No.2310 人生・仕事 『ちょうどいい孤独』 鎌田實著(かんき出版)

2024.03.29

『ちょうどいい孤独』鎌田實著(かんき出版)を読みました。サブタイトルは「60代からはソロで生きる」です。著者は、1948年東京生まれ。医師・作家・諏訪中央病院名誉院長。東京医科歯科大学医学部卒業。1988年に諏訪中央病院院長、2005年より名誉院長に就任。地域一体型の医療に携わり、長野県を健康長寿県に導いた。日本チェルノブイリ連帯基金理事長、日本・イラク・メディカルネット代表。2006年、読売国際協力賞、2011年、日本放送協会放送文化賞を受賞。著書多数。

本書の帯

本書のカバー表紙にはハリネズミの絵が描かれ、帯には「孤独を味方につけて、『人生の満足度』を上げませんか?」「健康や人間関係を壊さない、カマタ流“個立有縁”のすすめ」と書かれています。また、カバー前そでには、「普段は誰かとつながっていながら、『ひとりでいたいときにはひとりで異様』という具合に、『ちょうどいい孤独』を楽しんだらいいと思います」と書かれています。

本書の帯の裏

アマゾンより

アマゾンの内容紹介には、以下のように書かれています。
「家族や友人がいても、『孤独』だと感じる時間は必ずある。そこをどうやって自分自身の時間をポジティブなものに転換していくか。その方法次第で、人生が幸福なものか、不幸なまま終わってしまうかが決まっていくなら……。孤独を積極的に楽しんで、『人生の密度』を高めていきませんか。コロナ禍において提唱された新しい生活様式は、『個のすすめ』でした。買い物も散歩も外食も、原則としてひとり。人混みを避け、極力人に合わないことを強いられた日々。強烈に『ひとり』を実感されられた時間の中で、多くのひとはひとりで生まれて、ひとりで死ぬという『孤独』の本質を見たはずです。本書は、孤独を癒すのではなく、孤独を楽しむことを提案しています。孤独“に”生きるのではなく、孤独“を”生きる。つまり『望んで得る孤独』のすすめです。孤独を楽しめれば周囲の雑音に惑わされることなく、自分自身の本来の姿に立ち返ることができます。精神的な自立は、家族や友人との付き合い方も風通しのいいものに変わっていくでしょう。『孤高』を求めるのではなく、ゆるやかな孤独を楽しむ。そんな大人の生き方の提案です」

アマゾンより

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに◎「人生100年時代の『ソロ立ち』のすすめ」
第1章◎「ちょうどいいひとり時間」は人生を変える
第2章◎群れない、束縛されない「ソロ活」のすすめ
第3章◎さびしいという孤独感を減らして
    「孤独力」を上げる
第4章◎家族や集団の中でこそ
    「ソロ精神」を発揮しよう!
第5章◎「老いの坂」を下りるスキルをどう身につけるか
第6章◎老いの「ソロ立ち」であなたも孤独名人になれる
おわりに代えて◎カマタの老いのソロ立ち

はじめに「人生100年時代の『ソロ立ち』のすすめ」の冒頭を、著者は「新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて提唱された新しい生活様式は、『個のすすめ』です。買い物も散歩も外食も、原則としてひとり。人混みを避け、極力人に会わないことを強いられるようになりました。そのせいもあるのか、『孤独』が一種の“ブーム”になっています。若者の間で流行っている『ぼっち』や『ソロ活』は、その典型でしょう」と書きだしています。

著者は孤独には「望まない孤独(消極的孤独)」と「自ら望んで得る孤独(積極的孤独)」があると考えているそうです。望まない孤独は、孤独を否定的にとらえ、「自粛生活を強いられて人付き合いが減り、さびしくて元気を失った」と孤独を感じるというもの。反対に「望んで得る孤独」は、「人と会えなくてさびしいけれど、その分、自由な時間ができたのでやりたいことがやれるようになった」と、好意的なとらえ方をするものだそうです。

