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No.2470 哲学・思想・科学 『工藝文化』 柳宗悦著(岩波文庫)
2026.06.08
『工藝文化』柳宗悦著(岩波文庫)を紹介します。単行本の初版は、昭和17年(1942年)に文藝春秋より刊行されています。人間国宝である十四代 今泉今右衛門氏と「工芸文化」と「儀礼文化」の視点から「日本文化」の本質を語り合う趣旨の対談の参考文献として読んだのですが、大きな刺激を受け、新たな発見も得ました。著者の柳宗悦は、1889年生まれ。東京帝国大学哲学科卒。宗教哲学者、民芸運動の創始者。学習院高等科在学中「白樺」同人。日本民藝館初代館長。「工藝」創刊。1961年没。
本書の表紙カバーには、「昭和とともに始まった民藝運動は、鑑賞用の工藝品を排し,日用雑器の中に真の美を発見した点で、比類のない運動であった。この民藝運動の普及に貢献したといわれる『工藝文化』は、柳宗悦の工藝美論を確立した名著。工藝と美術の関係、工藝美の目標、美と工藝性の関係等が体系的に意を尽くして説かれている。(解説 外村吉之介)」との内容紹介があります。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「凡例」
「挿絵一覧」
「序」
上篇 造形藝術
1 工藝問題
2 藝術の分類
3 美術と工藝
中篇 種々なる工藝
1 手工藝
2 機械工藝
3 工藝の正系
下篇 美と工藝
1 工藝の成立
2 美の目標
3 工藝美の特色
4 美の国と工藝
「挿絵小註」
「解説」外村吉之介
「序」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「美術文化から工藝文化への進展、そこに私は造形文化の方向を感じる。何も美術を拒否するという意味においてではない。美の方向は生活との結合にあると思える。既にその必要はさし迫って来たのである。生活圏内に美術をも摂取すべき時期は来たのである。ここで美術の工藝化に新しい意義が盛れ上る。美と生活とを結ばしめる時、そこに工藝の文化が示現され、美の健康化が見られるのである。生活に即しない美を正しい美と呼ぶことは出来ない。生活に交って美がますます美となる道がなければならない。この真理の解説こそ未来の美学が負うべき任務ではないか。この原理は何を語るのか。またこのことがどうして可能となるのか。工藝の美の目標は何でなければならないか。美と工藝性との関係は如何。これらの問いに答えを用意するのがこの一巻の仕事である」
上篇「造形芸術」の1「工藝問題」では、著者は「大体近世において私たちが喪失した才能のうち、最も著しいものは直観力ではないだろうか。特に物の美を観る力ではないだろうか」と述べます。近世の才能は知識に集注したかの観があります。故に抽象的な「事」を知る人は多いですが、具体的な「物」を観得る人が少いです。それ故有形的なものに対してさえ、とかく概念的に眺めてしまいます。工藝への関心がいたく乏しいのは、それが余りにも「物」だからではないかとして、著者は「美術の方にはどこか観念的な内容があろうが、工藝の方はもっと素裸な『物』である。それ故知る力だけでは近づくことが出来ない。観ることで近づかずば親み難い。如何に今の世には『物』をじかに見てくれる人が少いことか。誰だとて眼で眺めはするが、内に観入る力を有った人が少い。工藝への正当な理解が、このためにどんなに阻まれていることか」と述べています。
これらの無関心や誤解やまたは直観の欠乏のために、工藝は未だ正当な位置を文化問題に占めていないといいます。しかし、工藝文化がなくして正しい文化は可能でしょうか。なぜなら工藝を離れて、わたしたちの生活はないからです。工藝があってこそ、わたしたちに暮しがあるのだともいえます。著者は、「朝から晩まで、働く時も休む時も、それらのものなくしては暮すことが出来ない。私たちは着物を身に着けて暖をとり、器物を揃えて食事をなし、調度を整えて日々の暮しをする。影が身に従う如く、人の住む所には品物が従う。こんなにも密接に吾々に交る日夜の伴侶はない。暮し方が広まるにつれてその種類もまた増してくる。それらのものこそ生活そのものの一番如実な表現ではないか。もしも工藝が貧弱なら、生活もまたそれだけ空虚だともいえる。正しい暮しは正しい工藝を伴わねばならない。どんなものを生活に用いるかは、どんな生活であるかの告白ではないか。美は鑑賞に止る如きものであってはいけない。もっと深く生活で活かされねばならない。美と生活とを結ぶものこそ工藝ではないか。工藝文化が栄えずば文化は文化の大きな基礎を失うであろう。なぜなら文化は、何よりもまず生活文化でなければならないからである」と述べるのでした。
