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No.2475 哲学・思想・科学 『ゴーストランド』 コリン・ディッキー著、熊井ひろ美訳(国書刊行会)
2026.07.02
コロナ禍のあいだに書き溜めていた書評ブログを蔵出しすることにしました。今回は、『ゴーストランド』コリン・ディッキー著、熊井ひろ美訳(国書刊行会)を紹介します。「幽霊のいるアメリカ史」というサブタイトルがついています。著者は、1977年生まれ。南カリフォルニア大学で比較文学の博士号を取得。死、幽霊、奇怪な事象、隠された歴史の研究家。現在ナショナル・ユニヴァーシティ創作科准教授。著書に『クラニオクレプティ(頭蓋骨盗み)』(2009年)、『聖者たちの死後の生』(2012年)、『病理解剖学アンソロジー』(2014年、共編)、『正体不明』(2020年)などがあります。
本書の帯
本書の帯には、「幽霊の国アメリカの深層」と大書され、「もうひとつの歴史を探す旅」「全米各地に残る幽霊話にはこの国の失われた過去が潜んでいる。セーラムの魔女裁判からハリケーン・カトリーナまで幽霊話に秘められた歴史とその深層を探った話題作」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、「死者とその霊に関する物語を私たちはどのように扱い、幽霊が出るとされた空間に私たちはどのように住み、その空間をどのように通過しているのだろうか? こういった疑問は、幽霊を信じていようといまいと変わらない。たとえあなたが超常現象を信じていなくても、幽霊話や幽霊の出る場所の言い伝えは、過去や亡き人と向かい合うためのきわめて重要で強力な手段の1つになる。結局のところ、これは場所と物語の関係についての本だ。――(本文より)」と書かれています。
さらに、カバー前そでには、「アメリカ各地に残る幽霊話は、この国が忘れようとしてきた過去を闇の中から呼び起こす。著者は合衆国を横断して幽霊が出没する有名スポット――家や館、ホテル、売春宿、刑務所、精神病院、墓地、公園、廃工場などを訪問。それぞれの場所に秘められた歴史を掘り起こしていく。先住民、魔女裁判、奴隷制、南北戦争、心霊主義、銃と暴力、自然災害――幽霊たちがかきたてる恐怖の背後には、人々が抱える根源的な不安や過去の記憶がひそんでいる。17世紀セーラムの魔女裁判からハリケーン・カトリーナまで、各地の幽霊話の調査分析を通して『幽霊の国アメリカ』の深層を探った話題作」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の通りです。
「著者より一言」
序 幽霊出没の解剖
ニューヨーク州ニューヨーク
Ⅰ 非家庭的なもの
――家と館
第1章 隠し階段
マサチューセッツ州セーラム
第2章 動く土地
ルイジアナ州セントフランシスヴィル
第3章 果てのない家
カリフォルニア州サンノゼ
第4章 鼠穴の啓示
ニューヨーク州ジョージタウン
&イリノイ州ブル・ヴァレー
第5章 短命の家系
ミズーリ州セントルイス
Ⅱ 閉店後に――
バー、レストラン、
ホテル、売春宿
第6章 悪魔のような場所
ヴァージニア州リッチモンド
第7章 ベイビー
ネヴァダ州リノ
第8章 通り過ぎる
カリフォルニア州ロサンジェルス
Ⅲ 公共心ある幽霊たち
――刑務所、精神病院、
墓地、公園
第9章 憂鬱なる観想
ウェストヴァージニア州マウンズヴィル
第10章 染み
マサチューセッツ州ダンヴァーズ
&オハイオ州アセンズ
第11章 悪魔が来るのを待つ
サウスカロライナ州チャールストン
&カンザス州ダグラス郡
第12章 我らが高名なる死者
テネシー州シャイロー
第13章 大聖堂公園を吹き抜ける風
オレゴン州ポートランド
Ⅳ 無用の記憶
――都市と町
第14章 濡れた墓
ルイジアナ州ニューオリンズ
第15章 廃墟の中で
ミシガン州デトロイト
第16章 ヒルズデール、USA
エピローグ「ニューマシンの幽霊たち」
カリフォルニア州アレンデール
「謝辞」「訳者あとがき」
「文献注」「索引」
序「幽霊出没の解剖 ニューヨーク州ニューヨーク」では、幽霊の定義について語られます。 幽霊とは、歴史家トマス・W・ラカーによれば、「表現できないものの表現、つまり、どこかにいた死者」だといいます。著者は、「生活のほぼすべての瞬間が写真や録画や文書に記録される世界でも、過去の空白部分がなお私たちを手招いている。幽霊探しは、失われたものを再現しようとする試みになる。置き間違えられ忘れられた物語を求めて時間をふるいにかけることにより、思い出してほしいと呼びかける声に私たちは耳を傾ける。幽霊話は未完の結末、壊れた関係、説明されぬままの物事を中心に展開する。それが与えてくれるのは既存のものとは違う種類の歴史で、さもなければ無視されていたかもしれないものを前景化する」と述べています。
