No.2469 哲学・思想・科学 『民藝とは何か』 柳宗悦著(講談社学術文庫)

2026.06.05

『民藝とは何か』柳宗悦著(講談社学術文庫)を紹介します。単行本の初版は、昭和16年(1941年に昭和書房より刊行されています。人間国宝である十四代 今泉今右衛門氏と「工芸文化」と「儀礼文化」の視点から「日本文化」の本質を語り合う趣旨の対談の参考文献として読んだのですが、大きな刺激を受け、新たな発見も得ました。著者の柳宗悦は、1889年生まれ。東京帝国大学哲学科卒。宗教哲学者、民芸運動の創始者。学習院高等科在学中「白樺」同人。日本民藝館初代館長。「工藝」創刊。1961年没。

本書のカバー裏表紙には、「『民藝』とは、民衆が日常に使う工藝品である。民家、民具、民画を総称して『民藝』と呼ぶ。『民藝品たること』と『美しく作りたること』には、固い結縁があり、質素こそが慕わしい徳である。このように清貧の美を説いた筆者の理念とは? 昭和の初頭に創始され、現在にまで受けつがれる『民藝運動』の精髄を知るための格好の入門書」という内容紹介があります。

本書の「目次」は、以下の通りです。
「凡例」
「序」
民藝とは何か
第1篇 なぜ民藝に心を惹かれているか
1.民藝とはいかなる意味か
2.何故特に民藝が論ぜられねばならぬか
3.誰が民藝の美を最初に認めたか
4.私達は民藝の美に盲目であっていいか
5.何故私達に民藝の美が認識されるに至ったか
第2篇 民藝から何を私が学び得たか
1.民藝の美はいかなる世界を示しているか
2.誰の手から民藝の美が生れたか
3.民藝の美は何故健全なるか
4.安い民藝が何故美しくなるか
5.正しい民藝はいかなる社会から起ったか
美の国と民藝
日本民藝館について
民藝の性質
挿絵小註
Nature of Folk-crafts(英文)

「序」には、著者が「私の信念では、将来造形美の問題は必ずや工藝を中心とするに至ると思うのです。中でも民衆と工藝との関係、言葉を換えれば生活と美との交渉が最も重要な問題となるでしょう。その時民藝が何より重大な意義を齎らすことは疑う余地がないのです。なぜなら人間の日常生活に美を即せしめる道は民藝をおいて他にないのです。その向上と普及とがなくば美の国は決して実現されないでしょう。それに近時地方文化の価値がようやく認識を深めて来ましたが、この場合民藝の意義は一層重要なものとなるでしょう。なぜなら固有の民藝は地方において最もよくその伝統を維持しているからです。日本の独自な国民性を表現するために、民藝はどうあっても繁栄せねばならないのです」と書いています。

著者いわく、あの天動説が一般の人々から支持されていた時、地動説は冷笑と罵倒とのうちに弁明を努めねばなりませんでした。しかしかこのような弁明が全く不必要となる日は幸いにも来たのです。どこに事新しく地動説を弁護する者があるでしょうか。そして、どこに事改めて天動説を非難する者がいるでしょうか。もう真理は常識にまで高められているのです。しかしながら、工藝の問題、特にその美の問題において、人々はまだコペルニクスの時代以前に彷徨っており、それに対しては強硬な明晰な抗議が必要とされるといいます。著者は、「私のこの小冊子は同じような必要に迫られて印刷に附せられるのです。私にとっては極めて平明な考想も、最初は非常識と考える人々があるでしょう。なぜなら私が述べようとする趣旨は、一般の人々に1つの価値顚倒を迫るからです。私は私の平凡な思想が、現在でもなおかつ革命的な意味を有つことを省みないわけにはゆきません」と述べます。

