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No.2389 オカルト・陰謀 『昭和の「都市伝説」』 「噂の真相」を究明する会(宝島SUGOI文庫)
2025.04.07
『本当に怖かった! 昭和の「都市伝説」』「噂の真相」を究明する会(宝島SUGOI文庫)を読みました。ユリ・ゲラー、矢追純一、ノストラダムス、オリバーくんに心霊写真など、昭和のオカルトは昭和カルチャーの中でも異彩を放っています本書は2016年に刊行した単行本『本当にヤバい!! 昭和の「都市伝説」大全集』を文庫で復活したものです。わたしは基本的に著者が「〇〇する会」といった本は読みませんし、ましてや書評を書くことはありませんが、本書はあまりにも内容が興味深く、各執筆者の考察も冴えているので、ここに紹介する次第です。
本書のカバー表紙には右からユリ・ゲラー、UFO、ノストラダムス、エイリアンの写真やイラストが掲載され、帯には「恐ろしい! 懐かしい! オカルトの世界!」「ノストラダムスの大予言! ユリ・ゲラーのスプーン曲げ 心霊写真 ネッシーetc.」「蘇る 衝撃のトラウマ」と書かれています。
また、カバー前そでには、「ユリ・ゲラーのスプーン曲げ、ネス湖のネッシー、ノストラダムスの大予言、心霊写真……。昭和のオカルトは本当に恐ろしかった。当時は子どもから大人まで、怖いながらもテレビにしがみつくように見ていたものだ。しかし、それらの多くが作られたものであったことは知っているだろうか。当時から川口浩探検隊やスプーン曲げが怪しいことは知っていたけれど、麻原彰晃が雑誌『ムー』のライターだったことはあまり知られていない。いまだからこそ明らかにできる真実を暴露しよう」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 ヤバい!!
UFOと宇宙人
第2章 ヤバい!!
超能力の世界
第3章 ヤバい!!
大予言と世界の終末
第4章 ヤバい!!
ネッシーとUMA
第5章 ヤバい!!
川口浩探検シリーズ
第6章 ヤバい!!
心霊ブームと霊能者
第7章 ヤバい!!
昭和「事件」都市伝説
「はじめに」の冒頭には、「マジで信じていたんだよなあ。本書制作に当たって、この台詞を何度聞いただろうか。取材する側、される側、この時代を知っている人ならば、誰もがそう口にしたほどである。それが『昭和オカルトブーム』という現象なのだ。本書をパラパラとめくってみれば、どれほど胡散臭くて、インチキっぽいか、今さら説明するまでもなかろう。若い読者ならば腹を抱えて笑う、そんなチープなオカルトネタを、子供だけでなく大人までもが信じ切っていた。本当にすごい話である」と書かれています。この一文は、あの時代の「すごさ」「異常さ」「ヤバさ」をよく表現しています。
70年代から80年代までの昭和時代は、戦後という時代の「青春」であったといいます。敗戦によって日本は、明治維新以後の近代日本のシステムを一旦リセットし、新たに「戦後」という新時代が到来しました。50年代の混乱期から60年代の成長期を経て、70年代にようやく一息つきます。その70年代の日本は、社会が安定しながらも未成熟さを残していました。社会全体が思春期のようなもので、要するにウブであったとして、本書には「確かにあの時代の日本社会は、思春期特有のナイーブさがあった。アポロが月面着陸をすれば科学技術に過剰なまでの期待をする。21世紀は宇宙で暮らせると簡単に信じる。反面、アメリカが核実験をすれば、21世紀を待たずして地球は滅ぶと大騒ぎをする」と書かれています。そして、そんな姿は、童貞が異性に対して冷静さを失い、過大に期待したり、過敏に反応したりする態度とよく似ているとか。
