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2026.10.04
『22世紀の戦争論』下村健太著(朝日新書)を読みました。「なぜ人類は戦争を繰り返すのか」というサブタイトルがついています。著者は1990年、東京生まれ。上智大学卒業後、米国のシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)にて勤務し、安全保障や外交政策の最前線に携わりました。各国の戦略や国際情勢の分析に関与し、グローバルな視点から世界の動きを捉える経験を積んでいます。帰国後は衆議院議員公設第一秘書として、日本政治の中枢に身を置き、政策立案や国会対応、地元調整など幅広い業務に従事。国内政治の意思決定プロセスを現場で体感し、政治と現実のダイナミズムを深く理解。その後、ロンドン大学大学院(SOAS・UCL)に進学し、外交・国際問題および公共経営の修士号を取得。国際関係論とガバナンスの双方を体系的に学び、理論と実務を架橋する視座を養いました。さらに国連職員としてニューヨークの国連本部に勤務し、政治平和構築局および平和活動局にて実務に従事。紛争予防や平和維持に関する政策形成・運用の現場に関わり、多国間外交の最前線で経験を重ねています。
本書の帯
本書の帯には「カデシュの戦い」(紀元前1286年頃)が描かれ、「命を奪われる」「その構造を解き明かす」「太古から現在まで、徹底追究!」と書かれています。カバー前そでには、「ついに兵器は人類を消滅させる段階にまで達した。だが、今なお戦争は地球上からなくならない。なぜなのか? どうして破壊行為を繰り返すのか? その原因を太古の時代にまで遡り、多角的に検証する。そもそもの要因は、人間の心理・感情か? 宗教・民族か?国家の宿命か? 国際社会が犯しがちな失敗なのか? 古今東西の歴史や最新知見に触れつつ分析する。『新時代の平和を考える一助になれば――』。国連本部で研鑽を積んだ俊英の渾身作!」とあります。
本書の帯の裏
帯の裏には「戦争と平和との境界線が私たちに近づいている!?」と大書されています。また「本書で扱う人物」として、アインシュタイン、フロイト、カント、ヒトラー、スターリン、毛沢東、西郷隆盛、大隈重信、陸奥宗光、中江兆民、司馬遼太郎ほか多数」とあります。さらには、「世界には二種類の人間しかいない」「二足歩行で社会が生まれた」「ヒューリスティック(直観的判断)による錯誤」「ライオンではなく仲間より速く走れ!」「宗教と民族が原因とは言い切れない」「資本家は、金まわりのよい『愚か者』?」「カントの主張と合致しない征韓論」「人類は窒素と化石で殺しあう」「大国は覇権国家の夢を見る ほか」と書かれています。

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「なぜ人類は、何千年ものあいだ戦争を繰り返してきたのか。科学や技術が進歩した現代においても、戦争はなくならない。ロシアによるウクライナ侵攻やイラン戦争をはじめ、世界各地で紛争が続き、多くの命が奪われている。本書は、心理学・人類学・政治学・経済学などの知見を横断し、戦争の原因を『人』『社会』『国家』『国際社会』という四つのレベルから解き明かす。戦争を生み出す人類社会の構造に迫る、必読書。著者は国連本部で研鑽を積んだ俊英」

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
序章
第一章 人間の本性 愚かな人間の心理とは、何だろうか
(1)アインシュタインからフロイトへの手紙
(2)怒り、恐怖、不安という火種
(3)あなたも陥る脳の罠
(4)第二次世界大戦はヒトラーの性格のせい?
第二章 社会の原罪 社会的アイデンティティの深奥を追う
(1)ライオンではなく他の人より早く走るために
(2)世界には二種類の人間しかいない
(3)世界は神々の戦争によって創られた
(4)八〇億人のDNA配列は、九九・九%が同じなのに
第三章 国家の宿命 政治・経済制度の宿命を探る
(1)国家はフィクションである
(2)カントの主張と合致しない征韓論
(3)金まわりの良い愚か者
(4)司馬遼太郎「魔法の森からノモンハンが・・・」
(5)国家が国家でなくなる時に起こること
第四章 国際社会の蹉跌 かくして戦争の引き金が・・・
(1)ウェストファリア条約と廃藩置県
(2)法律も警察もない世界で家族を守ろうとすると
(3)大国は覇権国家の夢を見る
(4)隣人は愛せない
(5)人類は窒素と化石で殺しあう
終章
「おわりに」
「参考文献」
「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「なぜ人類は、今なお戦争を繰り返してしまうのか。歴史の教科書には数え切れないほどの戦争の名が記されているが、私たちはいまだこの問いに十分な答えを見いだせていない。21世紀の今日でさえ、国際社会は平和とは程遠い現実に直面している。2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、大規模な戦争が再び起こりうることを世界に突きつけた。また、中東やアフリカ、アジアでも新たな紛争が勃発し、国際秩序の不安定さをあらためて浮き彫りにしている」
戦争がもたらす破壊がいかに長期にわたり人々の生活や未来を奪い続けるかを考えさせられたという著者は、「国家レベルの経済発展や社会保障制度、個々人の努力や希望があったとしても、戦争が勃発すればすべてが一瞬で崩れてしまう。私たちが安心して過ごせる日常は、あくまでも戦争が起きないという前提のもとに成り立っているに過ぎないのではないだろうか。そして今、日本を取り巻く東アジア情勢も、決して楽観視できる状況ではない」と述べます。
もしこの地域で戦争が起きれば、それは過去80年にわたって日本人が経験することのなかった大戦争へと発展する可能性もあります。そうなれば「戦後」という時代に終止符が打たれることになるだろうとして、著者は「戦争と平和の境界は、すでに私たちのすぐそばまで近づいてきているのかもしれない」と述べるのでした。
序章では、そもそも戦争の原因には、大きく分けて「直接的原因」と「根本的原因」が存在することが紹介されます。たとえば、第一次世界大戦の場合、その引き金となった直接的原因はハプスブルク家の皇太子フランツ・フェルディナント太公が暗殺されたことでした。ところが、国家元首や皇位継承者の暗殺事件は過去にも数多くありましたが、第一次世界大戦のような規模で戦争が勃発したのは初めでした。なぜ他の暗殺事件は大戦争に発展せずに、この事件は戦争の原因になったのでしょうか。著者は、「それは第一次世界大戦の背景に、より深い根本的原因が存在していたからである」と述べています。
根本的原因を探す作業も、決して簡単ではありません。たとえば、満州事変の中心人物である石原莞爾は、日本の戦争責任について、「あの世からペリーを連れてこい」と言ったと伝えられています。元を辿れば、鎖国をしていた日本に門戸解放を迫ったのはペリーであり、そこから日本の帝国主義が始まったというわけです。また、哲学者のパスカルは「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、地球の全表面は変わっていただろう」という言葉を残しています。著者は、「たしかにパスカルの言う通り、少しの変化が世界情勢に大きな影響を与える可能性もある。しかし、はたして戦争の原因はどこまで遡るのが適切なのだろうか」と述べます。
この視点に立つと、戦争の根本的原因を探す試みはさらに困難を極めます。1つの要因が、歴史の大きな転換点を生むこともあれば、逆に長年積み重ねられた問題が、一見偶然のような事件をきっかけに暴発することもあるからです。さらに、戦争にはそれぞれ複数の個別具体的な原因があり、それを解明するためにさまざまな学問分野が貢献しています。心理学、人類学、社会学、宗教学、政治学、経済学などが、それぞれ異なる視点を提供しているのです。