著者によれば、民器というと「雑なもの」という連想が余りに強いといいます。人々がもつこの連想は、常に著者の考えを拒避するように見えます。あの太陽が地球を廻ると考えたその考えが、ぬけないのと同じだというのです。著者は、「私は私の考えを単なる一時の考想から述べているのではないのです。このことを確信するのに十有余年の経験と観察とが過ぎ去りました。私は観たのです。そうして愛したのです。集めまた用いたのです。そうして考えたのです。日々それ等のものと親しく暮し、見つめてはまた省みたのです。私は私の立言が、よし誤解を受けても、その根底に直観と情愛と理性とを有つことを信じ、安らけさを感じるでしょう。私の立論にもう惑いはないのです。『私を信じてほしい』、もしこれが不遜な言い現わしであっても、私は最後にそう云うよりほかはないでしょう」と述べます。

ある人は「民藝品のようなものは、非常に限られた特殊な問題に過ぎない」と言うかもしれません。しかし、著者によれば、そうではないのです。思えば思うほどそれは単に工藝の一問題ではなく、その本質問題であることを著者は理解するに至ったのです。しかもそれは美の問題に終るのではなく、直ちに生活や経済や社会や、ひいては道徳や宗教の諸問題にも連関してきます。著者は、「私は一個の民器に文化の諸問題の明確な縮図を見たのです。これを尋討することは、自然や人間の秘義を解く鍵を与えてくれると思えるのです。私はこの題材に触れることに深い意味を感じました」と述べるのでした。

「民藝とは何か」の第1篇「なぜ民藝に心を惹かれているか」の1「民藝とはいかなる意味か」では、民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義であると述べられています。それゆえ、実用的工藝品の中で、最も深く人間の生活に交る品物の領域だといいます。俗語でかかるものを「下手」な品と呼ぶことがあります。ここに「下」とは「並」の意。「手」は「質」とか「類」とかの謂。それ故民藝とは民器であって、普通の品物、すなわち日常の生活と切り離せないものを指すのです。

それゆえ、不断使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々。そういうものを民藝品と呼ぶのです。したがって珍らしいものではなく、たくさん作られるもの、誰もの目に触れるもの、安く買えるもの、何処にでもあるもの、それが民藝品なのです。それゆえ、おそらくこれに一番近い言葉は「雑器」という二字です。昔はこれ等のあるものを雑具とも呼びました。したがってかかるものは富豪貴族の生活には自然縁が薄く、一般民衆の生活に一層親しい関係をもっています。それ故、実用品の代表的なものは「民藝品」です。

民衆的工藝と貴族的工藝と、どういう区別があるか、その性質の違いはどこにあるか。著者は、このように考えていいと言います。民藝品は民間から生れ、主に民間で使われるもの。したがって作者は無名の職人であり、作物にも別に銘はありません。作られる数もはなはだ多く、価格もまた低く、用いられる場所も多くは家族の住む居間やまた台所。いわゆる「手廻り物」とか「勝手道具」とか呼ばれるものが多く、自然姿も質素であり頑丈であり、形も模様もしたがって単純になります。作る折の心の状態も極めて無心なのです。とりわけ美意識等から工夫されるものではありません。材料も天然物であり、それも多くはその土地の物資なのです。目的も皆実用品で、直接日々の生活に必要なものばかりなのです。製作の組織は多くは組合。これが民藝の世界なのです。

これに対し貴族的なものは、上等品であり貴重品です。したがって数は多くできず、また金額も高価になります。作る者は多くは名工。それ故、器には在銘のものが多いのです。用いる人は貴族や富者です。実用品というよりも飾り物が多く、必然置かれる場所も客間や床の間。姿は絢爛であり、丹念であり、複雑なのです。技巧は精緻を誇り、作る者も工夫し加工し、意識して作ります。材料も珍らしきもの、精製したものをと選びます。製作の組織は多くは官や富者の保護によります。こういうものがいわゆる貴族品の性質なのです。俗語でこれ等のものを「上手物」と云いますが、これはもとより「下手物」に対する言葉なのです。

