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2016.08.14
『さよなら ママがおばけになっちゃった!』のぶみ著(講談社)を読みました。この読書館でも紹介した『ママがおばけになっちゃった!』の続編です。
前作はベストセラーになりましたが、今年の7月13日に刊行された本書も話題になっています。著者は1978年、東京都生まれ。『ぼく、仮面ライダーになる!』シリーズ(講談社)や、『しんかんくん』シリーズ(あかね書房)、『うんこちゃん』(ひかりのくに)など160冊以上の絵本を発表しています。
本書の帯
カバー表紙には、前作と同じく、小さな男を抱いたお母さんの幽霊が描かれており、二人の目には涙が光っています。帯には「ママ・・・・・・、こまらせて ごめんね」という男の子のセリフとともに、「はなれていても、ずっと見守っている―母が子へ、子が母へ託した『さよなら』のためのメッセージ」「シリーズ累計53万部突破!」と書かれています。
本書の帯の裏
アマゾン「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「『ママがおばけになっちゃった!』、待望の続編です。
きょうは ママの おそうしきです。おばけになって、かんたろうのもとへ現れていたママですが、ほんとうにお別れの時がやってきました。
目に見えなくても、ママはかんたろうのそばにいる。
『ママが かんたろうの なかに いる こと、おもいだして ほしい。それ なら ママと あえなくても へいきでしょう?』そう問いかけるママに、かんたろうは思わず叫びます。『え! なんだよ! なんなんだよ! あえなくて へいきな わけ ないじゃん! ひどいよ、ママ!』
辛すぎる別れと、母子はどのように向き合うのでしょうか」
ママは自分の死に顔に違和感を・・・
本書を読みながら、わたしは、「前作同様、ちょっとギャグを狙いすぎでは?」と思いました。死別という重いテーマを少しでも軽くしたいのはわかるのですが、ママの遺影が他人の顔と替わるとか、生前のママがよく「おなら」をしていたなどというギャグはあまりにも下らなくて逆効果です。
ただ冒頭で、おばけになったママが棺に納められた自分の顔を見て、「ええー! これが あたし? しかくすぎる! おべんとばこみたい!」とショックを受けるシーンがあるのですが、これには納得しました。というのも、わたしも最近、自分の死に顔を見て違和感を覚えたからです。
わたしはNIKKEI STYLEに「一条真也の人生の修め方」というコラムを連載していますが、第36回目となるコラム「死と再生を疑似体験する」には、わたしが棺に入っているイラスト付きですが、なんと三角巾まで頭に着けているのと、顔が角張りすぎていて、「これは似ていない!」と思いました。もっとも、担当編集者の池田さんは「一条さんにソックリに描くようにイラストレーターに指示しましたが、見事に期待に応えてくれて、安心しました」などと言われていましたが・・・・・・(苦笑)
「おそうしき」の場面も登場します
それから、肝心の「おそうしき」の場面が短すぎるのも残念でした。
本書では葬儀が完全にギャグの場(ドリフじゃあるまいし!)にあっていますが、もう少し、葬儀という儀式の意味を説明してほしかったです。もちろん子どもに対して難しい話をしても仕方ありませんが、親戚や近所の人が泣いたり、かんたろうに向かって「あなたのお母さんは、とても優しい人だったのよ」などと故人の思い出を語りかける場面があっても良かったと思います。
わたしが経営する冠婚葬祭会社では、各地のセレモニーホールで小学生向けの模擬葬儀を行うことを計画しています。「いのちの教室」と題して、「生」と「死」の意味を学ぶ場を提供したいと願っています。小さな子どもたちに、どれだけ葬儀の意味と価値を伝えることができるか・・・・・・ここに、この国の「こころの未来」がかかっていると言っても過言ではないと思います。
いずれ、自分でも『おそうしき』という絵本を書いてみたいですね。
鏡を見るふたり
ところで、かんたろうとママが鏡を見ながら、以下の会話が交わされます。
ママ「ほうら、かんたろうと ママの かお そっくりでしょう?」
かんたろう「ホントだ! そっくり!」
ママ「めも はなも くちも、こころの なかにも ママが いるのよ」
かんたろうこそ、ママの「遺体」です!
かんたろうの中には、ママが生きているのです。
これを読んで、わたしは、「かんたろうは、ママの遺体だ」と思いました。
拙著『唯葬論』(三五館)にも書きましたが、中国哲学者で儒教研究の第一人者である加地伸行氏によれば、「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。つまり遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち「子」なのです。あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているということです。
そう、遺体があれば、人は生き続けることができるのです!