親や子がいようと、配偶者や友達がいようと、わたしたちは結局、「ひとり」なのだと、著者は言います。みんな、ひとりで生まれて、ひとりで死ぬ。夫婦で生活していても、いつかどちらかが必ず死ぬ。命の最期は「個人戦」だというわけです。これが「孤独」の本質であるとして、著者は「家族がいても、人間の根源的な孤独は癒すことができない……。私たちが棚上げにしていたこの厳然たる事実を、新型コロナ禍が見つめ直させてくれたのです」と述べています。

そこで著者は、“孤独を癒す”のではなく、“孤独を楽しむ”ことをすすめています。孤独“に”生きるのではなく、孤独“を”生きるということです。つまり「望んで得る孤独」のすすめです。『人生論ノート』で有名な哲学者の三木清は、「孤独は感情ではなく、知性に属さなければならぬ」と語っています。「自分らしく生きるために、その行動によって孤独になることもある。それは知性による孤独であって、とても尊いものだ」というのです。

「『ソロ立ち』『ソロ活』『ぼっち』という新しい波」では、ポストコロナは、これまでの「縦社会」の規律や忖度をぶち壊して、「これからどうすればいいのか?」をみんなで考えていかなければいけない時代であると指摘しています。社会全体で「なぜ、ひとりでいてはいけないのか?」という問いにも、根源的な答えを見つけていかなければならないとして、著者は「他人に甘えず、媚びへつらうことなく、ひとりのメリットを享受すること。その半面、友人や集団の中では十分なコミュニケーションが取れること。そんな『孤独の楽しみ方』を知る人たちが、新しい社会や次の仕組みをつくっていくのではないかと考えています」と述べています。

「『ちょうどいい孤独』を探す」では、本書では、さまざまな角度から、「孤独」の楽しさ、素晴らしさを考えていくことが示されます。ただ注意すべきなのは、本書は「孤高」をすすめる本ではないということ。著者は、「巷では、孤独のプラスの側面を強調して『孤高』という言葉を使い、『超然とした態度で理想を追い求める』著書も人気です。確かにこれは、孤独の理想に近づこうとするものだと思います。でも、誰もがそんなに高尚な生き方ができるわけではありません。そこで、普段は誰かとつながっていながら、『ひとりでいたいときにはひとりでいよう』という具合に、『ちょうどいい孤独』を楽しんだらよいと思っています」と述べています。

家族や友人がいても、「孤独だ」を感じる時間は必ずあります。どうやって自分自身の時間をポジティブなものに転換していくかが大切ですね。極論すれば、その方法次第で、人生が幸福なものか、不幸のまま終わってしまうかが決まっていくとして、著者は「孤独を積極的に楽しめる人と、孤独を否定的に感じる人とでは、『人生の密度』が大きく変わってくるように思います。『孤独はラッキー』なのです。『自分だけの、自由に自分勝手に使える時間』、それが『ちょうどいい孤独』です」と述べるのでした。

第1章「『ちょうどいいひとり時間』は人生を変える」の「『ソロで生きる力』を磨く時代」では、働く高齢者が4人に1人になったことが紹介されます。これを受けて、著者は「政府は生涯現役で活躍できる社会をつくるなどと『きれいごと』を言っていますが、こんな言葉に惑わされてはいけません。政府の思惑などに躍らされることなく、自分の都合のいい時間に、家計の足しになるような面白い仕事をするなど、自分流のソロ立ちを自分自身で決めるのです。『ソロで生きる力』を磨く時代になったということです」と述べています。

老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)

「高齢者の3割は友達がいない」では、高齢者たちが抱いている不安についての原因を探ります。NPO法人「老いの科学研究所」の調査では、身体能力が衰えること、認知症の心配などに混じって、「孤独やさびしさ」を訴える人が多いと言います。孤独を怖がるあまり、「病気になったらどうしよう」と不安でたまらなくなる。その背景を探ると、「一緒に楽しく過ごせる仲間がいない」というさびしさが潜んでいるそうです。「幸福の科学」というのは有名ですが、「老いの科学」という言葉は初めて聞きました。でも、拙著『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)という本もあるように、「老い」について考えることは「幸福」について考えることにほかなりません。

