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No.1148 歴史・文明・文化 『大世界史』 池上彰&佐藤優著(文春新書)
2015.11.19
パリの同時多発テロには驚きました。ちょうど、そのときバリ島にいたのですが、ネットでヤフーのTOPニュースを開いたとき、「パリでテロ」の見出しが目に飛び込んできました。iPhoneの小さな画面でしたので、「パリ」が「バリ」に見えて緊張しました。かつてバリ島でも大規模なテロが起こりましたが、まさか”花の都”パリが同時多発テロの舞台になるとは・・・・・・。
いま、世界が読めなくなってきています。同時多発テロが起こる数日前に『大世界史』池上彰&佐藤優著(文春新書)を読みました。
この読書館でも紹介した『新・戦争論』の対談本の続編です。
本書の帯
「現代を生き抜く最強の教科書」というサブタイトルがついています。
帯には地球儀を両脇から抱えている池上・佐藤両氏の写真とともに「世界をその手につかまえろ!」「ビジネスに効く 人生に効く」「爆読コンビ 最大の挑戦」と書かれています。
カバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「ベストセラー『新・戦争論』に続く最強コンビの第2弾! 各地でさまざまな紛争が勃発する現代は、まるで新たな世界大戦の前夜だ。激動の世界を読み解く鍵は『歴史』にこそある!」
また、アマゾン「内容紹介」には以下のように書かれています。
「今、世界は激動の時代を迎え、各地で衝突が起きています。ウクライナ問題をめぐっては、欧州とロシアは実質的に戦争状態にあります。中東では、破綻国家が続出し、『イスラム国』が勢力を伸ばしています。そして、これまで中心にいたアラブ諸国に代わり、イラン(ペルシャ)やトルコといったかつての地域大国が勢力拡大を目論むことでさらに緊張が増しています。
アジアでは、中国がかつての明代の鄭和大遠征の歴史を持ち出して、南シナ海での岩礁の埋め立てを正当化し、地域の緊張を高めています。
長らく安定していた第二次大戦後の世界は、もはや過去のものとなり、まるで新たな世界大戦の前夜のようです。わずかなきっかけで、日本が『戦争』に巻き込まれうるような状況です。こうした時代を生きていくためには、まず『世界の今』を確かな眼で捉えなければなりません。しかし直近の動きばかりに目を奪われてしまうと、膨大な情報に翻弄され、かえって『分析不能』としかいいようのない状態に陥ってしまいます。ここで必要なのが『歴史』です。世界各地の動きをそれぞれ着実に捉えるには、もっと長いスパンの歴史を参照しながら、中長期でどう動いてきたか、その動因は何かを見極める必要があります。激動の世界を歴史から読み解く方法、ビジネスにも役立つ世界史の活用術を、インテリジェンスのプロである二人が惜しみなく伝授します」
本書の帯の裏
本書の目次は以下のような構成になっています。
「はじめに」池上彰
1 なぜ、いま、大世界史か
2 中東こそ大転換の震源地
3 オスマン帝国の逆襲
4 習近平の中国は明王朝
5 ドイツ帝国の復活が問題だ
6 「アメリカvs.ロシア」の地政学
7 「右」も「左」も沖縄を知らない
8 「イスラム国」が核をもつ日
9 ウェストファリア条約から始まる
10 ビリギャルの世界史的意義
11 最強の世界史勉強法
「おわりに」佐藤優
世界史を学ぶためのブックリスト
「はじめに」の冒頭で、池上氏は以下のように述べています。
「欧州に大量に流入する難民の大波。現代版の民族大移動と呼ぶ段階に達しているのかも知れません。難民の窮状を見かねたドイツのメルケル首相は、多数の難民・移民の受け入れを表明。ドイツめざして、地中海やバルカン半島から難民の奔流が続いています。
佐藤優氏との対談が終わった後、この問題が欧州を揺るがすようになりました。歴史を振り返ると、かつてのゲルマン民族大移動をはじめ、数々の民族大移動を繰り返して、現在のヨーロッパの民族構成が形成されました。いまや、その現代版が始まっている。欧州のいまを見ると、そんな歴史的事実を想起してしまいます」
次の一文は、パリ同時多発テロの後に読むと慄然とする思いです。
「このところヨーロッパで見かけるイスラム教徒の数は増加の一途です。思わず『ここはどこ?』とつぶやいてしまうほどです。今回の『民族大移動』によって、キリスト教社会は大きな変容を迫られるでしょう。民族が移動することで、時代が変わる。世界の歴史は、こうやって形作られてきたのだということを痛感します」
1「なぜ、いま、大世界史か」では、佐藤氏が歴史を学ぶことの意義について以下のように述べています。
