No.1259 神話・儀礼 | 論語・儒教 『荀子』 金谷治訳注(岩波文庫)

2016.06.03

『荀子』上下巻、金谷治訳注(岩波文庫)を再読しました。
次回作である『儀式論』を書くにあたって、「礼」の思想を整理しておきたいと思っていたのですが、『礼記』『荀子』を読み返すことを思いつきました。

古代中国の儒家である荀子は、紀元前4世紀末頃の趙に生まれました。諱は況。尊称して荀卿とも呼ばれます。漢代には孫卿とも呼ばれました。『史記』によると、荀況は50歳で初めて斉に遊学しました。
斉の襄王に仕え、斉が諸国から集めた学者たち(稷下の学士)の祭酒(学長職)に任ぜられました。後に、讒言のため斉を去り、楚の宰相春申君に用いられて、蘭陵の令となり、任を辞した後もその地に滞まりました。

上巻カバー表紙

本書の上巻のカバー表紙には以下のように書かれています。

「紀元前三世紀の中国の儒者荀況の思想をつたえる『荀子』32篇の全訳。人間の本性は生まれつき素朴なもので、後天的な環境や習俗によって、いかなようにも変化するから、伝統的な教え、即ち『礼』を学ぶことが何よりも必要だと説く。上巻には、後天的な学習修養の必要を主張する『勧学篇』『修身篇』をはじめ15篇を収める」

下巻カバー表紙

また、本書の下巻のカバー表紙には以下のように書かれています。

「孟子の『性善説』に反対して、『人の性は悪、その善は偽なり』と『性悪説』を主張した荀況の思想を漢の劉向がまとめた書。迷信の打破、人間の主体的努力の強調など現実的実際的なその主張は現代にも共感を呼ぶにちがいない。下巻には『礼論篇』『性悪篇』等17篇を収める。原文読み下し文と口語訳を併収して広く一般に理解できるようにした」

現行の『荀子』32篇は以下の構成となっています。

1.勧学篇、2.修身篇、3.不苟篇、4.栄辱篇、5.非相篇、6.非十二子篇、7.仲尼篇、8.儒效篇、9.王制篇、10.富国篇、11.王霸篇、12.君道篇、13.臣道篇、14.致士篇、
15.議兵篇、16.彊国篇、17.天論篇、18.正論篇、19.礼論篇、20.楽論篇、21.解蔽篇、22.正名篇、23.性悪篇、24.君子篇、25. 成相篇、26.賦篇、27.大略篇、28.宥坐篇、29.子道篇、30.法行篇、31.哀公篇、32.堯問篇。

上下巻を一気に読み返して、とにかく「礼」に対する想いに圧倒されます。
「礼」を学ぶ上では『論語』『礼記』と並ぶ名著、いや聖典と言えるでしょう。
わたしの心に残った箇所を以下に抜書きします。( )内は篇名で、「 」内は金谷治による訳文です。この抜書きの作業、パソコンで見つかりにくい漢字も多く正直大変でしたが、非常に勉強になりました。
サンレーグループ社員をはじめ、「天下布礼」を志すみなさんは、ぜひこの書評をプリントアウトして熟読されて下さい。

将に先王に原(もと)づき仁義に本づかんとすれば則ち礼こそ正に其の経緯蹊径なり。(勧学篇)
「古代の聖王の道にもとづき仁義の徳を根本にしようとすれば、礼こそはちょうどその拠るべき道すじである」

人に礼なければ則ち生きられず、事に礼なければ則ち成らず、国家に礼なければ則ち寧(やす)からず。(修身篇)
「礼がなければ人は生活できず、礼がなければ事は成功せず、礼がなければ国家は安寧でない」

礼義を治と謂い、礼義に非ざるを乱と謂う。故に君子は礼義を治むる者なり。礼義に非ざるものを治むる者には非ざるなりと。(不苟篇)
「礼義(合規範的行為)が治平であり礼義でないものが乱である。そこで、君子は礼義を治める人物で礼義でないものを治める人物ではないからだ」

