No.1001 読書論・読書術 『喰らう読書術』 荒俣宏著(ワニブックス|PLUS|新書)

2014.11.05

久々というか、1001冊目の書評です。
『喰らう読書術』荒俣宏著(ワニブックス|PLUS|新書)を読みました。

かつて、この読書館で『0点主義』の書評にも書いたように、著者は現代日本を代表する「博覧強記」の1人です。著書・訳書はすでに300冊を超えています。そんな著者が読書術について書いたというので、もう興味津々で読みました。「一番おもしろい本の読み方」というサブタイトルは拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)を連想させます。実際、2冊の内容には共通点が多いです。

本書の帯

本書の帯は笑いながら本を開いている著者の写真とともに、「読書は精神の食事です」「”知の巨人”はこうして好奇心を満たし知識を得ている」「稀代の博覧強記 荒俣宏が読書の手の内を初公開!」と書かれています。また帯の裏には、「知識を、経験を、喰らう!」として内容が簡単に紹介されています。

 本書の帯の裏

さらにカバー前そでには、以下のように書かれています。

「人間が発明した物の中でもっともよい頭(精神)の栄養、(他人の経験が詰まった)いわば頭の缶詰みたいなものが『本』です」。――「第一章」より。本書では、『知の巨人』『博覧強記の怪人』など、数々の異名を持つ著者が、何千、何万冊と本を読む中で得た、もっとも美味しく(おもしろく)、頭の缶詰(本)を食べ(読み)、無駄なく頭の栄養にするための『アラマタ流読書術』を初めて紹介します」

本書の目次構成は、以下のようになっています。

はじめに―読書はおもしろいはずだが、実際はつらい
第一章 「読書」と「本」を知る7つの「急所」
第二章 本を好きになるとはどういうことか?
第三章 世界と人生を解読する「読む考古学」のすすめ
第四章 だれでも実践できる尻取りゲーム型読書法 実例集
あとがき

「はじめに―読書はおもしろいはずだが、実際はつらい」で、著者は「本書は、身の回りにいつも本を置く生活のノウハウをお示ししたいと思っています」として、その最大のポイントは以下の3点にまとめられるといいます。

●本を読むという手間を惜しまない
●本棚には読まなくても本を並べる楽しみがある
●真の読書は、読むことに直接の利益を期待しないことである

また、「はじめに」では、次のようにも述べています。

「ここがいちばん、読者のみなさまには気にかかるところでしょうが、そんなに毎日読書をして、お前はいったいどんな偉い人間になったのだ、という疑問が残りますね。
正直に、はっきり申します。聖人にも、悪人にも、また偉い物識りにも、なれません。だた1つ、メリットといえば、人生に退屈せずに済んだことです」

第一章「『読書』と『本』を知る7つの『急所』」で、著者は以下のように7つの急所を示しています。
●急所その1
読書は「精神の食事」―でも、食わなくても死なない!
●急所その2
頭が要求する「栄養」は、かならずしも読書ではない
●急所その3
本は全部読まないと、わからない
●急所その4
本は自腹で買え それだけで真剣に読みたくなる
●急所その5
世界の見方を一変させる「目から鱗」の本を探せ
ボーイズラブも好色一代男も、おもしろくなる読書
●急所その6
毒本、クズ本でも、薬に変えられる
クズか宝かを決めるのは、自分である
●急所その7
読書をおもしろくさせる「おもしろ感度」を磨け
●急所その7―戦略1
読書は危険を含んでいる
●急所その7―戦略2
読書はジャングルの冒険である
●急所その7―戦略3
地引き網とモリを両方使いこなそう

急所その4「本は自腹で買え それだけ真剣に読みたくなる」には、次のように書かれています。

「私は小学校のとき、戦争体験をもつ老先生から、1冊の本の大切さを聞いたことがあります。空襲で家が焼け、唯一持ち出せたのは国語の教科書だけ。戦争中でしたから本を買うこともできず、その一冊を大切に持っていたそうです。何百回読み直したかわからないけれど、読むたびにおもしろかった、と言っておられました。退屈の極みとも思える教科書でも、場合によってはおもしろく読めるわけです」

急所その5「世界の見方を一変させる『目から鱗』の本を探せ」では、以下のようにわたしの心の琴線に触れるようなことが書いてあります。

「私は子ども時代から怪談が好きで、どんなにバカにされても読み続けてきました。その結果、むかしはくだらない世迷事と一笑にふされたお化けの本の大傑作を、自分ひとりで発見できたのです。上田秋成の『雨月物語』や平田篤胤の『仙境異聞』などで、霊の世界の奥深さに触れ、柳田国男の『妖怪談義』でお化けが日本人の研究に欠かせない資料だと知らされました。その執念が実って、怪談を書く作家になることができました。だから、マンビーの体験がよけいに心を揺するのです。
でも、私はなぜ怪談をはじめとする不思議を扱った本を読み続けているのでしょうか?
いろいろ考えて、出た結論はこうです。
目から鱗が落ちるようなことが書いてある本』に、ときどき巡り会えるから。
たぶん、本がすごいのは、そういう心を揺すぶるような感動を、ほとんど苦労なく体験させてくれるからだと思います」

