No.2383 エッセイ・コラム 『美輪ことば』 美輪明宏著(中央公論新社)

2025.03.07

『あなたの人生を導く 美輪ことば』美輪明宏著(中央公論新社)を読みました。著者が89年の人生をかけて大切にしてきた言葉が満載の、自筆の「書」とともに綴る愛のエッセイ本です。著者は、1935年長崎県生まれ。16歳でシャンソン喫茶「銀巴里」の専属歌手になり、「メケ・メケ」「ヨイトマケの唄」など時代を映したヒット曲を多数歌唱。俳優として『毛皮のマリー』『黒蜥蜴』『双頭の鷲』『愛の讃歌 エディット・ピアフ物語』『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』など数多くの舞台に主演。 著書に『紫の履歴書』『天声美語』『ああ正負の法則』『戦争と平和 愛のメッセージ』『人生はドンマイドンマイ』『ほほえみを忘れずに。ルンルンでいきましょう』などがあります。
本書の帯

本書のカバー表紙には黄金色に輝く美輪さんの写真が使われ、帯には「『美輪言葉』で幸せに。」「ごきげん生き方指南」「愛のメッセージに自筆の『書』を添えて」と書かれています。
本書の帯の裏

帯の裏には「ほがらかに生きたい人も、人生どん底の人も」として、「生きていると痛めつけられ、苦しいときもあります。でも、希望を失わず、前を向いて堂々と生きていれば、きっとまた人生の春が訪れます」「みなさんも自分を勇気づけてくれる言葉を見つけて、ぜひ精神の糧にしてください」と書かれています。
アマゾンより

本書の「目次」は、以下の通りです。
開運
微笑みは開運の鍵
――今日から福を呼び込みましょう
思いやり
――相手の立場になってみましょう
光明
――自分の中に意地悪さはありませんか
地獄、極楽は胸先寸にあり
――すべての経験が糧になります
水の世は波のまにまに風のまにまに
――よきには、なりゆきにまかせて
この世はすべて“正負の法則”
――「いいこと」も「悪いこと」も等量です
天知る地知る己知る
――誇りを持って生きましょう
君子の交わりは淡きこと水の如し
――「腹六分目」のおつきあいを
柳に風
――悪口を言われても受け流しましょう
心の栄養
ゆうもあ
――気持ちにゆとりを持ちましょう
豪放磊落
――度量の大きさ、快活さを目指しましょう
浪漫
――耽美な世界に心遊ばせて
美しい言葉
――豊かな日本語で“心の貴族”に
秋深き隣は何をする人ぞ
――俳句に親しみましょう
私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ
――詩は言葉の玉手箱
あなろぐ
――ゆっくり流れる時間を大切にしましょう

――きれいな色を身にまといましょう
おぼろ月夜
――四季折々の歌をくちびるに
上機嫌
はんなり
――人は「保護色の生き物」です
花のいろは移りにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに
――年齢を味方につけましょう
冷静沈着
――苦しいときこそ「頭はつめたく、心はあたたかく」
ルンルンルン
――幸せを招く魔法の言葉

――この世のすべての問題を解く鍵があります
感謝
麗人
――優しさを持って人に接しましょう
慈悲
――涙を拭いたら前に進みましょう
お気楽さん
――「なんとかなる」で人生を切り開きましょう
皆様 感謝は自分にも与えて下さい
――「我に幸あれ」と唱えて
ごきげんよう
――今日をほがらかに過ごしましょう

「開運」の章の「微笑みは開運の鍵――今日から福を呼び込みましょう」では、「言葉は心を映す鏡」ということが訴えられます。言葉遣いが乱雑だと心がすさみ、人間関係もギスギスしてきます。逆に、美しい言葉遣いを心がけると、立ち居振る舞いもおのずと美しくなっていきます。そして、ファッションや生活に必要なものの選び方も変わっていくというのです。結果的に、暮らしそのものが美しくなり、人としての魅力も高まるとして、著者は「かつては家族間でも、丁寧語や謙譲語が使われていました。丁寧な言葉遣いは、相手を尊重する気持ちの表れ。親しき仲にも礼儀があると、ほどよい距離が保たれ、衝突も避けられる。平和で穏やかな暮らしのための知恵でもあったのです。言葉ひとつで人間関係も変わりますから、日頃から意識したいものです」と述べています。

