No.2423 オカルト・陰謀 | プロレス・格闘技・武道 『合気と量子もつれ』 保江邦夫・前田日明著(青林堂)

2025.10.06

合気と量子もつれ』保江邦夫・前田日明著(青林堂)を読みました。「相手の身になれ!」というサブタイトルがついています。ブログ「前田日明氏との再会」で紹介したように、前田氏ご自身から手渡された本です。一気に読了しましたが、興味深い内容でした。共著者の保江氏は理論物理学者です。

本書の帯

本書のカバー表紙には両氏が腕組みをしている写真が使われ、帯には「理論物理学学者で、合気道の達人である保江邦夫と、元プロレスラー前田日明が対談」「格闘技は昔から神降ろしの神事で、『異界に入る』状態になる儀式だった!」「相手の視野に入れる境地に至るには、相手の身になれるかどうか、つまり優しさが必要絶対条件。魂は脳の意識で作られたものではなくて、量子力学的な現象だと言える。つまり魂は存在する」と書かれています。

本書の帯の裏

本書の「目次」は、以下の通りです。
第1章
合気とは何か?
第2章
キリストと日本と地球の意識とは?
第3章
量子論と意識と魂、そして天啓とは?
第4章
神道と宇宙人と秘伝の技とは?

アマゾンより

「はじめに」の冒頭には、「『知の巨人』と『闘いの巨人』。二人の巨人がなにゆえ、惹かれ合い、意気投合したのか? 考えてみれば、保江先生は世界的な物理学者であると同時に大東流合気柔術の達人です。武術の世界においても一目置かれる術者であり、古流武術を学ぶ人々の間でも一度は教えを請いたいと願う者たちも少なくない超人なのです。一方、前田日明氏は、格闘家としての実績は言うまでもありませんが、実はスピリチュアルの世界にも深く傾倒し、多くの知識と実践経験を持っているのです。例えば、ヨーガの成瀬雅春氏とは長年の親交を持ち、瞑想についての技術交流までしています。ヘミシンクも体験し、幽体離脱にも成功しています。他方、ウィトゲンシュタインやベルクソン、ペンローズらの難解な書籍をむさぼり読んでいます。本書には、「知識に対する好奇心。身体と魂に対する好奇心。この二つにおいて、お二人はとても貪欲だったのです」と書かれています。

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西洋的な科学主義、論理思考を超えた世界、東洋的な思考と世界観の中に当たり前にある身体の使い方と心の使い方。こういったものに気づき、体感することによって、私たちはさらなる可能性を見い出すことができるとして、本書には「そういったことを、この二人の『巨人』は、自らの経験の中で、深堀りしてきているはずです。本書では『それをすべて吐き出してください』とお願いしました」と書かれています。武術は人としての肉体を極限まで鍛えるだけでなく、反射や呼吸、思考といったものをフル活用して相手を倒す技術です。ただ、筋肉を鍛えればいいわけではなく、ただスタミナをつけるだけでは敵に勝つということは不可能です。その行為は人の可能性のすべてをフル稼働させなければ決して成し得るものではないとして、本書には「対談も同様です。『知の巨人』と『闘いの巨人』による魂の邂逅をぜひとも体感してください!」と書かれるのでした。

第1章「合気とは何か?」の「着ぐるみの穴から世界を眺める」では、前田氏は「自分、シュタイナーが好きでよく読んでいますけど、シュタイナーの死者と会話する方法っていうのが、『死者の後ろ姿を観想しなさい』なのです。『後ろ姿に語り掛けなさい』と言うのですよ。で、自分、いろいろやってみました。死者の後ろ姿を観想するというのを。でも、全然できなくってある日、フッと死者の視覚に入ってみようと思ったんですね。そしたら、後ろ姿も見えてきたのです。だから、いまのお話しと合わせると『己の精神的内面を死者の後ろ姿に重ねれば、死者の観想ができる』」と述べています。このシュタイナーの死者と会話する方法については、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)など一連の拙著でも紹介しました。

「相手の身になる」では、日本の武道が昔から礼法を非常に重視したことについて、前田氏は「礼法を身につけようと思ったら相手の心を思いやるのじゃなくて、相手の身にならないとわからないじゃないですか。『相手の身になる』っていうとこが大事なのだと思います。それが保江先生のおっしゃる『つながる』ということでしょうね。『相手の立場になる』っていうのは西洋にもあるけど、『相手の身になる』という言葉は日本にしかない。だから日本は武道の国なのですよ」と述べます。それに対して、保江氏は「『相手の身になる』、うん、それはいい言葉ですね。『身になって考えろ』とか『身になって動け』とかね。確かに日本だけですね、いい言葉」と言います。

