No.0383 哲学・思想・科学 『どうすれば「人」を創れるか』 石黒浩著(新潮社)

2011.07.15

『どうすれば「人」を創れるか』石黒浩著(新潮社)を読みました。

異能のロボット学者が、限りなく人間に近い人型ロボットとしての「アンドロイド」の創造をめざします。そこから、「人間とは何か」という問題にまで広がってゆきます。

ある意味で、本書は非常に哲学的な本でした。

アンドロイドになった私

著者は日本を代表するロボット工学者です。人間酷似型ロボット研究の第一人者として有名です。わたしと同じ1963年生まれで、滋賀県出身。

大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授、文部科学省グローバルCOEプログラム「認知脳理解に基づく未来工学創成」拠点リーダー、ATR知能ロボティクス研究所フェローおよび客員室長でもあります。知能ロボットと知覚情報基盤の研究開発を行い、次世代の情報・ロボット基盤の実現をめざしており、2007年には、CNNの「世界を変える8人の天才」の1人に選ばれました。

本書の目次構成は、以下のようになっています。

「プロローグ」
第1章  日常活動型からアンドロイドへ
第2章  遠隔操作型アンドロイドを創る
第3章  サロゲートの世界
第4章  アンドロイドになる
第5章  ジェミノイドに適応する
第6章  ジェミノイドに恋をする
第7章  実体化するもう一人の自分
第8章  人を超えるアンドロイド
第9章  人間がアンドロイドに近づく
第10章 人間のミニマルデザイン「テレノイド」
「エピローグ」

著者が、開発をめざすロボットは産業用でも、人工知能を持つ自立型でもありません。それは、限りなく人間に近い「ジェミノイド」であり、人間のミニマルデザインから生まれた最新型「テレノイド」、「エルフォイド」でした。「アンドロイド」を携帯OSのことだと思っている人も多いようですが、もともとの意味は「人間酷似型ロボット」のことです。ロボットの造形において、「究極の姿形は人間である」と考える著者は、次のように述べます。

「人間は人間らしい見かけに非常に敏感である。街を歩いていても、人とそれ以外のものを瞬時に見分けることができる。また、脳科学における認知科学では、人間の脳が人間に対して敏感に反応するということは数多く報告されている。すなわち人間の脳は人間を認識するためにある。また、人間は機械や道具といったものに対するときも、その器物を擬人化する傾向がある。たとえば、人はヤカンにだって話しかけることができるが、そういった際には、そのヤカンにどこが鼻でどこが口でというように人の顔のイメージを無意識のうちに重ね合わせて話しかけている」

人間のような姿をしたアンドロイドは創れても、人間のように動くアンドロイドを創ることは難しいようです。著者は、次のように述べます。

「人間のように自律的に対話ができるアンドロイドを実現することはたやすくない。むしろ不可能といえよう。人間のように対話するには、人間の脳と同様の人工知能をアンドロイドに仕込まないといけないが、そのような技術など存在しえない。それこそは、ロボット研究の究極の目標であろう」

著者は、アンドロイドの新タイプである「ジェミノイド」として女性モデルを使ったアクロイド-エフを開発します。彼女の登場は、社会に大きな衝撃を与えました。著者は、次のように述べています。

「センサで知覚し、コンピュータで判断し、モータなどのアクチュエータで動作するもの全てをロボットと呼ぶ。その意味では、エアコンや携帯電話も一種のロボットと見なしてよい。そのロボットの中で、頭や手足を持ち、明らかに人間ではないが、人間のような身体を持つものをヒューマノイド(人間型ロボット)と呼ぶ。そのヒューマノイドの中で、人間そっくりの見かけを持つものをアンドロイド(人間酷似型ロボット)と呼ぶ。ジェミノイドはこのアンドロイドの一種である」

