No.2280 芸術・芸能・映画 『ジャニーズ帝国60年の興亡』 鹿砦社編集部編(鹿砦社)

2023.11.12

『ジャニーズ帝国60年の興亡』鹿砦社編集部編(鹿砦社)を読みました。長年、ジャニーズ事務所関係の出版物を刊行してきた出版社の総決算的な本で、資料的価値が抜群にありました。ジャニーズ事務所設立から現在までの流れがすべてわかるので、大変便利です。

本書の帯

赤く染まったカバー表紙には、同社が刊行してきたジャニーズ関係の書籍やジャニー喜多川の写真、さらにはBBCの性加害告発番組などの画像の写真を使われています。帯には、「わが国屈指の芸能プロダクション『ジャニーズ事務所』、この栄華の裏で行われてきた未曽有の性犯罪と、少年たちへの性虐待によって築かれた巨額の富や利権――そこに蠢く者たちを喝破! 懇親の一冊!」と書かれ、「少年愛の館、ついに崩壊!!」と大書されています。

本書の帯の裏

帯の裏には、「四半世紀以上前からジャニー喜多川による未成年性虐待、ジャニーズ事務所の横暴を、三度の出版差し止めにも屈せず、地道に追及してきた鹿砦社が、ジャニーズに対する、これまでの言論活動を総決算! 同時に、異常な性犯罪を黙認、放置してきた者たち(ジャニーズ事務所、これに忖度したマスメディア、企業)の責任をも厳しく問う!」と書かれています。

アマゾンの内容紹介には「少年愛の館、遂に崩壊へ! 2023年3月7日の英国営BBCの報道をきっかけに、今やジャニーズ事務所に対するメディアタブーが一気に溶けた。鹿砦社は、1995年にジャニーズ事務所から出版差し止めを食らって以降、多くの書籍でジャニー喜多川による未成年性虐待の問題やジャニーズ事務所の横暴などを報じてきた。時に大きく報道されたり、今回の騒動でも、その中のいくつかの書籍が話題になった。本書はその〈総決算〉としてジャニーズ60年の詳細な歴史、28年間の言論活動で経験してきたことなどをあますところなく記述した。今では貴重な資料も復刻・掲載、ジャニーズの60年の出来事を詳細に記載し、性虐待にとどまらない『ジャニーズ問題』の本質をまとめた待望の一冊!」とあります。

本書の「もくじ」は、以下の通りです。
「はじめに」
Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
2023年はジャニーズ帝国崩壊の
歴史的一年となった!
文春以前(1990年代後半)の
鹿砦社のジャニーズ告発出版
[復刻]ジャニーズ・ホモセクハラ裁判 1
[復刻]ジャニーズ・ホモセクハラ裁判 2
[復刻]ジャニーズ・ホモセクハラ裁判 3
[資料 国会議事録]
国会で論議されたジャニーズの児童虐待
Ⅱ ジャニーズ60年史
その誕生、栄華、そして……
1 ジャニーズ・フォーリーブス時代
1958―1978
2 たのきん・少年隊・光GENJI時代
1979―1992
3 SMAP時代前期
1993―2003
4 SMAP時代後期
2004―2008
5 嵐・SMAPツートップ時代
2009-2014
6 世代交代、そしてジュリー時代へ
2015―2019
7 揺らぎ始めたジャニーズ
2020―2023
第Ⅱ部まとめ
ジャニーズ追求28年の体験から、
昨今のジャニーズ問題をめぐる狂騒を嗤う

今年に入って、ジャニーズ事務所が激震、崩壊への一途をたどっています。本書の「はじめに」には、「私たちは、長年パイオニアの矜持を持って細々ながらジャニー喜多川、およびジャニーズ事務所の非道に対して追及して来た。もうジャニーズ帝国の崩壊はないのではないか、と諦めてきたが、かつてのベルリンの壁やソ連崩壊のように、いくら強固であっても、なにかのきっかけで帝国は一気に崩壊することもある、歴史が変わることを、あらためて見知った」と書かれています。

