No.1043 エッセイ・コラム 『あなたに褒められたくて』 高倉健著(集英社文庫)

2015.02.25

 東京に来ています。24日の午後、所要があって「丸の内TOEI」の前を通りました。わたしは自身のブログ記事「高倉健さん逝く!」、同じくブログ記事「健さんに献花しました」にも書いたように、昨年11月に俳優の高倉健さんがお亡くなりになられたとき、わたしは「丸の内TOEI」に設置された健さんの献花台を訪れ、心よりご冥福をお祈りしました。あれ以来ずっと「健さんブーム」が続いている観がありますが、この『あなたに褒められたくて』は、健さんがさまざまな素敵な体験を綴った初エッセイです。

 最初の「宛名のない絵葉書」から最後の「あなたに褒められたくて」まで、語り口調で書かれた23の素朴なエッセイから著者の誠実な人柄が偲ばれて胸を打たれます。著者は、散髪に出かけた理髪店で、プロ野球の村田兆冶投手の試合のTV中継を観て感激、わざわざ村田投手の自宅まで花束を贈り届けます。また、著者は長野の善光寺参りを30年間も毎年欠かしませんでしたが、その理由が心に沁みました。さらには、著者が中国のファンから子どもの写真をプレゼントされたエピソードには泣けました。こんなハートフルなエッセイが満載の本書をこれまで未読だった自分を恥じました。

 「宛名のない絵葉書」では、著者がレナウン「シンプルライフ」のCMロケで訪れたポルトガルのサンタクルスで書いた絵葉書のエピソードが綴られます。その絵葉書には「ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬の、村はずれのカフェで、この葉書を書いています。夕陽が大西洋に沈む、そのときを待ちながら、なぜかあなたのことをとっても思っています」と書かれていました。こんなメッセージが書かれたポストカードを送られた相手はさぞ感動することでしょう。

 しかし、著者は「書き終えてから、誰に書いているのか、わからなくなってしまった。いったい誰に出したらいいんだろう、とぼくは落ち着かなくなって、パタッとやめちゃってね」とエッセイに書いています。そんな著者の様子を見て、マネージャーは「誰に出しても、もらった人は喜びますよ。誰でもいいから出すことですよ」と言います。でも、著者は「そんな失礼なことできるか」と思って絵葉書を旅行鞄の中へ納めるのでした。こんな渋いエピソードが冒頭から登場するのですから、健さんファンにはたまらないことでしょう。

 「十二支のコンパス」では、著者が出演した「八甲田山」や「居酒屋兆治」や「あ・うん」や「夜叉」といった映画の具体的なエピソードを挙げて映画製作に関わるスタッフについて語ります。著者は以下のように書いています。

 「スタッフ同士の呼吸は、お寿司屋さんとお得意さんとの関係に似ているという人がいる。寿司屋さんが握る。ポンと出す。さっと食べる。次は何を注文するだろうか、と当たりをつけていると、そのとおりのものが、注文される。素早く握る。するとまたほどよい間を置いて食べる。本当にいいものを出して『美味いね』と言う人と、何出しても、『美味いね』って言う人とでは鮪の切り方も違っちゃうって言いますよね。
 そういうなにかジャブの応酬みたいのあるらしいですよ。
 なるほどなあ、スタッフ同士も大変なんだなあって」

 「ウサギの御守り」では、「愛するということ」が語られます。著者は、まるで散文詩のようなエッセイの最後にこう書いています。

 「『愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います』
 『幸福の黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答でした」

 そして、何よりも心を動かされるのが「あなたに褒められたくて」です。著者は非常に親孝行な人だったそうですが、以下のように書いています。

 「あの『八甲田山』やって、母が観に行った後、『あんたも、もうこんだけ長い間やってるんだから、もうちょっといい役をやらしてもらいなさいよ』って言う。『もうその雪の中ね、なんか雪だるまみたいに貴方が這い回って、見ててお母さんは―切ない』って。『あんた、もうこんなにやっているんだからね、もう少しいい役やらしてもらいなさいよ』って」

