- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.2468 哲学・思想・科学 『工藝への道』 柳宗悦著(講談社学術文庫)
2026.06.02
『工藝の道』柳宗悦著(講談社学術文庫)を紹介します。単行本の初版は、昭和3年(1928年)に刊行されています。人間国宝である十四代 今泉今右衛門氏と「工芸文化」と「儀礼文化」の視点から「日本文化」の本質を語り合う趣旨の対談の参考文献として読んだのですが、大きな刺激を受け、新たな発見も得ました。著者の柳宗悦は、1889年生まれ。東京帝国大学哲学科卒。宗教哲学者、民芸運動の創始者。学習院高等科在学中「白樺」同人。日本民藝館初代館長。「工藝」創刊。1961年没。
本書の帯
本書の帯には、「日用雑器の中に美を発見」「民藝運動始まりの衝撃の書」と書かれています。カバー裏表紙の内容紹介には、「伊賀の種壺、朝鮮の飯鉢、下手物(げてもの)にこそ美が存する。宗教学者から民藝研究家に転じた柳宗悦は、工藝美を提唱、全く新しい美の世界を切り拓き、衆目を驚かせた。健康の美、無心の美、他力の美、恩寵の美。工藝は奉仕の道、工藝において衆生は救いの世界に入る。宗教的表現を鏤め、熱く明快に工藝美を語る本書は、人々に深い感銘と強い衝撃を与えた柳美学出発の書である」と書かれています。
また、アマゾンには「民器こそは工藝の主要な領域である。人々はそれを『雑器』といい『下手物』と蔑んでいるが、・・・・・・渋さの美を知りぬいていた初代の茶人たちは、貴重な彼らの茶器を雑器からのみ選んだではないか。古伊賀の水指は種壺でさえあった。あの茶碗は朝鮮の飯鉢であった。上手の華麗な美で、よく『渋さ』の域に達したものがあろうか。もとより雑器のみが工藝ではない。だが雑器において最も渋い最も自由な生命の美が冴えるのを、誰も否定することができぬ。――<本書「正しき工藝」より>」とあります。
本書の「目次」は、以下の通りです。
「新版の序」
「序」
「凡例」
「緒言」
工藝の美
正しき工藝
誤れる工藝
来るべき工藝
(上)工藝の基礎
(中)工藝と個人作家
(下)工藝と協団
工藝美論の先駆者について
「概要」
「挿絵について」
「解説」水尾比呂志
「緒言」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「工藝 私はこの世界をいかに久しく愛してきたか。いつも1日がそれらのものの中に暮れる。器物とはいうもすでに一家の者たちである。私を訪われる誰とても、それらの者に逢わずしては帰ることができない。だがその多くは見慣れないものに感じられたであろう。私はそれらの多くを見捨てられた個所から救い出した。そのためであろうか、器は特に私の傍に在ることを悦ぶようにさえ思える。かくして長い間、お互いに離れがたく朝な夕なを共に過ごした。そうしてその情愛の中で幾多の秘義が、その匿れた扉を私のために開いた。そうして文字なき真理の文が、数多くそこに読まれた。私は謝恩のしるしにも、示されたものを綴っておきたい」
「緒言」で著者は、美は1つであるが、美の都へ至る道は2つであると考えられると述べます。1つは「美術」Fine Artと呼ばれ、1つは「工藝」Craftと呼ばれます。だが今日まで美の標準は事実美術からのみ論じられました。したがって工藝は低い位置に棄てられ、その意義は全く閑却せられたのです。著者は、「一度眼がルネサンス以前に遡る時、美への見方に一動揺が来ないであろうか。何故ならあの驚くべきゴシック時代では、どこまでも美が実際と交わっているからである。そうしてどこにも個性の跋扈がないからである。そこには自由の美に対して秩序の美があるからである。そこには正しい伝統が守られているからである。絵画でも彫刻でもかかる意味で美術というよりは工藝であった。それは単独な存在ではなく建築の一部でさえあった。同じようにあの優秀な六朝や推古の仏教藝術はむしろ工藝と呼ぶべきではないか。用を離れ美を目的とした個性的な絵画や彫刻では決してない。すべての美は伝統から生れた」と述べます。
もし美術が唯一の高き意味での美を示すなら、わたしたちは現実を離れねばなりません。美は実用から遊離すると考えられるからです。そうして民衆を放棄せねばなりません。美はひとり天才の所業だからです。そうして自然には反逆せねばなりません。個性の勝利に美があると云われるからです。そうして秩序の世界を見棄てねばなりません。自由がより以上の美であると云われるからです。著者は、「認知されるのは『自力美』である。『他力美』というが如きは近代の美ではない。近代ではほとんど考えられない美である」と述べています。
しかし、美術的な美のみが美でしょうか。また、このような美が最後の美でしょうか。現実に即してこそ美の福音がありはしないでしょうか。民衆に美が交わってこそ、美の社会が可能ではないでしょうか。自然に帰依してこそ全き美がありはしないでしょうか。秩序に準じてこそ真の自由がありはしないでしょうか。伝統に準じてこそ安泰な美がありはしないでしょうか。このような世界においてこそ、より純な美が実現されると云えないでしょうか。工藝の美はかかる美ではなかったでしょうか。著者は、「もしそうなら在来の美の標準に一転機が来るではないか。そうして卑下せられ等閑にされた工藝が重大な意義を齎らすであろう。否、工藝の問題こそ近き将来に極めて重要な学的対象となるであろう」と述べるのでした。
「工藝の美」の冒頭を、著者は「心は浄土に誘われながら、身は現世に繋がれている。私たちはこの宿命をどう考えたらよいか。異なる3個の道が目前に開けてくる。現世を断ち切って浄土に行くか、浄土を見棄てて現世に走るか。1つは夢幻に溺れやすく、1つは煩悩に流されるであろう。いずれもが心に満たない時に、第三の道が現れてくる。与えられた現世である。そこには何か意味がなければならぬ。よも空なる世ではないであろう。この世を心の浄土と想い得ないであろうか。この地を天への扉といい得ないであろうか。低き谿なくば高き峯も失せるであろう。正しく地に活きずば、天の愛をも受けないであろう。『身は精霊の宮』と記されている」と述べています。
