- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.0256 宗教・精神世界 『謎解き 太陽の塔』 石井匠著(幻冬舎新書)
2011.02.03
『謎解き 太陽の塔』石井匠著(幻冬舎新書)を読みました。
岡本太郎が作った「太陽の塔」の正体はイエス・キリストだったという仮説の書で、多くの文献や関係者の証言を元にスリリングな知的エンターテインメントとなっています。
著者は、1978年生れの考古学者です。
現在、國學院大學伝統文化リサーチセンターポスドク研究員、京都造形芸術大学非常勤講師、多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員、財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団『明日の神話』プロジェクトスタッフだそうです。
わたしは現代日本を代表する「知性」と「霊性」のフロントランナーは鎌田東二氏と中沢新一氏の2人だと思っています。
著者は、鎌田氏と縁の深い國學院大學および京都造形芸術大学、また中沢氏が所長を務めている多摩美大の芸術人類学研究所のスタッフであるということで、おそらくは鎌田・中沢両氏の影響を受けているものと思われます。
その意味でも、わたしは本書を興味深く読みました。
わたしは「太陽の塔」が大好きですし!
本書は、以下のような目次構成となっています。
「プロローグ」
第Ⅰ幕 「太陽の塔」のミッション
謎1 祭りの秘密
第Ⅱ幕 仮面の告白
謎2 「黒い太陽」の告白
謎3 「赤い稲妻」の秘密
謎4 「黄金の顔」の告白
第Ⅲ幕 「太陽の塔」とキリスト
謎5 謎解きの秘伝書
謎6 「太陽の塔」はキリストだった?
謎7 「太陽の塔」の足下に眠るもの
第Ⅳ幕 「太陽の塔」の呪力
謎8 爆発と呪術の秘密
謎9 運命の赤いリボン
「エピローグ」
「あとがき」
今年は、岡本太郎の生誕100年です。
いまだ衰えない岡本太郎人気の中心にあるのが、1970年開催の日本万国博覧会とともに神話化が進む「太陽の塔」です。
現在は、万博記念公園となった大阪の千里丘陵にぽつんと立っています。
しかし平成になっても注目され続け、浦沢直樹のコミックおよび映画化された「20世紀少年」や重松清の小説「トワイライト」などで物語の重要な舞台として描かれています。
この沈黙の巨大立像は、白・黒・金の3つの顔を持っていますが、その意味はいまだ解き明かされていません。
本書によれば、岡本太郎は「太陽の塔」に9つの謎を仕込んでいました。
その謎解きは、梅原猛氏の『隠された十字架 わが法隆寺論』を思わせます。
ともに日本人の国民的建造物に隠されたキリスト教の影響を読み取る点では共通していますが、いかんせん「太陽の塔」は法隆寺に比べて新しすぎるので、ちょっとヒントが多過ぎたという印象を持ちました。
わたしは、個人的に岡本太郎とジョルジュ・バタイユの出会い、そして秘密結社への入会のくだりに関心を抱きました。
1936年1月のパリで太郎は初めてバタイユと出会いました。
太郎の友人であったシュールレアリスムの画家マックス・エルンストに誘われて、革命知識人共闘組織コントルアタック(反撃)の集会に参加したのです。
コントルアタックは、犬猿の仲とされたバタイユとシュールレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンが、当時のヨーロッパを席巻していた帝国主義や国家主義に対抗すべく結束して誕生したものでした。
その会場で熱弁をふるうバタイユの姿に太郎は総身が震えあがるほど感動し、以後、両者は親交を深めます。
そして、コントルアタックの崩壊後、バタイユは聖社会学研究会を組織するとともに、聖なるものの実現をめざす秘密結社アセファル(無頭人)を創設しました。