「1人の人間が、人生のなかで経験できることには限りがある。しかし、歴史を学ぶことによって、自分では実際には経験できないことを代理経験できる。こうした代理経験を積むことは、単なる娯楽にとどまりません。より積極的に、人生に役立つのです。論理だけでは推し量れない、現実の社会や人間を理解するための手がかりになるからです。
読書や歴史を学ぶことで得た代理経験は、馬鹿にできるものではありません。この代理経験は、いわば世の中の理不尽さを経験することでもあります。しかしだからこそ、社会や他人を理解し、共に生きるための感覚を養ってくれるのです」
2「中東こそ大転換の震源地」では、「現在の中東情勢は、あまりに複雑で、プロの手にも余るほどだ」と断った上で、佐藤氏はイスラエル情報機関の元幹部による中東情勢の4つをポイントを以下のように紹介します。
第1に、イラク情勢の変化(アメリカの影響が決定的に弱くなり、アメリカの占領時代は終わった)。
第2に、「アラブの春」以降の社会構造の変化。
第3に、過激なイスラム主義の急速な擡頭。
第4に、「イスラム国」(IS)やアルカイダとは異なるテロ組織の急増。
この4つのポイントを紹介した佐藤氏は以下のように述べます。
「要するに、中東では国家、もしくは政府という枠が機能しなくなっている。そのなかで、『イスラム国』やアルカイダだけでなく、それらとは違うテロ組織が数十、数百も生まれている。これは、イデオロギー的にはアルカイダと同じルーツを持っていても、人脈でも資金面でも何のつながりもない、小さい部族やサークルです。とくにシリアでは、数十のスンニ派の新しいグループができて、それが複雑な合従連衡を繰り返している」
佐藤氏は「イスラム国」について、その本質を以下のように指摘します。
「『イスラム国』がやろうとしていることは、前代未聞のことのようにも見えますが、必ずしもそうではありません。実は世界史を振り返れば、非常によく似た事例があります。かつての国際共産主義運動です。1917年にロシア革命が起き、1919年にコミンテルン(共産主義インターナショナル)という組織ができます。共産主義革命は、本来、民族の違いなど認めませんから、世界で統一の運動をするために各国に支部をつくります。もともとドイツ共産党も『国際共産党ドイツ支部』で、日本共産党も『国際共産党日本支部』だったのです。『イスラム国』は、ソ連ができる前の『革命ロシア』によく似ています」
なるほど、この説明には大いに納得しました。
まさに、ロシア通である佐藤氏の真骨頂ですね。
3「オスマン帝国の逆襲」では、以下のような対話が行われます。
【佐藤】 もしウイグル地域に「第二イスラム国」が出現したら、中国は、安全保障上、西方を向かざるをえなくなります。
【池上】 その可能性は大いにあると思います。
【佐藤】 そうなると、尖閣問題どころではありません。中国としては、対日接近の芽も出てくるかもしれません。
【池上】 それは、日本にとって悪い状況ではない、ということです。
【佐藤】 ですから、安倍首相も、対中包囲網外交だけでなく、「第二イスラム国」が出現したとき、中国とどう連携していくかをも考えておくべきです。
さらに佐藤氏は、中東情勢について以下のように述べています。
「『過去の問題を解決した』という発想がそもそも間違いで、仮に解決したように見えても、実は、とりあえず押さえ込んだだけで、あるいは休眠中になっただけで、また同じ問題がいつ噴き出してくるかは分からない。そういう反復現象がある。
1960年代から80年代頃までは、中東世界は、石油の力でアラブが主導していましたが、アラブが弱体化し、アメリカの影響力も弱まるなかで、過去の2つの帝国、すなわちトルコ(オスマン)とイラン(ペルシャ)が再び擡頭している。こういう形で過去がよみがえっている」
5「ドイツ帝国の復活が問題だ」では、佐藤氏がギリシャについて語ります。
「1829年に、古代ギリシャの滅亡以来、1900年ぶりに独立を果たすのですが、国民は、DNA鑑定をすれば、トルコ人と変わらない。アナトリアにいた正教徒をギリシャに移し、ギリシャにいたムスリムをアナトリアに移すという住民移動を行って、人造王国を仕立て上げたのです。王は、ドイツのバイエルンの王子を連れてきたのですが、その王があまりにも腐敗していたので、次には、デンマークから王を連れてきました。
言語も、古代のギリシヤ語とはまったく違います。ソクラテス、プラトン、アリストテレスとも関係ありません。しかし、古代ギリシャと関係があるかのように誤解させることをロシアとイギリスが合作で行ったのです。それにフランスもドイツも乗っていった。ですから、現在のギリシャのアイデンティティは、近代になってつくられた『伝統』であって、今の日本人がわが家は源氏か平家かと決めてニセ系図をつくるようなものです」
7「『右』も『左』も沖縄を知らない」では、沖縄では日本からの分離の動きの下地ができていると指摘した上で、以下のような対話が行われます。
