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2016.12.18
『日本人がつくる世界史』日下公人・宮脇淳子著(KADOKAWA)を読みました。CS放送で行われた評論家の日下氏と歴史学者である宮脇氏の対談に加え、両氏の単独執筆の文章を掲載した一冊です。宮脇氏は日本文化チャンネル桜にたびたび出演し東洋史に関する解説をしており、夫は東洋史学者の岡田英弘氏です。
本書の帯
本書の帯には、以下のように書かれています。
「今こそ日本を中心とした、日本から見た世界史が必要である。」「自己中心的でない、傲慢でない日本人こそ公平な世界史が語れるのだ。」「保守言論界の長老と東洋史の専門家の人気対談番組、待望の書籍化! 憲政史家・倉山満との対談も収録。」
また、本書のカバー前そでには以下のように書かれています。
「世界史の中で何が本当で、何が嘘なのか。 十字軍、三十年戦争、フランス革命とはどんなもので、 マルクス主義では何が説かれているのか。 モンゴル人やチベット人、ウイグル人と 中国のあいだには何があったのか。 ロシアのクリミア編入は歴史から見て どういうことなのか。 世界中の人がそうしたことを知っておくべきである。 今、”新しい世界史が必要である” そしてそれを書けるのは公平な日本人しかいない」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1章 「偏った世界史」にいかに日本人は騙されてきたのか
(日下公人)
第2章 「間違いだらけの世界史」と自信を持てなさすぎた日本人
(日下公人×宮脇淳子)
第3章 フランス革命、マルクス主義とは何か?
(宮脇淳子)
第4章 真実を知ることによって世界に誇れる日本が見えてくる
(日下公人×宮脇淳子)
第5章 「真の学問」とは何なのか?崩壊していく日本の大学と教科書
(日下公人×宮脇淳子)
第6章 特別ゲスト対談
1648年にできたウェストファリア体制で世界はようやく日本の『古事記』時代に追いついた
(倉山満×宮脇淳子)
終章 新しい世界史はどのようにつくるべきか?その方法論と完成形について
(日下公人)
終章を受けて
(宮脇淳子)
「おわりに」
「はじめに」の冒頭を、宮脇氏は以下のように書きだしています。
「日本人が学校で学ぶ世界史は、戦前には西洋史と東洋史に分かれていたのが、戦後合体したものです。西洋史はギリシア、ローマから始まり、イギリス、フランス、ドイツの歴史を語るものでしたが、もとをさかのぼると、紀元前5世紀にヘーロドトスがギリシア語で書いた『ヒストリアイ』にいたります。東洋史は、西洋史学である「史学科」が、1886年に創立された帝国大学にドイツ人リースが招聘されて開設されたのに対抗してつくられた支那史学がもとになっています。1910年に東洋史と改称されましたが、つまり、アジアの歴史を西洋史と対等なものにしようという日本人の努力の賜物が東洋史なのです。この地域でもっとも古い史料は、紀元前100年頃に司馬遷が漢文で書いた『史記』です」
続けて、宮脇氏は以下のように述べています。
「ところがこの2つの歴史は、もともと別の地域の話であるうえに、過去の見方と叙述の仕方がまったく違っています。ヘーロドトスは、国家も人間と同じように誕生してだんだん成長し、壮年期を迎えて大きくなり、老いてやがて滅びると考えました。アジアとヨーロッパがつねにライバルで抗争してきたという歴史も、ヘーロドトスがつくった物語です。一方の司馬遷は、天下は不変で、シナを統治する君主は天命を受けていると考えました。天命を受けた正統の天子が治める天下に時代ごとの変化があってはならないので、漢字で書かれたものは、時代を下るに従ってどんどん史実から離れていくのです」
第1章「『偏った世界史』にいかに日本人は騙されてきたのか」の「日本人が登場する『世界史』がない理由」では、日下氏が紀元前5世紀にヘーロドトスがペルシア帝国史として書いた『ヒストリアイ』と、紀元前100年前後に司馬遷が前漢までの歴史を書いた『史記』を取り上げ、以下のように述べています。
「ヒストリアイというのは”自ら研究調査したところ”という意味のギリシア語です。ヘーロドトスがこれを書くまで、世界中どこにも歴史書は存在しませんでした。それに遅れて書かれた『史記』の「史」は歴史の史だというように思われがちですが、当時としては帳簿係という意味で、人を指す言葉だったそうです。その後、13世紀にはモンゴル帝国が出現してユーラシア大陸のかなりの部分を統一しました。それによって東アジアから地中海まで道がつながり、そこではじめて”世界史の土台”ができたのです。それまではほとんど接触がなかった西と東の2つの文明がここでようやく合流して、互いに影響を及ぼし合うようになったのです」
