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2026.06.24
コロナ禍のあいだに書き溜めていた書評ブログを蔵出しすることにしました。今回は、『コティングリー妖精事件』井村君江/浜野志保編著(青弓社)を紹介します。「イギリス妖精写真の新事実」というサブタイトルがついています。コティングリー妖精写真は、1917年と1920年にイギリスのコティングリー村に住んでいた従妹である2人の少女フランシスとエルシーが野外で出会った妖精の姿を撮影した不思議な写真です。公表されるやいなや真偽が話題になり、「シャーロック・ホームズ」シリーズの作者アーサー・コナン・ドイルなどを巻き込んで、当時のイギリスにセンセーションを巻き起こしました。この事件の調査に関わった神智学者エドワード・L・ガードナーが所有していた鞄が、100年を経て海を渡り、日本にやってきました。その鞄に入っていた貴重な新資料である「2人の少女と妖精」の5枚の写真プリントやネガフィルム、未公開の写真、手書きの手紙・文書などがフルカラーで紹介されています。資料の詳細な解説に加えて、社会的・文化的な背景や心霊写真との比較、写真にだまされる「楽しみ」を論じる論考も所収して、妖精写真から人々の感性や時代性を浮き彫りにした本です。
本書の「目次」は、以下の通りです。
まえがき――「コティングリー妖精事件」の存在意義
(井村君江)
なぜいまになってコティングリー妖精事件か?
(吉田孝一)
第1部 新資料
「エドワード・L・ガードナーの鞄」
第1章 新資料「エドワード・L・ガードナー遺品」紹介
第2章 ガードナーの鞄の意味(井村君江)
第3章 新史料に見る「コティングリー妖精写真事件」
の再演、再構成の可能性(井沼香保里)
第4章 妖精写真奔走記(浜野志保)
参考 コティングリー妖精事件の主な関係者
第2部 コティングリーはいま
第5章 現在のコティングリー(写真:谷津翆)
第6章 コティングリーのいま、リーズ大学調査
(井村君江)
第7章 「コティングリー妖精事件」100周年記念講演
/現在のコティングリー村(富田実加子)
第8章 ヘイゼル・ゲイナー氏インタビュー
(富田実加子)
第3部 妖精事件をめぐって
第9章 コティングリー妖精写真と心霊写真(赤井敏夫)
第10章 ジョー・クーパー(井村淳一)
第11章 妖精写真「ごっこ」の真実(鏡リュウジ)
第12章 ポスト・ファクチャルな
フェアリー事件のこと(高山宏)
第13章 写真にだまされる楽しみ(浜野志保)
第14章 コティングリー妖精写真の航跡をたどって
――エドワード・ガードナーの鞄と
ガラス乾板の冒険(メリック・バロー)
妖精写真ふたたび――あとがきにかえて(浜野志保)
あとがき(井村君江)
第2部「コティングリーはいま」の第8章「ヘイゼル・ゲイナー氏インタビュー」では、2017年8月に「コティングリー妖精事件」を題材にした小説、The Cotingley Secretを発表したアイルランド在住のヘイゼル・ゲイナー氏のインタビュー記事が掲載されています。インタビュアーは、某ブライダル誌の広告ディレクターで、イギリス文化に関するフリーライター・翻訳家としても活動する富田実加子氏です。富田氏が「コティングリー妖精事件」の最も魅力的な点は何だと思いますか?また、なぜいまになっても人々はこの事件に魅了されるのだと思いますか?」と質問したところ、ゲイナー氏は「おそらくこの事件のいちばん面白い点は、フランシスが生涯にわたって、写真は作り物でも、コティングリー村の小川で実際に妖精を見たと主張し続けたところだと思います。フランシスは自身の主張について適切な科学的検証が一度もなされなかったことはとても残念だと言っておりました」と答えています。
また、ゲイナー氏は「おそらく偽造した写真は彼女が実際に見たもののカモフラージュ役として機能していたのでしょう。また、フランシスは5枚目の写真は本物だと主張していましたが、いまでも家族は、最新技術のもと、あの写真が本物の妖精を写していたと証明されるよう調査を希望しているとも語っていました。それが本当になされたとしたら、とっても面白いですよね!」「第1次世界大戦である1920年代の人々が経験したのと同じくらい、現代の私たちも激動の時代を生きています。このような話や妖精が本当に存在するのかもしれないという可能性は、この世界に必要不可欠な魔法を与えるのだと思います」とも語っています。
第9章「コティングリー妖精写真と心霊写真」では、神戸学院大学人文学部教授(近代アイルランド文学、エソテリシズム研究)の赤井敏夫氏は、「ドイルの主な関心は妖精を撮影したとされる特殊な写真の信憑性を確証するのではなく、より一般的に、撮影者に霊能が備わっていれば霊的存在を写真撮影することが可能になるという心霊主義説を例示することにあったということである」と述べています。
第10章「ジョー・クーパー」では、イギリス在住の作家である井村淳一氏が、「妖精写真のような超自然現象に関する事態になると人々の間では、感情が高まり、『信じたい』人たちと『信じたくない』人たちとにハッキリ分かれる。科学のように、証拠で解明されるまでに中立的な立場をとる人はいない、というのは、正しい科学的な証拠を目撃することはほとんどないからである。アーサー・コナン・ドイルは、『信じたい』人たちの1人であり、コティングリーの妖精写真を妖精が実在する証拠として紹介した。だが、彼は一般人たちを説得させることができず、妖精写真は、ジョー氏が再び紹介するまで、65年間潜んだ存在になっていた」と述べます。
