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2015.09.08
『日本の心は銅像にあった』渡部昇一監修、丸岡慎弥著(育鵬社)を紹介します。
わたしは三度の飯よりも銅像が大好物なので、これは「たまらない」本でした。わたしのブログ記事「『銅像に学ぶ』開始!」で紹介したように、わたしは現在、銅像ブログ(!)を書いていますが、それもこれも全部この本を読んだことがきっかけであります。
本書の帯
表紙には紫式部、楠木正成、真田幸村、勝海舟らの銅像写真が使われ、「銅像が教えてくれる大切なこと」「楠木正成、真田幸村、二宮金次郎、勝海舟など、銅像になった偉人25名のエピソードを収録!」と書かれています。さらには「どうぞ、見にきて下さい」のダジャレまで! 監修者があの渡部昇一先生であることも驚きです!
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「銅像が日本人に教えてくれる大切なこと」上智大学名誉教授 渡部昇一
●古代・中世編
(1)紫式部
日本人として初めて世界の偉人に選定された文豪
(2)道元禅師
修行とは、大宇宙が恵んでくださった自己に気付くこと
(3)楠木正成
敗戦必至で出陣した忠臣が最後に息子に託したこと
●戦国編
(4)島津義弘
勇猛な武将が故郷を守るために決断した最後の奇策!
コラム「朝鮮出兵で明・朝鮮軍を震え上がらせた島津軍」
(5)長宗我部元親
姫若子から鬼若子へ! 初陣で魅せた本当の強さ
(6)加藤清正
清正が築いた天下の名城は明治時代に難攻不落を証明した
●近世編
(7)伊達政宗
苦難を乗り越え続けた東北の雄が仙台に遺したものとは」
(8)真田幸村
徳川家康の脳裏に自害をよぎらせた、徹底抗戦!
(9)鈴木正三
日本人の心に生きる、正三の「労働とは修行である」という教え
(10)宮本武蔵
勝つために生まれてきた二刀流兵法の開祖
(11)中江藤樹
人は損得で動いてはならない。正直と正義で動くのが人の道
(12)玉川兄弟
水不足を救った技術力と情熱が江戸を世界一の都市へ
(13)石田梅岩
松下幸之助も尊敬した梅岩は、商業倫理で何を説いたのか
(14)二宮金次郎
東京駅前で見つけた!
経済と道徳の調和を目指した巨匠・・・・・・ほか
●近現代編
(15)吉田松陰
人、賢愚ありと雖も 各々一二の才能はなきはなし
(16)勝海舟
百万人の民を救った江戸城無血開城という決断
(17)大久保利通
近代日本の礎を作った信念の政治家
(18)木戸孝充
開国後にまとめた日本の国是
「五箇条の御誓文」は現代でも通用する
(19)陸奥宗光
外務省にある唯一の銅像は、国益を賭けて戦う外交官の象徴
(20)明治天皇
率先垂範の大切さを説き、行動で示した近代日本の国父
コラム「明治時代の道徳的混迷と教育勅語」
(21)特攻隊
家族のため、祖国のため、愛する人を守るため
(22)吉田茂
サンフランシスコ講和条約調印で日本は悲願の独立へ
(23)森信三
子供への躾は、まず腰骨を立てさせることから!
