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2015.10.08
『自閉症の僕が跳びはねる理由』東田直樹著(エスコアール)を読みました。
13歳の自閉症の少年・東田直樹さんが書いたエッセイ集で、「会話のできない中学生がつづる内なる心」というサブタイトルがついています。
「側にいるから」という短編小説も巻末に添えられています。
本書の帯
本書の表紙カバーには、鉛筆を持って原稿用紙に向かう東田少年の写真が使われ、帯には「NHK総合TVにて放送!」「東田直樹特集『君が僕の息子について教えてくれたこと』」「自閉症の若者と外国人作家との奇跡の出会い・・・・・・世界を救った一冊の本」「20ヵ国以上で翻訳出版され国外でも大反響!」と書かれています。
2007年に刊行されて以来、本書は版を重ね、多くの読者を得てきました。日本だけではなく世界中で読まれています。この有名な本の存在だけは知っていましたが、今年になって初めて読む機会を得ました。
それは、ある方のすすめで「君が僕の息子について教えてくれたこと」というドキュメンタリー番組をNHKアーカイブスで観たからです。この番組は、わたしのブログ記事「クラウド・アトラス」で紹介したSF映画の原作者としても知られる世界的小説家のデイビッド・ミッチェル氏が本書を英語に翻訳し、世界中でベストセラーになるという奇跡の実話です。
ミッチェル氏自身が自閉症の息子を持つ父親であり、「この本は世界中の自閉症患者とその親に光を与える」と思ったそうです。その後、アメリカやヨーロッパのノンフィクションの売り上げランキング上位に登場し、世界中を驚かせました。そして、本当に自閉症患者の親たちに光を与えたのです。わたしは番組を観終った後、そのまま本書を読了したのでした。
本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章 言葉について 口から出てくる不思議な音
第二章 対人関係について コミュニケーションとりたいけれど・・・・・・
第三章 感覚の違いについて ちょっと不思議な感じ方。なにが違うの?
第四章 興味・関心について 好き嫌いってあるのかな?
第五章 活動について どうしてそんなことするの?
短編小説「側にいるから」
「おわりに」
「はじめに」では「僕たちの障害」として、以下のように書かれています。
「自分が障害を持っていることを、僕は小さい頃は分かりませんでした。どうして、自分が障害者だと気すいたのでしょう。それは、僕たちは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。しかし、普通の人になることは、僕にはとても難しいことでした」
自分の障害については、著者は以下のように書いています。
「自閉症を個性と思ってもらえたら、僕たちは、今よりずっと気持ちが楽になるでしょう。みんなに迷惑をかけることもあるけれど、僕らも未来に向かって楽しく生きていきたいのです」
そして「はじめに」の最後には、以下のように書いています。
「この本を読んで下されば、今よりきっと自閉症の人のことを、あなたの身近な友達のひとりだと思っていただけると思います。人は見かけだけでは分かりません。中身を知れば、その人とももっと仲良くなれると思います。自閉の世界は、みんなから見れば謎だらけです。少しだけ、僕の言葉に耳を傾けてくださいませんか。そして、僕たちの世界を旅してください」
本書には自閉症患者である著者に対する58の質問が並んでおり、著者はそれらに対して丁寧に答えていきます。たとえば、「大きな声はなぜ出るのですか?」という質問に対しては次のように答えています。
「コントロールできない声というのは、自分が話したくて喋っているわけではなくて、反射のように出てしまうのです。何に対する反射かというと、その時見た物や思い出したことに対する反射です。それが刺激になって、言葉が出てしまうのです。止めることは難しく、無理に止めようとすると、自分で自分の首を絞めるくらい苦しくなります」
たとえば、「いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?」という質問に対しては、次のように答えています。
「どうしてかと言うと、聞いたことをすぐに忘れてしまうからです。今言われたことも、ずっと前に聞いたことも、僕の頭の中の記憶としてはそんなに変わりはありません。物事が分かっていないわけではありません。記憶の仕方がみんなとは違うのです。よくは分かりませんが、みんなの記憶は、たぶん線のように続いています。けれども、僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら記憶をたどっているのです」
また、「どうして質問された言葉を繰り返すのですか?」という質問には「僕らは質問を繰り返すことによって、相手の言っていることを場面として思い起こそうとするのです。言われたことは意味としては理解しているのですが、場面として頭に浮かばないと答えられません」と答えています。さらに、「すぐに返事をしないのはなぜですか?」という質問には「僕たちが話を聴いて話を始めるまで、ものすごく時間がかかります。時間がかかるのは、相手の言っていることが分からないからではありません。相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです。この感覚が、普通の人には理解できないと思います」と答えています。
そして「何が一番辛いですか?」という質問を答を読んで、わたしは胸が締めつけられる気がしました。
著者は「僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸んいしていることには、僕たちは耐えられないのです」と答えています。
また、「側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです」とも書いています。
本書を読んで、著者から自閉症の人の心の中を教えてもらいました。