「捻じ曲げられた世界史を『修正』する意味」では、日下氏は世界史における重要ポイントを3つあげています。以下の通りです。
(1)白人は略奪主義だった
(2)キリスト教はそれを正当化する道具にされた
(3)略奪主義の300年間にどんなことが行なわれてきたか
この3点をしっかり書き切るだけでも、多くの人がイメージしている世界史とはまったく違ったものができ上がるといいます。
また、日下氏はキリスト教の真実について、以下のように述べます。 「キリスト教には排他的な性格があります。1096年から始まった十字軍の遠征では、キリスト教徒によるイスラム教徒の弾圧が行なわれています。聖地エルサレムの奪還を目的としながら、罪のない人々を殺戮し続け、その犠牲者は何百万人にものぼったといわれています。30年戦争(1618~1648年)にしても、ヨーロッパ中の国々がプロテスタントとカトリックに分かれて繰り広げられた宗教戦争です。戦乱の中心となったドイツ地方は荒廃し、大きく人口を減らしています。 メイフラワー号でアメリカに渡ったのは、その争いから逃れたピューリタン(プロテスタントの一派)です。アメリカ大陸に着いたときには現地の人たちに助けられていながら、殺戮と略奪によって原住民の土地を奪っていきました。恩を仇で返したわけです。 その後、アメリカに渡っていったのは、移住を条件に刑務所から釈放された食い詰め者たちでした」 このあたりは、わたしも、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に書きました。
「偽られた『アメリカの正義』」では、日下氏は以下のように述べます。
「アメリカが提示する歴史は、欺瞞と脚色に満ちています。 たとえばアメリカで日本の真珠湾攻撃を映画化するときは、日本の飛行機が市街地に無差別に爆弾を落として、多くの住民に被害を与えたように描きます。それを見た若い日本人はそうだったのかと思ってしまうが、しかし実際のところ、日本軍はそんなことはしていません。貧乏な日本軍が攻撃するのは軍事目標だけであり、一般市街地を攻撃するようなことはなかったのです。日本各地での空襲やベトナム戦争での空爆がそうだったように、アメリカ人は自分たちが絨毯爆撃を常としてきたので、そんな描き方をするのです」
「四通りに分けられる『歴史の見方』では、日下氏は、(1)進歩史観(2)末法思想(3)循環史観(4)最後の審判をあげ、歴史の見方は、大きく分ければ、この4通りになるといいます。 「歴史とストーリー・リテラシー」では、著者が以下のように述べます。
「日本人は子供の頃から縛りのない自由なストーリーに慣れています。そのために大きな影響を持っているのはマンガです。日本のマンガは練り込まれたストーリーを持っていますが、欧米のコミックは、4コマだったり、勧善懲悪の1話完結型のものがほとんどです」 「主人公が年を取るということに混乱するアメリカ人に比べ、幼いうちからそうした展開に慣れているのが日本人です。日本人は世界一、ストーリー・リテラシーが発達しています。リテラシーとは読解力のことです。そもそも歴史は、写真や発掘物など視覚的な情報となる『ピクチャー』、政治や文化、事件などを動かしていくことになる登場人物たちの『キャラクター』、そして起きたことに対する解釈を含めた『ストーリー』の3点が重要な構成要素になります。マンガとの共通点は多いといえます」
第2章「『間違いだらけの世界史』と自信を持てなさすぎた日本人」の「なぜ日本人が『過ちの西暦』を使うのか」では、マラソンについて宮脇氏が次のように述べます。
「近代オリンピックの目玉競技となったマラソンの起源が『マラトンの戦い』(紀元前490年)だということは比較的よく知られています。ただこれは、はじめてヨーロッパ(アテナイ・プラタイア軍)がアジア(ペルシア軍)に勝利した戦いだったということを知っている人は少ないんですよね。その勝利を知らせるために戦地からアテナイまで40キロを走って死んだ兵士がいたという『ヒストリアイ』の記述にちなんだものです。 『マラソンはヨーロッパがアジアに勝った記念から始まっているんだよ』と学生たちに教えると、みんなショックを受けますよ。マラソンやオリンピックを否定するわけじゃなくても、そういうところにもヨーロッパ優位の考え方があるのに、知らず知らずそれを受け入れていることになるわけです」
