No.1081 コミュニケーション | 人間学・ホスピタリティ | 経済・経営 『稲盛流コンパ』 北方雅人・久保俊介著(日経BP社)

2015.06.02

『稲盛流コンパ』北方雅人・久保俊介著(日経BP社)を読みました。
「最強組織をつくる究極の飲み会」というサブタイトルがついています。父であるサンレーグループ佐久間進会長から頂戴した本であります。
ちなみに、佐久間会長はサンレーの管理職全員にこの本を配りました。

著者の顔写真入りの本書の帯

帯には、ほろ酔い加減で頬を赤らめた稲盛和夫氏の顔写真とともに、「酒を酌み交わすのです。心をさらけ出すのです。」「京セラ躍進、JAL復活を支えたコンパ経営」と書かれています。またカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「あなたは稲盛流コンパを知っているか。
稲盛和夫氏が約50年前に編み出した独自の飲み会は、
従業員の考え方、組織のあり方を大きく変貌させる。
なぜ、部下と心から分かり合えないのか。
なぜ、組織がこんなにもまとまらないのか。
若き稲盛氏は煩悶し、そしてコンパを生み出した。
これまで解明されずにいた稲盛経営の深部にもぐる」

本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第1章 稲盛流コンパとは何か
第2章 稲盛流コンパの七奥義
第3章 稲盛流コンパに密着する
第4章 コンパが私を変えてくれた
第5章 コンパ導入時の悩みを解決
「おわりに」

「稲盛流コンパ」の存在は、数々の稲盛氏の著書を読んで知っていました。もともとわが社も懇親会の多い会社であり、経営者と社員がお互いに胸襟を開く飲み会のパワーはよく理解していましたが、本書を読んで、初めて「稲盛流コンパ」の全貌を知ることができました。「はじめに」では、以下のように書かれています。

「『稲盛流コンパ』を実践すると、赤の他人であるはずの従業員たちが、火の玉のごとく一致団結します。コンパを重ねた企業の多くが、業績を大きく伸ばしています。コンパは、ただの飲み会とは一線を画す、巨大なエネルギーが生まれ出る源だったのです。これまでアメーバ経営やフィロソフィ経営の陰で、コンパの重要性は見過ごされてきましたが、実はコンパなくして稲盛経営は成り立たないのです。
表面的な付き合いで、分かり合えた気になっている人たちが、なんと多いことか。そんな薄っぺらな組織で、難局に立ち向うことなどできるものか。酒を飲み、胸襟を開いて、心をさらけ出しなさい―。稲盛氏はそんないら立ちにも似た感情を、コンパという歯切れのいい3文字に込めているのでしょう」

また、「はじめに」の最後には以下のように書かれています。

「ある経営が成功するかどうかは、目に見えない人間精神の部分で決まるのです。そしてこの領域には、昨今注目されている『理念経営』という高尚な領域もあれば、『コンパ経営』という人間くさい領域もあるのです。この視点は極めて大切です」

この一文は、わたしの心に違和感なく入ってきました。「理念」と「コンパ」は同じ目的を持った営みであるというよりも、この2つは不即不離の関係にあるように思います。

第1章「稲盛流コンパとは何か」には、コンパについての稲盛和夫の以下の言葉が紹介されています。

「コンパとは、私が従業員との間で率直にコミュニケーションを図る場であり、同時に、私の考えをみんなに理解してもらうための大切な場です。(中略)私は会社を創業して以来、機会を見つけてはコンパを開き、リラックスした雰囲気の中、膝を突き合わせて酒を酌み交わし、人生について、仕事について語り明かしました」

この言葉を受けて、著者は「飲み会は飲み会でも、大真面目な飲み会。多少羽目を外すことはあっても、上司や会社の陰口をたたく憂さ晴らしの場ではない。経営者と従業員、上司と部下、同僚同士が互いに胸襟を開き、仕事の悩みや働き方、生き方を本音で語り合う。酒を通して1人ひとりが人間的に成長し、組織を強固な1枚岩にするのが『稲盛流コンパ』だ」と述べています。

稲盛氏が創業し、今も名誉会長を務める京セラの本社ビルは20階建てですが、その12階には100畳という巨大な「和室」が鎮座します。夜な夜な、その部屋でさまざまコンパが開かれるそうです。料理は社員食堂に注文し、缶ビールや軽食が持ち込まれることもあれば、取引先などからの贈答品が並ぶこともあるとか。本書には、以下のように書かれています。

「京セラでは、中元や歳暮などは『個人ではなく、役職に対して送られたもの』と考え、受け取った贈答品を必ず総務部に渡すことが徹底されている。こうして集められた贈答品のうち消費期限の早いものは、総務部が各部署に提供する。これを、コンパ用の酒やつまみにするのだ」