アメリカ人はアメリカを、進歩に基づいて統合され団結した統一体としてみなしたがります。価値観は永遠に改良され続けて、歴史の弧は正義へと向かっているはずだというのです。しかし、幽霊がここまで広く行き渡っているという事実からすると、そうではないらしいとして、著者は「わが国の森や墓地や家や都市に出没する幽霊は、不安なときに姿を現し、国や地方のアイデンティティの不安定さを暗示する。幽霊話はフロイトが言うところの『抑圧されたものの回帰』で、思い出したくないなにかが別の形で戻ってくる――かの有名な『フロイト的失言』(フロイト自身は「失錯行為」と呼んでいた)のように、潜在意識の奥に隠しているなにかが暴かれるのだ」と述べます。
アメリカの幽霊話は、それ自体が国家の夢(または悪夢)であり、共同体全体のフロイト的失言だといいます。つまり、遠い過去のことでもう重要ではないと思い込んでいた物事の、厄介な思いがけない表れなのです。著者は、「アメリカ史が大きな進歩の指標の連続として学童に教えられているならば、アメリカの幽霊話の歴史は、未解決のままの犯罪か、私たちがいま後ろめたく思っている罪の連続だ。幽霊話は、一見説明のつかない事柄に説明を与え、不正行為の事後処理をし、私たちの暗黙の欲望と恐怖を表現する。さらに、それと同じくらいやすやすと、私たちの先入観に実体を与え、陳腐な決まり文句や都市伝説で面倒な現実を覆い隠してしまう。この国は前向きな国だけれども、過去を清算して先祖の行動に始末をつけるのに苦労することもときどきあり、霊の世界はアメリカ史の恥ずべき章――奴隷制度やアメリカインディアンの大量虐殺を含む――に取り組んであらためて議論するもう一つの闘技場となっている。不愉快な真実、葬られた秘密、論争の的となっている話。幽霊話は、『影の世界』から現れる。曖昧で理解が不十分なものに対する回答なのだ」と述べます。
Ⅰ「非家庭的なもの――家と館」では、家は私たちよりも長生きするので、一世代分よりも多くの物語がその中に入っているといいます。その結果、良きにつけ悪しきにつけ、家族の歴史の貯蔵所となります。そして、幽霊はそれが出る場所に特有のものかもしれませんが、その時代と場所に対するより大きな執着や関心を反映して、共同体とその住民の不安を反響させているのです。著者は、「古い家は地質学者のコア試料――時間の物理的表現――のように扱うことが可能で、長年にわたる代々の所有者の意図と歴史が蓄積されている。古い家を所有するということは、あなた自身の想像だけでなく、以前そこに住んでいたすべての人々の想像に精通するということなのだ」と述べています。
第一章「隠し階段 マサチューセッツ州セーラム」では、セーラムの幽霊と七破風の屋敷の幽霊は、曖昧な記念物の産物だといいます。著者は、「私たちはセーラムを知っている――悲劇があったことを知っていて、集団ヒステリーと迫害に関する教訓話として挙げる――のに、それでも混同してしまう。死者と本物の魔女をひとまとめにして、殺された人々が実際に超自然的な力をもっていたと考え、コメディやエンターテインメントとしてその死を取り上げる。なによりも私たちは、1692年から学んだはずの教訓を応用できていない。なぜならアメリカ史において、無力な少数派がスケープゴートにされ、迫害され、無知な集団に殺された事例は、決してこれが最後ではなかったのだから。私たちはセーラムの出来事を思い出すのに、なぜそれが問題なのかをよく覚えていないのだ。それゆえに、幽霊たちは残っている――通りを歩き、処刑場の跡地に建てられたビルに出没する。過去の清算を強いることなく、1692年の出来事を生き長らえさせている。いまも残っているのはほとんどが、暗闇の中のささやき声か、階段で感じる奇妙な気配にすぎない」と述べます。
第二章「動く土地 ルイジアナ州セントフランシスヴィル」では、映画「悪魔の棲む家」の原作として有名な 『アミティヴィルの恐怖』という本全体が、どうやら手の込んだでっち上げだったらしいといまでは思われていることが紹介されます。1978年にラッツ夫妻は、透視者2名とこの家の来歴について別の話を書いたライター数名をプライバシーの侵害だとして告訴しました。裁判の中でロナルド・デフェオの弁護人ウィリアム・ウェーバーは、この物語全体が自分とラッツ夫妻のでっち上げたもので、自分はデフェオの事件の特徴的な細部を夫妻に提供して彼らの話を補強したと証言したのです。