その意味で昭和オカルトブームとは、戦後日本の「童貞カルチャ―」だったと言い換えることができるとして、本書には「初心な青年がこっぴどい失恋を経て大人へと成長するように、昭和の末期に突如、巻き起こったオカルトブームは、戦後社会が成熟するために必要な通過儀礼でもあったのだ。童貞時代の『記憶』とは実に恥ずかしいものである。本書は、そんな戦後日本が童貞だった時代の『隠しておきたい恥部』をあますことなく取材して紹介している。あの時代をリアルタイムで生きていた読者は、信じていた頃の自分を思い出して存分に身もだえしてもらいたい。逆に、その時代を知らない若い読者には21世紀のオカルトや都市伝説が『無修整のポルノ』であることがわかるだろう。昭和のオカルトは『アイドルのグラビア』という実に童貞らしい『オカズ』であふれている。そんなものに大興奮していた初心な時代が、確かにあったのだ」と書かれています。本書のような雑学系文庫の「はじめに」にしては珍しい、しっかりとした気骨のある文章で驚きました。
都市伝説マスター 山口敏太郎インタビュー「オカルトが輝いていた★70年代」では、西本頑司氏が「経済大国・日本で生まれた奇跡的なオカルトブーム」として、山口氏の発言をまとめています。山口氏いわく、「古今東西のオカルト現象のなかでかなり、いや、希有な事象が、あのときの日本で起こっていたのだ。その意味で『1973年』は実にエポックな年といえよう」と述べています。昭和オカルトブームを牽引する『木曜スペシャル』(日本テレビ系)が始まったのもこの年なら、「1999年7月」まで約四半世紀も影響が続くことになる『ノストラダムスの大予言』も73年出版でした。
さらには、作家から政治家に転身した石原慎太郎による「ネッシー探検隊」、人気漫画『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄がツチノコを取り上げた『幻の怪蛇バチヘビ』、つのだじろうの『うしろの百太郎』の連載が始まったのも、すべて1973年でした。ブーム自体は、ユリ・ゲラー初来日となった翌74年にピークを迎え、オリバーくん(76年)、川口浩探検隊シリーズ(テレビ朝日系)が78年、学研の『ムー』創刊が79年と、その勢いは80年代まで日本を席巻していくことになりました。山口氏は、「今にして思えば、『どうして、こんな子供だましのネタを信じていたのか』と驚いてしまうが、私自身、あの当時、ガチで信じていた1人である。本書を手に取る読者も信じていたはずだ」と述べます。はい、正直に告白しますが、わたしも信じていました!(笑)
「科学的情報、外国の情報を求め、日本人は貪欲になっていった」では、山口氏は、昭和オカルトブームには2つの共通項があると指摘します。1つは「海外発」。もう1つが「科学的」です。70年代は、戦後復興から高度成長期を経て、一般庶民が先進的な豊かさに興じた最初の時代と言っていいとして、山口氏は「海外情報は、戦前まではエリート層が独占していた。それが一般人でも多少の無理をすれば海外旅行に行けるようになったのだ。科学的知識にしても、アポロの月面着陸(69年)や70年の大阪万博開催によって科学技術の進歩が広く庶民に浸透していった。そこに『海外』から『科学的』な装いをしたオカルト情報が入ってきたのだ。実際、日本の固有のオカルトは妖怪や怪談が主流で、科学的というよりは民族的なだけに、オカルトに科学的にアプローチする海外の最新研究という『パッケージ』は実に新鮮だった」と述べています。
「オカルト番組を乱発した理由は制作者たちの思想が影響していた」では、昭和オカルトブームに沸く70年代、メディアの中軸にいたのは戦中世代と全共闘世代であると指摘されます。40代の戦中世代が企画を立てて現場を指揮し、その下で働く20代のADたちが全共闘世代となります。この2つの世代には「敗残兵」という共通項があるという山口氏は、「戦中世代は、いうまでもなく『神国ニッポン』の思想教育を受け、敗戦によって価値観の逆転を経験し、焼け野原となった日本をリアルタイムに知っている。一方の全共闘世代は60年安保闘争で革命を夢見て、やはり敗れ去った。戦って敗れた屈辱と鬱憤という『ルサンチマン』(怨念)を抱え込んだ世代なのだ。その恨みつらみをいつか晴らしたい、そうして逃げ込んだ先が出版業界とテレビ業界だった。とりわけテレビ業界は70年代まで新聞よりも格下の二流メディアの扱いを受け、本物のエリートは就職しなかった。彼らルサンチマン世代が潜り込むのは、うってつけだったわけだ」と述べています。