大いに驚くとともに、納得できることも多くありました。これまで、電車の中とかで自閉症児が大きな声などを出すと、どうしてもそちらを見てしまう自分がいました。そして、「ああ、気の毒なお子さんだな」とか「親御さんも大変だなあ」などと思っていたことが恥ずかしくなりました。今では、障害者として同情するのではなく、困難に立ち向かう強い精神力を持った一人の人間としてリスペクトしています。
それにしても、著者の書く文章の表現力は素晴らしい。自閉症とかなんとかよりも、健常者であったとしても、普通の中学生にはなかなか書けない文章であると思います。言葉が喋れない人がこれだけの文章を書いたという事実に、わたしは人間の偉大な力について大きな感銘を受けます。
また、書いて表現するということの素晴らしさを痛感しました。
これまで飛行機乗りはたくさんいましたが、飛行という行為の秘密を文章で伝えることができたのはサン=テグジュペリだけです。
身の危険を冒して飛行機の操縦桿を握り、大空から地球と人間を観察する。そして、それを文学にする。これまでだれもできなかったことでした。これまでの多くの思想家たちが頭で考えていたことを体全体で感じ、思考した人物こそ、サン=テグジュペリだったのです。サン=テグジュペリは、飛行という極限状態にあって、どこまでも自由な思考を得ました。 自閉症の秘密を明かした東田さんはサン=テグジュペリのような人だと思いました。そういえば、東田さんの風貌もどことなく「星の王子さま」に似ているような気がしてきました。
普通の人に比べて、自閉症の人が不便なことは事実でしょう。
でも、本書を読むと、彼らの豊かな精神世界を垣間見ることもできます。 たとえば、「手のひらをひらひらさせるのはなぜですか?」という質問に対して、著者は次のように答えています。
「これは、光を気持ちよく目の中に取り込むためです。
僕たちの見ている光は、月の光のようにやわらかく優しいものです。そのままだと、直線的に光が目の中に飛び込んで来るので、あまりに光の粒が見え過ぎて、目が痛くなるのです。でも、光を見ないわけにはいきません。光は、僕たちの涙を消してくれるからです。光を見ていると、僕たちはとても幸せなのです。たぶん、降り注ぐ光の分子が大好きなのでしょう。分子が僕たちを慰めてくれます。それは、理屈では説明できません」
また、「どうして水の中が好きなのですか?」という質問には、「僕らは帰りたいのです。ずっとずっと昔に、人がまだ存在しなかった大昔に。自閉症の人たちは、僕と同じようにそう考えていると思います。生物が生まれて進化して、なぜ陸に上がって来たのか、人になって時間に追われる生活をどうして選んだのか、僕には分かりません。水の中にいれば、静かで自由で幸せです。誰からも干渉されず、そこには自分が望むだけの時間があるのです」と答えています。
さらに、「お散歩が好きなのはなぜですか?」という質問には、「一番の理由は緑が好きだから」と答えてから、次のように書いています。
「みんなが緑を見て思うことは、緑色の木や草花を見て、その美しさに感動するということだと思います。しかし、僕たちの緑は、自分の命と同じくらい大切なものなのです。なぜなら、緑を見ていると障害者の自分も、この地球に生きていて良いのだという気にさせてくれます。緑と一緒にいるだけで、体中から元気がわいて来るのです」
これらの著者の発言を読んで、著者がいかに豊かな精神世界の中で生きているかが理解できると思います。わたしは、著者の心の中に一貫して流れているのは「自由」への想い、さらに詳しく言うならば、「重力から自由になりたい」という願いであると思います。
先に飛行機乗りであるサン=テグジュペリの話をしましたが、本書には「飛行機が好き」というショート・エッセイが掲載されています。それによれば、東田少年は飛行機に乗るのが大好きで、離陸時にかかる体への重力が、とても心地良いそうです。そこで彼はこんな話を考えています。
そこは、小さくて静かな緑色の星でした。
自閉人「ここが僕の星なのさ」
地球人「何だか体が重くない? 手足におもりがついてるみたい」
自閉人「君の星では、僕はいつも宇宙遊泳している感覚なのさ」
地球人「なるほど、よくわかるよ」
なんて会話ができる、自閉症にぴったりな重力の星があれば、僕たちはもっと楽に動けるのに・・・・・・(『自閉症の僕が跳びはねる理由』P.64)
本書には書名のもとにもなった「跳びはねるのはなぜですか?」という質問も紹介されています。それに対して、著者は「僕は跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです」と答えていますが、これも「重力から自由になりたい」という願いに通じているように思えます。人類の歴史の中で、本当に重力から自由になったのは宇宙飛行士たちですが、はるか古代にそれを実現してしまった聖人がいます。ゴータマ・ブッダです。
ブッダこそは、この地上に肉体を置きながら、その精神は地球の重力圏を飛び出してはるか宇宙空間にまで至った人だと思います。考えてみれば、人間の持つ「煩悩」や「執着」などは心の重力そのものではないでしょうか。また、生まれや民族や国籍なども一種の重力だと言えるかもしれません。人間はさまざまな重力に縛られ、自由を奪われ、悩み苦しむのでしょう。ブッダこそは王子という身分も家族も故郷もすべて捨て去り、ひたすら真理を求めて修行した人でした。自分が人間であるということにさえ囚われず、生きとし生けるものすべての幸福を願う究極の平等を追求しました。ついには宇宙的真理を獲得しました。完全に地球人のレベルを超越したブッダこそは、人類最初の宇宙人だと言えるでしょう。
本書の巻末には、「側にいるから」という短編小説が掲載されています。 これを一読して、わたしはあまりの素晴らしさに絶句し、そして感動しました。著者はファンタジーとしてこの作品を書いたようですが、「生」と「死」の本質を見事に表現しています。そして、そこには「人間とは何か」といった形而上的な問題も語られています。この「側にいるから」を読んで、わたしは『星の王子さま』を連想し、ブッダが説いた最初の教えである「慈経」を連想しました。東田さんの作家としての今後の活躍に大いに期待いたします!