また、著者は微笑むことを推奨し、「ちょっぴり口角を上げてみてください。お金もかからず、少しの心がけで魅力的な人になれたら、これほどいいことはないと思います。人生は一筋縄ではいきませんが、『微笑みは開運の鍵』です。気持ちも明るくなりますし、ほがらかでいると好感を持たれます。まわりにはおのずと人や物事が寄ってきて、福も舞い込んでくるでしょう。日々、美しい言葉遣いと微笑みをお忘れなく!」と述べるのでした。

「思いやり――相手の立場になってみましょう」では、「思いやり」の心を言い換えれば、「相手の立場になってものを考える」ということだといいます。そのために必要なのが想像力であるとして、著者は「世の中には、努力も苦労も報われぬまま、追い詰められてやむにやまれず悪行に走ってしまう人もいます。もちろん罪は償わねばなりませんが、もし仮にその人が理不尽に追い詰められた結果の行いなら、そういった弱い人や困っている人を生み出した原因や、一部の人だけがいい思いをしている、思いやりのない社会を憎むべきだと気づくはずです」と述べます。

また、身近な人に対してはもちろん、戦火から逃げまどっている人、世の中の不条理のせいで苦しんでいる人に対しても、想像力を働かせ、思いやりの心を持っていただきたいと訴えます。さらに、動物や植物、昆虫など生きとし生けるものすべてに思いやりの心を発揮できれば人としての格が上がるとして、著者は「この世界はすべてにつながっており、みんな、相互に助け合うことで成り立っています。多くの人が思いやりを持てたら、世界はもう少しよくなるのではないでしょうか」と述べるのでした。

「光明――自分の中に意地悪さはありませんか」の冒頭を、著者は「人を見るとき、その人のどこを見ていますか? 私は、着ているものや容姿容貌、性別、国籍、肩書といったものを一切見ません。その人の『心の純度』がどれほど高いか、美しいか、優しいか、品性があるか、思いやりがあるか。それだけを見るようにしています」と書きだしています。また、著者が若い頃にカフェーで歌っていたときの経験から、「人間の本当の美しさや価値とは何かということを、突き詰めて考えるようになったのです。たどり着いた結論は、考え方や言動などすべてにおいて、『上品さ』と『優しさ』を基準にすることが大切だということ」と述べています。

「水の世は波のまにまに風のまにまに――ときには、なりゆきにまかせて」の冒頭を、著者は「私が“元祖ビジュアル系”として物議をかもしたのは、いまから70年以上前。16歳でプロの歌手としてデビューし、出演していたシャンソンの店『銀巴里』を盛り上げようと、髪と爪、衣裳を紫色に仕立てて、全身紫色で銀座の数寄屋橋に立って歌いました。当時は『銀座の紫のお化けが出る』などと言われたものです。22歳で、シャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーしたときも、元禄時代のお小姓の出で立ちを取り入れたファッションなど、自ら考案した衣装やメイクがずいぶん話題になりました。同性愛への差別に対して『よし、闘ってやろう』と、わざと傾く恰好をした、それが私のビジュアル系の始まりです」と書きだしています。

しかしながら、著者は「この歳になると、闘争モードもどこへやら。腕の粉砕骨折や脳梗塞、慢性気管支炎など病苦も絶えませんが、『まぁ、生きていればそんなこともあるでしょう』と、涼しい顔をしています。そして、私の心の中に自然と湧いてきたのが、『水の世は波のまにまに風のまに ゆらりゆるりと参りましょう』という言葉でした」と述べます。生きていると痛めつけられ、苦しいときもあります。その瞬間は、怒りや絶望にとらわれますが、後から考えたらそれがあったからこそ得るものも多かったと気づくこともあるという著者は、「みなさんにもこの先、試練が訪れるかもしれません。でも、希望を失わず、前を向いて堂々と生きていれば、きっとまた人生の春が訪れます」と述べるのでした。