「『共通する要因』を見つけ出すための4つのレベル」では、具体的に本書では、複数ある戦争の原因を「人」、「社会」、「国家」、「国際社会」という4つのレベルに整理していることが説明されます。加えて、本書は、これら戦争の原因を4つのレベルに整理するだけでは終わりません。さらにもう一歩踏み込み、それぞれの原因が存在する理由、つまり、なぜその原因が私たちの社会や行動に埋め込まれているのかを問いかけます。たとえば、人間の愚かさが戦争の一因であるならば、「なぜ人間は愚かなのか」を掘り下げます。同じように、宗教が原因であるなら、「なぜ人間は宗教を求めるのか」を問います。
第一章「人間の本性 愚かな人間の心理とは、何だろうか」の「(1)アインシュタインからフロイトへの手紙」の「人間の本性が戦争の原因?」では、17世紀の哲学者トマス・ホッブズは、人間の敵愾心、猜疑心、自尊心が戦争の原因だと指摘したことが紹介されます。中国では荀子を代表とする性悪説という考え方が古くから存在します。神学者のラインホルド・ニーバーは、戦争の原因を人間の「悪の源泉」に求め、政治学者のハンス・モーゲンソーは「人間行動における悪の偏在」が間接的に戦争を引き起こしていると指摘しました。さらに国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章は「戦争は人の心の中で生まれる」という一文から始まっています。このように、戦争の原因を「人間の心」に求める見解は枚挙に暇がありません。
そもそも人間の心とは何でしょうか。その問いに答えること自体が容易ではありません。18世紀の哲学者デイビッド・ヒュームは著書の『人間本性論』において、人間の心や本性を分析しようと試みましたが、完全な答えには至りませんでした。心とはあまりにも複雑で捉えどころのないものであり、簡単に説明することはできないのです。それでもなお、戦争を繰り返してきた人類の歴史を考えると、心と戦争を切り離して論じることはできないだろうとして、著者は「戦争の原因を理解するために、まずは人間の心に潜むさまざまな側面を探る必要がある。その中でも注目すべきは、フロイトも指摘した戦争と最も深く結びついていると考えられる『人間の暴力性』である」と述べています。
「暴力の人類史」では、18世紀の哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、「原始的状態にある人間ほど穏やかな存在はない」という旨を述べ、農耕が始まる前の狩猟採集社会は平穏だったと主張したことが紹介されます。しかし、多くの考古学的証拠はルソーの主張が誤っていたことを示しています。人類がその歴史の99パーセントを過ごしてきた狩猟採集社会は平穏ではなく、むしろ暴力が日常的に存在していたようです。イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは「人類の物語は戦争である。不安定な幕間を除けば世界に平和はなかった。そして歴史がはじまるずっと前から、いたるところで血みどろの争いが果てしなく続いていた」という言葉を残しています。著者は、「たしかに、チャーチルが指摘した通り、戦争と暴力は人類社会において普遍的な現象だった。現実に考古学が示す無数の傷跡が、この言葉をまさに裏づけているのである」と述べます。
「デフォルトの暴力」では、わたしたち人間は誰から教わるわけでもなく、もともと暴力的なのだと述べています。わたしたちはしばしば「なぜ人間が暴力的になるのか」と問いがちですが、本来は「なぜ人間が非暴力的になるのか」と問うべきなのだといいます。さらに、最も暴力発生率が高い年代から成長を遂げても、ほとんどの人間は引き続き暴力に魅せられる傾向があることが指摘されます。「三国志」、グリム童話、シェイクスピア戯曲、時代劇、ハリウッド映画など、暴力の描かれ方は様々ですが、コロッセオの剣闘士(グラディエーター)から始まって、人間のエンターテインメントには暴力の要素が付きものです。実際に暴力を振るうかどうかは別にして、多くの人間は暴力に関する情報を積極的に集めようとするのです。
「なぜ生物は暴力的なのか?」では、人類はほんの少し前まで弱肉強食こそが掟という過酷な世界で生きてきたことが指摘されます。そして、人間の本性は、人類がその歴史のほとんどを過ごした過酷な時代に最も適応するように進化してきました。つまり、暴力がサバイバルに不要になった現代でも暴力が完全になくならないのは、人類が弱肉強食の自然界の中で数百万年も進化してきた事実があるからだというのです。著者は、「現代的な社会が築かれはじめたわずか数千年間では、人間の本性が進化するには短すぎるのである。適応すべき環境が変わったのに、私たちの心の設計図は数百万年前から変わっていない。人間の本性は変わらず、唯一変わったのは手にしている武器の種類だけなのだ」と述べるのでした。
「(2)怒り、恐怖、不安という火種」の「怒りと復讐心」では、哲学者のデイビッド・ヒュームが「理性は情念の奴隷である」という言葉を残したことが紹介されます。彼によれば、人間を本当に動かしているのは感情であり、理性は感情を正当化するために後から働くといいます。たしかに国家間対立の裏にも、怒り、復讐心、恐怖、不安といった強い感情が潜んでいます。合理的な戦略や外交政策の名の下に語られる行動にも、その根には必ず人間の感情が左右しています。著者は、「極端な言い方をすれば、このような感情がときに理性を圧倒し、人類を戦争へと突き動かしてきたのである。このような観点に立つなら、戦争の原因は人間の感情そのものだと言えるのかもしれない。実際に、たとえば『怒り』という感情は戦争と密接に関係している。その中でも戦争に直接的に結びついてきたのが『復讐心』という感情である」と述べています。
実際に人々が争う動機の中で最も多いのは「復讐」であり、部族抗争の最も一般的な原因になってきました。比較文化調査によれば、「命を奪われたら相手の命を奪うべきだ」という考えを明確に支持する社会は全体の95パーセントを占めているそうです。このように復讐心は、あらゆる社会で普遍的に見られ、どのような文化や社会でも顔を出します。だからこそ、対立をエスカレートさせる最大の火種となってきたのであると指摘し、著者は「戦争の多くもこの復讐心から始まってきた。最初の攻撃に対する復讐心という、理性を失わせるほどの強い怒りが開戦の原動力となってきたのである。たとえば、2001年の9・11同時多発テロを契機としたアフガニスタン戦争では、アメリカ国民の強い怒りと復讐心が「対テロ戦争」を後押ししました。
当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は米国議会で次のように述べ、「私たちの悲しみは怒りに変わり、怒りは決意に変わった。(中略)私はこの国の傷を忘れないし、この傷を負わせた人たちのことも忘れない。私は屈しない。休むことはない。アメリカ国民の自由と安全のために、この戦いを続ける」と発言して、戦争の正当性を訴えました。まさに国全体の復讐心を戦争のエネルギーへと変換した象徴的な場面でした。一方で、テロを実行した側の論理もまた復讐でした。主謀者のオサマ・ビン・ラディンは『アメリカへの手紙』の中で「正当な理由なく人を殺すことは罪であるが、(同胞を殺した)その殺人者を抹殺することは権利である」と書き、報復としてのテロの正当性を主張しました。
つまり、両者が復讐心を燃やした結果、テロ行為や戦争が現実のものになったのです。このように見ていくと、復讐心は単なる個人の感情ではなく、人間社会の構造そのものに深く埋め込まれていると言えます。怒りは理性を圧倒し、人間に「仕返しをせずにはいられない」という衝動を与えます。その衝動は部族の小競り合いから大国同士の戦争まで、あらゆる規模の対立を生み出してきました。著者は、「結局のところ、多くの戦争の根底には『復讐』という極めて原始的で強力な感情が横たわってきたのである」と述べるのでした。
「恐怖と不安」では、「恐怖」や「不安」といった感情も戦争の原因になり得ることが指摘されます。それらは人類がサバイバルするための重要な間かニズムの1つとして機能してきました。簡単に言えば、恐怖や不安は、「敵の出現を知らせるアラーム」です。恐怖や不安という感情があるおかげで、わたしたちは危険を素早く察知し、逃げるか戦うかの行動を即座に選び取ることができるのです。著者は、「本当の問題は、人間の負の感情ではなく、適応すべき環境が変わったのに私たちの心の設計図が数百万年前から変わっていないミスマッチにある。今日を生きる私たちの心は、未だに弱肉強食の社会の中で捕食者に怯えて暮らしていた狩猟採集民のままなのだ」と述べています。
