No.2506 SF・ミステリー 『むかし僕が死んだ家』 東野圭吾著(講談社文庫)

2026.10.09

『むかし僕が死んだ家』東野圭吾著(講談社文庫)を読みました。ブログ「東野圭吾、逝く。」で書いたように、現代日本を代表するミステリー作家が逝去されました。もう東野氏の新作を読むことはできませんが、ネットで「最も怖い東野作品」と紹介されていた本書を読みました。怖いというより哀しい物語で、グリーフケア小説の大傑作だと思いました。

本書の帯

わたしが読んだのは講談社文庫の新装版ですが、カバー表紙には、水色の手袋の上に小さな家の模型が乗っているイラストが描かれています。帯には、「私は誰? この家は何?」と大書され、「失った記憶を閉じ込めた“家”は、美しく残酷だった。」「100万部突破!一冊完結ミステリー」「東野圭吾作家生活40th」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には『放課後』『流星の絆』『悪意』『宿命』『変身』『パラレルワールド・ラブストーリー』『赤い指』『ある閉ざされた雪の山荘で』『名探偵の掟』『危険なビーナス』といった東野作品のタイトルととともに、「今から読める1冊ばかり!」「東野圭吾は、いつ読んでもおもしろい、なにから読んでもおもしろい。」と書かれています。

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「『あたしには幼い頃の記憶がないの』理学部研究助手の私は、元恋人・沙也加の記憶を取り戻すため、二人で山中に建つ白い小さな家を訪れる。同時刻で止まった時計、数々の不自然な痕跡、そして少年の奇妙な日記。この家で何が起きていたのか。衝撃の結末が、誰もが心に抱える孤独へ切り込む傑作ミステリー」

著者は、1958年、大阪府生まれ。大阪府立大学電気工学科卒業後、生産技術エンジニアとして会社勤めの傍ら、ミステリーを執筆。1985年『放課後』(講談社文庫)で第31回江戸川乱歩賞を受賞、専業作家に。1999年『秘密』(文春文庫)で第52回日本推理作家協会賞、2006年『容疑者Xの献身』(文春文庫)で第134回直木賞、第6回本格ミステリ大賞、2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川文庫)で第7回中央公論文芸賞、2013年『夢幻花』(PHP文芸文庫)で第26回柴田錬三郎賞、2014年『祈りの幕が下りる時』(講談社文庫)で第48回吉川英治文学賞、2019年、出版文化への貢献度の高さで第1回野間出版文化賞を受賞。2026年7月23日、大腸がんのため68歳で逝去。

本書はもともと1994年5月に双葉社から単行本が刊行され、1997年5月に講談社文庫版が発行されています。主人公の「私」は某大学の理学部物理学科第七講座研究助手で、30歳前後です。彼は7年前に別れた恋人・沙也加の記憶を取り戻すため、彼女と「幻の家」を訪れました。それは、めったに人が来ることのない山の中にひっそりと立つ異国調の白い小さな家でした。そこで二人を恐るべき真実が待ち受けていたのです。

詳しいストーリーはネタバレになるため控えますが、1ページ目の1行目から物語に引き込まれ、気がつけば321ページを一気に読了していました。さすが日本一のミステリー作家だけあって、筆力が凄いです。天性のストーリーテラーだと思いました。本書の「解説」で作家の黒川博行氏も指摘しているように、全編が伏線また伏線の連続の本格的推理小説です。松原湖近くの灰色の家は電気も水道も使えません。そこには家族アルバムや少年の日記が残され、冷蔵庫の中には罐詰がありました。また、家の中にある複数の時計はどれも11時10分で止まっています。これらの謎が終盤で一気に解けていきます。

沙也加には幼少時の記憶がありません。これには、幼児期健忘の可能性もあります。3歳頃までの記憶が残らないのは、脳(海馬など)や言語機能が十分に発達していないためで、多くの人に起こります。しかし、彼女の場合は心の防衛本能の可能性が強いようです。子どもの頃につらい経験やストレスがあった場合、心が自分を守るために当時の記憶にフタをすることがあります。登場人物の失われた記憶が徐々に蘇っていくミステリー作品に、ブログ「眠れる森」で紹介した中山美穂主演の1998年のテレビドラマがあります。

また、記憶そのもののミステリーを扱った名作短編集に、高橋克彦の直木賞受賞作である『緋い記憶』(文春文庫)があります。記憶をテーマにした短編集ですが、忘れられた記憶や失われた時間を探し求める人物たちの物語で、東北の情景が色濃く反映されています。表題作の「緋い記憶」では、主人公が同窓会をきっかけに、久しぶりに生まれ故郷を訪れます。彼は子供の頃、怖くて近寄れず、ずっと帰らなかった「ある少女の家」のことがふと気にかかります。しかし、見せてもらった古い住宅地図には、その少女の家があった場所だけがなぜか記されておらず、空き地のように扱われていました。記憶の中にある恐怖の家と現実のズレを辿っていくうち、主人公は封印していた自身の隠された過去と、瞼の裏に広がる鮮烈な「緋色のイメージ」の正体に直面することになるのでした。

本書『むかし僕が死んだ家』の舞台となった家は、人が生活していたにしては不思議な点が多々あります。いわば謎の建造物なのですが、拙著『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)に書いたように、用途が不明の謎の建物の正体とはたいてい〇〇と相場が決まっています。本作の舞台の大半はこの家で、登場人物は私と沙也加の2人だけ。つまり“一幕劇”なのですが、黒川氏は「こんなきつい制約の中でドラマを広げ、サスペンスを盛り上げて読者を引っ張るのは並大抵の芸ではない。その上、本作の初出が月刊小説誌の連載だったというから、また驚いてしまう。連載小説は書き直しがきかないから、最初によほどきっちりしたシノプシスを作っておかないと、結末でまとまりがつかないのである」と書いています。東野氏の天才ぶりがわかりますが、本書のタイトルを『むかし私が死んだ家』ではなく、『むかし僕が死んだ家』としたセンスには唸りました。