No.2410 芸術・芸能・映画 『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』 早見和真著(新潮社)

2025.08.02

ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』早見和真著(新潮社)を読みました。著者の早見和真氏は、1977年神奈川県生れ。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2020年『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞と山本周五郎賞を受賞。同年『店長がバカすぎて』で、2025年には『アルプス席の母』で本屋大賞ノミネート。その他の著書に『ぼくたちの家族』『95 キュウゴー』『小説王』『笑うマトリョーシカ』『八月の母』『問題。以下の文章を読んで、家族の幸せの形を答えなさい「かなしきデブ猫ちゃん」シリーズ(絵本作家かのうかりん氏との共著)、ノンフィクション作品に『あの夏の正解』があります。

本書の帯

本書の帯には「『嵐』との出会い、活動終了、母・メリーとの確執、叔父・ジャニーのこと、そしてジャニーズ事務所廃業――。一人の小説家に、はじめて胸の内を明かした。」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には、「藤島ジュリー景子とはどんな人物なのか?」「いま何を思い、どんな言葉を発するのか?」と書かれ、目次より「人生をどこからやり直したいですか?」「母・メリーさんはどんな人でしたか?」「『事務所内に派閥がある』という意識はありましたか?」「あの『週刊文春』について、あの『SMAP×SMAP』について」「ジャニーズの看板が下りた日、感じたことは?」「『嵐』活動終了の発表を受けて」といった質問内容が並んでいます。

アマゾンより

アマゾンには、【著者・早見和真氏コメント】として、「旧ジャニーズ事務所の性加害問題で批判を一身に浴びた、藤島ジュリー景子とはどんな人物なのか? 叔父・ジャニー喜多川との、母・メリー喜多川との関係は? 当時の所属タレントに何を感じているのか? 二人三脚で歩んできた「嵐」に対する思いとは? 何よりも一連の「出来事」を彼女はどう捉えているのか──。これまで語られてこなかった事実を、ファンや読者に伝えられるのではないか。それが今回、40時間を超えるインタビューに臨んだ一番の理由です。ジュリー氏一人の声だけを記すという行為には恐怖心がつきまといました。それでも、この本には間違いなく彼女の目に映っていたものが、過去と未来が、そして贖罪への思いが記されています。読者のみなさまに、等身大の彼女が、その息遣いが伝わることを願っています」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の通りです。
「藤島ジュリー景子の手紙」
序章――ファーストコンタクト
一章 「人生をどこからやり直したいですか?」
二章 「『家族』という単語から何を連想しますか?」
三章 「ジャニーズ事務所で働き始めた
経緯を教えてください」
四章 「『嵐』との出会いについて」
五章 「母・メリーさんはどんな人でしたか?」
六章 「結婚がもたらしたものは?」
七章 「『事務所内に派閥がある』
という意識はありましたか?」
八章 「あの『週刊文春』について。
あの『SMAP×SMAP』について」
九章 「ジャニー氏の亡骸を前に感じたことは?」
十章 「『知りませんでした』の言葉を
信じることができません」
十一章「性加害を認められた理由はなんですか?」
十二章「ジャニーズの看板が下りた日、感じたことは?」
終章――ラストインタビュー
追記――『嵐』活動終了の発表を受けて

「藤島ジュリー景子の手紙」では、2023年10月2日の記者会見で井ノ原快彦により朗読された手紙が全文紹介されています。その中には、「ジャニーと私は生まれてから一度も2人だけで食事をしたことがありません。会えば、普通に話をしていましたが、深い話をする関係ではありませんでした。ジャニーが裁判で負けた時も、メリーから『ジャニーは無実だからこちらから裁判を起こした。もしも有罪なら私たちから騒ぎ立てるはずがない。本人も最後まで無実だと言い切っている。負けてしまったのは弁護士のせい』と聞かされておりました。当時メリーの下で働いていた人達も同じような内容を聞かされてそれを信じていたと思います。そんなはずはないだろうと思われるかもしれないですが、ジャニーがある種、天才的に魅力的であり皆が洗脳されていたのかもしれません。私も含め良い面を信じたかったのだと思います」と書かれていました。

