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No.2444 プロレス・格闘技・武道 『大相撲 名伯楽の極意』 伊勢ヶ濱正也著(文春新書)
2026.02.03
『大相撲 名伯楽の極意』伊勢ヶ濱正也著(文春新書)を読みました。わたしは相撲が好きなのですが、プロレスや格闘技と違って、なかなか読み応えのある本がありません。本書はコンパクトながら、角界の事情がよくわかって興味深かったです。著者は、九代 伊勢ヶ濱正也。1960年7月6日、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身。本名・杉野森正也。第六十三代横綱旭富士。大島部屋に入門し、1981年初土俵。1987年大関昇進。1990年横綱昇進。1992年に引退、安治川部屋を継承。2007年、伊勢ヶ濱部屋の名跡を継承。日馬富士、照ノ富士の二横綱を輩出し、関取衆七名を擁する角界最強部屋を率いる。2025年7月、公益財団法人日本相撲協会を定年に。
本書の帯
本書のカバーには著者夫妻を中心に、伊勢ヶ濱部屋の主要力士たちが金屏風の前で記念撮影した写真が使われています。帯には著者の顔写真とともに、「角界最強部屋はいかにして作られたのか!? 才能を見つけ育てる秘訣を明かす!」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の帯の裏には、「二横綱はじめ関取十二人を育て、相次ぐ合併も乗り越えて隆盛を極める伊勢ヶ浜部屋。稽古、スカウト、チーム力、『応援してもらえる』工夫・・・・・・。元横綱旭富士が自らの半生とその秘密を語った」と書かれています。
カバー前そでには「名伯楽たり得た秘密を語る!」として、「二横綱をはじめ関取十二人を育て上げ、角界最大最強部屋となった伊勢ヶ濱部屋。関取に引き上げる確かな指導、逸材を全国に求めるスカウティング、相次ぐ合併にも部屋を〝チーム〟に纏め上げ、『応援してもらえる』工夫。そして照ノ富士を再起させた逸話など。元横綱旭富士が自らの半生とマネジメントの極意を語る」との内容紹介があります。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
序章 愛弟子・照ノ富士の引退
第1章 ルーツ・青森 悪ガキ正也から近大まで
第2章 漁師時代から〝騙されて〟入門まで
第3章 横綱挑戦から現役引退まで
第4章 新米親方として奮闘
第5章 相撲部屋の経営術 初地方場所は大赤字
第6章 部屋の土台作り スカウト
第7章 吸収合併 宮城野部屋も
第8章 チーム伊勢ヶ濱 コミュニケーションが大事
第9章 新弟子が逃げた! 危機管理
第10章 親方流の稽古指導
第11章 日馬富士発掘から引退まで
第12章 照ノ富士を説得した親方の経験談
第13章 尊富士の初優勝 青森の地縁
第14章 自分の夢 今の相撲界
終章 おかみ・淳子さんが見て来た風景
「まえがき」の冒頭を、著者は「このたび私、九代伊勢ヶ濱正也は2025年7月で65歳の誕生日を迎え、日本相撲協会を定年となります。1981年1月に初土俵を踏んで以来、横綱旭富士として1992年の初場所で11年間の現役生活を終え、親方となってから今日まで弟子を育てるために奮闘して参りました。44年間の長きにわたる相撲人生となり、今後も大相撲に携わっていくつもりですが、ここでひとまず次代にバトンを渡すこととなりました」と書きだしています。
1981年の初場所で、著者は大島部屋(元大関旭國)から当時としては珍しい20歳という年かさの年齢で初土俵を踏みました。その後は順調に出世したものの、大関挑戦を前に重いすい臓炎を患い、気力だけで土俵に上がる日もありました。大関昇進後の綱取りでも紆余曲折がありました。それでも、著者はは「1990年の7月場所後には悲願の横綱昇進を果たすことができました。在位は9場所と短い横綱人生でしたが、今もって悔いはまったくありません」と述べています。
2007年には名跡変更をし、著者は横綱照國を生んだ名門、九代伊勢ヶ濱部屋の師匠となりました。続く2013年には照ノ富士のいた間垣部屋(元横綱2代目若乃花)を、15年には朝日山部屋(元大関大受)も吸収合併し、さらに24年には元横綱白鵬の宮城野部屋の力士たちをも預かりました。現在は力士数38名、行司や呼出し、床山など10名を抱える、角界一の大所帯となっています。安治川部屋時代から育てた弟子たちは149名(預かっている宮城野部屋の力士も含む)を数えます。その間、親方としての著者は日馬富士と照ノ富士という2人の横綱を筆頭に、延べ12人の関取を育て上げました。
