なくして、猪木はPRIDEの会場に頻繁に姿を現すようになる。2000年8月27日の西武ドーム大会より『PRIDEエグゼクティブプロデューサー』に就任。以降、PRIDEのリングで『1、2、3、ダーッ』を叫ぶ猪木のパフォーマンスは恒例行事となった」と述べるのでした。
第2章「石井和義逮捕」の「2002年の石井和義」では、「K-1」の生みの親である正道会館館長の石井和義の逮捕が取り上げられます。2002年12月8日付の「読売新聞」には、《若者に人気がある格闘技イベント「K-1」の興行会社「ケイ・ワン」(東京都渋谷区)が、架空取引などの手口で1998年9月期までの2年間に2億円近い所得を隠し、法人税約6千万円を免れていた疑いが強いことが、7日わかった。(中略)東京国税局から告発を受けたうえで、近く同社と石井社長らを在宅起訴する方針だ》という記事が掲載されました。12日木曜日の午前には、東京地検特捜部の捜査員10数名が、渋谷区のケイ・ワン本社に現れ、証拠となる資料を押収するなど本格捜査に乗り出しています。著者が今も不思議に思うのは、一報が流れた時間のことだそうです。「東京ドーム史上最多動員記録」「ボブ・サップ対アーネスト・ホーストの大熱戦」「ホースト奇跡の代打優勝」とK-1が最も世間の耳目を惹いていた2002年12月7日夜10時という最高のタイミングで「脱税で在宅起訴へ」という最悪のニュースが流れたのです。
「東京地検特捜部」では、主に政界スキャンダルの告発に血道をあげてきた東京地検特捜部の対象は政治家に限った話ではないことが指摘されます。2006年の「ライブドア事件」と「村上ファンド事件」、2018年の「カルロス・ゴーン事件」、最近では日大前理事長・田中英壽による「日大背任事件」と著名な存在を狙い撃ちにした感は否めません。すなわち、石井和義の一件もその文脈から外れるものではなかったと見ていいといいます。『週刊新潮』編集部の藤中浩平氏は、「特捜って、実は週刊誌と同じ発想なんです。有名人をあげれば話題になる。特捜部の知名度も上がる。貢献度も高まる。同時に国民に周知される。それらが大きく報じられるから、犯罪防止にもつながる。つまり、彼らにとっての社会正義とは幾分、強引なものです」と語っています。著者は、「とすると、東京ドーム過去最多の観客動員を記録した大会の終了直後、ディレイ放送でテレビ中継の真っ只中に『石井館長 在宅起訴へ』という一報を流したのは、アナウンス効果以外の理由はなかったことになる」と述べるのでした。
第3章「ミルコ・クロコップという奇跡」の「サップとミルコ」では、ミルコ・クロコップの人気が爆発したことに言及します。K-1では思うように結果が残せず、伸び悩みながら、総合格闘技戦で藤田和之、永田裕志、桜庭和志と日本人ファイターを次々と打ち破り、新しいタイプのK-1のスターとなったミルコ・クロコップについて、石井和義の後を受けてK-1の代表となった谷川貞治は「ミルコが総合で結果を残したのは大きかった。この時期、PRIDEの快進撃があったでしょう。テレビ局の人に『総合格闘技のほうが新しい』みたいに思われてたけど、そういう“総合コンプレックス”をミルコが払拭してくれた。K-1ファイターが自信を持ったし、何よりテレビ局の人が『K-1は総合でも強い』って思ってくれた。だから、ミルコのブレイクは、実はK-1にとっても、格闘技界にとっても大きな出来事だったんです」と述べています。
第4章「あの夏のタイソン」の「敗北の歴史」では、K-1の歴史を振り返ります。1993年にK-1がスタートしたとき、中心選手だったのは日本人エースの佐竹雅紹でした。著者は、「彼がいなければK-1は旗揚げしていない。それは、断言していい」と述べます。1965年に大阪に生まれた佐竹は、高校入学と同時に正道会館に入門、恵まれた体格もあってすぐに頭角を現し、大学在学中の87年には正道会館の全日本大会を制し、その後、3連覇を達成。「打倒前田日明」を広言するなど、マスコミに注目される存在となりました。1990年には日系アメリカ人キックボクサーのドン・中矢・ニールセンとキックボクシングルールで対戦しKO勝ちを収め、翌年には前田日明の主宰する総合格闘団体・リングスに参戦、プロ格闘家としてのキャリアをスタートさせます。著者は、「この過程において得た知名度こそが、K-1を旗揚げする原動力となった。つまり、佐竹雅紹がいたから、K-1というプロジェクトが動き出したのである」と述べます。