また、手紙には「母メリーは、私が従順な時はとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした。20代の時から、私は時々過呼吸になり倒れてしまうようになりました。当時病名はなかったのですが、今ではパニック障害と診断されています」「2008年春から新社屋が完成した2018年まで、一度もジャニーズ事務所のオフィスには足を踏み入れておりません。これは、性加害とは全く違う話で、私が事務所の改革をしようとしたり、タレントや社員の環境を整えようとしたこと等で、2人を怒らせてしまったことが発端です」「心療内科の先生に『メリーさんはライオンであなたは縞馬だから、パニック障害を起こさないようにするには、この状態から、逃げるしかない』と言われ、自分で小さな会社を立ち上げ、そこに慕ってくれるグループが何組か集まり、メリー、ジャニーとは全く関わることなく、長年仕事をしておりました」と書かれていました。

そして、手紙には「ジャニーズ事務所は廃業に向かっておりますが、1人たりとも被害者を漏らすことなく、ケアしていきたいと思っております。知らなかったと言うことを言い訳にするつもりは全くありません。メリーが言うことを信じてしまっていたこと、そしてそれを放置してきた自分の鈍感さ、全て、私の責任です」「今後私は全ての関係会社からも、代表取締役を降ります。またジャニーとメリーから相続をした時、ジャニーズ事務所を維持するために事業承継税制を活用しましたが、私は代表権を返上することでこれをやめて、速やかに納めるべき税金を全てお支払いし、会社を終わらせます。ジャニーズ事務所を廃業することが、私が加害者の親族として、やり切らねばならないことなのだと思っております。ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切、無くしたいと思います」と書かれているのでした。

本書には、意外なことがいろいろと書かれていました。まずは、NHKに対してのジャニーズ事務所の考え方について、です。藤島ジュリー景子氏は、「ある年に田原俊彦さんが落選するんです。その頃からジャニーとメリーの間で『紅白はもう出なくてかまわない』というふうになっていくんですね。なぜかというと、当時は『ジャニーズ枠』のような言われ方をしていて、よその事務所のタレントさんよりヒット曲を出したとしても『ジャニーズ事務所からは何枠のみ』と最初から決められてしまっていたんです。どれだけがんばって結果を出しても、これしか出演させていただけないのはフェアじゃないと。『嵐』は10周年の年にはじめて紅白に出たんですけど、それまでは『SMAP』と『TOKIO』の2組しか出演していませんでした」と語っています。インタビュアーである早見氏の「つまり、『嵐』が出演する時代まで2枠の縛りが続いていたということですか?」という質問に対しては、ジュリー氏は「「いえ、さすがにどこかのタイミングで、紅白側のみなさんも『もっとジャニーズのタレントに出てもらってもいいんじゃないか』とおっしゃってくださっていたんです。それをジャニーとメリーの2人が逆に固辞して、『2組以上は出したくない』と」と答えています。

バレーボールの国際大会にあわせてデビューを飾ったV6についてのメンバーの人選の話も興味深かったです。ジュリー氏が「森田と三宅の2人はさすがに入れていたと思います。でも、たとえば岡田准一なんかはいきなりここに入っているので」と言えば、速水氏が「岡田さんは『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の『ジャニーズ予備校』という企画からの加入なんですよね」と言います。それから、「そうでした。その子にまさかあんな才能があるなんて私には絶対にわからないし。尚かつ、それまでずっと努力しながら芽の出なかった子たちもたくさんいたので。私だったらその情に引っ張られてしまっていたと思います」「ジャニーさんは情に流されるタイプではなかった?」「情に厚い一面もあるんですけど、それ以上に自分のひらめきを信じる人でした」といった会話が続きます。

「ジャニーさんは何を見ていたんですかね」という早見氏の質問に対しては、ジュリー氏は「選ばれた子たちの話を聞くと、それぞれ見られている部分が違うようでした。『生意気なところがいい』と言われた子もいれば、『子どもらしいからいい』と言われた子、『人と違うことをするからいい』と言われた子とか、あとは誰かのつき添いで来ていた子が選ばれるというケースもありましたし。方程式がないんですよね」と答えます。「他にジャニーさんの秀でていた点は?」という質問に対しては、「答えになっていないかもしれませんが、タレントを簡単に見切らないのは良いところだったと思います。他の事務所はオーディションがすべてで、オーディションを勝ち抜いた人はある程度デビューが約束されているわけですよね。でも、そのやり方だと『Snow Man』や『SixTONES』のような、10年以上ジュニアに所属していて、やっと陽の目を見たといったグループは絶対に現れないんです」と答えるのでした。