先住民の葬儀がこのようにセンセーショナルに扱われること自体は、必ずしも驚くにはあたりません。驚くべきは、インディアンの埋葬地に幽霊が出るというテーマがいかに素早く根を下ろし、アメリカ文化全体に広がったかという点にあるとして、著者は「インディアンの埋葬地の幽霊は、『ポルターガイスト2』にも、スティーヴン・キングの原作をスタンリー・キューブリックが映画化した『シャイニング』にも登場し、そこまで有名ではない無数の映画、小説、テレビ番組にも出てくる。この伝説はどこにでもあるものになり、ちょっとした決まり文句として、近頃のコメディ番組ではオチとしてよく使われ、『サウスパーク』から『パークス・アンド・レクリエーション』まで、いたるところに登場している」と述べます。
第三章「果てのない家 カリフォルニア州サンノゼ」では、有名なウィンチェスター屋敷が取り上げられます。総合的な全体構想もなく、統一的な効果を狙う意図もなしに、ウィンチェスター屋敷はさまざまな方向へ延び広がってのたうち、珊瑚礁のように動いています。その美学も、美しさも、まさにその無法さの中にあります。この屋敷はある意味では、自動書記の一形態であり、意識の流れを空間に存在させたものなのだとして、著者は「多くの訪問者にとって、このことはこの屋敷に不安にさせられる理由でもある。ウィンチェスター屋敷は果てがないような感じがして、外観よりも内部のほうがはるかに広い。これはシャーリイ・ジャクスンの〈丘の屋敷〉にも見られることで、ディズニーのホーンテッドマンションの方向感覚を狂わせる空間にもそれが見られる(上空から眺めないとわからないのだが、乗り物のコースはほぼすべてがマンション自体ではなくて隣接する倉庫スペースの中にあり、小さな屋敷に入ったのに内部が永遠に続いているような感覚が与えられる)」と述べています。
不穏なまでに果てしない家はホラー小説に繰り返し登場しています。著者は、「ポーのアッシャー家からマーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』の題名となった構造物まで、その家は外側よりも内側のほうが少しだけ広いという不安な事実を中心に優雅に築き上げられている。そしてもちろん、秘密の通路が描かれた多くのゴシック小説のことは言うまでもなく、H・P・ラヴクラフトの『壁のなかの鼠』に登場する建物のように、この世界では果てしのなさは異常なことではない。家が安全な場所というのなら、なによりも恐ろしいのは、家の中が永遠に続いているかもしれない、迷路になっているのかもしれないという考えだ。だが、ウィンチェスター屋敷が大勢の人々の心をとらえている理由はこれだけではない。それに加えて、別の種類の『幽霊』が取り憑いている。それはチャールズ・ディケンズの1861年の『大いなる遺産』によって広まったものだ」と述べます。
幽霊屋敷として知られたウィンチェスター屋敷には多くの見学者が訪れ、見学ツアーまで組まれました。初期の見学ツアーの参加者の中には、あのハリー・フーディーニもいました。彼はすでにそのころまでに、霊能者の正体を暴いたり超常現象の反証を挙げたりする仕事に多くの時間を費やしていました。著者は、「それでも、ウィンチェスター屋敷に到着したとき、彼の態度が一変したように見えた。見学が終わったあと、彼は迷信の愚かさについては語らず、ウィンチェスターは正気を失っていたとも、いかがわしい霊能者にだまされていたとも言わなかった」と説明します。当時は絶対的な真実として受け入れられていた物語を繰り返したあとで、フーディーニは「なにからなにまで見事に細工を施されているのは、かの婦人が職人たちにたっぷり時間をかけるよう求めているからだ。これほど素晴らしい屋敷はいままでなかった」と語りました。この偉大なるサイキック・ハンターが、観光名所となったサラ・ウィンチェスターの屋敷にお墨付きを与えたことで、事業は順調に伸びていったのでした。
サラ・ウィンチェスターの伝説は、わたしたちがいつも認めたいわけではない文化的不安をよりどころにしているとして、著者は「たとえば、独り暮らしで、社会から引き籠もっている女性に関する不安。豊かさと、わが国の大金持ちの暮らし方に関する不安。それから、もしかすると一番大きいのは、西部を征服した銃と、文明化の名の下にアメリカ白人がおこなった暴力に関する不安。これらは互いに無関係な不安感なのかもしれないが、義父の売った銃で殺されたアメリカインディアンの霊に取り憑かれた、この独りぼっちの裕福な女性の物語の中で結び付けられている。それがつい引き込まれてしまう物語なのは、もしかすると、サラ・ウィンチェスターがそうした罪のせいで罰せられる話だからかもしれない」と述べています。罪悪感によって気が狂い、社会に参加することができず、財産は無駄に浪費される・・・・・・ウィンチェスター自身は、アメリカ史における銃の役割についての罪悪感をほとんど書き残していないのですが、それでもアメリカ人は、恥を彼女に投影してきました。著者は、「まるで、そういう考えをはるか昔に死んだ誰かの心の中に隔離することで、残りの私たちはなんの重荷もなく毎日を送り、カリフォルニアの太陽を満喫できるかのように」と述べるのでした。
