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2024.12.12
師走の慌ただしい中、『冠婚葬祭文化論』(産経新聞出版)の見本が届きました。サブタイトルは「人間にとって儀式とは何か」。著者名は、一条真也ではなく、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団理事長の佐久間庸和です。
『冠婚葬祭文化論』(産経新聞出版)
本書の帯
帯には「冠婚葬祭は日本文化の集大成である」と大書され、「七五三は霊魂安定の通過儀礼」「成人式は戦後急速に広まった」「結婚式は男女の魂を結ぶ儀式」「葬儀は人生最大の儀式である」「なぜ儀式が必要なのか――日本人の本質に迫る」と書かれて、小倉織の着物を着て正座するわたしの写真が使われています。カバー前そでには、「『こころ』というものは不安定である。安定させるためには『かたち』、すなわち『儀式』に容れる必要がある――。(まえがきより)」
本書の帯の裏
帯の裏には、「わたしは『人間が人間であるために儀式はある』と考えています。冠婚葬祭とは社会を持続させるシステムそのものでhないでしょうか。(まえがきより)」「『文化の防人』を自認する『冠婚葬祭文化振興財団』のトップによる画期的な文化論。日本人の生活に根ざしてきた『儀式』の本質とは何か。自らの経験と名著を読み解くことで組み立てた論考を、平易な文章で提唱する」と書かれています。
Googleの「AIによる概要」
また、Googleで『冠婚葬祭文化論』と検索すると、「AI による概要」として、「『冠婚葬祭文化論』は、古くから日本に伝わる『冠婚葬祭』という四大儀礼や、その文化について論じた書籍です。
『冠婚葬祭』とは、次のような儀式や行事の総称です。
●『冠』は、元服の際に冠をかぶせて祝ったことから、成人式や七五三、還暦などの人生の節目の祝い事
●『婚』結婚式
●『葬』は葬儀
●『祭』は法事やお盆などの祖先を祭る儀式、お正月や節分、七夕など一年の節目の行事全般
『冠』は、古来日本で行われていた『成人を迎えたことを示す』儀式である『元服』を指します。元服を迎える年齢は数え年で12歳から16歳と今よりも若く、時代によっては5~6歳で元服することもあったといいます」という解説が冒頭に出てきました。これがなかなか核心を衝いています。AIおそるべし!
『冠婚葬祭文化論』の「目次」
本書の「目次」は、以下の通りです。
まえがき「冠婚葬祭は社会を持続させる」
第一部 冠婚葬祭論
「かたち」には「ちから」がある
「礼業」としての冠婚葬祭業
冠婚葬祭とは人生を肯定すること
「初宮祝」で氏神様に成長を祈る
「七五三」は霊魂安定の通過儀礼
「成人式」は戦後に広まった
「結婚式」は男女の魂を結ぶ儀式
「長寿祝い」で老いを前向きに
「葬儀」は人生最大の儀式
「法事」「法要」とグリーフケア・サポート
「卒業」と「祝い」
「宗遊」の時代
第二部 儀式論
なぜ儀式が必要なのか
「儀礼と儀式」
「日本人と儀式」そのルーツを探る
「家族にとって儀式とは何か」
「人間にとって儀式とは何か」
「儀式は永遠に不滅である」
「あとがき」
冒頭には亡き父への献辞が・・・
本書の冒頭には「わが先考 佐久間進に捧げる」と書かれています。2024年9月20日の朝、父・佐久間進が満88歳で旅立ちました。亡くなった父親のことを「先考」といいますが、父はまさにわたしが考えていたことを先に考えていた人でした。父は國學院大學で国学と日本民俗学を学び、冠婚葬祭互助会を営む会社を創業しました。本居宣長や平田篤胤らの国学が「日本人とは何か」を問う学問なら、柳田國男や折口信夫らの日本民俗学は「日本人を幸せにする方法」を探る学問でした。そして、父にとっての冠婚葬祭互助会はその学びを実践するものでした。国学から日本民俗学へ、日本民俗学から冠婚葬祭互助会へと、日本人の幸福論は進化を遂げてきたのです。父の國學院大學の後輩に、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生がおられます。鎌田先生は、「折口信夫が理論国学者なら、佐久間進は応用国学者ないし臨床国学者である」と言われました。わたしも、そう思います。
本書を父に捧げます…