藤島ジュリーJ景子氏が手掛けたグループといえば、TOKIO、V6、そして嵐が有名ですが、「森田さん、三宅さんを中心に『V6』が決まっていったのだとしたら、『嵐』はどんなふうにメンバーが集められたんですか?」という質問に対して、ジュリー氏は「『嵐』にはそこまで絶対的な人がいませんでした。松本、相葉、二宮の3人はなんとなく決まっていて、他に入ってきても不思議じゃない人たちが何人かいた。その意味では大野は入りそうなポジションにいなかったんですが、歌とダンスが抜群にうまくて、『そういう人間が1人くらい必要なんじゃないか』ということで入りました」と答えています。

多くの人気グループ、人気アイドルを抱えていたジャニーズ事務所において、ジャニー喜多川とメリー喜多川の2人は何を重視していたのか。ジュリー氏は、「あの人たちは売り上げとかお金のことがベースにあるわけじゃないんです。肝心だったのは『それまでのジャニーズ事務所がやってきたことをフォローした売れ方であるかどうか』ということ。その意味で言うと、『Kinki Kids』は楽曲やパフォーマンスでは常に新しいことにチャレンジしていたんですけど、ジャニーが演出する舞台に出続けるとか、ジャニーズ事務所らしい露出をしていたんです。あの2人にとってはそれこそが重要なことであって、だから『「Kinki」は大切』という捉え方になるんです」と語っています。

続けて、ジュリー氏は「逆に歌やダンスではなく、バラエティ番組で身体を張っている『TOKIO』や、ドラマばっかり出ていて、あげく報道などという自分たちの理解の範疇を超えたものをやっている『嵐』なんかには興味を持てなかったんだと思います。仮に当時の『嵐』がめちゃくちゃお金を稼いでくるタレントだったとしても、たぶん2人は関心を示さなかったはずです」とも語っています。それを聞いた早見氏は「つまり、ジャニーズ事務所のエンターテインメントの核のどれだけ近くにいるかが大事、ということですね」と納得するのでした。

早見氏は、「世に流布している通りに〈ジュリー派〉と〈飯島派〉にわけるとすると、まず〈ジュリー派〉が『TOKIO』『嵐』『NEWS』『KAT-TUN』『関ジャニ∞』『Hey!Say!JUMP』、生田斗真さん……。〈飯島派〉が『SMAP』『Kis-My-Ft2』『Sexy Zone(現timelesz)』『ジャニーズWEST(現WEST.)』『A.B.C-Z』……」というネットの書き込みを読み上げます。すると、ジュリー氏は「たぶん『ジャニーズWEST』は違いますね」と断った上で、派閥の割り振りについて、「すごく難しいんですけど、ハッキリさせておきたいのは、グループを生み出すのはいかなる場合もジャニーだということです。その上で、どのレコード会社にお願いするかとか、どんなプロモーションをするかといったことを私か飯島さんのどちらかに指示を出す。そこで色分けされるといった感じです。ジャニーがすべて自分でやっているグループもあったんですよ。『Kinki Kids』や『タッキー&翼』などは完全にそうでしたし、しばらくの間は『KAT-TUN』も『Sexy Zone』もそうでした。その2つのグループは途中でジャニーの手を離れ、『KAT-TUN』は私に、『Sexy Zone』は飯島さんになったということもありました」と説明しています。

藤島ジュリー景子氏には離婚歴があります。母であるメリー喜多川に振り回されて、一人娘が5歳のときに離婚が成立しました。以下、次のような会話が展開されます。「当時5歳の娘さんは、両親の離婚を認識している様子でしたか?」「いえ。してないと思います。彼女が3歳くらいの頃にはもう2人で生活していたので」「以後、娘さんは父親と会っているんですか?」「それが会おうとしないんです。私は会ってほしいとずっと伝えてきたのですが。これはべつにキレイ事ではなく、うちの事務所は離婚家庭のお子さんもたくさんお預かりしていました。彼らを見ていて思ったのは、母親が父親を悪く言って育てられたお子さんって、どこか影を背負っているケースが多いということなんです。父親ってある意味自分の分身じゃないですか。逆に離婚しても母親が父親を尊重しているような家庭のお子さんは、その子自身も認められている気持ちになるんでしょうね。みんな明るいんです。そういう子たちの姿をずっと見てきたので」

