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No.1153 読書論・読書術 『「知」の読書術』 佐藤優著(集英社インターナショナル)
2015.12.03
『知の読書術』佐藤優著(集英社インターナショナル)を読みました。
著者は、「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官です。
『野蛮人の読書室』、『読書の技法』、『世界と闘う「読書術」思想を鍛える100冊』などで紹介した本のように「読書」に関する著書も多いです。
著者の顔写真入りの本書の帯
表紙カバーには、谷山彩子氏の味のあるイラストが使われています。
また帯には、著者の顔写真とともに、「古典から電子書籍まで――『真の教養』が身につく佐藤流読書術とは?」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一部「危機の時代」に備えよ
第一章 「世界大戦」は終わっていない
第二章 はたして「近代」は存在したのか?
第三章 「動乱の時代」の必読書
第四章 「反知性主義」を超克せよ
第二部「知のツール」の活用法
第五章 私が電子書籍を使うわけ
第六章 教養としてのインターネット
第七章 「知の英語」を身につけるには
第八章 現代に求められる知性とは何か
「あとがき」
「参考文献」
「巻末特別付録」
「はじめに――『未完の20世紀』を読み解くために」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「本書は、優秀な若い読者を念頭において、『教養を身につけるためには、どんな本をどのように読めばよいのか』という読書術を実践的に解説した本です。ひとくちに教養と言っても、その理解は論者によってさまざまですが、私が言う教養とは、単なる衒学趣味や懐古趣味のための知識ではありません。私たちが生きているこの時代のあり方を俯瞰して見る、『視座』『枠組み』を提示してくれるような『知』のことを指しています」
また著者は、以下のようにも述べています。
「本当に深い教養と鋭い洞察に裏打ちされているような優れた本は、決して古びることはないのです。なぜならば、そうした本で語られている『思想』や『考え方』といった知のフレームワークは、いくら時代が変わっていってもそう簡単に色あせることがないからです」
それでは、なぜ教養が必要とされるのでしょうか。著者は述べます。
「現在起きているさまざまな事象の、根底にある問題は何なのか、その本質は何なのか――単に新しい情報を追いかけているだけでは、それらをつかむことはできません。そこで必要になってくるのが『教養の力』であり、それを支える『真の読書』とでも言うべきものなのです」
本書には、著者おススメの多くの本が紹介されています。
第五章「私が電子書籍を使うわけ」では、電子書籍を使うことのメリットが具体的に述べられています。では、何を読めばいいのでしょうか。
著者は以下のように述べています。
「『教養を身につけるための電子書籍の読書術』として私が勧めたいのは、『紙の本と同じ本を電子書籍で読む』――つまり『2冊目』を電子書籍で買うということです。あくまでも最初は紙で読むことを原則として、紙で読んで常時携帯しておきたい本、あるいは紙の本は将来的に捨ててしまうかもしれないけれど、持っておいたほうがいいと思う本を電子書籍で買うのです」
また、著者は電子書籍について次のようにも述べています。
「電子書籍が画期的なのは、今までは物理的に制限のあった持ち歩ける本の量を、飛躍的に拡大させたことです。紙の本だけしか持てなければ、カバンのなかには新しい本が優先的に入ってしまう。ところが電子書籍端末では、1000冊以上を持ち歩くことができるので、過去に読んだ本へのアクセスが圧倒的にしやすくなりました。その利便性を最大限に活用する方法が、『2冊目』としての読書なのです」
わたしの著書の多くも電子書籍化されていますが、「2冊目」として電子書籍を活用するという著者の意見には大賛成です。
紙の本にしろ、電子書籍にしろ、購入するには当然ながらカネがかかります。著者は「教養にカネを惜しまない」として、以下のように述べます。
「教養とは生き残るために必要な知恵のことですが、インテリジェンス=教養ではありません。知性や理解力と訳されるインテリジェンスというのは、極論すればゴキブリや猫に対しても使える概念です。しかし人間にしか身につかない知恵は、知識に裏打ちされていなければいけない。つまり、教養とは『知識に裏打ちされた知恵』なのです。
そして、知識に裏打ちされた知恵を持つということは、考えを言語化できるということです。インテリとは、自分のおかれている状況をきちんと理解して、それを言語によって説明できる人間のことを指します。そのためにはできるだけ質の高い本を深く読み込み、反復しなければなりません。常に持ち歩くことができる電子書籍は、繰り返し読むことに秀でた道具ですから、教養を身につける手段としてこれを活用しない手はないでしょう」
第八章「現代に求められる知性とは何か」では、「教養の再生」というテーマで、これから「教養共同体」を再生するということが重要になってくるとして、著者は次のように述べます。
「教養共同体とは、自分たちの教養や思想を社会に還元していくような教養人のネットワークのことを言います。資本主義や国家の暴走は、『給料を上げろ!』『戦争反対!』と声をあげるだけではブレーキをかけられません。なぜか――それは戦争を推進するような運動や排外主義的な運動も、その背後にはどんなに稚拙であれ必ず思想の組み立てがあるからです」
続けて、著者は以下のように述べています。
「知識人や教養人が思想の組み立てや教養の構築を怠ると、その空白を縫うように、粗雑な反知性主義者が物語を語り始めます。そして現代の日本には、政治家やビジネスエリート、運動家に至るまで、論理の体をなしていない気合主義や自己啓発のような物語が溢れています」
そして、以下のように著者は読者に対して訴えます。
「こうした乱暴な思想はやがて人々を動員し、物理的な暴力性となって秩序を破壊します。排外主義的なヘイトスピーチの登場はその兆候です。反知性主義的な思想の暴力性に対抗するには、知識人や教養人が連帯して、別の思想・物語を語らねばなりません。だからこそ知識人・教養人の共同体やネットワークが今の時代にはたいへんな重要性を持っているのです」 たしかに、ヘイトスピーチに代表される反知性主義がはびこる国家に未来などありません。
そのためにも、著者のいう「教養共同体」が重要になってくると思います。