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2018.05.14
『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』鈴木美潮著(集英社)を読みました。著者は1964年、東京生まれ。雙葉小学校・中学校・高等学校卒業。83年、法政大学法学部政治学科入学し、のちに中退。84年に渡米し、85年にボストン大学入学。在学中に、米国の連邦議会下院議員事務所でインターンを経験。87年にボストン大学卒業。87年にノースウェスタン大学大学院政治学専攻に入学し、88年に政治学修士号取得。89年に読売新聞社に入社。現在まで記者としての仕事をしていますが、大の特撮ファンとして知られ、「日本特撮党党首」を名乗っています。
本書の帯
本書の帯には、以下の熱いメッセージが満載です。
「ヒーロー作品に込められた、秘めたるメッセージと足跡を、著者が情熱を持って紐解く快心の書。必読!」
―藤岡弘、(仮面ライダー1号・本郷猛役)
「子どものころからブレずにヒーローを愛し続けた君に脱帽、ただただ感謝!」
―佐々木剛(仮面ライダー2号・一文字隼人役)
「さすが『日本特撮党党首』の著書、日本のみならず翻訳で世界へも。」
―宮内洋(仮面ライダーV3・風見志郎役)
「俺が歌に込めてきたモノはこれだ! 時代を映したヒーローたちの真の声を聞け!」
―水木一郎(アニメソング&特撮ソング界の帝王)
本書の帯の裏
帯の裏には「閉塞したこの日本を救えるのは、かつて『昭和の日本』を守ってきた特撮ヒーローだちだ!!」として、以下のように書かれています。
「殺伐とした現代にこそ、『月光仮面』が説いた正義を!」「悩める者にこそ、『仮面ライダー』が見せた不撓不屈の闘志を!」「自己保身や拝金主義にこそ、『愛の戦士レインボーマン』の無償の慈愛を!」「疲れきり、溜め息をつく、つまらない毎日にこそ、『宇宙刑事ギャバン』の勇気を!」
さらに、アマゾンの内容紹介には以下のように書かれています。
「月光仮面、ウルトラマン、仮面ライダー・・・、数多のヒーローたちは、実は時代と世相を反映している。彼らの戦いの背後には常に、折々の日本が直面してきた問題が隠れているのだ。そしてヒーロー番組の底流には、スタッフ、キャスト、スーツアクター、音楽関係者たちの渾身の思いがある。ヒーローたちが戦った敵とは何だったのか。彼らは死闘を通じて私たちにどのようなメッセージを残していったのか。新聞記者である著者が長年蓄積した情報を交え、特撮ヒーロー番組と現実世界との相関をひもときながら、その文化性を検証する!著者イチ押しの見どころ紹介コラムや昭和特撮ヒーロー作品リストも収録!」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
序章 敗戦国日本にヒーロー現る
第一章 巨大化したヒーロー
第二章 旋風巻き起こす「石ノ森ヒーロー」
第三章 悪の組織の変遷
第四章 豊かさの歪みが露呈する時代、「川内ヒーロー」再び
第五章 魅惑のカルトヒーローたち
第六章 アブない魅力の「悪のヒーロー」
第七章 ヒロイン、前線に立つ
第八章 ギネス級番組『スーパー戦隊シリーズ』の足跡
第九章 冬の時代の『メタルヒーロー』
第一〇章 ヒーローたちの応援歌
第一一章 スーツアクターの矜持
第一二章 平成の時代、ヒーローたちは…
終章 ヒーローたちの思いは実を結ぶか
まず、本書は「まえがき」が素晴らしいです。見開き2ページの中に、特撮ヒーロー番組が誕生した時代背景や著者のメッセージが見事にまとめられています。著者は「特撮ヒーローを呼ぶのは、時代だ」として、こう書き出しています。
「1958年に月光仮面が現れて以来、この国に誕生した数多の特撮ヒーローたちは、その時代と世相とを反映してきた。モノクロ画面の中、建設途中の東京タワーを背景に戦った月光仮面は、戦争からの復興を告げ、右肩上がりの高度経済成長の時代に生まれたウルトラマンは、カラーテレビの中で輝かしい未来に向かってすっくと立ってみせた。公害問題など、経済成長の負の部分が露呈してくる中に登場した仮面ライダーは、掘り返された住宅造成地の赤土の上で敵を倒し、国際婦人年の75年に誕生したゴレンジャーでは、女戦士のモモレンジャーが、すらりと伸びた足で悪者たちを蹴り上げた」
