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No.1466 哲学・思想・科学 『爆発的進化論』 更科功著(新潮新書)
2017.08.13
『爆発的進化論』更科功著(新潮新書)を読みました。
「1%の奇跡がヒトを作った」というサブタイトルがついています。
内容ですが、進化論の常識を打ち砕く最新生物学講座となっています。
著者は、1961年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。民間企業勤務を経て大学に戻り、東京大学総合研究博物館研究事業協力者に。著書に『化石の分子生物学』(講談社現代新書、講談社科学出版賞受賞)などがあります。
本書の帯
帯には、カンブリア紀のバーチェス動物群の生物のイラストとともに、「『眼の誕生』で、世界は一変した。」「常識を覆す最新生物学講座!」と書かれています。また、カバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「生命誕生から40億年。変化は常に一定ではなく、爆発的な進歩を遂げる奇跡的な瞬間が存在した。
眼の誕生、骨の発明、顎の獲得、脚の転換、脳の巨大化・・・・・・。数多のターニングポイントを経て、ゾウリムシのような生物は、やがてヒトへと進化を遂げた。
私たちの身体に残る『進化の跡』を探りながら、従来の進化論を次々と覆す、目からウロコの最新生物学講座!」
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
はじめに「1%の奇跡がヒトを作った」
第一章「膜」 生物と無生物のあいだに何があるのか
第二章「口」 よく噛むことはいいことか
第三章「骨」 爆発的進化はなぜ起きたのか
第四章「眼」 眼がなくても物は見えるのか
第五章「肺」 酸素をどう手に入れるか
第六章「脚」 魚の脚は何をするのか
第七章「羽」 恐竜は空を飛べたのか
第八章「脳」 脳がヒトを作ったのか
第九章「性」 男は何の役に立つのか
第十章「命」 生命は物質から作れるか
おわりに「ヒトは進化のゴールではない」
第一章「『膜』 生物と無生物のあいだに何があるのか」では、著者は生物と無生物の境界について、人間の子供と大人を例にして述べます。
「実は生物と無生物も、子供と大人のようなものだと考えられる。大昔の地球で、物質がゆっくりと複雑になっていって、ついには生物になった。ということは、生物と無生物は連続的につながっているので、中間の『半生物』がいたはずなのだ。
この『半生物』に近い存在がウイルスである。この世界のすべてを生物と無生物に大きく二分すれば、ウイルスはいちおう無生物に属することになっているし、多くの研究者(私も含む)もウイルスを生物ではないと考えているが、ウイルスが生物に近い存在であることは認めざるをえない」
また、生物とウイルスの違いについて、著者は「自分でタンパク質が作れるか」として、以下のように述べています。
「生物とウイルスのあいだには、道具、つまりリボソームの有無という一線が引かれている。ウイルスは、自分ではタンパク質を合成することができない。生物のリボソームを借りないとタンパク質を作れないのである。もしも自分でタンパク質を合成できれば、それらを使って代謝も複製もできるだろう。でもそうなったら、それはもう生物だ。
もっとも単純な生物である細菌と、ウイルスのあいだはほとんど連続的だ。ただリボソームの有無が、つまりタンパク質を自分で合成できるかどうかが、生物と無生物の境界になっているのである」
さらに著者は、「すべての生物の共通祖先はどちらの膜か」として、以下のように述べています。
「進化の歴史を考えるとき、『共通祖先』というものがある。生物は枝分かれに進化してきた訳だが、分岐する前の『祖先』となる生物を『共通祖先』という。現在の地球上の生物は、大きく3つのグループに分けることができる。『真核生物』と『真正細菌』と『古細菌』だ。真核生物というのは核のある細胞を持つグループで、私たちを含む動物や植物は真核生物である。真正細菌というのは大腸菌や藍藻などといった、いわゆる普通の細菌である。一方、古細菌は1977年に発見されたグループで、メタン生成細菌など特殊な環境にいる細菌が多い」
第三章「『骨』 爆発的進化はなぜ起きたのか」では、著者は「骨格が持つ3つの役割」として、以下のように述べています。
「私たちが魚や鳥を食べるときにじゃまな骨格は、いったいなんの役に立っているのか。カルシウムの貯蔵といった生理的な役割もあるが、ここでは骨格の硬さに注目して3つ指摘しておこう。
それは『運動』と『保護』と『支持』だ」
続けて、著者は3つの役割について具体的に説明します。
「チーターのように速く走るためには、筋肉で骨格を動かすことが必要だ。そのためには手足の先まで骨を行き渡らせる必要がある。