「人間は『ひとりでいたい』欲求を持つ存在」では、アフリカで誕生した人類は、周囲に住む猛獣たちの標的になりやすい脆弱な存在だったことが指摘されます。そこで生き延びるためにコミュニティーを作りました。でも、一緒にいると息が詰まってしまい、やがてコミュニティーから離れたいという欲求を持つ者も出てきました。そして世界へと散らばって行ったのです。こうした人たちがいたから、人類は“出アフリカ”に成功し、何万年もの時間をかけて「グレートジャーニー」の旅に出かけ、全世界に定住するようになったのです。著者は、「つまり人間というものは『群れたい』欲望と『ひとりでいたい』欲求の両方を併せ持つ存在です。ただ、『群れたい』欲望が強すぎると集団の中で埋没してしまうし、『ひとりでいたい』欲求が旺盛だと社会的孤立が深まってしまいかねません。この両方のバランスを上手に取ること、それが現代に適した生き方なのではないかと思います」と述べます。

「『孤独力』を磨けば『孤立』は招かない」では、孤独と孤立はまったく別物であることが指摘されます。孤独は自分が望む場所と時間を自分で選ぶこと、つまり「自立」した人間のことです。「自立」はよく誤解されているように、何もかもすべて自分の力で行うことではなく、本当に頼らなければならないときに頼れる相手がいる状態のことであるとして、著者は「それと正反対に、孤立は、いざというときに頼れる人が誰もいないという状態のこと、あるいは社会から外れて生きなければならない状態のことです。当然、頼るべき相手も存在しません」と説明します。

「孤独の醍醐味は個人の価値に気づくこと」では、「絆」という言葉が取り上げられます。東日本大震災のとき、メディアは被災地から、続々と感動的な映像や心温まる場面を送り続け、これが「絆」という言葉に象徴されました。しかし、「絆」というのは本来、「人を縛る」ものなのであるとして、著者は「親子の絆、夫婦の絆、地域社会や共同体の絆は“安心”の基礎になるものですが、時と場合によっては、理不尽な形で個人を縛りかねないものになってしまいます」と述べています。

どんなときに絆が必要になるか、あるいはどこまでの範囲で絆を求めるか。それは本来、さまざまな局面によって異なるはずです。でもいつの間にか、社会全体で盲目的な「絆」の大合唱が起きるようになり、「私は本来、絆を好まない」とか「これ以上の絆は重荷になります」なんて口に出すことが、はばかられるようになってしまったと指摘し、著者は「よく考えてみてください。日本人はずっと自分の周囲の共同体を『大事にするもの』として挙げてきたのです。江戸時代は『お家』、つまり所属する藩でした。明治以降は『お国』、つまり国家です。そして戦後社会になって以降は『わが社』です。そしていまは『家族』になってきたというわけです」と述べるのでした。

絆は本来、馬や鷹などの家畜を立木につないでおくための綱のことを言いました。呪縛や束縛の意味にも使われてきました。また最近、絆は話題につながるための大切なものとされていますが、著者は「絆には落とし穴があることを忘れないようにしたいものです。時と場合によっては、お家、お国、家族ほど、個人を振り回すものはありません。これらは、ある人には絶対的な位置を占めます。僕にとっても国家、諏訪中央病院、地域、家族は間違いなく大切なものですが、半面、人によってはこれに締めつけられることがあるのです。必ずしも個人を守ってくれるものではなく、ときに個人の生き方や自由に抵触する場合もあるのです」と述べています。わたしは基本的に絆を重視する人間ですが、この著者の意見は傾聴する価値があります。

第2章「群れない、束縛されない『ソロ活』のすすめ」の「子どもの頃から『ひとりでいたい』人間だった」では、「孤独」という言葉は英語では「Loneliness」「Solitude」の両方があることが紹介されます。孤立は「Social Isolation(ソーシャル・アイソレーション)」です。著者が「ソロ活」「ソロ立ち」という場合、「さびしさ」の意味合いが強い「Loneliness」より「隔絶された」という意味合いが強い「Solitude」を意識しているそうです。