これほど多くの特撮ヒーローが、長年にわたって生み出されているのは、世界でも日本だけであると指摘した上で、著者は以下のように述べます。
「本書では、そんな特撮ヒーローと時代や世相との関係を解き明かし、日本固有の特撮ヒーロー文化の神髄に迫るとともに、ヒーローたちが伝えてきたメッセージを検証していく。ヒーローは、どんな絶体絶命の状況にあっても決してあきらめなかった。ヒーローは、一敗地に塗れても自分を信じて特訓を重ね、困難を乗り越えて明日に進んだ。ヒーローは、『赦す』ことの大切さを説き、敵を殴った拳の痛みを伝え、争いのない世界の実現を訴えてきた」
さらに、「クールジャパン」がしきりに叫ばれる時代にあって、著者は特撮ヒーロー文化が国境を越え、海外に広がっていることを指摘し、以下のように述べます。
「インターネットが普及する中、ヒーローたちは、鮮やかなアクションやクールなデザインのロボット、海外の子供番組とは一線を画した良質で深いドラマ性とで、次々に海外ファンを獲得している。そうした広がりの中で、ヒーローたちは、日本の文化や日本人の考え方を海外に『伝道』し、日本人への共感や『ふわりとした親日感』を醸成してきた。歴史上、多くの諍いが、互いによく知らないこと、相手に共感できないことに端を発していることを思えば、特撮ヒーローが果たしている役割は、とてつもなく大きい。海を越えたジャパニーズヒーローは、日本の安全保障にもつながる活躍を見せているのだ」
そして、「長年、特撮ヒーロー番組は、『ジャリ番(組)』と呼ばれて蔑まれ、大人向けのドラマより低く評価されてきた。そして、最近はアニメや漫画、アニメソングなどとともに『サブカルチャー』と分類されることが多い」としながらも、著者は「だが、特撮ヒーロー番組が果たしてきた役割の大きさ、伝えてきたメッセージの深遠さに触れるとき、私はもはや特撮ヒーローはサブ(副)を超えた立派なメーンカルチャー、文化だと確信する。特撮ヒーローは、日本が世界に誇る文化なのだ」と喝破するのでした。
序章「敗戦国日本にヒーロー現る」では、日本のテレビ特撮ヒーロー第1号である「月光仮面」が取り上げられます。1958年2月24日に放送が開始されましたが、日本中の子どもたちの心をわしづかみにしました。平均視聴率は40%、最高視聴率はなんと67.8%という驚異的な数字で、現在まで語り継がれる元祖国民的ヒーローとなりました。
月光仮面は全身白タイツに白いマント、額には三日月をあしらったターバンにサングラスという姿でした。武器は腰に差した二丁の拳銃のみで、これも敵を威嚇したり、やむをえず発砲することはあっても、相手が悪人でも決して殺しはしませんでした。この「非戦」という姿勢をもつ平和的な月光仮面の流儀は、「敵にとどめをさす」60年第以降のヒーローたちとの大きな違いでした。
月光仮面の原作者はかの川内康範ですが、彼は月光仮面を仏教の薬師如来の脇に控える月光菩薩から着想したそうです。善人にも悪人にも等しく慈悲の光を投げかけ、汚れを照らす月の光ほどの思いがそこに込められているわけですが、同時に「正義の味方」というコンセプトもここで明確になりました。著者は、「今でこそヒーローの代名詞として普通に使われる『正義の味方』という言葉だが、実はこの言葉は川内が考え出したものであり、『ヒーロー』の意味で一般化されるのは『月光仮面』以降のことのようだ」と述べています。
それにしても、当時の子どもたちに月光仮面が熱狂的に受け入れられたのはなぜか。著者は、「地べたに近いヒーロー」として、その大きな理由を以下のように推測しています。
