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No.1615 オカルト・陰謀 『UMA事件クロニクル』 ASIOS著(彩図社)
2018.10.20
『UMA事件クロニクル』ASIOS著(彩図社)を読みました。
「この一冊でUMAの謎と歴史が分かる!」というふれこみの本です。ASIOSとは、2007年に日本で設立された超常現象などを懐疑的に調査していく団体で、名称は「Association for Skeptical Investigation of Supernatural」(超常現象の懐疑的調査のための会)の略です。海外の団体とも交流を持ち、英語圏への情報発信も行うそうです。メンバーは超常現象の話題が好きで、事実や真相に強い興味があり、手間をかけた懐疑的な調査を行える少数の人材によって構成されているとか。
本書の帯
本書のカバー表紙には人魚のミイラの写真が使われ、帯には「ネッシー、ツチノコ、イエティ、チュパカブラ、中国の野人、ニンゲン……」「説明不能な未知との遭遇」「未確認生物の謎に迫る!」「『UMA人物事典』『UMA事件年表』も収録!」と書かれています。
アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「古代に絶滅したはずの恐竜、進化できなかった類人猿、見る者に恐怖を呼び起こす異形の怪物。科学が発達した現代でもUMA(未確認動物)の目撃が後を絶たない。UMAはなぜ目撃されるのか。その正体はいったいなんなのか。
『謎解き超常現象』シリーズでお馴染みのASIOSが、古今東西、UMA史に名を残す怪事件を徹底検証。ネッシーやビッグフット、雪男、河童、ツチノコ、スカイフィッシュといった誰もが知る有名UMAからローペン、ヨーウィ、オゴポゴ、ジャナワールといったマニアックなUMA、そしてモンキーマンやグロブスター、ニンゲンなど最新未確認動物まで44の事件を徹底調査! 豪華執筆陣によるコラムも充実。UMA研究の決定版です!」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第一章 1930年代以前のUMA事件
河童
人魚
クラーケン
モンゴリアン・デスワーム
ジャージー・デビル
モノス
コンガマトー
ネッシー
キャディ
【コラム】マン島のしゃべるマングース
【コラム】博物館が買ったねつ造UMA
コッホのシーサーペント
第二章 1940~60年代のUMA事件
ローペン
イエティ
エイリアン・ビッグ・キャット
ハーキンマー(スクリューのガー助)
シーサーペント
モスマン
ミネソタ・アイスマン
ビッグフット(パターソン-ギムリン・フィルム)
【コラム】怪獣が本当にいた時代
第三章 1970年代のUMA事件
ヒバゴン
ツチノコ
カバゴン
クッシー
野人(イエレン)
チャンプ
ドーバーデーモン
ニューネッシー
イッシー
【コラム】北米のレイク・モンスター
第四章 1980年代のUMA事件
モケーレ・ムベンベ
天池水怪(チャイニーズ・ネッシー)
ヨーウィ
タキタロウ
リザードマン
ナミタロウ
【コラム】怪獣無法地帯 コンゴの怪獣たち
第五章 1990年代のUMA事件
オゴポコ
フライング・ヒューマノイド
スカイフィッシュ
チュパカブラ
ジャナワール
【コラム】出現する絶滅動物たち
第六章 2000年代のUMA事件
モンキーマン
オラン・ペンデグ
ニンゲン
グロブスター
ナウエリート
ラーガルフリョート・オルムリン
セルマ
第七章 UMA人物事典&UMA事件年表
UMA人物事典
UMA事件年表
執筆者紹介
このように本書には、年代順に主なUMAの出現や関連する事件が取り上げられ、その概要が説明され、さらにはASIOSによる正体の解明が行われています。
もちろん、懐疑的なASIOSですので、彼らが推測する内容は推して知るべしですが、なかなかの説得力がありました。UMAに関心のある人なら、資料として1冊備えておくと便利ではないでしょうか。
【はじめに】魅力溢れる未確認動物の世界」の冒頭では、ASIOS代表の本城達也氏が以下のように書いています。