●海外編
(24)八田與一
台湾人は、戦後の反日の雰囲気でなぜ八田の銅像を守ったのか
(25)遠山正瑛
中国政府が建てた日本人の銅像
「あとがき」丸岡慎弥
「銅像が日本人に教えてくれる大切なこと」では、渡部氏が「なぜ日本人の道徳心は衰えたのか?」として、以下のように書いています。
「敗戦後、GHQは日本弱体化のために様々な政策を施しましたが、その内の1つに、戦後教育の方針を定めた教育基本法の施行があります。この法律が施行された時点では『愛国心』や『道徳』といった徳目が盛り込まれていた教育勅語がまだ存在していました。したがって教育基本法には教育勅語に盛られていた徳目は記されておりませんでした。そうした徳目は教育勅語に記されているわけですから、わざわざ入れる必要はなかったのです。教育基本法と教育勅語は教育における言わば車の両輪の役割を担うはずだったのです。ところがその後、GHQの意向を酌んだ文部省及びわが国の国会が、不当にも教育勅語の排除・失効確認の決議をしてしまったのです。その結果、『愛国心』や『道徳』といった条項が日本のどこにも無いということになってしまったのです。二輪車のつもりでいたのが一輪車になってしまいました。これが今日の教育荒廃の最大の原因です」
また渡部氏は「世界から褒められた教育勅語」として、こう述べます。
「教育勅語は特定の倫理学によらず、また、あらゆる宗教色を排除しており、けっして狂信的なものではなかったのです。この教育勅語には普遍的価値が謳われており、非常にわかりやすく、効き目がありました。戦前ではこの教育勅語を小学校4年生になれば暗記しましたので、日本人共通の価値観になったのです。教育勅語が必要とされたのは、明治時代に外国の文化がどんどん日本に入ってきた結果、今日の日本のような道徳的混乱状態にあったからです。下手をすると日本の伝統が失われそうだと、一番心配なさったのが明治天皇でした。そして山県有朋が総理になったときに、枢密顧問官の井上毅が教育勅語の原案を考え、天皇側近の元田永孚の案とすり合わせながら作りあげていったのです」
さらに渡部氏は「教育で大切なことは『良いイメージ』をさせること」として、以下のように述べています。
「かつての日本においては、少なくとも小学生から中学生くらいまでは素晴らしい日本人や、見習うべき大人の話をたくさん教えていました。そのおかげで子供たちは良いイメージができるようになったのです。物事が成就するか否かは『イメージの力』が大きく左右します」
そこで銅像から偉人をイメージしながら伝えていこうというのが本書です。渡部氏は「銅像から偉人のエピソードを」として、以下のように述べます。
「銅像には、しぐさや向いている方向、建てられた場所など細部にわたり多くの人々の想いが込められていますので、子供だけではなく全ての日本人に大切なことを思い出させてくれると思います。また、その偉人の歴史的偉業の瞬間を切り取った姿をした銅像も少なくありません。ぜひ、銅像を見た時には『なぜ?』と問いかけてみてください。その『なぜ?』という問いから、その偉人の様々なエピソードや後世への影響がわかると思います」
銅像教育研究会(そんな会が存在すること、初めて知りました!)の代表である著者は本書で銅像になった25人の偉人を紹介しながら、銅像の場所、しぐさ、姿などから見えてくる偉人たちのエピソードを紹介しています。
中でも特にわたしの関心を引いたのは「石田梅岩」の項です。著者は、梅岩について以下のように書いています。
「梅岩は『神道』『儒教』『仏教』など、ありとあらゆる学問を学びました。1つの学問にこだわるのではなく、広く学んでいきました。また学問の師匠を持つこともなく独学で勉強を進めていきました。そんな中から自身の身分であった商人の生き方を示す『石門心学』を確立しました。梅岩は言うならば武士道ならぬ『商人道』を打ち立てたのです。
梅岩は石門心学を広めようと、何度も講義を開いていました。『誰が聞きに来ても良い。女性が聞いても良い(当時、女性がそのような場に行くことは大変珍しいことでした)。聴講料は無料で良い』など、一人でも多くの人に聞いてもらおうと梅岩は活動しました」
また著者は「世界一の老舗大国・日本」として、大化の改新以前に創業し、現在までに1400年も続いている金剛組(大阪市)を紹介しています。続けて、著者は以下のように書いています。
「金剛組は戦後、寺社建築だけでなく、マンション、オフィスビルなど一般建築も手がけるようになりました。また、金剛組を含め、日本には創業1000年以上続く会社が7社存在します。その7社は次の通りです。
・金剛組(建築工事業)大阪市天王寺区
・西山温泉慶雲館(温泉旅館)山梨県早川町
・古まん(温泉旅館)兵庫県豊岡市
・善吾楼(温泉旅館)石川県小松市
・源田紙業(紙業)京都市上京区
・田中伊雅仏具店(仏具製造販売)京都市下京区
・須藤本家(清酒製造)茨城県笠間市
世界で見てもこれだけの会社が1000年以上続いているという国はありません。日本にはもともと商売をする上での倫理観を大切にする文化があったと思います。だからこそ、梅岩が説いた商道徳は日本人の琴線に触れるものだったのではないでしょうか。これは、日本にある創業100年以上の企業数に表れているかと思います」
日本には、創業100年の企業はどのくらい存在するのでしょうか?