人類学者のユヴァル・ノア・ハラリはこのミスマッチについて、「サピエンスはむしろ、政情不安定な弱小国の独裁者のようなものだ。私たちはつい最近までサバンナの負け組の一員だったため、自分の位置についての恐れと不安でいっぱいで、そのためなおさら残忍で危険な存在となっている。多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るまで、歴史上の多くの災難は、このあまりに性急な飛躍の産物なのだ」と語っています。これを受けて、著者は「つまり、怒り、恐怖、不安といった感情は一見不合理なようでいて、過酷な環境でサバイバルするための重要なメカニズムだった。しかし、その進化の名残が、現代の国際政治の緊張や対立の根底に深く根を張り、現代社会においてもしばしば人間を戦争へと引きずり込むのである」と述べるのでした。
「本当に人間の本性が戦争の原因なのか?」では、人間の脳のすべてが暴力や負の感情に繋がっているのではないことが指摘されます。それらを抑える働きを担う器官も脳の中には存在します。その中心的な役割を担うのが、前頭葉の最前部に位置する「前頭前野」です。前頭前野は、高ぶった扁桃体をなだめ、攻撃性や衝動的な行動をコントロールする役割を果たしています。前頭前野がうまく機能しているおかげで、人間はただ感情のままには行動せず、状況を冷静に判断し、長期的な利益を考えた行動ができるのです。
前頭前野には限界もあります。それはサバイバルへの脅威が出現したときです。この時、扁桃体は脅威を感知すると、交感神経を刺激し、アドレナリンといった神経伝達物質(カテコールアミン)の放出を通じて前頭前野の働きを一時的にシャットダウンし、脅威に対して迅速かつ効率的に反応するために感情的な脳の働きをオンにします。簡単に言えば、人間の脳は脅威を目の前にすると、理性ではなく感情で動くようになります。著者は、「このような脅威を目の前にした時の脳の働きは、瞬時に戦うか逃げるかしなければならない時に重要な役割を担ってきた。しかし、今でも国際政治がときに理性ではなく、感情に支配されるのは、こうした脳の働きが関係しているのかもしれない」と述べます。
人間の本性にまつわる議論で最も重大な問題点は、「人間の本性にも様々な側面がある」という、一見すると当たり前だが、見逃されがちな重要な事実だといいます。本書では戦争の原因を明らかにするため、人間の暴力性や負の感情に注目してきましたが、人間の心には、それだけでなく、愛や思いやり、自己犠牲といった側面も同時に存在します。わたしたち人間はたしかに他人を傷つけてきたかもしれませんが、同時に困っている人に手を差し伸べてきました。著者は、「人間の本性は、第一次・第二次世界大戦の原因であったかもしれないが、同じように戦間期の平和の原因でもあった。にもかかわらず、この間に人間の本性が変わったわけではない」と述べるのでした。
「(3)あなたも陥る脳の罠」の「人の愚かさが戦争の原因?」では、ホモ・サピエンスは「賢いヒト」という意味であることが紹介されます。わたしたちはこの命名の正しさを、多くの場面で証明してきました。人間は世界の構造を解き明かし、宇宙の成り立ちを突き止め、生命の神秘を科学的に究明しました。しかし一方で、人間は戦争という重大な意思決定の場面で、あまりにも多くの愚かな決断を下してきた歴史を持ちます。国際政治学者のケネス・ウォルツは、「人間の観点から見れば、戦争が『割に合った』ことはいまだかつてなかった」と述べています。たしかに、もし人間が常に正しい判断を下していれば、戦争の数は敗戦国の数だけ減ったでしょう。
「なぜ『賢い人』が判断を誤るのか?」では、ヒューリスティックはサバイバルの局面では有益なメカニズムであった反面、高度に複雑化した現代の国際政治では、むしろ人間が誤った判断を下す原因の1つとなっていることが指摘されます。「脳の罠」では、人間にはヒューリスティックと相まって誤った判断を下す原因となる「認知バイアス」と呼ばれる心理的傾向があることが紹介されます。その代表例として挙げられるのが、「確証バイアス」です。これは、自分の既存の考え方や信念に合致する情報だけを積極的に取り入れ、都合の悪い事例や反証となる情報を軽視または無視する傾向を指します。
「脳の罠と戦争」では、猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)や、それを映画化した一条真也の映画館「開戦前夜」で紹介した作品のように、第二次世界大戦における日本の戦争計画は、ナチス・ドイツの勝利、イギリスの敗北、そして米国世論が戦争の回避を求めることなど、希望的観測に基づいていたことが紹介されます。そして、当時の日本政府は、その考えの正しさを証明する情報のみを選別するようになっていました。さらに、1941年8月、日米開戦の数カ月前、「総力戦研究所」が実施した対米戦争のシミュレーションでは「日本必敗」という結論が導き出されていました。
しかし、その報告を受けた陸軍大臣の東條英機は、「これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。(中略)したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」と言い放ったのです。この言葉には、歴史上繰り返されてきた敗戦の将たちの誤信が集約されているとして、著者は「こうして戦前の日本は、確証バイアスが生み出した希望的観測によって極度の楽観主義に陥り、現実を直視することなく、「割に合わない」戦争へと突き進んだのである」と述べています。
「完全に合理的な判断はできるか?」では、現実には人間がどれほど努力したとしても、情報は常に不完全であり、未来は予測不可能な要素に満ちていることが指摘されます。つまり、戦争には、常に一定の不確実性が存在するのです。これをカール・フォン・クラウゼヴィッツは著書の『戦争論』で「戦場の霧」と呼びました。戦場では、どんなに優れた指導者でも全体像を完全に把握することはできず、常に情報不足や誤情報に悩まされるのです。そして、これは戦争だけでなく国際政治全般に当てはまります。国際政治では常に一定の不確実性が存在するため、誰も未来を正確に予測することはできず、完全に合理的な判断を下すことができないのです。フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスが考えた、宇宙のあらゆる粒子の位置と運動量を完全に把握している「ラプラスの悪魔」なら、不確実性を排除して未来を完璧に予測できるかもしれませんが、現在のテクノロジーでは到底不可能です。
国家指導者たちは常に不完全な情報と予測不可能な未来のもとで、できる限り合理的な決断を下す必要に迫られています。この現実を、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンは「限定合理性」と呼んでいます。つまり、情報が限られた環境下で行う国家指導者の決断は、非合理的とは限りませんが、完全に合理的でもありません。国家指導者もまた、限定合理性の枠内で最善と思われる決断をしているにすぎないのです。したがって、国家が「割に合わない戦争」に突き進むのは、単に人間が愚かだからだけではありません。著者は、「もっと根本的に、国家の決断そのものが『不確実性』の中で行われていることも一因となっている。だからこそ歴史は判断ミスに満ちており、その中で幾度も『割に合わない』戦争が繰り返されてきたのである」と述べています。
「(4)第二次世界大戦はヒトラーの性格のせい?」の「戦争に結びつく価値観」では、国家指導者の性格や価値観は戦争を左右する極めて重要な要素になってきたことが指摘されます。自己愛の強さや好戦的な価値観、リスク受容度の高さなどの要素が組み合わされば、大きな戦争へと突き進む危険が増すといいます。また、指導者がどのような歴史や環境の中で育ち、どんな教訓を学んできたかも、意思決定に影響し、ときに国の命運を変えます。著者は、「国家の進路を決めるリーダーの人格は、単に一国の将来を決定するだけでなく、世界全体の平和と安全をも左右する重大な要因となり得るのである」と述べるのでした。