2「芸術の分類」では、常識は人間の藝能を3つの大きな部門に分けるとしています。第1は時間の藝術。第2は時空間の藝術。第3は空間の藝術。当面の必要にはこの便宜な分類で事は足りるといいます。時間藝術とは、いうまでもなく時間性を基礎とするものであり、無形の藝術です。これに二大門が数えられます。文学と音楽です。文学は言葉に依る藝術です。ここで文学というのは詩歌、散文、劇、小説等のすべてを含みます。第2の時間藝術はいうまでもなく音楽です。音を媒介とする藝能です。聴覚の藝術と呼んでもいいでしょう。昔は詩がある所には必ず音楽がありました。著者は、「この2つが分れたのは歴史が若いと思える。音楽は、吾々の感情の一番直接な反映ともいえよう。多くの場合、祭楽が発達の基礎であろう。人の声を別として、音楽は種々なる楽器を招いた。だが3つに概括することが出来る。絃と管と鼓と。あるいはこれを弾く、吹く、打つという言葉で示してもよい」と述べています。
次に、時空間の藝術について。時間に加うるに空間性をもってするものに三大門があります。舞踊と演劇と歌劇です。これは動作を主とし、詩歌や音楽を含むから時間的であり、人間はもとより衣裳や背景など眼に訴える形をもつから空間性をも帯びます。舞踊は四肢の動作に訴える藝能であって、起原は最も古いといえます。神前における法悦の表現に発するものでしょう。それは詩歌や音楽等と元来は一体を成していたと思えます。演劇は対話と動作とによりますが、別に無言劇あり、人形芝居あり、影戯あり様々です。劇文学と結ばれるのは言うを待ちません。歌劇は音楽と深く交ることに特色があります。舞踊とも関連するから一番総合的な藝能であるといえます。
そして、空間の藝術について。空間による藝能ですから、ここは有形の世界です。それゆえに、この領域を「造形藝術」Formative Artとも呼びました。動作を主としないから静的藝術と呼んでもいいでしょう。時間の藝術と相対します。これが主として視覚や触覚によって認知される領域であるのは言うを待ちません。この造形藝術は四大門に分れます。建築と絵画と彫刻と工ですと。あるいは前三者を総括して美術Fine Artsと呼んで工藝と区別します。人間の衣食住は深くこの領域に関与しています。元来これらの四部門は相互に密接な連絡がありましたが、時代が遷るにつれて、判然と分業化せられました。このことは時間藝術の経過と変るところはありません。
建築は大きな立体的空間性を要求するものですが、古くは神を祠る宗教的性質のものが中心で、これに次ぎ宮殿や城郭、また都市の民屋や田舎の農家が続きました。近代において大建築は官庁、学校、病院、旅館、または富豪の邸宅などですが、著しい現象は大会社の建物であって、いかに宗教時代から経済時代に遷って来たかがわかります。建築、絵画、彫刻をしばしば美術の名によって呼びましたが、中でも絵画と彫刻とは、近代において純粋に美を追う藝術と考えられ、かつ個性の自由な表現として他から区別され尊重されました。これらの2つが「純粋藝術」Pure Artと呼ばれるのはこのような理由によります。美術がもつ社会的位置は高いのです。しかし、これらとは別に、造形の世界に現れるもう1つの部門があります。「工藝」と総称されるものであって、その範囲はいたく広く種目は非常に多いです。

一般に工藝は美術に対するものとされます。最も異なる点は、美術が美のために作られる作品であるのに対して、工藝が実用のための作品である点にあります。あるいはこれを簡明に「見る美術」と「用いる工藝」といい分けてもいいでしょう。それに美術は自由な個性の上に立ちますが、工藝は用途や材料や工程に制限を受けるので、「不自由藝術」とも呼ばれました。また性質が元来作者の個性を主にしたものでなく、用途を主にしたものですから「応用藝術」とも呼ばれました。だからこれを「実用藝術」という言葉で総括できるでしょう。それが「工藝」です。工藝は最も深く人間の実際的生活、即ち衣食住の面と関係するものです。生活面は多種多岐ですから工藝品の品目は夥しい数に上ります。しかし等しく工藝品とはいっても、歴史的過程において範疇を異にした様々なものが現れるに至りました。これを大別して「手工藝」と「機械工藝」とに分つことが出来ます。一方は直接人間の手が製作するもの、一方は機械が生産するものです。