地をこそ天なる神の住家といい得ないでしょうか。冬枯れのこの世も、春の色に飾られる場所です。地上に咲く浄き蓮華を浄土の花とは呼ぶのです。著者は、「地に咲けよとて天から贈られたその花の1つを、今し工藝と私は呼ぼう。美が厚くこの世に交わるもの、それが工藝の姿ではないか。味なき日々の生活も、その美しさ彩られるのである。現実のこの世が、離れじとする工藝の住家である。それは貴賤の別なく、貧富の差なく、すべての衆生の伴侶である。これに守られずば日々を送ることができぬ。晨も夕べも品々に囲まれて暮れる。それは私たちの心を柔らげようとの贈物ではないか」と述べます。
されば地と隔る器はなく、人を離るる器はありません。それも、わたしたちに役立とうとてこの世に生れた品々です。それゆえに、用途を離れては、器の生命は失せます。また用に堪えられなければ、その意味はないでしょう。そこには忠順な現世への奉仕があるとして、著者は「奉仕の心なき器は、器と呼ばるべきではない。用途なき世界に、工藝の世界はない。それは吾々を助け、吾々に仕えようとて働く身である。人々も彼らに便らずしてこの日を送ることができない。用途への奉仕、これが工藝の心である。それ故工藝の美は奉仕の美である。すべての美しさは奉仕の心から生れる」と述べます。
貧しさや働きに堪えないものは、また美にも耐えられません。益なきものを作るのは、美を乱す所以と知らねばなりません。かつてあの「大名物」は貧しい日常の用器に過ぎませんでした。あの茶人たちが賤が家に炉を切って、簡素な器で茶を立てた時、聖貧の徳に宇宙の美を味わっていたのです。茶器への讃美は、働く器への讃美です。それはもともと雑器であったではないですか。貧しき器、あの「下手」と蔑まれる器は、不思議にも美しい器たる運命を受けます。務めを果す時、人に正しい行があるが如く、器にも正しい美しさが伴うのです。美は用の現れです。用と美と結ばれるもの、これが工藝です。工藝において用の法則はただちに美の法則です。用を離れるかぎり、美は約束されていません。
正しく仕える器のみが、正しき美の持主です。帰依なくば宗教に生活がないのと同じです。奉仕に活きる志、これが心霊を救う道であるが如く、工藝をも救う道であるとして、著者は「実用を離れるならば、それは工藝ではなく美術である。用途への離別は工藝への訣別である。その距離が隔るほど、工藝の意義は死んでくる」と述べます。偉大な古作品は1つとして鑑賞品ではなく、実用品であったということを胸に明記する必要があります。徒らに器を美のために作るなら、用にも堪えず美にも堪えません。用に即さずば工藝の美はあり得ません。これが工藝に潜む不動の法則です。美と用と、その間に包まれる秘義について、深く悟るところがなければなりません。
美術は理想に迫れば迫るほど美しく、工藝は現実に交われば交わるほど美しいのです。美術は偉大であればあるほど、高く遠く仰ぐべきものでしょう。近づきがたい尊厳さがそこにあるではないですか。人々はそれらのものを壁に掲げて高き位に置きます。しかし、工藝の世界はそうではありません。わたしたちに近づけば近づくほどその美は温かいのです。日々共に暮す身ですから、離れがたいのが性情です。高く位するのではなく、近く親しむのです。かくて「親しさ」が工藝の美の心情なのです。著者は、「よき器は愛を誘う。この現実の世界に、この不浄の身に、美がかくも親しむとは、いかなる神の巧みであろうか」と述べています。
深き美術は師とも父とも思えるでしょう。しかしながら、工藝は伴侶であり、兄弟や姉妹です。共に一家の中で朝な夕なを送るのです。そうして、わたしたちの労を助け、用を悦び、生活を温めてくれます。それらの者に取り囲まれて、この世の1日が暮れます。器に親しむ時、真に吾が家に在る思いがするでしょう。どこにも温かい家庭を作ろうと器は求めているます。ここは寛ぎの世界です。安らかさの世界です。器は一家の者たちです。否、器なき所に吾が家はありません。器を愛する者は家に帰ることを好みます。器はよき家庭を結ぶのです。
救いは隈なく渡るでしょうか。衆生の済度はどうして果されるでしょうか。もし知を有たずば神を信じ得ないなら、多くの衆生は永えの迷路に彷徨うでしょう。知の持主はわずかな選ばれた者に限るからです。しかし、神はすべての者に神学を許さなくとも、信仰のみは許すでしょう。この許しがあればこそ、宗教は衆生の所有です。月は台に輝くでしょうが、賤が家をも照らすでしょう。貧しき者も無学な者も、共に神の光を浴びます。イエスは学者を友とするより、好んで漁夫たちに交わったではないですか。救いは知者の手にのみあるのではありません。凡夫も浄土への旅人なのです。
同じような不思議が、美の世界にも起ってはいないでしょうか。美と衆生と、その間に、秘められた約束がありはしないでしょうか。美を握る道が万民にも許されてはいないでしょうか。もし美術のみが美の道であるなら、この望みは薄いでしょう。それはわずかばかりの稀なる天才にのみ委ねられた仕事だからです。しかし、ここにも神の準備は不可思議です。異なる一条の道を通して、衆生にも美の現しが許されています。凡夫さえも美に携わり得る道、それが工藝の一路です。ちょうど無学な者にも神との邂逅が許されているのと同じです。
なぜ手工が優れるのでしょうか。それは自然がじかに働くからです。とかく機械が美を傷うのは、自然の力を殺ぐからです。あの複雑な機械も、手工に比べてはどれほど簡単でしょうか。そうしてあの単純な手技は、機械に比べれば、どれほど複雑でしょうか。機械の作が見劣るのは、自然の前にその力がなおも小さいしるしです。よき工藝は自然の御栄の讃歌なのです。著者は、「かく想えば工藝の美は、伝統の美である。伝統に守られずして民衆に工藝の方向があり得たろうか。そこに見られるすべての美は堆積せられた伝統の、驚くべき業だといわねばならぬ」と述べます。