第四章「鼠穴の啓示 ニューヨーク州ジョージタウン&イリノイ州ブル・ヴァレー」では、心霊主義の魅力の少なくとも一部は、その社会的側面にあったことが紹介されます。それは悲しみや好奇心の共有を通じてコミュニティーを団結させる手段だったからで、少人数を対象にした感動的な集まりになっていました。ジョージタウンでは、ティモシー・ブラウンと妻が心霊主義者のために年一度の集会を自宅で開催し、その家は「ブラウンの神殿」と呼ばれるようになったそうです。「バナー・オヴ・ライト」紙は、「彼は驚異的な粘り強さにより、疑わしげな隣人の偏見をほとんど克服しており、この建物は1つの対象に集中した意志の力と、あの世の霊的存在と彼が固く信じるものからの霊感の導きによって造られた、一大建造物となっている」と結論づけました。著者は、「これはたしかに、独学で修行した大工でもここまでのことができるという証拠であって、正真正銘の芸術的偉業だ。さらにまた、同時代の報道に基づけば、心霊主義者がコミュニティーに取り入る1つの方法を示す証拠でもあり、心霊主義の魅力が広まったさらなる理由なのかもしれない」と述べています。
「心霊主義」という言葉が最初に活字になったのは1853年、懐疑論者のジョン・ロス・ディックスの著書の中でした。心霊主義はアメリカを悩ませているもう1つの「ぺてんの発作」だと書いたのです。著者は、「心霊主義運動の爆発的拡大と大変な人気は、決して一つの出来事の結果ではなく、同時発生した強迫観念と文化的要求が1850年代に1つに合わさったのだ。この運動よりも前に、国内産の別の哲学が存在した。それは超越主義で、1836年にラルフ・ウォルドー・エマソンの評論『自然』が発表されるとともに、超越主義がアメリカ人の想像力をかき立てた。その評論の中でエマソンは、組織的な宗教とは関係のない個人的な啓示を強調し、人は独りで自然を静観することを通じて神聖な存在との直接のつながりを求めることができると述べた。彼の教えに触発されてアメリカ文学の画期的な作品がいくつか生まれており、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン』やウォルト・ホイットマンの『草の葉』がその中に含まれる」と述べます。
超越主義者は心霊主義に対して、あからさまな憎悪に近いほどの疑いの目で見ることが多かったといいます。エマソンはそれを「鼠穴の啓示」と呼び、心霊主義の信奉者は「ガスで腹が張ったのを霊感と勘違いしている」のだと主張しました。この蔑視に同調した人々の1人がハーマン・メルヴィルで、心霊主義と「叩音降霊」の集いを風刺した短編小説「林檎材のテーブル」を書いています。著者は、「好むと好まざるとにかかわらず、エマソンとその仲間の超越主義者たちは、心霊主義が約束するたぐいの個人的啓示の下地を作っていた。なにしろエマソン本人が評論『唯名論者と実在論者』の中で、『この世の神秘とは、すべてのものは存続し、死ぬことはなく、ただ単に視界からしばらく去ったのちに再び戻ってくるだけということなのだ』と書いているのだから。まるで、墓の向こう側の霊界に手を伸ばそうとしている霊媒たちと同じ意見であるかのようだ」と述べています。
心霊主義がアメリカ人の意識にしっかりと根付いたちょうどそのころ、死に対するアメリカ人の態度が変わりつつあったとして、著者は「19世紀の前半には、死体の取り扱い方と解剖が許される時期について宗教と科学のせめぎ合いがあった。埋葬の改革者たちは衛生的な死体処理の重要性を強く主張し、数日間にわたる通夜に慣れていた貴族たちも、それによって遺体がすみやかに自分たちの手を離れていくのを目にすることになった。この最後の交わりを医療や衛生に関する法律のせいでいきなり奪われた遺族は、そういう会話を続ける手段として心霊主義に頼るようになり、与えられない気持ちの区切りを降霊会で得ようとした」と述べています。
心霊主義が希望と慰めをもたらしたのは、生者が待ち望んでいた死者との接触を可能にしたからだけでなく、組織的宗教の仲介を経ることなくそれを行ってくれたからだとして、著者は「心霊主義の世界には、洗礼前に亡くなった赤ん坊をとがめる執念深い神などいなかったし、あなたの行動とは無関係に地獄行きは運命づけられているとする予定説とやらもなかった。ピューリタンの厳格なカルヴァン主義は、痛みも裁きもなく誰でも接触できるあの世に取って代わられていたのだ。心霊主義者は、名目上はキリスト教信仰を維持していたにもかかわらず、イエス自身の役割を軽視し始めた。人を裁きたがる神や地獄が存在しなければ、人々の罪のために死ぬ救世主の神学的必要性もなくなるのだから。それどころか死は、善意の神に監督される自然過程の一部でしかなかった。このお手製の新宗教によって、心霊主義にさらなる魅力が生まれた。霊界は誰でも接触することができたので、組織的宗教を伝統的に支配してきた男性の必要性が、心霊主義においてはほとんど感じられなかったのだ。ほどなくして、心霊主義は女性に牛耳られるようになった。一つには、女性のほうが霊媒として優れていると一般的に認められていたからで、多くの人々が心霊主義を、伝統的宗教の家父長制的な女性蔑視に対する解毒剤とみなしていた」と述べます。