しかし、手工藝といっても一様に見るわけにはいきません。大体3つの方面に分れて進んだからです。1つは「貴族的工藝」で天侯富貴の人々のために作られるものです。人間の階級は品物にも階級を求めました。これが豪奢な品であるのは言うまでもありません。技術的に見て驚くべきものが出来ました。次には「個人的工藝」と呼ぶものであって、日本でいう「工藝美術」はこの部門に当ります。これは明らかに美術の影響を受け、個人的作者が美の表現を目的として自由に製作するものです。ここで初めて工藝品における銘の歴史が始まり、天才の作として尊敬を受けました。ここに注意すべきことは貴族的工藝も個人的工藝も、品物の姿を有つから等しく工藝品ではありますが、いずれも用いるためよりも、見るための要素が勝ってきます。それゆえに、これらの2つを「鑑賞的工藝」と呼んでいいでしょう。
鑑賞的工藝は、半美術的性質を受けます。共に高価であり少量ですから、一般民衆の生活とは縁がありません。しかしながら、これらとは別に、実用を主眼とし、民衆の生活に役立つために作られる多くの品物があります。これを「民衆的工藝」と名づけて総括します。あるいは、短くつめてこれを「民藝」と呼びます。著者は、「工藝が実用性を本性とする限り、この民藝が重要な位置を工藝に占めるのは明らかであろう。色々な工藝の中で人間の生活に一番直接に関係するのはこの種のものであるから、これを指して『生活工藝』と呼ぶのは至当であろう。貴族的なものや個人的なものに比べ、生産の量も多く価格もまた安い」と述べています。
3「美術と工藝」の「綜合の時代」では、著者は海南の孤島である琉球に渡って驚くべきことを見たことが報告されます。もう遠い過去の歴史と思われていたことを、目前に見つめたのです。これで、すべての藝能の原型が見られる想いがしたそうです。著者は、「この島ではまだ文字を知らない人が残る。だが見事な歌が彼らから生れる。それも紙に書くのではない。声で唱いながら読むのである。節附けなくして読みはしない。唱うから歌が出るのである。それもただ唱うのではない。必ず踊りながら唱うのである。踊るから唱えるのである。だが彼らは決して歌人ではない。音楽者ではない。舞踊家ではない。いわばそういう職業が分れる以前の人たちなのである。文学と音楽と舞踊とが一体であった時代の続きである」と述べています。
そんな区別が起った現代は、それらの人々の生活している世界ではありません。しかもそれらは暮しの中の出来事です。日常のさ中に在るのです。生活と遊離した文学や、音楽会の音楽や、舞踏会の舞踏では更にありません。著者は、「そんな他所行なものは未だ現れていない。否、そんなものはなくていい。暮しの中に凡てがあるからである。生活に藝能があり藝能に生活があるからである。ここでは『万葉』の時代が今も続く。私が驚いたのは、藝能が分化せられていない原始の形態がそこに見られたからである。そうしてそれらのものが生活と一体であるのを見出したからである。藝術が分業化され、生活面から離れ去った現在の事情と、どんなに異るであろう」と述べます。
「美術の限界」では、著者は「何が未来の道であろうか。この問題が迫る時、私は見棄てられた工藝の領域が重大な意義を齎すのを感じないわけにゆかぬ。よく美術が満たし得ない美の領域を背負い得るものこそ工藝ではないだろうか。美術文化は工藝文化へと進展すべき使命があろう。これこそは美術への否定ではなくして、美術の更生ではないか。美は美術的なるものを越えて、更に工藝的なるものへと発展せねばならぬ。美的価値は工藝的なるものへ深まらずして、その帰趨を見出し得るだろうか。工藝文化の発展こそは、美術文化の後に来るものとして迎えられねばならぬ。そこに文化の正当なる進捗がありはしまいか」と述べています。
「分離の余弊」では、かつては文学も音楽も舞踊も1つであったことが指摘されます。かつては建築も絵画も彫刻も器物も一体でした。相集って大きな伎藝の世界を示したのです。そうして、すべてが人間の生活に深い交りをもったのです。だがそれらの結合が漸次分裂する時は来たとして、著者は「詩人は音楽者と別れてしまった。建築家は美術家から去ってしまった。そうして美術家は工人たちと離れてしまった。各々の者が各々の道に進んだ。このことは全く異った様々な職業の対立を促すに至った。そうして互に昔の血縁を忘れて各々の仕事に耽った。かかる専門化は歴史の当然な過程であった。これが避け難いまたいつかは通るべき道筋であることは明白であった。だが分化することは、目的それ自身ではない。帰趨ではない。帰趨でない限りは、そこに幾多の矛盾を予期せねばならない。分化は一面に前進であると共に一面に退歩でもあった。1つを選ぶことによって他は往々に見棄てられてしまう。美術と工藝との分化は1つの発展であっても、多くの悲劇がこれに伴ったことを忘れてはならない」と述べます。