一方が「民」なら、一方は「官」です。一方を民本的と云い得るなら、他は貴族的なのです。前者を協団的と云い得るなら、後者は個人的とも云えます。1つは「通常」の世界に住み、1つは「特殊」の世界に活きます。一方は「無想」に生れ、一方は「有想」に発し、前者は「平常心」を示し、後者は「分別心」を語ります。わたしは、この著者の「民藝」という考えから、「民禮」という新しい言葉を思い浮かべました。「民藝」は民衆的工芸という意味ですが、「民禮」は民衆的儀礼という意味です。宮中儀礼などの「有職故実」とは一線を画すもので、一般庶民の生活に根ざした儀礼を指します 。具体例には、冠婚葬祭や年中行事など、日々の暮らしの中で受け継がれてきた「礼」の実践が含まれます 。

2「何故特に民藝が論ぜられねばならぬか」では、工藝史家は今日までほとんど貴族的なものにのみ過重な注意を払うことによって、工藝そのものへの理解を喪失してしまったことが指摘されます。著者は、「彼等には全く美の標的がないのです。いかにしばしば等しい讃辞を、美しいものと醜いものとに平等に献げてきたでしょう。これほど不平等な歴史観がありましょうか。就中個人的在銘の作に彼等の注意が集っています。しかしそれは工藝史を極めて狭い一隅に追いやるのと同じなのです。それも工藝史の一部を占めるでしょうが、むしろ傍系に属すべきものと云っていいのです。民藝が公道なのです。工藝の正史は民藝史なのです」と述べています。

3「誰が民藝の美を最初に認めたか」では、茶室の美もいわば「下手」の美であることが指摘されます。それは元来贅沢な建物ではなく、範を民家にとったのです。それも小さな貧しい粗末な室なのです。著者は、「今も古格を保つ田舎家は美しい。あの納屋や、水肥小屋や、または井桁の小窓があけてある便所すらも、形が美しいではありませんか。私は特に朝鮮を旅する毎に、あの民家に茶室の美を見ない場合とてはないのです。あのきたないとか、むさくるしいとか、暗いとか、見すぼらしいとか云われる小さな田舎家こそ茶室の美の手本でした」と述べています。

ブログ『工藝の道』で紹介した著書で、「今日まで『下手物』の美を深く鑑賞した人があるか」という問いに対して、著者は「私たちは初期の茶人たちを挙げる。いわゆる大茶人と称せられる人々で珠光とか紹鴎とか利休とかまたは相阿弥のような人々である。下っては光悦らもそれらの間に列する。それらの茶人たちほど民藝の美を深く見守った人々は世界にない。工藝品に対する日本人の卓越した愛慕は、全く茶道に涵養されたものだと云ってよい」と答えています。初代の茶人達はあり合せの木や竹や土で心ゆくばかりの茶室を建てる力があったのです。「茶」の美は清貧の美なのです。著者は、「今のように金に頼って数寄をこらす時、もう茶室は死んでしまいます。私は新しい茶室によいのを見たことがありません。鷹ヶ峰を訪うてみてください。あの思い出深い丘に、無遠慮に建てたたくさんな新立ちの茶室を見て、地下の光悦は嘆息しているでしょう。冒瀆でないと誰が言えるでしょう。

茶料理とても同じです。今は山海の珍味を旨とし、強て季節はずれのものを誇ります。したがって価は極めて高いのです。だが真の茶料理はそうではないはずです。その土地のもので季節の品を選ぶのが本筋なはずです。それも田舎の手料理がよく、そこには土地の香りがあり、自然の健康な味いがあります。著者は、「茶道の深さは清貧の深さなのです。茶器の美しさは雑器の美しさなのです。読者はあの『大名物』の美を信じてくださるでしょう。そうして渋さを美の最後と解してくださるでしょう。それならその信頼は民藝品への信頼だと考え直してくださらないでしょうか。もし茶人達の、世にも優れた眼を慕われるなら、民藝品への眼をこそ愛されていいはずです」と述べるのでした。