「時代劇映画の中の主人公が、ばったばったと悪を切り捨てることで大人の憂さを晴らす存在なのだとしたら、月光仮面というヒーローは、当時の子供たちにとって最も身近で、子供たちの気持ちをすくいあげ、寄り添うことのできるヒーローだったのではなかろうか。真似をするのにも風呂敷一枚をマント代わりにすれば、ほかに高価なおもちゃは必要ない。当時のニュース写真には、お手製と思われる月光仮面の衣装で七五三参りをする子供たちの姿が少なからず写っているが、全身白い布ならば、家庭で作ることも難しくはなかっただろう」
時代劇のスーパーヒーロー「鞍馬天狗」の影響もあったでしょうが、月光仮面をはじめとした「タイツ系ヒーロー」が多かった時代とは、まだ子どもに高価なおもちゃを買い与えるほどの余裕がなかった時代であり、子どもたちが真似をして遊ぶことを意識していたという著者の指摘は鋭いと思います。
月光仮面は子どもたちにとって身近な「地べたに近いヒーロー」だったわけですが、彼が発する言葉は非常にストレートで熱いものでした。「マンモス・コング篇」第五話「祖国のために」では、日本を再び立ち上がれないようにしてやるとうそぶく悪人に対して、月光仮面は「日本国民は、自分たちが生まれ、自分たちがはぐくんできたこの祖国を愛しているから」強いのだと言い放ち、さらに「人間の幸福とは、金や名誉のみによっては得られるものではない」と徳を説くのでした。著者は、「敗戦の記憶もまだ生々しかった時代に、身近に思えるヒーローが説くそんな理想は、その時代の子供たちの心に、次の日本を創っていくのは自分たちだという勇気の種を蒔いたはずだ。一方、地べたに近い身近なヒーローは、真似をして屋上から飛び降りる子供が相次いで怪我をしたり死亡したりするなどの悲劇も生んだ」と書いています。
第一章「巨大化したヒーロー」では、わがサンレーが創業された1966年の画期的な出来事について、著者は「『金の巨人』と『銀の巨人』」として以下のように述べています。
「1966年はテレビ特撮ヒーロー史の中で、転換期になった年だ。この年、日本のテレビの中に、後のヒーローブームのさきがけとなる金と銀の巨人が誕生した。『金の巨人』の名はマグマ大使。そして『銀の巨人』の名はウルトラマン、日本を代表する特撮ヒーローの1人である。2年前の東京五輪の金銀銅メダルの順番を意識したわけではあるまいが、『金の巨人』の放送の方が『銀の巨人』より一足早かった。国産で初めてカラー放送された特撮ヒーロー番組は、『金の巨人』こと、『マグマ大使』である」
「銀の巨人」であるウルトラマンは地球上では3分間しか戦えず、カラータイマーが青から赤になって点滅を始めると、「タイムリミット近し」の合図で、テレビの前の子どもたちはハラハラしました。このカラータイマーについて、著者は以下のように述べています。
「この頃、家庭の三種の神器と言われた『テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫』に代わり、人々の憧れとなっていたのが『カー、クーラー、カラーテレビ』の頭文字をとった『3C』だ。そんな『3C時代』を反映して、『ウルトラマン』ももちろんカラー製作であり、だからこその『カラータイマー』だったわけだが、内閣府の消費動向調査によると、同年の各世帯へのカラーテレビの普及率はわずか0.3%にすぎなかった。だから、カラータイマーの色が変わると、わざわざ『青から赤に変わった』というナレーションが流された」
ちなみに、「ウルトラマン」放送の翌年の67年に放送が始まった「仮面の忍者 赤影」で、主役の3人の忍者が忍者でありながら、赤影、青影、白影と色分けされているのも、スポンサーの三洋電機がカラーテレビの普及を狙ったためだそうです。
「仮面の忍者 赤影」と同じく、67年には「ジャイアントロボ」も放送開始されていますが、両作品はともに横山光輝のマンガが原作でした。この「ジャイアントロボ」は巨大なロボットがヒーローでした。金子光伸演じる草間大作少年の指令に従うジャイアントロボの身長は30メートルでした。ウルトラマンやマグマ大使と並んで、巨大ヒーローのさきがけとなりました。
それにしても、なぜ、この時期に集中して巨大ヒーローが現れたのでしょうか?