ジェノミノイドをつくる過程で、著者は「人間とは何か」という哲学的な問いに直面します。 そして、「表情はどう作るのか」「異性に惹かれるのは服か髪型か」「ジェノミノイドに恋愛感情はもてるか」「人はジェノミノイドを躊躇なく触れるか」「何歳くらいの自分にアイデンティがあるのか」「仕草と声と匂いは、人間にとって必要なのか」といった一連の問いを発していくのですが、すべてが 「人間とは何か」「自分とは何か」といった本質的な問題と関わっています。それらの問いに答えるには、哲学や、脳科学や、認知科学の助けを借りねばなりませんでした。

「人間とは何か」について、著者は次のように述べています。

「人間の脳が作り出す指令も徐々に機械によって作り出されるようになるのである。そうして、技術の進歩とともに、見る間に人間と機械の境界は曖昧になっていく。
そして、そのような技術の進歩とともに、人間はより難しい自分探しをしなければならなくなってきているともいえよう。ただ、それこそが技術進化を遂げる人間の宿命であるとともに、本当の意味で人間として生きるということなのだと思う。技術は、歴史的にも人間の肉体の様々な機能を機械に置き換えてきた。そして、機械に置き換えられた部分は人間を定義するのに必要がない部分とされてきた。人類は、新しい技術を発明するたびに、人間の定義をより深化させてきた。人間とは、単に肉体によって定義されるものではないことを実証してきたのである。このように、技術の進歩とともに、より深い人間の定義を求めることこそが、技術によって進化する人間の存在価値であり、人間として生き続けることの真の意味だと、私は考えている」

「自分とは何か」についても、著者は次のように述べています。

「『私』とは、社会の中で自分とそれ以外のものを区別した方がいいときに、便宜的に使う言葉であって、それ以上の意味を持たないかもしれない。その『私』という言葉を口にしたとき、本当の自分が存在すると信じることは、単なる思い込みにすぎないのかもしれない。後に『心』についても議論をするが、心も似たようなものとして捉えることができる。心には実体がなく、あると信じているにすぎないものかもしれない。『私』についても、それが存在するように思うのは、単にそう思い込んでいるだけなのだろう。哲学的には、恐らくこの回答が正しいように思える」

著者は、服装についても本質的な問いを発します。「服装とは何か」を考え、自身はいつも同じファッションで通しているのです。著者は、次のように述べます。

「服をいろいろ取り替えないのにも理由がある。服装とは、時に顔よりも目立つ。遠くから人が歩いてきたとしよう。最初に目に付くのは服装である。そして、近づいてくると、顔に注意が向く。次に目の前にきて話をして、初めて名前を知る。すなわち、本人らしさというか、その人のもっとも目立つアイデンティティは服装にある。名前をしょっちゅう取り替えないように、顔をしょっちゅう取り替えないように、服装もしょっちゅう取り替えるべきではない」

そんな著者は、いわゆる着たきりスズメではなく、同じ服を何十枚も所持しています。そして、そのファッションとは、黒いシャツに黒いズボン。著者は述べます。

「黒と決めた理由はいくつかあるが、1つは黒が一番便利で、機能的であるからだ。黒は、結婚式にも葬式にも着ることができる色である。私の場合、葬式ならいつでも参列できる。そして黒は機能的でもある。最も熱を吸収しやすい。
黒を選ぶもう1つの理由は、私の名前である。『石黒』の黒であり、名前と服の色が一致するということは、両方で非常に強いアイデンティティになる。どうして自分の名前は、「石黒」なのかと考えることがあるが、理由は後付けでもいいのかもしれない。黒い服を着るから石黒でいいのだと」

まあ、冠婚葬祭にいつでも出れるというのは良いことでしょうが(笑)、失礼ながら著者はもの凄く変わっている人ですね(苦笑)。世間では「マッド・サイエンティスト」などと呼ぶ人もいるとか。いくら何でも、それは失礼だと思いますが、「マッド」でなくとも「ストレンジ」なのは事実でしょう。同級生のよしみで言わせてもらえるなら、「あなた、本当に変わってますね!」でしょうか。その変人ぶりは、著者の次のような発言からも窺がえます。