美術と工藝との分割は、通らねばならない歴史的過程であったでしょう。美術は多くの役割を果したのです。しかしながら、このような分割を更に続けることが文化を幸福にするでしょうか。分割するそのことに目的を見出し得るでしょうか。著者は、「それはある地点に到達するための、1つの通路であったというに過ぎなくはないか。分割は道程であり方便であって目標ではない。分化は綜合への準備である。そう解することによって分化の意義は更に高まるであろう。目指す所は統一であり結合である。私たちは再び新しい意義において美術と工藝とを調和せしめねばならない。かかる綜合こそは来るべき時代の求めではないだろうか」と述べるのでした。ちなみに、わたしは文化とは大きく分けて哲学・芸術・宗教に分けられ、それらを統合するコンセプトとしての「宗遊」を提唱しています。
わたしは、哲学・芸術・宗教は同根であり、人間が言語を操って抽象的イメージを形成し、文明を築いていく代償として「分離の不安」を宿したことへのリアクションだと考えています。AIに象徴されるさまざまなテクノロジーやグローバルな資本主義によって、人類はますます文明化していきます。そんな中で哲学・芸術・宗教は「宗遊」ととして統合されていくのではないでしょうか。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、習慣として継承して人々に伝えることが「教え」なのです。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが儀礼であり、広い意味での「遊び」だと言えます。
中篇「種々なる工藝」の1「手工藝」の「個人的工藝の性質」では、美術の発生によって低落した工藝の位置が、工藝美術によって向上される時は来たと述べられています。それは少数の作家たちによって名を得る工藝となりました。工藝の意義が彼らの双肩にかかるに至ったのです。著者は、敬意を以て顧みられるものは、個人の作のみになった。一般の工人の作は工藝界に位置らしい位置を有たなくなった。これは工藝史上における著しい現象といえよう」と述べています。また、「個人的工藝の限界」では、工藝美術が逢着する1つの大きな矛盾は、用を離れなくば高い美がないと考えたことにあると指摘し、「用を離れてこそ美があり得ると考えたことにあろう。だが古作品の美が如何に用そのものに発足しているかを否定することは出来ない。個人作家の作に、勝味が乏しいのは、用を二次にしたその不用意から来てはいないだろうか」と述べます。
もし用を軽視するなら、何故工藝を棄てて純粋な美術を追わないのか。工藝でありしかも美術たるを欲するこの両性に悲劇が宿ってはいないか。著者は、「もし工藝美術の存在が許されるとするならば、それは用に交る美を深く意識するところから出発せねばならぬ。用美相即が工藝の原理である。個人作家の凡ての錯誤はこの原理の認識を欠いたことによろう。美術性が工藝を高揚せしめるのではない。工藝は工藝の本性に立つことによってのみ、正しい工藝となるのである。『工藝的なるもの』は工藝において活かされねばならぬ。『美術的なるもの』は工藝を正しい方向に導くものではない。実用性の稀薄は彼らの作品を純粋にしたかも知れぬ。しかし美をまで純粋にしたのではない」と述べます。
個人作家は今後どんな道に出なければならないか。著者は、「どんな用意を整えることによって、彼らの作を意義深いものに為すことが出来るか。作家は工藝を美術に改めることによって、工藝を救い得ると思ったその錯誤から救われねばならない。工藝の美は『工藝たること』以外にはあり得ないであろう。だから用を恐れてはならない。数を避けてはならない。生活を忘れてはならない。作家は彼の作物を牀の間から茶の間へと移すべきではないか。このことこそ彼の作を健実なものにさせるであろう」と述べるのでした。