「心の栄養」の章の「ゆうもあ――気持ちにゆとりを持ちましょう」では、ユーモアとは、知性と精神のゆとりの賜物といえるといいます。知性がなければ、上質のユーモアは生み出せません。でも残念ながら、最近はどうも、日本からユーモアの感覚が薄れてきているように感じるとして、著者は「悩んだり落ち込んだりの渦中にあるときは、それどころではない、という方も多いかもしれません。でも、じつはそういうときこそ、ユーモアの精神は大きな助けとなるのです。ちょっぴり惨めな気分やトラブルも笑い飛ばせば、自分もまわりの人たちも、心が軽くなり、明るい空気に満たされます」と述べています。

「豪放磊落――度量の大きさ、快活さを目指しましょう」の冒頭を、著者は「人間は、肉体と精神でできています。健康な肉体を維持するためには、質のよい食べ物が必要です。同じように、豊かな精神を養うためには、質のよい音楽、文学、美術などの文化を召し上がっていただきたいと思います」と書きだしています。質のよい文化とは、どういうものなか? パッと思いつかなければ、まずは日本の伝統文化に目を向けてみようと提案して、著者は「たとえば、歌川広重や葛飾北斎などで知られる浮世絵。粋な美意識と高度な技術からなる作品は、世界的な画家であるゴッホやゴーギャンにも影響を与えました。歌舞伎の中には『暫』の主人公のように、奇抜な衣装を着た豪放磊落なキャラクターが登場します。これもまた日本の、とくに江戸っ子の美意識でしょう。こうした伝統芸能や文化は、知れば知るほど奥が深い。日本が世界に誇れるもののひとつです」と述べるのでした。

「浪漫――耽美な世界に心遊ばせて」では、著者が「浪漫」という言葉からまず連想するのが大好きな泉鏡花の小説だと明かします。幻想的で妖しく、ページを開くと日常とは違う世界へといざなってくれるといいます。江戸川乱歩の作品も浪漫そのもので、著者は10代のころから明智小五郎が登場する探偵小説を愛読していたそうです。著者がシャンソン喫茶「銀巴里」に勤めていたとき、17代目中村勘三郎さんが江戸川乱歩先生を連れて来たそうです。そのときの様子について、著者は「私が先生に『明智小五郎とはどんな人?』と尋ねると、自分の腕を指さして『ここを切ったら青い血が流れるような人だよ』。『うわぁ、ロマンチック』と言うと、『君、そんなことがわかるのかい。じゃあ、君の腕を切ったらどんな色の血が出るんだい?』。私の答えは『七色の血』。そんなことを言う16歳を、面白がってくださいました」と述べています。なんという素敵なエピソードでしょうか!

「美しい言葉――豊かな日本語で“心の貴族に”に」では、著者が音楽学校に入るため東京に出てきた当時、東京の山の手の人たちは、本当に美しい日本語を使っていたそうです。たとえば「私が」と言うときも、「が」を少し鼻にかかった鼻濁音で発音するので、語調がやわらかく上品になります。そうした日本語の美しい響きを大事にしつつ、古きよき時代の日本語表現にも触れてみることを推奨し、著者は「その方法の1つとして、美しい言葉で書かれた小説や詩を読むことをおすすめします。たとえば、岡本かの子、幸田文、北原白秋、佐藤春夫、宮沢賢治、川端康成、谷崎潤一郎、泉鏡花などが書いたものは、表現が美しく、言葉のリズムも個性的です」と具体例をあげます。そして、「男女の機微や、貴族の衣装、庭の草花などが美しい言葉で書かれた美的な世界――それらに触れると、感性が磨かれ、あなたも“心の貴族”になれるかもしれません」と述べるのでした。“心の貴族”とは、また素晴らしく魅力的な言葉ですね!

「秋深き隣は何をする人ぞ――俳句に親しみましょう」では、俳句の魅力が大いに語られています。著者は、「たった17字で深い表現ができる俳句を発明した日本人は、本当にすばらしい。『季語』を入れるのも、四季に恵まれた日本ならではの約束事です。私は以前から、子どもには子守歌や童謡を歌って聞かせ、詩や俳句を読ませるのが大事だとお伝えしてきました。日本の美意識を凝縮した文学である俳句に触れることで、子どもの情操が育つと思っているからです」と述べています。