「試みの1つの漆器を想い浮べよ」と、著者は言います。その背後に打ち続く伝統がなかったら、あの驚嘆すべき技術があり得るでしょうか。その存在を支えるものは一に伝統の力です。人には自由があると言い張るかもしれません。ですが、わたしたちには伝統を破壊する自由が与えられているのではなく、伝統を活かす自由のみが許されているのです。自由を反抗と解するのはあさはかな経験に過ぎません。それがかえって拘束に終らなかった場合がどれだけあるでしょうか。個性よりも伝統がさらに自由な奇蹟を示すのだとして、著者は「私たちは自己よりさらに偉大なもののあることを信じてよい。そうしてかかるものへの帰依に、始めて真の自己を見出すことを悟らねばならぬ。工藝の美はまざまざとこのことを教えてくれる」と述べます。
良い作品を、間違っても1人の作品と思ってはなりません。そこには真に協力の世界が見えます。ある者は形を、ある者は絵附を、あるものは色を、ある者は仕上げをと幾つかに分れて仕事を負いました。優れたほとんどすべての作は1人の作ではなく合作です。あの力もなき民衆がすべてを1人で担わねばならないなら、何の実をか結ぶことができるでしょうか。著者は、「よき作の背後にはよき結合が見える。まして貧しき工人である。相寄り相助けずば、彼らの生活に安定はない。安定を保証するものは相愛である、一致である。彼らは自ら協団の生活を結ぶ。それは共通の目的を支持する相互補完の生活である。正しき工藝はかかる社会の産物であった」と述べます。
そうすれば、1人の作が優れたのではなく、協団に属するすべての者の作が優れたのです。1個の作が美しいのではなく、多くの作が同時に美しいのです。著者は、「あの協団の時代であったゴシックの作を見よ、かつて醜い作があったであろうか。工藝の美は『多』の美である。『共に救わるる美』である。個人作家が現れたのは、協団が破れ個性が主張せられた近代での出来事である。だがあの合作である古作品の美を越え得たものがあったであろうか。そうして彼らよりも創造的な作を産み得た場合があったであろうか。工藝の美は共に活きる心から生れる」と述べています。
よき器には常に秩序の美が映るとして、著者は「秩序は道徳である。徳を守る世界において粗悪なる品質や、粗悪なる仕事が許されようや。工人たちは正しき組織に住んで誠実の徳を支えた。よき品とは信じ得る品との義ではないか。便り得る器との謂ではないか。作の美は信用の美である。材料の選択や仕事の工程に対し、正直の徳を守らずして、どこによき工藝があろうか。工藝の美が善と結合しなかった場合はない。美が善でないなら、美たることもできぬ」と述べます。そして著者は工藝の美を想い、ついに秩序の美を想うといいます。正しき社会に守られなければ、工藝の美はあり得ません。美の消長と社会の消長と、2つの歴史はいつも並びます。工藝への救いは社会への救いであるとして、著者は「現実と美とが結ばれる時、大衆と美とが結ばれる時、その時こそ美に充ちる地上の王国が目前に現れるであろう。この大なる幸福へ私たちを導くもの、それは工藝をおいて他にはあり得ない」と述べるのでした。
「正しき工藝」では、伝統とは過ぎし形ではなく、永遠なものの姿を指すといいます。古えに帰れとは、過去に帰るのではなく永遠に帰れとの義です。時間の世界を云うのではなく、超時間の世界を指すのです。そうして時間に流れる現代を、時間に流れぬ永遠の美に救おうとするのです。復古という意ではない、まして反復とか模倣とかという意味ではありません。否、永遠さに触れることなくして、創造はあり得ないでしょう。著者は、「古作品を凝視せよ、そこには永劫の美が潜む。されば未来をも貫く法則をそこに見出すであろう。もし来るべき時代に正しき作を産もうとするなら、過去の美しい作に潜む不変の法則、すなわち美しさをして可能ならしめたその原理を学ばねばならぬ」と述べます。
「1つの花にも存在の法則が潜むように、あの1つの器物にも工藝の法則が宿る」と、著者は言います。すべてを越えて根柢となる工藝の本質は「用」です。一切の品質、一切の形態、一切の外装、工藝にまつわるすべての出来事はここを中心として転廻します。その焦点を外れるにつれて、工藝たるものの本性も美も漸次に喪失します。それが美しき作となるか、また醜き作に落ちるか、それが徒労なるものに終るか、または価値多きものに転ずるか、すべての神秘は用に交わるか否かによって決定されるのです。
多く作られることによって、工藝はその存在の意味と美とを得るのです。少量の作はここに二重の欠点を受けます。少量であるなら民器とはなりがたいではないですか。それはわずかばかりの富者への用となるに過ぎません。しかし、工藝の理念はこのことを許すでしょうか。数への局限は用への局限です。著者は、「多く作ることなくば、美しく作ることはできぬ。これが工藝に潜む1つの法則である。多産と粗製とが同一義になったのは、工藝が誤った制度の許に、機械生産に移された以後の出来事である。これと共に個人作家の少量の作が、工藝的美において民藝を超え得ないのは、『多』と結合することなくして終るからである」と述べます。
著者は、「私たちは労働を短縮することによって、幸福を保証しようとすべきではなく、労働に意義を感ずるように事情を転ぜねばならぬ。何故なら労働なき所に、工藝の美はないからである。人間の生活はないからである」と述べます。そうならば、工藝の美は社会の美です。もし相愛と協力とが欠けるなら、工藝の美もまた傷ついてきます。工藝には結合せられた社会がなければなりません。協団 Community の生活がなければなりません。著者は、「協団は自ら正しい制度と秩序とを要求する。よく結合せられた組織なくば、正しい社会はない。かかる社会の背景なくして民衆のよき生活があろうか」と述べます。
資本制度は工藝の求める制度ではありません。美が要する組織ではありません。工藝はギルドを求め協団の生活を欲します。健全なる社会と工藝、この二者を分けることはできません。工藝の美は組織美です。人はそれを協団的美 Communal Beauty と呼ぶべきなのです。著者は、「工藝がなぜ手工において、最も豊かな美を示すか。どうして機械的作品が美において劣ってくるか。私の反省は次の真理を語ってくれる。第一手工は自然だからと云わねばならぬ。手より驚くべき器具があろうか。いかに精緻な機械も自然の手に比べるなら、どんなに粗野であろう。機械的作品が劣るのは、あまりにその工程と結果とが簡単であるからと云えないであろうか」と述べます。