生前の父は「互助会は日本人によく合う」と常々語っていました。また、「互助会の可能性は無限である」、さらには「互助会こそが日本を救う」という信念を持っていました。最近では「互助共生社会」という言葉を使い、未来に向けた新たな社会像を描いていました。それは、わたしが長年提唱し続けてきた「ハートフル・ソサエティ」に通じます。冠婚葬祭事業の未来に対して悲観的な意見を述べる方も少なくありません。しかし、父にとって、冠婚葬祭は日本人の心をつなぎ、人々が互いに助け合い支え合う社会を作り出すための基盤であり、その可能性は無限であると信じていたのです。冠婚葬祭とは「こころ」を「かたち」にする文化です。父は、小笠原流礼法をはじめ、茶道や華道にも精進していましたが、「冠婚葬祭こそ総合芸術であり、日本文化の集大成」と常々言っていました。
一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任
このたび、わたしは、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の理事長に就任しました。この財団は、人の一生に関わる儀礼である冠婚葬祭に代表される人生儀礼の文化を振興し、次世代に引き継いで行く事業を行い、わが国伝統文化の向上・発展に寄与することを目的に平成28年に設立されました。古来より続く冠婚葬祭文化を見直し、振興し、次世代に引き継ぐべく、助成金の交付、儀式等への支援、講座の開催、顕彰などの支援事業を行っております。本財団が実施しております具体的な事業は、資格制度事業・儀礼儀式文化振興事業・社会貢献基金事業・冠婚葬祭総合研究所事業を主とした4つの事業となります。
「冠婚葬祭文化」といいますが、冠婚葬祭は文化そのものです。日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲・武道といった、さまざまな伝統文化があります。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として存在します。たとえば、武道は「礼に始まり、礼に終わる」ものです。すなわち、儀式なくして文化はありえません。その意味において、儀式とは「文化の核」と言えます。そして、儀式そのものである「冠婚葬祭」の本質とは「文化の核」です。「冠婚葬祭」のことを、結婚式と葬儀のことだと思っている人も多いようです。婚礼と葬礼が人生の二大儀礼であることは事実ですが、「冠婚葬祭」のすべてではありません。「冠婚+葬祭」ではなく、あくまでも「冠+婚+葬+祭」なのです。
「冠」はもともと元服のことで、現在では、誕生から成人までのさまざまな成長行事を「冠」とします。すなわち、初宮参り、七五三、十三祝い、成人式などです。「祭」は先祖の祭祀です。三回忌などの追善供養、春と秋の彼岸や盆、さらには正月、節句、中元、歳暮など、日本の季節行事の多くは先祖をしのび、神をまつる日でした。現在では、正月から大みそかまでの年中行事を「祭」とします。そして、「婚」と「葬」です。結婚式ならびに葬儀の形式は、国により、民族によって、きわめて著しく差異があります。これは世界各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しているからです。儀式の根底には「民族的よりどころ」というべきものがあるのです。まさに、日本文化そのものです。
『儀式論』(弘文堂)
結婚式ならびに葬儀に表れたわが国の儀式の源は、小笠原流礼法に代表される武家礼法に基づきますが、その武家礼法の源は『古事記』に代表される日本的よりどころです。すなわち、『古事記』に描かれたイザナギ、イザナミのめぐり会いに代表される陰陽両儀式のパターンこそ、室町時代以降、今日の日本的儀式の基調となって継承されてきました。初宮祝い、七五三、成人式、結婚式、長寿祝い、葬儀、法事法要……そんな日本的儀式が「冠婚葬祭」というわけですが、それは日本人の一生を彩る「人生の四季を愛でる」セレモニーであると言えるでしょう。
『決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)