第6章「曙太郎対ボブ・サップ」の冒頭を、著者は「創始者である石井和義の逮捕に始まり、人気者・ボブ・サップの失速、PRIDEとの決裂、ミルコ・クロコップのPRIDE移籍、ピーター・アーツのPRIDE移籍未遂……。災厄に憑りつかれたとしか思えない2003年前半のK-1において、石井和義からプロデューサー職を引き継いだ谷川貞治が、一発逆転ホームランを狙ったのは必然だった。狙いを定めたのは、プロボクシング元統一世界ヘビー級王者のマイク・タイソン。これまで、数々の格闘技団体が招聘を試みながら、実現に至らなかった超大物のタイソンをリングに上げることが出来たら、起死回生どころか、格闘技界の勢力図を一夜にして塗り替えることも夢ではない。谷川は「どうせ負けるなら、世の中を引っかき回してやろう」と思うようになっていた。あらゆる手を尽くしマイク・タイソン本人と接触した谷川は、何度も交渉を繰り返し、周到に準備を重ね、幾多の障壁を乗り越えた末に、8月のK-1ラスベガス大会のリングに、タイソン本人を上げることに成功した。余勢を駆って、契約金30万ドル(約3500万円)、1試合につき200万ドル(約2億3600万円)の複数試合契約を結んだ」と書きだしています。
「師匠のようにはなれない」では、元横綱の曙が格闘技に転向したことの発端は、「日刊スポーツ」の記者との他愛もない雑談からだったことが明かされます。「谷川さん、知ってる? 曙って最近、キックボクシングのジムに通ってるんだって」「曙?」「大相撲の曙親方だよ。引退したばかりなのに、レイ・セフォーやマーク・ハントと一緒に、パンチやキックの練習をして汗を流しているんだって。同じサモア系つながりで」といった会話が記者と谷川の間で交わされました。そのときは谷川は「ああいう巨体だとダイエットも大変そうですね」と聞き流しましたが、自宅に帰る頃には「待てよ」と思い直したそうです。九州場所で曙が博多にいるタイミングを狙って、石井と谷川は博多駅前の高級料亭に曙を呼び出しました。曙が姿を見せると、そのまま上座に座らせ、曙、石井、谷川の三者会談が始まりました。「大相撲の大横綱として一時代を築いた曙関が、格闘技でも大横綱になる日が来ました」の一言を号砲代わりに、石井はまるで襲いかかるように曙を口説きにかかったそうです。
「私が全部買いましょう」では、石井は曙に対して、「格闘技は勝てば勝つほどファイトマネーが上がっていきます。大相撲と桁が違う。億? そんなもんやない。10億、20億ですよ。手始めにボブ・サップをぶっ飛ばして、衝撃のデビューを飾りましょう。専門家の自分から見ても、横綱のパワーがあったら一発でしょう。大人と子供くらい違う。レイ・セフォーから『横綱とは戦いたくない』って聞いてます。来年の『K-1 WORLDトーナメント』は横綱で決まりちゃうかな。誰も勝たれへん。楽しみやわあ」と言いました。さらに、「今、協会の興行本部長やってるんですか。九州場所のチケット売ってる? 横綱が何でそんなことせんならんのです?」と怪訝そうに言うと、石井は分厚い財布を出して「手許にある分、出しなはれ。私が全部買いましょう」と言ったそうです。速射砲のように発せられる石井和義の弁舌に、巨大な岩のようだった曙がぐらりと揺れる瞬間を、谷川は確かにこの眼で見たのでした。