著者は、こうも言います。手工には仕事の喜悦が伴うということを。そうして機械にはそれが伴いがたいということを。1つ自らが仕事の主であり、1つは機械への従です。前者には自由があり、後者には束縛があります。ここに作る物への情愛においてまた仕事への満足において大きな差異が現れてきます。そうして美醜の運命がここに定められるのを見逃すことができません。著者は、「よき工藝には自然への全き帰依がある。自然の欲する以外のことを欲しないもののみ正しき存在を受ける。形にしろ模様にしろ色にしろ、もし自然さを無視するならば、処罰はたちどころに来るであろう。逆目を削る大工があろうか。流れに沿う舟は滑らかに走る。『まかせてくれまかせてくれ』と弥陀は叫んでいると教えられる。同じように自然も私たちに向って『まかせてくれ、頼ってくれ』といつも囁いている。自然にまかせきった器、それを美しき器と呼ぶのである」と述べています。
天然に休むが故に工藝の美は地方色に活きます。地には東西があり、処には寒暖があります。もし自然にこれらの異相がなかったら、工藝にも変化は来ないでしょう。そこに現れる特殊性や多様性は地方性の現れです。工藝にはそれぞれの故郷があるではないですか。いや、故郷の名において工藝の名が呼ばれるではないですか。Japanとは漆器を意味し、焼物をChinaと書くではないですか。同じように瀬戸という1個の固有名詞は「瀬戸物」という普通名詞に転じています。「唐津」というのも、その土地を知らない人には焼物との意よりほかないでしょう。「磁器」という2字が磁州窯より起ったのは云うまでもありません。「久留米」とは久留米でできる絣です。「薩摩」というのも同じではないですか。人々は「結城」と云い、「大島」と云い、「八丈」と云います。すべてが郷土を記念する呼び方です。「会津塗」とか「若狭塗」とか、そこには特殊な工藝の特殊な発達を促すべき自然の準備があるのです。著者は、「すべての工藝は処を無視しては決してできない。工藝に現れる変化の美は、風土の美であると云わねばならぬ」と述べます。
工藝においては単純さが美の主要な要素です。形にしてもそうです。複雑ならば弱く壊れやすいでしょう。模様にしてもそうです、あの混雑な模様は用を殺すでしょう。色にしてもそうです、あまり派手やかなものは四囲との調和を破るでしょう。工程においてもそうです、煩雑な道は器の体に病いを起させるでしょう。材料においてもそうです、錯雑なものは結果においても無理を来すでしょう。心においてもそうです、精密な意識は、かえって勢いを器から奪うでしょう。著者は、「何かむずかしい誰にもなし得ないことをなすのは、技巧のことであって美のことではない。ごく普通の道、簡単な法、単純な技、質素な心、それだけで器を現すには充分である。複雑さから得るものは美ではなく徒労である。単純なものほどまちがいがない」と述べるのでした。
「来るべき工藝」の「(上)工藝の基礎」では、もし美術品として作られるものに美しさがあるなら、雑器にはなお美しさが約束せられていると述べています。真に美しい工藝品でかつて日常の用に役立たなかったものがあるでしょうか。そうして牀に飾られる器が、美しさにおいてよく実用の品を超え得た場合があるでしょうか。美しい古作品を列挙するなら、期せずしてその大部分が用具であったのに気づくでしょう。優れた工藝品の数々は実に一種の消耗品ですらありました。しかしながら、捨てられるその運命は、美の世界に受け取られる運命です。著者は、「運命は彼らに美しき器たることを約束せずして、実用品たることを許しはしないであろう」と述べます。
あの日常の世界に美が盛られるとはいかなる摂理でしょうか。あの使役せらるる運命に美が輝くとはいかなる備えでしょうか。そうしてあの美の奢侈にではなく、美の遠慮に、美がいよいよ冴えるとはいかなる意義でしょうか。低いこの世界に交わらずば高い工藝の美はあり得ません。これより驚くべき神秘があるでしょうか。このような摂理があればこそ、工藝には希望ある未来が宿ります。著者は、「来るべき栄誉ある工藝は雑器の工藝であらねばならぬ。救いの誓いが果されるその世界に、工藝の未来を托すほど、安定な措置があろうか。私たちはあの着飾る贅沢な工藝を夢みる心を早く放棄せねばならぬ。そうして雑器を作る場合ほど、美しい作を生み得る場合はないのだと悟らねばならぬ。そうしてあの用いられた雑器ほど牀に飾って美しいものはないと知らねばならぬ。正しい雑器のない世界に、工藝の文化を見出すことはできぬ」と述べます。
「(中)工藝と個人作家」では、工藝と美術は造形美の領域を流れる2つの河であると表現しています。あるいは頂きに登りゆく2つの山路にも例えることができます。泉も頂きも1つであるには違いありませんが、その道筋においては2つです。わたしたちは「工藝の道」をただちに「美術の道」と言うことはできません。しかし、個人作家に現れた近代の工藝を見る時、そこに混同と錯綜とがありはしないでしょうか。むしろ工藝が美術に置きかえられていると言えないでしょうか。かくしてここに「工藝美術」と名づける特殊な一現象が示されるに至りました。いや、それはすでに純工藝ではなく、ほとんど美術と同意義にさえなりました。著者は個人的作品たる「工藝美術」の中に安全に次の事実を挙げることができるとして、「工藝から『工藝美術』に転ずる時、そこには必然に絵画的(もしくは彫刻的)要素が著しくなる。進んで云えばかかる美術的要素がその作品の主要な価値に転ずる」と述べています。
柿右衛門を選んでもそうだといいます。わたしたちは「無地もの」の世界を柿右衛門の中に聯想することができるでしょうか。柿右衛門について、著者は「彼の価値はほとんどすべて絢爛たる赤絵に集中しているではないか、もしその作に絵画的要素がなかったら柿右衛門の存在はなかったであろう。あの仁清もまたこの例に洩れることができぬ。いかに彼の焼物の上に描いた彩画が彼の名を集めているであろう」と述べます。常に最も偉大な工藝家として考えられる光悦においてもそうです。彼の種々な作品を羅列する時、著者には彼の陶器よりも漆器よりも、彩画が最も偉大な作と考えられるといいます。それは真に一宗の開拓でした。光悦に続いて宗達、光琳、乾山と燦爛たる命脈が持続されたのも無理はありません。
