No.1438 宗教・精神世界 | 日本思想 『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益』 一条真也著(だいわ文庫)

2017.05.29

久々の「一条真也による一条本」をお届けいたします。
前回の『100文字でわかる世界の宗教』を読書館にアップしたのが2015年の7月8日ですので、じつに2年近いブランクとなりました。

 『知ってビックリ!日本三大宗教のご利益』(2007年3月15日刊行)

長く休んでいた本コーナーを再開する気になったのは、わたしのブログ記事『一条本を読む』で紹介したブックレットが刊行されてからです。もう一度、自著解説をしたいと思った次第ですが、今回は『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)で、2007年3月15日に刊行された本です。
この読書館で既に紹介した『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』の続編であり、「神道&仏教&儒教」というサブタイトルがついています。前作がユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった世界三大「一神教」を「VS」の構図で取り上げたのに対して、本書では神道・仏教・儒教といった日本人の心に大きな影響を与えてきた三大宗教を「&」の構図で取り上げました。

表紙カバーには宝船に乗った七福神のイラストが描かれ、帯には「日本人は三大宗教のしきたりと知恵の中で生きている!」「書き下ろし 知っていますか、七福神の神さま仏さま?」と書かれています。
本書の目次構成は以下のようになっています。

「はじめに―素朴な疑問」
第1章 摩訶不思議なハイブリッド宗教
日本人の宗教は何か
●宗教に無節操な日本人?
●日本人の宗教は世界の謎
●自然環境が生んだ日本人の信仰
●「あなたの宗教は?」「無宗教です」
●「宗教」という言葉がなかった日本
●「あれも、これも」の信仰
●”宗教抜き”のおかげで経済大国に
●魔王・信長が潰した宗教エネルギー
そもそも宗教とは何か
●死後を説明できるのは宗教だけ
●神秘主義こそ宗教の本質
●孔子の母はシャーマン
●「神」と「仏」と「人」の三位一体
●聖徳太子と”ハイブリッド宗教”
日本にやってきた三大宗教―神道・仏教・儒教
●「和」の宗教国家を説いた聖徳太子
●「神仏習合」思想とは何か
●三教は「根・枝葉・花実」の関係
●聖徳太子の三教統合思想
●「八百万」は「和え物」思想
●「なんでもあり」に”聖戦”なし
●忘れられた「八百万」の復活
●他者に寛容な日本の宗教
第2章 神様は八百万―神道のご利益
神道とは何か
●神道は日本人の民族宗教
●わかりにくい神道
●「神からの道」と「神への道」
●神道は「畏怖の宗教」
●霊魂を表す古語「チ」「ミ」「ヒ」
●物にも霊性を見る世界観
●物言わぬ国の理由
神道の歴史
●かつて神道には本殿はなかった
●大和朝廷によってアマテラス崇拝へ
●「仏が上で、神は下」
●政治好きな八幡神の登場
●神仏習合のはじまり
●国学の基盤となった神道
●国家神道と教派神道に分裂
●現代宗教のおおもと「大本教」
●日本人のアイデンティティを求めて
神道と日本人
●開祖をもたない宗教
●神話が現在につながっている国
●その年の魂をいただく「お年玉」
●「祈りと感謝」の年中行事
●「祭り」とは神の訪れを待つこと
●祭りの「ハレ」と「ケ」
●ケガレ思想ゆえに死刑がない時代
●武士もケガレ思想から生まれた
●「中つ国」と死後の世界
神道と書物
●三宗教に「啓典」はない
●『古事記』には何が書いてあるか
●日本の神話は世界の神話の集大成
第3章 悟りが大切―仏教のご利益
仏教とは何か
●ブッダが開いた宗教
●6年間の苦行の末の悟り
●4つの真理「四諦説」
●仏教の根本教説「四法印」
●苦を滅し悟りを得る道「八正道」
仏教の歴史
●分裂と拡大を繰り返した仏教
●「大乗仏教」と「上座仏教」
●阿羅漢の「夢精」をめぐる大騒動
●2大コンセプト「中道」と「空」
●矛盾を解いたナーガールジュナ
●「輪廻転生」は仏教の思想ではない?
●仏教は「魂」を認めない
●「悪魔的信仰」と怖れられた仏教
●仏教から儒教の国となった中国
●朝鮮でも儒教に負けた仏教
仏教と日本人
●仏教が日本に伝来したのはいつ?
