No.0394 哲学・思想・科学 『齋藤孝のざっくり!西洋思想』 齋藤孝著(祥伝社)

2011.07.26

『齋藤孝のざっくり!西洋思想』齋藤孝著(祥伝社)を読みました。

著者は有名な教育学者ですが、著書が非常に多いことで知られます。『齋藤孝のざっくり!』シリーズとして、これまで「日本史」「世界史」「美術史」が刊行されています。本書は、シリーズ最新刊です。

3つの山脈で2500年をひとつかみ

本書の帯には、「これ一冊で『知の歴史』がわかる!」というキャッチコピーに続き、「プラトン、アリストテレスからニーチェ、ハイデガーまで」と書かれています。

また、なにやら月桂冠のようなものを頭につけた著者のイラストが「世界を動かしてきた思想のパワーとは?」とつぶやいています。さらには、「3つの『山脈』で2500年をひとつかみ」という一文があり、興味を引かれます。

本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」

プロローグ:3つの「山脈」でざっくりわかる「西洋思想」

第Ⅰ部:西洋思想の始まり~「アリストテレス帝国」の建設
1. 本当の世界は目に見えない?~ソクラテス・プラトンの「イデア」とは
2. すべてを説明しつくすという欲望 ~2000年の間、西洋を支配しつづけたアリストテレスの帝国
3. つくりあげられた「神」という権力~キリスト教に利用された西洋思想

第Ⅱ部:キリスト教からの脱却を目指せ~近代合理主義と哲学の完成
4. ゼロ地点は俺だ~デカルト「我思う、ゆえに我あり」の真実
5. 経験より先にあるもの~カントが到達した「コペルニクス的転回」とは
6. 歴史でさえも理性で動いている~ヘーゲルが目指した哲学の完成

第Ⅲ部:哲学をぶっ壊せ~西洋の「中心主義」からの脱却
7. ようやく「神は死んだ」~ニーチェとフーコーが人間を解放した
8. この世界に「ある」とはどういうことか~ハイデガー・フッサール・メルロ=ポンティ
9. それは「科学」か? 「思想」か?~ダーウィン「進化論」、フロイト「精神分析」、マルクス「資本論」
10.それ自体に意味なんてない。あるのは「差異」だけ?~ソシュールとレヴィ=ストロースから始まった構造主義の破壊力

「あとがき」

この目次だけを読んでも、本書の内容がよく理解できますね。非常に構成力に富んだ、素晴らしい目次だと思います。

本書は「西洋思想」や「哲学」についてわかりやすく説明した本です。西洋思想、あるいは西洋哲学は、紀元前のギリシャで生まれました。その後、21世紀の今日に至るまで、さまざまな思想家がさまざまなことを言ってきたわけですが、彼らはいったい何を目指してきたのか? 著者は、「はじめに」で次のように明快に述べます。

「彼らの目標はずばり、『世界のすべてを説明しつくしたい』ということです。
『世界のすべて』と言っても漠然としていますが、それはつまり、世界はなぜあるのかとか、私たち人間はどのように認識をしているのか、生きていることにどんな意味があるのか、どんな社会がいいのかといった根源的・基本的な問いのことです。もっと身近なところでは、『人間って複雑だよね、何で人生うまくいかないんだろう』というような悩みでもあります」

さらに、続けて次のように述べています。

「思想や哲学といったものを難しく考えすぎず、そうした悩みや疑問への『処方箋』であると考えてみると、それを知ることの意味も見えてきます。歴史上の思想家たちは、いろいろな悩みに答えてきましたから、それらの中には、きっといまのあなたにふさわしい処方箋もあるでしょう」

本書の最大のキーワードは、なんといっても「3つの山脈」です。では、その3つの山脈とは、いったい何なのか? 著者によれば、以下の通りです。

第1の山脈は「西洋思想の始まりから”アリストテレス帝国”の建設まで」。
第2の山脈は「近代合理主義による哲学の完成」。
第3の山脈は「”完成された哲学をぶっこわせ!”という現代思想」。