夫れ貴は天子と為り富は天下を有(たも)つことは、是れ人情の同じく欲する所なり。然れども人の欲を従(ほしいまま)にすれば則ち勢は容るること能わず、物は足ること能わず。故に先王は案(すなわ)ちこれが為めに礼義を制して以てこれを分かち、貴賤の等・長幼の差・知愚不能の分あらしめ、皆な人をして其の事に戴(おこない)いて各々其の宜しきを得せしめ、然る後に穀禄の多少厚薄をして(これに)称(かな)わしむ。是れ夫(か)の群居和一するの道なり。(栄辱篇)
「一体、天子の高貴さと天下を保有する富裕さとは、人情として誰しも求めるところである。しかし、そうした欲望を放縦にさせたなら、情勢は許さるべくもないし欲望の対象がまたそれだけ十分でもありえない。そこで古代の聖王はそのために礼義(社会規範)を制定してこれを分別づけ、貴者と賤舎、年長者と幼年者、智者と愚者、有能者と無能者との差等分界を明かにして、すべての人々が仕事を行うのにそれぞれの分に応じて適当なようにさせ、そのうえでそれぞれにふさわしいだけの穀高で俸禄を与えるようにした。これがかの社会生活を和合統一するための方法である」

辦は分より大なるは莫(な)く、分は礼より大なるは莫く、礼は聖王より大なるは莫し。(非相篇)
「弁別の最大のものが分(階級分別)であり分の最大のものが礼(社会的規範)であり、礼はさらに聖王に包摂される」

先王の道は仁の隆(盛)なり。中に比(従)いてこれを行う。曷(なに)をか中と謂う。曰わく礼義こそ是れなれ。(儒效篇)
「古代の聖王の道は仁徳の盛んなもので、中道に従って実践される。何を中道というのかといえば、礼義こそそれだというべきである」

聖人なる者は道の管(枢要)なり。天下の道も是に管(あつま)り百王の道も是に一なり。故に詩書礼楽の道も是に帰す。詩は是の志を言い、書は是の事を言い、礼は是の行いを言い、楽は是の和を言い、春秋は是の徴を言う。(儒效篇)
「聖人というものは道の要である。天下のあらゆる道も聖人に集中し、古来の多くの君主たちの道も聖人に集中する。だから詩や書や礼や楽[などの経典に書かれた]道も要するに聖人に帰一するのである。詩は聖人の心志をいい、書は聖人の事業をいい、礼は聖人の行為をいい、楽は聖人の調和をいい、春秋は聖人の隠された意図をのべたものである」

礼を脩むる者は王たり、政を為す者は彊(つよ)く、民を取る者は安く、聚斂する者は亡ぶ。(王制篇)
「礼を修める者は王者となり、政治を行う者は強者となり、民心を得る者は安泰であり、税金集めをつとめる者は亡びてしまう」

類を以て雑に行い一を以て万に行い、始まれば則ち終り終れば則ち始まりて環の端なきが若(ごと)し。是[の術]を舎(す)つれば而(すなわ)ち天下は以て衰えん。天地なる者は生の始めなり。礼義なる者は治の始めなり。君子なる者は礼義の始めなり。(王制篇)
「唯一の統一原理で雑多な万事を処理し、始まれば終り終ればまた始まってあたかも円環に端のないようにどこまでもつづけていく。こうしたやり方をとらなければ世界は衰微するであろう。[そもそも]天地は生命を生むものであり、礼義は社会平和をもたらすものであり、君子は礼義を働かせるものである」

人は生まれれば群する無きこと能わず、群して分なければ則ち争い、争えば則ち乱れ、乱るれば則ち離れ、離るれば則ち弱く、弱ければ則ち物に勝つこと能わず。故に宮室にも得て居るべからざるなり。[是れ]少頃(しばらく)も礼義を舎(す)つるべからざるの謂なり。能く[礼義を]以て親に事(つか)うるを孝と謂い、能く[礼義を]以て兄に事うるを弟と謂い、能く[礼義を]以て上に事うるを順と謂い、能く[礼義を]以て、下を使うを君[道]と謂う。君[道]とは善く群せしむることなり。群道の当れば則ち万物も皆な其の宜しきを得、六畜も皆な其の長[養]を得、群生も皆な其の命を得ん。(王制篇)
「人間は生まれると集まって社会生活を営まないわけにはいかず、集まってそこに分別がなければ争い、争えば混乱し、混乱すれば離散し、離散すれば弱くなり、弱くなれば他物に優位を占めることはできない。そこで住宅にも安全に居住していけないのである。ほんの少しの間も礼義(社会規範)を棄てることはできないというのはこのためのことである。この礼義に従って親につかえるのを孝といい、この礼義に従って兄につかえるのを悌といい、この礼義に従って君主につかえるのを順といい、この礼義に従って臣下を使うのを君道という。君道とは人々をよく群集させることである。群集させかたが適切であれば万物もそれぞれの手祈祷した在り方をとげ、家畜類もみな繁殖して、すべての生存物がその寿命を全うできるであろう」