家父長制的宗教と伝統的結婚の否定や、女性の権利などの反体制的な考えと心霊主義がますます結び付くにつれて、反発がいよいよ激しくなっていきました。心霊主義をとりわけ馬鹿げた信仰とみなす現代の意見は、19世紀後半に女性蔑視に基づく攻撃があったことに少なからず由来していると指摘し、著者は「心霊主義はその後、骨相学や動物磁気や禁酒運動と一緒に、19世紀の度を過ぎた行為や馬鹿げた流行を捨てるゴミ箱へと追いやられてしまったわけだが、その影響を受けた政治的アジテーションは永続的な改革につながった。合衆国憲法修正第19条が1920年に成立したのだ。しかしながら、女性が選挙権を手に入れて以降、女性運動としての心霊主義の重要性は事実上忘れられているか、軽視されてきた。その影響力は19世紀が終わりに近づくにつれて徐々に衰え、第一次世界大戦後に束の間の復活を遂げたのちに、心霊主義は超心理学という広く散漫な分野の中に吸収された。明確な指導者ときわめて明瞭な信条を備えた運動としての心霊主義は、1920年代末までにはほとんど死に絶えていた」と述べます。
心霊主義は、超越主義と同様に、アメリカ人の意識の中にしっかりと織り込まれています。アメリカ人の多くはそのことを忘れたいのかもしれませんが、現在わが国の標準的な文化とみなされていることの多くは、心霊主義の影響を受けているのです。著者は、「アメリカの大作家たちの一部(ウォルト・ホイットマンやマーク・トウェインを含む)が幽霊の存在を信じていたというだけでなく、来世の研究はアメリカの心理学の開祖ウィリアム・ジェイムズの人生哲学と教えの決定要因となった。けれども、心霊主義は結局のところ、ホイットマンやジェイムズのような『偉大な男たち』による『偉大な男たち』のための組織化された宗教ではなかった。取り散らかした素朴な信仰が、おもに女たちによって受け入れられ広められたもので、ゆえにアメリカ史はそれを国民心理の一部として認めるよりむしろ、異常で馬鹿げたものとして軽視してきた。政治社会的運動としての心霊主義はそれ自体が幽霊となり、女性解放運動と教義なき信仰の遺産としていまもこの国に取り憑いている」と述べています。
第五章「短命の家系 ミズーリ州セントルイス」では、ハイテク機器を使わないゴースト・ハントは、近頃ではほとんど聞いたことがないと述べます。幽霊はそれを記録に残すテクノロジーなしには存在しないと言えそうなほどですが、機器はどんどん複雑になってきたとはいえ、霊界は昔からテクノロジーと深くかかわり合っていました。フォックス姉妹の叩音騒動の4年前サミュエル・F・B・モールスが世界で初めて電信機の使用を実演しました。著者は、「これは非常に単純な仕組みの機械であるにもかかわらず、実体のないメッセージを長距離で送受信することができる――まるで、あの世から来たかのように。心霊主義と電信述はすぐさま比較され、『スピリチュアル・テレグラフ』紙のような昔の刊行物は、非常に単純な類似点を次のように主張した。すなわち、電信が長距離で送受信することができるように、心霊主義者は生死の境を越えて送受信することができる。フォックス姉妹の聞いた音は、それ自体がモールス信号の形をとっていたではないか。メディアと霊媒は同じコインの表と裏なのだ」と述べます。
もちろん、人が幽霊を信じるようになったのはミズーリ州セントルイスのハイズヴィルでフォックス姉妹の叩音騒動が起こった1848年からというわけではありませんが、心霊主義革命はアメリカ人の幽霊の信じ方を再構築したのです。著者は、「幽霊はもう、ただ単に恐怖を生じさせるものではなく、いまやテクノロジーを通じて死者との直接の通信を確立することができるのだ。これはおおむね、その後のテクノロジーの進歩のすべてにわたって継続している。主要な通信テクノロジーはほぼ全部、遅かれ早かれ、幽霊を探し求める人々によって使われているのだ」と述べます。
もちろん、まずは写真撮影術がありました。電信術の直前に開発されたこの技術は、19世紀後半に本領を発揮して、幽霊を立証する主要手段の1つとなりました。とはいえ最初から、心霊写真の信憑性は懐疑論者から疑問視されていました。ラジオとテレビも、当初から霊のメッセージの受信機とみなされていて、雑音と接続失敗の中から幽霊がしばしば識別されました。著者は、「1940年代と50年代に消費者向けの磁気テープ記録が導入されると、幽霊との交信におけるさらなる革命に拍車がかかった。かなり安価で携帯に便利な機器で録音できるようになり、アナログテープは(テープヒスなど音声の不備がおまけとしてついてくるものの)死者の声を大衆に届けてくれた」と述べています。