個人作家の作は純工藝ではなくして美術です。あるいはこうも言えるでしょう、「工藝美術」なるが故に不純工藝にすぎないと。これゆえに工藝美よりすれば、「工藝美術」の美は純工藝の美に劣ると。美術化された工藝より、純工藝の方がさらに美しいと。著者のこの言い現しは単なる推理ではありません。著者は多くの例を挙げて、個人作家の作で民藝の美を越え得たものがないのを指摘してきました。そして著者は、「個人作家への是認は美術的要素への是認である。しかしかかる要素を来るべき工藝にも要求すべきであるか。工藝をして工藝美術に転ぜしむべきであるか。かかることは可能であるか、また正当であるか。ここに重要な問題が提起される」と述べるのでした。
多くの個人的作家が「工藝」を去って「工藝美術」に転ずるのは、「美術」の分野でなければ個性が現れにくいからではないでしょうか。純工藝に止まることは、それを許さないからではないか。このことから何が導かれるかとして、著者は「工藝美と個性美とが相反撥することを語るでしょう。(あの用途を旨とし奉仕を心とする工藝が、個性を言い張る時、よき器たり得ないことについて私はすでに記した)。それ故個性美は工藝美ではなく美術美である。それなら私は安全にこういうことができよう。個人工藝家の美術的作品に見らるる美は個人美であろうとも、工藝美ではないということを。私たちはその作を通して、作者の躍如たる個性を尊ぶことはできる。だがこれは工藝品としての美を讃えているのではない。人間としての面白味であって、ただちに作そのものの価値とは云えない。人々が在銘のものを尊ぶのは、作者を見て、作そのものを見ていないからである」と述べます。
いわゆる「名工」と呼ばれる匿れた幾多の人々がいます。それらの人々の性格を耳にする時、著者の興味を惹かない場合は少ないといいます。彼らの一生は必然に奇行放逸に富みます。その行為に不道徳な幾多の個所があっても、性格にはなお藝術品たる面影が見えます。しかし著者は彼らの作品に心を惹かれる場合がはなはだ少ないのです。その「名工」の称号は多く技巧のことに属して美に属するのではないとして、著者は「私たちは個性美をただちに工藝美と誤認してはならぬ。否、工藝において個性美はかえって1つの致命的傷を残すであろう。工藝品の価値に関する認識は、作に現れた結果において加えねばならぬ。作者いかんが作品の価値を左右するのではない。もし作者の偉大な個性のみが、偉大な工藝を産むなら、民衆の工藝は全く不可能であったはずではないか」と述べます。
すべての個人作家は自らに向って、鋭くこう反問せねばなりません。それは、「作るものは真に用いらるるものであるか。用途への誠実が果されているか。器の美は用と固く結ばれずしてはあり得ないではないか。もしや用は後で自らを示そうとする心が先ではあるまいか。奉仕は匿れ自我が顕わではないか。よし用いられるとも、あの民衆に役立つものであろうか。また日々の不断づかいに堪えるものであろうか。誰もの役に仕えないようなものを作ることに工藝の目的があろうか。ただ特殊な少数の人にのみ与え得ることに満足してよいであろうか。もし不満足ならそのことへの準備を進めているか。あの普通のものにかえって豊かな美を示している古作品の前に何の弁解があるか。かえって器を民衆の伴侶として作る時に、高い美が生れることを忘れてはいまいか。質素なものに自然の加護があることを無視してはいまいか」ということです。
個人的に作る時、その作品は高価に導かれます。事情はこのことから作家を救い得ないではないではないですか。しかし高価なもののみを作ることは1つの社会的悪を構成しはしないでしょうか。しかも高価な作が美を約束するでしょうか。むしろ廉価が美を約束する場合が遥かに多くはないでしょうか。この事実が破れたのはごく近代のことではないでしょうか。高価ならそれは顧客を富者にのみ予期せねばならないだろうとして、著者は「近代での工藝の堕落が富者の貪欲に起因している事実を否定できるか。その堕落を救おうとする個人作家が、再び富者に依存するとは矛盾もはなはだしいではないか。誰でも買える品を作る時、作る心は一層平和であり安らかではないか。技巧の超過より来る醜さは高価なものを作るところに遠因すると云えないであろうか」と述べます。
このようにして個人的作は日常品になることなく、貴重品に止まりはしないでしょうか。たとえ日用品を作るとも高価なものを日々用いることができるでしょうか。それは床に飾るより仕方なくはないですか。まして最初から贅沢品を作ることに陥りがちではないですか。それは用途を心とする工藝の本旨に悖るではないですか。しかし、多年用につかったものを、床に飾る場合といかに異なるであろうとして、著者は「それは用いられるより見られるがために作られはしまいか。だが古作品は展覧されんために作られたのであろうか。彼らに用具でなかったものがあろうか。工藝を去って美術に転ずるのは、工藝からの離叛ではないか」と述べるのでした。
「(下)工藝と協団」では、著者は人々の家を訪ねるごとに、分割された統一なき時代を感じないわけにいかないと告白しています。室に通れば床には宋画が掛かっています。しかしその前には、あの見るに堪えない今出来の銅器を据えています。主人は茶事を好んで、あの金襴の袋から井戸の茶碗を取り出します。しかし著者をもてなす番茶器はコバルトの湯呑です。そうしてあのヌーボー式の絵を染附けた色絵の菓子器です。著者は洋館に通ります。建物は米国風。応接室の中央に据えられるのは支那黒檀の机。椅子は藤。飾棚はセセッションの組立。一方には禅僧の筆になる五言絶句。一方には油絵裸婦の像。娘は人絹の洋装。息子は久留米絣。著者は、「雑然とした世相のよい展覧会である。不統一な時代に生れた私たちは、かかる不統一を生活の上に強いられている」と述べています。