毎日、酒ばかり飲んでいて、「なんというお気楽な会社なのか」と思ってはいけません。このコンパこそは、社員同士の結束力を高め、業績を向上させる立派な会社行事なのです。第二章「稲盛コンパの七奥義」には、以下のように書かれています。

「稲盛流コンパは遊びではない。同じ会社で働く仲間がより良い人間関係を築き、どうすれば会社が発展し、皆が幸せになるかを全員で考える場だ。会社のベースになるものという意味では、その重要性は日中の仕事以上といえる。だからこそ、初めてコンパを導入する際には『何のためにコンパをするのか』という意義と、全員参加の必然性を説かなければならない。欠席を申し出る人がいたなら、リーダーが強引に誘ってでも、時には叱りつけてでも全員参加に持ち込む。それでもコンパに出たくないという人が1人でも出るようなら、最初からコンパをしないほうがいい。稲盛流コンパには是が非でも全員で語り合うというリーダーの執念が必要であり、執念なくしてコンパは機能しない。欠席者が出るのは執念の欠如。この点が、一般的な飲み会とは全く異質だ」

本書を読んで改めて感じたのは、「平成の経営の神様」と呼ばれる稲盛氏の人間臭さです。自身が乗っている社用車が暴走族から因縁をつけられたとき、稲盛氏は社員を守るために果敢にも車から降りられ、近くにあったビール瓶を持って「来るなら来い!」と一喝したところ、暴走族のほうが恐れをなして退散したという素敵過ぎるエピソードも紹介されています。

また稲盛氏は、コンパでは自分の考えに納得しない社員を相手に納得させるまで説き伏せ、場を空気を和ませるためには、顔に化粧をして女装したりもするそうです。そんな稲盛氏について、著者は次のように書いています。

「日ごろ、一切の妥協を許さない求道者のような厳しさを持っているかと思えば、コンパでは人間味あふれる一面を見せ、あっという間に全員の心をつかんでしまう。この懐の深さこそが、名経営者の名経営者たるゆえんでしょう」

場を盛り上げるためには何でもやる!

わたしも、職場には何よりも「和」が必要であり、「和やかな」ムードが大事だと思っています。そのためには、社長自らピエロになることなど、まったくヘッチャラであります。というか、わたしはこの部分がちょっと過剰なところがあり、一部の社員には「うちの社長って、変な人では?」と誤解されている節もありますが・・・(苦笑)

それはともかく、わたしは本書を読んで、「マネジメント」の真髄を見た思いがしました。「マネジメント」という考え方は、世界最高の経営学者であるピーター・ドラッカーが発明したものとされています。 ドラッカーといえば、世界中の経営者にもっとも大きな影響力を持つ「経営通」ですが、彼が発明したマネジメントとは何でしょうか。

ドラッカーの大著『マネジメント』によれば、まず、マネジメントとは、人に関わるものです。その機能は、人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすること。これが組織の目的です。また、マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものです。組織はすべて学習と教育の機関なのです。

このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのです。
にもかかわらず、わが国のビジネス・シーンには、ナレッジ・マネジメントからデータ・マネジメント、はてはミッション・マネジメントまで、ありとあらゆるマネジメント手法がこれまで百花繚乱のごとく登場してきました。その多くは、ハーバード・ビジネス・スクールに代表されるアメリカ発のグローバルな手法です。もちろん、そういった手法には一定の効果はあるのですが、日本の組織では、いわゆるハーヴァード・システムやシステム・アナリシス式の人間管理は、なかなか根付かないのもまた事実です。情緒的部分が多分に残っているために、露骨に「おまえを管理しているぞ」ということを技術化されれば、される方には大きな抵抗があるのです。

 わが社のコンパのようす

日本では、まだまだ「人生意気に感ずる」ビジネスマンが多いと言えるでしょう。仕事と同時に「あの人の下で仕事をしてみたい」と思うビジネスマンが多く存在するのです。そして、そう思わせるのは、やはり経営者や上司の人徳であり、人望であり、人間的魅力ではないでしょうか。会社にしろ、学校にしろ、病院にしろ、NPOにしろ、すべての組織とは、結局、人間の集まりに他なりません。人を動かすことこそ、経営の本質なのです。つまり、「経営通」になるためには、大いなる「人間通」にならなければならないのです。

そのことを、わたしは『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に書きました。孔子といえば、稲盛氏は第二回「孔子文化賞」を受賞しておられます。孔子の「仁」を体得され、ドラッカーの「マネジメント」を実現される稲盛和夫氏こそ「人間通」の名にふさわしい方であると思います。

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