もし霊の声を探すつもりなら、一生懸命に耳を澄ませば、どんなたわ言や雑音の中からも見つけることはできるだろうとして、著者は「もしかすると、信じているかどうかよりも、なぜ信じているかのほうが重要なのかもしれない。ユルゲンソンは多くの心霊主義者と同じようにEVPを利用した。つまり、亡くなった家族と交信して、ここよりも良い場所で元気で暮らしているのだと安心するためだ。幽霊探しはこの形をとることが多く、それは弔いの一種であり、悲しみと喪失感を克服するための作業だ。私たちは、その死を乗り越えることがまだできない相手の幽霊を探す。まるで、あの世に行ってもらうために、本人の承認が必要であるかのように」と述べています。
Ⅱ「閉店後に――バー、レストラン、ホテル、売春宿」の第六章「悪魔のような場所 ヴァージニア州リッチモンド」では、アフリカで誘拐されて新世界へ連れて来られた人々は、どの文化でもそうなのですが、先祖およびその埋葬地との間に重大な絆をもち、アイデンティティの少なからぬ部分はそうした血縁関係に由来していたことに言及しています。家族がばらばらになって、有無を言わせず全国各地へ移動させられたことで、過去や死者とのつながりは消し去られてしまったことについて、著者は「これは意図せずに起こったことではない。奴隷にされた人々の強制移住は、ショッコー・ボトムやニューオリンズなどの大規模な奴隷市場によって促進されたもので、奴隷の潜在的利益を最大にするために人間性が剥奪されたのだ。葬式も、神聖な埋葬地も、幽霊話でさえ――あらゆる種類の人々が、こうしたものを死の厳しさを和らげるための手段として利用している。そうやって私たちは、死んでも忘れられることはないと自分に言い聞かせている――墓石の手入れをして墓に花を供えてくれる親族がいれば、私たちは死んだあとでも毎年毎年生き続けるのだ。まさにこういう種類の儀式や儀礼を奪い取ることを奴隷商人は目論み、生前の時間だけでなく死後の追悼の機会まで剥奪したというわけだ」と述べています。
2013年のアメリカ映画「それでも夜は明ける」のパッツィー役でルピタ・ニョンゴがアカデミー賞助演女優賞を獲得したとき、受賞スピーチの冒頭で幽霊を引き合いに出しました。彼女は、「私の人生におけるこの大きな喜びが、ほかの誰かの大きな苦しみのおかげだということは、一瞬たりとも忘れることはありません」とロサンジェルスの観客に向かって語り、続けて「ですから、ここまで導いてくれたパッツィーの霊をたたえたいと思います」と言ったのです。次に、監督のスティーヴ・マックィーンに感謝する際、彼に「きっと、亡き人々があなたを囲んで見守り、感謝しているはずですし、私も感謝しています」と言いました。著者は、「そう、亡き人々は見守っているのだ。その話に私たちが耳を傾けようと、傾けまいと」と述べます。
第八章「通り過ぎる カリフォルニア州ロサンジェルス」では、エリザベス・ショート(通称ブラック・ダリア)の幽霊がロサンジェルスのダウンタウンにあるビルトモア・ホテルに出没する話題が取り上げられます。著者は、「ホテルの長い廊下を見渡せば、あなたはこんなふうに感じるだろう。ホテルの本質そのものに、なにか不気味なところがある、と。果てしなく続き、意図せずに反復する、家もどきの空間。家も同然と呼べそうなのに、いつもほんの少しだけ、なにかが違う」と述べます。文化批評家のウェイン・ケステンバウムは、「この不気味さは、家が異化されているせいだ――家のルールブックが、真っ二つに引き裂かれている。ホテルは、非家庭的らしさを産業と型通りのホスピタリティへと変化させている」と記しています。著者は、「そして、あの不気味なドアの1つ1つの向こう側には、もしかすると、新たな不気味なスターの卵がいて、それぞれ隣と似ているけれども、少しだけなにかが違うのだ」と述べます。
Ⅲ「公共心ある幽霊たち――刑務所、精神病院、墓地、公園」の第九章「憂鬱なる観想 ウェストヴァージニア州マウンズヴィル」では、迅速に正義がおこなわれてほしいという願望が、あまりにも多くの幽霊話の根底にあるとして、著者は「私たちが幽霊を信じている理由の1つは、完全かつ明白な正義の存在を信じているからだと言えるかもしれない。たとえばポルターガイスト、つまりなんの方向性もなく悪さをする霊や、いわゆる悪霊などの積極的に害悪を及ぼす霊の話とは対照的に、幽霊の話はたいてい罪と罰を中心に展開する」と述べています。