【池上】 世界的に見ても、スコットランドのような、新たな民族と国家の自覚に向かう動きが見られます。大多数の国家は多民族国家で、そこでは、人々は1つの国家に所属しながら、複合的なアイデンティティをもっているものです。しかし、その複合的なアイデンティティのあり方は、わずかなきっかけで変化していく、ということですね。
【佐藤】 その通りです。とくに現代では、資本主義がグローバル化し、国内で貧困や格差拡大が起こり、富や権力の偏在によって社会的な絆が解体される傾向にあります。このとき、国家は、ナショナリズムによって国民の統合を図ることになりますが、少数民族の方は、民族自立へと動き出す。スコットランドや沖縄が自分たちの民族性を強く意識するようになるのも同様の動きです。
沖縄問題について、池上氏は以下のように発言しています。
「2014年に、英国からの独立の賛否を問う住民投票で、スコットランドが世界の注目を集めました。実は、スコットランドだけでなく、スペインのカタルーニャ地方やバスク地方、ベルギーのフランドル地方などでも、少数民族が既存の国家から分離独立をめざす動きが活発化しています。中国のチベット自治区や新疆ウイグル自治区でも同様です。つまり、世界各地で国民国家は『揺らぎ』を見せています。沖縄の問題も、こうした世界共通の問題の1つなのです」
8 「『イスラム国』が核をもつ日」では、以下の対話が交わされます。
【佐藤】 アメリカや日本などの先進国がどうして戦争を避けるかといえば、人命の価値が非常に高いからですね。ところが、イスラム原理主義を信奉する武装組織は、「聖戦」という概念を持ってくることで、人命のコストを下げることに成功してしまった。戦死しても、殉教して天国に行けるのですから死を恐れない。この「非対称」によって、彼らは戦いつづけることが可能になっているのです。ところが、ドローンは、新たな「非対称」を生み出してしまったのです。これは深刻な事態です。
【池上】 ドローンは究極の「非対称」ですね。ドローンを駆使する側は、完全に安全な状態で戦争を続けることができるのですから。
ドローンが戦争を変える(写真は戦争とは無関係です)
ドローンといえば、わたしのブログ記事「バリ2日目」で紹介したように、セレモニーの志賀司社長の操るドローンを目撃し、その高性能に驚きました。本書では「ドローンが戦争を変える」と述べ、ドローンのコントローラーがあれば、モニターを見ながらターゲットを攻撃できる。これまで困難だったピンポイント攻撃が可能になると指摘しています。
さらに、両者はドローンについて以下のように述べます。
【佐藤】 もうひとつ大きいのは、戦場から遠く離れたところで操作できることです。衛星などで中継させれば、アメリカ本土にいながら、中東のターゲットを攻撃できる。エアコンの効いたオフィスで決められた時間だけ戦争して、夕方には家族でレストランに行くことも可能になる。
【池上】 日常と戦場の境がなくなってしまう。戦争に対する感覚自体が変容してしまう可能性がありますね。
そして「新・核の世紀」の幕開けを予感する両者は以下のように語ります。
【佐藤】 さらに恐ろしい事態があります。いま、世界のインテリジェンス・コミュニティが最も恐れているのは「イスラム国」が核を持つ可能性です。その技術を誰が提供するかと言えば、パキスタンです。パキスタンのISI(統合情報局)内には、イデオロギー的に「イスラム国」に共鳴している人がかなりいます。イランや北朝鮮への技術流出で話題となったパキスタンのカーン博士の「核の闇市場」は、大いなるブラックボックスです。今でも、パキスタン国内で、核の管理がどうなっているかは、分からないのです。
【池上】 「イスラム国」が核をもったら、その射程はヨーロッパに届くことになる可能性が高い。欧州各国にとっては死活問題です。『コーラン』にも『ハディース』にも、核兵器を使ってはいけないとは書かれていないからです。
9「ウェストファリア条約から始まる」では、以下の対話が展開されます。
【池上】 ウェストファリア条約をきっかけとして「人権」という概念が出てきた。これは画期的だった、ということですね。
【佐藤】 その通りです。キリスト教とイスラムの大きな違いは、原罪観の有無にあります。イスラムは、キリスト教と違って、原罪意識のない楽観的人間観です。したがって、神が命じれば、聖戦の名の下にいかなる暴力も許されてしまう。とくにスンニ派では、イスラム法学者に対して、上位から抑制するものが何もない。イスラム法学者が「俺の思っていることが正しいのだ」と言えば、神が言うのと同じになってしまいます。
【池上】 そうすると、イスラム原理主義は、世界史をウェストファリア条約以前に戻そうとしている、とも考えられます。ウェストファリア以後の近代的な法体系と、「イスラム国」が主張しているシャリーアの絶対視は、やはり相容れません。