いま、多くのマスメディアが故ジャニー喜多川氏の性加害問題にヒトとカネを注ぎ込んで取り組んでいますが、本書には「これはこれでいいとしても、なぜもっと早く、今のように取り組まなかったのか、マスメディアのご都合主義を嗤う。それも『死人に口なし』で、主犯のジャニー喜多川はとうに亡くなっている。『主犯は亡くなっていても罪は追及できる』などということか? 先駆的に追及してきたデータハウス、『噂の真相』、そして私たち鹿砦社らの警鐘を、ジャニー喜多川存命中には蔑ろにしてきたことへの真摯な反省をまずもって行った上で、この問題に取り組んでいただきたいと切に願う」と書かれています。

Ⅰ「苦境に立たされるジャニーズ」の「2023年はジャニーズ帝国崩壊の歴史的一年となった!」の冒頭には、「2023年3月7日、英公共放送BBCがついにジャニー喜多川(故人)の未成年性虐待のドキュメントを全世界に向けて放映! 私たちが長年追及してきた問題がようやく国際的に採り上げられたのだ! この波紋は、一定予想されたとはいえ、当初の予想を遥かに越え、今尚続き、これまで『ジャニーズ帝国』といわれ、わが国芸能界を支配してきたジャニーズ事務所が、創業者社長の生前の未成年性虐待によって、単なるスキャンダルに終わらず、一気に崩壊へと向かい、芸能界のみならず社会的にも大きな衝撃となった」と書かれています。

「わが国の代表的雑誌『週刊文春』がジャニー喜多川告発に登場!」では、鹿砦社の闘いを継いで、次に「週刊文春」(文藝春秋)、かつては鹿砦社への提訴に名を連ね、カレンダー利権を持つほどジャニーズと親密な関係にあった「週刊女性」(主婦と生活社)が、よほど酷い仕打ちがあったのかカレンダー利権を棄て告発に走り、ジャニーズに対する報道タブーは解き放されたかと思われたとして、「ジャニー喜多川による未成年性虐待は、欧米では明確な犯罪なのに、なぜ日本では問題にならなかったのか、これをなぜ日本のメディアは報じなかったのか、BBCや国連の関係者は驚く」と書かれています。文春がシリーズで告発し、国会でも審議され、社会的に一定の発信効果があったのに、いつのまにか忘れられていったのです。

「3月7日以降、ジャニー喜多川未成年性虐待問題はどう展開してきたのか?」では、弁護士ドットコムの記者が「ジャニーズの問題を追及する本を長年継続的に出しているのは鹿砦社だけですよ」と指摘したことを紹介し、告発系、スキャンダル系だけでかなりの点数(増補版も入れてざっと30点ほど)を出していることを示します。そして、「ジャニーズ、あるいはジャニー喜多川のスキャンダルを知ろうとしても、普通だったらどこから始めたらいいのかわからないだろう。彼らが異口同音に言うところだが、例えば『ジャニーズ50年史』を紐解けばジャニーズの歴史の概略を知ることができる。『本当は怖いジャニーズ・スキャンダル』を読めば、最近のジャニーズ・タレントの不祥事やスキャンダルを知ることもできるだろう。だから、まず私たちに連絡してくるわけだ。思い返せば、1995年、出版差し止めされた『SMAP大研究』以来四半世紀余り、われながらよくやってきたものである」と述べています。感慨もひとしおであろうと思います。

「20年遅れのジャニー喜多川による未成年性虐待報道に違和感あり!」では、最近の一連のジャニーズ問題報道に対して筆者は違和感を覚えるとして、「最も大きいことは当のジャニー喜多川が亡くなっており、まさに『死人に口なし』で反論も弁明もできない。マスメディアは生前に追及はできなかったのか? なぜしなかったのか? チャンスはいくらでもあったはずだ。文春以前のデータハウス、鹿砦社の書籍でも問題は提起されていた」と述べます。20年以上前、「週刊文春」は連続してキャンペーンを行い、訴訟でも事実上勝訴しました(「一部敗訴」)。さらには国会でも質疑がなされました。にもかかわらず、当の「文春」以外に今回のように大々的に報じたマスメディアは皆無と言ってよかった。わずかにミニコミに近い鹿砦社の書籍とのみが細々と報じ続けてきたにすぎません。