省みて、著者はこう言います。正しいすべての工藝には、秩序の美があると。それは勝手にできたのではありません。その背後には自然法が潜み、また制度の掟が宿ります。その美は理法の許に生れたのであって、任意に作為されたものではありません。時代や地方によって種々なる異相が示されてはいます。しかし作品の心には共通しています。時と処とを越えた普遍の美が宿ります。正しい工藝時代のものを一室に並べてみます。著者はその間に反撥を見ません。著者は長い間それらのものを室に置いて暮してきました。あるいは宋代明代のものを、あるいは高麗李朝のものを、あるいは足利あるいは徳川期のものを、あるいは西洋ここ数世紀のものを。しかし、このような多様にかかわらず、それが正しい民藝である場合には、渾然として調和します。著者は、「美の本道が示されているかぎり、そこに東西はなく古今はない。私は私の室をそれらの多様においても統一することができる。私は工藝に関する大きな真理をここに学ぶ」と述べます。
工藝には綜合がなければなりません。なぜなら、工藝品は単独に暮すものではないからです。一室には衣、それを入れる箪笥。また一隅を占める机、その上に置かれる多くの文房具。また運ばれる盆、または茶器、菓子器、座蒲団。降って台所に行くならば、甕、鍋、炉等。多くのものが使用を待って準備されます。ひいては料理、またすべてを包むその建築。その間には調和があり統一がなければなりません。これが崩れたのは近代の出来事であるとして、著者は「わずか一時代前まではすべてのものが歩調を並べて進んだ。私たちは今無秩序の時代に活きる。現代における工藝の醜は、無秩序の醜であると云えないであろうか。個性美より、秩序美への転向、私はそこに来るべき工藝の幻像を見守る。もし各種の作に、調和せられた統一を欲しようとするなら、秩序の美をと追わねばならぬ。人々はいかなるものを作ってもよい権利を持っているのではない。正しいものを作るべき義務を負担する。そうして正しさはただ自然の法則と組織の法則とに準ずる時のみ可能である。正しい工藝は秩序の工藝である。ゴシック代を見よ、宋代を見よ、そこに秩序の美が乱れたことがあろうか」と述べます。
工藝に美を求めて、ついに社会に美を求めるに至りました。強き組織、固き結合、正しき秩序、完き統体、これらのことなくして工藝の美はあり得ません。進んではそれらのものに工藝の美の相を読むことができます。このような美を求める時、著者は古くして新しき「協団」の理念を描きます。協団は理念であり、イデアです。著者はそれを単なる方法とか手段とかに数えているのではありません。協団そのことに一切の目的界を観じるのです。それは目標であって道程ではありません。あの美を司る王国を協団と呼び、著者は「美を追うたラスキンはギルドを試み、モリスもまた同じ道を辿った。彼らの心の求めが今また私の血脈にも通う。協団の幻像がはてしなき世界に私を誘う。私は与えられた運命に忠順でありたいと心より乞い希う」と述べています。
著者は来るべき工藝を可能とする根拠を3つ挙げます。何よりも第一は、工藝に対し不可思議にも仕組まれた恩寵の摂理です。あの群衆にすら美の一路が許されている他力成就の事実です。この根拠なくしてどこに大衆の工藝があるでしょうか。続いては、目覚めたる個人の指導です。僧なき宗団があるでしょうか。失われた美の目標を指示するものは、彼らの叡智ばかりです。先導と民衆との結合、ここに工藝が実現されます。第三は、協団の力です。よき組織なくしてなんの正しい労働があるでしょうか。工藝を守るものは制度です。それも相愛補佐の同胞的結合です。結合なくして救済はありません。著者はこのことを宗教に例えることができるといいます。第一は神の恩寵、第二は僧と平信徒、第三は教会。この結縁をおいて、信の王国は成り立つことができません。そうして美の王国もまたこれらの順次と結合とをおいては不可能なのです。
「工藝美論の先駆者について」の冒頭を、著者は「私は私の工藝美に関する思想において極めて孤独である。幸か不幸か私は先人に負うところがほとんどない。私は目前にある驚くべき工藝品彼ら自身から直接教えを受けたのである。そうして親しい数人の友達のみが、私の近くに温かく想い起されるだけである。私は今日まで工藝美に関する正しい著作に廻り逢った経験をもたない。私の前には私の見解と縁遠き幾多の本が思い出されるばかりである」と書きだしています。
「概要」では、以下の問答が行われます。
問 工藝とは何か。
答 工藝とは、実用品の世界を指して云うのである。この点全く美術と異なる。絵画は見るために画かれる美術品であるが、着物とか机とかは工藝品であって使用するために作られるのである。
問 工藝美とは何か。
答 用に即する美を云うのである。用に即するとは、用品たることという義であるから、その美は用たることから発するのである。用を離れて工藝美はない。したがって用に堪えぬ作品、または用を無視した作物は、自然工藝美を保ちがたい。
また、以下の問答も行われています。
問 用とはどういう意味か。
答 器物はただ使うのではなく、見たり触れたりして使うのである。もし唯物的意味にのみとるなら、例えば模様というようなものは全然無意味となろう。しかしよき模様は用の働きを増してくるのである。かかる意味でそれもしばしば用のなくてはならぬ一部になる。これに反し心に醜さを感ぜしめるものは、いくら物への用とはなっても、用の働きを鈍らしてくる。
さらに、以下の問答が行われています。
問 工藝の美の特質は何か。
答 工藝美の特質は「親しさ」の美である。器物は日々共に暮す性質をもつ故、自から親しさの美が要求される。したがってそこは「潤い」とか「趣き」とかの世界である。特に工藝品において人は「味わい」とか「雅致」とかを語るではないか。それ故崇高とか巨大とか高きに仰ぐ美たるよりも、近くに親しむ温かさの美である。このことに工藝と美術との目立った差異が見える。