著者は、「自分で意識的な隔絶『Solitude』をはかり、積極的に孤独を楽しもうとするものです。Enjoy Solitude、あえて孤独になってもOKなのです」と述べます。また、「Loneliness」の「さびしい」「哀しい」という感情は、人間が生きていく上で大切なものだとして、著者は「これらがなくなってしまったら、大切な経験を忘れていってしまうように思います。『Loneliness』の大切さを忘れないようにしたいと思って、僕は生きてきました」と述べるのでした。

「人生は思い通りにならない。だからこそ思い通りに生きればいい」では、貧しかった幼少時代、「本」が著者のかけがえのない友達だったことが明かされます。著者にとって本は、人生の土台をつくってくれただけでなく、人生の分かれ道にさしかかったとき、「どう生きたらいいか」を指し示してくれたそうです。そして本は、「人生は不条理だ」ということも教えてくれたとして、著者は「人生は思い通りにはいきません。それを感じたとき、『人は思い通りに生きればいいのだ』と、自分の思考を形づくれたのも、本を読んできたからだと思っています。いわば僕は、本を読むことで、『孤独』の価値に気づくことができたのです」と述べています。

「人生という『ひとり芝居』がある」では、ともにいろいろな人々が集まって1つの芝居をつくっていく場として病院をとらえます。そんな考えを抱いていた著者は、やがて「ひとり芝居」に興味を持つようになりました。例えばマルセ太郎のひとり芝居。永六輔や立川談志も激賞していましたが、彼はもともとパントマイム俳優、ボードビリアンですが、自ら劇作家になってシナリオを書き、芝居を演じたのです。著者は、「それはまるで、スクリーンのない映画館で映画を見るような空間になっていました。僕が大好きなフェデリコ・フェリーニの『道』やマルセル・カルネ『天井桟敷の人々』、チャップリンの『ライムライト』、松本清張の『砂の器』などをマルセ太郎はひとり芝居で、見事に演じたのです」と述べます。

「孤独と不安をごちゃ混ぜにするな」では、著者は「個」を確立するために、孤独の中に身を置き、自分の価値を見つけ出していく作業を繰り返すことで、ぶれない価値観を形成していこうとしたことが明かされます。人生の壁を打ち破っていくときも、スポーツアスリートとして成功していくときも、ビジネスマンでも物書きでも、孤独であることはマイナスにならないばかりか、強いパワーを生み出していくとして、著者は「大事なことは、孤独と不安をごちゃ混ぜにしないことです。野球の試合で満塁のピンチに立たされたストッパーは、孤独の中でマウンドに立ち、敵の打者と立ち向かう。ヒットを打たれたり、落ちるボールが暴投になってキャッチャーが後逸すれば、3塁ランナーがホームに入ってしまいます。そんなギリギリの緊張と不安の中で、ストッパーは大事な1球を投げなければなりません。その不安をどうやって乗り越え、頼れるピッチャーになるか……。それは自分を見失わず、チームのためと同時に、自分の人生、自分の成功のために、その1球を信じて投げること。それが大事なのだと思います」と述べるのでした。

「『ヤマアラシの哲学』に学ぶ」では、「ヤマアラシのジレンマ」という寓話が紹介されます。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが唱えたもので、フロイトも心理学に応用したといわれています。ヤマアラシは、寒いとかたまって過ごす習性がありますが、みんなが鋭い針を持っているので、くっつくと痛いですね。やむなく離れると、今度は寒くてたまらなくなります。これが「ヤマアラシのジレンマ」です。コロナ禍で「ソーシャルディスタンス」が叫ばれた時期もこれと同じだとして、著者は「人が人が接する機会が少なくなり、特に若者たちの出会いや、恋愛のチャンスが減り、少子化が加速しかねません。こんなふうに物理的、肉艇的な要因で少子化が進むというリスクと、ソーシャルディスタンスで出会いが少なくなって結婚数が減るというリスクがあります」と述べます。