●天台宗の開祖・最澄は偉大な教育者
●真言宗の開祖・空海は稀代の魔術師
●「密教」とは秘密仏教のこと
●「自力」と「他力」に分かれる仏教
●阿弥陀仏信仰の浄土宗は他力系
●スター宗祖―法然・親鸞・蓮如
●禅宗の2大巨頭―栄西と道元
●独自の改革者―日蓮
●仏教を名乗っていたオウム真理教
●多神教の仏教が持つ可能性
仏教と書物
●膨大な量の経典がある仏教
●経典を分類し、レベルを決めた中国
●経典の中の経典「般若心経」
●「空」をシンプルに語る般若心経
第4章 正しい生き方を説く―儒教のご利益
儒教とは何か
●正しい政治で死者をも救う「宗教」
●死後の「招魂再生」を説く
●「孝」に集約される世界観
●DNAの概念にも通ずる思想
●葬送のプロ集団だった儒教グループ
●「孔子は葬式屋であった」
儒教の歴史
●恵まれなかった孔子の生涯
●道徳による政治をめざす
●孔子の考えた「礼」と「仁」
●儒教の徳目「五倫」と「五常」
●「礼」はすべてを含む重要な概念
●葬礼を重視した孔子
●孔子は「別愛」、墨子は「兼愛」
●孟子の性善説「人の本性は善きもの」
●荀子の性悪説「悪の人も善に向かう」
●儒教の国教化を実現した董仲舒
●「理」を重んじた朱子
●「心を高める」を追求した王陽明
●現代中国で復活した儒教
儒教と日本人
●大陸の先進文化を伝える儒教
●儒書を愛読した徳川家康
●隆盛を誇る朱子学
●古典回帰を唱える古学派
●儒学者・荻生徂徠の朱子学批判
●庶民に広まる儒学
●行動する陽明学者・中江藤樹
●明治維新は陽明学が引き起こした
儒教と書物
●儒教の基本経典「四書五経」
●入門書「四書」を選んだ朱子
●リーダーが指針とする本『論語』
第5章 三大宗教のフクザツな三角関係   
神道と仏教
●崇仏派VS廃仏派
●二度目の疫病流行で形勢逆転
●「仏教に帰依したい」神々
●仏をめざす神のための「神宮寺」
●神道と仏教の平和的共存
●仏が神に姿を変える「本地垂迹説」
●神道と仏教の混血児「修験道」
●神道の縄張りに進出する仏教
●「神は在るモノ、仏は成る者」
●八百万は全肯定の思想
●廃仏毀釈で神も仏も死んだ
●神と仏が大集合した「七福神」
神道と儒教
●卑弥呼は儒教を知っていた?
●律令制度を形だけ輸入した日本
●反本地垂迹説を唱えた「伊勢神道」
●神社界に君臨した「吉田神道」
●儒教の論理を取り入れる神道各派
●合体論「儒家神道」の誕生
●反仏教・朱子学寄りの「垂加神道」
●やまと心を求めた本居宣長
●葬儀にこだわった謎の「遺言書」
●儒教へのリスペクト?
仏教と儒教
●仏教と儒教に宗教戦争はあったか
●中国での理論対立
●道教とは何か
●日本仏教の道を開いた聖徳太子
●聖徳太子を批判した儒者
●朱子学をもたらした禅僧
●家康の仏教”囲い込み”政策
●幕藩体制に好都合と儒学も利用
●葬式仏教の中の儒教
●位牌のルーツは儒教
●墓も盆も三回忌も儒教
●死を説明する儒教の奥深さ
第6章 三大宗教が生んだ思想・しきたり
武士道―思想の中に流れる三大宗教
●新渡戸稲造の『武士道』
●ルーズベルト大統領も感激
●武士道はじつはつくられた思想
●武士道から「軍人精神」へ
●軍隊を支える「明治武士道」
●武士道は神仏儒のミックス宗教
●禅が武士に教えた生き方
●神道が武士に与えた愛国心
●儒教は武士の教科書
●「知行合一」に魅せられた武士
●明治維新の立て役者と陽明学
心学―ハイブリッド思想の日本資本主義
●石田梅岩が唱えた実践哲学
●日本資本主義の源流
●「勤労の美徳」を説く禅僧
●仕事に励むことが仏の修行に通じる
●日本人の職業倫理思想を築く
●心学の4つの特色
●鈴木正三と梅岩
●無節操ではなく実用主義
●心を清くする仏教、治国の儒教
●日本は無二絶対の神の国
●神、儒、仏を尊ぶ順序
●「心」にいきついた梅岩
冠婚葬祭―暮らしの中に生きる三大宗教
●冠婚葬祭は共感を生み出す装置
●宗教儀式に生まれる「心の共同体」
●儀式やしきたりが伝える「共同知」
●オリンピックは地上最大の儀式
●「民族の拠りどころ」が出る儀式
●神前式は100年前に始まった
●日本にキリスト教が根づかない理由
●教育界とブライダル業界では大受け
●葬式仏教を決定づけた徳川幕府
●本尊より遺影を拝む不思議
●葬儀に見える儒教の影
●清めの塩は神道
●お骨を大事に思う独自の感覚
●冠婚葬祭は日本最大の宗教
●宗教から宗遊へ
「引用文献・参考文献一覧」