「空白の一日」では、2003年10月末に谷川貞治が東京都内の高級ホテルのスイートルームを押さえたことが明かされます。曙夫妻と最終会談を行うためです。谷川が「奥さん、もう一度、ご主人を表舞台に立たせましょう。このまま、腐らせておくわけにいきません。我々にとってはもちろん、日本国内にとっても大いなる損失です」と熱っぽく語ると、夫人は曙を見つめながら「どうするの」と尋ねました。曙は、はにかみながら「では、お世話になります」と言いました。「ということは、今年の大晦日は……」「K-1で、ボブ・サップと試合をします」「おお!」…成り行きを見守っていた石井和義が立ち上がり、冷やしていたドンペリを手に「祝杯あげましょう、祝杯や」と叫びました。「横綱の新たな門出に、日本の格闘技の新しい時代の幕開けに、乾杯!」「乾杯!」話はそれだけで終わったといいます。谷川は、「意外とあっさりしたもんでした。『奥さんを落とせば何とかなる』って見立ては間違ってなかった。それで『カンパーイ』ってやって、考える暇を与えずに、パパっと契約書にサインさせました。こういうのはスピードしかないから」と語っています。
「PRIDE史上に残る死闘」では、2003年11月9日、PRIDEの東京ドーム大会「PRIDE GP2003決勝戦」で、スーパーマリオブラザーズに扮して登場した桜庭和志が “ドンキーコング”こと元UFC王者のケビン・ランデルマンから、腕ひしぎ十字固めで勝利を収めたことが紹介されます。次いで、セミファイナル「PRIDEヘビー級暫定王者決定戦/アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対ミルコ・クロコップ」の煽りVTRが巨大スクリーンに映し出されました。本来なら「ヒョードル対ミルコ」のPRIDEヘビー級タイトルマッチが行われる予定でしたが、ヒョードルが右拳を骨折したことで「ノゲイラ対ミルコ」の暫定王座決定戦に変更になったのです。スクリーンの中のノゲイラは、「ミルコはまだPRIDEでイージーな試合しかしていない。俺の関節技を味わえば、総合格闘技の怖さを知ることになる」と自信満々に語りかけました。結果として、この試合が、PRIDE史上に残る壮絶な死闘となったのです。
「不気味な猪木祭」では、「曙太郎対ボブ・サップ」という突飛なカードをマッチメイクしたK-1プロデューサーの谷川貞治は、プロボクシング界のスーパースターであるマイク・タイソンを招聘するばく、あの手この手で働きかけていたことが明かされます。2003年12月6日に東京ドームで開催されるK-1の大会を見たいので来日したいという報告もありました。2003年12月11日付の「スポーツ報知」は「世界5大格闘王が集結」という仰々しい見出しとともに「K-1 Dynamite!!」の煽り記事を載せています。「世界5大格闘王」とは、バルセロナ五輪柔道金メダリストのハハレイシビリ・ダビド(グルジア=現ジョージア)、プロボクシング元IBF世界ヘビー級王者のフランソワ・ボタ(南アフリカ)、K-1 GP4度制覇のアーネスト・ホースト(オランダ)、極真空手世界王者のフランシスコ・フィリォ(ブラジル)、大相撲第64代横綱の曙太郎です。これだけでも凄いですが、2日後の「スポーツ報知」は、史上最年少IWGP王者である神威本プロレスの中邑真輔の「K-1 Dynamite!!」参戦を報じたのでした。
第8章「ヒョードル来日」の「長谷川京子って可愛いですよね」では、じつに興味深いエピソードが披露されます。ロサンゼルスから帰国した谷川貞治は、高級ホテル「ウラクアオヤマ」のスイートルームで、ある男の到着を待っていました。約束の時間から10数分後、部屋のドアが開きました。「遅くなりましたーっ」と言いながら大柄な男が入って来ました。貴乃花光司です。著者は、「若貴時代を築き、生涯のライバル・曙と名勝負を繰り返した第65代横綱は、幕内最高優勝22回、2003年初場所を最後に現役を引退し、この時期は一代年寄、貴乃花親方として後進の指導にあたっていた。貴乃花は開口一番『谷川さん、テレビで解説をされていますね。いつも見てますよ』と笑みを湛えて言った。その人心掌握術に感心しながら、谷川は単刀直入に切り出した。『横綱、本日、お時間をいただいたのは、ほかでもありません。今年の大晦日にヒクソン・グレイシーと戦って下さい』そう言って、曙にやったときと同じように、契約書を手渡した。貴乃花は『僕がですかーっ』と大袈裟に仰け反った」と述べます。ヒクソンvs貴乃花。なんと夢のあるカードでしょうか!