「民衆的工藝の性質」の冒頭を、著者は「手工藝は様々な姿を私たちに見せた。だがその中で種においても量においても最も多いのは民衆の生活のために用意される工藝である。この種の工藝の特色とする所は何であろうか。どこが貴族的工藝や個人的工藝と異るのであるか。直ちに5つのことが著しい特長として浮んでくる。1は一般民衆の生活のために作られる品物だということ。2はどこまでも実用を第1の目的として作られるということ。3には多くの需用に応ずるために多量に拵えられるということ。4つには能う限り低廉を旨として出来るということ。5つには作る者が職人たちであるということ。これらの性質こそは民衆的工藝の欠くべからざる基礎なのである」と書きだしています。
柳宗悦は、民衆的工芸としての「民藝」に従事する無名の職人を「工人」と呼びました。工人たちがよく正しい仕事を成し得るのは彼ら1人の力ではありません。伝統への従順が彼らにいい仕事をさせたのです。もう1つ工人たちを守護した力は組織でした。彼らは個人としては社会的にまた経済的に位置が弱い。もしも彼らを結合させる力が働かなかったら、彼らは存在を支えることが出来なかったでしょう。それゆえに、彼らが優れた仕事を成し得た場合を思うと、その背後に合理的な組織があったことがわかります。逆にいえばこの組織が瓦解した時、彼らの仕事は忽ち粗悪に流れ、生活は貧窮に沈んだのです。ここで組織と呼ぶのは、労働の合理的形態を指すのであって、相互補助の精神に立つものをいうのです。いわば協存的団結です。これをつづめて協団と呼んでいいでしょう。
特に民衆的工藝はその正当な発達をこの協団に依存していたといっていいでしょう。かかる組織は初めて彼らの仕事を悦びに導き、製作に責任の感を与え、道徳を起し、かつまた経済の安定を保障した。のみならずこれが工藝の綜合的発達を促したことは言うを俟たない。従って各種の工藝は相互に関連を以て、統一的にある価値標準に達することが出来た。組織の合理化は労働への救いであった。そうしてこの救いが品質を高めました。優れた工人は自然体であり、個人の表現を超えた「自然の力」によって作られた品に、美が宿るといいます。柳は、職人の技巧や個性(自力)ではなく、積み重ねられた習慣や伝統から生まれる「無心」の境地こそが、民藝の美を支えると主張しました。また、工人が作る作品が「健全(頑丈で機能的、かつ美しい)」であることを重視しました。わたしは「工人」から民禮(民衆的儀礼)を支える「礼人」という言葉を着想しました。
下篇「美と工藝」の1「工藝の成立」の「手工と道具」では、著者は「そもそも手とは何を意味するのだろうか。それは造化の妙のしるしとも思える。それは神が仕組んだ絶妙の機巧である。あるいは押し、あるいは引き、あるいは握り、あるいは開き、あるいは叩き、あるいは撫で、あるいは摘み、あるいは支える。上に下に、縦に横に、あるいは斜に、ある時は強く、あるいは静かに、ある時は柔く、ある時は速かに動く。物に準じ事に応じて変転自在を極める」と述べています。こんな機巧は手をおいてこの世の何処に見出せるでしょうか。おそらく科学が産んだどんな精緻な機械も、人間の手の仕組みほどには複雑ではないでしょう。それもわずかばかりの大きさの中に組み立ててあるではないか。解剖学者はこの仕組みに終りない驚愕を識っているでしょう。3つの関節を有った5つの指、手頸と肱、それらを包む柔き皮膚、硬き爪、内には骨、筋、管、肉、血、脂等々。それらの物質はまだしも、驚くべきことには神経を有ち直接心の働きに繋がります。だから手の技でありながら心の行いともいえます。
神が人間に手を授けた如く、人間は手のために様々な道具を作りました。手にますますよく手の仕事を果させるためです。用途に準じてあるいは切るものを、あるいは挟むものを、あるいは削るものを、あるいは叩くものを作りました。工具の種類を挙げたら字引が出来るでしょう。石器時代などと呼ばれるように、古くは石が大きな役割を勤めました。文化が進むとともに道具の種類は増してきます。錐、鉋、鋏、鋸、鑢、鏝、鎚、釘抜などなど。道具は手荒な仕事にもよく堪える強さがなければならないから、ここは主として金偏の世界です。しかし、もっと平和な箆、筆、刷毛、定規等から、もっと複雑な轆轤や鞴や手機に至るまで、その種類は非常に多いです。著者は、「小さな手の力には限りがある。だが人間の智慧はこれらの工具を考えて、手の力を何倍もの働きにふやした。これによって手は更に不思議な技を増して、世にも美しい数々のものを作り上げた」と述べます。