第1の山脈の主役は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人です。すなわち、紀元前5~4世紀頃の古代ギリシャが舞台となります。ソクラテス、プラトンによって、西洋思想の「西洋らしさ」が生まれました。その「西洋らしさ」の正体について、著者は次のように述べます。

「その正体とは、簡単に言えば『世界の本質を1つの原理で説明したい』という欲求です。この『西洋らしさ』の正体こそが、今日に至るまで西洋思想、西洋社会を突き動かすパワーとなっているのです」

そして、大御所アリストテレスが、その人間業とも思えない才能によって、「世界のすべて」を説明しつくそうとしたわけです。そのアリストテレスの成果に目をつけた人々がいます。中世のキリスト教、すなわちローマ・カトリック教会でした。著者は述べます。

「カトリックの最大の目的はただ1つ、神の存在を証明することです。神の存在の証明を教会が独占的に握ることによって、『神とつながっている私たち聖職者が1番偉い』という立場をキープして、この世界を支配することができるからです」

ローマ・カトリック教会が利用したことによって、アリストテレスの哲学は帝国のように強大な存在となりました。その「アリストテレス帝国」の支配に風穴を開けた人々がいます。デカルト、カント、ヘーゲルといった「近代合理主義」と呼ばれる思想を発展させた哲学者たちです。彼らによるキリスト教支配からの脱却が、第2の山脈となります。著者は、第2の山脈について次のように説明します。

「デカルトに始まる『近代合理主義』の思想家たちは、神を否定したわけではありませんが、もっと自分たち人間の『理性』を信頼しようよ、という流れを作りだしました。私たち人間は五感でもって、物を見たり、それに触ったりすることができます。そして、きちんと認識を積み重ねることもできる。その認識力、合理的な思考力をもっと信頼してもいいんじゃないか。人間には本質はまったく見えない、なんて考え方をしなくてもいいじゃないかというのが、彼らの思想のポイントです」

こうして、西洋思想の「西洋らしさ」は完成したのです。しかし、完成しただけでは西洋は終わりませんでした。西洋は、さらに先に進もうとします。どこまでも進みつづけようとするのです。
西洋の”止まらなさ”は、今度は一度完成させた西洋哲学そのものを破壊するという方向へ向かいます。それが第3の山脈である、現代思想への流れです。その背景には、「この世界や人生は、理性や合理的な考え方で本当にわかるのか?」という疑問があります。著者は次のように述べます。

「まだまだ、私たちは合理主義の背後にある”何か”にとらわれている。あるいは、合理的ではない何かに突き動かされている。それが何なのかを探ってきたのが現代思想の面々だと、大雑把に言うことができるでしょう」

「ニーチェはそれを『力への意志』に求めました。ソシュールなら『言語という体系』、フロイトなら『無意識』、レヴィ=ストロースなら『構造』・・・・・・などといった具合です。中でも、私たちの歴史そのものに最も大きな影響を及ぼした思想家は、マルクスと言えるかもしれません。マルクスは、ヘーゲルの持つ歴史観――歴史は1つの終着点に向かっているんだという考え方を推し進め、その段階が経済に表われると考えたのです」

このように、著者は現代思想をわかりやすく説明してくれます。さらに、「思想とは何か」という非常に本質的な問題を次のように語ります。

「思想というとどこか縁遠い印象を受けますが、結局は、『世界はどうなっているのか』『人間はどう生きるべきか』という世界と人間の話ですから、私たちの人生や社会を考えるという身近で、実用的なものでもあるのです。
そういう意味では、思想とは私たちの人生に対する『処方箋』であるとも言えます。その処方箋を出す思想家はさしずめ薬局であると言えます。中世までは、この世界のすべてが『アリストテレス薬局』と『キリスト教薬局』の出す薬で済んでいました。たとえて言えば、『正露丸』やかつての『アスピリン』のような万能薬だったのです。
けれども近代になると、それが効かなくなってきたので別の薬局が次々と現われた。さらに現代になると、社会も複雑になり、人間も複雑になって、それに対応すべく薬局は乱立してしまい、逆にわけがわからなくなってしまった。ニーチェやマルクスといった劇薬もできてしまった。現代思想は、いわばそんな状況に陥っているようにも思えます」