「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ――詩は言葉の玉手箱」では、著者は詩の魅力を大いに語り、「詩は言葉の玉手箱。美しい言葉の世界に身を置くことで、心の感度が磨かれ、美的な感性も育ちます。ところが最近は詩集を手にする人が減っているようで残念です。あまり詩に馴染みがない方は、まずは中原中也や石川啄木、佐藤春夫、北原白秋などの詩に親しんでみてはいかがでしょう。訳詩ならコクトー、ヴェルレーヌ、ランボー、ハイネなどがおすすめです。おいしい紅茶やコーヒーを飲みながら、詩集を開く。1日に30分でもいいのです。そうした時間を持つと、人生が豊かで美しくなります」と、具体例をあげて詩集を読むことを薦めています。

「色――きれいな色を身にまといましょう」の冒頭を、著者は「私は、舞台に立つときや雑誌などの撮影の際、くすんだ色の服は着ません。明るくきれいな色を身にまとうと、まわりのみなさんの気分が上がりますし、本人にも運が向いてきます。真っ黒な草や花を見かけないのは、黒は死の色だから。ですから、できれば黒一色のファッションは避けたいもの。もし黒を着る場合は、ベルトやスカーフなどで色を少し加えるか、色のきれいな宝石をつけるようにしましょう。そうすれば黒のマイナスの力は打ち消され、お洒落でシックな色に変わります」と述べます。この著者の教えは、わたしが著者に初めてお会いして以来ずっと実行しています。著者は、「お手本は日本の文化。たとえば、日本が誇る漆芸の世界では、黒い漆に金蒔絵や螺鈿を施したものです。そうやって黒を寿ぎの色に変えたのです」と述べるのでした。

「上機嫌」の章の「はんなり――人は『保護色の生き物』です」では、著者は「私はかねて、『人は保護色の生き物』と言っています。観るもの、聴くもの、読むもの、着るもの、すべてが美しいと、その人も美しく変化するからです」と述べています。しかし、著者はなにも贅沢を勧めているわけではありません。明るい色の上品な服を身につける。上等な食器はお客様用にとっておくのではなく、普段から自分のために使う。そんなふうに生活を美で彩り、心を美で満たすとして、著者は「美が身近にあれば、使う言葉や立ち居振る舞いも自然に美しくなり、人にも思いやりを持てるようになります。それが、はんなりとした素敵な人への道です」と述べるのでした。

「冷静沈着――苦しいときこそ『頭はつめたく、心はあたたかく』」では、誰の人生にも、マイナスの「気」に覆われている時期があるといいます。著者は、「いまがまさにそのときという方は、溜息をついたり、涙したりなさっているはず。でも、世を恨んだりしないで、冷静に目の前の問題を分析することが大切です。感情的になると、頭に血が上って熱くなり理性が働きません」と述べます。では、「冷静沈着」を身につけるにはどうすればよいか。それは日常生活の中で、呪文のように「頭はつめたく、心はあたたかく」と唱えればよいと指摘し、著者は「これを習慣づけて、細胞の1つひとつに流し込むようにしましょう。困難にぶつかったとき、どうしても解決法が見つからなければ、しばらく放っておく。そして、もっとほかに考えるべきことを優先してみる。そのうちに、思いもよらない道が見えてくるものです」と述べるのでした。

「愛――この世のすべての問題を解く鍵があります」の冒頭を、著者は「愛は、この世の通行証。愛があれば、困っている人はお互いに助け合うことができ、情緒的にも安定します。人にも、動物にも、仕事にも、愛を持って接することですべてがうまくいく。戦争も起きないし、殺し合いも、いじめもなくなるでしょう。あらゆるものに愛を活用すれば、この世は極楽になるはずです。しかし、それが決して容易ではないということは、歴史が証明しています」と書きだしています。わたしも、まったくその通りであると思います。

「感謝」の章の「麗人――優しさを持って人に接しましょう」では、美しい女性を表す言葉には、「綺麗な人」「美人」「佳人」「麗人」などがあることが紹介されます。著者の定義によれば、「綺麗な人」は雰囲気が整った人で、「美人」は容姿容貌に恵まれた人のことだそうです。その上の「佳人」は、美しいだけではなく上品な趣のある人だとか。なかでも著者が思う一番上位にある存在が、「麗人」です。著者は「教養百般に通じているけれど、それをひけらかさず、物腰もやわらかく知性的。そして日々、愛と優しさを持って人と接している。すなわち顔の造作を超えた精神の美しさを備え、美意識を持って生きている人――それが『麗人』なのです」というのですが、まさに著者その人こそが「麗人」ですね。

