- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.2317 グリーフケア 『リメンバー・フェス』 佐久間庸和著(オリーブの木)
2024.04.19
次回作の『リメンバー・フェス』(オリーブの木)の見本が届きました。「死者を忘れない」というサブタイトルがついています。117冊目の一条本となりますが、著者名は「一条真也」ではなく、株式会社サンレー代表取締役社長の「佐久間庸和」となっています。
本書の帯
本書の帯には、東京大学名誉教授の矢作直樹先生の「人は死なない。故人は『リメンバー・フェス』を通じて人々のこころの中に生き続けるのだから。」という推薦の言葉が書かれています。過分なお言葉を寄せて下さった矢作先生は、『命には続きがある』(PHP文庫)の共著者です。
本書の帯の裏
帯の裏には「佐久間庸和の本」として、『ウェルビーイング?』が「個人・企業・社会が求める『幸せ』とは?」「40年前から取り組んできた企業が明かす、持続的幸福の真髄!」と紹介され、『コンパッション!』が「老い・病・死・死別を支える『思いやり』」「『サービス』から『ケア』へ。新時代を拓く究極のコンセプト!」と紹介されています。
本書の「目次」は、以下の通りです。
「まえがき」
お盆は古臭い?
映画「リメンバー・ミー」
死者を忘れてはいけない
第1章
リメンバー・フェスは古くて新しい
お盆は「供養」の最大の行事
盆踊りの意味
花火のいわれ
お盆がすたれた理由
正月は先祖供養の年中行事
成人式はリメンバー・フェス
節分も変えられる
「お墓参り」こそリメンバー・フェス
各地に残る彼岸の行事
墓参りは必要!
子孫をもたない霊のリメンバー・フェス
リメンバー・フェスは月のお祭り
七五三もリメンバー・フェス
発掘! 全国のリメンバー・フェス
法要は故人を偲ぶ絶好の機会
長寿祝いは自らが「先祖」に近づくこと
厄払いも先祖の力を借りて
誕生日に感謝の気持が芽生える
ハロウィンは死者の祭り
クリスマスは死者をもてなす祭り
第2章
なぜ先祖供養をするのか
ご先祖さまを大切にすると幸せになる
「おかげさま」に込めた意味
日本人の「こころ」がお盆を必要としている
日本人にとっての先祖とは?
子どもこそが先祖である!
肥大化する自我
死の恐怖と自我
感謝こそ幸福への道
母親の命を引きかえに生まれてくる?
親もまた先祖である
第3章
死なないための方法
祖先崇拝こそ日本最大の宗教である!
「先祖祭り」は日本人の信仰の根幹
「死」を考える
「孝」にこめられた意味
「遺体」と「死体」の違い
「孝」から「恩」へ
骨に現れる日本人の祖霊観
混ざり合った日本の宗教
「和」と「分」の文化
「あれも、これも」の宗教観
日本人が実現した三位一体
カミやホトケよりも祖霊が大切
聖徳太子はキリスト以上?
「&」が日本人の先祖供養
沖縄の祖先崇拝に学ぶ
沖縄の生年祝に学ぶ
北陸の先祖崇拝に学ぶ
先祖の役割とは子孫を守ること
死者との共生
「死者を忘れない」方法
「あとがき~月に向かって祈る」
日本人の先祖供養といえば、多くの人は、お盆やお彼岸を思い浮かべるでしょう。なぜ先祖を供養するのかというと、もともと2つの相反する感情からはじまったと思われます。1つは死者の霊魂に対する畏怖の念であり、もう1つは死者に対する追慕の情。やがて2つの感情が1つにまとまっていきます。死者の霊魂は死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれる祖霊という存在になります。かくて日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。そこで、生きている自分たちを守ってくれる先祖を供養することは、感謝や報恩の表現と理解されてくるわけです。
サンレーの「お盆フェア」
わたしが経営するサンレーは冠婚葬祭互助会です。毎年、お盆の時期には盛大に「お盆フェア」などを開催して、故人を供養することの大切さを訴えています。しかしながら、小さなお葬式、家族葬、直送、0葬といったように葬儀や供養に重きを置かず、ひたすら薄葬化の流れが加速している日本にあって、お盆という年中行事が今後もずっと続いていくかどうかは不安を感じることもあります。特に、Z世代をはじめとした若い人たちは、お盆をどのように理解しているかもわかりません。しかし、お盆をはじめとした年中行事は日本人の「こころの備忘録」であり、そこにはきわめて大切な意味があります。
『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)
お盆が古臭い。形式的なものの存在意義がわからない。お盆って夏休みじゃないの。お盆なんかなくなってもいいのでは――いろんな考えがあろうかと思います。でも、わたしは先祖を供養してきた日本人の心は失ってはいけないと考えています。お盆という形が、あるいは名前が現代社会になじまないなら、新しい箱(形)を作ればいいのではないか。わたしは、そんなふうに思い至りました。すなわち、「リメンバー・フェス」です。「リメンバー・フェス」は「お盆」のイメージをアップデートし、供養の世界を大きく変えるイノベーションです。
「リメンバー・フェス」は、ディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画「リメンバー・ミー」からインスパイアされたネーミングです。「リメンバー・ミー」は第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝きました。過去の出来事が原因で、家族ともども音楽を禁止されている少年ミゲル。ある日、先祖が家族に会いにくるという「死者の日」に開催される音楽コンテストに出ることを決めます。伝説的ミュージシャンの霊廟に飾られたギターを手に出場しますが、それを弾いた瞬間にミゲルは死者の国に迷い込みます。
カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。「リメンバー・ミー」を観れば、死者を忘れないということが大切であると痛感します。わたしたちは死者とともに生きているのであり、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとっては先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。