「ネス湖のネッシー、北米のビッグフット、ヒマラヤの雪男、海の大蛇シーサーペント。こういった怪しくも好奇心を刺激される未確認の動物たちは、日本では『UMA(Unidentified Mysterious Animal)ユーマ』と呼ばれています。世界各地の湖、森、山、海などに隠れ棲むといわれているロマンに満ちた存在です。本書を手に取られた方なら、そういったUMAに関して、検索したり、本を読んだり、テレビを見たりしたことがあるかもしれません。グーグルによると、『バッキンガム宮殿』より『ネス湖』を検索する人の方が多いといいます。21世紀になっても人々の興味が失われることはないようです」
本書はUMAを扱った従来の類書とは違って、現実的な視点からも考察を加えています。著者は「夢を壊すまいとするあまり、肯定的な情報に重きを置くようなことはしていません。夢やロマンを求めるにも、時には現実的な視点からの考察も必要と考えます」と述べていますが、まったく同感です。逆に現実的な視点で考察しているうちに夢やロマンが膨らむことだってあるのではないでしょうか。
『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)
かつて、わたしは『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)という本を監修しました。著者は漫画家の永井豪氏でしたが、同書のプロローグ「幻獣が世界を豊かにする」で、わたしは幻獣の正体について考えてみました。ここでいう「幻獣」とは「UMA」と同じ意味です。
幻獣とは何か。その正体について、わたしは4つの仮説を立ててみました。第1の仮説は、幻獣とは人間の想像力が生み出した存在であるということ。人間の想像力は限りないゆえ、当然ながらそこから生まれる幻想の生きものの数も無限のはずです。かのホルへ・ルイス・ボルヘスは『幻獣辞典』の序文において、現実の動物園に対して、神話伝説の動物園に行くことを読者にすすめています。ライオンのいる動物園ではなく、スフィンクスやケンタウロスのいる動物園へと誘っているのです。
この第2の動物園の動物数は第1のそれをはるかに上回るといいます。なぜなら、幻獣とは現実の生きものの部分を結びつけたものにほかならず、順列の可能性が無限に近いからだというのです。たしかに、ケンタウロスとは馬と人間が合体したものであり、ミノタウロスは雄牛と人間が融合したもの。その他にも、ライオンの胴にワシの頭と爪をつけたグリュプスとか、鳥とヘビを組み合わせたバシリスクとか、山羊と魚がくっついたカプリコルヌスなどという幻獣もいたらしい。いずれも、古代ギリシャ人や古代ローマ人から伝わったヨーロッパではおなじみの幻獣です。考えてみれば、あの悪魔だって、山羊の角、カメレオンの胴、コーモリの羽根などを備えています。
しかし、人類の想像力が生んだ最強最大の融合動物は、なんといっても龍でしょう。龍の角はシカ、顔はラクダ、翼はワシ、爪はタカ、手の平はトラ、そして体はワニや蛇です。神聖なものとして崇拝される動物を「トーテム」と呼びますが、龍は多くのトーテムが合体した霊獣なのです。龍というシンボルは世界的に広い適合性を持ち、異なる文明融合の橋渡しをしたようです。東洋の龍が水の精であったのに対して、西洋のドラゴンが火の精と化したことも興味深いですね。
しかし、幻獣は人間の想像上の産物だけとは限りません。第2の仮説として、幻獣とは未発見の実在する生き物という考え方があります。ヨーロッパにおいて、スフィンクスやケンタウロスといった架空の生きものたちは、なんと18世紀の後半まで現実の動物たちと一緒に各種の『博物誌』に登場していました。ということは、多くのヨーロッパ人たちはこれらの幻獣が現実に存在するものと考えていたのでしょう。実際に、サイなどは伝説の一角獣・ユニコーンと重ねあわせて見られたといいます。
東洋においては、象や麒麟などの幻獣とされてきたものが、実在のゾウ、キリンとして発見され、大騒ぎになった例もあります。