第二章「社会の原罪 社会的アイデンティティの深奥を追う」の「(1)ライオンではなく他の人より早く走るために」の「人間の最も重要な特徴」では、人間という生物の最も重要な特徴は、その社会性にあることが指摘されます。大昔から人類は1人で生きるのではなく、他者と共に社会の中で暮らしてきました。このような人間の社会性は、他の動物と比べても特徴的です。群れで生活する動物は多いですが、それらの動物は大きな集団で生活していても互いにほとんど関わり合いを持ちません。
人間はときに個人の利益や命を犠牲にしてまで、他者の利益や社会全体の公益を優先することがあります。このような人間の行動は、ほとんどの動物には見られない珍しい特徴となっています。この社会性は、戦争という問題にも密接に関係しています。著者は、「もし人間が、1人や数人の家族だけで暮らしていたのならば、歴史を通じて繰り返されてきた大規模な戦争は起きず、家族同士の小競り合いですんでいただろう。しかし現実には、人間は他者と一緒に暮らし、社会を形成して生活してきた。そして、その社会間で大規模な戦争が勃発してきたのである」と述べています。
「社会性の起源とは?」では、そもそも、なぜ人類は大昔から他者と暮らし、社会を築いてきたのでしょうか。その出発点は、意外にも二足歩行にあります。わたしたち人類は2本の足で歩くようになったからこそ、社会を築くようになったのです。「二足歩行ゆえの問題」では、二足歩行の代償も大きかったと指摘しています。肩こりや腰痛、膝の痛みや足首の捻挫は、二足歩行する人類ならではの悩みです。そして何よりも問題だったのは、二足歩行のために、内臓や体幹を支える骨盤がお椀のような形になり、腰回りが細くなったことでした。
結果として、人間の子どもは約9カ月で未成熟のまま生まれ、その後の1年ほどは無力な赤ちゃんとして育つことになりました。この子どもの未熟さは他の類人猿には見られない人間の特徴であり、子育ての在り方にも決定的な影響を及ぼしました。なお、人間の子どもが他の動物と比べて未熟な状態で生まれてくることを「生理的早産」といいます。子どもが未熟な状態で生まれるようになったことは、弱肉強食の自然界を生き抜くうえで、人間に大きな課題を突きつけることになりました。ほとんどの動物の子どもは、生後すぐに動けますし、走って肉食獣から逃げることもできます。しかし、人間の子どもは、まったく動けず、自ら母乳を飲みに行くことさえできません。そのため、親は長期間にわたって朝から晩まで付きっきりで子どもの面倒を見なければいけなくなったのです。
さらに、授乳中の母親が自分の身体を維持するには、1日あたり約2300キロカロリーを必要としますが、他に子どもがいれば、さらに数千カロリー分の食料を得なければなりません。しかし、先史時代に授乳中の母親が未熟な子どもの面倒を見ながら、1人で狩猟に出かけ、果実を採集し、さらには肉食獣から自分と子どもを守ることは、事実上不可能でした。著者は、「こうした困難を乗り越えるために、人間は家族や仲間と助け合って子育てをするという道を選んだ。そして、多くの場合、1つの家族だけでは対処しきれない課題が山積みだったため、自然と家族単位を超える大きな集団を形成していったのだ」と述べます。
人類学者のユヴァル・ノア・ハラリの言葉を借りれば、人間の子どもが未熟な状態で産まれ、他者の協力を必要とするという「この事実は、人類の傑出した社会的能力と独特な社会的問題の両方をもたらす大きな要因となった」のです。著者は、「人間が他者とともに社会を築くようになったのは、弱肉強食の世界をひとりでは生き延びることができなかったからだ。だからこそ、互いに支え合うための助け合いの仕組みを身につけた。それが、高度に発達した社会性という人間の武器なのである」と述べるのでした。
「(2)世界には2種類の人間しかいない」の「『私たち』と『彼ら』」では、人間の社会性はサバイバルに役立ちましたが、その一方で、社会で暮らし始めたことにより、わたしたちの脳には戦争の火種にもなり得る厄介な認知の仕組みが備わるようになったことが指摘されます。それが「内集団・外集団」です。簡単に言えば、わたしたち人間の脳には、他者を自分の属しているグループである「私たち」と、そうでない「彼ら」に明確に区別する傾向があります。社会心理学では、前者を「内集団」、後者を「外集団」といいます。そして、この心理的傾向が集団間対立を生む根本的な原因となっています。著者は、「たとえば、もし私たちが、国籍、宗教、民族などといった違いに囚われず、地球上に住むすべての人間を1つの家族だとみなすことができれば、戦争の数も減るかもしれない(この考え方を「世界市民主義〈コスモポリタニズム〉」という)」と述べます。
しかしながら現実を見ると、世界市民主義的な考え方が世界的に浸透しているとは言い難いです。それはなぜか。その理由の1つが、わたしたちが持つ「内集団・外集団」という心理的傾向なのです。「『私たち』のことは好き」では、こうした社会的アイデンティティは世界市民主義を妨げるものの、それだけで争いの種にはなるわけではありません。それどころか、社会的アイデンティティには、同じ集団の人どうしを結びつけ、助け合いを後押しする力があります。実際、多くの心理学の研究で、人間には自分の属する集団を好意的に評価する傾向があることが明らかになっています。これを「内集団バイアス」といいます。また、人間は内集団のメンバーを無意識のうちに優遇することも明らかになっています。
この外集団均質化効果により、特定の宗教や民族、国籍の人々を一括りにして過度に単純化するステレオタイプが生まれます。そして、「彼らはこういう性格だ」、「こういう思考だ」と誤ったイメージを広げてしまうことも多いようです。たとえば、ヨーロッパでのユダヤ人、東アフリカでのインド人、西アフリカでのレバノン人、インドネシアでの華僑は、それぞれの地域で、彼らは冷たく、強欲で、ずる賢く、排他的で、同化せず、よそに忠誠心があるというステレオタイプが歴史的に存在してきました。著者は、「こうした外集団均質化効果が、偏見や差別意識を強化し、誤解や対立を助長しているのである」と述べます。
「『彼ら』の国は悪い国」では、このような認知のゆがみの影響により、敵対する集団同士は互いに平和的な姿勢を見せたとしても関係は改善しない一方で、敵対的な姿勢を見せると関係は急速に悪化することが指摘されます。これを社会心理学では「根本的な帰属の誤り」といいます。このような心理的傾向が如実に表れたのが冷戦時代の米国とソ連でした。両国は互いの行動をすべて敵対的なものとして解釈し続けました。ソ連は米国の軍事費増額を、「自国を攻撃するための準備だ」と考え、米国はソ連の行動を「共産主義の拡大を狙った敵対的な行動だ」と解釈しました。しかし、実際には米国の軍事費増額は、ソ連の軍事費増額への反応であり、逆もまた然りだったのです。
加えて、わたしたちには「彼ら」の行動の計画性や組織性を過大評価する傾向もあります。現実には偶然の一致や事故、突発的な反応、あるいは先見の明のなさによる結果であることが多いものの、それを「周到に計画された行動だ」とみなしてしまうのです。著者は、「こうした心理的傾向は、敵対国に対する疑念や不安を増幅させ、ときにはまったく根拠のない陰謀論にまで発展する。ただの偶然の出来事を『すべては仕組まれていた』と考えてしまい、敵意を強め、対立をさらに悪化させるのである」と述べています。
「なぜ『私たち』に優しく『彼ら』に冷たいのか?」では、人類が狩猟採集社会で生きていたころ、食料や水などの資源は常に限られていたことが指摘されます。そうした状況下では、自分たちの集団の結束を固めることが生存に直結していました。家族や同じ集団の仲間は、狩猟や採集、子育てや防衛といった場面で信頼すべき協力者であり、互いに助け合うことが集団全体のサバイバルを可能にしたのです。他方で、外部からやってくる集団は資源を奪い合う潜在的な競争相手であり、ときには直接的な脅威にもなり得ました。「私たち」は支え合う仲間である一方で、「彼ら」は排除すべき相手として認識されました。つまり、わたしたちの祖先は「仲間を識別して協力する」ことと「外部の者に警戒して対処する」必要性に常に迫られていたのです。著者は、「このような適応的な課題を繰り返し経験する中で、人間の脳は、他者との遭遇から1000分の1秒という驚くほど短時間で、その相手を『私たち』か『彼ら』かに分類する傾向を発達させた」と述べています。