ジャニーズ事務所が生んだ国民的グループといえば、なんといっても「SMAP」と「嵐」です。嵐の生みの親であるジュリー氏は、SMAPのことをどのように見ていたのか。彼女は、「「『SMAP』がいろいろな可能性を切り拓いてくれたのは間違いありません。ですが、たとえばテレビ局の中にも『SMAP』にはすでに担当者がついていて、彼らと何かしたいと思ってもできないという方たちがたくさんいました。そういう方たちが『嵐』と組んで新しいことをしようとしてくれたんです。結果、各所で〈SMAP派〉と〈嵐派〉というものが生まれてしまいました。なので、たとえジェイ・ドリームがなかったとしても、私と飯島さんの対立構造は作られてしまっていたと思います」と語っています。

2015年1月に発売された「週刊文春」には、メリー喜多川の単独インタビューが掲載され、SMAPとそのマネジャーであった飯島三智を完全否定する発言が飛び出します。ジャニーズ事務所にとって「終わりの始まり」になったともいえるこの記事について、早見氏は「ファンのことを考えたら絶対にあり得ない言葉だと思います」と言います。ジュリー氏は、「おっしゃる通りです。意味がわからないですよね。文字になっちゃうとさらに強さが増してしまいますし」と答えます。「『SMAP』に対する悪意すら感じてしまいます」という早見氏の言葉にも「本当に」と同意しています。

早見氏が「でも、本当にそうだったんですね。メリーさんとジャニーさんにとっては、舞台で踊っている人たちこそが1番だったんですね」と言えば、ジュリー氏は「かつ、自分たちの目の行き届く人たちですね。なので、これはちゃんと言っておかなければならないことかもしれないのですが、よく週刊誌なんかで『2人がタレントの独立を阻止しようとしていた』といったことを書かれるんですけど、それは全然違っていて。自分たちのビジョンから離れた人には『いくらでも出ていってくれてかまわない』というスタンスの人たちでした。もちろん、自分たちのやりたいことを具現化してくれる人には『ずっと事務所にいてほしい』と願っていたはずですけど、そうじゃない人たちにはまったく頓着しなかった」と説明します。「たとえ、そのタレントが事務所に多大な利益をもたらしていたとしてもですか?」という早見氏の質問には、「うん。とくにお金には執着がなかった」と答えています。

では、ジャニーズ事務所のトップとは誰だったのか? ジュリー氏は、「メリーにとってのトップは近藤真彦さんでした。ジャニーは……誰だったんだろう。『Kinki Kids』なのかな。でも、これはたしか(国分)太一が言っていたのですが、ジャニーが亡くなる半年ぐらい前に直接『ジャニーさんが1番いいと思うグループは?』と聞いたんですって。そうしたら間髪入れずに『少年隊』と答えたらしいです」と語っています。早見氏が「へぇ。でもまさに『少年隊』って、歌えて、踊れてという、ステージの上で輝く人たちでしたもんね。他にメリーさんが寵愛した人は?」と質問すると、ジュリー氏は「誰なんだろう。もちろん『Kinki』のことは大好きだったはずだし、『タッキー&翼』のことも好きだったろうし。ああ、でも木村(拓哉)くんのことは大好きでしたよ。本当に木村くんのことは好きでした」と答えます。

ジャニーズ帝国の凋落はイギリスのBBCが2023年3月に放映した「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」から始まりました。早見氏は、「これは嫌味な質問かもしれないんですけど、BBCの放送をきっかけに一連の性加害問題が表層化したのって、時系列的にジュリーさんが社長になられてからのことですよね。これってジャニーさん、メリーさんが亡くなったあとだったから噴出したことだと思いますか? それとも彼らがまだ存命だったとしても、同じように大問題に発展していたと思いますか?」と質問します。すると、ジュリー氏は「その質問の答えにはなっていませんが、もしジャニーが生きていたら、少なくともその後の展開はまったく違うものになっていたと思います」と答えます。

「というと?」という早見氏の問いには、「いまの私たちはひたすら当時の在籍確認をして、少しでも事務所に所属していた形跡があれば性加害があったかもしれないという、いわゆる『確からしさ』のみで補償の窓口に進んでもらっています。実際は私たちにはその方が合宿所に行ったことがあるかどうかも調べることができないんです。ジャニーが生きていればという仮説が成り立つなら、彼がその1つひとつの事例について反論も含めて向き合うことができたんです」と答えています。ジャニーズの性加害問題では「法を超えた賠償を」という言葉が独り歩きしましたが、日本が法治国家である以上、被害者が証拠などを提示することは当然といえば当然ですね。