10「ビリギャルの世界史的意義」では、ベストセラーとなり、映画化もされた『ビリギャル』について以下のように語り合います。
【佐藤】 親子の愛の絆の物語などではなく、新自由主義時代の受験産業の物語なのです。
しかし、問題はその先です。ビリギャルが受けた慶應大学の学部は、小論文と英語だけの二科目受験でした。これでは、大学生といっても、日本地図もまともに書けず、単純な計算もできないままで、授業についていけるはずがない。結局、教養など何も身につかないままに卒業することになる。
ビリギャルの物語が示しているのは、単に彼女が一定期間努力できる子だ、という証明だけです。つまり、学歴ではなく「入学歴」がつくだけです。入学歴ばかりを求めるのは、いまの日本では、何もビリギャルに限った話ではありません。そういう人間がいくら大学に集まっても、国は強くならない。国力と教育は密接に関係しています。その意味では、日本とちがって、トルコやイランには、本物のエリートがいます。
【池上】 確かに存在しますね。そう考えると、ビリギャルが、日本の教育に突き付けている問題は、意外に大きいのですね。
いま、日本では教育における大きな失敗を冒そうとしています。
大学改革の名の下に全国の国立大学の文系学部を廃止しようという動きがあるのです。なんだか神風特攻隊で若い命を散らせた兵士たちに「哲学の徒」や「文学の徒」が多かったことを思い出して嫌な気分になります。
この大学改革に異を唱える池上氏は、以下のように述べています。
「理系特化エリートの弊害は、オウム真理教事件で痛感したはずです。理工系のエリート大学を出た若者が、旧来の仏教もよく知らないまま、オウム真理教に魅せられ、猛毒ガスのサリンをつくってばら撒いたわけですが、宗教に関する基本的知識も教養の一部として身につけておかないと、新たなオウム真理教が出現しないとも限りません。いまこそ、文理の枠を横断する幅広い教育が必要なのです」
また、池上氏は日本の教育における問題点を以下のように指摘します。
「日本では、大学は、社会に出てすぐ役に立つ学問を教えるように要望されています。それに対し、アメリカのエリート大学は、『すぐに役に立たなくてもいいこと』を教えるのです。それが長い目で見ると、本当に役に立つ。『すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる』という慶應義塾大学の塾長だった小泉信三さんの言葉の通りです」
この小泉信三の言葉は初めて知りましたが、素晴らしい名言ですね。
佐藤氏の「文科省の言う『グローバルな基準』とは異なる基準で、エリート教育を考えなければいけません」との発言に対して、池上氏は「それが大事です」と合いの手を入れた後で、以下のように述べます。
「『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティが来日して、東京大学で講演したとき、「質の高い教育を受けられる僕たちのような者は、何をすべきでしょうか」という学生の質問に、こう答えていました。『親は選べないから、金持ちの家に生まれたことを卑下する必要はない』と会場の苦笑を誘ってから、『君たちは高いレベルの教育を受けることができたのだから、それを社会のために役立てることを考えてください』と。質の高い教育を自分のためでなく社会のために役立てるのが、本当のエリートの姿勢だと訴えたのです」
じつは、わたしの甥が東大の弁論部に所属しているのですが、このたび安田講堂の東大総長杯の最終弁士に選ばれました。そのテーマがピケティだそうで、わたしの蔵書である『21世紀の資本』を貸してほしいと言ってきました。もちろん、わたしはその本を甥にプレゼントしました。
「おわりに」では、佐藤氏が本書のタイトルについて述べています。
「本書の『大世界史』というタイトルには2つの意味がある。第1は、世界史と日本史を融合した大世界史ということだ。日本の視座から世界を見、また世界各地の視座から日本を見、さらに歴史全体を鳥瞰することにつとめた。第2は、歴史だけでなく、哲学、思想、文化、政治、軍事、科学技術、宗教などを含めた体系知、包括知としての大世界史ということだ。
人間には、愚かさと聡明さ、残忍性と優しさが混在している。歴史から学ばなくてはならないのは、ちょっとした行き違いで、大惨事が発生するということだ。逆に言うならば、ちょっとした気配りと努力で、われわれは危機から脱出することもできるのである。大世界史から謙虚に、人類が生き残る術について、読者とともに学んでいきたい」
本書の読了後、「世界史はやはり面白いな」と思いました。
わたしは年に一度は巨視的スケールの「歴史」の本を読むことを心掛けていますが、「世界史」こそは真の意味での教養の基礎ですね。