「昭和の都市伝説 オカルトブーム 熱狂の仕掛人とその軌跡」では、ケロッピー前田氏が「UFO、UMA,心霊、超能力が『オカルト』としてひとまとめに」として、日本のメディアがアメリカで約20年もの間、集積された膨大なUFO情報を視聴者たちに浴びせかけていくことになったことを指摘します。また、心霊モノとして、1974年に日本で公開された映画『エクソシスト』の大ヒットで、日本に「オカルト」という言葉が浸透したことを指摘。これと同時に、日本古来の心霊や怪談も復活。1974年、中岡俊哉の『恐怖の心霊写真集』と『狐狗狸さんの秘密』がバカ売れ。つのだじろうの『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』、楳図かずおのホラー、水木しげるの妖怪などのマンガも大人気となって、ブームを盛り上げました。前田氏は、「当時は、超能力があれば、UFOを呼べて、心霊世界を覗くこともできるといったふうに、すべての超常現象がないまでになっていた。科学で解明できない現象は、すべてオカルトというジャンルに放り込まれ、妄想がおもむくままに議論が展開されていたのだ」と述べます。
「昭和オカルトブームを平成の世につなげた名優」では、1989年1月に昭和天皇が崩御して平成の時代となり、同年11月にベルリンの壁が崩壊し、世の中の激変とともに日本のオカルトも大きな転換期を迎えたことが指摘されます。昭和に築き上げられた壮大なオカルト世界を変質させたのは、『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』に出演した俳優の丹波哲郎でした。彼は、俳優業のかたわら心霊研究を続け、その成果を著書『大霊界』にまとめて、1989年には映画化。約150万人を動員する大ヒットとなりました。ちなみに、当時プランナーをやっていたわたしは丹波氏と知り合い、いろいろとお世話になりました。映画『大霊界2』やテーマパーク『霊界ランド』の企画ミーティングにも参加させていただいたことがあり、なつかしい思い出です。町田氏は、「丹波哲郎は幸福な死後の世界を描くことで、昭和オカルトブームの時代、ノストラダムスの人類滅亡の予言で植え付けられた人々のトラウマを救済しようとしたのだろうか」と述べています。
元オウム真理教外報部長の上祐史浩インタビュー「オカルトが生んだテロリズム それがオウム真理教事件」では、西本頑司氏が「超能力では戦えない 戦うためにサリンをつくった」として、上祐氏の発言をまとめています。上祐氏は、「度の過ぎたオカルトは、容易にテロリズムへと繋がることをオウム真理教事件は証明しているのです。その意味で昨今のオカルト傾向に対して個人的には危惧しています。自尊心の乾きと言いますか、承認欲求を求める人は、この時代でもたくさんいます。むしろ、70年代より多いぐらいでしょう。その一方でネットなどから、いくらでも陰謀論が入ってくる。フリーメイソンやイルミナティが悪だ、敵だ、と信じている人で、直接、彼らに会ったり、話したりている人はいないはずです。なのに、平然と『やつらを倒せ』と叫んでいる。まだ見えない分、イルミナティとかはいい。そこから見える相手、たとえば韓国や中国に敵意を向けさすのは、それほど難しくない。オウム真理教事件の当事者としては、そう言わざるをえないのです」と述べています。
第1章「ヤバい!! UFOと宇宙人」では、手塚治虫と三島由紀夫を狂わせたUFO「文芸界と漫画界『二人の天才』が異星人との遭遇を語る」では、穂積昭雪氏が「ファン置いてきぼりで2時間オカルト語りのマンガの神様」で、「漫画の神様」こと手塚治虫が大のオカルトマニアであったことを紹介しています。手塚自身がパーソナリティを務めたラジオ番組『手塚治虫のオールナイトニッポン』(1987年1月1日放送)では、漫画の話はそこそこに怪談やUFOについて2時間ひたすら語って、全国の手塚ファンを驚愕させたそうです。番組中に語られた内容によれば、手塚は1965年にUFOを目撃したといいます。東京ら大阪まで帰る途中、飛行機の窓から地面すれすれに飛ぶ銀色の円盤を見たそうです。その円盤はピカピカに光り輝く綺麗なもので、「とても不思議な体験だった」と語ったそうです。