急所その6「毒本、クズ本でも、薬に変えられる」では、以下のように書かれています。

「本との出会いは『よい本だけに巡り会うのではない』からこそおもしろいのです。私は、紙クズみたいな、ゴミみたいな本でも、素人が制作したチラシやガリ版刷りのような簡単なものでも、そういう『品質』には関係のない、ある種の魅力がかならずある、と考えています。本はクズでも宝になり得るのです。そのことは、まだ未発見の資料を集めたり、特別な分野にかかわる探し物が必要になったときに、いやというほど実感します。ゴミやクズであるほど、実際に探そうとするとみつからないからです」

また著者は、次のようにも述べています。

「売れそうになくて、小難しそうで、なんの関心もないことを書いてある本。ふつう、パスですよね。ところが、あるとき必要になって読んだら、とんでもないことを教えてくれて、問題が解決したり、新たな関心事がうまれて世界がひろがる。そういう捨てられた本、さげすまれた本にも、眼を注ぐ読書が、じつは重要なのです」

急所その7―戦略2「読書はジャングルの冒険である」では、以下のように書かれています。

「読書は、動物園で離れたところから動物を見て楽しむことではありません。デパートで買ってきた昆虫標本を広げることでもありません。密林で、猛獣に追い掛け回されながら、見たこともない昆虫を捕獲するのによく似た行為です。その1匹1匹との遭遇が、読書です。1冊1冊の本との運命的な出会いが、あなたの血肉となり、本物の知力を具える力となるはずです。そして、ジャングルを駆け回っているうちに、自然と勘が磨かれてくるのです。『読書感度』といいましょうか。この勘が発達すれば、本の良し悪しは一目で見分けられるようになります」

第二章「本を好きになるとはどういうことか?」の冒頭には、『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』が登場します。著者は「『もうすぐ絶滅する』という紙の本、でも、たぶん絶滅しない」として、まずは次のように述べます。

「電子書籍は、これまでの紙の本という絶対的な形態を一気にくつがえしてしまいました。その影響は、単に紙が電子に負けたというだけにとどまりません。今までのように書店が本を売るという形式がなくなり、根本的には『印税』という言葉も死語になろうとしています。また、それまでの原稿用紙を単位にした文字数の数え方も変化しました」

しかしながら、著者は次のように喝破します。

「究極の話をしましょうか。人類が滅亡しても、たぶん本はしばらく生き残ります。図書館に収められた本は、きっと人間よりも長生きでしょう。でも、読書する人がいないです。読む人がいなければ、本は死にます。そこで人類は今から、紙の本を読めるロボットを開発しておかねばなりません。紙の本を読むロボットがいるかぎり、人類の遺産は生きながらえるのです」

また著者は「本は物体でもある。持てば資産になる」として、「どんなにおもしろい内容があっても、本はその中身を守れなければ意味がありません。本自体は、容器なのです。その点から考えると、いちばんすばらしいのは石か金属です。これなら少なくとも数千年は大丈夫、中身を守ってくれます」と述べています。

しかし、著者は続いて以下のようにも述べています。

「ただ、石や金属には大きな問題点があります。重くて大きいことです。つまり、運ぶときにも、保管するときにも、手に負えないということです。それでも、エジプトのアレキサンドリア近郊で発見された「ロゼッタストーン」は、まさしく本のお手本であるといえます。エジプトの4千年前の記録を現在に伝えたのですから。石という記録媒体、つまり物体に情報を印字した最初期の頑丈な容器なのです。この丈夫さは紙のおよぶところではありません。
じつは現在、世界のあちこちで本を石に戻そうという動きが出ています。その補完力、丈夫さがあらためて認識されたからです。現在は紙の本にしてもDVDやUSBにしても、火事でやけてしまうのが怖いのですが、将来は石英に記号をレーザーなどで彫りつけて保管することが研究されています。これですと数千年はまちがいなく保存でき、しかも燃えません」

さらに著者は、以下のように述べています。

「こうした本への信仰は、その基礎に、聖なる言葉には物理的な力がある、という理論が存在します。たとえばブッダが残した言葉は、それ自体が神通力をもちます。祈れば願が叶う、という信仰は、その典型です。
ですから、聖書や仏典を持っているだけで、心強いものがありました。それこそが「知」の所有です。そこから南無妙法蓮華経と7文字唱えるだけでいいとか、お経は般若心経だけで簡略化して済ます、といった考えも生まれてきました」