国は礼なければ則ち正しからず。礼の国を正す所以は、これを譬うるに猶お衡(はかり)の軽重に於けるがごとく、猶お縄墨(じょうぼく)の曲直に於けるがごとく、猶お規矩(きく)の方円に於けるがごときなり。既にこれを錯(お)けば而ち人これを能く誣(あざむ)くこと莫しきなり。(王制篇)
「国家に礼がなかったならばその国は正常ではない。礼が国家を正常にする関係は、たとえばちょうどはかりと重さ、墨縄と直線、ぶんまわしと円、定規と方形のようなものである。一旦これを設けた以上は誰でも[自分の意見で]これを偽ることはできない」

人の君たることを謂い問う。曰わく、礼を以て分施し均偏にして偏らざるべし。人の臣たることを謂い問う。曰わく、礼を以て君に侍り忠順にして懈(おこた)らざるべし。人の父たることを謂い問う。曰わく、寛恵にして礼あるべし。人の子たるを謂い問う。曰わく、敬愛にして文を致すべし。人の兄たることを謂い問う。曰わく、慈愛して友[道]を見(あら)わすべし。人の弟たることを謂い問う。曰わく、敬詘して悖(もと)らざるべし。人の夫たることを謂い問う。曰わく、和を致して流[淫]せず[妻への]臨を致して辨[別]あるべし。人の妻たることを謂い問う。曰わく、夫に礼されば則ち柔従して聴侍し夫に礼なければ則ち恐懼して自ら竦(つし)むべし。此の道は偏立すれば而ち乱れ俱に立てば而ち治まる。其れ以て稽(かんが)うるに足らん。謂い問う。兼ねてこれを能くせんには奈何(いかん)すべき。曰わく、これが礼を審(つまび)らかにすべし。古者(いにしえ)先王は礼を審らかにして天下に方皇(彷徨)周浹し、動の当らざること無かりき。(君道篇)
「人君としてはどうあるべきか? [臣下に対して]礼(規範)に従って分け与え、あまねく公平にしてかたよることのないようにすべきである。人臣としてはどうあるべきか? 礼に従って君主に奉仕し、忠誠従順で怠らないようにすべきである。父としてはどうあるべきか? 心ゆたかに恵み深くしてしかも礼を厳守すべきである。子としてはどうあるべきか? 親を敬愛しながら礼儀作法を守るべきである。兄としてはどうあるべきか? 弟に対して慈愛深く友人のようにふるまうべきである。弟としてはどうあるべきか? 慎んで身を退ぞけ兄に逆らわぬようにすべきである。夫としてはどうあるべきか? 妻と仲よくして淫乱に流れずしかも威厳を立てて男女の別を守るべきである。妻としてはどうあるべきか? 夫が礼儀正しければ従順に服従奉仕し夫が無礼であれば恐縮してわが身を反省謹慎すべきである。これらの道徳は[相互的であるから]どちらか一方だけが行うのでは結局破られるわけで、両方で守られてこそうまく治まるものである。深慮するに足る問題がここに存するであろう。[それでは]以上のことを包括してすべてをうまく行わせるにはどうすべきであろうか。礼(最高規範)を熟考すべきである。古代の聖王は礼を熟考確立して天下にあまねくゆきわたらせ、すべての行動をそれにかなうようにさせたものであった」

これこそは、まさに「天下布礼」そのものでありましょう。

人の命は天に在り、国の命は礼に在り。人君たる者、礼を隆(貴)び賢を尊べば而(則)ち王たり、法を重んじて民を愛すれば而ち覇たり、利を好みて詐[欺]多ければ而ち危うく、権謀傾覆幽険なれば而ち亡ぶ。(彊国篇)
「国家というものにもやはりそれを磨くための砥石があるのであって、礼義節奏(社会規範とその節度)こそがそれである。だから人の運命が天すなわち自然の配剤にあるように、国家の運命は礼のいかんにかかわっている。[従って]人君たる者が礼を重視して賢人を尊重していけば王者の国となり、法制を重視して民衆を愛していけば覇者の国となり、利益を好んで詐欺が多いのでは危国となり、権謀をめぐらして民の足もとをさらって邪悪だというのでは亡国となるのである」

天に在る者は日月より明かなるは莫く、地に在る者は水火より明らなるは莫く、物に在る者は珠玉より明かなるは莫く、人に在る者は礼義より明かなるは莫し。(天論篇)
「天にあるものでは日月が最も明かであり、地上のものでは水火が最も明かであり、物体では珠玉が最も明かであり、人間社会では礼義が最も明かなものである」