「伝統と現代」では、伝統はさまざまに栄えて、やがて民族の固有な工藝を産んだことが指摘されます。伝統はいわば律でした。人間の体験が帰納した法則でした。何をどう作るべきか、どう作ってはいけないか、そのことへの指針でありました。ですから、これに従う者は安全に仕事をすることが出来たのです。これを無視する者は躓く悩みを受けました。伝統は確かな灯火でした。著者は、「伝統への信頼は彼らをして彼ら以上の仕事をさせた。彼らは小さくとも、伝統に任せた彼らは大きかった。彼らの智慧は貧しくとも、伝統は智慧に充ち満ちていた。それは祖先たちの理智や経験の結晶であった。そこには学ばなければならないものが既に学んであるのである」と述べるのでした。
2「美の目標」の「渋さの美」では、幸にも日本では、ごく普通な言葉を借りて、深い美を現すことが試みられたことが指摘されます。すべての国民が美の標準を易々と語り得た国は、日本のほかにないといいます。それは他の国語に訳しようのないほど固有な言葉です。誰がいい始めたか、一語「渋い」という言い現し方で、最後の標準を述べました。著者は、「この言葉が隅々まで普及したのは『茶』が与って力があったであろう。この感覚的な言葉が、美学上の抽象的な観念に対し、幾重にも勝っている点は、ずっと具体的な特質を有つことにあろう。例えば色で伝わり、音で伝わり、柄で伝わる。くすめる色、枯れた声、静かな柄、皆渋さの境地を目前に見せる」と述べています。
「渋好み」といえば誰にでも通じるでしょう。それに「渋さ」「渋味」といった言葉は、「派手」というような鮮かな対蹠的言葉を一方に有つために、尚更その意味が分りやすいです。「渋い調子」といえばすぐその美しさの性質を掴むことが出来ます。それに「さび」という言葉がこれを補って、その意は誰の心にも響くのです。「渋さ」は観念ではなくして、具象です。このことが美の示標としてどんなに大きな力をもつかを指摘し、著者は「だからどんな人々にも遍く普及している。ただの会話の中にさえしげしげと入る。難解な学理の術語とは違う。美に対する究竟の標準を、かくして凡ての国民が共有するに至ったことは、おそらく世界の文化史上未曾有のことに属する」と述べます。
俳道でいう「侘び」も同じ心です。侘びも渋みも共に東洋の哲理を含んで、静寂な境地を指すのです。そこにはどこかひかえめがちな、内に含んだ、幽かなる趣きが匿されています。いわば動を静に摂取し、有を空に包摂した境地です。何ものも現わではない。何ものも騒がしくはない。老子はこれを「玄」と呼びましたが、玄は「黒」であり「幽」であり「寂」です。日本の古語を見るならば「かなし」という言葉が直ちに「美わし」さを意味したことに気づくでしょう。「寂び」「侘び」いずれも東洋の心であって、ここに美しさの帰趨を見たのです。
そして、「渋さ」とはこの帰趨の秘義を平易に伝える言葉なのです。しかもここには何か奥深いもの、厳そかなものが宿されています。人はしばしばそこに閑寂な老齢の境を連想します。若さはまだその階段に達することが出来ません。動であっても、静中の動に達し得ないからです。10を10に出すのは渋さではありません。まして10を12に見せるのが渋さではありません。12あって10に示すことこそ渋さの秘義です。残る2は含みです。これなくして幽の美はありません。第1は「残り」なく、第2は「厚み」なく、第3にして充分に「濃い」。渋さに伴う重みや深さはここに由来します。著者は、「美は饒舌であってはならぬ。どこかに沈黙の要素がなければならぬ。美は騒がしくあってはならぬ。どこかに静けさがなければならぬ。渋さはそう吾々に告げる」と述べるのでした。
3「工藝美の特色」の「実用性」では、「用」という言葉で見る力を妨げてはいけないと訴えます。もしも「用」という字が躓きやすいなら、「生活」という字に変更したらいいという著者は、「生活に交って現れる美、それを工藝美と呼んでいい。生活を豊にするもの、温めるもの、潤すもの、健かにするもの、そこに工藝の美が宿るのである。かかるものは生活を離れた美より、もっと深い意義がありはしないか。工藝は生活工藝なのである。その美は生活に即することから来るのである。ここにかえって工藝美の強靭な基礎が見える」「用に即してこそ美が健実な基礎を得るのである。ここに新しい美学を見出し得ないだろうか。それは美が用に一致するということを述べるのみではなく、用に交ることによって美の確実性が約束されるという真理を語るのである」と述べています。