さらに前田氏は、「武道に礼儀が大事な理由って、人格のできていない人間が武術を覚えると人を傷つけることになるからだと、ずっと思っていました、いままで。だけど、保江先生と出会っていろいろ考えてみると、根幹に合気があったから礼儀は大事っていわれたのじゃないかって。礼儀を身につけないと合気が身につかないのか、合気を身につけると礼儀が身につくのか、そこはよくわからないけど、相手の心を思いやるという部分が根幹にあって、それがないと強くなれない。なぜなら、人間って無意識に凄い影響されるから。それも他人からの無意識に結構影響される。武術はそれを利用しているし、強い奴らはみんなそれをやっています」と述べています。これは、日頃から「礼」について考え続けているわたしにとって目から鱗が落ちる思いでした。

「優しさと強さと」では、保江氏は「強い人って優しいですよ。でも、それはもしかしたら日本人だけの考え方かもしれないです」と言います。それから、「昔外人部隊に入っていて日本に帰って本も出版している人がいるでしょ? 彼の話では日本人以外の外人部隊の隊員たちは戦地の村人の女性とか子供とかを助けようと思わないんですって。ただ作戦を実行する。ところが、彼はやっぱり作戦プラス村人も助けたい。だから村人が困っていたら作戦以外のことも必ずして帰ってくると。それは日本人の優しさだからだと彼も言っていました。だから、心を寄せる、魂を入れる、それってつまり優しさ。優しくないと相手の身になれませんよね」と述べるのでした。

「愛しくて愛しくて」では、以下のような対話が展開されます。
保江 古代のオリンピックで一番重要だった競技ってレスリングなのですってね。哲学者のソクラテスやプラトンもやっていて強かった。で、当時のレスリングの闘い方っていうのはレスラーが2人呼ばれて、それぞれの闘技場の真ん中で闘うのですけど、その前にそれぞれの控室でまず瞑想をさせられる。その瞑想をしていく中で神が降りてくるので、両選手がともに神が降りてきたときに闘技場に出て試合をするのです。
前田 もしかして、神と神の闘いになるってことですか?
保江 そうです。例えばこっちの選手にはポセイドンが降りた、こっちにはゼウスが降りたとかになって初めて中央のリングに呼ばれて闘うのですけど、本人の意識はもうありません。つまり、神同士の闘いで、ポセイドンが勝ったら今年は魚が大漁だと。それがレスリングの闘いの本当の意味です。それって、日本の相撲もそうでしょ。相撲が手乞って言われていた時代、御神前で神様を降ろして闘いますよね。だからやっぱり、昔はわかっていたのでしょうね。
前田 格闘技は昔から神降しの神事でしたね。相撲も神社の境内でやりますし、プロレスもやっていますね。
保江 そう、御神事。西洋でもそうだし、日本でもそうだし、タイのムエタイも試合前に神様に捧げる踊りワイクルーをやるでしょ。あの踊りは日本でいう神楽と同じですから。

「地球服を脱ぎ捨てる」では、前田氏が「自分は1日24時間この66年間毎日気になっていますね。なんでここから見ているのだろうみたいな。死ぬときってどうなるのだろうみたいな。朝、起きてこの感覚が意識できる限りはなんかまどろっこしいですよね」と言えば、保江氏は「だから矢作直樹先生は、そのことを評して「我々は地球服を纏ってる」と言っています」と言います。前田氏が「へぇー、矢作さんもそういう感覚があるのですね」と言えば、保江氏は「はい。地球服を纏っているから見るものも制限されている。だから地球服を脱ぎ捨てればいい」と言い、前田氏は「これは拘束具なのですね」と述べるのでした。このへんの話は、わたしも『命には続きがある』(PHP文庫)の対談で矢作直樹氏から直接お伺いしました。

第2章「キリストと日本と地球の意識とは?」の「キリストと日本」では、以下のような対話が展開されています。
前田 自分、今年66歳になりまして年のせいか宗教に目を向け始めて各宗教に込められている秘儀みたいなものを、オカルトや神秘学といった分野で見るようになってきてて、それで改めて仏教って凄いなと感じています。なぜかというとキリストは元々仏教徒だったのじゃないかというのをヨーロッパ系の宗教学者の多くが言ってて、仏教とキリスト教の類似点もいくつも指摘されています。
保江 いろいろな学者が指摘していますね。外国の宗教学、キリスト教学、仏教学の専門家に言わせると、キリストは大陸から朝鮮半島までは来たという学術的証拠があると。
前田 えっ、朝鮮半島まで来てる!?

