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2011.05.12
『ソクラテス・イエス・ブッダ』フレデリック・ルノワール著、神田順子&清水珠代&山川洋子訳(柏書房)という本です。
いわゆる「世界の四大聖人」といえば、ソクラテス・イエス・ブッダに孔子が加わります。まさに昨日は孔子を中心に四大聖人を授業で取り上げたわたしとしては、なぜか孔子抜きになっている本書のタイトルには複雑な思いがしました(苦笑)。
三賢人の言葉、そして生涯
本書の帯には、「真の幸福、正しい生き方、そして人生の意味とは?」と大書され、「未曾有の危機に直面した今こそ、じっくりと耳を傾けたい、賢人たちの時空を超えたメッセージ」というコピーが添えられています。
そう、本書は、3人の偉大な賢人の教えと実像に迫る本なのです。わたしは、この3人に孔子・老子・モーゼ・ムハンマド・聖徳太子の5人を加え、同テーマで、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。
本書の著者フレデリック・ルノワールは1962年生まれで、わたしより1歳年上です。スイスのフリブール大学で哲学を専攻した、フランスの作家にして宗教ジャーナリストです。雑誌編集者、社会科学高等研究院(EHESS)客員研究員などを経て、ルモンド紙が発行する『宗教の世界』誌編集長を務めているそうです。
『チベット真実の時Q&A』(二玄社)、『仏教と西洋の出会い』(トランスビュー)などの著者があり、近著は世界的ベストセラーにもなっているとか。
本書の目次は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1部 三賢人の実像
1.彼らを知る手掛かりは?
2.出身階層と青少年時代
3.女性関係と家族
4.使命の自覚
5.人物像
6.移動の多い生活
7.教える技量
8.死の受け入れ方
9.三人は自分自身について何を語ったか
10.後世に広まったイメージ
第2部 三賢人の知恵
11.汝は不滅である
12.真理を求めて
13.自分自身を見つめ、自由になれ
14.義人であれ
15.愛することを学ぶ
「謝辞/訳者あとがき」
このように多様な切り口やテーマから、ソクラテス・イエス・ブッダの実像と考え方が浮き彫りにされていきます。本書の「はじめに」の冒頭には、「豊かに生きるか、豊かに所有するか」という問いが掲げられています。著書によれば、これは思想史の起源から存在していた問いかけです。今日その重みは一段と増しているとして、著者は次のように述べます。
「世界経済は未曾有の混迷に陥っており、右肩上がりの生産と消費を前提とするこれまでの成長モデルが揺らいでいるからだ。経済学者でない私は、現状を分析したり、今後の展開について語ったりする立場にない。しかし哲学者としての私は、この危機には肯定的な側面があるかもしれない、と考える。危機の社会的影響は甚大で、多くの人々を苦しめていることは明白であるにもかかわらず、私はそのように感じている」
「危機」という言葉は英語なら「crisis」ですが、フランス語では「crise」です。その語源は、「決定」「判決」「ことの趨勢が定まるターニングポイント」を意味するギリシャ語の「krisis」です。著者は、わたしたちは今まさに、いくつかの重要な選択を下すターニングポイントに立っていると主張するのです。
政治的レベルでの選択、地球市民全員の積極的な取り組みなど、わたしたちに突きつけられている問いは多いですが、最も重大な問いとは何でしょうか。それは、「所有」を理想とする文明の中で、人間は他者と融和して生きることができるのかという問いです。著者は、この問いに対してブッダもソクラテスもイエスも「いいえ」ときっぱり答えているとし、次のように述べます。
「金銭と物資の取得は手段(確かに貴重な手段ではあるが)にすぎず、それ自体が目的となることはあり得ない。所有欲はその本質からいって満足を知らず、欲求不満と暴力を生み出す。人間の性(さが)に突き動かされる私たちは、持っていないものを取得したいと常に望み、隣人から奪うことも躊躇しない。その一方、基本的に必要な物資(衣食住)が確保されると、心を満たして人間的に充足するために、私たちは『所有』のロジックとは別のロジックへと移行する必要に迫られる。『生き方』のロジックである」