水行する者は深きに表(しるし)す、表の明かならざるときは則ち陥る。民を治むる者は道に表す、表の明かならざるときは則ち乱る。礼なる者は表なり。礼を非とすれば世を昏倒(くら)くし、世を昏くすれば大いに乱る。故に道は明かならざるなく、外内に表を異にし、隠顕に常あれば、民の陥(おとし)[穽](あな)は乃ち去るなり。(天論篇)
「川を渡る者は深い所に標識を立てておくが、標識のはっきりしないときは落ちこんでしまう。民衆を治める者は[民衆の]よるべき道に標識を立てるが、標識のはっきりしないときは混乱する。礼(社会規範)こそはその標識である。礼を非難すれば社会を昏迷させ、社会を昏迷させれば大混乱におちいる。そこで、よるべき道がすべてはっきりして、その道の内外表裏では標識が異なりいつも一定不変であるというようにするなら、民衆のおとし穴はついに無くなるのである」

礼は何(いず)くより起るや。曰わく、人は忌まれながらにして欲あり。欲して得ざれば則ち求めなきこと能わず。求めて度量分界なければ則ち争わざること能わず。争えば則ち乱れ、乱るれば則ち窮す。先王は其の乱を悪(にく)みしなり。故に礼義を制(さだ)めて以てこれを分かち、以て人の欲を養い人の求めを給(足)し、欲をして必ず物に窮せず物をして必ず欲に屈(つく)さず、両者相い持して長[養]せしむ。是れ礼の起る所なり。(礼論篇)
「礼の起源はどういう点にあるか? それを論じよう。人間は生まれつき欲望を持っていて、欲望がとげられなければどうしてもそれを追求しないわけにはいかず、追求してそこにきまった範囲の規則分別がなければどうしても争わないわけにはいかない。[こうして]争いあえば社会は混乱し、結局ゆきづまってしまうことになる。古代の聖王はその社会的混乱を憎んだのである。そこで礼義すなわち社会規範を制定して分別づけ、それによって人々の欲望を養い人々の求めを満足させ、対象物[を奪いあってその不足]のために欲望のゆきづまることが決してなく、欲望[を放任した奪いあい]のために対象物のつきてしまうことが決してないようにして、欲望とその対象物とをたがいに平均してのばすようにしたのである。これが礼の発生した起点である」

礼に三本あり。天地は生の本なり、君師は治の本なり。天地なければ悪(な)んぞ生まれん、先祖なければ悪んぞ出でん、君師なければ悪んぞ治まらん。三者に偏(ひとつ)にても亡ければ焉(すなわ)ち安き人なし。故に礼は、上は天に事え下は地に事え、先祖を尊びて君師を隆(とうと)ぶ。是れ礼の三本なり。(礼論篇)
「礼には三つの根源がある。人間にとって天地自然は生命の根源であり、先祖は種族の根源であり、君師としての王者は社会平和の根源である。天地自然がなければどうして生まれようか、先祖がなければどうして出てくれようか、君師としての王者がなければどうして平和でおれようか。この三つのどれか一つが欠けても人間は安泰ではおれない。そこで、礼として天地を祭ってそれにおつかえし先祖を尊重し君師としての王者を仰ぎ貴ぶのである。これが礼の三つの根源である」

王者は太祖を天とし、諸侯は敢えて[其の宗廟を]壊(こぼ)たず、大夫と士には常宗あり。始を貴ぶことを別つ所以にして始を貴ぶは得(徳)の本なり。(礼論篇)
「王者はその太祖を天に配して祭り、諸侯はその始祖の廟を決してとり除かず、大夫と士にはいつの世にも変りなく始祖を祭る宗家があるが、これは先祖を尊重することを分界づけるためのことで、先祖を尊重することこそ道徳の根本である」

