No.1575 哲学・思想・科学 『絶滅の人類史』 更科功著(NHK出版新書)

2018.07.24

『絶滅の人類史』更科功著(NHK出版新書)を読みました。
サブタイトルは「なぜ『私たち』が生き延びたのか」です。著者は、1961年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。民間企業勤務を経て大学に戻り、東京大学総合研究博物館研究事業協力者に。専門は分子古生物学で、主なテーマは「動物の骨格の進化」です。この読書館でも紹介した新潮新書の一冊である『爆発的進化論』をはじめ、『化石の分子生物学』(講談社現代新書、 講談社科学出版賞受賞)などの著書があります。

本書の帯

本書の帯にはネアンデルタール人の横顔とともに、「ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺した?」「初期人類の謎から他の人類との交雑まで。人類史研究の最前線をエキサイティングに描く!」と書かれています。
またカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。

「700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して『優れていなかった』わけではない。むしろ『弱者』たる私たちが、彼らのいいとこ取りをしながら生き延びたのだ。常識を覆す人類史研究の最前線を、エキサイティングに描き出した一冊」

 本書の帯の裏

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「はじめに」
序章 私たちは本当に特別な存在なのか
第1部 人類進化の謎に迫る
第1章 欠点だらけの進化
第2章 初期人類たちは何を語るか
第3章 人類は平和な生物
第4章 森林から追い出されてどう生き延びたか
第5章 こうして人類は誕生した
第2部 絶滅していった人類たち
第6章 食べられても産めばいい
第7章 人類に起きた奇跡とは
第8章 ホモ属は仕方なく世界に広がった
第9章 なぜ脳は大きくなり続けたのか
第3部 ホモ・サピエンスはどこに行くのか
第10章 ネアンデルタール人の繁栄
第11章 ホモ・サピエンスの出現
第12章 認知能力に差はあったのか
第13章 ネアンデルタール人との別れ
第14章 最近まで生きていた人類
終章 人類最後の1種
「おわりに」

序章「私たちは本当に特別な存在なのか」では、「人類は何種もいた」として、著者は以下のように述べています。

「現生の大型類人猿すべての共通祖先は、およそ1500万年前に生きていたと考えられている。そこからまずオランウータンの系統が分かれ、次にゴリラの系統が分かれた。さらにそのあとでチンパンジーの系統とヒトの系統が分かれたが、それは約700万年前のことだと推定されている。チンパンジーの系統では約200万年前~約100万年前に、チンパンジーに至る系統とボノボに至る系統が分岐した」

続けて、著者は以下のように述べます。

「今のところ知られている最古の化石人類は、約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスである。チンパンジーに至る系統とヒトに至る系統が分岐した直後の、ヒトに至る系統に属する種と考えられている。このサヘラントロプス・チャデンシスも含めて、化石人類は25種ぐらい見つかっている(この種数は、研究者の解釈によって異なってくる。また、発見された化石は、過去に生きていた化石人類のほんの一部と考えられるので、実際の種数はもっと多いだろう)。これらの化石人類すべてと現生のヒトをまとめて、人類という」

人類史について書かれた本はたくさんありますが、本書の白眉は第9章「なぜ脳は大きくなり続けたのか」ではないでしょうか。ここで、著者は「脳が大きくなったもう1つの理由」として、以下のように述べています。

「多くの霊長類は群れを作るが、それは群れを作るとよいことがあるからだ。昆虫などを食べる霊長類は、視覚の他に嗅覚を使ってエサを探すことができる。そこで、夜行性で単独で暮らすものが多い。しかし、果実を食べるようになった霊長類では、視覚が重要になる。特に色が識別できれば、生い茂る葉の中から果実を見つけたり、果実が食べごろかどうかを判断したりできるからだ」

続けて、著者は以下のように述べます。

「だが、明るい昼間に活動しなくてはならないので、捕食者に襲われる危険性が高まります。そのため、1匹で暮らすより群れで暮らすようになったのだろう。捕食者を見つけやすいだけでなく、捕食者に襲われたときに自分が食べられる可能性が低くなるからだ。その他にも、群れを作るとよいことがある。食べ物を探したり、他の群れと闘ったりするときに有利なのだ。このような群れの効果は、複数の研究で実証されている」