「(3)世界は神々の戦争によって創られた」の「宗教が戦争の原因?」では、宗教という社会的アイデンティティが古くから戦争という問題に密接に関わってきたことが指摘されます。人類の歴史を見ても、宗教が戦争と深く関わってきたことは否めません。宗教は人々に生きる意味や共同体としての一体感を与える一方で、その強力な結束力ゆえに「私たち」と「彼ら」を分ける境界線を強化し、対立や衝突の要因となってきたとして、著者は「実際、世界各地の歴史の中で、十字軍、太平天国の乱、島原の乱など宗教を旗印とした戦争や紛争は数多く存在してきた。さらに、同じ宗教内部でも、異なる宗派同士で激しい紛争が繰り広げられてきた。キリスト教ではカトリックとプロテスタントが、イスラム教ではシーア派とスンニ派が、長きにわたり争ってきた」と説明します。
「宗教戦争とは何か?」では、現代でも、中東情勢は同じイスラム教のシーア派とスンニ派による宗派対立だと説明されることがあると述べています。たしかにシーア派の盟主であるイランと、スンニ派の盟主であるサウジアラビアの対立が中東全体を巻き込んでいることは事実です。しかし、これは宗派対立というよりも、イランとサウジアラビアという2つの地域大国による覇権争いと分析した方が的確だといいます。たしかにイランが各地のシーア派を支援し、サウジアラビアが各地のスンニ派を支援していることは事実ですが、これは宗派という共通点を利用して各自のパワーバランスを優位に傾けようとしているにすぎないとも評価できるとして、著者は「実際に中東政治ではシーア派もスンニ派も一枚岩であるとは言えず、同じスンニ派のサウジアラビアとカタールの関係が複雑であるように、双方の宗派は、それぞれの陣営内でも複雑な権力闘争を演じている。結局のところ、宗教と戦争の関係を単純化して『宗教が原因だ』と断じることはできず、その背後には常に政治・経済・社会の複雑な力学が働いているのである」と述べます。
「想像の共同体ではなく現実の共同体」では、多くの場合、人間は宗教のためではなく、仲間のために戦うことが指摘されます。社会生物学者のエドワード・O・ウィルソンは、「善人を悪行に走らせるのは、純粋な宗教の道徳的教義や博愛の思想ではなく、同族意識なのだ」と述べています。また、「宗教の起源とは?」では、宗教の起源については諸説ありますが、有力な説の1つは、死に対する恐怖心がその根底にあるという考え方だと紹介します。たとえば、人間のコントロールが利かず、原理も分からなかった自然災害による死は、古くから人間にとって恐怖の対象でした。人間の脳には現象を因果関係によって理解しようとする傾向があるため、自然災害の背後にも「何者かの意図がある」と感じることは自然なことです。
実際に多くの地域で、自然災害は「神の怒り」として認識され、神の怒りを鎮めるためにお祈りや供物をする慣行があります。さらに、狩猟採集社会で紛争や殺人が多発していたことをふまえれば、他殺による死の恐怖も宗教を生み出した要因かもしれません。第二次世界大戦中の米軍兵士のあいだでは「塹壕の中に無神論者はいない」という言い回しが流行ったらしいですが、戦争という恐怖の中で人智を超えた存在に祈るのは自然なことでしょう。カール・マルクスも宗教のことを「追い詰められた生き物のため息」と表現し、その背後には痛みを和らげる慰めの効果があると指摘しています。
「組織化された宗教が誕生した理由」では、新石器時代に入り人類が定住し始めると、より組織化された宗教が出来上がっていったことが指摘されます。宗教に関する考古学的証拠は不確かなものが多いので、あくまで推測に基づいていますが、紀元前2000年ごろにシュメールやエジプトで、宗教が組織化され、聖職者階級、儀式場所や宗教教義などが設けられたと考えられています。では、なぜ宗教は組織化されていったのでしょうか。その理由は小さなコミュニティから大きな社会へ拡大するにつれて生じるストレスを緩和するためだったようです。
人類はもともと顔見知りや血縁関係に基づく小集団で暮らしてきましたが、農耕や牧畜の発展によって定住生活が広がると、人口は急速に増加し、集団の規模も大きくなりました。しかし、集団が大きくなると問題が生じます。人間の脳の認知的な限界はおよそ150人程度であり、これを超える規模では互いに信頼関係を保ち、安定した協力体制を築くことが難しくなります。つまり、血縁や日常的な交流だけでは社会秩序を維持できなくなったのです。この状況を解決するために現れたのが、「国家」という中央集権的な組織です。国家は軍事力や権力によって、秩序を保とうとしました。
しかし、力による支配だけでは限界があります。人々が帰属意識を持ち、互いに信頼し合い、道徳的な行動をとる方が、長期的にははるかに効果的で持続的な秩序をもたらします。そこで重要な役割を果たしたのが、組織化された宗教だったのです。宗教は、共通の神話や儀式、教義を通じて人々に共通の価値観と社会的アイデンティティを与えます。祭礼や祈りの場に集まることによって、人々は「自分はこの共同体の一員である」という帰属意識を強め、また「互いに助け合わなければならない」という互恵的な利他主義を育みます。こうした宗教の仕組みが、大規模な集団をまとめ上げる力になったのです。
人類学者のロビン・ダンバーの言葉を借りれば、「組織化された宗教は、大規模な共同体が存続するための、争いの種に蓋をする仕組みの一部」として機能したのです。実際に大規模な国家は、比較的温暖で農耕に適し、感染症のリスクも低い概ね緯度20度から30度あたりの亜熱帯地方に生まれましたが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、マニ教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、神道などの世界の主要な組織化された宗教も、同地域で誕生しています。そして、これら主要な宗教の多くが、単なる精神的な信仰の枠を超えて、政治機構の中に組み込まれ、国家の正統性を支える役割を果たすようになりました。
「(4)八〇億人のDNA配列は、九九・九%が同じなのに」の「なぜ人類の遺伝的多様性は低いのか?」では、究極的には「民族」という区分はすべて社会的に構成されたものであると述べます。民族は遺伝子といった客観的な基準で厳密に線引きできるものではなく、むしろ共通の言語、文化、伝統、歴史、宗教を共有しているという「物語」を通じて、「私たちは同じ民族に属している」という帰属意識を人々が共有することによって成り立っています。言い換えれば、民族は客観的に存在するものというよりも、人々がそう信じ、そう認識することによって社会的に成立する「想像の共同体」なのです。
では、なぜ人類の遺伝的多様性は、ここまで低いのでしょうか。理由の1つとして考えられているのが、約7万4000年前に起きた人類絶滅の危機です。この危機を引き起こしたのは、インドネシアのスマトラ島で発生したトバ火山の超巨大噴火でした。噴火の規模は想像を絶し、そのエネルギーは広島型原爆で150万発分、現在の世界が保有する核兵器をすべて合わせた威力の3倍に相当したと推定されています。この噴火によって噴き上げられた膨大な量の火山灰は、数千キロメートル先まで降り積もり、太陽の光を長期間にわたり遮りました。
そして、すでに氷河期に入っていた地球の気温は急激に低下し、生物界で特に脆弱な部類に入る人類のほとんどが命を落としたと考えられているのです。奇跡的に生き延びたのは、火山灰による気候変動の影響が比較的小さかった南アフリカの海岸地域などに住む、およそ3000人から1万人の人々だけであったと推定されています。著者は、「つまり、今日の地球上に暮らす80億もの人間は、私たちを含めて全員が、この絶滅の危機を奇跡的に乗り越えたわずかな生存者たちの子孫である。結果的に、この超巨大噴火によって、人類の遺伝的多様性は急激に低下した(これを「トバ・カタストロフ理論」という)」と述べるのでした。
第三章「国家の宿命 政治・経済制度の宿命を探る」の「(1)国家はフィクションである」の「脅威から身を守れ!」では、気候変動による人口の急増が、外部の脅威を深刻化させ、その防衛手段として人類は定住型の集落を形成するようになったと考えられていることが紹介されます。そして定住を始めたことで、狩猟採集で移動しながら食料を得るという生活が困難になり、人類は農耕に依存せざるを得なくなりました。言い換えれば、人類は農耕のために村を作ったのではなく、村で暮らすために農耕を始めたのです。その後、人類は小さな定住型のコミュニティの規模を、時間をかけて徐々に拡大し、分裂を繰り返しながらも、大きくしていきました。定住型の暮らしは飢饉や病原菌のリスクと隣り合わせでしたが、それでも外的脅威から自分と家族の安全を守る上では役に立ったのです。