当事者のジャニー喜多川本人が亡くなってから、いくら騒ぎ立てても、報道としての値打ちは格段に低くなります。せめて「文春」が告発キャンペーンを始めた時期、また訴訟が東京高裁での事実上の逆転勝訴(一部敗訴)が確定した時でもきちんとその意義などを報じるばきだったとして、筆者は「20年前に、今回のように頑張ってくれたら、少なくともその後の被害者は出なかったはずだ。今、メディア総出でジャニーズ叩きに狂奔している。こういうのを『メディアスクラム』と言うのかどうかは知らないが、最近ではなにか苦々しいもの、違和感を覚えるようになった。特に9月7日の4時間にもわたる記者会でのマスメディアの記者らの横柄な態度、物言いには不快感を覚えた」と述べるのでした。

Ⅱ「ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして……」の1「ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958―1978」の「未払いをめぐる裁判が生虐待問題へと発展」では、元祖ジャニーズのメンバーとジャニー喜多川が新芸能学院を離れたとき、授業料やスタジオ使用料、宿泊費、食費など270万円が未払いであるとして、9月に学院の代表者がジャニー喜多川を訴えました。その際、代表者はジャニー喜多川による「同性愛行為による引き抜き」があったことを法廷で明らかにし、証人も出廷しました。ジャニー喜多川征虐待問題が最初に表沙汰になった事件でした。

この訴訟は一審で原告が勝訴し、請求の一部支払いが認められました。しかし、二審では認められず、結局は原告の逆転敗訴で終わりました。本書には、「注目された性虐待に関しては、この裁判と直接関係がないとし、糾明されなかった。金銭問題以上にジャニー喜多川は胸をなで下したことだろう。この時、徹底的に性虐待を社会的に追及しておけば、その後も続くジャニーズの性虐待は起こらなかったかもしれない。と考える関係者は少なくない」と書かれています。しかし、このとき裁判で真実を語ることができなかった元祖ジャニーズの中谷良は、20年以上の時を経た1989年に当時の性虐待を暴露したのでした。

1967年8月、ジャニーズ事務所のアイドルグループ2号「フォーリーブス」が日劇ウェスタンカーニバルでデビューしました。歌って踊るというコンセプトはジャニーズ事務所の原点であり、伝統でもあります。そうしたタレント育成を業界でいち早く行ってきたことはジャニー喜多川の慧眼によるものだとして、筆者は「ジャニーズ的アイドル像がこの時に形成されたことも興味深い。元祖ジャニーズはみな短髪で、大学進学を希望する詰め襟学生服を着た健全な高校生だった。彼らも歌って踊れることをセールスポイントにしていたが、まだ、旧来の『青春歌謡』的な健全さや、男臭く保守的な雰囲気が漂っていた。ところが、GSブームを契機に誕生したフォーリーブスは、ザ・タイガースやザ・テンプターズがウリにしていたカウンターカルチャー的な雰囲気を採り入れ、長髪に、中性的な甘い顔立ちのアイドルグループとして打ち出された。歌って踊れるスタイリッシュな中性的アイドル。この路線は今日まで、ジャニーズ史を作って来た各グループに継承されてる『ジャニーズらしさ』の根本となっている」と述べます。

1972年の1月2日、フォーリーブスの弟分である郷ひろみが俳優デビューしました。NHK隊がドラマ「新・平家物語」で大型新人として注目を集めます。ジャニーズ事務所の若手タレントが「登竜門」として大河ドラマに出演するのは、これが始まりでした。郷は1975年にバーニングプロダクションに移籍するまで、ジャニーズ事務所からシングル11枚、アルバムを6枚リリース。郷の兄貴分であるフォーリーブスの江木俊夫は、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べています。

郷ひろみの退所後、傷心だったジャニー喜多川ですが、ジャニーズ事務所も目立ったタレントに恵まれずに「冬の時代」でした。しかし、1980年に田原俊彦が「哀愁でいと」でデビューします。田原の「ハッとして!Good」は「第22回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞。郷ひろみ以来の新人賞でしたが、郷は「最優秀」を逸しましたので、田原はジャニーズ所属タレントとして初の「最優秀」でした。同じく、彼は「第11回日本通う大正」の放送音楽新人賞も受賞しています。そして、「第31回NHK紅白歌合戦」に田原が初出場。曲は「哀愁でいと」でしたが、ジャニーズ事務所としては4年ぶりの「紅白」出場となりました。これ以降、ジャニーズの「紅白」出場が絶えることはありませんでした。本書には、「ジャニーズ事務所にとって、田原は起死回生の救世主になったのである」と書かれています。