著者は、この理由を「建設事情とヒーローのサイズの関係性」として、以下のように述べています。
「現実的な説明の1つは、ちょうどこの時期、日本初の超高層ビルが建設されていたことに影響された、ということになるだろうか。巨大ヒーロー誕生より少し前に、東京都心でのビルの高さ制限が緩和され、65年には日本初の超高層ビル、霞が関ビルが起工された」
地上36階、高さ147メートルの霞が関ビルは68年に完成しましたが、これを皮切りに74年までに116の超高層ビルが東京に建設されたのです。著者は、「空に向かって伸びる高層ビルと息を合わせるように、ヒーローたちもまた、『大きいことはいいことだ』(67年~68年の森永製菓のコマーシャルより)とばかりに巨大化したのではないだろうか」と述べています。
また、「心の拠り所と巨大化の関係性」として、著者は精神的な問題に注目し、こう述べます。
「もう1つ思い当たるのは、古くから日本をはじめとするアジア圏には、大仏像や大きな観音像が存在していることだ。752年に完成した奈良・東大寺の大仏は、飢饉や大地震が続く中、聖武天皇が社会不安を取り除き、国の安定をはかるために建立したとされている」
「世界的にも巨大な特撮ヒーローの存在は珍しいということは、特筆に値する。家も車も食べ物も、あれほど大きなものを好むアメリカでさえ、『バットマン』も『スーパーマン』も等身大のタイツ姿だ。もしかしたら、巨大ヒーローは大仏像の流れをくむ日本独自の文化なのかもしれない。今も続く巨大ヒーローたちの物語。『現代の巨大仏』に今を生きる人々は、いったい何を祈っているのだろうか」
第二章「旋風巻き起こす『石ノ森ヒーロー』」では、「泣きながら戦うヒーローたち」として、著者は以下のように述べています。
「右肩上がりの高度経済成長の風が吹く中、輝かしい未来に向かってすっくと立ったのが光の国からやってきたウルトラマンだとしたら、1971年に誕生した仮面ライダーは、経済成長の歪みが表面化する中、時代の負の部分を背負って誕生したヒーローと言える」
じつは、石ノ森章太郎が生み出したヒーローたちの仮面には、目の下に涙のような線のあるものが多いことが知られています。最近では、これは石ノ森章太郎が涙をイメージしたものとして「涙ライン」と呼ばれることもありますが、著者は以下のように述べています。
「確かに仮面ライダーの目の下には黒い影のような部分があり、キカイダーにもイナズマンにも、ロボット刑事Kにも目の下にラインがある。そして実際、石ノ森ヒーローたちは、敵を倒してカタルシスを得るというより、殴った拳の痛みに泣きながら戦っているように見える。あのラインはヒーローが流す涙だったのかもしれない」
さて、著者いわく、仮面ライダーは「ヒーローのスタンダードを作ったヒーロー」でもあるそうです。現在の等身大ヒーロー作品のもとになるものは、すべて「仮面ライダー」に詰まっていますが、その最たるものは変身ポーズでした。著者は、「当時、日本で子供時代を過ごした人で、変身ポーズをとったことがないという人はほとんどいないのではないか。ポーズと合わせて変身ベルトに注目が集まり、『光る、回る』のキャッチフレーズでおなじみのベルトのおもちゃが発売されるに至っている。人形やメンコだけではない。こうしたヒーロー周辺のグッズが多数発売されるようになったのも、『仮面ライダー』以降のことだ」と述べています。
変身した途端、なぜか崖の上から登場してくる演出も、ヒーローが登場してポーズをとる瞬間に「シャキーン」とか「ビューン」とかいう効果音(SE)が入るという今ではおなじみの演出も、「仮面ライダー」以降です。現在、東映の「戦隊シリーズ」で整音・選曲担当の宮葉勝行氏は「決めポーズに効果音を入れるのは、歌舞伎からきている日本人の感性なのではないか」と分析しています。効果音とともに高い場所からヒーローが登場することについては、著者は「多分に東映娯楽時代劇の影響もあるだろう。娯楽時代劇がそうであるように、多少の矛盾は力業で押し切ってしまうところも『ライダー流』。」と述べています。
1973年に放送が開始された「仮面ライダーV3」あたりから顕著になるのですが、シリーズのいずれのストーリーでも描かれているのは、仮面ライダーの決してあきらめない姿勢であり、「頑張れば必ず困難を克服できる」という「教訓」でした。著者は、「『モーレツ』に頑張る仮面ライダーが、当時はギャグにされなかったのは、やはり時代がモーレツを是としていたからだろう。当時の子供たちは、筆者も含めて、鉄球に体当たりするライダーの姿に、『人生で大切なこと』を教わったのである。こうした特訓話はシリーズを通して、たびたび登場した」と述べ、さらに「特訓話もそうだが、仮面ライダーは、苦悩し、もがき、悲しみながら戦うヒーローでもあった。これも、少なくとも表面上は凛としたアルカイック・スマイルを変えずに戦うウルトラマンとは対照的なところだ」と述べています。