第12章「認知能力に差はあったのか」では、ヒトの象徴化行動が取り上げられます。哲学者カッシーラーは、「人間はただ物理的宇宙ではなく、シンボルの宇宙に住んでいる」と喝破しました。著者は「象徴化行動の証拠」として、以下のように述べます。

「ヒトが住んでいた約7万6000年前の南アフリカのブロンボス洞窟から、土を固めた塊が見つかった。その表面には、網目状の模様がついていた。模様があるからといって、獲物が捕まえられるわけではない。模様があっても、何の役にも立たない。でも、役に立たないことが重要なのだ。具体的な利益に(少なくとも直接は)結びつかない行動は、象徴化行動である可能性が高いからである」

さらに古いヒトの象徴化行動の証拠も報告されています。たとえばイスラエルのスフール洞窟からは、約10万年前の穴の開いた貝殻が2枚発見されています。しかし、この穴は、貝殻の一番薄いところに開いていました。著者は「この場合は、ヒトが貝殻に穴を開けたのか、自然に穴が開いたのかは、微妙である。また、顔料は約28万年前という非常に古い時代から使われていたようだが、初期のころの顔料は象徴化行動の証拠としてよいのかどうかわからない。耐久性を与える上塗りなど、実用的な目的で使った可能性が否定できないからだ」と述べています。

一方、ネアンデルタール人にも、象徴化行動の証拠はありました。
たとえばフランスのラ・フェラシー洞窟からは、約7万年前のネアンデルタール人の埋葬に伴って、線が刻まれた骨が見つかっています。この時代には、まだヒトはヨーロッパに到達していないので、ネアンデルタール人の象徴化行動の、数少ない確実な証拠とされているそうです。

「食人と埋葬」として、著者はネアンデルタール人が仲間の肉を食べていたことを指摘し、「人類は基本的には平和な生物だが、何があっても微笑みを絶やさない仏様というわけではなかったようだ」と述べています。しかし、一方で著者は以下のようにも述べるのでした。

「ネアンデルタール人の優しい心が垣間見える証拠もある。ネアンデルタール人の場合、壊れたりしていない保存状態のよい骨が、しばしば見つかる。その理由は、おそらくネアンデルタール人が死者を埋葬したからだ。人骨とともに花粉が見つかったことがあるので、死者に花をたむけたという意見もある。しかし、たまたま近くに花が咲いていれば、花粉が落ちることもあるだろう。人骨とともにいつも花粉が見つかるのならともかく、そういうわけではないので、花をたむけた可能性は低そうだ。多分、死者をただ埋めただけなのだろう。死後の世界を考えたり、その象徴として花などを飾ったりすることはなかったにしても、他人に対する共感のような感情は芽生えていたと思われる」

ネアンデルタール人の埋葬については、拙著『唯葬論』(サンガ文庫)の第二章「人間論」で詳しく書きました。ネアンデルタール人だけでなく、わたしたちホモ・サピエンスの祖先たちにも死者を埋葬する習慣がありました。

わが書斎の人類史フィギュア(書棚上段)

第13章「ネアンデルタール人との別れ」では、「2種の人類の共存期間」として、著者は以下のように述べています。

「かつては、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、1万年以上にわたって共存していたと考えられていた。しかし、遺跡や化石の年代が修正されたため、両者の共存期間は約7000年とかなり短くなってしまった。約4万3000年前に大規模なヨーロッパ進出を果たしたホモ・サピエンスに限れば、ネアンデルタール人との共存期間は、わずか3000年だ。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、しばらく共存していたというよりは、すみやかに交替したと言った方がよさそうである」

本書は、人類の歴史を俯瞰できることはもちろん、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの関係がわかりやすく書かれています。
それにしても、人類の化石の研究がここまで進んでいるとは驚きました。楽しみながら学べる入門書となっています。

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