礼なる者は人道の極なり。然らば而(則)ち礼に法とらず礼に足らざるはこれを無方の民と謂い、礼に法とり礼に足るはこれを有方の士と謂う。礼の中にして能く思索すればこれを能く慮ると謂い、礼の中にして能く易(かわ)ること勿(な)ければこれを能く固しと謂う。能く慮り能く固くして加うるにこれを好む者は斯(すなわ)ち聖人なり。故に天なる者は高きの極なり、地なる者は下(ひく)きの極なり。無窮なる者は広きの極なり、聖人なる者は道の極なり。故に学者は固より聖人たることを学ぶものなり。特(ただ)に無方の民たることを学ぶには非ざるなり。(礼論篇)
「礼こそは人道の極みである。従って礼に法とらず礼を軽視する者は無方の民すなわち規範を持たない民であり、礼に法とり礼を重視する者は有方の士すなわち規範を持った士人である。礼の規範の中で十分に思索するのがよく思慮するということであり、礼の規範の中でよく節操をかえずにいるのがよく堅固だということである。よく思慮してよく堅固であるうえにさらにこの礼を愛好する者が聖人である。だから天は高さの極み地は低きの極み無窮は広さの極みであるが、聖人は人道の極みである。従って学者はもちろんこの聖人になることを学ぶのであって、単なる無方の民になることを学ぶものではない」

礼なる者は生死を治むることを謹しむ者なり。生は人の始めにして死は人の終りなり。終始の俱に善くして人道畢(つ)く。故に君子は始めを敬(つつ)しみて終りを慎しみ、終始一の如し。是れ君子の道にして礼義の分なり。(礼論篇)
「儀礼というものは出産と死亡とを整えることを最も厳粛にするものである。出産は人生の始まりであり死亡は人生の終りであるから、その終始をひとしく立派にして人道が完成したことになるのである。だから君子はその始まりを重視しまた終りをも厳粛にして終始をひとしく変りのないようにする。これが君子としての道であり礼義(社会規範)としての修飾である」

一朝にして其の厳親を喪いながら而もこれを送葬する所以の者哀しまず敬しまざれば則ち禽獣なるに嫌(疑)いあり。君子はこれを恥ず。故に変じて飾るは悪(醜)を減(な)くする所以なり。動きて遠ざかるは敬しみを遂ぐる所以なり。久しくして平[常]なるは生を優(あつ)くする所以なり。「礼論篇」
「突然にその君主や両親に死なれながらその送葬のしかたは悲哀の情がなく慎重さもないというのであれば、禽獣にもまぎらわしい。君子はそういうことを恥とする。だから儀礼の形式を変化させてそれぞれに修飾するのは屍体の醜さをなくすためのことであり、次第に場所を移して生者から遠ざけるのは慎重さを全うさせるためのことである。時期のたつにつれて平常の生活に戻るのは生存者に手厚くするためのことである」

喪礼なる者は生者を以て死者を飾る者なり。大いに其の生に象(かたど)りて以て其の死を送るなり。故に死せるが如く生けるが如く存(いま)すが如く亡きが如くして終始一なり。(礼論篇)
「喪礼というものは死者を生きている者のようにして飾るのであり、死者を生きている者のようにして送るのである。だから死んだようでもあれば生きているようでもあり、そこに居るようでもあれば居ないようでもあって、そのようにして終始一貫する」

凡そ礼は、生に事うるには歌を飾り、死を送るには哀を飾り、祭祀には敬を飾り、師旅には威を飾るなり。是れ百王の同じき場所にして古今の一なる所なるも、未だ其の由来する所を知る者あらざりなり。(礼論篇)
「一般に儀礼は、生きている人に奉仕するばあいは歓喜の情を修飾するのであり、死者を葬送するばあいは悲哀の情を修飾するのであり、死後の祭祀については畏敬の念を修飾するのであり、軍事に際しては威厳を修飾するものである。これは多くの王者たちに共通したことで、また古代も今も変りのないことであるが、いつからそうなったかを知っている者はいない」

生に事うるは始めを飾るなり、死を送るは終りを飾るなり。終始具わりて孝子の事畢(おわ)り聖人の道も備わる。死を刻(減)して生に附するはこれを墨と謂い、生を刻して死に附するはこれを惑と謂い、生を殺して死を送るはこれを賊と謂う。大いに其の生に象りて以て其の死を送り、死生終始をして総宜にして好善ならざること莫からしむ、是れ礼義の法式にして儒者是れなり。(礼論篇)
「生きている人に奉仕するのは始めを修飾することであり、死者を送るのは終りを修飾することで、この始めと終りとが完備すれば孝子としての仕事はつくされ聖人の教えも全うされるのである。死者に対する儀礼を減らして生者のことを増すのはすなわち刻薄というものであり、生者に対する儀礼を減らして死者のために増すのは惑いというものであり、生きている人を殺して死者を送る[殉葬]は賊というものである。大いに生者のありのままに似せて死者を送り、その生と死、始めと終りとをすべてともに適切に立派にするというのが、礼義(社会規範)としての法式であり、儒者の主張こそはそれである」