「コロナ禍時代に『上手に距離を取る』7つのポイント」では、「孤独」とは、「単独で生きろ」という意味ではないことが指摘されます。夫婦でいても友人といても、お互いの距離を保って、個人としてきちんと存在し続けることが大事なのだとして、著者は「夫婦もソロ、成長したら子どももソロ、そんな形で家族がゆるやかにつながっていけば、おたがいが生きやすくなります。そして寒くなったらヤマアラシのように、上手に針を折りたたんでくっつき合う。いたずらに『離れろ』ではなく、『刺すこともある』ことを知って、どうすれば『血を流さずにくっつき合えるか』を考える。それが知恵というものなのです。個性的な人間は皆、針を持っています。それを認め合うことが大事です。それがないと人間関係は面白いものにならないし、発展もしない。僕はそう考えています」と述べます。

第3章「さびしいという孤独感を減らして『孤独力』を上げる」の「孤独は本物の伝染病」では、2019年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、アメリカのイエール大学のローリー・サントス教授が「孤独は本物の伝染病だ」と述べたことが紹介されます。それを裏づけるように、全米の大学調査でも60%以上の学生が孤独を感じているそうです。イギリスでも16歳から24歳で40%、70歳以上の高齢者で40%が孤独を感じているのです。著者は、「日本でも、コロナ禍でむしろ若者の孤独感が強まっているというデータが出ていますが、そのほか、こんな意外なデータもあります。それは、既婚者のほうが孤独感が強いというもの。なるほどなあと思います」と述べます。

いま巷には「孤独のすすめ」関連の書籍が溢れていますが、著者は「安易にその風潮に乗っからないで欲しい」と訴えます。決して「孤独本」を批判するわけではないとしながらも、その多くは「人生で成功した人たち」「人生強者」の筆による人生論で、どちらかといえば“強者の論理”が展開されているからだといいます。著者は、「生きるための指針としては大事です。でも深刻な社会的孤立や激しい孤独に悩む人たちには、あまり参考にならないと思うのは、医師である僕の偏見でしょうか。孤独感にさいなまれている人やSOSを出す仲間がいない、貧困の中にいる人に、『孤独はいいもんだ』などと言い放つ勇気は、僕にはありません」と言うのでした。

「追い込まれ孤独は減らしたい」では、未婚化の増加による孤立化が大問題であると指摘しています。2015年に65歳以上の男性に占める未婚者の割合は5.9%でしたが、2040年には14.9%になると報告されています。未婚者には配偶者だけでなく子どももいないでしょうから、孤立のリスクは高まる一方です。日本は圧倒的な“ひとり暮らし社会”だということができるとして、著者は「幸い、2015年の『生活困窮者自立支援制度』施行以降、社会的孤立に関しては自治体などが幅広い相談に応じるようになりましたが、真のセーフティネットとして機能するまでには、まだ時間がかかりそうです」と述べています。

「まずは居場所づくりから」では、「孤立感」は一生ついてくる問題だと指摘しています。心地よい人間関係やコミュニティーを構築できれば、人生の最期まで自分らしく幸せに生きることができるはずだといいます。著者は、「最近ではこれをSNSに求める人もいますが、果たしてどうでしょう。『SNSの世界は“ふわっとしたつながり”だからです』と、SNSで活躍するある人が教えてくれました。『どこか現実感がなく、本当につながってないから、心底、相手に心を許せない。だから孤独を感じる』というのです。そこで、本当の意味でつながっていて、心の底から楽しいと思えるような居場所や、心を許せる友達がいれば、彼らも安心するはずだと感じます。だから『リアルな世界での友達専用のアカウントをつくったりする』のだそうです。これはいい工夫です」と述べます。

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「人間は孤独でいる限り、彼自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ」と語っています。孤独を愛することこそが、真理を追求することにつながるというのです。これを敷衍して「孤高」と表現する人もいます。超然とした態度で理想を追い求めることですが、誰しもが真似できるものではありません。それは「孤独のすすめ」本と同じで、「人生の強者」だからこそ到達できる境地であるとして、著者は「僕たちのような凡人で、いつも道に迷い続けている者には、あまり参考にならないかもしれません」と述べています。