第十一章「悪魔が来るのを待つ サウスカロライナ州チャールストン&カンザス州ダグラス郡」では、教会墓地の話題が取り上げられます。教会墓地に幽霊がよく出るのは、そこに死者がいるからだけでなく、時代遅れの場所だからだとして、著者は「精神的高揚を重視する庭園墓地が標準になると、古い教会墓地は必要に迫られるような形で、その正反対のものとみなされることになった。つまり、陰気で寂れて、不吉でわびしいところだ。ガイドブックが観光客にマウント・オーバーンやマグノリアやアーリントンの墓地を訪れるよう勧めている一方で、民俗学者は古い墓地の超自然現象をめぐる騒動の話を記録していた。幽霊は放っておかれた場所から現れるものであり、教会墓地は放っておかれた死者のすみかなのだ」と述べます。
第十二章「われらは高名なる死者 テネシー州シャイロー」では、南北戦争の戦場に墓地が造られたのは、教会墓地から庭園墓地への移行の時期ともぴったり一致したと指摘します。埋葬地が宗教的背景から市民施設へと移動するという、その大きな進化の最後に現れた戦場墓地は、アメリカ人がいかにして死体から意味を見出そうと努力したかを示す象徴となったとして、著者は「これらの人々は、故郷の町の墓地で先祖代々の墓に眠ることは決してない。その代わりに、彼らの死体は戦場を清め、そうした土地にさらなる象徴的な重みを与えるのだ」と述べます。トマス・W・ラカーは、「死体はその物理的位置という事実により、眠り朽ちる場所となった土地にその意味を吹き込む」と記しています。大事なのは、これらの人々が倒れた場所に埋葬されることでした。戦場墓地と戦場そのものの保存は、より完璧な団体を作り出す手段、完全には対処することのできない喪失を記念する手段だったのです。
連邦政府が北軍の戦死者を埋葬している間、経済的に破滅状態だった南部は戦死者をそのままほったらかしていました。南軍の兵士の埋葬作業は民間人に降りかかり、それは打ちのめされた南部の文化にある種の目的を与える草の根運動となりました。著者は、「南部の白人は死者を埋葬する企てを場当たり的に引き受けて、たいていコミュニティーを通じて資金を集め、埋葬費や墓石代をまかなった。この作業は主として女性たちから始まった――嘆き悲しむ母親や未亡人が、南軍の戦没者を最後にもう一度たたえようとしたのだ。南軍の戦死者を悼むことは、北軍をさりげなく否定して戦争の結果をはねつける手段となった。ジョージア州サヴァナでおこなわれたゲティスバーグで戦死した南軍兵士の聖別式で、南部連合の桂冠詩人と言われるエイブラム・ライアン神父は、『失われたが、いまなお正当な』大義のために倒れた死者を悼む哀歌を朗唱した」と述べています。
第十三章「大聖堂公園を吹き抜ける風 オレゴン州ポートランド」では、地縛霊の理論を最初に広めた人類学者T・C・レスブリッジが取り上げられます。彼は幽霊や亡霊に夢中になるにつれて、学者としてのキャリアは下り坂になってしまいました。1961年の著書『幽霊と食屍鬼』は懐疑論者に入り込む余地を与えず、「問題は幽霊が見えるか否かではない。幽霊が見えるという証拠は十二分にあるのだ」と断言しました。同書はむしろ霊の説明となるようなメカニズムに目を向けた本で、それはあの世よりも生者の霊能力に依存するメカニズムでした。著者は、「幽霊を別個の存在として、死後に行為能力と意志を備えたものとして見るよりもむしろ、私たち生者のほうが心霊的なテレビプロジェクターの役割を果たしていて、心の中で送信した考えを別の人が受信して幽霊として解釈するのだ、と彼は主張した。幽霊の大部分は『生きている人々によって作り出されたイメージにすぎない』というのがレスブリッジの結論で、テレビという新興のテクノロジーにたとえるのがぴったりだと彼は考えた。幽霊とは『まさにテレビの画像にほかならないように思われる。テレビの画像は、人造の幽霊なのだ』というわけだ」と説明します。
そういう考えを提案したのはレスブリッジが最初ではありません。サー・オリヴァー・ロッジは1908年の著書『人間と宇宙』の中で、幽霊屋敷は過去の悲劇を「写真に撮って」いるのだと述べています。けれども、レスブリッジの考えはイングランド国内で熱烈に歓迎されました。彼の理論がテレビと強く結び付いていたせいかもしれません。1972年、BBC2がテレビ用映画『ザ・ストーン・テープ』を放映。これは「テレビ幽霊」というレスブリッジの考えからインスピレーションを得た作品です。科学者のチームが、幽霊が出ると噂のヴィクトリア朝の館に研究拠点を移したのちに、彼らの見る幽霊は以前の悲劇のループ再生のようなものだということを発見します。著者は、「ストーン・テープの再生能力は、受信者の役割を果たす個人によるところが大きい――この場合の幽霊は、最も単純な形式であれば、場所と人の間の心霊的な相互作用であり、過去の悲劇と、現在の目撃者がその悲劇に同調する能力との相互作用なのだ。この説において、幽霊は危害を加えるなどして生者の邪魔をすることができない。とはいえ、呼び起こされたその姿は、トラウマや恐怖心を与えかねないものではあるのだが」と述べます。