三年の喪とは何ぞや。曰わく、情を称(はか)りて文を立て、因りて以て群を飾り親疏貴賤の節を別ちて益損すべかざるなり。故に無適不易の術と曰うなり。創(きず)の巨(おお)いなる者は[癒ゆるには]其の日久しく、痛みの甚だしき者は其の癒ゆること遅し。三年の喪に情を称りて文を立つるは至痛の極と為す所以なり。(礼論篇)
「『(親と君の死に際して)三年のあいだ喪に服すのはどういうわけか。』『それは人情をはかり考えたうえで文飾を設け、それによって社会を修飾して近親と疎遠や貴者と賤者のそれぞれの在り方を分別するものとして、増減することのできない期間なのである。だから他にありようはなくまた変更することもできない手つづきだといわれるのである。大きな傷はなおるのに日数がかかり、はげしい痛みは治療も遅い。三年の喪に人情をはかり考えたうえで文飾を設けるのは。だから他にありようはなくまた変更することもできない手つづきだといわれるのである。大きな傷はなおるのに日数がかかり、はげしい痛みは治療も遅い。三年の喪に人情をはかり考えたうえで文飾を設けるのははげしい[心の]痛みの極点だと考えるためのことである』」

君の喪に三年を取る所以は何ぞや、曰わく、君なる者は治辨(平)の主なり、文理の原(みなもと)なり、情貌の尽(極)なり。相い率いてこれに隆を致すは亦た可(よ)からずや。(礼論篇)
「『[親の喪に対するのはともかく、]君主の喪に対しても三年の期間を守るのはどういうわけであろうか。』『君主という者は国家治平のための中心であり、装飾と合理性との[すなわち最高規範としての礼の]根源であり、感情と形式との調和の[すなわち儀礼の]最高表現である。すべての人々がその君主のために最も隆盛な儀礼をささげるというのは、何と結構なことではないか』」

楽なる者は聖人の楽しむ所なり。而して以て民心を善くすべく、其の人感ぜしむるや深く其の風俗を移すや易し。故に先王はこれを導くに礼楽を以てして民和睦せり。夫れ民には好悪の情あるに而も喜怒の応なければ則ち乱る。先王は其の乱を悪(にく)みしなり。故に其の行(列)を脩め其の楽を正して、而して天下も焉れに順がいしなり。(楽論篇)
「音楽というものは聖人の楽しんだものである。しかもそれによって民衆の心を善導することができ、深く人心を感動させやすやすと風俗を変化するものである。だから古代の聖王は礼と音楽とによって民衆を指導し、それによって民衆は和合して親しみあったのである。そもそも民衆には愛憎の感情があるが、それにもかかわらずそれに対応するものとしての喜びや怒りを表現させなければ、社会的混乱がおこる。古代の聖王はその混乱を憎んだのである。だからそのための序列を整え音楽を正したのであるが、そうすることによって天下の人々もそれに従うこととなった」

人の性は悪にして其の善なる者は偽(作為)なり。今、人の性は生まれながらにして利を好むこと有り。是れに順がう。故に争奪生じて辞譲亡ぶ。生まれながらにして疾(ねた)み悪(にく)むこと有り。是れに順がう。故に残賊生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲の声色を好むこと有り。是れに順がう。故に淫乱生じて礼義文理亡ぶ。然らば則
ち人の性に従い人の情に順がえば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合いて治に帰す。此れを用(も)ってこれを観る。然らば則ち人の性の悪なること明かなり。其の善なる者は偽(作為)なり。(性悪篇)
「人間の本性―生まれつきの性質―は悪いものであって、その善さというのは偽すなわち後天的なしわざ(矯正)の結果である。いま考えてみるのに、人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向があり、それに従ってゆくから、他人と争い奪いあうことになって譲りあうことがなくなるのである。また生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向があり、それに従ってゆくから、他人を害するようになって誠心の徳がなくなるのである。また生まれつき美しいものを見たり聞いたりしたがる耳目の[感覚的な]欲望があり、それに従ってゆくから、無節制のでたらめになって礼義(社会規範)や文理(規範の形式的修飾性)がなくなるのである。してみると、人間の生まれつきの性質や感情にまかせると、必ず争い奪いあうことになって社会的条理が破られることになり、ついには世界の混乱におちいるのである。そこで、必ず教師による規範の感化や礼義による指導があってこそ、はじめて他人と譲りあうようになって社会的条理も守られることになり、ついには世界が平和に治まるのである。以上のことによって観察するなら、人間の本性が悪いものだということは明瞭である。その善さというのは後天的なしわざ(矯正)の結果である」