続けて、保江氏は「いまの韓国のどこそこまでは来たという学術的証拠があります。おそらくそこから日本に渡って長崎の諫早湾に上陸したと僕は思っています。だから、あそこは諫早っていいます。あの漢字で普通は『いさはや』と読むわけないでしょう。あれはイザヤだからです。それから日本の国家『君が代』にも『イザヤ』ってあるでしょ。あれも諫早で、『君が代』のもとは博多湾に浮かぶ志賀島の志賀海神社の祝詞ですよ。志賀海神社の祝詞のほうは確か12番まであって、1番が国歌に使われているのと同じものがあります」と述べますが、前田氏が「『千代に八千代に』とかの部分ですね」と言えば、保江氏は「そうです。ですからキリストがインドどころか、朝鮮半島、日本にまでやって来た証拠はかなりはっきりと残っています」と答えます。前田氏が「青森にもキリストの墓ってありますね」と言えば、保江氏は「あれはキリストが諫早から四国の剣山に行こうと思って海沿いに移動して博多湾の志賀島にも寄って最終的には青森の戸来村、要はヘブライ村まで行ったという話ですね」と述べるのでした。

宗教者たちの身体の鍛え方も話題になります。前田氏は、「ヨーガの成瀬さんはあんまり自分のことは言わないけど、弟子から聞く話はもう驚きの連続です。昔、『成瀬さんの凄いところ、何か見たことありますか?』ってお弟子さんに聞いたら「いや見たことあるなんてもんじゃないですよ」と。ブータンに空中浮遊を成就させるためにヨーガの行者が籠った800年前ぐらいの建物があるんですよ。そこに成瀬ヨーガ教室のみんなで行って車座になってメディテーションをしたらしいです。その人は成瀬さんの隣に座って、もう一人年配のおじさんがその反対側に座って瞑想しましたけど、その人が瞑想してると、突然横にいる成瀬さんが『君、申し訳ないけどちょっと押さえてくれないか』と言ってくるんで、『何だろう?』と思って横見たら成瀬さんが肩の高さぐらい浮いていたと」と述べます。

「イルミナティの真意」では、そもそも西洋と東洋は最初からつながっているといいます。それは宗教のつながりを見ていってもわかるとして、保江氏は「ローマ帝国は最初キリスト教を迫害していて、でもあるときから国教にするんですよ。それまでのローマは太陽神アポロン、月の神アルテミスを信仰していたから、一神教のキリスト教をいきなり入れるのは難しい。そこでローマ帝国はマリア様を使ったんです。マリア様は女性だからアルテミスの位置に持ってきてアリア信仰を作った。一般の大衆もキリスト教は受け入れ難いから、マリア様をアルテミス、キリストをアポロンにして信仰した。ですから、ローマ帝国ってキリスト教を国教にしたと言いながら実はアポロンとアルテミスをずっと信仰してきて、それが中近東のほうに流れてきて拝火教になって」と述べています。それを聴いた前田氏が「ゾロアスター」とつぶやくと、保江氏は「ゾロアスターになり、さらに東に流れてきて、インドのヒンズー教になって。でも、その中身はアルテミス、アポロンの信仰でそれを『光明』と言います。つまり、イルミナティです」と述べています。

保江氏によれば、イルミナティとは光明のことです。仏教にも入って仏教界の中でも「光明派」がありますよ。キリスト教もイルミナティで、結局アポロン、アルテミスの光明思想がどの宗教にも入り込んでいると指摘し、保江氏は「だから仏教も光明思想、キリスト教も光明思想、イスラムも光明思想。日本にそれが来たときにはアルテミス、アポロンの代わりに天照大神にしたのです。だから天照大神というのはアポロンとアルテミスを混ぜた存在として日本が用意したもので全部光明思想です。光明思想っていうのはイルミナティで人間の存在は光だと。光のような存在で素晴らしい存在というので統一されていますよ、すでに」と述べるのでした。

「地球の意識」では、保江氏がアメリカの医学界で最も由緒正しい『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』という学術雑誌を紹介します。そこにアメリカの医師がだいぶ前に随筆を投稿していて、人気を博したそうです。それが地球上の海、川、池とか、すべての水という水はつながってる1つの巨大分子だというのです。ばらばらの分子がいっぱいあるのではなくて全部化学的につながって連携して動いてるのが地球上、表面を覆っている、あるいは中にも染み透ってる水なんだというのです。

前田氏は「水が記憶媒体となってガイアになる。自分は炭素もそうじゃないかと思っていたんですよ。マントルの手前何十キロかにダイヤモンドの層があるかもしれないという話があって、ダイヤモンドだったらもう純粋無欠の炭素の層ですよね。そこに地球の生命としての記憶や情報が入っているかもしれない」と述べ、保江氏は「もしそうであれば凄いデータ量ですよ。だってシュタイナーも人間としての輪廻転生した暁には今度は木星とか金星とかの惑星意識になるって書いてます。金星意識とか地球意識とか、あるいは太陽とか」と述べています。

