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2017.11.23
『病室の「シャボン玉ホリデー」』なべおさみ著(文庫ぎんが堂)を読了。
この読書館でも紹介した『昭和と師弟愛』に詳述されているとおり、植木等の付人は小松政夫氏でしたが、ハナ肇の付人は本書の著者・なべおさみ氏でした。
著者は1939年東京生まれ。渡辺プロダクションで水原弘や勝新太郎、ハナ肇の付人となります。1964年に日本テレビ系列「シャボン玉ホリデー」でデビューし、一躍スターダムにのし上がり、1968年に山田洋次監督映画「吹けば飛ぶよな男だが」で主演を務めました。渡辺プロ退社後、1978年から「ルックルックこんにちは」において「ドキュメント女ののど自慢」の司会を長年務めました。1991年、いわゆる明大裏口入学事件により、芸能活動を自粛。現在は、舞台や講演活動を中心に活動しています。著書に『七転八倒少年記』『やくざと芸能と』などがあります。
本書の帯
本書のカバー表紙には、キャッチボールをしていたのでしょうか、野球のグローブを手にしたハナ肇と若き日の著者の写真が使われています。帯には「おやじさん、こんなにも”うらやましい死に方”ないですよ」「クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ、布施明らが病室で繰り広げる、可笑しくて哀しい人間模様」「解説:花田紀凱(月刊『WILL』編集長)」と書かれています。
本書の帯の裏
またカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「1993年9月10日、ハナ肇は肝臓癌により逝去した。享年63。壮絶な闘病生活を支えたのは、かつて付人を務めた著者・なべおさみだった。クレージーキャッツの面々、ザ・ピーナッツ、布施明らハナ肇を囲む人々が病室で繰り広げる、可笑しくて哀しいやりとりの数々。そして即興で演じられる「シャボン玉ホリデー」のコント・・・・・・。師匠の『うらやましい死に方』に寄り添った日々を、克明に綴った一冊。単行本に加筆・修正、花田紀凱の文庫版解説付き」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
プロローグ~私はハナ肇の付人でした~
第一章 おやじの我儘
第二章 スターダスト
第三章 肉体と魂
エピローグ~うらやましい死に方~
文庫版あとがき~ほんとうに~
文庫版解説(花田紀凱)
小松政夫氏は師である植木等のことを「おやじさん」と呼んでいましたが、実はこの呼び方を芸能界に流行させた人物こそ、本書の著者なべおさみ氏だそうです。若くして水原弘や勝新太郎の付人を務めた著者ですが、「先生」という呼び方には抵抗があったといいます。水原弘が極端に「先生」という呼び方を嫌ったからですが、著者は以下のように述べています。
「東京では『先生』は、年相応の決まりがある様だった。どんなに売れても若年者は、決して先生呼ばわりされなかった。それに代わって『御大』とか『看板』とか『座』、『座長』等と呼ばせている大物が居た。そこで私は、『おやじさん』と、勝新太郎に言ってみたのです。周りから『先生』と呼ばれている身には、新鮮に思えたのかもしれません」
続けて、著者は以下のように述べています。
「勝さんからは一度もクレームが付きませんでした。以来、水原弘へも、ハナ肇へも、『おやじさん』を通してきたのでした。あちらこちらに『おやじさん』が伝播していった様でした。自分の主人の名前にさんを付けて呼んでいた他人行儀な関係が、『おやじさん』と呼ぶ事で、主従がぐっと接近した人間関係をつくり出せたのだと思う」
その「おやじさん」であるハナ肇から頼まれて、著者は29日間に及ぶ看病生活を続けたわけですが、芸能人と病気の関係についての以下のくだりが印象に強く残りました。
「病気は大敵なのだ。仕事に掛かっていての中断は、製作サイドにとっては大変な損失だ。物理的にタイムスケジュールが決まっている現在の制作過程では、ロスタイムだけは絶対に禁物なのだ。何時上映されるか、期限の決まらぬ映画制作もなければ、放映の期日のめどのないテレビ番組の制作など皆無なのだ」
したがって、病気こそは仕事に関わる者すべての大敵であるとして、著者は以下のように述べます。
「裏の仕事関係、例えばキャメラマンでも監督でも、最悪の場合は代理で埋められる。役者達にはそれが効かないのだ。ハナ肇ほどの大物になっても、そんな芸能人の哀しい性が身に染みていた。
『ハナは体悪いらしいな』
そんな風評が立ったら最後、仕事が引いてゆく。だから訪問客には努めて明るく振るまった」
その訪問客の顔ぶれがすごいです。
大川慶次郎、松方弘樹、堀威夫(ホリプロ会長)、大橋巨泉、王貞治夫妻、ジャンボ尾崎、ポール牧、宮川泰、渡辺美佐(渡辺プロダクション会長)、安田伸・竹腰美代子夫妻、桜井センリ、谷啓夫妻、中尾ミエ、布施明、沢田研二・田中裕子夫妻、ミッキー安川、堺正章夫妻などなど。伊藤日出代、伊藤月子のザ・ピーナッツや植木等は毎日来たそうです。
ハナ肇とともに、伝説の番組「シャボン玉ホリデー」のオープニングを飾ったザ・ピーナッツについて、著者は以下のように述べています。