第9章「大晦日狂騒曲」の「内田恭子と高島彩」では、2003年の12月31日の午後8時半すぎ、フジテレビ「PRIDE男祭り2003」の場内の巨大スクリーンには、テレビの生放送と同じ画面が映し出され、実況席の音声が場内に響き渡ったことが紹介されます。著者は、「中央には実況の三宅正治アナウンサー。両脇にフジテレビが誇る人気女性アナウンサー・内田恭子と高島彩の両アナウンサーの姿が映し出されると、場内が大きくどよめいた。無理もない。内田、高島の両アナは、キャミソールのようなセクシーな衣装に身を包んでいるのだ。これ以降、二人はPRIDE中継となると、局アナとは到底思えない露出度の高い衣装を身にまとうようになるが、それも『PRIDE男祭り2003』から始まったものである」と述べています。現在問題となっているフジテレビの女子アナへの扱い方はすでにこの頃から露呈していたのですね。
第10章「格闘技が紅白に勝った日」の「場内騒然」では、「K-1 Dynamite!!」の模様が報告されています。ホノルルにいるマイク・タイソンが、スティービー・ワンダーのハーモニカ演奏に、満足したように拍手を送る姿がスクリーンに映し出されると、場内がどっと沸きました。国歌演奏が無事に終わると「スペシャルゲスト」として、ヒクソン・グレイシーがリング上に上がりました。曙とサップの両者に花束を渡すためだけに日本に招いたのです。バルセロナ五輪柔道金メダリストのハハレイシビリ・ダビド(グルジア=現ジョージア)、プロボクシング元IBF世界ヘビー級王者のフランソワ・ボタ(南アフリカ)、K-1 GP4度制覇のアーネスト・ホースト(オランダ)、極真空手世界王者のフランシスコ・フィリォ(ブラジル)、大相撲第64代横綱の曙太郎の「世界5大格闘王」に加えて、マイク・タイソンやヒクソン・グレイシーまで絡ませるのですから、いやもう「凄い!」としか言いようがないですね!
一方、NHKの紅白歌合戦の大トリはSMAPでした。歌うのは総売り上げ210万枚、2003年最大のヒット曲「世界に一つだけの花」です。場内の証明が一斉に落とされ、白いスーツに身を包んだメンバー5人にスポットライトが当てられました。まず、この年、次女が生まれた木村拓哉がマイクを持ち、「皆さん、眼を閉じて2003年を思い出して下さい」と言いました。続いて中居正広が「今年も世界中で、たくさんの尊い命が失われました」、稲垣吾郎「また、眼を覆いたくなるようなことも、たくさんありました」、草彅剛が「僕たちに、今、何が出来るのでしょう」、そして香取慎吾が「みんなが、みんなに、優しくなれたら幸せな未来がやってくると思います」と締めくくります。イントロが流れ始めると、NHKホールは一斉にどよめきました。最高の演出かと思われましたが、実を言うと、SMAPのメンバーだけで考えた完璧なサプライズだったそうです。SMAPの“勝利宣言”もあって、紅白史上初めて審査員11人全員が白組に投票、白組圧勝で紅白歌合戦は幕を閉じた。すべての戦いは終わりました。
「格闘技が紅白に勝った日」では、大晦日の23時00~03分の4分間は、テレビ史上初めて、紅白歌合戦が視聴率で裏番組に抜かれた、歴史に残る4分間となったことが紹介されます。このとき、K-1は「曙太郎対ボブ・サップ」の試合開始直前から試合終了までを中継していました。43%を記録したのは、まさに、曙がサップに倒された瞬間です。同じ時刻に、紅白は長渕剛が「しあわせになろうよ」を熱唱していました。著者は、「すなわち、K-1は長渕を倒して、文字通り『しあわせになった』のである」と述べます。23時04分に、K-1の視聴率が一気に急落している理由については、著者は「曙が倒された直後にCMに移ったからだ。もし、ここでCMに行かなければ、瞬間最高記録は23時10分程度まで更新され、おそらく、平均視聴率も20%を超えていたと想像がつく。大混乱として伝わる『民放3局同時格闘技中継』だったが、その副産物は“紅白越え”という前代未聞の快挙だったのである」と述べています。
終章「勝者なき戦争」では、著者は「大金が右から左に動き、テレビ局や裏社会まで巻き込みながら、暗闘に次ぐ暗闘を繰り広げた2003年大晦日の格闘技興行戦争は、TBS『K-1 Dynamite!!』が、瞬間最高視聴率40%超えを果たし『NHK紅白歌合戦』の牙城を崩すという、テレビ史に残る快挙を成し遂げた。フジテレビ『PRIDE男祭り2003』も第1部・平均視聴率17.2%、瞬間最高視聴率28.9%という、かつてない高視聴率を叩き出した。しかし、2006年3月から始まった『週刊現代』の特集記事がきっかけとなって、PRIDEは脆くも倒れ、その余波はK-1にも波及するなど、格闘技バブルは一気に終焉に向かった」と述べるのでした。本書は格闘技についての本でありながら、テレビについての本でもあります。あの頃、格闘技もテレビも輝いていました。あれからもう22年も経過したわけですが、わたしは今もあのときの「夢」と「ロマン」を記憶しています。三度の飯よりプロレスと格闘技が好きなわたしにとって素晴らしい時代でした!