No.1389 エッセイ・コラム | 評伝・自伝 『夫のちんぽが入らない』 こだま著(扶桑社)

2017.02.11

今日は、建国記念日ですね。 『古事記』では、日本の国土はイザナギとイザナミの二柱の神によって生まれたとされます。夫婦の交わりが、わが国を誕生させたわけです。 しかし、世の中にはうまく交われない夫婦も存在します。 血股じゃなくて巷で超話題の『夫のちんぽが入らない』こだま著(扶桑社)を読みました。村上春樹の新作『騎士団長殺し』を押さえ、「日本文学」ランキング1位になった本です。あまりにも衝撃的なタイトルで書店では買いにくいし、この読書館で紹介するのにも勇気がいります。わたしも、「ちんぽ」などという単語をキーボードに打ち込むのは生まれて初めて。「ハートフル作家」というイメージに傷がつかないかも心配です。(苦笑)でも、内容はいたって真面目で、「人生」について深く考えさせられる本でした。はい。

本書の帯

本書の表紙カバーには、衝撃のタイトルが星座のように綺麗にデザインされています。これなら、書店に平済みされていても、「ちんぽ」の文字は目立ちません。わたしは、「うまいこと、やるなあ!」と思いました。 帯には、以下のように書かれています。

「普通に生きようとして、普通に生きられなかった。でも、それはそれで意味のある人生だった。」「発売後、即重版。全国の書店から大絶賛の声」「これは”結婚”という名の怪我をした、血まみれ夫婦の20年史である。―松尾スズキ」

本書の帯の裏

また、帯の裏には以下のように書かれています。

「いきなりだが、夫のちんぽが入らない。本気で言っている。交際期間も含めて二十余年、この『ちんぽが入らない』問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。 何も知らない母は『結婚して何年も経つのに子供ができないのはおかしい。一度病院で診てもらいなさい。そういう夫婦は珍しくないし、恥ずかしいことじゃないんだから』と言う。けれど、私は『ちんぽが入らないのです』と嘆く夫婦をいまだかつて見たことがない。医師は私に言うのだろうか。『ちんぽが入らない? 奥さん、よくあることですよ』と。そんなことを相談するくらいなら、押し黙ったまま老いていきたい。子供もいらない。ちんぽが入らない私たちは、兄妹のように、あるいは植物のように、ひっそりと生きていくことを選んだ。(本文より抜粋)」

アマゾン「内容紹介」には、「”夫のちんぽが入らない”衝撃の実話―彼女の生きてきたその道が物語になる」として以下のように書かれています。 2014年5月に開催された『文学フリマ』では、同人誌『なし水』を求める人々が異例の大行列を成し、同書は即完売。その中に収録され、大反響を呼んだのが主婦こだまの自伝『夫のちんぽが入らない』だ。 同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の『私』(こだま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は『入らない』一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし『いつか入る』という願いは叶わぬまま、『私』はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく・・・・・・。 交際してから約20年、『入らない』女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った”愛と堕落”の半生。”衝撃の実話”が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化!」

わたしは、約200ページのこの本を1時間半くらいで一気に読みました。 本当は『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)、『なぜ一流の人は先祖を大切にするのか』(すばる舎)の初校ゲラが同時に届いていたので、そちらのチェックを先にしなければいけなかったのですが、この本を手に取って最初のページを読んだとき、もうページを繰る指が止まらなくなってしまいました。この著者、文章がメチャクチャうまいですね。エッセイというか、私小説というか、これほど1人の女性の内面が剥き出しにされたものを読んだのは初めてです。宮本百合子も林芙美子もビックリ!  それにしても、すごいものを読ませていただきました。

内容について詳しく言及するのは控えますが、わたしは本書を読んで大いに泣き笑いさせられました。これほど人生の「かゆいところ」に手が届いた本も珍しいでしょう。現代日本社会の少子化について、「なんとかしなければならない」と抽象的に語ったり、「子どもを育てやすい国の政策が必要」などと具体的な提言をする人もいますが、世の中には本当にさまざまな事情をもった人が存在するのですね。たしかに、100人いれば100人ぶんの人生があるわけで、「普通の人生」なんてありえません。そして、誰にとっても、人生とは思い通りに行かないもの。すべての人は何かが「入らない」人生を送っているのではないでしょうか。