さて、本書に関しては言いたいことがたくさんあります。
当初、わたしは『神道&仏教&儒教~日本宗教のしくみ』というタイトルにしたかったのですが、版元の意向で書名が変わりました。本当は「ご利益」という言葉が嫌でたまりませんでした。「あとがき」もページ数の関係で削除され、まことに残念でした。それ以来、この版元とは仕事をしていません。
さらには、本来の「まえがき」として書いた文章も削除されています。
前作の『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』では「まえがき」として、「世にも奇妙な三姉妹の物語」というのを書きました。ユダヤ教を長女、キリスト教を二女、イスラム教を三女として、同じ親=神から生まれた一神教三姉妹がなぜ憎み合うようになったかを寓話風に綴ったものですが、これがなかなか好評で、かなりの反応がありました。そこで、今度の本でも次のような寓話を書いてみたのです。題して、「世にも奇妙な一夫多妻の物語」です。

 本書は、一人の男を夫とした三人の妻の物語である。
 男はもともと野生児であり、最初の妻も野生的で自然のなかに暮らす女だった。彼女は、山や海をはじめ自然のありとあらゆる場所をすまいとし、家は持たなかった。
 そこへ海の向こうから第二の妻がやってきた。彼女は南方の生まれで、長い旅路のすえ、半島を経て男のもとにやってきた。男は彼女を一目見るなり、完全に心を奪われてしまった。なにしろ、彼女は黄金の衣装を身にまとい、まばゆい光を放っていたのである。
 そして、二番目の妻は立派な家を建てて、男を招いた。野生児だった男は異国の美女に影響されて、次第に洗練されていった。そして、豪華絢爛な彼女の家に通いつめた。
 それを見た最初の妻は、わが身の行く末を不安に思い、二番目の妻を真似て家を建てた。男は二人の妻の住居を行き交い、それぞれの妻の魅力を満喫した。最初の妻は歌や踊りにすぐれ、第二の妻は話が上手だった。
 そこに三人目の女が現われた。彼女も同じ海の向こうの半島からやってきたが、第二の妻と生まれた国は違っていた。二番目の妻の実家ほど三番目の妻の実家は遠くなかった。
 第三の妻は厳格で礼儀正しかった。特に死者の弔いを大切にした。男の先祖をまつり、両親を大切にした。基本的に人間というものを信じていた。自分に厳しい女だった。男は他の二人の妻に比べて堅物であるとは思ったものの、この新しい妻を人間的に尊敬した。そして、男の生活習慣は知らないあいだに第三の妻の影響を受けていた。
 三人の妻は仲がよかった。最初は対立していた第一の妻と第二の妻も次第に打ち解け、そのうち一緒に暮らすほどの仲の良さを示した。しかし、心ない人々が二人を引き裂き、たいへん悲しい想いをした。第三の妻も先の二人を立てながら、ともに男を支えあった。
 男と三人の妻たちには三人の子どもが生まれた。
 三人とも三人の妻の血をそれぞれ受け継いでいた。
 やがて長男は軍人に、二男は商人になった。三男は人々の生活の隅々に入り込み、誕生から臨終まで何でもお世話するヘルパーのような職業についた。
 ここで正体あかしをしよう。 男の名は、ヤマト。つまり日本人である。
 第一の妻は神道、第二の妻は仏教、第三の妻は儒教。
 その子どもたちは、長男が武士道、二男が心学、そして三男が冠婚葬祭と呼ばれた。
 これから、世にも奇妙な一夫多妻の物語をはじめよう。この物語には、実は人類を救うとても重要な鍵が隠されている。
(「まえがき~世にも奇妙な一夫多妻の物語」より)