第2篇「民藝から何を私が学び得たか」の1「民藝の美はいかなる世界を示しているか」では、稀有なものは公道ではないはずだと述べています。あの誰でも歩む大通りこそすべての者を迎えて、都にと導くといいます。稀有なものにも特殊な美しさは見えます。しかしそれは本道の美ではないのです。精細とか華麗とかの美はあるでしょう。しかしそれは美の極致ではないとして、著者は「民藝こそは美の公道なのです。この素朴な民器にこそ最も広い工藝の本道があるのです。貴族的なものは優れている場合でもどこか弱く、実用的な民器は貧しい場合でもどこかに健かさが見えます。そこには活ける生命の美が現れています。あの平凡な世界、普通の世界、多数の世界、公の世界、誰も独占することのない共有のその世界、かかるものに美が宿るとは幸福な報せではないでしょうか。否、かかる世界にのみ高い工藝の美が現れるとは、偉大な1つの福音ではないでしょうか。平凡への肯定、否、肯定のみされる平凡。私は民藝品に潜む美に、新しい一真理の顕現を感じるのです」と述べています。

3「民藝の美は何故健全なるか」では、本書が書かれた昭和16年まで工藝の美は「どれだけそれが美術的であるか」によって評価されてきたことが指摘されます。したがって美のために作られた物が最高の作と考えられてきました。それゆえに「美術品」である「貴族的なもの」が高く評価せられ、またそれが美の標準とさえ考えられるに至りました。しかし民藝品に示される美は、このような標準に根本的修正を迫ってくるとして、著者は「それは私達に次のように教えます。工藝の美を決定するものは、それがどれだけ美的に作られているかということではなく、それがどれだけ用途のために作られているかということであると」と述べています。

工藝美はかくして2つの面よりなる1つの真理を語っています。(1)もし用から美が出ずば、真の美ではないと。(2)もし美が用に交らずば真の用にはならないと。工藝においては用美相即なのです。用を離れて美はないのです。これは工藝における根本的約束であるとして、著者は「この法規を乱すものは美をも乱すと云っていいのです。あの用を忘れて美をのみ求める時、それは『美術』と呼ばれても、『工藝』と名のることはできないのです。用途なくして工藝の世界はないからです。そうして『工藝たること』なくして工藝美はあり得ないからです。今のいかに多くの工藝品は美によって用を殺しているでしょう。否、用を無視しているが故に真の美をも殺しているのです。『美だけ』というが如き怪物は工藝の世界にはないのです」と述べます。

なぜ民藝品が美しいか。著者は、「それが用品中の用品だからと言えないだろうか」と述べます。人々はそれらのものを用いずしては、日々を暮すことができないのです。しかもそれは一般民衆の日常生活に最も多く関係してくるものです。著者は、「私達は民藝品において全き用の姿を見るのです。かくして用に交ることにおいて、ますます美にも交ってくるのです。民藝品は自から美しい民藝品たる運命をうけているのです。用は美を育くむ大きな力なのです。用とは奉仕なのです。仕える者は着飾ってはいられません。単純な装いこそ相応わしいのです。自からひかえめがちな、静な素朴な姿に活きています」と述べます。

なぜ貴族的な品が多く病に罹るのでしょうか。用を務めないからです。働き手ではないからです。それは多く床に据えられて働くことを厭っています。働くにしては余りに着飾り過ぎているのです。錯雑さがなぜ美を乏しくするか。それは働くに邪魔だからです。著者は、「働かずば必然体は弱くなります。彼等はおおむね繊弱なのです。錯雑を去り華美を棄て、すべての無駄をはぶいて、なくてはならぬもののみ残ったもの、それが民藝品の形であり模様なのです。『なくてならぬもの』、これこそ美の基礎であると云えないでしょうか」と述べています。

工藝における醜は用と美との分離によるという著者は、「今日の作が悪いのは用を忘れて美を盛ろうとするからです。もしくは用を次にして利を先にするからです。真に用に仕えるものに、悪いものはあり得ないはずです。用が美を生むからです。事実日常品であった民藝品に不健康なものがあったでしょうか。それが悪くなったのは近代での出来事に過ぎません」と述べます。用が生命であるため、用を果す時、器は一層美しくなってきます。作り立ての器より、使い古したものはさらに美しいではありませんか。「手ずれ」とか「使いこみ」とかが、器に味いを添えてきます。それ等のものこそ床に飾っていいとして、著者は「飾って眺めるのは、長い間の彼等の労役を讃えるためです。その美には奉仕の歴史が読まれるのです。なすべき仕事をなしたその功が積まれているのです。私達がその美を語り合うのは、よく用いられたその生涯の美を語っているのです」と述べるのでした。