現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれています。しかし、この世に無縁の人などいません。どんな人だって、必ず血縁や地縁があります。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていきます。この世には、最初から多くの「縁」で満ちているのです。ただ、それに多くの人々は気づかないだけなのです。わたしは、「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭だと思います。結婚式や葬儀、七五三や成人式や法事・法要のときほど、縁というものが強く意識されることはありません。冠婚葬祭が行われるとき、「縁」という抽象的概念が実体化され、可視化されるのではないでしょうか。そもそも人間とは「儀礼的動物」であると思います。
文化とは何でしょうか? 「日本文化」といえば、代表的なものに茶道があります。父が小笠原家茶道古流の会長を務めていた関係で、わたしも少しだけ茶道をたしなみます。茶道といえば、茶器が大切です。茶器とは、何よりも「かたち」そのもの。水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」としての器に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。
わたしは冠婚葬祭こそは「文化の中の文化」であると思っています。冠婚葬祭文化の振興という仕事を天命ととらえ、全身全霊、命をかけて取り組む所存です。わたしは、冠婚葬祭業を単なる「サービス業」から「ケア業」への進化を提唱してきましたが、さらには「文化産業」としてとらえる必要があることを訴えています。自動車産業をはじめ、産業界には巨大な業界が多いです。その中で冠婚葬祭業の存在感は小さいです。サービス業に限定してみても、大きいとは言えません。日本郵政も、電通も、リクルートも、楽天も、セコムも、パソナも、オリエンタルランドも、リゾートトラストも、すべてサービス業に属します。
冠婚市場は約2兆円、葬祭市場は約1兆7000億円、互助会市場は約8000億円とされていますが、サービス業と同じ第三次産業である卸売業・小売業の約540兆円に敵わないことは言うに及ばず、情報通信業の約83兆円、運輸業・郵便業の約71兆円とも比較にもなりません。「サービス業」としてとらえると小さな存在にすぎない冠婚葬祭業ですが、「文化産業」としてとらえると一気に存在感が大きくなります。
日本伝統文化の市場規模を見ると、茶道が約840億円です。授業料・会費・着付け・交際費・交通費など茶道に関するすべての消費を含むと約1639億円。他の伝統文化の市場規模は、華道が約332億円、書道が約399億円、歌舞伎が約30億円(歌舞伎座の売上)、大相撲が約100億円(日本相撲協会の売上)となっています。冠婚葬祭業を冠婚葬祭という日本の伝統文化を継承する文化産業としてとらえれば、一転して最大の存在となるのです。また、冠婚葬祭とは単なる文化の1ジャンルではありません。わたしは冠婚葬祭業国際交流研究会の座長として、世界各国の結婚式や葬儀の事情を視察しましたが、各国のセレモニーには、その国の長年培われた宗教的伝統や民族的慣習などが反映しています。儀式の根底には「民族的よりどころ」というべきものがあるのです。儀式なくして文化はありえません。「文化の核」である冠婚葬祭を継承し続けている冠婚葬祭業者は、日本人の「こころ」を守る「かたち」を守っているのです。
作家の三島由紀夫は、一条真也の読書館『文化防衛論』で紹介した著書において「文化を守る営為は文化そのものでもある」と喝破しました。冠婚葬祭業者という「文化の防人」としてこの営みに参画できることを、わたしは心の底から誇りに思います。父から受け継いだ「冠婚葬祭で、日本人を幸せにする」という大きな目標に向かって、これからも歩み続けたいと思います。なお、本書『冠婚葬祭文化論』は、過去にわたしが書いてきた著書や、新聞・雑誌の連載やブログの中から、冠婚葬祭の本質を考察した文章を集めました。ご一読いただき、冠婚葬祭文化の振興および冠婚葬祭産業の隆盛のためのヒントを見つけていただければ、これに勝る喜びはありません。12月19日に発売ですので、どうぞよろしくお願いいたします。なお、本書は120冊目の一条本となります。さらに「天下布礼」に励みます!