第4章「家族や集団の中でこそ『ソロ精神』を発揮しよう!」の「老いの孤独を遊ぶ」では、ビートルズのジョン・レノン、アップル創業者スティーブ・ジョブズも、若い頃はみんな孤独だったことが紹介されます。孤独だから天才が生まれたわけではないかもしれませんが、孤独な時間が、自分の中に埋もれている「何か」、自分も周囲も気づかない大切なものを引っ張りだすのではないかとして、著者は「人間は動物学的には弱い存在です。だから人類が誕生したアフリカのサバンナで生き抜くために、家族をつくったり仲間が集まったりしてきました。だからソロになると、さびしさや哀しさ、孤独を感じてしまう。それは人間の本能といっていいかもしれません」と述べます。

「ひとりの時間で人生の軌道修正」では、つらい状況に陥ったとき、仲間とはしゃいで元気を取り戻すのもいいですが、仲間からちょっと離れてみると、人生の軌道修正がしやすくなるとアドバイスしています。仲間外れが怖くて自分を偽り続けていると、本当の自分を見失ってしまいかねません。本当の自分を取り戻すには、ひとりになる時間も必要であるとして、著者は「じっとしていれば、自分の心の声に耳を傾けられ、ひとり時間で心が落ち着いてきます。そして、本来の自分ときちんと向き合えるようになると、今度は自分自身を大事にしたいという気持ちが、自然と芽生えてくるはずです。「自分自身が幸せと感じられる瞬間は何か」に気づき、そのために何をしたらいいかが見えてくるからです。これが『心に余裕が生まれる』ということです。『心が満たされる』と言い換えてもいいと思いますが、いままで無理していたことが無理でなくなり、これまで以上に、自分のことを好きになれるはずです」と述べるのでした。

「ぼっち」は、特にいまの若い世代に好感を持って迎えられているそうです。著者は、「この世代は、マイペースすぎるとか、何を考えているのか……、なんて批判されがちな世代ですが、彼らの『ベタベタとしない』カラッとした気質は、僕は好ましいと感じています。媚びへつらうことがないので、行動や思考が明確だからです。彼らは、“集団でつるんで”“空気を読み合う”日本の環境に辟易しているのかもしれません。だからこそ『孤独を楽しめる人』になろうと思っている。『なぜ、ひとりでいてはいけないのか?』を真剣に考えるようになって、『孤独=いけないこと』という先入観を持たなくなっているのです」と述べています。

「孤独は人間の本能」では、ネット社会では見知らぬ誰かと趣味や関心事を気軽に共有できることが指摘されます。それで受ける恩恵もありますが、その半面、「誰かと、いつもつながっていないとダメ」という強迫観念にかられがちになる。それが孤独感につながったりします。でも、本当に大切な「つながり」って何なのかと問う著者は、「よくよく考えると、たいして重要ではないつながりが多いと気づくかもしれません。職場の仲間、趣味のサークル、友人たち……、仲間が増えるほど、対応に費やす時間が膨らんでいきます。でも、そこから自分の中に残るものはそう多くない。気づけば誰かの愚痴を聞く相手になったり、第三者の悪口やうわさ話に首を突っ込むことになっていたなんてこともあります。そんなことをしているうちに、肝心の自分がどこかに飛んでいったりしていることもあります」と述べます。

「誰かといたいときにだけ、誰かといればいいのだ」では、著者は読者に「もっと孤独になって、そして人とつながれ」と訴えます。一見、矛盾しているように思えますが、人生には「ひとりがいい」という場合と、「みんながいい」という場合があるとして、著者は「もし僕たちが『ひとりでも生きていける』というのなら、それは僕たちがそれでも生きていける場所にいるからなのです。『ひとり』と『みんな』、どちらが欠けても人は生きていけないし、また楽しい人生は送れません。大事なのは、『ひとり』と『みんな』のバランスをどうとるか、です」と述べます。