第三章「悪の組織の変遷」では、ショッカーをはじめとした特撮ヒーロー番組に登場する悪の秘密結社が取り上げられます。「七〇年代の空気色濃く」として、著者は以下のように述べています。
「ナチスドイツを彷彿とさせる悪の組織の描写は、ショッカーやその流れを汲むゲルショッカーのみならず、1970年代の多くのヒーロー作品の特徴だ。『仮面ライダー』では、ショッカー日本支部初代大幹部のゾル大佐はナチスの残党という設定であり、番組後半には反ナチス運動をモデルにしたと思われるアンチショッカー同盟なる組織も登場した。作り手の多くが第二次世界大戦を実際に体験した世代ゆえの特徴と言えるだろう」
著者は、悪の組織の怪人の出身地にも注目し、以下のように述べます。
「怪人図鑑をひもとくと、ショッカーやゲルショッカーの怪人の出身地の多くは、南米やアフリカ、中東に偏っており、今なら大問題になりそうだ。まだまだ日本人にとってあこがれの『海外』はハワイやアメリカ、ヨーロッパあたりに限られており、それ以外の場所が心理的にも物理的にも遠かった時代。そうした国々に人々が夢と恐れを同時に抱いていたことを、怪人たちの出身地は映し出しているように見える」
第四章「豊かさの歪みが露呈する時代、『川内ヒーロー』再び」では、「川内康範、改めて『正義』を問う」として、戦争の記憶も生々しい50年代に「月光仮面」で、まだ貧しかった日本の子どもたちに「赦す」ことの大切さを説いた川内康範が新たに生んだ3人のヒーローが取り上げられます。「愛の戦士レインボーマン」(72年)、「ダイヤモンド・アイ」(73年)、「正義のシンボル コンドールマン」(75年)の3作品は「川内三部作」と呼ばれました。いずれも「超人=スーパーマン」ではないヒーローでしたが、これは「月光仮面」以来の川内のこだわりでした。異色作とされた「レインボーマン」にしても、川内は「ひとりの人間はどれだけ修業をすれば、どれだけ可能なことができるか、それがモチーフとしてあるから」と述べています。
第六章「アブない魅力の『悪のヒーロー』」では、「『悪のヒーロー』の誕生」として、著者は「それまでの悪にはなくて、『悪のヒーロー』にあったもの。それは、二枚目という要素である。人間体もハンサムなら、異形の体もヒーローのそれに近いスタイリッシュなものだった。彗星のごとく闇を切り裂いて現れた『悪のヒーロー』の名前は、ハカイダー、そしてタイガージョーである」と述べています。
ハカイダーとは「人造人間キカイダー」、タイガージョーとは「快傑!ライオン丸」に登場する主人公の最大のライバルで、視聴者から絶大な人気を得ました。
「悪のヒーロー」について、著者は以下のように述べています。
「西洋には『ピカレスクロマン』があり、日本には歌舞伎の『色悪』の伝統がある。『南総里見八犬伝』には、品行方正な八犬士やわかりやすい仇役のほかに、網干左母二郎という色男の悪役が出てきて、人気がある。そうした下地があるところに、72年には、アニメの世界で、悪魔の力と人間の心を持つ不動明を主人公とする『デビルマン』が始まっていた」
第七章「ヒロイン、前線に立つ」では、女性戦士が取り上げられます。著者は「紅一点からの出発」として、以下のように述べます。
「1975年4月、特撮ヒーロー界に、女性を初めて本格的な戦士として描いた『秘密戦隊ゴレンジャー』が登場する。それまでの『仮面ライダー』における『ライダーガール』のような『人質要員』とは違い、小牧りさ(現・小牧リサ)演じるペギー松山は、ゴレンジャーの他の4人と同じようにモモレンジャーに変身し、黒十字軍と戦う戦士である」
奇しくもこの75年は「国際婦人年」にあたり、英国では保守党が初の女性党首として「鉄の女」マーガレット・サッチャーを選出。ハウス食品のインスタントラーメンのCMコピー「私作る人、僕食べる人」が女性差別であると攻撃されて中止となり、ピンクのヘルメットをかぶった「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」の女性たちが「男女平等」を声高に叫んでいました。このように、特撮ヒーロー番組は、いつもその時代を反映しているのです。
