No.1310 オカルト・陰謀 『未確認動物UMAを科学する』 ダニエル ロクストン&ドナルド・R・プロセロ著、松浦 俊輔訳(化学同人)

2016.09.05

『未確認動物UMAを科学する』ダニエル ロクストン&ドナルド・R・プロセロ著、松浦 俊輔訳(化学同人)を読みました。「モンスターはなぜ目撃され続けるのか」というサブタイトルがついています。共著者の1人は、少年時代はUMAを信じており、懐疑論に転じた今でもUMAに魅かれ続けているライターです。もう1人は、古生物学者・地質学者で、科学者の立場かUMA実在説を厳しく検証します。2人の視点が違うところが、本書を面白い読み物にしています。総計576ページの大冊ですが、一気に読了しました。

 本書の帯

表紙にはビッグフットあるいはイエティのイラストが使われ、帯には「誤認か捏造か、それとも本物か?」「ビッグフット、イエティ、ネッシー、モケーレ・ムベンべなどの真偽論争を徹底検証!」と書かれています。
また帯の裏には「未確認動物学は科学かトンデモか? 人はどうしてモンスターに惹かれるのか? UMAは本当にいるのか、いないのか?」「野生動物学、科学論、民俗学、心理学の知見をふまえて謎を解き明かす」「UMAを否定するあるいは愛するすべての人へ」と書かれています。

本書の帯の裏

さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「いつの時代でも人は、モンスターに心を奪われてきた。その1つであるビッグフットやネッシーといった未確認動物(UMA)にまつわる『未確認動物学』の真相を解き明かしていくのが本書である。取り上げるのは、かの有名なビッグフットのほか、変幻自在に多くの文化に現れる雪男イエティ、目撃が非常に多いネッシー、形を変えて進化してきた大海蛇シーサーペント、コンゴの恐竜モケーレ・ムベンべ、などである。著者たちは、UMAの実在を擁護する側と否定する側の両方の議論を詳細に検討し、神話を現実にしようとする疑似科学に果敢に挑む。未確認動物とは本当は何物なのか。また、超自然現象を頑固に信じる人々の背後にはどんな心理が隠されているのか、著者たちの科学的な論証は、複雑化するこの世界において、批判的・論理的に考えることの大切さを教えてくれる」

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

序文―現物を見せてくれ(マイケル・シャーマー)
「まえがき」「謝辞」
1.未確認動物学―本物の科学か疑似科学か
2.ビッグフット―あるいは伝説のサスクワッチ
3.イエティ―「雪男」
4.ネッシー―ネス湖の怪獣
5.シーサーペントの進化―海馬からキャドボロサウルスへ
6.モケーレ・ムベンベ―コンゴの恐竜
7.人はなぜモンスターを信じるのか―未確認動物学の複雑さ
「訳者あとがき」「註」「索引」

序文「現物を見せてくれ」では、マイケル・シャーマーが以下のように書いています。

「存在が証明されていない動物についての研究は、『未確認動物学』と呼ばれる。この名称は、1950年代の末、ベルギーの動物学者ベルナール・ユーヴェルマンスによって造語された。未確認類、つまり隠れている動物は、土の上の足跡、ピンぼけの写真、粒子の粗い動画、夜中に遭遇した奇妙なものについての断片的な話から生まれる。未確認動物は、先に触れたような巨大な類人猿、湖の怪獣、巨大な海蛇、大ダコ、蛇、鳥、さらには生きた恐竜(最も有名なものは、中央/西アフリカのコンゴ盆地の川や湖を歩き回っていると言われるモケーレ・ムベンベだろう)など、いろいろな形をとる」