田原俊彦に次ぐ救世主はSMAPでした。1991年9月、SMAPが「Can’t Stop!!・LOVING・」でCDデビュー。この年の1月に日本武道館で最初のコンサートを行っており、満を持してのデビューでした。しかし、デビュー1年目に名古屋のレインボーホールで開いたライブでは、ジャニーズ・タレントとしては落第点といえる半分以下の客しか集められませんでした。もともとリストラ候補ですらあった彼らの面倒を見たのは、メリー喜多川ではなく飯島三智でした。ジャニー喜多川がやる気だったにもかかわらず、メリーは初めからSMAPが売れるとは思ってもおらず、一介のデスクだった飯島に「アンタ、勝手にやっておきなさいよ」という調子でマネジメントを任せたといいます。それが超トップ・アイドルグループにまで成長したのは、飯島が体を張って5人をマネジメントした結果でした。

阪神淡路大震災3日後の1995年1月20日、「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出演したSMAPは新曲の代わりに、被災地へのメッセージとともに「がんばりましょう」を歌い、多くの人を勇気づけました。これが、SMAPが国民的アイドルといわれるようになる1つのきっかけとなりました。1997年、SMAPで最も人気者の木村拓哉の独立騒動がありました。主演ドラマのブレイクで押しも押されぬスターになった木村の最大の不満は、人気に見合わぬ薄給でした。ギャラをアップしなければ独立するという事務所との交渉の結果、それまでの給料制が歩合制に変わったとされています。これ以降、多くのタレントを苦しめてきたジャニーズの薄給が改善されていきます。本書では、「結果的には、タレントにとってもがんばり甲斐のあるシステムになったことが、ジャニーズの繁栄をもたらしている」と書かれています。

SMAPが国民的グループになっていくことを快く思わないジャニーズ事務所の幹部がいました。副社長のメリー喜多川です。SMAPが35枚目のシングルとして2003年3月にリリースした「世界に一つだけの花」がダブルミリオンの記録的な売り上げとなりました。ところが彼らは、「第45回日本レコード大賞」のノミネート直前に受賞を辞退。「ナンバーワンよりオンリーワン」とは当時のコメントでした。しかし、本書には「レコード大賞には政治力が強く働いており、ジャニーズはここ10数年そこに絡む努力はしなくなっていた。しかし国民的大ヒットとなった『世界に一つだけの花』の受賞は誰から見ても妥当なもので、わざわざ断る理由がわからない。このころから、SMAPやメンバーの『謎の辞退』がしばしば起こるようになる。のちに発露するメリーのSMAPに対する憎しみの強さを考えると、アラサーとなっても衰えることなくますます大きくなるSMAPに危機感を抱いたメリーが、SMAPを抑え込むために受賞を辞退させた可能性もある」と書かれています。

2004年2月24日、「週刊文春」が1999年に特集したジャニーズ告発キャンペーン記事をめぐる訴訟が最高裁第三法廷(藤田宙靖裁判長)で行われ、ジャニーズ側の上告を棄却する決定が下されました。この重要な判決に対し、新聞は小さなベタ記事で報道するにとどまり、テレビは見て見ぬふりをしました。芸能リポーターの故・梨元勝は「御存じのように、テレビ局というのはスポンサーがあって、番組を作る。その番組の視聴率がいいことがよりいいわけですよね。そうすると『視聴率が取れるタレント』に何かが起きたときは、テレビ局はジャニーズに限らず守りに回るんです。とはいえ、本来報道はそういう関係から独立したものであるべきでしょう」と語っています。本書には、「実際この後も、ジャニー喜多川は全く悔い改めることなくジャニーズ所属の少年たちへの性虐待を続けており、それを知らずにジャニーズ事務所に入所する被害者を生み続けてきた。2023年、再び性虐待問題が注目されるとともに、この時メディアがきちんと報じなかったことの罪深さが改めて問われている」と書かれています。