現在では、24年3月場所で実に110年ぶりという新入幕初優勝を果たした尊富士をはじめ、熱海富士、宝富士、錦富士、翠富士、それに宮城野部屋から預かっている伯桜鵬、十両の草野など7人の関取を擁しています(2025年4月現在)。著者は、「昭和から平成の古き良き相撲界の一端を知る人間として、令和の新時代を生きる次代の担い手たちに襷を渡し、大相撲という唯一無二の文化を繋いで行ってほしいと願うところです。そして私がこれまでの相撲人生から得てきた経験や教訓が、多少なりとも読者の皆様のお役に立つことがあれば何よりの喜びであります」と述べるのでした。
序章「愛弟子・照ノ富士の引退」の冒頭には、「2025年の1月初場所6日目、第73代横綱照ノ富士が現役引退を表明した。幕内最高優勝は通算10回。2021年7月名古屋場所後の昇進以来、在位21場所のうち休場は13回に及び、満身創痍の横綱でもあった。師弟が揃って臨んだ両国国技館での引退会見の最後、照ノ富士本人はそれまでの感謝を込め、近年では見せることのなかった笑顔で師匠に大きな花束を贈った」と書かれています。
「思いがけない弟子からの花束」では、引退会見のような場で力士が親方に花束を贈ることが前代未聞であったことが紹介され、引退会見での照ノ富士は涙もなく、吹っ切れたような清々しさを感じさせてくれたそうです。そして、照ノ富士は「自分の中でできる限りのことを今まで尽くしてきたつもりですけど、今場所は思い通りの相撲ができなくなり、これ以上中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと思い、引退を決めました」と語りました。
第3章「横綱挑戦から現役引退まで」では、著者の現役時代が回想されます。1983年3月に新入幕を決めると、同年11月には異例の早さで新三役となりました。まさに、昭和後期の大相撲黄金時代の最中でした。4横綱4大関が綺羅星のごとく土俵上に輝き、また次々と入れ替わったのです。本書には、「この時期の相撲界は、西暦よりも元号で表すほうが、往年の相撲ファンの想起を促すかもしれない。昭和48年から横綱を張った輪島、翌年から横綱となった北の湖による「輪湖時代」を迎え、56年の輪島引退後も、「憎らしいほど強い」北の湖は、60年まで実に11年間にわたり君臨し続けることに。この間、横綱2代目若乃花、三重ノ海、隆の里それぞれが昇進、うち2横綱が引退しているほどだ」と書かれています。
打倒“一強・北の湖”として躍り出たのが、輪島に代わるように同56年に昇進した、のちの“小さな大横綱”千代の富士。後世に語り継がれる2人の大横綱。北の湖はすでに横綱晩年期だったものの、この2横綱は旭富士の目標であり壁ともなりました。著者は「いざ大関に挑戦!」と、脂の乗った新鋭として、牙城を崩すべく意気込み、さらなる体づくりを試みました。しかし体重増加のための食生活が、結果として重いすい臓炎を招いてしまいます。本書には、「はのちに旭富士の相撲人生に大きく影響を与えることにもなり、ライバルと目されていた双羽黒、北勝海、同時新入幕だった大乃国にも、横綱昇進で先を越される一因ともなってしまった。折しも『大相撲戦国時代』が幕を開けていた」と書かれています。
「北の湖・千代の富士の壁と大乃国」では、著者北の湖との幕内対戦は6回あり、数字上は3勝3敗だったことが明かされます。1つは著者の不戦敗ですが、初めて勝ったのは昭和59年7月名古屋場所、前頭2枚目での対戦で、これが初金星となりました。著者は、「北の湖関は翌年に引退する晩年期でしたけれど、入門時からの憧れでしたし、もう当たれることだけうれしくて、前日から寝られないんです。相撲の取り方で悩んで眠れないのではなくね。初めて勝てた時は、もちろんうれしいんですけど、『ええ? 勝っちゃったよ』と自分で驚いてしまう感覚でした。61年1月初場所で新関脇となると、それまで勝てなかった千代の富士関に初めて勝てたんです」と述べています。