続けて、シャーマ―は未確認動物について以下のように述べます。

「未確認動物が関心を向けるに値する理由は、それまで科学者が知らなかった動物が発見される例は十分にあるということだ。それが地元の断片的な話や伝承であっても、頭から否定することはできない。有名な例には、1847年のゴリラ(1902年のマウンテンゴリラも)、1869年のジャイアントパンダ、1901年のオカピ(キリンの近縁だが首が短い)、1912年のコモドオオトカゲ、1929年のボノボ(ピグミーチンパンジーとも呼ばれた)、1976年のメガマウス(巨大なサメ)、1984年のカウェカウェアウ(巨大ヤモリ)、1991年のアカボウクジラ類の一種、1992年にベトナムで見つかったサオラ(レイヨウの類)などがある。未確認動物学者がとくに自慢するのは、1938年のシーラカンスの捕獲だ。いかにも古代魚の風貌をした、動物学者は自亜紀に絶滅したと信じていた魚で、まるで『ほら、ビッグフットも本当はその辺にいて見つかるのを待っているんだ』と言っているかのようだった」

1「未確認動物学」では、「古生物学」として以下のように書かれています。

「マンモス、マストドン、サイ、恐竜のような大型動物については立派な化石記録が存在する。そういうわけで、古生物学者は、同じ大きさの多くの動物の豊富な骨があるのに、しかじかの動物の化石が同じ年代の地層に見つからない場合には、その地域にはほぼ確実にその動物はいなかったことに相当の自信を持てる。大きな骨のある動物の小さな骨の断片でもきわめて長持ちするので、古生物学者は、化石になった断片がどんなに小さくても、その動物がいたことを判定できる」

続けて、以下のように書かれています。

「こうした考察には、ビッグフット、ネッシー、モケーレ・ムベンベのような大型未確認動物ほとんどすべてにとって重大な意味がある。こうした動物がそれぞれの棲息地に未確認動物学者が唱えるほど長い間暮らしてきたのなら、化石記録が残っているはずだ。ビッグフットやネッシーの骨格は太平洋岸北西部やスコットランドの氷河期の堆積物から露出するだろう。マンモスやマストドンのような、かつて北米やイギリスに棲息していた他の大型動物はそうなっているのだ。ところが、ビッグフッドやネッシーは化石記録のどこにも存在した証拠はない」

さらに続けて、以下のように書かれています。

「保存状態の良い、世界中の化石記録から、古生物学者は、恐竜の時代である中生代(2億5000万前〜6500万年前)のどの地域にどの恐竜や海洋爬虫類がいたかを正確に特定できる。さらに重要なことに、6500万年前より新しい地層の中に恐竜の化石がまったくないことは(恐竜の生き残りである鳥類は除く)、非鳥類恐竜あるいは巨大海洋爬虫類が、白亜紀(1億4400万年前~6500万年前)の終わりにあった大量絶滅を生き延びていないことの強力な証拠となる。この論証は、プレシオサウルスに似たネッシーや、竜脚類のようなモケーレ・ムベンベにもあてはまる」

2「ビッグフット」では、「見間違え」として以下のように書かれています。

「間違いはあるものだ――原野に入って行く誰にでも。見るときの状況は変動し、理想的な状況はない。時刻、季節、周囲の茂り方、天気、人間の側の違い(眠さ、経験、予断、恐怖、視力など)、すべてが一体になって、人の目撃者としての信頼性を下げる。人間がたとえわずかでも間違いうるかぎり、あとは数の問題だ。十分な時間があれば、見る回数も十分になって、ひどい間違いを生むことになる。北米で毎年、何百万という人が動物を見る。幹線道路を横切る鹿、ごみ捨て場をあさる熊、樹木の間を移動する形のよくわからない何か。北米にいる人々は誰でもビッグフットがいるかもという考えを知っているので、動物を目撃する総数が莫大となれば、その中にはサスクワッチと遭遇したという話が出て来ることは、この世にサスクワッチがいなくても、ほぼ確実にある」