ここで、著者は面白い記事を紹介します。長編大作『失われた時を求めて』の著者であるマルセル・プルーストの交友関係に関する記事です。19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスのパリで「ベル・エポック(よき時代)」と呼ばれた芸術・文化運動が花開きました。この運動を代表する小説家のプルーストや詩人のポール・ヴァレリーらの創造性を育んだのが「孤独」だったと、ベル・エポックの芸術家に詳しいお茶ノ水女子大学の中村俊直名誉教授は語っているそうです。プルーストは『失われた時を求めて』の大半を、パリのアパルトマンにあつらえた「コルクの部屋」で書いたといいます。この部屋は、外音を遮断してひとり「孤独」に執筆するための空間でした。著者は、「かつて日本でも、売れっ子作家に原稿を執筆してもらうため、旅館やホテルに『缶詰め』にしたことがありますが、その源流は、フランスにあるのかもしれません」と述べています。

第5章「『老いの坂』を下りるスキルをどう身につけるか」の「人生の最後の最後は『個人戦』」では、人間が健康でいるためには、生活習慣や食習慣、運動などに加えて、「人間関係も大事だ」と言われていることが指摘されます。アメリカの国立健康統計センターによると、支え合えるパートナーがいる人、つまり既婚者の死亡率は、結婚経験のない人や離婚した人、配偶者と死別した人に比べて低いという結論を出しています。しかし怖いことに、すべての結婚がいい人間関係につながるとは限らないとして、著者は「夫婦という人間関係は健康にいい結果をもたらすけれど、足を引っ張ることもあるのです。つまり、結婚生活は『質』が大事だということです。ブリガムヤング大学の研究では、幸せな結婚生活を送っている人は、独身者より死亡率が低かったけれども、結婚生活がうまくいっていない人は、独身者より死亡率が高いという結果になりました」と述べています。

「『ひとり時間』を大切にして生きがいを見つける」では、著者が47年間、長野の平均寿命日本一の地域で健康づくり運動に関わった結果、野菜を食べることや減塩を心がけるよりも、もっとも効果があったのは「生きがい」だったことが紹介されます。生きがいを支えているのは、小さな農業でした。その地域の老人たちは、80歳になっても85歳になっても、小さな畑で作物をつくり、JAに卸していたのです。著者は、「孤独にはリスクがつきまとうことを忘れないようにしたいものです。孤独の早期死亡リスクは肥満の2倍といわれています。孤独のほうがアルツハイマー病になるリスクが2倍という論文もあります」と述べます。「社会とのつながりの多さ」が最も健康寿命に影響を与えているということは、ソロ活でひとり時間を楽しむことで自立し、「ひとり時間」に強い人間になる一方、社会とのゆるやかなつながりを忘れないのが大事ということになります。

「ひとり力を鍛える健康ソロ活」では、「太陽の光を浴びる」ことが取り上げられます。朝起きて太陽の光を浴びると、「セロトニン」が分泌されます。「幸せホルモン」と呼ばれる物質で、朝の太陽が睡眠・覚醒リズムを整えるのにとても大事です。コロナ禍中のステイホームでは夜更かしや昼夜逆転が起きやすかったです。朝、やる気が湧かない子どもや若者たちのリズムを整えてあげることも大事ですが、みんながソロ活をして、自分自身の健康は自分で守るという意識が大切だとして、著者は「孤独を大事にしようと思ったとしても、部屋に閉じこもってはいけません。孤独を大事にしようとするからこそ、朝一度は太陽に当たること。それがよい孤独を持続させていくために大切なことです。ひきこもりは決して、よい孤独ではありません」と述べています。

「老いの性は『生の本能』『死の本能』を目覚めさせる大切なもの」では、老いの孤独は、認知症の発症を2倍増加させ、肥満よりも2倍、死亡リスクを高めることが指摘されます。このリスクを回避するには、ソロ立ちをして孤独の時間をつくるとき、自我リビドーという生きる力を上手に利用しながら、「自分らしくいること」をどれだけ楽しめるようになるかが、大事なところだといいます。人が「孤立している」と過剰な心配をしてくれたり、ひとり暮らしだったとしても、他人の目なんか気にせず、自分の中で幸せ感を持った孤独を楽しむことによって、「本当の幸い」が理解できるようになるとして、著者は「ものや地位、人生で勝ち得たポジションは、ちっぽけなものです。物質や環境に負けない孤立は、自分自身が感じている幸せ感によって支えられています。他人の目を気にしないことです」と述べます。