2004年12月1日、藤沢周平原作、山田洋次監督、木村拓哉主演の映画「武士の一分」(松竹)が公開。興行収入は40億円を超え、松竹配給映画としては歴代最高記録を樹立しました。しかし、翌2005年の「第30回日本アカデミー賞」主演男優賞のノミネートを木村拓哉は辞退しました。またもや「謎の辞退」です。理由は「優秀賞の他のみなさんと最優秀賞を競わせたくない」というものでした。ジャニーズ事務所は「木村に限らず、うちはレコード大賞や各韻学祭など、賞レースというのを十数年前からやっていません。映画も同じで、事態は今に始まったことではないのです。それに映画はあくまで監督のもので、受賞はおこがましいのです」とコメントしましたが、2016年に二宮和也、2017年に岡田准一が主演男優賞を受賞したことを考えると矛盾しています。ジャニーズ事務所(メリー)が、木村の俳優キャリアの箔付けを妨げるために受賞を辞退させた可能性があります。

ジャニーズ事務所が全盛期を迎えたのは2015年だとされています。というのも、この年の「紅白」に史上最多の7組が出場したのです。前年まで嵐が5年連続で司会を務めたことへの風当たりを考慮してか、「第66回NHK紅白歌合戦」は井ノ原快彦が白組司会を務めました。「あさイチ」を通じて幅広い世代からの好感度が高い井ノ原は悪くない人選とされましたが、その一方で、この年デビュー35周年だった近藤真彦が大トリを飾りました。特にヒット曲もなかったわけですから、これはメリーがごり押ししたとしか考えられませんでした。前年、カウントダウンコンサートが近藤のワンマンショー状態になり顰蹙を買いましたが、今度は公共放送の国民的番組が私物化されたことになります。この回の紅白は、SMAP、嵐、TOKIO、関ジャニ∞、V6、Sexy Zone、近藤真彦と、ジャニーズの歌手が最多の7組が出場。本書には、「終わりの始まりとなるSMAP騒動が勃発する直前のこの時期、ジャニーズパワーが最高潮に達していたことが表れている」と書かれています。

2016年1月13日、「日刊スポーツ」と「スポーツニッポン」が、SMAPの分裂と解散危機を大々的に報じました。日本中が騒然とし憶測が飛び交いましたが、1月18日、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)で本人たちが中出演で会見を行うことになりました。当然ながら注目を集めましたが、会見は視聴者に向けての説明というより、黒いスーツ姿で在任のように一列に並ばされたメンバーがジャニーズに対して謝罪をするという、見せしめの罰のようでした。本書には、「あまりの異様さにこの会見は『公開処刑』と呼ばれるようになった。本来芸能事務所はタレントのイメージを守るものであるはずだが、ジャニーズ事務所は率先して」SMAPのイメージを貶めているように見えた。謝罪によりとりあえずSMAPは継続されることになったものの、ここから、執拗な不仲報道などでさらにじわじわと追い詰められていく」と書かれています。結局、SMAPはこの年の12月31日に解散しました。

20年以上にわたって「SMAP×SMAP」の構成作家を担当した鈴木おさむが、2022年12月9日発売の「文藝春秋」2023年1月号に「小説『20160118』を発表しました。小説のサブタイトルは「SMApのいちばん長い日――“公開謝罪番組”担当放送作家が描く崩壊と再生」です。2016年1月18日の「公開処刑」と呼ばれた会見の裏を、「小説」のスタイルを取って逃げ道を残しながら暴露したものでした。大筋としてはこれまで言われてきた域を出る内容ではありませんが、現場の関係者が直接語ることの「答えあわせ」としての意味は大きいとして、「会見には台本があり、それをかかされたのは鈴木だった。世間を騒がせたことに対するお詫びなどの言葉を短くまとめた最初の台本は、本番のわずか45分前、メリーと思われる人物あら強烈なダメ出しを食らう。そして、草彅剛がこめんとした『ジャニーさんに謝る機会を木村君が作ってくれて、今僕らはここに立てています』という内容を『絶対に』入れるよう指示されたという」と書かれています。明らかに異常ですね。