第11章「妖精写真『ごっこ』の真実」では、占星術研究家の鏡リュウジ氏が、1「妖精写真の魅惑――フェイクだとしても」として、「ある種、この妖精写真は『イコン』(聖画)であるといえるかもしれない。イエス、マリア、セント・ジョージの竜退治、あるいは菩薩などを描いた聖なるイコンを考えてみよう。それらは客観的な視点で考えれば、実在の存在を“写実的に”、写真のような証拠として写し取ったものではない。しかし、だからといって『これはフェイクだから信じるに値しない』という人がいるとしたら、そんな輩は無粋にして鈍感にすぎると言わざるをえない」と述べています。
また、少女たちが作り出した「妖精写真」は素朴で稚拙かもしれません。しかし、その構図やイメージが与えるインパクトの大きさたるやばかにできないものがあるとして、鏡氏は「無垢な少女たち。小さな自然の精霊たちと、それを生かしているかもしれないと思わせる自然環境。完璧なシンボル群である。一度でもこの妖精写真を見たなら、その印象は強く残る。実際、ドイルが本物だといったあの妖精写真、というと、特に妖精に関心をもたない友人たちも「ああ、見たことあるよ、偽物だけどあの有名でかわいいやつね」と即座に反応することが多い。それだけの力が画としてあるのである。もはやこれは、ユング心理学でいう元型的なイメージだといっていいだろう。この写真は、外的な事実ではなく、僕たちの深いところに内在する、心象風景を写し出しているのである」と述べます。
さらに、3「真贋論争の背景」として、鏡氏は、スコットランド出身の音楽家で著述家であるR・J・スチュアートは自ら妖精体験をもち、かつ妖精たちの世界を「アースライト」と呼んでその世界と接触する瞑想方法などを教えたことを紹介します。1992年のスチュアートの著書『アースライト』の冒頭ではっきり「私は妖精世界を含む、地下世界(Underworld:引用者注)の実在性を論じたり、証明する必要性を感じない。それは世界中のいにしえの伝統によって保証されている」と述べています。そして、この本が「純然たる妖精伝承」の現代的な継承を唱導し、「私たちの知覚を開き、私たちの自然との関係性を大きく変容させるイマジネーションについての本である」というのでした。
さらに、3「『ごっこ』が写し出す妖精たち」として、鏡氏は「『ごっこ』は重要である。切実な気持ちを込めて彼女たちはエミールが創作した妖精の占いやおまじないを実践していたはずだ。妖精たちの存在をリアルに感じ、妖精たちに教えられた魔法の効果を『信じ』ていたはずなのである。しかし、その一方で彼女たちは正気でもある。妖精魔法を信じる心と健康な意識が共存する。少女時代から思春期への移行期に生まれてきた、この繊細で多層的な妖精体験のありようは、コティングリーの妖精事件に真贋論争を超えた別な視点を与えてくれるように僕には思えるのである」と述べています。
あくまでも想像ではありますが、「妖精写真」を現出させたのは、少女たちの偽善や悪意からではなく、かぎりなくリアルな「ごっこ」だったのではないかとして、鏡氏は「彼女たちは半ば無意識的に彼女たちが『見ていた』妖精を、その場にあった絵本の絵をブリコラージュ的に利用して描き出し『写し出した』のではないかとさえ思うのである。それは単純な意識の産物ではない。自律的な想像力が動きだし、イマジナルな(単なるフィクションであるイマジナリーなのではない)存在が生き生きと少女たちの世界に顕現し始めた。大胆な表現を許していただければ、それらを神々の、あるいは妖精の造形作品として鑑賞することもまた可能であろう」と述べます。
そして、鏡氏は「妖精事件を追うガードナーやドイルの記述で特に印象的だったのは、少女たちはいまや思春期に入りつつあり、恋をしてその霊視力を失ってしまうのではないか、だから調査を急がなければならない、という性急感である。それは文字どおり、性的体験をすることによっての霊能力の喪失と捉えられていたのだろうが、僕には子ども心から思春期への微妙な移ろいの時期にだけ生み出せる、『ごっこ遊び』と『トリック』と『霊的感受性』の美しい混交可能な時期が終わりつつあることを意味しているようにも見えるのである」と述べるのでした。
第13章「写真にだまされる楽しみ」では、千葉工業大学創造工学部教授(近代ヨーロッパ視覚文化史・周縁科学文化史)の浜野志保氏が、コティングリー妖精写真が、著名人を含む多くの人々を、かくも長きにわたってだまし続けることができた理由について、「写真を作り上げた少女たちよりも、むしろ写真を目にした人々の側に関わっているように思われる。コティングリー妖精写真には、田舎に住む少女たちが撮影した、という物語が常に付随している。最初の写真が撮影された1917年には、すでに数多くの偽心霊写真のトリックが暴かれていて、この手のパラノーマル写真に対しては常に懐疑の目が向けられていた。だが、うさんくさい写真霊媒ではなく、いかにも無垢そうな少女たちを疑うことは、善良な人々にとっては心苦しい行為である」と述べています。
さらに、妖精という被写体の特殊性も看過できません。コティングリーでの調査に参加したエドワード・ガードナーやジェフリー・ホドソンは神智学者であり、妖精の存在に重要な意義を見いだしていましたが、一般の人々にとっても、妖精の存在は身近なものだったことを指摘しています。浜野氏は「今日でも、妖精の存在を信じる人は少なくない」と述べます。わたしは、昔からコティングリー妖精事件に強い興味を抱いていて、関連書籍もたくさん読んできましたが、最新の研究成果が集結された本書は「コティングリー妖精本」の決定版であると思いました。いつの時代も、人間はサンタクロースや妖精や妖怪や幽霊を必要とする存在なのでしょう。