王曰わく、此れは夫(そ)の文(あや)ありて采あらざる者か。簡然として知り易く致(きわ)めて理ある者か。君子の敬う所にして小人の不(しからず)る所の者か。性[これを]得ざれば則ち禽獣の若く、性これを得れば則ち甚だ雅似なる者か。匹夫もこれを隆(とうと)べば則ち聖人にも為るべく、諸侯これを隆べば則ち四海をも一にする者か。致めて
明かにして約、甚だ順にして体[得]すべし。謂う、これを礼に帰せん。礼。(賦篇)
「王は答える、これはあの文様はありながらはっきりした色彩のないものであろう。偉大なもので分かりやすく甚だすじ目の通ったものであろう。君子の尊敬するものでつまらない小人はそうではないものであろう。生まれつきの本性はそれを得なければ禽獣とひとしく、生まれつきの本性がそれを得たなら極めて正しくなるものであろう。よるべなきひとり者もそれを尊重してゆけば聖人にもなれようし、諸侯がそれを尊重してゆけば世界を統一できるものであろう。極めて明白で簡約、甚だ自然で身につけやすい。さあ、それは礼だと答えよう。―礼―」

大略。人に君たる者は、礼を隆(とうと)び賢を尊べば而ち王たり、法を重んじ民を愛すれば而ち覇たり、利を好み詐多ければ而ち危うし。(大略篇)
「君主として人の上に立つ者は、礼の規範を尊重して賢人を尊ぶなら王者となれるし、法制を重んじて民衆を愛するなら覇者となれるが、利益を好んで民衆をあざむくことが多いと危険である」

人王は仁心を設くべし。知は其の役(下僕)にして、礼は其の尽なり。故に王者は仁を先にして礼を後にす。天の施の然らしむるなり。(大略篇)
「君主たる者は仁心を持つべきである。知はその仁心の下僕であるし、礼はその仁心の具体化である。だから王者は仁を先きにして礼を後にするが、これは自然のふるまいがそうさせるのである」

夫(そ)れ行なる者は礼を行うの謂なり。礼なる者は、貴者には焉(こ)れに敬し、老者には焉れに孝し、長者には焉れに弟(悌)し、幼者には焉れに慈しみ、賤者には焉れに恵むなり。(大略篇)
「そもそも行うというのは礼を行うことである。礼というのは、身分の高い人には尊敬し、老人には孝行をつくし、年上の者には従順にし、幼い者にはかわいがり、身分の低い者には情をかけることである」

礼は人心に順がうを以て本と為す。故に礼経に亡きも、而も人心に順がう者は皆な礼なり。(大略篇)
「礼のおおよぞは、生者に仕えてゆくには喜びの情を飾りととのえ、死者を送るには悲哀の情を飾りととのえ、軍事には威厳を飾りととのえるのである」

吉事には尊を尚(うえ)にし、喪事には親を尚にす。(大略篇)
「吉事の礼には身分の高い者を上席とし、喪の礼では血縁の近い者を上席とする」

既に葬りてより、君若しくは父の友これに食せしむれば則ち食す。梁肉を辟(さ)けざるも酒醴(しゅれい)あれば則ち辞す。(大略篇)
「喪礼で既に棺を土に埋める葬式が終ったなら、君か父の友人が食事をすすめたばあいには食べてもよい。梁(おおあわ)の飯で肉の御馳走でもかまわないが、酒か醴(あまざけ)があればそれは辞退する」

聘士の義と親迎の道は、始めを重んじるなり。
礼なる者は人の履[行]する所なり。履[行]する所を失すれば必ず顛蹶陷溺(てんけつかんでき)す。失する所は微にして、其の乱を爲すことの大いなる者は礼なり。
礼の国家を正すに於けるは、権衡(けんこう)の軽重に於けるが如く、縄墨の曲直に於けるが如きなり。故に人に礼なければ生きず、事に礼なければ成らず、国家に礼なければ寧(やす)からず。(大略篇)
「君主が士を招きよせる聘礼の身と、婚礼に新郎が新婦を迎えにゆく親迎の礼の意味とは、ともにものごとの始めを重視したものである。
礼というものは人のふみ行うものである。そのふむ所を誤ったなら必ずつまずき倒れておちこんでしまう。誤った点は微小でもその混乱することの大きなのが礼というものである。
礼が国家を正しくするのは、例えばはかりが重さをはかるようであり、墨なわが直線を正すようである。だから人は礼がなければ生きてゆけないし、ものごとは礼がなければ成就しないし、国家は礼がなければ安寧でない」