エピローグ「ニューマシンの幽霊たち カリフォルニア州アレンデール」では、幽霊が私たちと一緒にいる理由の1つは、私たちの生活の中にたくさんあるわからないことを説明してくれる、魅力的なメカニズムであり続けているからだとして、著者は「幽霊は私たちの語彙にたびたび入り込んで、説明できないことを説明し、表現できないことを表現し、理解できないことを言い表してくれる。もし私たちの生活から幽霊を追い払うことができると科学者が本気で信じているなら、その代わりに、死と過去を理解するための同じくらい有意義な手段をもたらすような、実行可能な文化的会話が必要になるだろう」と述べています。
いまではソーシャルメディアも、それなりに幽霊を生み出しています。2009年の数ヵ月間にわたり、フェイスブックは著者に、しばらく話をしていないある友人と「再度つながる」ことをしきりに勧めてきたそうです。しかし、それは不可能なことでした。なぜなら彼女はその年に亡くなっていたからです。著者は、「彼女のプロフィールがときどき私のフェイスブックに表示されるのを見るのは、決して不快ではなかった。とくに、フェイスブックのアルゴリズムには、彼女が亡くなったことがわからなかったのだから(そのことを知る気もなさそうだった)。インターネット上のあなたは(それを削除するための具体的な指示を残しておかない限り)あなた自身の死後も生き続け、こうしたウェブサイトは登録者の関与がずっと変わらないことをあてにしているので、亡くなった人々はサイバー幽霊として戻ってくる」と述べます。
フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのソーシャルメディアサイトは多くの点において、わたしたちが集まるカフェや公園やバーに取って代わるように(というか、少なくともそれらを補完するように)なったといいます。ならば、さらに幽霊が住むようになるのも、そう不思議なことではないとして、著者は「現実の場所に幽霊が出るようになるのは、きしむドアや風変わりな構造といった建物の奇妙な癖が、私たちの心の中で超常現象へと変換させられるからだ。インターネット上でもやはりアーキテクチャーの問題で、意図せぬ結果をもたらすコーディングやアルゴリズムが、不気味な廊下のように予期せぬ悪夢を招く。そして、建物のアーキテクチャーと同様に、こうした機械の中の幽霊をいつかすっかり追い払うことなどできそうにない」と述べます。
コーディングもしょせんは人間の試みで、アーキテクチャーと同じく、完全に制御することなど決してできない不確定要素が山のように生じやすいからです。著者は、「幽霊の存在を信じる考え(または、そういう考えの欠如)は結局、死との向き合い方を反映している。死すべき運命を恐れる人々はあの世の存在を信じることに慰めを見出しがちで、きちんと弔うことのできなかった死者はこの世に戻って私たちに取り憑くかもしれない。故人を迎えられるような未来のサイバー神殿を設計する方法が見つからなければ、これからも意外な形で戻ってきた故人に心を乱されることになるだろう」と述べています。
「訳者あとがき」では、熊井ひろ美氏が「幽霊の本といえば、霊が実在するか否かという疑問に焦点が当てられがちですが、本書は冒頭で明記されているように、幽霊に関する主張の真偽を論じる本ではありません。その代わりに、生きている人々にかかわる疑問に焦点が当てられており、各地に伝わる幽霊の物語を人々がどのように扱い、どうやって向き合ってきたかが生き生きと描かれています。ですからこれは、幽霊を信じていてもいなくても、人間の営みに関心がある方すべてにお勧めできる本なのです。たとえば、エピローグで紹介されている『テクノロジーによって生み出された幽霊』は、現代社会を生きる私たちにとってとりわけ身近で、考えさせられる話題なのではないかと思われます」と述べています。
また、幽霊の存在は、死者とのつながりを保証してくれるものとして、熊井氏は「近しい人や大切な人を亡くした方々の中には、幽霊とは言わないまでも、亡き人の『気配』をなんらかの形で感じたことがある方も多いのではないでしょうか。幽霊の存在を通して、遺された人々は死後の世界とつながっていると信じ、いくばくかの慰めを得ることができるのです。幽霊に向けられる関心はどうしても興味本位なものになりがちですが、遺族への配慮が必要だという視点も、この本にははっきりと示されています」と述べるのでした。本書は、アメリカの幽霊観光ガイドブックにもなっています。多くのホラー映画も紹介されており、とても楽しく読むことができました。