これまで、ジャニー喜多川、メリー喜多川、藤島ジュリー景子といった旧ジャニーズ事務所の経営陣は謎に包まれており、それだけに事実とは違うことも言われたようです。わたしが驚いたのは、ジュリー氏の「いまもまだいろいろと言っているようなのですが、村西とおるさんという方が私と母に会ったと事あるごとにおっしゃっているようなんです」という言葉でした。早見氏が「知っています。メリーさんとジュリーさんが小学館に乗り込んでいって、村西さんを問い詰めたというやつですよね。『ありがとう! トシちゃん事件』とか呼ばれている」と言えば、ジュリー氏は「母がどうだったかは知りませんが、私はその方と会ったこともしゃべったこともないんです」と明かします。

早見氏は、「実はこの出来事をどう扱ったらいいか悩んでいたんですよね。トシちゃんと関係を持ったという女性と村西さんを小学館に呼び出して、メリーさん率いる面々が激しく詰めたと。田原さん自身もそこにいる中、誰より激昂していたのがジュリーさんで、村西さんたちがタジタジになったところで『みんな入っておいで!』と言って、トシちゃん親衛隊なる人たちを部屋の中に引き入れたと」と述べ、「このエピソードだって、ちゃんと『メリーとジュリーは蜜月だった』という物語の裏づけに使われてしまっていますもんね」と言えば、ジュリー氏は、「嫌になります」と言うのでした。

続いて、早見氏とジュリー氏の間では以下の会話が繰り広げられます。「了解です。名誉を回復するというのはまさにこういうことなんですよね。ジュリーさんがこの本を出すことを決めたひとつの理由」「もうこれ以上ウソや妄想が独り歩きして、『私じゃない私』像が勝手に広がっていくことは拒絶したいです」「でも、たぶんジュリーさんが思っているほど、本が刊行されたからといって世の中には理解されませんからね。『言い訳するな』という批判が飛んでくるだけかもしれませんよ」「もちろんそれもわかっています。それでも、やっぱりきちんと表明しておきたいし、本という形で残しておきたい。わかっていただける方にわかっていただければそれでいいです」

11回のインタビューを重ねた後、早見氏は「いまあらためてこのときの謝罪動画と、一緒に公開された文書を見返してみると、矛盾している点が見事にひとつもないんです。文春との裁判のことも、会社の実権についても、メリーさんに対する思いも、そこまでくわしく語られてはいないんですけど、矛盾はしていない。でも、あのときのジュリーさんの言葉は、世間には伝わりませんでしたよね。なぜだと思いますか?」と質問します。すると、ジュリー氏は「自分ではよくわかりませんが、藤島ジュリーのイメージがまったく違う形で世の中にあったからなのではないでしょうか」と答えます。それを聞いた早見氏が「あのジャニーズ事務所のトップだったんですもんね。『社内で強権を振るって偉そうにしてたくせに、何を急におしとやかに。スーツなんて着やがって!』という感じですかね。独り歩きしていたイメージの方がずっと強固だったんでしょうね」と言うと、ジュリー氏は「とくに『SMAP』ファンの方や、5人組時代の『King & Prince』のファンの方にとって、藤島メリー・ジュリー親子のイメージは最悪だったはずですから」と述べます。

最後に、嵐の解散ライブについて意見を求められたジュリー氏は、「事務所には間違いなく『解散ライブは大切』というスピリットがありました。でも、実際に開催できたのは何組もいないと思います。パッと思いつく限りでは『フォーリーブス』に『シブがき隊』、『光GENJI』と『V6』くらいですかね。その意味では『嵐』は幸せな形なのだと思います。最後にファンのみなさまにお礼を言うことができるわけですから。彼らの場合は『解散ライブ』ではなく『活動終了ライブ』というのかもしれませんが、意外と当たり前のようにできるものではないので」と述べるのでした。

本書を読んで、わたしの藤島ジュリー景子氏に対する見方は変わりました。ストレスフルな嫌な質問も多いのに、逃げずに、しっかりと真摯に答えています。「有名税」という言葉がありますが、有名人ならどんな間違った情報を流されても仕方ないというのは明らかにおかしいと、わたしは思います。著者が今回のインタビュー本を刊行した勇気を知って、「自分の名誉を回復する」ことの大事さを痛感しました。芸能界から完全に引退したジュリー氏と娘さんが平安な日々を送られることを願っています。