「私にとって理想的な服装とは何かとも時折考えるのだが、その1つの答えがスター・トレックの服装かもしれないと思っている。日本人も外人もスター・トレックの乗組員の服装を見ると、つなぎのパジャマを着ているようだという人が多いようだ。だが、スター・トレックファンにしてみれば、すごく機能的で飾りもない理想的な服装に見える。近い将来、スター・トレックの乗組員のような服装が流行する時がきっとくると、本気で思っている。まだファッション業界も本当の意味で革新的な服を世の中に出していないのではないだろうか。常に伝統とか過去の習慣を継承したデザインが好まれるようだ。しかし、あるとき機能的なジーンズが大流行して今でも多くの人がジーンズをはいているように、もしかしたら、スター・トレックの乗組員の服装が大流行する可能性は十分ある。その日が来るのを楽しみにしている。その時も私は迷わずに黒の服を選ぶと思うが」

服装の問題はともかく、著者は新しいタイプの人型ロボットの可能性を追求します。そこで念頭にあったのは、急増する独居老人の存在でした。著者は、次のように述べています。

「近年、一人暮らしの高齢者が増え、社会的にも問題になっているが、高齢者が一人暮らしをして問題となるのは、人とのコミュニケーションの機会が減ることだと思う。現代社会においては、多くの肉体労働が機械化されてきており、人はより直接的に人と関わる仕事が多くなってきている。そのため、転勤や出張や単身赴任が多く、働き盛りの家族は都会で、高齢の両親から離れて住むようになってきた。今後ますます高齢者の一人暮らしは増えそうである。そうした高齢者にとって一番つらいのは、気楽に話す相手が少なくなることだろう。体力が落ちて、出かけるのもおっくうになれば、ますますその機会は減る。そうして、いつしか病気にもなる。しかし、遠隔操作型ロボットを使ってコミュニケーションをとり続けていれば、そうした高齢者の抱える、かなり多くの問題が解決できるようになると思う」

そして、高齢者のために著者が考案したのが「テレノイド」というロボットでした。従来のジェミノイドと違って手足がないのですが、そのぶん抱かかえることができます。このテレノイドについて、著者は次のように述べています。

「既存のメディアに比べて、テレノイドは様々なメリットを持つ。まず、単なる電話ではなく、人の存在を感じられるという点は重要である。それから、そうした存在を感じつつも遠隔操作する者は、そのものの姿がテレビ電話のように、映像として相手に送られるわけではないので、特に身なりを整える必要がない。
高齢者が夜中に突然話をしたがっても、すぐに対話を始めることができる。そして、テレノイドが身体的な接触を許すという点も、高齢者にとっては重要である。話をするだけでなく、軽く身体的な接触があれば、人の存在をより強く感じるだけでなく、言葉では得られない安心感を得ることができるだろう。
このようにテレノイドを用いた対話は、高齢者の病気を予防するのに役に立つ。常にテレノイドを使っていろんな人と対話をしていれば、高齢者にとっては対話が適度な運動にもなるし、対話相手は体調変化にすぐに気がつくことができる」

このテレノイドは、もしかしたら孤独死を減少させる魔法の人形になるかもしれない。わたしは、本書を読んで、そう思いました。最後に、著者は次のように述べています。

「アンドロイドやジェミノイドの研究は、私にとって、見かけの重要性を探求する研究であった。しかし、テレノイドの研究を始めて、実在の人間そのままに再現することが必ずしも必要ではないということに気がついた。人間は想像によって人間を見ている。その人は誰か、どんな人か、美人かどうか、そういったことを判断するのに、ある瞬間の見かけだけで判断するのではない。その人の様々な顔をみて、声を聞いて、想像力を十分に働かせた上で、この人はこんな人だと解釈して、その人を理解するのだろう」

著者のような人を真の「天才」だと言うのでしょう。そして、天才とはいつだって哲学的であり、イノベーションをめざす存在です。わたしは、著者が本当にめざしているのは「ロボットのイノベーション」ではなく、「人間のイノベーション」ではないかという気がしてなりません。

ちなみに、著者は「将来、ロボットにも人権が与えられるかも」と予言しています。

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