「低廉性」では、著者は「今日、日本で1個の器物に対して最高の価格を呼ぶものは何か。私たちの心にはすぐ茶器が浮ぶ」と述べます。それは「大名物」と称して初期の茶人たちが熱愛したものです。それ以来累代の茶人たちはこれらのものに随喜の涙を流したのです。この世に多くの器があろうとも、その美の深さにおいて、これ以上のものを考えることが出来ないとされます。だから万金といえどもまだ安いのです。彼らはすべての評価を越えたものだとさえいえるでしょう。しかし、それらの茶器は何なのであるかとして、著者は「茶碗は朝鮮の貧乏人が使った飯茶碗なのである。茶入は支那から渡った薬入の小壺である。土地では数銭もしなかったであろう。見ると多くは傷ものであるから、値らしい値はなかったであろう。撥ねものでさえあったであろう。いずれにしてもこんな安ものはなかったのである。安ものの代表的なものであったのである。だが茶人の眼は、それに素晴らしい美を見つめた。そうして彼らの愛着はそれをまたとない茶器に仕立てたのである。それ以上の名器はないまでにしてしまったのである」と述べています。
「不自由性」では、美術と工藝を比較します。共に画題を花鳥とします。一方は筆で紙の上に描くとし、一方は絨緞に織り出すとします。この場合紙に描く方は筆が自由で、描きたい思う形を、描きたいと思う線や色で現すことが出来ます。ところが絨緞の場合はそうはいきません。織るという工程は線を自由にしません。色のぼかしにも段がつきます。形は織に制せられて思う通りには行きません。綴織の場合などがよく示す通り、すべての曲線は、実は直線から組み立てられているに過ぎないのです。しかも線はいつだって不揃いです。著者は、「どんな花もどんな鳥もこの不自由な制限のもとにのみ表現される。それも絹とか毛とか材料に順じて異った制限が加えられる。だから原の図はどうしても正確には出てこない。ここでは忠実な描写は無理なのだと分る。そんな自由は許されていないのである」と述べています。
さて、一方は描写が自由ですが、織の場合はこの自由がありません。何も織物に限らず他の工藝でも多かれ少かれ事情は似ています。工藝がしばしば「不自由藝術」と呼ばれたのはこのためです。しかし、ここで不自由というのは侮蔑の意味になっています。このために筆で自由に描ける絵画の方は純粋藝術で、織物の如き制約を受けるものは、一段と格の下ったものとされました。著者は、「この不自由さということが、どんなに工藝を蔑む理由に数えられたか分らぬ。だが不思議である。工藝ではこの不自由さが、ものを美しくする原因に変る。この不自由さがあってこそ、ものが美しくなるのだとさえいっていい。もしかかる不自由がなかったら、それこそ工藝の美は、どんなにその表現を不自由なものにするだろう。逆説のようにとられるかも知れぬが、ある世界に来るとむしろ不自由のみが、美を自由にするのである」と述べます。
どうして不自由さが美の基礎となり得るのでしょうか。美にとって自殺すべき性質だと考えられる不自由さが、どうして逆に美を保障してくれるのか。著者は、「おそらくこう答えて充分いい説明となろう。不自由というのは人間の立場からの嘆きに過ぎない。自然の側からすると、人間が不充分により働けないだけに、自然が自由に働く余地が出るのだと説いていい。人間が不自由にさされるのは、彼の過ちが出ないように抑えてくれるからだともいえる。それだけ過ちのない自然が加担してくれるのだともいえる。工藝に『間接性』がなかったら、人間はどんなに罪を曝さなければならないだろう。工藝に『不自由性』がなかったら、人間はどんなに、醜い自分を無遠慮に出すだろう。間接も不自由も人間への救いなのである。工藝が美しくなるのはこの救いがあるからである」と述べます。
だから美の道はこう教えているのです。何を作るにしても、材料や工程の性質に逆ってはいけない、と。その制約を不自由とは呼びますが、それがかえって美を厚く保ってくれるのです。その不自由さが、自ら招く形なり模様なりを、素直に受け取ればいいのです。それなら美しさに間違いはありません。いわば自然の自由さが人間の不自由さを越えて、仕事を完成させてくれるからです。著者は、「工藝の道を歩く者はこの不自由さの恩沢を充分に感謝しなければならない。これより安全なまた大きな美への保障はないからである。『不自由性』と美との結縁は深い。実用性とか多数性とか非個人性とか不自由性とか、今日まで美を多く拘束するものと考えられた数々の性質が、かえって美を確実ならしめる基礎なのがこれで明らかにされたであろう」と述べるのでした。