「財産目当てだった『市民革命』『文化大革命』」では、両者は以下のような対話を交わします。
宮脇 コミンテルンは天皇陛下のもとで団結している日本が目障りで、こういう国家をなくそうとする運動でしたからね。いまでも「国家」という言葉を使うだけで、過剰に反応する人がいますよね。
日下 国家と言わない人たちは「市民」という言葉が大好きなんです。でも、市民というのはどんな人でしたか?もともとは泥棒なんです。
宮脇 そうなんですよね!王様を殺して王様の財産を盗んだんですから。
日下 最初は、教会を潰して、教会が持ってる財産をとりあげて、自分たちが金持ちになった。それで、お前らは暴徒だと言われたときに、「いや、市民だ」と。わかりやすくいえば、それが市民革命なんです(清教徒革命、アメリカ独立革命、フランス革命などが市民革命としてくくられる)。
「『中国四千年の歴史』という嘘」では、宮脇は以下のように述べます。
「紀元前221年にいまの中国の核となる地域を始皇帝が統一して『秦』となりましたが、シナもチャイナもこの秦の読みが転訛したものです。日本では江戸時代までは、はるか昔に滅びた漢や唐と呼んでいました。それが、ヨーロッパがお隣の大陸をチーン(チャイナ)と呼んでいることを知って、新井白石が『大蔵経』から『支那』という漢字を探してこれに当てました。それからずっと、支那だったんです。 戦後、GHQの命令によって『シナ(支那)』をすべて『中国』に書き換えていくことになり、シナ通史も中国史とされてしまいましたが、最初に中華民国ができたのは1912年であり、中華人民共和国ができたのは1949年なんです。中国4千年などというのはそもそもおかしくて、秦から考えるなら『シナ2200年』、中華人民共和国から考えるなら『中国66年』です。漢字の『支那』はいい意味ではないということから蒋介石が『支那は蔑称』だといって、この書き換えが始まっているのだから、支那ではなく『シナ』と書けばいいだけの話です」
「嘘をつくことを勧める『論語』では、宮脇氏は以下のように述べます。
「日本人は虚心坦懐というか、いいと思うもの、珍しいものは、全部、取り入れてきましたからね。それでいてキリスト教に染まったり儒教に染まったりもしていないわけです。知識として押さえていながらも相対的に見られるので、世界史を考えるには非常にいいポジションにあると思います。いまある世界史はひどいものですが、日本人ならその呪縛を解いて、正しい世界史を編み直せるはずなんですよ」
第3章「フランス革命、マルクス主義とは何か? クリミア問題とは何か?」の「限りなく宗教に近い『マルクス主義』」では、宮脇氏が以下のように述べます。
「マルクス主義はある意味、キリスト教の鬼っ子のような面があります。 マルクス(1818~1883年)の言っていることは『新約聖書』にも近いことです。 キリスト教はユダヤ教から出てきたもので、ユダヤ人じゃなくても信者になれるということで爆発的に世界に広がっていきました。信仰によって救われた人たちもいるはずですが、宗教戦争が繰り返されて、多くの犠牲者が生まれました」
続けて、宮脇氏はマルクスについて以下のように述べます。
「そんな中で登場してきたマルクスは、新たなイデオロギーを提示しました。 ドイツの地方生まれのユダヤ人であるマルクスは、市民革命が相次いだ時代にヨーロッパを転々として赤貧生活を送っていました。そして、わかりやすくいえば、『貧乏人は救われる』『虐げられている人たちに正義がある』『労働者は団結しろ』『既得権益者をやっつけろ』というようなことを説いていったのです。『それならば、マルクス主義は宗教なのではないですか?』と質問する人もいますが、そう感じるのも当然です」
さらに宮脇氏は「マルクスの主張の根本はかなり宗教に近いものだったといえるのです。あと200年もすれば、宗派のひとつとして捉えられているのではないかと私は思います」と述べ、「唯物史観」についても以下のように述べています。
「世の中は、原始共産制→古代奴隷制→中世封建制→近世資本主義→未来共産制と移り変わっていくという『発展段階論』がマルクス主義の軸となっています。そうした経済活動のあり方と変化が歴史を前進させる原動力となるという考え方が『唯物史観』です」
「レーニン、スターリン、毛沢東という系譜」では、宮脇氏は「イデオロギーと宗教はよく似ています。日下先生は『イデオロギーにこだわりすぎると、最後は仲間分裂の殺し合いになりやすい』と話されていますが、歴史がそれを如実に物語っています」として、以下のように述べています。