「慈悲――涙を拭いたら前に進みましょう」では、著者もこれまでに、愛する人や身近な人をずいぶん亡くしてきたと明かします。いまや、あちら側の世界のほうがにぎやかなくらいだとか。毎日お経をあげて亡くなった人たちを供養しながら、「もはや生老病死の恐れも不安もないのですから、どうか功徳を積んで、貴い御仏になる修行をなさってください」と慰め励ましているそうですが、著者は「それは、亡くなった方々への、私の愛です。そうすると、向こうからも愛が返ってきます。たとえば、病を得たとき、それでも、前向きに日々を過ごすエネルギーを私に与えてくれるのです」と述べるのでした。まさに著者は、「死者とともに生きる」ということを実践しておられます。

「お気楽さん――『なんとかなる』で人生を切り開きましょう」では、“経営の神様”とも呼ばれた松下電器産業の創業者・松下幸之助翁は、「日本人の95パーセントは悲観論者。残りの5パーセントの楽観論者が各界をリードしている」といったことを語っていたことが紹介されます。また、エッセイ集『幸福論』で幸福になるための自己のあり方を説いた哲学者のアランの言葉に、「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」があります。著者は、「やはり、意志を持って『楽観主義でいよう』と決めて行動することが、人生をプラスの方向に切り開くコツと言えそうです」と述べるのでした。

「皆様 感謝は自分にも与えて下さい――『我に幸あれ』と唱えて」では、著者はいままで、ことあるごとに、「感謝は、人が生きていくために最も必要な気持ち」であると伝えてきたことが紹介されます。着るもの、食べるもの、すべて人がつくってくれたもの。わたしたちは、ありがたいものに囲まれているとして、著者は「ありがたいとは、『有り難い』。当たり前だと思っていることが、じつはそこに有るのが難しいものだと気づいたら、おのずと感謝の念が湧いてくるはずです。自分自身についても、歩ける、読める、聞こえるといった当たり前のことに感謝できると、幸せの数も増えていきます。私は原爆症の後遺症もあってもともと病気がちでしたし、年齢を重ねるなか、大きな病気や怪我もしました。ですから日々、健やかに過ごせるだけでありがたいと、感謝の念が湧きます」と述べるのでした。

「ごきげんよう――今日をほがらかに過ごしましょう」では、「ごきげんよう」という言葉は「ごきげんようございます」「ごきげんよくお過ごしくださいませ」などが短くなったものだと紹介します。室町時代に宮中で女官たちが使っていた御所言葉が語源とも言われているそうです。明治時代には山の手言葉として、日常生活や女学校での挨拶で使われていました。著者は、「人が訪ねてきたときなど、「ごきげんよう」と言われると、自然と自分が機嫌よく過ごしているような気分になります。また別れる際に、『では、お気をつけて。ごきげんよう』と言われると、なんとなくいい気分に。響きも美しく、口に出すほうも聞いたほうもうれしい気分になるのですから、なくしてはいけない、麗しい日本語だと思います」と述べるのでした。
『美輪ことば』と『心ゆたかな言葉

本書『美輪ことば』には、著者の言霊が溢れていますが、じつはわたしも『心ゆたかな言葉』(オリーブの木)という言霊の本を書きました。本書が2024年11月25日の刊行ですが、拙著はその1週間前の11月18日刊行です。内容も重なっている部分が多いのですが、何よりも中のレイアウトが似ていることに驚きました。まあ、キーワードの解説本というのはどうしても中身が似てくるのだと思います。
美輪明宏さんと

ちなみに、わたしは本書の著者である美輪明宏さんを非常にリスペクトしています。思想的にも多大な影響を受けました。約四半世紀前に美輪さんと松柏園ホテルのスイートルームでお会いしましたが、そのとき、「あなたには大きな使命がある」と言われました。その使命の内容についてはここには書きませんが、わたしは深く感動し、その言葉を忘れたことはありません。また、美輪さんに再会できる日を楽しみにしています。