4「美の国と工藝」の「美の国への要望」の冒頭を、著者は「もし道徳家であったなら、きっと真剣にこう思うであろう。どうしたらこの世を道徳的に正しくすることが出来るか。どうしたら悪の勢いを制御しおおせるだろうか。1人でも善人をふやすことは、与えられた義務ではないか。それは人類そのものの意志だともいえよう。同じように宗教家であったなら、衆生済度の発願に燃えるであろう。どうしたらこの世を浄くすることが出来るか。日夜このことで心を励ますに違いない。これこそは僧職にある者の懐く本願ではないか。これこそは、神の命じ給う所ではないか。美に携わる者だとて同じである。どうしたらこの世を美しくすることが出来るか。能うことなら凡ての醜いものを地上から取り去ってしまいたい。この世を美の国にすることこそ、人間の有つべき理念ではないか。これを自然自らのまぎれもない意向であるといえないだろうか」と書きだしています。
しかし、懐疑的な人はこのように言うかも知れません。「多くの道徳家たちが、無数の金言を遺してくれたにかかわらず、この世は良くなったでだろうか。孔子の『論語』や、アウレリウスの『冥想録』は今も印刷を続けてはいますが、そのためにどれだけこの世は正しくなったろうか。悪は減りつつあるだろうか。同じように幾多の聖者たちが、繰り返し繰り返し神の恩寵や、信仰の奥義を説いてはくれましたが、聖いものへの敬慕はむしろ弱まりつつあるのではないか。今も経文や聖書は厳然として存在はするが、神の王国を来そうとする希いは、望みなき望みに過ぎなくはないか。同じようにまた、幾多の無名有名の天才たちが美しい作物を残して、何が美であるかを目前に示してくれたにかかわらず、今は醜いものが無数に群り集るではないか。美しさが果してこの勢いに勝ちおおせるであろうか」と。
それにしても美の世界は事情が悪いです。国家は罪に対して法を設けていますが、醜さに対しては何も施しはしません。ひどい行いでも、そのままに放置してあります。それに道徳の領域なら便るべき古典があります。1冊の『中庸』を繙いただけでも、数々の真理を教わることができます。心あるものならそれで充分反省が出来るでしょう。宗教の世界に来ると、崇むべき書物は一段と多くなります。一巻の『維摩経』を開けば、驚くべき奥義が書いてあります。汲み取っていい教えは1つや2つではありません。聖アウグスティヌスの『懺悔録』の頁を辿ると、ひしひしと胸に迫ることが書いてあります。著者は、「自らの行いに当て嵌めてみれば、金玉の文字だと知れる。それに幸なことに、それらの書物はわずかばかりの金子で購うことが出来る」と述べます。
しかしながら、美の世界に来ると、こんな尊い古典は存在しません。1冊だってありません。著者は、「不思議であるが凡ての問題を取り扱った聖アクィヌスでも、美しさについては、まとまった言葉を残していない。アリストテレスの悲劇に関する学説は有名であるが、そのままでは美の聖書にはならぬ。私たちは、美学書から美の福音を受け取るわけにゆかぬ。得られるものは抽象的な知識に過ぎないのである。なぜ美の世界に僧侶が出ないのであろうか。美についての説教が試みられないのであるか。拠るべき教えが何処にもないから、何が美であり何が醜であるかについて人々は迷う。美の経巻が1冊でもあったらと私はよく想う」と述べます。
「美の国と工藝の国」では、「生活に交る美とは何を意味するのか」という問いが発せられます。それは用途に交るということです。それなら工藝がいかに大切な仲立だかがわかります。美と用とが交るものを工藝と呼ぶからです。しかも用は多を誘います。工藝は多くの工藝であり、また多くの者の工藝です。著者は、「工藝の国こそ美の国が現れる世界ではないか。これを措いて何によって美の国を来そうとするのか。私たちに希望を燃やさせるのは工藝の世界があるからである」と述べています。
『法則の法則』(三五館)
そして「安全道」では、「安全とは何なのか」という問いが発せられます。それは法則に依ることに外ならないといいます。法は自然の所有です。だから美を自然さに帰すという意味にもなるでしょう。著者は、「人間はとかく誤謬を犯しやすい。だから自然の力が加わることが大きいほど安定だともいえるであろう。裏からいえば人間の我儘を出さないほど安全なのだといえる。人間の務めは自然の力を守るためであって、それを乱すためではない。もともと人間が加わらずば藝能にはならない。しかしそれは自然への反抗ではなく、自然を更に自然に活かすのが藝能の使命である。このことが見失われると、何ものも美を保障しなくなるであろう」と述べるのでした。わたしには『法則の法則』(三五館)という著書がありますが、「安全とは法則に依ることに外ならない」という著者の発言が強く心に残りました。