2022年11月13日、元ジャニーズJr.の岡本カウアンが、自身のYouTubeチャンネルでガーシーこと東谷義一と生配信を行い、15才のときにジャニー喜多川の自宅で性虐待を受けていたことを告白しました。本書には、「これまで暴露されていたジャニー喜多川による性虐待は90年代ごろまでのできごとだった。21年に前田航気が2010年代の性虐待の存在に言及はしているが、被害者の口から具体的に、晩年のジャニーによる性虐待が語られたのは初めてのことである」また、カウアンの話の中には、平野紫輝、松本潤、斎藤勝利といった人気タレントの名前が登場していたこともあり、売名行為という批判も多く、この時はまだ色物的な捉え方がされていました。しかしここから、長年タブー視されていたジャニー喜多川の性虐待問題の追及が再び始まる。最初にそのきっかけを作ったカウアンの功績は大きい」と書かれています。

「最大の問題はジャニー喜多川が死んでいること」では、異常な未成年性虐待事件で、最も悪いのはジャニー喜多川ですが、彼はすでに亡くなっています。「死人に口なし」といわれるように、今後真偽を見極める際に大きな障害となるでしょう。「被害者」と偽り賠償金を請求してくる輩が出て来ないとも限らないとして、本書には「この点で、ジャニー喜多川が亡くなるまで黙認し放置してきた責任が、ジャニーズ事務所、マスメディア、広告出広企業にもある。今はジャニーズ事務所ばかりが責め立てられているが、同党にマスメディアや広告出広企業も責められるべきだ。かれらは責任をジャニーズ事務所にばかり押し付けているような感がある。みずからに責任が及ばないように、これでもかこれでもかとジャニーズ事務所を責めているが、長年細々とながらジャニーズ事務所を追求してきた私たちには違和感がある。当初は、『おお、やってくれているね』と思っていたが、次第次第に違和感を覚えていった」と書かれています。

「マスメディアの責任」では、マスメディアがこの問題について、文春、それ以前の鹿砦社、35万部の日っとを記録した北公次の『光GENJIへ』を出版しパイオニアの『データハウス』、時に告発記事を掲載した『噂の真相』など告発系、スキャンダル系の書籍を出したり記事を掲載したりし、メディア関係者であれば100%に近くジャニーズ事務所という『少年愛の館』で、未成年性虐待が行われてきたぐらい知っていたはずだといいます。マスメディアには、これを黙過・黙認し放置(隠蔽)してきた重大な責任があるとして、本書には「4時間余りの長時間にわたった0月7日のジャニーズ事務所の記者会見での質疑応答を見たが、気分が悪くなった。マスメディア(の記者)は、時に横柄で、これまでジャニー喜多川の未成年性虐待を黙過・黙認、放置(隠蔽)してきた反省がほとんど感じられず違和感ばかりが募った」と書かれています。

「広告出広企業の責任」では、これまで主にテレビを中心に、日本を代表する多くの企業がジャニーズタレントを起用してきましたが、ここにきてジャニーズ事務所との契約打ち切りを決定したというニュースが続々報じられています。沈みつつある泥船からいち早く池田氏、知らぬ存ぜぬを決めようとの感がして嫌な気分になるとし、て、「これもおかしな話だ。ジャニー喜多川による未成年性虐待の実態は、ネットで容易に調べられる時代、検索して、かつてのデータハウスや鹿砦社などの書籍を取り寄せて読めば、わけなく判るはずである。大金を投じて広告を制作するのだから、これぐらいはやるべきだったのではないか」と書かれています。まったくもって、その通りだと思います。

最後に、「私たちなりのジャニーズ問題の〈集大成〉」では、本年3月7日以降、主だったマスメディアの多くがジャニー喜多川による未成年性虐待とジャニーズ事務所の横暴についてヒトとカネを使い大掛かりな取材に動き出したことについて、本書には「日々、新聞もテレビも、ジャニーズに関する記事やニュースで溢れ返っている。もう私たちの出番でもないだろう。私たちの役割は終え、(ご都合主義ということではあるが)大手メディアに繋げた。3度の出版差し止めにも屈せず、地道にジャニーズ告発の本を出し続けた甲斐があろうというものだ。少しは報われた気がする」と書かれています。この一文を読んで、わたしは感動を覚えました。わたしが書いた100冊を超える一条本はけっしてベストセラーになるような本ではありませんが、「天下布礼」の志をもって書き続けていれば、いつかは「少しは報われた気がする」と言える日が来るかもしれないなどと思いました。

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