「次の人たちのために」では、「ジェネラティビティ」という言葉が取り上げられます。これは心理学者エリクソンの造語で、次の世代のために生きることを意味しますが、そうすることでオキシトシンが分泌され、少しずつ体が自由に動かなくなっても、「ジェネラティビティ」を意識することで、自分が生きている意味が見えてくるといいます。著者は緩和ケア病棟で回診を続けています。そのときにいつも患者さんの「ライフレビュー」というものにこだわっているそうです。その人の人生を振り返ることです。そのうちに、「先生、面白かったよ、いい人生だった。満足だよ」とか、「大変だったけど、後悔はないよ」などと語ってくれるそうです。また、息子さんやお嫁さんに「よく看てくれてありがとう」お孫さんに「人生は大変だけど、面白いぞ。でも努力しないとな、その面白さがわからないんだ」など、農業をやり続けてきたおじいちゃんが、まるで哲学者のように、次の世代に言葉を残すといいます。まさに、「ジェネラティビティ」です。

「心を許せる誰かがいれば、人間は生きていける」では、2016年のオランダ映画「孤独のススメ」が紹介されます。妻に先立たれた孤独な中年男を主人公に、2人の男性の奇妙な共同生活を描いた作品です。オランダの小さな田舎町で暮らす中年男性のフレッドは、愛する妻に先立たれ、たったひとりの息子は仲違いの末に家を出てしまい、孤独な毎日を過ごしています。ある日、彼の前にひとりの男が現れ、物語は意外な展開を見せます。著者は、「愛する伴侶を失い、孤独感にさいなまれて頑なになっていたフレッドが、見知らぬ男に心を開き、周囲の視線にもめげず、平穏な毎日を過ごす日々が、悲喜こもごもの中に描かれます。伴侶でも友人でも、人間には心を許しあえる人間が欠かせないものだと、感じさせてくれる1本です」と述べています。

死ぬまでにやっておきたい50のこと

第6章「『個立有縁』……ここからが本番」では、人生があと1年だとしたら、自分の喜びややりたいこと、役割などのリストをつくって、「家族のため」「誰かのため」に生きるのではなく、自分の人生の総仕上げ、いままでとは違って、自分らしい生き方を目指してみてはいかがでしょうかと提案します。これが60代からのソロ立ちの核心であるとして、著者は「60代、ここからが本番。60代になったら、『個立』することを心がけるといいでしょう。自分の『個』で自分の人生をコントロールしていく。孤独の時間を大切にしながら、小さな縁を粗末にしないことです。『個立有縁』。これがカマタ流ソロ立ちのフィロソフィーです」と述べます。わたしは『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)という本を書きましたが、「個立有縁」とは良い言葉ですね。

「恨み、憎しみを抱えた女性の見事なソロ立ち」では、10年ほど前、恨みつらみ、憎しみをたくさん抱えながら、末期の乳がんで入院してきた患者さんがいたことが紹介されます。死を覚悟したのか、彼女は最期の瞬間に聴きたい音楽のテープをつくり始めまたといいます。最後に選んだ曲はエディット・ピアフの「バラ色の人生」でした。恨み、つらみを持って生きてきても、最後は自分の人生を「バラ色」と肯定しながら、「いいことも悪いこともあった、水に流してあの世へ行こう」という歌詞の名曲です。著者は、「彼女はすべてを受け入れたのだと思います。穏やかな顔で旅立ちました。家族の中でいじめられ続け、彼女は早くしてソロ立ちをしました。だから強かったのだと思います」と述べます。「人生に満足していない人が3人に1人以上」だそうですが、著者は「何かを水に流してしまえば、もしかしたらバラ色の人生であったことに気づくかもしれません。まずソロ立ちをして、いやなことは水に流してみませんか」と述べるのでした。

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