「渡辺プロが生んだ最初のスターが、ザ・ピーナッツだった。ハナ肇は渡辺プロの纏め役。そんな時代を生きた三人が、この部屋に存在しているのだ。もう夜が明けてくるそんな時間の病室に。余計な言葉のひとつもない」
続けて、著者は以下のように述べるのでした。
「まだ、おやじは気付いていないのが不思議だった。お二人から、知らせないでいいのよと言われていた。おやじが変に気を遣わずに済むからと頼まれていたのだが、いつおやじが『あれ? 何だピーナッツ、来てたのか?』と、言ってくれるかが、楽しみだったのだ。が、いつまでたっても気が付かない。そのうち私は、日出ちゃんも月ちゃんも、自分達の気配を消しているのだと思う様になった」
そして、何よりもハナ肇がこよなく愛したクレージーキャッツのメンバーが入れ替わり立ち代わり病室を訪れました。クレージーキャッツについて著者が書いた以下の文章は素晴らしいです。「解説」を書いた花田紀凱氏も「12年間、共に過ごしたクレージーキャッツの風貌を、この短い文章でみごとに伝えている」と絶賛しています。以下に引用します。
全員が喜び上手だった。
喜びは、慎ましやかに押し隠すのが上品だろうか。私はクレージーキャッツの人々と過ごした12年の間に、喜びや嬉しさを、単純明快に表現する素晴らしさを知らされていた。
笑い方や喜び方は様々だった。
「わっはっは」
これはハナさん。
「うえっへっへ」
谷啓さんだ。
「いっひっひっひ」
安田伸さん。
「くわっかっか」
植木さん。
「あははは、うん、ははは」
犬塚さん。
「ほほふふ、ほほほふふふ」
桜井センリさん。
「はは、はは、はは」
石橋エータローさん。
一人が笑えば、全員の笑いになる。
その笑い声は大声で、大悦びの表現に溢れていた。そしてその中心にハナ肇がいつも居た。存在しているぞとの高笑いに、メンバーが奮い立つのだ。絶対的なチームワークの要だった。重鎮だった。
(『病室の「シャボン玉ホリデー」』文庫版P.178~179)
リーダー・ハナ肇は良い意味での専制君主でもありました。
主に桜井センリとしばしば意見が衝突することがあったそうですが、そのたびにハナ肇は「よーし、全員集合!」と赤坂の借家にメンバーを集めたといいます。そこで真っ赤な顔をして、「谷啓、クレージーキャッツは解散だ。犬(ワン)ちゃん、判ったな解散だ。安さん、おれはもうやってらんないよ。解散だから。エータロー判ったな。そういう事。な、植木屋、な、桜井さん。今日限りで、解散します」と言うのでした。
もう引っ込みもつかず水ばかり飲んで火照った顔を冷やしているハナ肇を横目に、植木等が「じゃ、そういう事で、本日は解散!」と言う寸前に、見計らったようにハナ肇夫人が登場し、「ハナちゃん、素麺出来たわよ。皆さんお腹空いたでしょ。食べてからどうぞ」と言って、冷やし素麺を人数分、お膳に並べたそうです。メンバーたちは素麺を美味しく頂いてから家路に着くのでした。もちろん、解散話などウヤムヤです。
わたしは、これを読んで、ジャンルは違いますが、プロレス界で一世を風靡した新生UWFが解散したときのエピソードを思い出しました。UWFのリーダーだった前田日明は「全員集合!」と選手たちを自宅マンションに集め、「今日で解散や!」とハッパをかけたところ、何人かが「わかりました」と出て行き、本当にそのまま解散へと至ってしまったのです。あのとき、ハナ肇のように前田日明に夜食を作ってくれるような夫人がいたとしたら、UWFはおそらく解散せずに存続していたでしょう。
クレージーキャッツはメンバーが死去するまで解散をしなかったグループでした。現在では存命なのは犬塚弘のみですが、音楽グループで最後まで解散しなかったのはクレージーキャッツぐらいではないでしょうか。
あのSMAPの悲しい解散劇を知る者としては、あれほどの人気を誇ったクレージーキャッツが最期まで解散しなかったという事実がどれほど偉大なことであるかを痛感せずにはおれません。
ハナ肇が入院して27日目の日、つまり亡くなる2日前、枕元で植木等やクレージーキャッツのCDを流したそうです。「スーダラ節」や「五万節」や「ハイそれまでヨ」が哀しく明るく流れ、それがいつの間にやら陽気な軽さへと変わっていきました。著者は以下のように述べています。
「人間の終わりは全て平等という理は、その人の青春を去来させて逝かせてくれるということなのだと、おやじに付いていて悟らしてもらった気がしていたが、おやじはこの絶体絶命の峠を、又々、又々、青春の血をたぎらせて登り切ってしまったのだ」
死にゆくハナ肇の病室に、植木等、谷啓、犬塚弘、安田伸、そして桜井センリたちは、いつもいつも集まりました。もちろんクレージーキャッツのメンバー以外にも、家族や友人、知人たちが毎日のように集まりました。最後に著者は以下のように述べるのでした。
「人間の弱点を見事に利用したおやじの作戦は、頭の下がるものだった。危篤で死への前触れを与え、復活してみせると、すぐ次なるピンチに陥る。それを凌ぐや次なる危機を作ってみせる。その度に人々は馴れたのだ。別れへのトレーニングだった。そうして懸念する奥さん達に、少しずつ死への衝撃を場馴れさせていったのだ」
その意味でも、ハナ肇は「うらやましい死に方」をしたのです。
ハナ肇、植木等、谷啓、石橋エータロー、安田伸、桜井センリの諸氏の御冥福を心よりお祈りいたします。クレージーキャッツよ、永遠なれ!