 続いて、著者は以下のエピソードを明かします。

 「僕が荒れ性であかぎれが切れたり、いろいろするってのよく知ってるんですよ。任侠映画のポスターでね、入れ墨入れて、刀持って、後ろ向きで立っているやつでね、全身の。肉絆創膏を踵に貼ってたんですよ。
それを、『アッ、あの子、まだあかぎれ切らして、絆創膏貼っとるばい』って。見つけたのは、おふくろだけでした。全身のポスターで、誰も気がつかない。『あんたがね~可哀想』」

 著者は歌手の江利チエミと家庭を持ちましたが、離婚します。離婚して2、3年たってから、著者の母は毎年お見合い写真みたいなのに履歴書入れて送ってきたそうです。著者は次のように書いています。

 「”帰っても誰もあなたを迎える人がいない。それを思うと不憫だ”って、毎回書いてありましたよ。『お母さん。あなたが思っているより、僕ずーっともててるんだよ。教えてやりたいよ本当に』『バカ』って言ってました。頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います」

 『あなたに褒められたくて』という本書のタイトルのミソは、「あなた」が誰かということです。それを明かすのは一種のネタバレかもしれませんが、本書の単行本が1991年に刊行され、93年には早くも文庫化されていることを考えれば、もう時効でしょう。ずばり、「あなた」とは著者の母親のことなのです。

 この母が亡くなったとき、著者は告別式に行かなかったそうです。「あ・うん」の大事なシーンを撮影してるときだったからです。しかし、「葬式に出られなかったことって、この悲しみは深いんです」と著者は書いています。以下に、最愛の母を失った著者の深い悲しみがよく表現されています。

 「実家へ行く途中、菩提寺の前で、車を停めてもらって、母のお墓に対面しました。母の前で、じーっとうずくまっているとね、子供のころのことが、走馬灯のようにグルグル駆けめぐって・・・・・・。寒い風に吹かれて、遊んで帰ると膝や股が象の皮みたいになってて、それで、風呂に入れられて、たわしでゴシゴシ洗ってくれたのが痛かった。そのときの母のオッパイがやわらかかったこととか、踵にあかぎれができると、温めた火箸の先に、なにか、黒い薬をジューッとつけて、割れ目に塗ってくれた。トイレで抱えてもらって、シートートー、とオシッコさせてくれたり、反抗して、シャーッと引っかけたり。なにか、そんなことばかりが頭の中にうず巻いて」

 そして、「あなたに褒められたくて」には、こう書かれています。

 「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました」

 この一文を読んで、わたしはさわやかな感動を覚えました。人間にとって、褒めてくれる人がいるといないとでは大違いです。褒めてくれる人の存在は、ベストを尽くして頑張る活力の源だからです。そして、つねにわが子を褒めてくれる親の存在がどんなに大きいか・・・。それは、つねづねわたし自身が痛感しています。

 ちなみに、わたしのブログ記事「悼む人」で紹介した映画には、椎名桔平扮する蒔野抗太郎という雑誌記者が登場します。彼には余命幾ばくもない父親(上條恒彦)がいましたが、子供の頃からの確執によって袂を分かったままでした。

 最後まで抗太郎は父を許さず、「抗太郎に会いたい」「抗太郎をよべ」という父の愛人からの伝言を無視し続けて、とうとう父親の死に目に会えませんでした。その後、彼自身の人生観が大きく変わるような出来事があり、蒔野抗太郎は失明します。彼は父と最後の別れができななかったことを心から悔やみ、「あの人から褒めてもらいたかった・・・」とつぶやきながら見えない目から涙を流すのでした。そのシーンを見たとき、わたしは『あなたに褒められたくて』という本書のタイトルを連想しました。そういえば、この日の「丸の内TOEI」では「悼む人」が上映されていました。

 本書の最後には、「あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね」という言葉が書かれています。でも、その後、著者が結婚することはありませんでした。83年の生涯を全うされた著者は、きっと天国で母上と再会されたことでしょう。そして、大好きなお母さんから「あなた、よく頑張ったわね」と褒めてもらったことでしょう。本書は、心が清々しくなる一冊です。

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