さて、著者は精神の不調をもった母親に育てられたようですが、そのことが「入らない」の一因だったのでしょうか。しかし、夫以外の男性のものは入るということなので、「子どもを作るのが怖い」という深層心理が働いていたのでしょうか。フロイトなら、饒舌にいろいろ語るでしょうね。 著者は「入らない」ことについて医師には相談しなかったようですが、多くの読者はここで「なぜ?」と思うことでしょう。「その後、20年も苦しむのだったら、最初に病院に行っておけばよかったのに・・・・・・」と思うのではないでしょうか。産婦人科ももちろんですが、精神科という選択肢もあったでしょう。著者の夫が心身に変調をきたしたとき、著者は夫に精神科に行くことを勧めます。ならば、「なぜ、あなたも?」と思ってしまいます。

著者は幼少の頃から極度に内向的だったようですが、中学校の教師になります。そこで、もともと問題のあった生徒たちとうまくやれず、ついには学級崩壊を起こしてしまいます。ここでも、著者は校長や教頭や先輩教師に相談せず、一人悩んで、退職の道を選びます。著者の人生においては、他人に相談するという発想が浮かばないようですね。 結局、夫婦揃って心身のバランスを崩し、病気療養の日々を送ることになってしまいます。この読書館でも紹介した難病女子が書いた『困ってるひと』の内容を連想しました。

ある意味では、「シャレにならない」人生という見方もできますが、最後が悲劇に終っていないところが、読んでいて救われた気がしました。 極限の経験を切々と綴りながらも絶望に終らせない本書のラストを読んで、わたしのブログ記事「この世界の片隅に」で紹介したアニメ映画の感動のラストシーンを思い浮かべました。著者夫婦も、”この世界の片隅に”お互いを見つけ出した、かけがえのない存在です。たとえ子どもは授からなくとも、結婚はできたわけです。しかし、現代日本には子作りはおろか結婚さえできない人々が多くいます。少子化の前に非婚化の問題があるのです。 本書を読み終えたわたしは、冠婚葬祭業者として複雑な思いがしました。

「この世界の片隅に」といえば、主人公すずが祖母イトから新婚初夜についてのアドバイスを受ける場面が出てきます。すずの嫁入り前に、祖母が初夜に婿から「傘を一本持ってきたか」と聞かれたら、「新なのを一本持ってきました」と答え、「差してもええかいの」と言われたら「はい」と答えるようにアドバイスするのです。これは新婚初夜に夫婦が交わす「まくら言葉」のようなものです。民俗学では、昭和初期にこんな初夜のかけあいがあったことを明らかにしています。いわば「ちんぽ」をストレートに表現せず、「傘」という比喩で語ったわけで、昔の日本人は奥ゆかしかったですね。 当時の人々が本書のタイトルを知ったら仰天することでしょう。

それにしても、本書のタイトルは「インパクトありすぎ!」です。 ネットで本書を検索しようとすると、「夫の 入らない」という検索補助ワードが冒頭に出てきました。みなさん、やはり「ちんぽ」という単語をパソコンに打ち込んで履歴に残すのを躊躇されたようですね。 「あとがき」を読むと、著者自身でさえ、「さすがにこの題名で世に出すのは難しいだろうと思っていたが、編集者の高石智一さんに『このタイトルが良いんです。最高のちんぽにしましょう』と力強く言われた」とあります。 最高のちんぽ! 高石智一さんって凄い編集者ですね。

わたしは、某新聞でずっと書評コラムを連載しています。 じつは次回は本書を紹介したいと思ったのですが、このタイトルゆえに念のために編集部に打診してみました。すると、「本のタイトルがあまりにもストレートすぎますので・・・、ご遠慮いただきたい」との解答が届きました。 それなら会社の社内報に連載している「社長のおススメ本」ならどうかと思って、社内報の鳥丸耕一編集長に相談すると、「私の見解としましては、女性社員もいらっしゃることですし、内容はどうであれ、確かにタイトルがストレートすぎるのではないかと思います。中には不快感を感じる方もいらっしゃるかもしれません・・・。載せない方よろしいかと思いますが・・・」というメールが来ました。うーん、まあ仕方ないか!(苦笑)

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