またサザエのような貝は、貝殻がなかったらすぐに他の動物に食べられてしまうだろう。あるいは心臓や肺など重要な臓器が骨に守られていなかったら、ちょっと転倒しただけで臓器が損傷してしまう。
支持については、たとえばヒトの脳を考えるとよいかもしれない。頭蓋骨の中に入れて支えていなかったら、こんなに大きな脳を進化させることはできなかったはずだ。もしも骨格がなかったら、ヒトは文明を築くこともできなかったであろう」
また著者は、「カンブリア紀に突然増えた多様性」として、「動物の多様性は、長い時間をかけて進化していくうちに、ゆっくりと増えていったわけではない。カンブリア爆発で突然、一気に増大したのである。そしてその後は少ししか増えていないのだ」と述べています。
第四章「『眼』 眼がなくても物は見えるのか」では、「人間の『眼』は完成品ではない」として、著者は以下のように述べています。
「眼の数で言えば、現在私たちの眼は2つであるが、同じく3億年ぐらい前のヒトの祖先は、眼を3つもっていた。現在でも、ヤツメウナギや一部の爬虫類は、頭の上に第3の眼を持っている。頭頂眼と言われるこの眼は、明暗を感じることができる。しかしヒトにいたる系統では頭頂眼は退化してしまったので、今では眼は2つしかない。つまり私たちの祖先が持っていた3つの眼のうち、2つはかなり性能のよいレンズ眼になったものの、頭頂眼はだんだん性能が悪くなって退化し、ついになくなってしまったのだ。ヒトの眼における進化は、複雑化するばかりではなかったのである」
第八章「『脳』 脳がヒトを作ったのか」では、「直立二足歩行と頭蓋骨の関係」として、著者は以下のように述べています。
「現在知られている最古の化石人類は、サヘラントロプス・チャデンシスである。およそ700万年前に生きていたと考えられている。あまりに古いので、サヘラントロプスは、まだヒトとチンパンジーが分岐する前の種ではないかと考えている研究者もいる。だが、サヘラントロプスの大後頭孔は、頭蓋骨の下側にあいている。おそらくサヘラントロプスは、現在のヒトのように直立2足歩行をしていたのだ。これは人類の特徴だと考えられる」
また、「なぜ人類は立ち上がったのか」として、著者は述べます。
「チンパンジーにいたる系統と分かれてすぐに、人類は直立二足歩行をするようになった。それから450万年という気の遠くなるほど長い時をへて、一部の人類は石器を作り、常習的な肉食を始め、そして脳が増大した。ということは、石器や肉食や脳の増大は、直立二足歩行とは直接の関係はないということだ」
第九章「『性』 男は何の役に立つのか」では、「ゾウリムシは単なる精子なのか」として、著者は以下のように述べます。
「数え方にもよるが、ヒトの体はだいたい260種類の細胞からできている。このように、細胞の種類がたくさんあるのは、多細胞生物の特徴である。なぜ細胞の種類がたくさんあるかというと、それは”使い捨ての細胞”を発明したからだ。多細胞生物には少なくとも2種類の細胞がある。使い捨ての『体細胞』と、いつまでも死なずに分裂していく『生殖細胞』だ。
ヒトの体はほとんどが体細胞でできている。それは一代限りで使い捨てだ。子供に引き継いだりはしない。この使い捨ての体細胞を捨てるときを、普通私たちは『死ぬ』と言うのだ」
おわりに「ヒトは進化のゴールではない」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「40億年ほど前に、生物は誕生した。それ以来、生物は進化し続けている。進化の道はどんどん枝分かれしていき、たくさんの生物が現れた。そして、その中の1本が、今の私たちにつながっている。でも忘れてはいけないことは、今の私たちがゴールではないということだ。私たちはこの先も(絶滅するまでは)進化し続けていくのである」
また、著者はヒトの進化について以下のように述べます。
「私たちヒトは、数えきれないほど多くの種の1つに過ぎない。また私たちヒトは、過去から未来へつながる何十億年という進化の中の、一瞬の姿に過ぎない。30億年前、私たちは細菌だった。4億年前、私たちは魚だった。1千万年前、私たちはまだチンパンジーと分かれていなかった。そして今、私たちヒトはこんな姿をしている」
そして、著者はヒトの未来について以下のように述べるのでした。
「それでは100万年後は、どうなっているだろう。ひょっとしたら、脳が小さくなっているかもしれない。いくつかの種に分かれているかもしれない。あるいは絶滅して、私たちの子孫は1人も地球上にはいないかもしれない。最後の選択肢だけは、できれば避けたいところだけれど」
本書を読んで、生物の進化というものを非常に興味深く感じました。
高校の頃はあまり「生物」の授業が好きではなかったのですが、あの頃に本書のような本を読んでいたら、ずいぶんその後の人生も違っていたのではないかと思います。生物の進化の中でも、特にヒトの進化に興味が湧きます。引き続き、ヒトの進化に関する本を読んでみたいと思います。