お盆といえば、「盆踊り」の存在を忘れることはできません。日本の夏の風物詩ですが、もともとはお盆の行事の1つとして、ご先祖さまをお迎えするためにはじまったものです。今ではご先祖さまを意識できる楽しい行事となっています。昔は、旧暦の7月15日に初盆の供養を目的に、地域によっては催されていました。盆踊りというものは、生者が踊っている中で、目には見えないけれども死者も一緒に踊っているという考え方もあるようです。照明のない昔は、盆踊りはいつも満月の夜に開かれたといいます。太鼓と「口説き」と呼ばれる唄に合わせて踊るもので、やぐらを中央に据えて、その周りをみんなが踊ります。地域によっては、初盆の家を回って踊るところもありました。太鼓とは死者を楽しませるものでした。わたしの出身地である北九州市小倉では祇園太鼓が夏祭りとして有名ですが、もともと先祖の霊をもてなすためのものです。
さらに、夏の風物詩といえば、大人気なのが花火大会です。そのいわれをご存知でしょうか? たとえば隅田川の花火大会。じつは死者の慰霊と悪霊退散を祈ったものでした。時の将軍吉宗は、1733年、隅田川の水神祭りを催し、そのとき大花火を披露したのだとか。当時、江戸ではコレラが流行、しかも異常気象で全国的に飢饉もあり、多数の死者も出たからです。花火は、死者の御霊を慰めるという意味があったのです。 ゆえに、花火大会は、先祖の供養という意味もあり、お盆の時期に行われるわけです。大輪の花火を見ながら、先祖を懐かしみ、あの世での幸せを祈る。日本人の先祖を愛しむ心は、こんなところにも表れています。つまり、太鼓も花火も死者のためのエンターテインメントだったわけです。
アフリカのある部族では、死者を二通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうというのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。映画「リメンバー・ミー」の中でも、同じメッセージが訴えらえました。死者の国では死んでもその人のことを忘れない限り、その人は死者の国で生き続けられますが、誰からも忘れられてしまって繋がりを失ってしまうと、その人は本当の意味で存在することができなくなってしまうというのです。
わたしたちは、死者を忘れてはいけません。それは死者へのコンパッションのためだけではなく、わたしたち生者のウェルビーイングのためでもあります。お盆とは、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合うイベントでもあります。それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。日本には「お盆」、海外には「死者の日」など先祖や亡き人を想い、供養する習慣がありますが、国や人種や宗教や老若男女・・・何ものにもとらわれない人類共通の言葉として、「リメンバー・フェス」を提案します。将来、ニュースなどで「今日は世界共通のリメンバー・フェスの日です」などと報道される日を夢見ています。
リメンバー・フェスとは、けっして新しいものではなりません。先祖を想い、死者を供養するという日本人の心を呼び覚ますための言葉です。人類の生命は宇宙から来たと言われています。わたしたちの肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。人間も動植物も、すべて星のかけらからできています。その意味で月は、生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。
かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーを建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画をわたしは思い立ち、実現をめざして、いろいろな場所で構想を述べ、賛同者を募っています。本書の姉妹本として刊行されるもう1つのR本(タイトルの頭文字がRから始まることから、そう呼んでいます)『ロマンティック・デス』に詳しく書きました。シンボル・タワーは、そのまま、地球上のすべての人類のお墓ともなります。月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養をすることができます。
民俗学者の柳田国男が名著『先祖の話』に詳しく書いていますが、先祖の魂は近くの山から子孫たちの人生を見守ってくれているというのが日本人の典型的な祖霊観でした。ならば、地球を一番よく見ることができる宇宙空間である月から人類を見守るという設定があってもいいのではないでしょうか。また、遺体や遺骨を地中に埋めることによって、つまり埋葬によって死後の世界に暗い「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、明るい「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月をあの世に見立てることによって、死者の霊魂が天上界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングが無理なく行えます。
世界中の神話や宗教や儀礼に、月こそあの世であるという普遍的なイメージが残っていることは、心理学者ユングが発見した人類の「集合的無意識」の1つであると思います。そして、あなたを天上から見守ってくれるご先祖たちも、かつてはあなたと同じ月を見上げていたはずです。そうです、戦前の、大正の、明治の、江戸の、戦国の、中世の、古代の、それぞれの時代の夜空には同じ月が浮かんでいたのです。先祖と子孫が同じ月を見ている。しかも、月は輪廻転生の中継点であり、月を通って先祖たちは子孫へと生まれ変わってくる。まさに月が、時空を超越して、あなたと先祖の魂をつないでくれているのです。
『リメンバー・フェス』と『ロマンティック・デス』
ぜひ、月を見上げて、あなたのご先祖を想ってみてください。あなたのご先祖は、月にいます。そして、月から愛する子孫であるあなたを見守ってくれています。いつの日か、先祖はあなたの子孫として転生し、子孫であるあなたは先祖となります。大いなる生命の輪は、ぐるぐると永遠に廻ってゆくのです。リメンバー・フェスとは、その入口なのです。そのメッセージをさらに強く、さらに広く伝えるために、本書『リメンバー・フェス』の姉妹本となる『ロマンティック・デス』を書きました。葬儀の後に続く、法事・法要・お盆といった供養のイメージ転換となる新時代の幸福論です。両書とも、4月23日に発売されます。ぜひ、ご一読下されば幸いです。