3「イエティ」の最後は、「捜索は続く」として次のように書かれています。

「実は、ラインホルト・メスナーらが集めたイエティの本当の意味を示す最も決定的な証拠は、ヒマラヤ地方に住む民族の多くが、イエティはヒマラヤヒグマの怖さに基づいて生まれ、宗教的なシンボルに姿を変えた神話であることを知っているし認めているということだ。メスナーはダライ・ラマの許を訪れたとき、まさしくこんな質問をされたことを語る。
『ミギオとチェモン[ヒグマの呼び方の1つ]とイエティが同じものではないかとお考えか』[とダライ・ラマは尋ねた]
『そう思うどころか、そのように確信しております』と私は言った。それから私は唇に指を当てると、ダライ・ラマもそうした。これは2人の秘密にしておかねばならないことを承知しているかのように」

5「シーサーペントの進化」では、いわゆる「ニューネッシー事件」について以下のように書かれています。

「誤認は未確認動物学にはよくあるばかげた話だが、今はもうないと言えるほど過去の話ではない。有名な事例は、日本のトロール漁船瑞洋丸の例だろう。1977年、ひどく腐敗した死骸をニュージーランド沖の太平洋で引き上げたのだ。『ものすごい悪臭と、甲板にしたたる不快な脂肪の液体』をいやがった乗組員は、死骸を撮影し、組織の標本を取って、海へ投棄した。『ロサンゼルス・タイムズ』は、標本がなくてもひるむことなく、この悪臭を放つ、べとべとの塊がプレシオザウルスの生き残りではないかと推測した。『1億年前に絶滅したと考えられる巨大恐竜』である。しかしそうではなかった。組織標本からわかったのは、歴史を知っている人にはすでに明らかなことだった。それはウバザメだったのだ。またしても」

また、「プレシオサウルス仮説」として、以下のように書かれています。

「初期のSF作家は、今日の後継者たちと同様、物語の可能性のために劇的な科学的発見を期待した。そしてプレシオサウルスとイクチオサウルスが登場するとドラマチックになった。たとえば、ジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』(1864年)では、登場人物が秘密の地下の海で筏にしがみつき、『恐ろしい洪水以前の爬虫類、イクチオサウルス』と、『亀の甲羅のようなもので姿を変えた大蛇で、イクチオサウルスの恐ろしい敵であるプレシオサウルス』との戦いを目撃する。アーサー・コナン・ドイルの小説『失われた世界』(1912年)やエドガー・ライス・バローズの『時に忘れられた国』(1918年)の現代人の登場人物も、生き残ったプレシオサウルスを目撃し、それとかかわりあう。バローズの本ではドイツのUボートの乗組員がプレシオサウルスのステーキをうまいと言っている」

さらに、「キャドボロサウルス―北米北西部のシーサーペント」では、ネス湖のネッシーと同じく、キャドボロサウルスも「キングコング」に登場する恐竜の影響を受けているとして、以下のように書かれています。

「私の強い疑念は、キャドボロサウルスは映画『キングコング』に、あるいはもっと言えば、スコットランドのネス湖で見つかったばかりの、やはり『キングコング』に基づいていた怪獣をめぐる世界的報道に触発されたのではないかということだ。事件はどう進展したかを見てみよう。
ウィルズによれば、それは文字どおり、大したニュースがない日に始まった。ウィルズは回想する。『ある朝、「タイムズ」の記者室は暇だった。サツ回りの記者は酔払いの事件さえ手に入れられずに取材から帰っていた。この記者はやけになって大声を上げた。「何人かがキャドボロ湾でシーサーペントを見た」と言ってるんですよ。こいつをトップにしませんか』。ウィルズは記者のテッド・フォックスを、まず目撃者のW・H・ラングリーと、別の目撃者フレッド・W・ケンプのインタビューに派遣した。翌日、一面に大見出しが踊った。『ビクトリア沖で巨大シーサーペント。複数のヨットマンが語る』。これはビクトリア市民の想像力を捉え、似たような目撃談が相次ぎ、永遠の伝説の始まりとなった」

これまで、この読書館でも『幻獣ムベンベを追え』『怪獣記』『未来国家ブータン』『雪男は向こうからやって来た』 など、恐竜の生き残りや雪男などについて書かれたUMA本を紹介してきました。
本書もまた、非常に興味深く読みました。

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