「(2)カントの主張と合致しない征韓論」の「政治制度が戦争の原因?」では、権威主義国家にも、北朝鮮の金正恩のように独裁者が権力を握っているタイプ、ミャンマーの国軍政権のように軍全体で権力を掌握しているタイプ、中国の共産党のように1つの政党が支配するタイプなど、様々な種類が存在することが指摘されます。また、冷戦終結以降は権威主義体制に対する国際的な圧力もあり、現在では多くの権威主義国家も選挙を実施しています。しかし、これらの選挙の多くは自由でも公正でもない形式上の選挙となっています。このような擬似的な民主制度を備える権威主義国家は、「ハイブリッド」、「グレーゾーン」、「選挙権威主義」などと呼ばれ、民主主義と権威主義の中間に位置付けられているといいます。
「すべての国が民主化すれば世界は平和になるか?」では、近代には民主主義国家の数が増えた3つの「民主化の波」があったことが指摘されます。最初の波は1820年代に始まり、29カ国が民主主義国家になりました。第2の波は、1943年から1962年にかけて、植民地主義の終焉と共に起こりました。そして、第3の波では、1974年から2000年にかけて、冷戦の終結と共に多くの国が民主化しました。しかし、これら3つの波の間では、権威主義国家の数が増える「揺り戻しの波」も起こっており、民主主義国家と権威主義国家の数は歴史的に増減を繰り返しています。
「民主主義の起源とは?」では、人類の長い歴史から見れば、民主主義という政治制度は世界各地に古くから存在してきたことが紹介されます。教科書では、民主主義は紀元前5世紀頃の古代ギリシャのアテネで始まったと教えます。たしかにデモクラシーの語源はギリシャ語の「デモクラティア」から来ており、その本来の意味は「民衆(デーモス)による支配(クラトス)」です。しかし、ギリシャ人に教えられずとも「人による統治」という広い概念に立ち返れば、世界各地で民主主義の萌芽は見られます。
たとえば、アテネで民主主義が始まる2000年以上も前に、メソポタミアの都市では、民衆による集会が制度化され、王の権力を抑制していたといいます。さらに歴史をさかのぼれば、そもそも人類が数百万年にわたって暮らしていた小規模な狩猟採集社会では、住民が相談して物事を決める合議的な意思決定が一般的だったと考えられています。権威主義的な国家が誕生し始めたのは、農耕革命によって1つの集団が数万人規模に拡大するようになった、わずか数千年前にすぎないのです。著者は、「つまり、広義の民主主義はヨーロッパで発明されたものでもなければ、歴史的に新しい政治制度でもない」と述べるのでした。
「(3)金まわりの良い愚か者」の「資本主義が戦争の原因?」では、戦争の原因を、国家の政治制度だけでなく、経済制度に求める意見もあることが紹介されます。経済制度はどのように戦争と平和の問題に影響を及ぼすのでしょうか。まず、そもそも経済制度とは何だろうか。簡単にいえば、誰が、何を、いつ、どのように手に入れるのかを決める「分配の仕組み」のことです。その中で「資本主義」とは、個人や企業が土地や資金といった資本を所有し、自由に競争して利益を追求できる仕組みを指します。これに対し「社会主義」は、生産手段を社会全体で共有し、国家が中心となって計画的に資源を配分し、利益を公平に分け合う仕組みを目指します。
このような経済制度に注目した議論では、特に「資本主義が戦争の原因だ」と考える見方があります。中でもカール・マルクスの社会主義の考え方をさらに進めたロシアの革命家レーニンは、資本主義は経済的利益のために他国を侵略する帝国主義戦争に帰結すると主張しました。著者は、「レーニンにとって帝国主義は金儲けそのものであり、その原因は強欲な資本主義にあった。そこでレーニンは帝国主義戦争を終結させる手段として、戦争を国内の階級闘争へと転化させ、資本主義体制そのものを打倒すべきだと主張したのである」と述べています。
資本主義を戦争の原因とするマルクス主義の考え方は、レーニン以外にも多くの人が主張しており、その主張には大きく分けて3つのバリエーションがあります。1つ目は、資本主義国家は、過剰な生産力と過少な消費力という問題を解決するために帝国主義的な外交政策をとるという考え方です。2つ目は、国外に投資先を見つけるために、帝国主義的政策をとるという考え方です。3つ目は、生産に必要な原材料を国外に求めて、帝国主義的になるという主張です。つまり、余った製品なのか、より良い投資先なのか、必要な原材料なのかは意見が分かれますが、いずれにせよ、「資本主義国家は拡大主義的な外交政策をとる」というのがマルクス主義の主な主張です。そして、その強欲な資本主義の行きつく先が、植民地争奪戦や帝国主義戦争だというのです。
「戦争はもはや幻想?」では、資本主義は国家間の経済的相互依存を加速させることから、戦争の原因になるどころか、平和を促進するという考え方もあるといいます。たとえば、アダム・スミスは、国家間が経済的な結びつきを深めると、戦争のコストが利益を上回るようになり、戦争が非合理的になると主張しました。同じような主張を、シャルル・ド・モンテスキュー、ジェレミ・ベンサム、トマス・ペイン、ジョン・スチュワート・ミルなど数多くの人が訴えています。中でも、ノーベル平和賞を受賞したノーマン・エンジェルは、著作の『大いなる幻想』の中で、経済的相互依存が平和に資すると主張したことで1910年に脚光を浴びました。エンジェルは、ヨーロッパ諸国は高度に経済的に依存しあっており、もし戦争が起きれば互いに深刻な損失を被ることになるため、もはや戦争は「幻想」だと論じたのでした。
「社会主義の誕生」では、資本主義の発展によって、すべての人が平等に豊かになることはありませんでした。資本主義が芽吹いたヨーロッパ諸国は産業革命によって世界の列強の地位へと急速に上り詰めたものの、少数の資本家がますます富む一方で、労働者は過酷な労働を強いられるようになったのです。このような現実を前に、資本主義は階級間の不平等を拡大し、「資本家(ブルジョワジー)の支配」と「労働者(プロレタリアート)の従属」という関係を固定化していると批判したのが、カール・マルクスでした。マルクスによれば、資本主義国家では資本家ができるだけ多くの利益を生み出すために、労働者を搾取し、社会に不満が蓄積します。そして、このような不満がやがて革命を引き起こし、国家による計画経済と富の再配分を行う「社会主義」という段階を経て、最終的には財産の私有を廃し、コミュニティ全体で共有する「共産主義」が実現されると論じました。
「なぜ社会主義は失敗したのか?」では、社会主義が失敗に終わった要因は福風ありますが、最も大きな問題の1つは、社会主義国家が「消費」ではなく「生産」を重視したことでした。社会主義国家は、経済にとって重要なのは「どれほど生産するか」ではなく、「どれほど消費されるか」にあるということに気づけなかったのです。つまり、社会主義国家の失敗が示したのは、経済の原動力は「生産(供給)」ではなく「消費(需要)」にあるということです。他方で、資本主義国家では広告代理店が中心となって消費を喚起する大量消費社会が構築されました。
日本でも1950年代に広告代理店が「三種の神器」というキャッチコピーの下で、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの需要が喚起されました。もちろん家電は必需品ですが、企業は積極的にモデルチェンジをして消費者の購入意欲をかき立て、消費者はまだ使える製品を持っていたとしても新製品に買い替えるようになりました。著者は、「このような大量消費社会は膨大な資源を消費するので地球環境には良くないが、経済成長には役立った。生産を目標に据える社会主義よりも、消費を喚起する資本主義の方が、経済発展と人々の生活の向上には寄与したのだ」と述べています。