太郎はその秘密結社に心身を投じていきますが、メンバーは秘密裡に「聖なるものを生きる」実践を行ったといいます。
「われわれは凶暴なまでに宗教的である」というバタイユの言葉通り、アセルファルの儀式では常軌を逸した宗教的な実験が行われていました。
太郎は、「わが友――ジョルジュ・バタイユ」という文章で次のように述べています。
「犯罪の意思によって結ばれた、エリートの神聖なコミュニティー。
新しい神は、夜の暗い混沌の中で、死に直面することによって現出する。
新しい宗教的体験がわれわれの情熱だった。当然、儀式が絶対の要件である。それによって共同の目的を確立し、犯罪者として、既成の権威に対決し、世界を変えてゆくのだ」
著者は、ここに太郎が大阪万博という祭りで企んでいた真の狙いが透けて見えるとして、次のように述べています。
「まるでフリーメーソンのような印象を受けてしまうが、太郎が参加したこの怪しげな秘密結社の儀式のなかで、稲妻は重要なシンボルとして位置づけられていた」
もちろん、「太陽の塔」にも稲妻が刻まれています。
「太陽の塔」は、もうひとつの太郎の代表作「明日の神話」と深い関係がありました。
「明日の神話」は、大阪万博とほぼ同時期に開催されるメキシコオリンピックに向けて描かれた壁画です。太郎は、ピカソの「ゲルニカ」に対抗して原爆図として「明日の神話」を描いたとされています。著者は、次のように述べます。
「『明日の神話』は『太陽の塔』と双子の兄弟であるばかりか、骸と魂という関係性をもっている。しかも、壁画の燃える骸骨は『太陽の塔』内部の『生命の樹』と対応してもいる。『生命の樹』は太郎の心の内に若い頃から燃えつづけていた生命の樹と、秘密結社アセファルの儀式の中心に立っていた『雷に打たれた木』とも重なるものだ」
さらに、著者は、太郎の意図について次のように推測します。
「『明日の神話』は原爆図である。なおかつ、部分的ではあるが、こまかな図像分析によって、磔刑と復活のキリストのイメージが部分的に重なっていることもわかった。しかし、どうもキリストの磔刑図でもなく復活図でもないのだ。岡本太郎は、いったい壁画全体で何を表現しようとしていたのだろうか?
そして著者は、「この壁画は、キリストの受難(磔刑)、そして復活後の聖書のストーリーが意識されている。つまり、最後の審判だ」と結論づけています。
「明日の神話」は、磔にされた後に復活昇天するキリストであり、燃える「生命の樹」をその身に宿す「太陽の塔」であり、岡本太郎自身でもあるというのが著者の見方です。
そして、著者は巨大な双子の神話的つながりを次のように語ります。
「大阪万博という祭りでは、人知れずイケニエの儀式が挙行されていた。十字架にかけられた頭のない『太陽の塔』は、黄金のカラスの導きによって、ジブリ映画の『天空の城ラピュタ』のごとく、聖母子の魂をかかえて太陽の国メキシコへと飛んでゆく。
太陽に向かう無頭の『太陽の塔』の皮膚は光の聖火によって燃やしつくされ、骨が残るのみとなる。その骨は塔の内部にある無数の棘をもつ、燃える『生命の樹』=燃える骸骨である。
いっぽう、塔の足下に眠っているドクロ=黄金のミイラは、地球の裏側=メキシコに向かう途中で、地中奥深くのマグマに黄金の布を焼かれる。地中をくぐり抜けてメキシコにたどり着くと、今度は、天空(日本)から飛来してくる身体=生命の樹=無頭の骸骨とドッキングをはたし、『明日の神話』にトランスフォームする。そうして、完全体となった闇の聖火に燃える骸骨は『太陽の塔』とおなじ茨のあばら骨を押しひらき、キリストが昇天するように、右手側の天空をめざしてふたたび飛翔する。
つまり、キリスト=岡本太郎は磔刑に処されたあと、身体は天空の聖火に、頭は大地の聖火に焼かれて合体復活することで『明日の神話』の骸骨となり、さらに昇天すべく、天空のどこかべつの場所をめざしているのだ。
それは、どこか?