その「所有」のロジックから「生き方」のロジックへの移行にあたって最も参考となるものが三賢人の教えだとして、著者は次のように述べます。
「ソクラテス、イエス、ブッダは私たちにどう生きるかを教えてくれる。彼らが実践した生き方と教えには普遍的価値があり、驚くほど現代的である。社会の一員として暮らすことの必要性は少しも否定しないものの、彼らは一人ひとりの個人に向けて、個人の成長を促すメッセージを送っている。自由、愛、自己認識、他者の尊重を巧みなバランスで組み合わせたメッセージである。三人それぞれのメッセージは異なる宗教的土壌に根差しているが、いささかも冷たい教条主義に陥ってはいない。三人はすべてに意味付けし、理性だけでなく心に訴えかける」
「私たちが自ら陥った過ちから抜け出すには、個人および集団のレベルで『生き方』と責任について考えるほかない、と私は確信している。これこそ、アテナイの哲学者(愛知者)であったソクラテス、パレスチナに生きたユダヤ人の預言者のイエス、そして『ブッダ』と呼ばれたインドの賢者シッダールタが二千年以上の昔から私たちに説いていることにほかならない」
フランス人の著者は、わたしたちの社会の方向性を変えることを強く提案していますが、じつは、わたしたち日本人は最近、社会の方向性が変化するという経験をしました。そうです、今年の3月11日に発生した東日本大震災です。
訳者の1人である神田順子氏による「訳者あとがき」によれば、本書の校正が行なわれている最中に、大震災が発生したそうです。大震災後の日本人の姿が三賢人のメッセージと重なるとして、神田氏は次のように書いています。
「ソクラテスはプラトンの著作『メノン』や『ゴルギアス』の中で、人が不正を犯すのは、それが不正と知らないからだ、つまり無知ゆえに正しくない行為に走ってしまう、と主張している。そこには、人間の本質は悪ではない、との信条がある。大災害に不意を衝かれて利己的な買いだめに走る行為は『無知のなせる技』と言えよう。また、被災者たちがみせる互助精神、救助活動や原発事故処理に当たる人々の無私の献身ぶりは、人間性に対するソクラテスの信頼は間違っていない、と思わせてくれる。これに、イエスの『人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない』(ヨハネによる福音書15章13)という言葉が重なる。ブッダが慈悲について説く時に用いた譬え、『あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように』(スッタニパータ1章8 中村元訳『ブッダのことば』)にも通じる」
人類の教師たちのメッセージ
このよう、本書は古代の賢人の教えというよりも、現代日本人の「いま」にマッチした生き方の知恵を紹介していると言えるでしょう。
ちなみに、『世界をつくった八大聖人』に書いたことですが、わたしは、ソクラテスについて書かれたプラトンの著作でも、各種の仏典でも、そして『新約聖書』でも、いつも古典としては読みません。つねに未知の書物として、それらに接し、おそるおそるそのページを開きます。だから、そこに書かれていることは新鮮であり続けます。
また、読むたびに、新しい発見も多いのです。当然ながら、その内容には共感できなかったり、納得のいかない部分もあります。それぞれに一長一短があり、どれかを一つ選べば難問も解決するといった単純なものではありません。それでも、ソクラテスもイエスもブッダも、人間を幸福にしたいという強い想いを共通して持っていました。その中から、今の自分に合ったメッセージを受け取ればいいのだと思います。
最後に、神田氏は「訳者あとがき」で、大評判となったマンガ『聖☆お兄さん』中村光作(講談社)に触れています。ブッダとイエスの2人がバカンスで現世にやって来て、東京・立川でアパートをシェアして生活しているという破天荒な設定の作品です。
神田氏は、この『聖☆お兄さん』について、「聖書に出てくるエピソードやブッダの生涯を知っていると二倍も三倍も楽しく読むことができる。この二人にソクラテスも加わったら、さぞかし面白いことだろう(可能であれば中村氏に是非ともお願いしたい)」と述べています。わたしなら、「さらに、孔子を加えてください」とお願いしたいです。