ライバルだった大乃国(現芝田山親方)は、当時の著者について、「旭富士関は“津軽ナマコ”と言われたくらいですから、驚異的な足腰で残して、体も柔らかかったですよ。彼は青森の漁師、私は北海道の農家(笑)。それぞれの環境で持ち合わせたものも違いますよね。お互い右四つだから、相手に上手を取らせないようにしていたけれど、彼の下からの早い攻めになってくると、墓穴を掘ってしまった時もありました。どんな技が記憶にあるかって、技の部分では私はよくわからないけれど、彼はなにしろ技能賞を5回も受賞してますからね」と語ります。また、「彼の言葉で感心したのは、たとえば『常に体は仕切り線と仕切り線の真ん中に置いておけ』と。差し手争いだろうが、攻められていようが、土俵の中心に体を置き、自分が土俵の真ん中に居られさえすれば、土俵の東西南北に動け、簡単には俵に寄られないものね。それを自分でも実践していたはずですよ」とも語ります。
1983年11月九州場所で著者は新三役となりましたが、なかなか定着しませんでした。新関脇となったのは86年1月場所のこと。この時、初顔から10連敗していた千代の富士に勝ち、大関候補と目されるも、前述の通り体重増のための過食がたたり、すい臓炎に悩まされることになります。しかし、治療に励み、節制しながら持てる気力を振り絞り、87年11月に念願の新大関に。自ら掲げていた「5年で大関」との目標を4年半で達成したのです。本書には、「88年1月初場所では千秋楽の結びの一番で横綱千代の富士を破り、大関2場所目にして14勝1敗の好成績で念願の初優勝を飾る。プライベートでは、この初優勝直後に、当時の春日山親方(元幕内大昇)の姪にあたる淳子さんと27歳で結婚している」と書かれています。
翌89年1月場所は優勝決定戦に敗れ、14勝1敗で優勝同点でした。続く3月は優勝次点、5月も優勝決定戦に敗れ優勝同点と「2場所連続で優勝、または優勝に準ずる成績」とされる横綱昇進の内規を十分にクリアしていました。しかし、昇進は見送られ続け、「旭富士はすでに5回は横綱に昇進している成績ではないか」と、相撲ファンから同情されるほどでした。この頃、優勝経験がないままに横綱昇進した双羽黒が不祥事で廃業しており、そのあおりで昇進基準が厳しくなったためとも囁かれたそうです。なるほど。双羽黒の罪は重いですね。
「遂に! 横綱昇進を決めた名勝負」では、1990年5月夏場所で大関2度目の優勝を果たし、続く7月名古屋場所では連続優勝のチャンスを摑んだことが紹介されます。千秋楽、13勝1敗の旭富士を12勝で追うのは、横綱千代の富士でした。この一戦は大相撲史上でも有数の名勝負とされ、現在でもYouTubeで数多く再生されているほどです。歴代1位の大記録、幕内最高優勝45回を誇り、歴代最多の幕内1093勝の記録を持つ稀代の名横綱白鵬。約14年にわたって横綱を張り、2021年7月名古屋場所を最後に引退後は間垣親方として部屋付きの親方に。22年7月から宮城野部屋を継承し、師匠としてスタートを切っていました。
第7章「吸収合併 宮城の部屋も」では、それから約2年が経とうとする矢先の不祥事で、24年3月、宮城野部屋が一時閉鎖されることになったことが紹介されます。幕内力士による、弟弟子に対しての凄絶ないじめが発覚し、弟子の監督不行き届きで師匠の資質を問われてしまったのです。そこで同門の先輩横綱でもある伊勢ヶ濱親方に白羽の矢が立ちました。宮城野親方の再教育と、無期限でその弟子たちを預かることになり、突然の大所帯となったのです。
第14章「自分の夢 今の相撲界」の「稽古の質と量を上げてレベルアップを」では、相撲界全体で、全般的に稽古が足りないのではないかと指摘し、著者は「ひと昔前なら、学生チャンピオンでも、そんなに早く出世しなかったではないですか。入門時に注目を集めても、関取になれないまま引退した子も少なからずいました。今のプロの大相撲が、レベル的に落ちていて弱くなっている気がします。そして、今の相撲には、スピード感が足りない気もするんです」と述べます。
結局、稽古が足りないから当たりも強くならないとして、著者は「相撲は立ち合い、当たりがすべてなんですよ。私らの時代の大関横綱の当たりと言ったら、もう電光石火のようで相手が見えないくらいに速かったものです。千代の富士関なんて当たった瞬間に前みつを引いて、もう自分の形になっていましたからね。それだけ当たりが強かった。今はその当たりが弱いということなんです。やはり稽古して下半身を鍛えないと、当たりも速くならない。そして強い当たりは全身の力です。だから下半身も上半身も同時に、全身を鍛えないとダメなんです」と述べるのでした。本書は相撲のみならず、あらゆるジャンルの人材育成の書としても読める一冊です。