好んで在銘の作を尊ぶ人がいますが、彼らは名を購っているので、器そのものを見ているのではありません。また官の貴族的作は、主として技巧的作に流れるため、美の本道からは離れてきます。著者は、「不思議にも美をねらってできた美藝品より、民藝品の方がさらに器物としては美しい」と断言します。また、「民藝美の1つの著しい特質はそこに個性癖が見えない点である。ものそれ自身が美しいので、作者の特殊な個性が美しいのではない。あのペルシャの絨毯を見られよ、何の某が作ったかを問うことなくしてその美を感じる。そうしてそれは仕事に携わるどのペルシャ人も作り得たのである。しかも分業によって多くの者が合作したのである。いかに美しくともそこには一個人に限られた世界はない。しかも誰も作ったあの絨毯に、醜いものがあったろうか。工藝は個性の工藝に止まってはならぬ」とも語っています。「無学な職人たちから生れる民藝がなぜ美しくなるか」という問いに対しては、著者は「職人たちの無学とか無知とか、無個性とかいうことに、美を生む力があるのではない。だが自然に従順であるため、自然が彼らに美を保証してくれるのである。民藝の美は他力的な美である。自然な材料、自然な工程、素直な心、これが美を生む本質的力になる。それ故民藝の美は『救われる美』である」と答えます。
「それなら個人的作家に美しい作はできないか」という問いに対しては、著者は「絶対にできないというわけではない。しかし個人道は極めて難行道だと知らねばならない。個性に滞っているかぎり決して民藝のような無想の美に到達することはできない。知識ある者で純な信仰をもち得る者が稀の稀なのと同じである。自力の道を歩む者には、禅僧の如き大修行を要する。個性への執着は、器の美を保証しない。まして個人的仕事において、いかに多く工程上に技術上に無理が生ずるかを誰も経験するであろう。もし個人道が工藝の本道なら、民衆の工藝は、低き工藝となるであろう。なぜなら民衆には個性らしき個性がないからである。知識らしき知識がないからである。だが不思議にも工藝はかかる民衆の間においてさらに美しい花を開いた。これは個人道がいかに至難なものなるかを語っている。稀な天才のみがわずかによい作を示し得るに過ぎない。現代に個人工藝家は群り起る。だが彼らのすべてが稀に見る天才だと誰が云い得よう。天才は一代に一人あるかなしかである。これは統計が示す冷酷な真理である。世はすでに救われざる工藝家の作の多きに悩む」と答えます。
著者によれば、個性美の表現が作の目的なら、工藝の道は不自由な道だといいます。むしろ美術の道を選ぶ方が遥かに適するでしょう。個性に終るものは、工藝そのものの性質に合わないからです。著者は、「しかし民藝がはなはだしく堕落してきた今日、何が美の目標であるかを示してくれるものは、個人的作者よりほかにない。道が見失われた今日、私たちは美に対する正しき鑑賞や認識をもつ者を必要とする」と述べます。実際個人作家は工藝に対する方針の指示者であって、大成者ではありません。かりに作者が1つの壺を作り、その上に山水の画を描いたとします。そうしてそれを見本として民衆が何千何万と作り得たとします。すでに見本を意識せずに作り得るまでに熟達したとします。その時はそれは美において、遥かに見本よりも美しくなっているでしょう。それはすでに美術ではなく民藝になりきってくるからです。著者は、「それ故、個人的作は美においてはいつも民藝に劣る。その価値は主として思想的貢献である」と述べます。
「個人的工藝の社会的欠陥はどういう所にあるか」という問いには、著者は「少数よりできないこと、高価となること、用途より離れ装飾品に堕すること、よし用途のために作られても高価である故日用品にならぬこと、贅沢品となること、始めから骨董品となること、民器とならぬこと、したがって民衆の生活とは没交渉になること、顧客は独り富者のみとなること。一言で云えば用途への分離であり、民衆との離別である。このことは『工藝たること』への致命的傷ではないか。何故なら『用』を離れて工藝は意味なく、『民』を去って工藝美は失われてくるからである」と答えます。
一言でいえば、人智は自然の前にはなお愚かであると言うことができます。あの精細な学識より出た化学染料が、色調において至純な植物染料に勝った場合はほとんどありません。著者は、「現代の私たちは千余年前にできたあの中宮寺に蔵する『天寿国曼荼羅』の色彩の前に、何の色をか持ち出し得よう」と述べるのでした。ちなみに「天寿国」はわが父が強く憧れた聖徳太子もおられるという仏教的ユートピアです。概して見れば機械が複雑になればなるほど、人はその奴隷に陥りやすいと言えます。それが道具に止まるほど、人はその主たりやすいでしょう。しかし人口の増加は昔のような道具時代を許しません。著者は、「私たちは前代よりも遥かに多くの機械を必要とする。しかしそれが過剰になる時、再び人間を拘束する。この明らかな2つの矛盾の間に立って、どうこの問題を処置すべきかが重要である。恐らく最も怜悧な処置は、動力において、また『下ごしらえ』において機械に拠り、仕上げにおいて手工に依ることにあるであろう。それによって双方を緩和することができる。手工のみでは労力の徒費があり、機械のみでは美の抹殺が起る」と述べています。
「手工藝はすでに過去のものではないか」という問いには、著者は「そうは思わぬ。私がここに手工藝というのは反機械主義という意味ではない。手工を補佐する機械を無視するのは無益である。だが手工を殺傷する機械を謳歌するのは一層無智である。手工藝には人間の正しい幸福を保証する不変な力が宿る。なぜなら手工藝には自然の加護があるからである。手工藝への無視は、1つには作への無視であり、2つには仕事への無視である。私たちは機械製品において醜き作のあまりにも多くに接し、かつはその労働が単なる苦痛に終ることを経験し過ぎている」と答えます。「今日まで『下手物』の美を深く鑑賞した人があるか」という問いには、「私たちは初期の茶人たちを挙げる。いわゆる大茶人と称せられる人々で珠光とか紹鴎とか利休とかまたは相阿弥のような人々である。下っては光悦らもそれらの間に列する。それらの茶人たちほど民藝の美を深く見守った人々は世界にない。工藝品に対する日本人の卓越した愛慕は、全く茶道に涵養されたものだと云ってよい」と答えています。