この思想を処方箋とし、処方箋を出す思想家を薬局とする比喩は秀逸です。著者の説明能力がいかに高度なレベルにあるかを思い知らされた気がしました。この説明能力の高さは、本書の随所に見られます。たとえば、現代思想の最大の難物として、ハイデガーの思想があります。その難解さたるやハンパではないのですが、ハイデガー思想の核心には「死の哲学」があります。著者は、以下のようにハイデガーの思想について語ります。

「イヌを飼ったことがある人はわかると思いますが、イヌは最期を迎えるときでも人間のように生に執着を見せません。
普通、人間は死ぬことを恐れます。そして、もっと生きていたいと思います。
もちろん、イヌも残酷なことをされれば嫌がりますが、自分の体が弱って自然な死を迎えるときには、すごく穏やかに『さようなら。お世話になりました』という感じで、スッと亡くなっていきます。そうした姿は、生き物としてある種あきらめがいいとも言えますが、切なさも感じてしまいます。
イヌが恐れない死を、なぜ人は恐れるのかと言うと、人間は死というものを先取りすることができるからです。これをハイデガーは『先駆的不安』と呼びましたが、つまり、人間はまだここにないはずの死を先取りして不安になっているということです。
ですからハイデガーが言いたいのは、どうせ死を先取りしてしまうのが人間であるのなら、先取りして不安におびえるのではなく、先取りすることで覚悟したほうが今の生を充実させることができる、ということなのです。
無気力に、ただ不安、絶望の中で落ちていってしまうのではなくて、そこで反転して、むしろ死へ向かっていくことでいまを充実させて生きていけ、ということです。ここには後の実存主義的な『反転する意志』のような力強さがあります」

この文章は、世界一わかりやすいハイデガー思想の解説だと思います。イヌの最期のくだりには、昨夏に亡くした愛犬ハリーのことを思い出し、しんみりしてしまいました。本書の醍醐味は、単なる哲学入門、哲学史ガイドに終わらず、随所に著者のメッセージがふんだんに織り込まれていることです。たとえば、子どもの育て方について、著者は次のように述べています。

「最近は、子どもはほめたほうがいい、ほめる教育がいいと言う人が増え、子育て本も『ほめて育てる』という内容のものが増えているのですが、私はそんな単純なものではない、と思ってしまいます。
親からきちんと叱られず、ほめられてばかりいた子は、社会に出たときに突然ほめてもらえなくなるので、実はポキッといってしまうことが多いのです。こうした人は、上司に叱られたからという理由で簡単に会社を辞めてしまいます。
もちろんほめることも必要なのですが、あまり何でもかんでもほめてはかえって逆効果です。ある種の苦難を経験し、それを叱咤激励して乗り越えたときに初めてほめるようにしなければ、苦難から逃げてしまうからです。
だから、勉強や習い事がいいのです。
よく、何のために勉強するのかと聞く子どもがいます。もちろん勉強は知識を得るためでもあるのですが、勉強の本当の価値は、苦難に直面したとき、それを乗り越えるのがおもしろいというメンタリティを育てることにあると私は思っています」

わたしにも小学6年生の娘がいますが、この著者の意見には大賛成です。まさに、実践する教育学者としての著者の真骨頂と言えるでしょう。わたしも、『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)という監修書を出しました。難解と思われている哲学がいかに面白いものであるかを理解してもらえるように、いろんな努力をしました。哲学の他にも、宗教や神話についての著者や監修書も出しています。

また現在は、仏教と儒教、つまりブッダと孔子の考え方についての本を書き下ろしています。いつも、「どうすれば、思想の本質を害うことなく平易に説明できるか」ということに心を砕き、そのジャンルの「世界一やさしい」「世界一わかりやすい」本を作りたいと願っています。それが、リベラルアーツというものではないかとも思っています。そんなわたしにとって、本書は非常に参考になるところ大でした。

いつか、『齋藤孝のざっくり!』シリーズの他のラインナップも読んでみたいです。

「世界一やさしい哲学の本」をめざしました

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