終章「ヒーローたちの思いは実を結ぶか」では、「ヒーロー番組は教育番組」という指摘に目から鱗が落ちる思いがしました。宮内洋氏といえば、「仮面ライダーV3」や「秘密戦隊ゴレンジャー」のアオレンジャー、「快傑ズバッと」など数多くのヒーローを演じてきた人ですが、彼は著書『ヒーロー神髄』(風塵社)において「『ヒーロー番組』は『教育番組』である」と言い切り、「子供は観てマネする」のだから「『ヒーロー』は『正義』のみならず、全てが正しくなくてはならない」として、箸の持ち方から横断歩道のわかり方に至るまで気をつけていたと語りました。著者は、「こうした役者たちの努力もまた、ヒーローたちの説く『人の道』に単なる『お説教』ではない厚みを加えた」と述べています。
『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)
ヒーローたちは、たとえ言葉にしなくても、子犬一匹のために命をかけて戦ったり、敵をバイクで追跡中に飛び出してきた野ウサギをよけて自分が倒れたり、足元の名もない花をかばったりする姿を見せることで、命の大切さや、弱いものいじめをしてはいけないこと、互いに助け合うことの尊さを子どもたちに教えてきました。彼らは、子どもたちに対して「人の道」、すなわち人として生きていく上での規範を教えてきたのです。
かつて、こういった「人の道」を説いたのはブッダや孔子といった聖人たちでした。拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)では聖人たちのメッセージを詳細に紹介しましたが、それらをわかりやすい形で子どもたちに示したのが特撮ヒーローだったのかもしれません。
彼らは「人の道」とともに、「あきらめない」ことの大切さなども伝えてきました。どのヒーローも「もし勝てなかったら」「ダメかもしれない」とは決して考えません。勝つことだけを信じて、敵に立ち向かっていきました。決してあきらめないのがヒーローたち、あきらめないから、ヒーローなのです。
特撮ヒーローがこの国に誕生して60年という時間が経過しました。昭和特撮ヒーローたちの洗礼を受けた私たちの世代は、いつの間にか社会の中核を担う年齢になりました。最後に、著者は「ヒーローが託した未来に、私たちは生きる」として、「世界は、ヒーローが願ったほど平和になっていないし、紛争の種は絶えない。強い者が弱い者をいたぶる悲惨な事件も後を絶たない。混沌とした中で、何が『正しいこと』なのか、わからなくなることも多い」と述べています。
ヒーローたちが体を張って伝えてきたメッセージ、彼らの思いが、報われたかどうかは、まだわからないとしながらも、著者はこう述べるのでした。
「でも、ヒーローたちの希望の灯りは、日本中の、いや、国境を越えて世界中の子供たちの胸にいったんは灯されたはずだ。今は埋み火でも、人生の南極に行き当たった時、争いや災いの種がまかれる時、必ずやその火は再び燃え上がる。東日本大震災で被災地支援に、原発事故収束のために現地に向かう人たちの中に、私たちは確実にかつてのヒーローたちの思いを、ヒーローの姿を見ることができたのだから」
『ハートフル・ソサエティ』(三五館)
この一文を読んで、ヒーローたちが夢見ていた社会とは平和で心豊かなハートフル・ソサエティではなかったかと思いました。川内康範は1981年に映画で月光仮面がよみがえった際に「『月光仮面』や『スーパーマン』が必要でなくなる時代が訪れてくれたら、その時こそが、本当の平和な時代なのだ」と書いています。
1964年生まれという著者は、わたしと同世代です。まさに特撮ヒーロー番組の全盛期に子ども時代を送っているだけに、本書にはヒーローたちへの愛情が溢れていました。しかし、この著者は女性であり、しかも子どものころには親に制限されてテレビで特撮物をほとんど見ていないというから驚きです。女性だけあって、戦いに疲れたヒーローたちへの視線には母性愛のようなものさえ感じました。
そして「あとがき」で、著者は以下のように述べるのでした。
「19歳で米国に留学した際、英語も出来ず、ホームシックと、週に十数冊もの課題図書がある厳しい授業に絶望していた私を救い、導いてくれたのが仮面ライダーだった。ある日、『仮面ライダーは、怪人に殺されるかもしれないのに戦っている。私は命をとられるわけでもないのに、何を甘ったれたことを言っているんだろう』と『開眼』したのである。翌日から、1日数十時間机に向かうようになった私は、大学、大学院、と政治学を学び、帰国後、希望していた新聞記者になった。私にとって特撮ヒーローは恩人であり、兄でもある存在なのだ」
わたしは、おそらくは八百万の神々にも通じる百花繚乱の日本のヒーロー文化の中で少年時代を過ごしたことに幸福を感じるとともに、心から誇りに思います。改めて思い起こせば、仰ぎ見た巨大ヒーローたちは神仏のごとき、優しかった等身大ヒーローたちは聖人のごとき存在でした。