「本は脳の『腕力』を極限まで鍛える」には深く共感しました。著者は、読書が腕力によって前進するとして、次のように述べます。

「はっきり申します。読書というものは、趣味の段階ではごく個人的なひろがりしか生まないのですが、これに腕力が付けば、個人の枠を超えてどこへでもかぎりなく広がっていきます。読書がそのままバーベルを持ち上げたり、10km走ったり、毎日手刀で瓦を10枚割るような武力になるのです。
分かりやすく言えば、何を読んでも、何を論じても、その人の力になり、それが他人にも影響するような『自分だけの知』の形成に資するのです。こういう腕力のある人は、およそ
どんな相談事にも力を貸してくれますし、その人の話を聞くだけでヒントになるようなアイデアをいくらでも受け取ることができます。私の理想も、そういう自由自在な腕力を付けることなんです」

著者はまた、「私が生きてきたなかで、そのような腕力を直に感じた人が1人います」として、編集工学研究所所長である松岡正剛氏の名前をあげます。そして、以下のように述べています。

「当時松岡さんは『遊』という途轍もなく風変わりでハイブラウな雑誌を刊行していました。文学や美術の話からはじまって、数学や天文学に遊び、また風流や諧謔、歴史から異端思想にいたるまで、あらゆる分野に精通していました。それも、単に物知りというのではなく、極端に言うと、読んだ本、見た絵に、1点ずつ理論や評価やキャッチフレーズを与えていくのです。読んだ本に自分の味をつけるわけですね。それがとてもおもしろい。これって、読書の腕力でしょう」

さて本書には、かつての読書論の名作が3冊登場します。いずれも著者が大きな影響を受けた本だそうですが、それは『知的生産の技術』梅棹忠夫著(岩波新書)、『現代人の読書』紀田順一郎著(三一新書)、『知的生活の方法』渡部昇一著(講談社現代新書)の3冊です。著者は、「ネット社会における『リスペクト』の喪失」で述べます。

「梅棹さん、紀田さん、渡部さんという人たちは、みんな蔵書家です。渡部さんなんて、ご自分の家が図書館みたいなんだそうです。紀田先生のご自宅も、小さな図書館です。梅棹さんにいたっては、博物館を作っちゃいましたからね。それで、その博物館でコレクションするものを、梅棹先生は『簡単にいえば知のゴミです』と、はじめてお会いしたときに言われました。この一言は痛快でしたね、そうしたゴミすらリスペクトを感じる人たちがいたから、おもしろい知的生産ができたわけです。ちょうど昭和の時期まで、読書の意味や方法などを追求していた人たちは、基本的にみんな蔵書家であり、愛書家でした、この事実は見逃してはいけません」

わたしは今年の七夕に渡部先生のご自宅を訪問し、まさに図書館そのものの書庫を拝見しました。そのとき、何よりもわたしが感銘を受けたのは、この素晴らしい書斎および書庫を先生はなんと77歳で作られたということです。もう凄すぎる! 世の中には「読書家」や「愛書家」や「蔵書家」と呼ばれる人々がいます。それらは必ずしも一致しないのですが、渡部先生こそは「読書家」であり、「愛書家」であり、「蔵書家」。この3つが矛盾なく一致しておられる稀有な教養人であると思いました。

第三章「世界と人生を解読する『読む考古学』のすすめ」も興味深いです。著者は「基本は『概観力』にあり」として、以下のように述べます。

「本を好きになる、本を発展的かつ生産的に読めるようになる、あるいは何を読んでもおもしろく感じられるようになるには、まず世界を『概観』できるようになる必要があります。実際、かつての教養主義読書は、そういう透視力を養うために準備されたものでもありました。それならば、いったい何を概観するのか?もちろん、地球や世界や人類の歴史です。そこに詰め込まれた、さまざまな事実や事件や連続の数々です。
『日本書紀』や『古事記』もそうですが、『聖書』や原始仏典の数々も、すべて概観の本でした。この世界はどうやってできたかといった「起源」を語り、最後はどんな運命がわれわれを待ち構えているのか、その「未来」を語る。もちろんその間に位置するわれわれ自身の「現在」についても示唆してくれます。ゴーギャンの『ノアノア』ではありませんが、『人間はどこから来て、何者であり、そしてどこへ行くのか』です。こうした『起源』『現在』『未来』に対して、我々はセンサーが働かなくちゃいけない。この時間軸をおさえておくことは、叡智の源みたいなものといえます」

わが書斎の荒俣宏コーナー

わが書斎の荒俣宏コーナー

わが書斎の荒俣宏文庫コーナー

わが書斎の荒俣宏・博物学コーナー

わが書斎には、著者の単行本、文庫本、そして図鑑などが並んでいます。本書は、現代日本を代表する「博覧強記」で「知の巨人」が、自身の知的生産の技術、そして読書術を惜しむことなく明かした内容となっています。このような読書や愛読書についての本を読むということは、その人の頭の中をのぞかせてもらう行為です。舞台ならば、バックステージをのぞきながら袖から舞台を見るような感じでしょうか。筋金入りの荒俣ファンであるわたしにとって、これ以上に面白い本はありませんでした。

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