4「安い民藝が何故美しくなるか」では、過去の民器ほど、「多」「廉」「美」の三を一に結合し得ているものはないと指摘されます。その相互の関係には極めて必然な結縁が潜んでいます。これを破壊したのは許すべからざる近代的罪過でした。そもそもあのわずかな高価な貴族的な品物の、ほとんどすべてに見られる通有の欠点は、1つに意識の超過により、1つに自我の跳梁によるとして、著者は「一言で云えば工風作為の弊なのです。ですが民藝品には最初からまた最後までこの弊が起らないのです。なぜ民藝品には作為がないか。私はこう答えることができましょう。多く作り安く作るからだと。多産は技巧の罪を忘れしめ、廉価は意識の弊を招かないからです」と述べています。

自然な美、ここに人々が讃える雅致の美が生ずるのです。あの奔放なこだわりのない活々した美は、ここから生じるのです。著者は、「初期の茶人達が粗末な民器に雅致を見出し、これを茶器に選んだのは全く正しいのです。ですが後に雅致をねらって、強いて器を工風した時、すべての雅致は死んでしまったのです。それは故意であって、自然の美ではないからです」と述べます。また、5「正しい民藝はいかなる社会から起こったか」では、民藝の美は協団的美であると指摘します。その背後には結合せられた人間がいるのです。その基礎は個人の力により遥か大きなものであるとして、著者は「私達は再び正しい民藝品を甦らすために、今も組織を改めねばなりません。砂上に桜閣を築く者は愚だと云われます。それなら利己的な商業主義の上に工藝の建築を試みる者も愚かなのです。しかしかかる愚かな努力が、今も無益に繰り返されているのです」と述べるのでした。

「民藝の性質」では、著者は文化問題において、工藝問題の意義が極めて重要であることを信ずる者の一人であると告白します。将来の美学は工藝学によるところが大きいのを疑うことができないと言います。著者は、「ここでちょっとお断りしておきたいのは、工藝という言葉の内容です。御承知の通り産業革命以来、工藝は二分野に分れ、機械製品と手工藝とが対立するに至りました。前者はある意味では進歩した道ではありますが、不幸にも貧慾な商業主義と深く結合したため、品物を粗悪にしました。それに機械が発達すればするほど人間がそれに支配されるため、工人達から責任の念や仕事への歓喜の情を奪い取りました。ですからできたものは多くの場合冷たくまた粗末なのです。それ故工藝の正しい性質は今なお手工藝の方に保有されているのです。労働への悦びも、仕事への道徳も、手工藝の方には豊に見出すことができるのです。それ故工藝と呼ぶ時、私は手工藝を以てこれを代表さすことが至当だと考えます」と述べています。

著者は、工藝は国民的でなければならないと訴えます。しかも国民的なものは互に反目するものではないといいます。著者は、「興味深いことには国民的な作品ほど普遍的要素を含むものはないのです。最初から国際性をねらったものは、結局どこの国のものにもならないでしょう。これに反し国民的なものは、どこの国のものとも並在し調和する国際性を有っているのです。かかる意味で将来の美は国家的でなければなりません。そうして国家的なるものを互に尊敬し合うことに将来の世界の平和があると思います。民藝の美学は私にかかる信念を呼び起してくれるのです」と述べるのでした。本書が昭和16年、つまり戦時中に書かれたという事実に、わたしは大きな感動をおぼえました。ここに書かれていることは疑いもなく、国民が主役という民主主義そのものであり、平和主義そのものです。著者の「民藝」から「民禮」を着想したわたしは、いずれ本書のような『民禮とは何か』という本を書きたくなりました。