じつは、その場所は『明日の神話』が設置される予定だったオテル・デ・メヒコの真上の場所だった」
このように壮大なスケールで、「明日の神話」と「太陽の塔」という双子をめぐる物語が説明されていきます。特に、「キリスト=岡本太郎は磔刑に処されたあと、身体は天空の聖火に、頭は大地の聖火に焼かれて合体復活する」というくだりは、素晴らしいイマジネーションだと思います。
「太陽の塔」とキリストの関係は、わたしには意外なものではなく、すんなりと納得できました。もともと、太陽とイエス・キリストには深い関係があります。紀元後3世紀までのキリスト教徒は、12月25日をクリスマスとして祝ってはいませんでした。
同じ頃、まだキリスト教を受け入れていなかったローマ帝国においては、12月25日は太陽崇拝の特別な祝日とされていました。当時、太陽を崇拝するミトラス教が普及しており、その主祭日が「冬至」に当たる12月25日に祝われていたのです。
ローマ帝国にはさまざまな異教が存在していましたが、特にローマ兵の間で親しまれていたミトラス教においては、太陽崇拝がより具体的な形をとるに至り、3世紀においてはしばらくの期間、キリスト教にとって手強いライバルでした。
この異教の太陽崇拝とキリスト崇拝とを結びつけ、12月25日をクリスマスと定めた人物こそ、ローマ皇帝コンスタンティヌスでした。
313年、ミラノ勅令を発布してキリスト教を国教化した彼は、帝国を平和に統治するために対立していた2つの宗教を意識的に結びつけたとされています。
以前から救世主たるキリストとは「義の太陽」であり、人間界の「新しい太陽」であるという見方が民衆の間にあったため、太陽崇拝との合体は無理なく行われました。
太陽崇拝に好意を抱いていたコンスタンティヌスは、キリスト教の「主の日」を「太陽の日」として、帝国の週ごとの休日としました。
いわゆる「SUNDAY(日曜日)」の誕生です。
そして、真冬のクリスマスとは、死者の祭りでした。
冬至の時期、太陽はもっとも力を弱め、人の世界から遠くに去っていきます。
世界はすべてのバランスを失っていく。そのとき、生者と死者の力関係のバランスの崩壊を利用して、生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現することになるのです。
生者はそこで、訪れた死者の霊を、心を込めてもてなし、贈り物を与えて、彼らが喜んで立ち去るようにしてあげます。
そうすると世界には、失われたバランスが回復され、太陽は再び力を取り戻して、春が到来して、凍てついた大地の下にあった生命がいっせいによみがえりを果たす季節が、また到来してくることになるのです。
このように「キリスト」と「太陽」は、分かちがたく結びついていたのです。
1996年1月7日の夕暮れ、関東上空で火の玉となった隕石が爆発しました。
その爆音は関東一円に響きわたり、東北大流体科学研究所の高山和喜教授の「隕石が大気に突入した際にできる衝撃波。これだけ広範な地域で音が聞こえたケースは珍しい」というコメントが読売新聞で報じられました。
この隕石が爆発した日は、なんと、「芸術は爆発だ!」と叫び続けた”爆発おじさん”こと岡本太郎が亡くなった日でした。この、あまりにも良くできた偶然の一致に驚きつつ、著者は本書の「エピローグ」で次のように述べています。
「岡本太郎は、まるで自身の死によって宇宙と本当に合一をはたすかのように、隕石の爆発とともにこの世を去った。その爆発とともに、太郎の『いのち』の化身である目に見えない赤いリボンは、きっと宇宙に解き放たれたのだろう。
いつか、必ずやその赤いへその緒をたぎり寄せる者が現れる。彼がその左手ににぎりしめるであろう赤い渦の聖火の種は、彼の胸の内に聖火を灯し、燃える『生命の樹』へと成長する。その世界樹は、ふたたび世界を浄化する芸術=呪術を放ちはじめるはずだ」
わが書斎の「太陽の塔」
40年ぶりに「太陽の塔」と再会
わたしは、とにかく「太陽の塔」が好きで好きでたまりません。
自宅の書斎には、「太陽の塔」のミニチュアを置いています。
小学1年生のときに大阪万博に行き、本物を見たときの衝撃は忘れられません。
昨年2月、じつに40年ぶりに再会を果たしたときも大いに感動しました。
そのように「太陽の塔」をこよなく愛するわたしにとって、本書は大変楽しい読み物でした。不世出の大天才・岡本太郎よ、太陽のように永遠なれ!