なんと、約26000社(2013年8月現在)あるそうですが、著者は以下のように述べています。
「これらの老舗企業の大半に、代々伝えられてきた家訓や言い伝えがあるそうです。その家訓には『利に走るな』『贅沢するな』など梅岩心学の精神が反映されているといいます。また、松下幸之助氏が創立したパナソニックも今年(2015年)で創業97周年となり、もうまもなく創業100周年を迎えます。また、創業200年以上続く会社でも約3000社あり、2位のドイツが約800社、3位のオランダが約200社と続いています。いかに日本が老舗大国かおわかりいただけるかと思います」
石田梅岩の思想は、二宮尊徳に受け継がれました。二宮尊徳の幼名は二宮金次郎です。著者は述べます。
「実は、道徳と経済を調和させようとする思想は、二宮金次郎という人物の大きな特徴の1つです。そして金次郎は経済行為を通して道徳教育を行ったのです。この教育を「五常講」といいます。五常とは、儒教の基本的な5つの徳目『仁・義・礼・智・信』のことを指します」
著者は、二宮金次郎について以下のように述べます。
「父の兄の家に引き取られた金次郎は朝早くから夜遅くまで働きました。当時、農家に生まれた者は、金次郎くらいの年齢になると働くのが当然でした。金次郎は仕事をしながらでも勉強ができる機会を見つけては読書に励んでいました。このシーンが、後世、全国各地の銅像の形となります。私は金次郎の銅像をみると彼の生前の様子が思い浮かび、胸が熱くなります。それは『周囲の人々には後ろ指をさされながら、ひたむきに学問を続けていたのだろうな』ということです」
金次郎は後に「尊徳(たかのり)」と名を改めます。しかし、人々は有職(ゆうそく)読みで彼を「そんとく」と呼びました。著者は、このことについて以下のように述べています。
「有識読みとは、周囲の人々が慕い、尊敬することで呼ばれるようになる呼び名です。有識読みをされていたというのは、当時から人々に慕われ尊敬されていたことを表すのです。その教えは金次郎の弟子たちにより『報徳仕法』としてまとめられました」
さらに、著者は金次郎の偉業について以下のように述べています。
「金次郎は自身の二宮家のみならず、多くの村を立て直していきましたが、その際、次の3つを大切にし、仕事に正面から取り組んでいったのです。
『勤労』『分度』『推譲』
勤労とは文字通り『よく働く』こと、分度とは自分の収入の範囲内で暮らすこと、推譲とは分度の結果余ったものを社会に戻すことです。金次郎はこれらを家族や農民、さらには藩主と身分などに関係なくすべての人に求めていきました。金次郎が農村を立て直すためにずっと考えていたことは次のことです。
『農村の立て直しは人心の立て直しから』
金次郎は何よりも人心の荒廃を立て直すことが最優先だと思っていました。まず自らが一番に働き、神社仏閣も修復したりして、人心さえ変われば村は必ず立ち直ると考えていたのです」
「あとがき」で、著者は以下のように述べています。
「それまでも、偉人のエピソードは好きでしたが、どうも少し離れた世界のようにも思っていました。今、自分の目の前に存在していないからです。偉人の話を聞き、自分の想像でしかその人物と向き合うことはできませんでした。ところが銅像であれば、目の前に堂々と建っています。写真で見ても、風景は昔のものではなく現代の風景ですので『あぁ、○○にあるんだな』と実感できます」
続けて、著者は「あとがき」で述べます。
「銅像は時空を超えて私たちに『感化・影響』を与えてくれているのです。
私は銅像のそのような効果を『時空を超えた感化』と言っています。
銅像には、しぐさ・向き・大きさなどすべてのことに意味が込められています。私は一体でも多く、この銅像について調べ、一人でも多くの方に銅像を通じてその偉人の生き方を伝えていきたいと思っています」
湯島聖堂の孔子像の前で
わたしのブログ記事「『銅像に学ぶ』開始!」で紹介したように、わたしは観光が大好きです。観光地ではさまざまな発見がありますが、多くの観光地にはその土地ゆかりの銅像が建立されています。わたしは三度の飯より銅像が好きだと言いましたよね。正確には、銅像の真似をして写真に写ることが好きなのですが・・・・・・。
日本一の弘法大師像をバックに
しかし、これは単におふざけでやっていることではありません。
「銅像」は偉大なる先人たちの憑代(よりしろ)であり、そのポーズには何かしらのメッセージが潜んでいます。その偉人と同じポーズをとることで偉人の志を感じることが大事なのです。これは先人に対する「礼」でもあり、その精神を学ばせていただいているのです。もともと「学ぶ(まなぶ)」という言葉は「真似ぶ(まねぶ)」から来ています。銅像の真似をすることには深い意味があるのです!
ズラリと並んだ銅像本
ということで、わたしは銅像が大好物です。
最近、銅像の本もよく出版されているようで、片端から買い求めました。
それらのページを開きながら、「今度は、どこの銅像を見に行こうかな?」と考えるだけで、胸がワクワクします。そんなわたしが本書をおススメいたします。どーぞー、お読み下さい!