『荀子』には、よく「はかり」が登場しますが、じつは「礼」のはかりが実在します。
以下に登場する「宥座之器(ゆうざのき)」というものです。

孔子、魯の桓公の廟を觀るに、敧(かたむき)たる器あり。孔子、廟を守る者に問いて、此れを何の器と為すかと曰えるに、廟を守る者は曰わく、此れ蓋(けだ)し宥坐の器と為さんと。孔子曰わく、吾れは聞けり、宥坐の器は、虡(むな)しきときは則ち敧き、中(なかば)なるときは正しく、滿つるときは則ち覆(くつが)えると。孔子顧みて弟子に謂(つ)げて、水を注げと曰う。弟子、水を把(つか)みてこれに注げるに、中にして正しく、満ちて覆えり。虡しくして敧きたり。孔子喟然(きぜん)として歎じて曰わく、吁(ああ)、悪(な)んぞ満ちて覆えらざる者あらんやと。(宥坐篇)

「孔子が魯の国の桓公の霊廟を拝観したとき、そこに傾いた器があった。孔子は霊廟の係役人に『これは何という器ですか。』と問うたところ、その役人は『これは恐らく坐右の戒めの器というものでしょう。』と答えた。そこで孔子はいった。『わたくしは聞いたことがあります。坐右の戒めの器というものは、空っぽのときには傾き、半分ぐらいは入ったときにはまっすぐになり、一ぱいに満したときにはひっくりかえるものだそうです。』そこで孔子は弟子たいをふりかえって『水を入れてみなさい』といった。弟子が水をくんでそのなかに入れてみると、[はたして]半分ぐらいでまっすぐになり、一ぱいに満すとひっくりかえり、空っぽになると傾いた。孔子は長い息をはいて嘆息すると『ああ、一ぱいに満ちてひっくりかえらないものがどうしてありえよう。[何事もこの器の戒しめどおりだ。]』といった」

 天道館に設置された「宥座之器」

「満ちないためには、どのように心掛ければよいのでしょうか」と弟子の子路に質問された孔子は次のように答えました。「優れた才知をもつ者は自信の愚を自覚し、功績や手柄のあるものは謙譲の心を持ち、勇力をもつものは恐れを忘れずに、富をもつものは謙遜すべきである」

結局、孔子は「中庸」の大切さを説いたわけです。この器、じつは「平成の寺子屋」こと天道館に置かれており、サンレーグループでは有名です。
天下布礼」を推進するための秘密兵器ならぬ秘密礼器という位置づけであります。詳しくは、わたしのブログ記事「宥座之器」をお読み下さい。

 「天下布礼」推進の秘密礼器です!

荀子は、この読書館でも紹介した『孟子』の内容とよく対比されます。孟子の「性善説」に対して、荀子は「性悪説」を唱えたからです。荀子によれば、人間は放任しておくと、必ず悪に向かいます。この悪に向かう人間を善へと進路変更するには、「偽」というものが必要になります。「偽」とは字のごとく「人」と「為」のこと、すなわち人間の行為である「人為」を意味します。具体的には「礼」であり、学問による教化です。なお、この「偽」を排して自然な生き方を提唱した人物こそ、道家の老子でした。

よく荀子の性悪説は誤解されます。悪を肯定する思想であるとか、人間を信頼していないニヒリズムのように理解されることが多いのですが、そんなことはまったくありません。人間は放任しておくと悪に向かうから、教化や教育によって善に向かわせようとする考え方なのです。人間は善に向かうことができると言っているのですから、性悪説においても人間を信頼しているのです。ユダヤ教やフロイトが唱えた西洋型の性悪説とは、その本質が異なっているのです。孟子の性善説にしろ、荀子の性悪説にしろ、「人間への信頼」というものが儒教の基本底流なのです。

とはいえ、人間の主体性を信頼せず、法律で人民を縛る法治主義を唱えた韓非子や李斯といった法家の巨人もまた、荀子の門人でした。
中国を初めて統一した秦の始皇帝は、韓非子や李斯の意見を取り入れましたが、「焚書坑儒」として知られる儒教の大弾圧を行ったことで知られます。しかし、始皇帝に影響を与えた法家の師である荀子は、漢代において孟子よりも儒教の正統とされたのです。

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