以上のような内容でしたが、諸般の事情でボツになりました。
残念かつ悔しいので、ここに紹介させていただきます。
自分としては、日本宗教の本質をとらえているのではないかと思います。「共生」や「混合」こそ、日本宗教の本質だからです。
2001年に起こった9・11米国同時多発テロから現在の英国テロにつながる背景には、文明の衝突を超えた「宗教の衝突」があります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教は、その源を1つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教です。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまいます。

一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、他の宗教を認め、共存していける寛容性を持っています。自分だけを絶対視しません。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念を持っている。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのです。

そして、その宗教融合を成し遂げた人物こそ、聖徳太子でした。
憲法十七条や冠位十二階に見られるごとく、聖徳太子は偉大な宗教編集者でした。この聖徳太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。

日本人の宗教について話がおよぶとき、かならずと言ってよいほど語られる話題があります。いわく、正月には神社に初詣に行き、七五三なども神社にお願いする。しかし、バレンタインデーにはチョコレート店の前に行列をつくり、クリスマスにはプレゼントを探して街をかけめぐる。結婚式も教会であげることが多くなった。そして、葬儀では仏教の世話になる・・・・・・。
もともと古来から神道があったところに仏教や儒教が入ってきて、これらが融合する形によって日本人の伝統的精神が生まれてきました。そして、明治維新以後はキリスト教をも取り入れ、文明開化や戦後の復興などは、そのような精神を身につけた人々が、西洋の科学や技術を活かして見事な形でやり遂げたわけです。まさに、「和魂洋才」という精神文化をフルに活かしながら、経済発展を実現していったのです。

神道は日本人の宗教のベースと言えますが、教義や戒律を持たない柔らかな宗教であり、「和」を好む平和宗教でした。天孫民族と出雲民族でさえ非常に早くから融和してしまっています。まさに日本は大いなる「和」の国、つまり大和の国であることがよくわかります。神道が平和宗教であったがゆえに、後から入ってきた儒教も仏教も、最初は一時的に衝突があったにせよ、結果として共生し、さらには習合していったわけです。
日本文化の素晴らしさは、さまざまな異なる存在を結び、習合していく寛容性にあります。それは、和(あ)え物文化であり、琉球の混ぜ物料理のごときチャンプルー文化です。

かつて、ノーベル文学賞を受賞した記念講演のタイトルを、川端康成は「美しい日本の私」とし、大江健三郎は「あいまいな日本の私」としました。どちらも、日本文化のもつ一側面を的確にとらえているといえるでしょう。たしかに日本とは美しく、あいまいな国であると思います。しかし、わたしならば、「混ざり合った日本の私」と表現したいです。衝突するのではなく、混ざり合っているのです。無宗教なのではなく、自由宗教なのです。

わたしは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の間に「vs」を入れました。歴史および現状を見ればその通りですが、このままでは人類社会が存亡の危機を迎えることは明らかです。そして、神道、仏教、儒教の三宗教の間には「&」を入れました。これまた、日本における三宗教の歴史および現状を見ればその通りだからです。そして、なんとか日本以外にも「&」が広まっていってほしいというのが、わたしの願いです。

「VS」では、人類はいつか滅亡してしまうかもしれない。
「&」なら、宗教や民族や国家を超えて共生していくことができる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教をはじめ、ありとあらゆる宗教の間に「&」が踊り、世界中に「&」が満ち溢れた「アンドフル・ワールド」の到来を祈念するばかりです。そして冠婚葬祭こそが、そのアンドフル・ワールドの入口に続いていると信じています。冠婚葬祭が宗教を結ぶ。冠婚葬祭が人類の心を結ぶ。そんな夢を、わたしは本気で抱いています。最後に、「&」を日本語で表現するなら「和」であることを書き添えておきます。

Archives