「『粛』と『清』という文字は、慎むこと、清らかなことを意味するにもかかわらず、『粛清』とつなげれば、厳しく排除すること、すべてなくしてしまうこと、という意味になってしまいます。皆殺しにすること、といったほうが早いかもしれません。『洗』という字にしても、中国語では抹殺するという意味を持ちます。『洗回』とはイスラム教徒を全滅させることです。実際にシナではイスラム教徒の大量虐殺が行なわれています。反対派がいなくなれば世の中はすっきりするというふうに考えているから、こうした言葉が生まれているわけです。オウム真理教では、人を殺すことを『ポア』と呼び、殺人を魂を救済するためのものと正当化していましたが、それと変わりはないわけです」
第4章「真実を知ることによって世界に誇れる日本が見えてくる」の「日本人の好奇心と求心力」では、宮脇氏が以下のように述べています。
「歴史というものは解釈の学問ですからね。史実があって、あきらかに不公平に書かれている部分などは察せられても、書かれていないところはわからない。それでも、自分が生まれる前の世界を考えて、整理して人に見せるために歴史学があるんです。時代が変われば、解釈も変わりますが、歴史学のいいところは、時代に合わせて書き直すことができる点です。 ヘーロドトスの『ヒストリアイ』も司馬遷の『史記』もすでに古くなって時代に合わなくなっているうえに、その後にまとめられた歴史はそれぞれに勝手な主張ばかりになっています。だからこそ、明治期までは世界史に参加していなかった日本人の目から見て、世界がどのように発展してきたと映るかをまとめておく意義があるんだと思います」
第6章「特別ゲスト対談 1648年にできたウェストファリア体制で世界はようやく日本の『古事記』時代に追いついた」の「神話と伝説と歴史と」では、憲政史家である倉山満氏と宮脇氏との間で以下のような対話が交わされます。
倉山 ヘーロドトスも司馬遷もたしかに歴史というものは書いたけれども、自分たちとその周辺において認識できた部分だけの歴史なんですよね。
宮脇 司馬遷の『史記』以来、中国では皇帝と天の神様との関係を書くことだけが正しい歴史というわけなんですね。それに関連したことだけを記録に残します。天下を簒奪した人のもとでそういう歴史が書かれていくわけなので、都合の悪いことに関しては全部、焼いて消してしまいます。
また、中国は日本についてまじめに書く気など最初からないとして、以下のような対話が交わされます。
倉山 『魏志倭人伝』にしても信用性に乏しいというか、いまでいうと、誰かのTwitterみたいなものなんですよね。
宮脇 ああいう文章も政治なんですよ。『魏志倭人伝』の人口も距離も、いまのアフガニスタンにあったカーピシー国と同じくらいの人口の国が東にあったことにしないと権力上バランスが取れない、という観点から書かれただけだといえるんです。距離などから考えれば邪馬台国の位置はグアム島あたりになりますけど、シナではそんなことは気にしないわけですね。歴史書とはそういうものだと彼らは認識しているし、尖閣諸島に関しても、どう書き換えていってもいいと思ってるんですよ。
そして倉山氏は、歴史を記述することについて、以下のように述べるのでした。
「事実は正確に残さなければいけないという意識に関しては、日本が世界一強いのは間違いないですよね。歴史を記述するときには、歴史観以前の問題として大事なことが2つあります。ひとつは、書かれている部分よりも書いてない部分のほうが大事であるということ。結局、どの事実を述べるかという段階で、すでに歴史観や、その人の立場があるんです。何かが書かれていないとすれば、これは書かなくていいという哲学があるはずなので、それを見極めないと歴史というものは見えてこない。かといって、勝手に書いてないことを捏造してもダメなんです。もうひとつは、これはいいことでありこれは悪いことだという絶対評価は誰でもできるのに対して、相対評価はものすごく大変なので、そこをどうするかという問題です」
本書は、「歴史とは何か」「事実とは何か」について考えさせてくれる好著でした。 かつて、わたしは『法則の法則』(三五館)を書いた後、続編として歴史館というものの変遷をたどる『歴史の歴史』という本を書こうかなと思ったことがあります。ちなみに、未来イメージの進化を探る『未来の未来』という本も構想しましたが、実現しませんでした。 日下氏と宮脇氏が熱く語り合った、日本人による「世界史」の本を読みたいです。