「(4)司馬遼太郎「魔法の森からノモンハンが……」の「国内政治が戦争の原因?」では、定量的研究によれば、対外的な戦争や脅威を前にすると、政権の支持率が一時的に高まる傾向が確認されていることが紹介されます。これを「旗下結集効果」といいます。この「旗」とは国旗を指しており、対外的な脅威を前に国民が国旗の下に1つに集まることを意味します。このような旗下結集効果は、外集団と内集団のダイナミクスが根底にあります。社会学者のラルフ・ダーレンドルフは「人間の集団が外圧に反応し、内部の結束を高めるのは一般的な法則のようだ」と述べています。同様に国際政治においても、「彼ら(外集団)」との対立は「私たち(内集団)」の結束を強める効果があるといいます。
「存亡の危機を前に官僚組織を整備した日本」では、日本は外的脅威によって国の存続が危ぶまれるたびに、その危機に対抗するため官僚機構を整備し、中央集権的な国家体制を築いてきたことが指摘されます。たとえば、7世紀には唐の脅威を前に、日本は初めて本格的な官僚制度を整備しました。当時の朝鮮半島には高句麗以外にも、南部に百済と新羅という2カ国がありましたが、もし唐が朝鮮半島全体を手中に収めれば、その矛先が次に向かうのは、当時「倭国」と呼ばれていた日本でした。すなわち、日本は唐という強大な脅威を前に、存亡の危機を迎えていたのです。こうした情勢の中で実行されたのが、「大化の改新」という政治改革でした。著者は、「唐と高句麗の戦争が始まった同じ645年に、大化の改新が実施されたのは、決して偶然ではないだろう」と述べます。
もっとも、その後は荘園制度の発達により、日本の体制は中国のような中央集権体制というよりも、ヨーロッパ中世に似た封建制度でした。日本で近代的な官僚制度が整備されたのは、明治政府の成立以降です。この時も、ヨーロッパ列強の脅威を前に、日本は存亡の危機を迎えていました。アヘン戦争でアジアの大国である清が敗れ、黒船来航によって市民にも脅威が明らかになりました。こうした情勢の中で実行されたのが、「明治維新」という政治改革でした。著者は、「奇しくも、明治維新もまた、『王政復古』という一種のクーデターから始まった。そして、緊迫する世界情勢の中で、岩倉使節団などを通じてヨーロッパの制度を参考にしつつ、ヨーロッパ列強の脅威に耐えうる中央集権的な国家を目指して官僚制度を整備し、『近代国家』を建設したのである」と述べるのでした。
第四章「国際社会の蹉跌 かくして戦争の引き金が……」の「(1)ウェストファリア条約と廃藩置県」の「現代の国際社会とは?」では、端的に言えば、現代の国際社会は「主権国家からなる社会」であるといいます。今日、地球上の陸地のほとんどは主権国家によって占められています。主権国家が領有を主張していない陸地は、1961年の南極条約で各国の領有権が凍結された南極大陸、スーダンとエジプトの国境沿いに位置するビル・タウィール、クロアチアとセルビアの国境に位置するゴルニャ・シガとその周辺の飛地だけ。このような状況の中で、主権国家は互いに独立し、それぞれの領土を管理しているのです。たとえるなら、現代の国際社会は、国連加盟国の数で言うと193人の「主権国家」という村人が住んでいる1つの村です。なお、このような主権国家からなる社会を「主権国家体制」または「ウェストファリア体制」といいます。
「なぜ主権国家が誕生したのか?」では、主権国家体制が構築された契機の1つは、1618年から始まった「三十年戦争」だったことが指摘されます。この戦争はカトリックとプロテスタントとの宗教対立がキッカケとなり勃発しましたが、ヨーロッパ諸国の権力闘争が複雑に絡んだことで凄惨な戦争に発展しました。この頃は小氷期と呼ばれる寒冷な時代で飢饉が頻繁に発生していたこともあり、長引く戦争と飢饉の結果、主戦場となったドイツでは人口の約半分が命を落としたとも言われています。
多くの人々が死亡する中、戦争は10年、また10年と続きました。複雑な権力闘争と長引く戦争禍の中で、一般市民には誰が、どこで、何のために戦っているのかすら分からなくなっていたことでしょう。そして、とうとう歴史も、その戦いの長さ以外にその戦争につける名前は見つかりませんでした。それが「三十年戦争」です。開戦から30年経ち、各国は「ウェストファリア条約」という和平合意を締結して、血みどろの戦争を終わらせました。やっと終結した時、各国は疲れ果てており、どの国も自国の意思を他国に押し付けられるほどの力は持っていなかったのです。
このような中で各国は、それぞれの領土内での最高権威を認め合い、互いの内政に干渉しないという新たな国際秩序の基盤を築きました。それは、ヘンリー・キッシンジャーの言葉を借りれば、「すばらしい倫理的な見識などではなく、現実に実際的な適応そのものだった」といいます。著者は、「こうして結果的に、残酷な戦争がヨーロッパ社会の論理を変えることになったのである(なお、三十年戦争が続く中、戦争にも一定のルールが必要だという声が高まった。そこで1625年に書かれたのがフーゴー・グロティウスの『戦争と平和の法』である。これが今日の国際法の起源になった)」と説明しています。
「主権国家とナショナリズム」では、ナショナリズムとは特定の国家に対する帰属意識を指すといいます。いわば「国民」という概念を形作っているのが、ナショナリズムだというのです。このような帰属意識も、歴史的に見れば比較的最近の発明でした。近代的な意味での国民という概念がヨーロッパで広がったのは、早くても18世紀になってからでした。これはフランス革命が契機になりました。ヨーロッパではそれまで主権は君主が持っていましたが、フランス革命の基本原則を記した1789年の「人および市民の権利宣言(フランス人権宣言)」で、「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する」と規定されました。つまり、フランス革命は、国家の最高権威である主権を、君主から国民へ移す試みだったのです。こうして「国民主権」という概念を旗印に「国民国家」という存在が歴史に姿を現すようになったのです。
「日本を創った史上最大の改革」では、「日本」という近代的な主権国家が誕生したのも、「日本人」というナショナリズムが芽生えたのも、歴史的に見れば比較的最近のことだったといいます。日本という国は少なくとも7世紀からありましたが、江戸時代まで一部の知識階級を除いて「日本人」という意識は薄かったのです。多くの人は自分の「お国」を聞かれれば、それぞれの出身地を答えたでしょう。江戸時代の日本は、幕府と諸藩がそれぞれ高度な自治を持つ幕藩体制という分権的な政治構造で、いわば連合国家に近い性格を備えていたのです。ちなみに、江戸幕府は「藩」という名前を一度も公式には使用していません。当時は「領分」、「領地」、「知行所」などと呼ばれていました。
大隈重信によれば、王政復古の後も日本は中央集権的な主権国家になっておらず、藩が群雄割拠して第2の幕府が生まれかねない不安定な状況にあったといいます。そこで明治政府は、日本という主権国家を創るために、1871(明治4)年に史上最大の改革に踏み切りました。この改革こそが、まさに日本という近代国家としての出発点であり、その後の国の基盤を形づくることになりました。それが「廃藩置県」です。著者は、「義務教育制度や徴兵制、あるいは新聞報道などを通じて、国民の間で日本という主権国家への帰属意識が徐々に浸透し、日清戦争の頃には『日本人』という社会的アイデンティティが強固に根付くようになったのである」と述べています。
「なぜ最強のイデオロギーなのか?」では、ナショナリズムがこれほど強いイデオロギーとして世界に定着した理由が考察されます。理由の1つは、自由主義や社会主義などの他のイデオロギーと違い、ナショナリズムが社会的アイデンティティに直結することでしょう。他の政治的イデオロギーは基本的に「国家がどのような役割を担うべきか」をめぐる立場を示します。たとえば、自由主義は国家が個人の生活にできるだけ関与しない方が良いと考え、社会主義は国家が個人の生活に積極的に関与すべきだと考えます。一方で、ナショナリズムは、国家の役割ではなく、「誰が国家に所属すべきか」、そして「その共同体は何であるか」を問うものです。
主権国家はたしかに近代の発明ですが、ナショナリズムは遥か昔から遠い未来までを内包しています。そのため国家は生きている者同士だけの共同体ではなく、生きている者、死んだ者、そしてこれから生まれ来る者を結ぶ共同体として認識されます。この永続性こそが、ナショナリズムの魔術であり、わたしたちに深く根付いた理由の1つでしょう。「(3)大国は覇権国家の夢を見る」の「パワーバランスが戦争の原因?」では、国際社会において、1つの大国が突出したパワーを持つ「一極化」、2大国が並び立つ「二極化」、3カ国以上が拮抗する「多極化」、そしてどの国も突出したパワーを持たない「無極化」というパターンがあることが指摘されます。このそれぞれのパワーバランスが、大国間戦争の勃発リスクを左右するといいます。