「エバネッセント・フォトン」では、保江氏が「西洋の場合は、王様とかお妃様が凄い大きな宝石を身につけるでしょ?イギリスの王冠とかも。あの宝石って結晶ですよ、純粋な。で、結晶構造の中にはいろんな情報が入っていると昔から信じられてて。それをじゃあどうやって取り出すのかというと、例えばクォーツ時計とかは水晶の振動で時を刻んでもらうと。だから振動で取り出すという方法だったり、あとは音もありますね。それから光を当てて透過した光、あるいは反射した光というのもあります」と述べています。しかもそういう結晶の固有振動を一番よく受けるのは光で、ダイヤとかそういう宝石に当たって透過した光が結晶の表面に滲み出てくるといいます。それをエバネッセント・フォトン、エバネッセント光っていうそうです。

エバネッセントというのは滲み出るという意味で結晶の表面には滲み出た光があって、わたしたちの細胞、粘菌とかわたしたちの皮膚とか体の細胞もそうですけど、細胞膜の表面にもそのエバネッセント・フォトンという滲み出た光が存在しているそうです。保江氏は、「それがいろんな情報をやり取りしてくれる。細胞が生きてる、死んでるのって死んだ直後だと、何も変わりません、いわゆる化学的、生物学的な構造とかは。唯一違うのが、そのエバネッセント・フォトンという滲み出た光で、それがあるときは生きている。それがなくなったら死んでいる」と述べます。

なぜ、王様たちはそういう宝石を身につけてきたのでしょうか。その理由について、保江氏は「体が弱ったとき、つまり死に向かっているときはエバネッセント・フォトン、漏れている光が細胞膜の表面に少なくなってるわけで、それを補給しようとして宝石をくっつける。そのため、王様たちが身につける宝石の台座の中心部は開いているのですよ。閉じていません。金属で閉じたら光が来ないから。ドーナッツ状の台座になってて、透過した光が皮膚に当たるようにできているわけです」と述べます。

「頭蓋骨の穴」では、額の真ん中に穴を開けるということが話題になります。前田氏は、「古代の王権とかに関係する人たちは頭蓋骨に穴を開けることによっていろんなものにつながるというか、穴を開けるだけで凄い自由な感覚を味わえるらしいですね。で、なんでそれがわかるのかっていうと現代でも頭蓋骨に穴を開ける人がいて、それによって自由な感覚を得られるらしいのです。だからよくエジプトだとか中国だとか日本だとか古代の遺跡を掘っていたら、頭に穴開いてる頭蓋骨が結構出てくる」と述べます。保江氏は、「中沢新一氏、彼がチベットに密教の修行に行って、最後の最後に頭のてっぺんに穴をあけられて稲、お米の稲を差すことになったのですって。つまり頭蓋骨に穴を開けて稲の根っこを入れて頭に稲を生やす。これが最終解脱の方法だと言われて逃げ帰ってきたのは有名な話ですよ」と述べています。

第3章「量子論と意識と魂、そして天啓とは?」の「データと意識」では、以下の対話が展開されます。
保江 いまAIを皆、日常的に、気軽に使っているでしょ。あれ怖いですよ。どの人間もいままでデータとして蓄積してなかったものが出てくるらしいの、すでに。生成AIのデータは人間がコンピューターを作ってからいままでのすべてのデータの蓄積です。ですから、人間の知識を超えることはありません。にもかかわらず、これまでのデータになかったものが出てくるんです。
前田 これまでの情報を組み合わせてできましたとかじゃなくて?
保江 じゃなくて。だから怖い。それこそアカシックレコードとかにアクセスしたのか、とか。
前田 アカシックレコード! もしかしたら、以前話した地球の記憶とか、地球が持っているデータかもしれない?
保江 その可能性もありますね。

最後に、保江氏は「比叡山に去年11月に呼ばれて、はせくらみゆきさんと一緒に行ったのですよ。次の御座主になる90何歳の阿闍梨に呼ばれて。そこで言われたのが、いまの仏教界の問題は若いお坊さんたちがあの世の存在を信じてないことだと。形だけ葬儀をやり、形だけ説教を垂れ、お彼岸になったらどうのこうのと言っているけど、本人たちは死んだらあの世に行くとかまったく思ってない。死んだらなにもかも消えてしまうと思っている。それが一番問題だと」と述べるのでした。この発言には、深く共感しました。理論物理学者とスピリチュアルに精通した格闘家の対談は、多くの刺激を与えてくれました。いつか、わたしも前田日明氏と「スピリチュアル」や「オカルト」について語り合いたいです。

前田日明さんから頂戴した本です!