No.1184 民俗学・人類学 『文化人類学』 内堀基光・奥野克巳著(放送大学教材)

2016.01.24

 『文化人類学』内堀基光・奥野克巳著(放送大学教材)を読みました。
 内堀氏は1948年東京都生まれ、78年オーストラリア国立大学高等研究院博士課程修了・Ph.D.取得。79年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得後退学。現在、放送大学教授、一橋大学名誉教授。専攻は社会文化人類学です。 また奥野氏は1962年滋賀県生まれ。98年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授・博士(社会学)。専攻は文化人類学です。

 本書の目次構成および執筆担当者は以下のようになっています。

「まえがき」(内堀基光)
1.文化人類学のめざすもの(内堀基光)
2.人類の社会性と文化(奥野克巳)
3.多様な「人間」のあり方(奥野克巳)
4.文化的他者とは誰か(内堀基光)
5.民族というものと現代性(内堀基光)
6.超越者と他界(奥野克巳)
7.文化と身体(岩田彩子)
8.遊びと芸術(岩田彩子)
9.文化と情報メディア(飯田卓)
10.「もの」の人間世界(岩田彩子)
11.環境と開発(飯田卓・石井洋子)
12.人と人のやりとり(石井洋子)
13.争いと平和(石井洋子)
14.災害と回復(飯田卓)
15.人類文化の未来について(内堀基光)

 「まえがき」で、内堀氏は次のように述べています。

「文化人類学は、人類の種としての特有の能力である『文化』というものが現実の世界のなかで採りうるさまざまな様態を、多くの場合現地調査に基づいて具体的に探る学問である。だがそれとともに、人類そのものの存立の基盤を深く問い直していこうとする学問でもある。自らのものとは異なるとされる文化・社会への視線であるとか、ものごとの価値づけに関する相対論的な思考といった、ながく文化人類学をしるしづけてきた特徴的営みは、こうした問い直しを基礎づけるための一環にほかならない」

 この読書館で紹介した『文化人類学のレッスン』と同様に、わたしは本書を『儀式論』の参考文献として読みました。ですので、本書の内容を総花的に紹介しても意味がないと思います。 なんといっても、6「超越者と他界」が参考になりました。 「宗教の起源論」として、奥野氏は次のように書いています。

「19世紀のイギリスの人類学者E・タイラーは、原初の人間は夢や死の経験をつうじて、日ごろ宿っている身体から離脱できる人格的な実体としての魂が存在するという観念をもつに至ったと推論した。その考えを延長して、タイラーは人や人以外の存在物に魂や霊の存在を認めるような考え方をアニミズムと名づけて、それが宗教の原初形態であったととらえた。彼は、文化進化論的な考え方をベースにして、アニミズムが多神教へさらには一神教へ進化したという説を唱えた。そのような流れに応じるようにして、初期のアニミズム論は宗教の起源論にも深く関わっていた」

「タイラーに続く時代のイギリスの人類学者J・フレイザーは、呪術を宗教以前の段階に位置づけた。フレイザーは、人間が呪術の過ちに気づいて、超自然的存在との関係において世界を組み立て直したとき宗教が現れたと主張した。20世紀に入るとフランスの社会学者E・デュルケームが、動植物を崇拝するトーテミズムが宗教の原初形態であると唱えるようになった。このように宗教の起源をめぐる研究は、19世紀から20世紀初頭にかけて文化人類学や社会学の宗教研究の重要なトピックであった」

「20世紀半ばになると、C・レヴィ=ストロースは非西洋を『未開』と呼び、非合理で理解不能なものを呪術や迷信として説明したかのように思い込むことによって、『未開と文明』という対立の図式を再生産しているとして、それ以前の文化人類学の宗教研究の問題点を指摘した」

「20世紀後半には、考古学もまた宗教の起源をめぐって研究を進めてきた。ホモ・エレクトゥス(北京原人)の遺跡から、死者の骨の崇拝を含む儀礼を行っていた跡が見つかった。食料が比較的豊富な状況において頭骨がこじ開けられていたのは、カニバリズム(食人の慣行)ではなく、頭のなかの霊的エネルギーを得ようとした証だったのではないかとの推測もある。ヨーロッパと中東のネアンデルタール人の遺跡群からは、死者を洞窟や岩陰に埋葬した跡が発見されている。花が添えられ、頭骨の小孔が拡大された遺骨も出土している。脳髄が取り出されたのは、彼らが霊力や呪力を得るために、それを食べていたからではないかと推測される。さらに、ネアンデルタール人の遺跡からは、並べられた熊の骨が発見され、それらは死者や動物を崇拝していた証拠だと考えられている。このような先史考古学の成果から、現生人類以前の原人やネアンデルタール人の段階で、すでに宗教の萌芽があったと見ることもできる。だがこれらの『証拠』を確定的に解釈するのは難しい。現段階では、今から6~3万年ほど前に、現生人類になってから宗教が出現したとする見方が優勢である」

 また、V・ターナーのコミュ二タス論についての説明があります。

「コミュ二タスとは、日常的な構造のなかに見られる、秩序付けられたヒエラルキーに基づく社会関係から解放されて、非差別的・平等的・実存的であることを特長とする『反構造』的な状態のことである。ターナーは、社会構造とコミュ二タスという二つの異なった社会形態の双方を含む、両者の弁証法的過程として儀礼を理解すべきでると唱えた。人間は日常生活のなかでしだいに社会統合を失う過程で孤立・放埓な状態に置かれ、社会生活の危機に直面するが、反構造的なコミュ二タス状態を通じて、例外的な興奮状態のなかで融合・一体化して集合意識を再活性化させ、ふたたび健全な日常生活を取り戻すのである」

 奥野氏は、民俗学者の折口信夫によって提起された考え方にも言及しています。折口は、人間の持つ比較の能力を「類似点を直観する」ような「類化性能」と「咄嗟に採点を感ずる」ような「別化性能」に分けました。宗教学者の中沢新一氏によれば、折口は、別化性能に基づいて世界を分類整序する現代人にはもはや理解できなくなってしまっている類化性能によって、世界を組み立てていた古代人の心に接近しようとしたのです。

 奥野氏は以下のように述べています。

「折口は、精霊や神々とともにあった古代人のアニミズムは、別化性能にたよっていては理解できないと考えていたのである。人間、動物、精霊などの諸存在のあいだの境界は、本来的にはきっちりと切り分けることができない。諸存在は切り分けられることなく、溶け合って交錯している。 その意味で中沢によれば、アニミズムとは、人間の心の基本構造を作っている『幻想』と本質を同じくしており、それは人間の心的構造のうち幻想領域を土台として、そこに形作られてきた1つの思考構造なのである。そうした幻想領域への思考とは、認知考古学者が示したように、現生人類が認知進化の過程で、流動的知性を作動させることにより獲得した認知能力であった。そのような認知能力を得ることにより、人間は、日常生活において経験されている。目の前の現実と目に見えないその裏側の現実、あるいは、世界のあちら側とこちら側、あるいは、此界と他界をうまく操作したり東郷したりすることによって世界を組み立ててきたのだと言えよう」

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