手塚と親交のあった作家の三島由紀夫も後年、手塚と同じ形のUFOを目撃したといいます。新橋1丁目への車道を渡って(しかも左側を)移動する、まるで日本の交通ルールを熟知しているかのような銀色のUFOを見たとか。目撃した時期は手塚の方が若干早く、手塚は三島に「俺のほうが、UFOを目撃したの早かったね」と自慢げに語っていたそうです。三島も手塚と同様にUFOや宇宙人の話が大好きでした。『美しい星』という小説には、三島のUFOマニアぶりが溢れています。同作は、自分を宇宙人と思い込んだ地球人が地球の行く先を討論するという某UFO討論番組の元祖ともいうべき作品です。穂積氏は、「小説が出版されたのは1962年だが、手塚が三島に自慢した時期はちょうど『美しい星』の執筆中の時期と思われる。負けず嫌いの三島は悔しかったことだろう。手塚の影響か、『美しい星』は三島由紀夫の怪作と呼ばれる作品になってしまったという」と書いています。
第3章「ヤバい!! 大予言と世界の終末」の「ノストラダムスが予言した『恐怖の大王』の正体とは!」では、神谷充彦氏が「1999年、五島勉が明かした『恐怖の大王』の正体」として、1973年に出版された『ノストラダムスの大予言』の成功により、続編本が次々と発刊され、その中で著者の五島勉はユダヤ陰謀論へ傾いていったことが紹介されます。1999年発売の『ノストラダムスの大予言 最終解答編―1999年、“恐怖の大王”の正体と最後の活路』(祥伝社)では、「恐怖の大王」の正体を「イエス・キリスト」だとする解釈を発表。キリスト教におけるイエス・キリストの再臨を思わせる説となっています。神谷氏は、「『ノストラダムスの大予言』がきっかけとなった終末ブームは、やがて終末論をあおり、そこからの救済を説く宗教の隆盛を招くことになる。その代表がオウム真理教であり、結果的に彼ら自身がこの世界に終末を招こうとする行動をとった」と書いています。
「『ノストラダムス本』誕生のあまりにもインチキな話」では、西本頑司氏が「メガヒットで億単位の印税ノストラダムス御殿を立てた著者」として、五島勉の大ベストセラー『ノストラダムスの大予言』について言及します。出版元の祥伝社社長で、名物編集者として知られていた伊賀弘三郎がノストラダムスの予言詩集の中から「1999年7月」という数字を見つけ、勝手に「人類滅亡」というタイトルをつけ、そのタイトルに沿って著者の五島に書かせたことが真相だと指摘。西本氏は、「五島勉は、この手の研究者でもなんでもない。ただの女性週刊誌の記者にすぎなかった。しかも虚弱体質で取材が苦手。だから当時の女性週刊誌の定番ネタだった心霊オカルト記事ばかりを書いていたという。そんな五島に伊賀弘三郎が目をつけ、祥伝社に引っ張ってきてオカルト専門の書き手としいて起用した。五島は『見てきたような嘘を書く』、得意の心霊記事でのテクニックそのまま、『ノストラダムスの大予言』を書いたわけで、見出しだけが大仰で中身がないのは当然といえば当然なのだ」と書いています。
第5章「ヤバい!! 川口浩探検隊シリーズ」の「“モキュメンタリ―”作品の元祖『川口浩探検シリーズ』の真実」では、山口敏太郎氏が「緊迫感と胡散臭さが絶妙にマッチしたスタイル」として、川口浩探検隊は昭和を飾った楽しいテレビ番組であったと指摘し、「俳優の川口浩率いる探検チームがジャングルや洞窟のUMA発見に挑む様子を、大げさな演出で盛り上げる。緊迫感と胡散臭さが絶妙にマッチしたスタイルが多くの視聴者の心を鷲づかみにした」と述べています。一方、「心霊写真で有名な作家も辟易した『ヤラセ会議』」として、この番組の企画立ち上げ会議には、『恐怖の心霊写真集』で知られるオカルト作家・中岡俊哉も参加したものの、あまりにも酷いヤラセ演出に退席したことを紹介しています。山口氏は、「しかし、中岡でさえも辟易してしまう企画を、役者として演じようと決心した男がいた。それが川口浩というわけだ。なかなかの役者魂である。後に、当時のスタッフから、現地での探検は実際に行うが、追加撮影は赤坂プリンスホテルの裏の林ですませていたという衝撃的な証言も飛び出している」と書いています。