「(5)人類は窒素と化石で殺しあう)の「食事とは窒素の補充」では、人類の長い歴史を振り返れば、偏在する様々な資源を巡って戦争という選択肢が取られてきたことが指摘されます。特に食料となる穀物や家畜、そしてそれらを育てられる肥沃な土地は、古代から近代に至るまで幾度となく争いの火種となってきました。人類は食料をめぐって対立してきましたが、これは極端な言い方をすれば、身体の維持と活動に欠かせない栄養素、すなわち元素を巡って衝突してきたともいえます。
その中でも特に人間にとって重要な元素が「窒素」です。窒素はアミノ酸の必須構成要素であり、筋肉や臓器を支えるタンパク質の材料となる。生命を維持するうえで欠くことのできない元素です。しかし、人間をはじめとする動物は体内に窒素を蓄積し続けることができません。そのため、わたしたちは日々の食事を通じて窒素を摂取しています。わたしたちは野菜や穀物といった植物を食べるか、あるいはそれらの植物を食べた動物を食べることで窒素を得ているのです。
約1万年前に始まった農業革命以降、人類は定住して農耕を行うようになりましたが、農作物は成長の過程で土壌中の窒素を吸収し続けます。そのため、同じ土地で耕作を繰り返せば、やがて窒素が枯渇し、最終的には作物を育てられなくなってしまいます。この問題を克服するために、世界各地で様々な工夫がなされてきました。いずれの方法でも補える窒素の量は限られていたため、人類の食料生産は常にその範囲内に縛られてきました。言い換えれば、人類の繁栄の限界は、窒素という元素の利用可能な量によって決められてきたのです。
「飢饉と戦争」では、実際、窒素の制約による食料生産の限界は、戦争という問題にも大きな影響を与えてきました。18世紀のイギリスの経済学者トマス・マルサスは、人口増加は食糧生産の増加ペースを上回るため、人口増加を抑制しなければ、飢饉や戦争が起こると主張しました。これが後に「マルサスの罠」と呼ばれる理論です。著者は、「もし窒素という制約が存在せず、人類が昔から十分な食料を生産できていたなら、こうした悲劇のいくつかは避けられたかもしれない」と述べています。
「窒素をめぐる攻防」では、19世紀に入ると、肥料となる反応性窒素をめぐる世界的な競争は、さらに激化したことが指摘されます。その象徴が「硝石」を巡る争いです。硝石とは、主に動物の排泄物が微生物によって分解されることで生成される窒素化合物の鉱物で、肥料として最適でした。しかし同時に、水に溶けやすく、自然界で蓄積される場所は限られていました。そのため、各国は限られた硝石を求めて、熾烈な競争を繰り広げることになったのです。なお、この競争は農業用の肥料のためだけではありませんでした。
硝石は農作物の成長に役立つだけでなく、火薬の原料でもありました。つまり、皮肉なことに、人間は生きるためにも、他の人間を殺すためにも、硝石を必要としていたのです。著者は、「このように歴史的に見ると、肥料や火薬の生産に不可欠な硝石が世界的に偏在し、その供給が限られていたことが、食料生産や軍事力を左右する重大な制約となってきた。そして、この制約が、国際的な資源争奪戦と戦争を引き起こす要因ともなってきたのである」と述べます。
「人類史上最大の影響を与えた人物」では、20世紀初頭、ドイツに住むある天才科学者が、人類を長年悩ませてきた窒素の制約を克服することに成功したことが紹介されます。その科学者の名前はフリッツ・ハーバーといいます。ハーバーは、まさに人類史を根底から覆す画期的な発明を成し遂げました。世界で初めて、大気中の窒素から、窒素化合物のアンモニアを生成することに成功したのです。すなわち、ハーバーは「空気をパンに変える方法」を発明したのです。
そして、ハーバー・ボッシュ法と呼ばれるこの発明は、化学肥料の大量生産を可能にしました。これによって農作物の収穫量は飛躍的に増加し、人類の農業生産の限界を大きく押し広げることとなりました。実際、20世紀初頭までに約16億人だった世界人口は、1945年には25億人、そして現在は83億人にまで達しています。この人口爆発には医療技術の進歩など様々な要因もありますが、ハーバーの発明がなければ、今日ほどの人類の繁栄はあり得ませんでした。ハーバーは、「マルサスの罠」から人類を解き放ち、その歴史を大きく変えたのです。
一方、皮肉なことに化学肥料と爆薬の化学構造はよく似ているので、ハーバーの発明は、同時に爆薬の大量生産を可能にしました。そして第一次・第二次世界大戦では、こうして生産された大量の爆薬が使用され、数千万人もの命が失われました。さらに、ハーバー自身も第一次世界大戦中にドイツで毒ガス兵器の開発に従事し、「化学兵器の父」とまで呼ばれるようになっていました。著者は、「ハーバーの発明は、かつてないほど大きな恩恵を人類にもたらしながらも、戦争の形を変えてしまう程の破壊力も生み出した。人類史を変えたハーバーは、まさに希望と破壊という両面を併せ持つ人物だったのである」と述べています。
「エネルギーの人類史」では、食料と並んで、エネルギー資源も人類の生活に不可欠であることが指摘されます。人類の歴史は、常に新しいエネルギー源の獲得と活用の歴史であり、そのたびに社会構造や国際関係は大きく変化してきました。たとえば、火というエネルギーの利用によって調理が可能となり、人類は他の動物と全く異なる進化の道を歩むようになりました。さらに、風力を利用する帆船の登場によって、人類は海を超えて移動し、交易や戦争を通じて行動範囲を広げてきました。さらに、馬の力の利用は移動力と軍事力を高め、ユーラシア大陸に広大な帝国が築かれる要因となりました。そして、石炭を燃料とする蒸気機関が普及すると、イギリスを中心に産業革命が起こり、19世紀から20世紀にかけて大英帝国が世界の覇権を握るまでに至ったのです。
このような中で、とりわけエネルギー資源の歴史において大きな転換点の1つは、第一次世界大戦前夜にイギリスの海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、戦艦の動力源を石炭から石油へと切り替えたことでした。この決断によって、新たな時代の幕が開けました。石油は戦艦だけでなく、トラック、オートバイ、戦車、航空機といった近代兵器の燃料として不可欠な存在となり、戦争の形態や国家の経済そのものを大きく変えることになったのです。その結果、石油は国家にとって最も重要な戦略物資になりました。著者は、「国家にとって石油はまさに血液のような存在となり、石油を載せたタンカーが通るシーレーン(海上輸送路)は血管にあたる生命線となった。現代では石油の供給が止まれば、国家という身体はたちまち機能不全に陥ってしまうのだ」と述べます。
終章の「舵を取れ」では、悲嘆に沈むばかりが人類の運命とは限らないと述べます。実際、世界中の人々のたゆまぬ努力によって、現代では数多くの戦争が未然に防がれています。統計を見れば、歴史的に戦争の発生件数は大きく減少していることが分かるとして、著者は「ニュースでは今日も惨禍の報道が絶えないが、長い時間軸で見れば、戦争の頻度が下がっていることは確かだ。国連に承認されている独立国家が併合され、地図上から姿を消すような事態も、この数十年ほとんど見られない」と述べます。
スワヒリ語には「風の向きを変えることはできないから、舵を取れ」という格言があるそうです。著者は、「戦争の歴史を繰り返さない道を切り開きたいのなら、今こそ私たちは戦争について学び、そしてそれを防ぐために自ら行動しなければならない。次の世紀が、平和に満ちた時代になるか。それとも、再び数多くの戦争の名で教科書が埋め尽くされるのか。その答えはまだ誰にも分からない。しかし、1つだけ確かなのは、その選択が私たち自身の手に委ねられているということだ。そして、そのような私たち1人ひとりが積み重ねる選択の結果が、やがて『22世紀の戦争論』として歴史に刻まれるのである」と述べるのでした。本書はスケールの大きな歴史書であり、思想書です。知らなかったことも多く、非常に勉強になりました。