「どこに初代の茶人たちの偉大さがあるか」という問いには、著者は「彼らの創造的直観である。その自由さである。人々が全く顧みずつまらないものとした雑器の世界から、驚くべき美を取り出してきた。民藝の美的価値を彼らほど鋭く見た者はない。彼らは『下手物』以外のものを茶器に選んでおらぬ。あの「大名物」は皆数銭もしない日常品たる『下手物』である。茶室といえども民家の美が規範である。彼らは『民』の世界に最高な美の姿を見た。渋さの美、玄の美を見た。この玄境に遊んで静慮三昧に入った。茶道は美の宗教である。彼らは清貧の美を味わっていたのである。鑑賞もここまで進めば生活である」と答えています。
さらに「何が工藝美の原則であるか」という問いには、著者は「工藝美の原則は一般精神の法則と変りはない。宗教が与える経典の言葉以外に美の法則はない。正しい1つの工藝品は聖書の一節である。ただ文字の代りに質や形や色や模様で真理が語られているだけである。あのゴシック時代の工藝とその時代の神学とは同じ精神を述べているのである。あの宋代の工藝とは同じ精神法を語っているのである。1つの作にも我執を慎む教旨や、無念を念とする禅意や、どうして衆生が救われるかのあの他力観が具体的な形において説かれているのである。信と美とは唯一なるものの異なった面に過ぎないからである。私はこれで工藝が何を意味するかを、ほぼ説き得たと思う」と答えるのでした。見事な回答であると思います。
「解説」の冒頭を、美術史家で武蔵野美術大学名誉教授の水尾比呂志氏は「昭和2年(1927)4月、武者小路実篤編輯の雑誌『大調和』(春秋社発行)が創刊された。柳宗悦は、初号から『工藝の道』と題した寄稿を行い、翌3年1月号まで9回を重ねて完結した。連載を終えた宗悦は、改訂増補を施し、序と挿図二十六図とその解説を付して、3年12月20日、『工藝の道』の原題のまま『ぐろりあ そさえて』から上梓した」と書きだしています。民藝の分野のみでなく、工藝全般を対象としたこの未曾有の大著は、情熱的な論調と明快な論旨で、まず工藝の美の性質を述べ、工藝の本道は何かを論じ、いかなる工藝が最も美しいかを説き、来るべき工藝のあり方を示すと紹介しています。さらに、「工藝美論の先駆者の足跡に言及し、最後に問答体の要旨を添えて内容の理解を容易ならしめる周到な叙述によって、工藝問題の本質と展開とを論じ尽す」とも書かれています。
よき作は1人の作ではなく、協力の世界の産である。力なき民衆は相寄り相助けずば暮しを安んじられない。彼らは協団の生活を結び、協団によって救われたとして、水尾氏は「古きよき工藝は協団の作、その美は『多』の美、社会美であった。集団の世界はおのずから秩序を求め、道徳を形成する。粗悪な品、粗雑な仕事は許されず、誠実さと信用とが求められた。材料や仕事に正直の徳を守らずして、よき工藝はない。工藝の美は善と結合した。それも凡庸な民衆の工人個々の力ではない。相互補助の相愛の社会の力であった。美しき工藝は善き社会の反映である。正しい社会に守られなければ工藝の美はあり得ない。それは、工藝の救いは社会への救いであることを意味する。美に充ちる地上の王国という幸福へ私たちを導くもの、それは工藝をおいて他にあり得ないのだ」と述べます。ここでいう「相互補助」とは「相互扶助」と同義語でしょう。そう、協団とは互助組織なのです。
柳宗悦が工藝の美に惹かれた所以の最も大いなるものは、そこに信の秘義が確かな姿において啓示されているということにあった、と水尾氏は指摘します。柳は宗教の真理への探究を離れて下手物の如き奇異な世界に外れた、と嘆じる人々に対して、彼は本書『工藝の道』の「序」に、「工藝という媒介を通して、私の前著『神に就て』においてようやく模索し得た最後の道、『他力道』の深さと美しさとをまともに見つめたのである。したがって工藝を物語ってはいるが、私としてみればやはり『信』の世界を求める心の記録である」と答えているとおりだといいます。水尾氏は、「宗教の法則はただ宗教のことのみではなく、万般の事象は皆同じ法のもとに育まれている、というその確信を、彼は工藝の実相から観てとった。そして、これからのちの生涯を通じて、執拗に、倦むことなく、この真理の宇宙を深く深く探り続けて行くのである」と述べます。
『工藝の道』の叙述は、さらに「正しき工藝」の性格を明らかにするために、「誤れる工藝」の状況を検討して何故にその過誤が生じたかを解明します。わが国の工藝史を顧みると、近世桃山期に入って、工藝の全体的な規模や多様性が増大するにつれて、宗悦の所謂「正しき工藝」から外れる傾向、すなわち工藝の美術化・奢侈化・技巧化などの現象が顕著になってきています。江戸期はそれがさらに進んだ時代でした。明治の文明開化は、機械工藝という新たな領域を勃興させて、手工藝そのものを凋落せしめる事態を招きました。水尾氏は、「明治20年代以降、明らかに工藝は衰退し、危機に陥っていた。古作品の賞玩が盛んとなり、個人作家の活動が興起したのは、そのことへの反応と見ることもできる。宗悦の工藝思想も、衰弱し堕落した工藝の現状への嘆きをひとつの契機として形成されたものにほかならない。古作品の美に惹かれる眼と心がそういう状況を座視し得なかったのである」と述べます。
本書について、水尾氏は「柳宗悦の本質がここに明示されている。何故に彼が工藝の美に惹かれたのか。工藝の美の解明に力を尽したのか。工藝の美の鑑賞から正しき工藝の製作へと足を踏み出したのか。そして社会の改革にまで言い及ぶのか。何故にさほどまで『協団』を希求するのか」と読者に問いかけ、「宗教哲学者柳宗悦は、宗教者であり、求道者であったからだ。神を求め、仏を慕い、現世を神の国仏の浄土たらしめんことを念願とする行者であるからだ」と答えます。「下手物」を通じての工藝の美との邂逅において、柳宗悦は、恩寵の摂理を目のあたりに見ることによって、みずからの宗教哲学の在り方の大道を見出し得たのです。「協団」にメシアニックな意義を見出すその思想は、工藝の美によって完き裏打を施されたと指摘し、水尾氏は「『工藝の道』は、無上なる存在への宗悦の帰依の書であり、民藝運動は、使徒として僧侶としての彼の行にほかならない」と述べるのでした。