「オカルト雑誌『ムー』の黒歴史 オウム真理教との危うい関係」では、神谷充彦氏が、昭和オカルトブームの流れの中で、オカルト専門誌として1979年に『ムー』が創刊されたことを紹介します。「『超能力少女』を装った中年男! 物議を醸した読者投稿欄」では、学年誌をルーツに持つ『ムー』は必然的に読者投稿欄の充実した雑誌となり、文通相手募集欄にも多くの投稿が見られたことが紹介されます。そこに異変が生じはじめたのが83年頃でした。平井和正・石森章太郎原作のアニメ映画『幻魔大戦』の上映後しばらくして、「自分が光の戦士と思う方、連絡ください」「〇〇であった前世の記憶をお持ちの方、お手紙下さい」「〇〇、××といった前世の名前に心あたりのある方に、お聞きしたいことがあります」といった投稿が激増し、文通相手募集欄は“前世の仲間”や“世界を救う光の戦士”を探す掲示板の様相を呈すようになりました。そんな中、1985年には「超能力少女」を装った中年男性がこの文通相手募集欄で知り合った17歳の少女を誘い出そうとする事件が発生しました。当時の『ムー』はオウム真理教の麻原彰晃がライターとして記事を書いていたという事実もありました。
第6章「ヤバい!! 心霊ブームと霊能者」の「空前の心霊写真ブームは大量の“ヤラセ”を生産!」では、渡辺明氏が「心霊写真は恐れる対象ではなく守護霊的な存在だった」として、70年~80年代のオカルトブームを牽引した心霊写真について考察しています。当時は手頃な価格のカメラが一般家庭に急速に普及したこともあり、他のオカルトネタと比べて、心霊写真は自身が参加できるという点において身近な存在でした。現在と違ってアナログのフィルム時代であり、カメラには二重露光やマニュアル操作のためのブレ、フィルム送り不良などで、素人のカメラには「霊にも見える何か」が頻繁に写り込んだのです。渡辺氏は、「心霊写真自体は、オカルトブームが始まるよりずっと前、それこそ明治時代より存在する。ただし当時、『幽霊写真』と呼ばれたそれらは、今のように恐れる対象ではなく、『死んだはずの身内が家族を見守るために写り込んだ』といった解釈がなされ、大事にされることのほうが多かった」と述べています。
心霊写真が現在のような恐怖の対象となったのは、70年代のオカルトブームを産みだした1人でもある、プロデューサーの新倉イワオの手法だとされています。73年に始まった長寿企画「あなたの知らない世界」が有名で、この企画は大ブームを巻き起こし、稀代の霊能力者とされた宜保愛子を生み出しました。渡辺氏は、「この企画の中で、宜保や超常現象研究家である中岡俊哉らがコメンテーターとして登場し心霊写真の解説を行うのだが、紹介される数々の写真は、水子の霊であったり、恨みを持った地縛霊が写り込んだりといった、霊障をもたらす存在であるという理由づけがなされ、それがテレビだけではなく、メジャーな週刊誌や書籍などでも同様の手法で扱われるようになる。当時の心霊写真は、昨今のオカルトがサブカル的なポジションであるのと違って、テレビやメジャー誌の堂々たる看板企画であった」と説明しています。
本書を読めば、昭和の「都市伝説」というよりも「オカルト」について書かれた本であることは明白です。本書に紹介されている「昭和オカルトブーム」の各アイテムは、すべて知っているものばかりでした。しかしながら、各々の現象やブームに対する執筆陣の考察が鋭く、何度も唸りました。宝島社が揃えた相当のツワモノたちであると推察しましたが、例えば、「昭和の都市伝説 オカルトブーム 熱狂の仕掛人とその軌跡」を書いたケロッピー前田とは、一条真也の読書館『今を生き抜くための70年代オカルト』で紹介した光文社新書の著者である前田亮一氏のことです。
前田氏は、同書のエピローグ「21世紀のオカルト」で、「2015年になって、マイクロソフトのビル・ゲイツが、人類を超える人工知能の危険性を訴えたことから、議論はますます盛んになっている。ホーキング博士に至っては、「人工知能は人類を滅ぼす」と断言しているほど。映画『ターミネーター』で描かれたようなスカイネットの暴走が現実となったら、誰がそれを止めることができるだろうか。まるでサイエンス・フィクションのような未来を、世界トップの頭脳を持つ人たちが危惧し、白熱した議論を生んでいるのだ。これをいわゆるオカルトといっていいのかはわからないが、少なくとも、人間がコンピューターの中に得体の知れない“ゴースト”を生み出そうとしていることは確かだろう」と述べています。そう、コンピュータの中のオカルト、AI時代の都市伝説についても、わたしたちは知る必要があると思いました。