日本でも、河童を目撃したという人がたくさんいます。日本で未確認動物のことをUMAといいますが、河童こそ典型的なUMAだと考える人は多いです。
また、化け物の正体が人間であった可能性も否定しきれません。河童とは平家の落人、あるいは川辺の民、鬼は山の民、天狗は鼻が高く体の大きい西洋人など、その意外な正体説には大いに説得力があると思います。
第3の仮説として、幻獣はこの世界ではなく異界において実在するという考え方があります。宮沢賢治の童話や詩は、その強烈な幻想性で知られています。じつは彼自身が異界を覗くことができた神秘家であった可能性が強いとされているのです。さまざまな場所で賢治が鬼神を目撃したという証言も多いです。あるときは、窓の外を指さしながら「あの森の神様はあまり良くない、村人を悩まして困る」と知人に語ったといいます。日本民俗学の父である柳田國男は、妖怪とは神の落ちぶれた姿であると述べました。驚くべきことに、賢治には「神」と「妖怪」の区別がついたようです。
また賢治は「さまざまな眼に見えまた見えない生物の種がある」と詩に書き残しています。生物には、見える生物と見えない生物の2種類があるというのです。
後者こそ幻獣でしょう。賢治だけではありません。ヨーロッパにおいても、スウェデンボルグには天使が見えましたし、ウィリアム・ブレイクには妖精が見えたといいます。賢治は地元の人々から「狐つき」などと言われ気味悪がられたこともあったようですが、どうやら神秘家たちには、異界の生物、すなわち幻獣を見る力が備わっていたようです。ということは、幻獣とは単なる想像上の生き物ではなく、異界という別の次元に実在しているのかもしれません。この宇宙は、わたしたちの住む宇宙だけではなく、多くの次元から成り立つ多次元宇宙(マルチ・ユニバース)なのだという説を連想してしまいます。
そして第4の仮説は、幻獣とは人間の無意識の願望が生み出したというものです。第1の想像力仮説とは違います。想像力はあくまで意識的なものですが、これは無意識のうちに幻獣を生み出すという人間の心のメカ二ズムに根ざしています。現代において最大の幻獣といえば、やはりネス湖の怪獣「ネッシー」が思い浮かびます。
ナショナル・ジオグラフィックの制作する「サイエンス・ワールド」という番組でネッシーが取り上げられたことがあります。わたしは、市販されているそのDVDを観たことがありますが、非常にショックを受け、深く考えさせられました。
1933年に初めて写真撮影されてから、多くの目撃証言が寄せられ、写真や映像が公開されてきたネッシー。最初の写真はトリックだったと明らかになり、その他の写真や映像もほとんどは、流木の誤認をはじめ、ボートの航跡、動物や魚の波跡などであったといいます。その正体についても、巨大ウナギやバルチックチョウザメ、あるいは無脊椎軟体生物などの仮説が生まれました。今のところ、どの説も決定打とはなっていません。
しかし、そんなことよりも、わたしは番組内で行なわれた1つの実験に目が釘付けになりました。それは、ネス湖に棒切れを1本放り込んで、湖に漂わせておくというものです。それから、ネス湖を訪れた観光客たちにそれを遠くから見せるのです。その結果は、驚くべきことに、じつに多くの人々が棒を指さして「ネッシーだ!」と興奮して叫んだのでした。わざわざネス湖にやって来るぐらいですから、ネッシーを見たいと願っていた人々も、その実在を信じていた人々も多かったでしょう。そして現実の結果として、彼らの目には棒切れが怪獣の頭に映ったのです。
人間とは、見たいもの、あるいは自分が信じるものを見てしまう生きものなのです。幻獣も興味深いですが、それを見てしまう人間のほうがずっと面白いと思いました。ネッシーを見たのと同じメカ二ズムで、かつてドラゴンや人魚や河童や天狗を見てしまった人間は多いはず。いや、幻獣だけではありません。神や聖人や奇跡など、すべての信仰の対象について当てはまることではないでしょうか。きっと、人間の心は退屈で無味乾燥な世界には耐えられないのでしょう。そんな乾いた世界に潤いを与えるために、幻獣すなわちUMAを必要とするのではないでしょうか。